以前勤めていた職場で、釣りの好きな同僚がいて、地方に出張に出るときでさえハンディタイプの釣竿を提げていき、仕事が終わると必ずその地の海岸で糸を垂れてから帰る、というほど釣り好きの人でした。
久しくお会いしていませんが、どうされているでしょうか。夏は釣りのハイシーズンでもあるため、おそらくは毎日とはいいませんが、週末には日がな一日どこかで釣りを楽しまれているに違いありません。
結局この人とは一度も釣りをご一緒する機会には恵まれず、もっぱらお付き合いは酒の席でした。ところが、日ごろから釣果の話ばかり聞かされているせいか、この人と居酒屋に行って酒が入ると、どうしてもこの幅広な同僚のお顔が魚に似ているように思えてきたものです。
どことなく太った鯉のようなお顔をされているような気がしてしょうがなく、そういう目でみると、この人だけでなく、釣り好きといわれる人はたいてい魚に似ているようにこのころから思えるようになってしまいました。
そのことを別の同僚に話したところ、そんなことあるわけないよ~、と一笑に付されてしまいましたが、私としては前世でさんざん魚釣りをやったあげく、その魚の怨念がとりついて、現世では魚に似た顔になったのではないか、と疑っています。
そうすると、前世に牧畜や肉屋をやっていた人は、牛や豚に似てくるのか、と突っ込まれそうですが、これまたしかり。今生での職業は、前世での職業をベースにしていることが多いといいますから、ありえない話ではないかもしれません。
なので、鏡を見て、ご自分の顔がどうも鳥に似ている、と思われる方は、前世で養鶏場を経営していたか、焼き鳥屋をやっていたことがあるかもしれないと、疑ってみるべきかもしれません。あるいは鵜匠だったかも……
かくいう私の顔は、魚でもなく、鳥でもないようで、キツネ顔でもありません。強いていえばタヌキ顔といえるようですから、前世では、野の狸を狩っては食っていたに違いありません。
もっとも、以前霊能力のある方に見ていただいたところ、江戸時代には船問屋を営んでいたそうで、海とは切っても切り離せないような人生を送っていた前世も多かったようです。
その関係からか、でっぷりと太った庄屋様のような方が現在も背後霊としてついてくださっているといいます。なので何かの動物に似ているというよりも、人さまにはどちらかといえば大黒様のように見えているのかもしれません(私はけっして太っていませんが)。
ところで、釣り好きといえば、その代名詞は「太公望」です。よく使われる言葉ですが、どういうゆえんで使うようになったのか気になったので調べてみました。
すると、太公望というのは、紀元前1046年頃~256年ころの中国の「周」の時代に政治家だった呂尚(りょしょう)という人の別名のようです。
そのころの周は文王という王様が治めていましたが、かなり有能な人だったようで、その家臣についても人物を探してはスカウトをかけ、有能な人材を抜擢しては彼らの進言を受け入れ、この国を次第に豊にしていったようです。
ちょうどこのころ、太公望もこの周に住んでいましたが、職にあぶれており、毎日本を読んで暮らしていたそうです。しかし自分の能力には自身があり、そのうちなんとか文王の目に留まって臣下にしてもらうことはできないかと色々考えていたようです。
ある日のこと、周の町をぶらぶら散歩していた太公望は、王城のすぐ近くにある渭水(いすい)という川で釣りをしている子供たちを見かけます。そこで、ハタ!と気が付き、これだ!もしかしたら釣りをしていれば、散策に出かけた文王に声をかけてもらえるかもしれないと考えました。
しかし、普通に釣りをしていては王様の目に留まるわけはありません。そこで、太公望は釣りをしているふりをすることにし、釣り針には餌もつけず、しかもその針も裁縫に使う直針を使うことにしたのでした。
これを水面から三寸上にあげたまま、じっと魚が飛びつくのを待っているフリをしていましたが、ちょうどそこを通った文王は、案の定、この不思議なことをしている人物が目にとまり、近づいて行って太公望を誰何し、なぜ餌もつけずに直針で釣りをしていたのかを尋ねました。
このとき、太公望がなんと答えたかはわかりません。まさか、この釣り針であなたを釣ろうと考えていたのですよ、とは言わなかったでしょうが、それに近いことをユーモアを交えて語るぐらいのことはしたでしょう。
これによって文王と親しく言葉を交わすことができた太公望は、そのかねてよりの願いどおり文王にその才能を認められ、軍師として迎えられることになりました。そしてこの故事をもととして、後世では、釣り人のことを太公望とも言うようになっていったということです。
その後、太公望は周の軍師として文王を助け、またその子である武王の代にもこれを補佐し、殷などの他国からの侵略を防ぎつつ、軍略によってこれを打ち破りました。その軍功によってのちには、営丘(現在の山東省)を中心とする「斉」の地を治める王にも封ぜられています。
ところが、このように中国の歴史上においても、かなり重要な人物であったらしいと考えられるにもかかわらず、その出自と経歴は数々の伝説に包まれて実態がつかめないといい、本当にいた人物であるかどうかも疑わしい、とする研究結果もあるようです。
いかんせん、紀元前のお話であり、日本ではまだ歴史そのものも存在していない時代です。中国においても「甲骨文」で記録を残していた時代のことであり、殷代に呂尚の領国であったとされる「斉」の名前は存在するものの、周初期の史料としては、呂尚に相当する人物の名前を記録したものはまったく確認されていないそうです。
とはいいつつも、こうした太公望と呼ばれるようになった釣りの逸話や、そのほかにも多くの伝説はかなり残されており、実在したとすれば、それほど人民には愛された統治者であったということなのでしょう。
太公望の伝説でもう一つ有名なのは、なんと言っても「奥さんに逃げられた」という逸話です。この故事はまた「覆水盆に返らず」の語源としても知られており、その話はこうです。
太公望呂尚がまだ周の文王に見いだされる前のことです。このころの太公望はいつも読書ばかりしており、食費もすべて本題に使ってしまうような人であったため、その暮らしぶりはかなり貧しかったといいます。太公望は既に結婚していましたが、こうした貧乏生活に耐えきれなくなり、とうとうその奥さんは太公望に離婚して欲しいと懇願しました。
太公望は妻に、いつか楽をさせてやるからと説得しましたが、妻はこの夫のことばを信用しなかったため、やむなく太公望は離縁を認めました。
ところが、前述のようにやがて太公望は周の文王に見いだされることになり、周の軍師となって殷の国を滅ぼしたあと、その功績により斉の国の王にまで封じられるほど出世します。
そして、その斉を治めるため長年暮らした周を離れ、ここへ向かおうと旅の準備をしていましたが、そこへ突然、かつて別れた妻が現われました。
そして、あなたはやっぱり私の見込んだような人物だった、こうして立派になった今それを見て誇らしく思う。離縁を迫ったことを許していただき、なんとか復縁してもらえないだろうか、とぬけぬけと太公望に言ったのです。
この妻に謁見したとき、太公望はちょうど侍女がお盆に載せて持ってきた水をすすりながらこの話を聞いていました。そして、かつての妻から復縁の話が出たとたん急に顔色を変え、気色ばんで、突然盆の上の器に入れてあった水をひっくり返して見せます。
そして、「この水を盆の上に戻してみよ」と言ったので、先妻はお盆にこぼれた水を必死に器に戻そうとしますが、当然すべての水を戻すことはできません。
これを見た太公望は、ひとこと、「覆水不返」と言い放ちます。そして、「一度こぼれた水は二度と盆の上に戻る事は無い。それと同じように私とお前との間も元に戻る事はありえないのだ」とキッパリ女からの復縁を断ったといいます。カッけぇー。
このはなしのオチはもともと、「別れた夫婦は元通りにならない」というフツーの教訓でしたが、やがて時代が下るにつれて、「覆水不返」が転じて、「すんでしまったことは取り返しがつかない」という意味に変わっていき、それがそのまま日本にも伝わりました。
このはなしにこれ以上のオチはありません。その後、この先妻が復讐鬼となり、体を鍛えて太公望の命をつけ狙うターミネーターになったとか、敵国の王女と懇ろになって周を攻め滅ぼしにきたとかいうのなら面白そうなのですが、そんな話はなさそうです。
その後太公望呂尚は、黄河や穆稜(現在の湖北省)、無棣(現在の河北省)に至る地域の諸侯の反乱を治めるなどして大いに活躍したといいます。かなり長生きしたようで100歳を超えてから死没したという話もあるようです。
こうした呂尚の活躍もあり、斉はその後、春秋時代初期には中国屈指の強国となっていきました。そして自国の権威を高めるためにもその軍制の始祖でもある呂尚の神格化を行ったため、太公望の名はその後も長く称えられるようになっていきます。
死してのちの唐の時代には、「武成王」という称号まで追贈され、現在では中国各地にある孔子や関羽といった偉人が祀られている廟に、彼らとともに祭祀されているといいます。
しかし、中国でも太公望は釣り人の代名詞として使われているようですが、日本のように単に釣り人一般の代名詞として使われるのではないようです。逆に釣りが下手な人を指して太公望と言うとのことで、これは餌もつけずに釣りをするふりをしたという故事に基づくのでしょう。
ところで、この釣りというのはいったいどのくらい昔からあるものなのでしょう。
一説によれば、釣りの起源は少なくとも約4万年前の旧石器時代まで遡ることができるそうで、日本でも石器時代の遺跡から骨角器の釣針が見つかっているようです。
現在のように趣味として広まっていったのは江戸時代ごろからのようで、江戸の庶民の間で流行し、「江戸和竿」と呼ばれる矢竹、布袋竹、淡竹、真竹、スズ竹などのいろんな竹を組み合わせた精巧な和竿が作られるようになりました。
そして、江戸だけでなく、このほかの地方でも和竿による魚釣りが流行するようになり、横浜竿、川口竿、郡上竿、紀州竿庄内竿などの多くのバリエーションが作られるようになりました。
具体的に和竿がいつから作られ始めたのかについては明確な資料は見つかっていないようですが、江戸和竿に関しては、1723年(享保8年)に書かれた日本初の釣りの解説書「何羨録」に継ぎ竿の選び方に関する記述があるそうで、この当時から既に数種類の竹を組み合わせた継ぎ竿が作られていたことが確認できるといいます。
和竿という分類は明治時代以降、西洋から竹を縦に裂いて再接着して製造する竿が紹介され、こうした西洋の竿(洋竿)と区別するために、和の竿(和竿)という呼称が用いられ定着するようになったようです。
明治時代のはじめころにはまだ日本の釣り竿の殆どが竹竿であったため、日本で作られる竿全般は「和竿」でしたが、その後欧米からスチール製や色々な素材の竿が輸入されるようになり、そのほかの釣用具も徐々にこうした欧米製のものが使われるようになります。
ちなみに、明治33年(1900年)に行われたパリ・オリンピック(パラリンピックではない)では、釣りが競技種目の一つとして採用され、釣果が競われたそうです。
パリオリンピックは、フランスのパリで1900年5月14日から10月28日に行われた第二回の夏季オリンピックで、この大会は万国博覧会の附属大会として行われたそうで、このため、その会期も5か月に及んだそうです。
初期のころのオリンピックであったため、大会運営もかなり混乱をきたしといい、メダルが与えられたのは、オリンピックの創設者クーベルタンが運営に関わった陸上競技のみだったそうです。
しかも、このメダルが実際に選手に届いたのは2年後のことだったそうで、現在ではこのパリオリンピックで行われた競技の中では、陸上競技のみの結果だけが公式な結果とされ、その他の競技結果は公式記録としては認められていません。
面白い話しとして残っているのは、ボート競技舵手付きペア種目では、オランダチームのコックス(舵手)の体重が、いざ競技を始めようとしたところ、重すぎるという理由でこの選手は外されてしまったそうです。
その代役として、たまたま観客席にいた7歳から10歳くらいと見られるフランス人の少年が飛び入りで参加したそうですが、なんとこのチームはそのまま優勝してしまったそうで、この少年は現在でも史上最年少のオリンピック金メダリストではないかと言われています。
しかし、その本人は競技終了後、身元確認を受けることなく会場から姿を消してしまい、少年の正確な年齢はおろか名前さえも分かっていないといいます。
このほか、射撃では鳩を的にして鳩を撃つ競技が行われたといい、さすがに残虐的だと非難され、この大会のみの競技となりました。このほかにも「凧揚げ」などといった競技もあったといい、魚釣りと同様にオリンピックといえどもまだこの時代には、ヨーロッパの国を中心としたのどかな地方スポーツ大会の域を出ないものでした。
魚釣り競技の結果がどうだったのか、調べようかとも思いましたが、時間を食いそうなので今日のところはやめておきます。
さて、その後も釣りは、たいして金もかからない趣味であるということで、日本国民の間で愛され続け、やがて戦後に国産のファイバー製の竿が作られるようになると、釣りはさらに手軽に行える趣味として国民の間で爆発的に広まっていくようになります。
このように魚釣りを娯楽・趣味とする風潮は、漁業者が行うそれとは別に、「遊漁」を目的とした趣味として広まり、やがて「釣り」そのものが一大レジャー産業として成長するまでになりました。
現在では釣具メーカーの中にはトッププロ(フィールド・テスターと呼ばれるそうです)と提携するところも現れ、マスコミを通しての商品のPRにつとめているところもあります。日本メーカーの釣具はあらゆる釣り人の利便性、機能性の要請に答えているという評価も高く、世界的にみてもトップクラスの水準にあるそうです。
釣りは竿だけでやるものではなく、リールや糸、針、浮きなどの様々な釣り具との組み合わせによって成立するものではありますが、しかしやはりなんといってもその主役は竿につきます。
細くなった先端部より釣り糸が伸び、魚が掛かると強い引っ張りを受けるため、柔軟性に加え相応の引っ張り強度を持つものが必要であるとともに、運搬や収納が便利であることも時に求められます。
このため、何本かの竿を継いで使用する継ぎ竿が考案されました。また、継ぎ竿は複数の部品で構成され、これを組み立てるものですが、これを組み立てずに手軽に伸び縮みさせることができるようにしたのが、振り出し竿です。振り出し竿では中空になった竿の中に細い部品が仕込まれており、これを引っ張り出す事により組み立あげることができます。
このほか、通常の竿にはリールを取り付けることができる釣り竿には、道糸を通すためのガイドが数個付いていますが、このガイドの代わりに釣り竿の内部に道糸を通すことができる「中通し竿」というものもあり、一口に竿といっても様々に工夫された竿が存在するようです。
こうしたことは釣りをやったことのある人にとっては、なーんだ当たり前じゃん、ということになるわけですが、釣りをやったことのない人、とくに女性にとっては、ふーんそうなんだーということになるのでしょう。
しかし、釣りをやったことのある人でも、かつての日本の釣り道具の主役である和竿についてはほとんど知識のない人も多く、例えば、「紀州竿」というのは、先端部を真竹、中間部を高野竹(こうやちく)、根元を矢竹と竹の特性(弾性や強度)に合わせて使い分けて一本の竿を製作するというかなり複雑なものです。
こうした和竿は単純に竹を適当な長さに切って繋ぎ合せただけのものではなく、このように複雑な製造工程が必要とされるものが多いようですが、その接合部(組み立ての際の差込口)もまた糸や漆で補強されたりといったいわば「工芸品」に近いものもあり、その設計と製作には高い技術が必要とされます。
こられの和竿の技術は、現代のグラスファイバーや強化プラスチック製の釣り竿にも継承されているといい、その技術を学ぼうと昔ながらの和竿の製作技術を継承する達人のもとには、弟子入り希望の一般人の申し込みがひっきりなしにあるといいます。
しかし、欧米にもこうした複雑な竿を製作する技術が伝わっており、例えば「六角バンブーロッド」と呼ばれるものは、中国の茶かん竹を裂き張り合わせて六角形にしたものです。
基本的には無垢構造ですが、ホロー構造と呼ばれる中をくり抜いて中空にしたものもあり、これを造るのにもかなり高度で繊細な技量が必要だということです。
とはいえ、こうした複雑な手造りの竿は当然高価になりがちです。一般人では手に入れることのできないような高額なものもあるようで、ましてやこれを海川の現場に持ち込んで使うのは、はばかれます。
ということで、登場したのがガラス繊維強化プラスチック(グラスファイバー)を用いた釣り竿です。
しかし、グラスファイバー製の竿は頑丈な反面、重量がやや重く、魚信を感知するためには少々低感度であり、また竹よりも反発が弱いという性質があります。このため、90年代までは主流でしたが、現在ではあまり使用されなくなってきています。
しかし、竿の自重だけである程度竿が曲がるため軽いものが投げやすく、魚の引きを楽しめながら強い引きも吸収して獲物を寄せることのできる柔軟さを持っています。このため、「プラグ」と呼ばれる木製またはプラスチック製のルアーを用いるルアー竿やフライフィッシング用の釣り竿には今でも主流で用いられているといいます。
しかし、最近での主流は、こうしたグラスファイバー製から炭素繊維強化プラスチック製へと変わりつつあり、これはカーボン竿、グラファイト竿などと呼ばれているようです。
引っ張り強度・弾性率が高くて軽く、カーボンのグレード(純度、弾性率にも関わる)も豊富にあるので様々な調子の竿が作れるのが特徴です。一昔前は、カーボンファイバーといえば高価な素材、というイメージでしたが、最近は製造技術の発達と普及により、かなりお安く手に入るようです。
私自身はまだ一度も使ったことがありません……というか、ここ十年ほど釣りには行っていないので、そのありがたみがよくわかりません。
しかし、カーボン純度が高いものはかなり高価になるものの、その「しなり」具合が違うといい、釣りの玄人さんには大人気のようです。しかし、一般的には従来のグラスファイバーなどと混ぜた比較的純度の低いものが使われます。
しかし、その混入率を偽る業者も増えてきたことから、全国釣竿公正取引協議会の規定では、かつては「炭素繊維強化プラスチック製」は炭素繊維含有量を25%以上としていましたが、2007年からは50%以上使用していないとカーボンファイバー製とはいえない、ということになっているようです。
しかし、安価な中国製のカーボンファイバー製にはこの含有率を守っていないものも多いようです。まがい物をつかまされないように注意しましょう。
これら釣竿の製作技術はさらに進化しつつあり、最近はさらにチタン製やアモルファス合金といった飛行機や宇宙船にも使われるような素材を使った竿のほか、ファインセラミックス、アラミカ(アラミドフィルム)といった最新素材も使われた竿まで登場しているとか。いったいいくらくらいするのか知りませんが……
こうしたますます最新鋭の竿の導入が進むというのは、それだけ需要があるということなのでしょう。竿以外はあまりたいした金もかからない釣りは、長く続く不況のさなかのことでもあり、日本全国どこへ行っても釣り人がいるというほどさかんに行われています。
伊豆などでも、ちょっと海岸へ出るとたいていどこにでも釣り人がいますが、ここからクルマで15分ほどで行ける三津港などでも、平日の昼間ながらも結構釣り客がおり、そんなに暇なんでしょうか……?と首をかしげるほどです。
とはいえ、日本中どこでもかしこでも釣りがOkかといえば、そういうわけにもいかず、当然、遊漁者に対する規制もあります。たいていは、各都道府県ごとに定められた「漁業調整規則」という条例によって規定されていて、とくに湖沼や川などの内水面ではこうした遊漁規則が設定されている場合が多いようです
また、遊漁者が使える漁具は、一般に一本釣りの釣り道具、小型のたも網のみであることが多く、これ以外の漁師さんが使っているような刺し網とか投げ網などは使えません。なので、釣りがさかんだからといって、どこでも誰でも、何でも使って釣りをしてもいいというわけには当然いきません。
ところが、近年の遊漁人口の増加と産業化によっては、こうしたタブーを犯す人も増えており、またこのほかにもいろんな問題が発生していて、その一つは、立ち入り禁止区域への侵入です。
進入禁止とされている場所での釣りが問題となっており、その代表例としては港などで立ち入り禁止とされている防波堤釣りです。こうした場所に釣り人が無断侵入しては高波にさらわれるなどして、2013年までに通算63人が亡くなっているそうです。
が、無論、記録を取る前から亡くなった方のことはわかりませんし、これ以外に海水浴と称して海辺で釣りをしていて流されたという人もいるでしょうから、被害者の数はさらに多いと考えられます。
なかには、3mもの高さのあるフェンスを、登れないからといって破壊したりしてまで侵入を繰り返す釣り人もいるといい、こうしたことはぜひやめてほしいものです。本人が危ないだけでなく、いざ事故が起こったときの周囲の迷惑をやはり考えるべきでしょう。
このほか、釣りにより発生するゴミの問題も深刻化しているといいます。
とくに河川・湖沼など淡水魚の生息する地域は野鳥にとっては、これらの場所において放置されたテグスや針付きのテグスなどは生命を脅かすものとなります。
また、特にワームと呼ばれ、自然界では不溶解の材料を用いた疑似餌による化学的な汚染や、撒き餌などによる水質汚濁も懸念されており、海釣りの磯でも同様で、波止釣りや埠頭でのゴミ放置はかなり問題化しています。
このほか、オオクチバス、コクチバス、ブルーギルなどの日本国内に天然では存在しない魚類の釣り人による意図的な放流も問題です。伊豆でも伊東の一碧湖のように、ある程度地元の人にも容認されているような場所はともかく、内水面漁業者がいるような場所では、漁の対象魚がこれらの外来種に駆逐されてしまった例も後を絶ちません。
「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」という法律があり、これにより外来種の放流は基本的には禁止されています。しかし、この法律では、釣り上げた魚をその場で再放流する、いわゆる「キャッチ・アンド・リリース」については規制をしていないため、いつまでたっても外来種が減らないという悪循環が続いています。
このため、秋田県・新潟県・滋賀県琵琶湖などではキャッチ・アンド・リリースを条例で禁止しているといい、こうした規制は条例ではなく法令で強制力を強めていく必要があります。
なお、釣りの対象とされる外来種であり、在来種に影響を与える魚種でありながら、在来種と誤解されているものもあり、ニジマス、輸入種の鯉、一部の湖におけるワカサギなどがそれです。
また、外来種ではありませんが、鮎や国産の鯉、そのほかその地方には存在しない他府県の魚類を持ち込んで放流するといったことは、生態系の破壊につながりかねません。
例えば輸入種の鯉と在来種の鯉の交配によって、新種ができてしまうということも考えられます。外来種のみの増加による環境破壊ばかりが問題ではない、というようなことを、学校だけでなく、社会人にも伝えるべくもう少し幅広く世に伝える方法を考えていく必要があります。
なので、近所のお祭りで買ってきた金魚やメダカを、エサ代もかかる穀潰しということで安直にそのへんの川に放流するのはやめましょう。近所で見つけたザリガニは捕獲してその夜のご馳走にしましょう。ちなみに、ウシガエルも外来種です。こちらは照り焼きにするとおいしくいただけます……
……ということで、東海地方もどうやら梅雨明けしたのではないかと思われるような上天気で、このお天気の中、釣りに伊豆に来る人も多いことでしょう。
私自身は最近まったくといっていいほど釣りをやらないので、どこがおすすめとかあまりここで書けませんが、やはり黒潮にも洗われる伊豆南部の海岸は、釣りのメッカとして趣味人には人気のようです。
釣りはしないまでも、ちょっと海岸へ出て、カニや貝などの生物と触れ合うのもまた楽しいもの。釣竿はなくても、ちょっと手で捕獲してその日の晩御飯にできそうなものもたくさんいるようです。不況でその日の食材にも困っているあなた。ぜひ夏の伊豆にやってきましょう。
でも、ゴミの放置や危険な場所への立ち入りはくれぐれもやめましょう。フィッシング詐欺にも気をつけましょう。でも陸釣りはご自由に。