西日本では激しい雨が降っているところが多いようで、私の郷里の山口もお隣の島根県との県境付近では、豪雨によるひどい被害が出ているようです。
私も帰郷すると、よく訪問することの多い津和野の様子がテレビで写し出されていましたが、エッあそこがこんなになるの、というほど町は溢水に覆われていました。貴重な歴史的な資源も多いところだけに、人的被害だけでなく、そうしたものへ被害が出なければ良いのですが……
そうしたテレビで目にする被害の様子を尻目に、こちら伊豆はどうかといえば、昨日はピーカンのお天気となりました。時々陽射しには恵まれるものの、どちらかといえば曇り空の多いすっきりとしない天気が続いていただけに、これはちょうどいい、ということで朝からぼうぼうになっていた庭の草取りに励みました。
なぜちょうどいいかといえば、曇りの日というのは、やたらに藪蚊が多く、ちょっと外へ出ようものなら、ものの数分で何ヶ所も刺されてしまい、長時間の草取りはほとんど命がけだからです。
この別荘地、標高が高いくせにやたらに藪蚊が多いのが玉にキズで、これがどうしたことが原因なのかはよくわかりませんが、ともかく夏の間中は蚊に悩まされるのは必須。
ところが、晴れた日にはこの蚊が激減し、ほとんど刺されません。何故なのかはよくわかりませんが、以前テレビでやっていたある動物特集ではこんなことを言っていました。
つまり、蚊は暗い色が大好きなので、藪や草の下などの暗いところに潜んでいます。が、日の当たるところは暗い部分が少なくなるので、そうしたところへ出てこない、というのです。
うーむ、本当かなーとは思ったのですが、そういえばお天気の日にはあまり蚊に刺されることがなかったような気もするので、ともかく、ここぞとばかりにほぼ半日かかって庭中の草抜きをしました。
すると……、この間、一度も蚊に刺されませんでした。劇的なことです。やはりテレビネタは本当だったか~とこのときばかりは感謝したものです。おかげで抜いた草は山のようになり、今朝がたそれをゴミ袋に入れてゴミ出ししてきましたが、この袋もビックサイズ3袋に及びました。
さて、このように、蚊の被害はここに住んでいて大きな問題なのですが、修善寺に住み始めて一年と4カ月余り、これ以外の大きな不満としてはもうひとつ、インターネット環境があまりよくないことがありました。
以前にもこのことについて書いたのですが、この地は山の上ということもあって光ファイバーが来ておらず、また電話回線を使うADSLを導入しようにも、NTTの基地局までの距離が遠いために、信号の減衰が激しく、回線速度としてはせいぜい3~5Mbps程度しか出ません。
しかし幸い、NTTドコモの携帯用のアンテナがすぐ近くにあり、このため、我が家の電波強度はほかの場所に比べればかなり強く、このためなんとか10Mbps程度の速度を出すことができ、これまでもインターネットは無線LAN接続でなんとかやってきました。
ところがなんと!画期的なことに、ついにこの伊豆の山奥にも光ファイバーが敷かれることになったのです。
それはつい一カ月前のこと。いつものように昼食を採って昼寝をしていたところ、ピンポーンの音のあとに、玄関先に何やら人声がします。どうも何かのセールスマンのようなのでどうせ関係ねーやということで、引き続き眠りの世界に戻ろうとしたところ、ドドドッという足音とともにタエさん登場。
曰く、NTT西日本の人が光ファイバーがどうたら言ってるよ~、というので、仕方ないな、どうせここへ光なんか来るわけないよ、何かの調査に違いない、と思って降りていったのです。
ところが、このセールスマンらしい人は私と顔を見合わせるやいなや、(お待たせしました)トークを始めたではありませんか。寝起きでぼんやりしていたのですが、よくよく話を聞くと、正真正銘光ファイバーがこの山奥まで来たということのようなのです。
何かの間違いだろう、もしかして詐欺?とも疑ったのですが、出された資料や名刺を見る限りはNTTのセールスさんに間違いないようです。半信半疑のまま話を聞いていたのですが、どうやら本当の話だということが次第にわかり、気が付くと即日、ネットプロバイダ契約と工事了承のサインをしていました。
それがおよそ一カ月前のこと。実は、この地域に光ファイバーを新規に入れるのは久々のこととのことで、このため申込みをする人が多く、これに対応できる業者さんの確保に時間がかかるため、実際の工事までにこれほど待たされることになったのでした。
こうして、ようやく我が家にも「光ファイバー元年」が訪れたのが一昨日のこと。工事業者さんがファイバーの新規敷設工事を終え、ルーターのセッティングをしてくれたあと、その日一日かけて自分で家の中の有線LANの配線を終えました。
昨日さっそくネット接続を試みようと思ったところが、この上天気だったため、やむなく予定を中止し、前述のとおり、草むしりをすることに。
ホントはすぐにでもネット接続を試したかったのですが、断腸の思いでこれを取りやめ、今朝になってようやくその接続作業を終えたのでした。
実は、伊豆に来る前に東京にいたころはマンションタイプのBフレッツに加入し、光回線を楽しんでいたのですが、それが伊豆に引っ越すことになり、無線LANでの接続にならざるを得ないとわかった時には、非常に落胆したものです。
それが、一年数か月のちにこうしてようやく光回線を手に入れることができるようになったわけであり、私としては非常に感慨深いものがあります。
東京都内や都市部にお住まいの方は、なーんだ、そんなことか、しょーもない、と思われるかもしれませんが、ここ伊豆では、おそらく私たちが住んでいるところが、FTTH(Fiber to the home)を実現している最南端でしょう。
ほかに伊東市街の一部にも光が来ていると聞いていますが、これが下田市まで行くのにはあと何年かかることか。おそらく私と同じような悩みを抱いていらっしゃる方は、伊豆にはさらにゴマンといると思います。
……ということで、今日のブログは我が家の回線が光ファイバー化して初めての配信ということになります。以前はイライラしていた写真のアップも従来よりは格段に早くなったことから、今後はブログの更新もより頻繁にできるように……なるかも!?
ま、あまり期待しないでいただくとして、それにしても、この光ファイバーを初めとする、近年の情報伝達技術の発達には目覚ましいものがあります。
いつのころからこんなことになったのかな、と改めて調べてみると、これは1980年代に世界的に通信自由化の流れが起こったころのことが始まりのようです。
日本では、1985年に電電公社がNTTに民営化したことで、通信開放によりパソコン通信サービスが始まるようになり、以前は規制されていたインターネットの電子メールの交換が行えるようになり、これがこの後のネット時代の幕開けのはしりであったようです。
ただし、このころはまだネットによるパソコン通信は、原則として特定のサーバとその参加者(会員)の間だけの閉じたネットワークであり、日本国内だけでなく外国の情報などを自由に得るなどということは夢のようなお話でした。
その後1989年にはWWW(World Wide Web)が登場。ご存知の方も多いでしょうが、WWWとは、ウェブページを記載するためのHTMLやXHTMLといった記述言語のことです。
この言語技術を用いることで、インターネット上に散在するドキュメント同士を相互に参照可能にするシステムの構築が可能となり、こうした技術の開発と導入はこの当時としては画期的なことでした。
何が画期的かといえば、例えばマウスによるクリックなどによって遠くにあるパソコンのページ間を移動することや、そのパソコンにある別のファイルに保管してある画像を何の制限もなく自分のパソコンの中のドキュメント内に自由に表示させることが可能になったことです。
現在では当たり前に行われていることなのですが、この当時のメールだけのパソコン通信ではこうした高等技術は使えず、このころにできることといえば、文章のやりとりだけだったのです。それを思えば、この技術がいかにすごいことかおわかりでしょう。
World Wide Webとは、こうした技術の導入により、ネット利用者のつながり方が「蜘蛛の巣」のように広がっていくことから名づけられた言葉であり、意味としては「世界に広がる蜘蛛の巣」ということになります。
このWWWの普及により、1990年代前半頃からのはインターネットの世界的な普及がはじまりました。
情報伝達のハード技術としては、1990年代前半には、まだ通信速度が 9600bps~14400bps程度の電話モデムだったものが、2000年代前半になるとADSL方式によるブロードバンドインターネットの家庭への普及がはじまりました。
その後のインターネット技術の発展は、各国ともさまざまです。いまだにアメリカのようにADSLやケーブル方式が主流の国もあれば、日本のようにFTTHの契約数が2000万を超える(2013年6月時点で22,385.8万)ような国もあります。
日本における光ファイバーによるネットサービスは、2000年にNTTが「光・IP通信網サービス」として一部の東京都1区部及び大阪市で試験サービスを開始したのがはじまりのようです。
その後数ヶ月間の期間を経てから2001年(平成13年)8月に「Bフレッツ」として光ファイバーを用いた通信サービスが本格的に開始され、現在に至っています(現在はNTT西日本が「フレッツ・光プレミアム」に、NTT東日本が2「フレッツ・光ネクスト」に移行)。
そして、前述までのように、ある程度の普及は進んではいるものの、現時点においては日本の隅々にまで光ファイバーが行き渡るのにはまだもう少し先といった状況です。
総務省はFTTHの世帯普及率を2015年頃をめどに100%まで上げることを目指していると言っているようですが、NTTは経済的合理性からこのスケジュールでの提供は不可能であるとしており、どうやら下田にまで光ファイバーが行くのはかなり先のことになりそうです。
とはいえ、FTTHによるサービスはブロードバンド・ゼロ地域の解消や携帯電話が使えない、いわゆる「不感地帯」の解消の実現のためにも期待されています。
光ファイバーはADSLとは異なり距離に関係なく一定の通信品質を提供できることから、地理的条件に左右されず希望者にサービスが提供できるためでもあります。
しかしその敷設にはかなりの投資が必要となり、NTTを初めとする電気通信事業者が採算性を理由にサービスの提供を拒否している地域が多数存在しています。
近年のサービス提供エリア拡大によりある程度格差が解消されつつある傾向はあるものの、ADSL回線では通信できなかったり低速な通信しかできなかったりする、本来本当にFTTHが必要とされる過疎地域や市街地の周辺地域については不満が拡大しつつあるといいます。
そんな中にあって、よくぞこんな山の上にまで光を引いてくれたものだと感謝至極なのですが、よくよく考えてみればここは、修善寺温泉街という一大観光地のすぐ側にあり、敷地内には「かんぽの宿」や大手による老人介護施設などもあり、私としては前々から何故ここに光が来ないのか、不思議でしかたがなかったのです。
ただ、別荘地とはいえ、かなりの家屋は空き家であり、また週末利用の別荘も多いことから、NTTとしても二の足を踏んでいたのだと思います。
それがここへ来て急に光を導入する気になった理由を考えてみたのですが、よくわかりません。
が、昨年までの段階で、麓の修禅寺温泉や大仁市街までには光が来ており、おそらくはその延長上でどこかにケーブルを延長していくとすれば、このあたりのほうが、他地域よりもまだ民家が密集している、ということだったのではないでしょうか。
事実、これ以外の中伊豆地域に目を向けてみると、修善寺以南でまとまった集落があるのは、湯ヶ島ぐらいであり、その先となると天城峠を越えた河津になってしまいます。
修善寺から湯ヶ島まで十数キロ。しかもここには鉄道も行っておらず、大規模な店舗や銀行といった施設も少ないことから、果たしてここまで光が行き届くまでにあと何年かかることやら。
自分のところだけ、光が来たからエラそうに言えることではあるのですが、政府の目指す「2015年頃をめどに100%のFTTHの普及」までは、まだまだ遠い道のりのように思えます。
さて、今日は何のかんのと、昨日の草取りの影響で腰が痛く、いつもはこれから長い延長戦に入るところなのですが、この辺で終わりにしたいと思います。
……と書きながら、実は光ファイバーの導入で可能になった「光テレビ」が気になっている、というのが本音でもあります。これまでテレビでインターネットを体験するということをしてこなかったので非常に楽しみです。
ま、あまりのめり込まぬよう、そのせいでブログ更新を怠ることのないよう、努力いたしますゆえ、今日のところはご容赦願いましょう。