見ちゃいや~ん

2014-1120849
なかなかセンセーショナル?なタイトルなので、芦屋もついに発狂したかとお喜びの向きもあるでしょうが、今日は、「見られると困る」人もいるだろう、という話を少ししましょう。

さきごろ、札幌で小学生の女の子がちょっとした買い物に出かけた後に行方不明となるという事件が起きましたね。

大勢の警察を動員しての大捜査となりましたが、結局、近所に住む若い男性が拉致したことが判明してお縄となり、女の子も無事に帰ってきて、めでたしめでたしでした。

犯人はどんなヤツなのかみんな知りたがるでしょうが、まだ犯行内容も確定していないためか、顔写真も公開されていないようです。が、おそらくもう今頃はネット上ではスクープ写真などが出回っているのかもしれません。

それを調べてまでこの犯人の顔ををみたいとは思いませんが、それにしても昨今のインターネットはすごいなぁとつくづく思ってしまいます。

何でもかんでもちょっと調べると大量の情報が出てくる。これは素晴らしいことではありますが、時にしてこうした過剰の情報提供は、プライバシーの侵害にもつながりかねません。

プライバシーといえば、最近、防犯カメラなどへ写りこむ映像を無断使用したことなどによる人権侵害権などのトラブルが激増しているとの新聞やテレビの報道を良く目にします。

この札幌の事件も、被害にあった女の子と犯人の男性が一緒に歩いているところを捉えた防犯カメラ映像が、逮捕のきっかけになったといいますが、その画像に写りこんでいた関係ない人もかなりいたのではないでしょうか。

とはいえ、防犯カメラがあることで、多くの犯罪が未然に防ぐことができ、また所在不明の犯人の特定につながるといったことが最近増えています。

おととしの夏に起こったパソコン遠隔操作事件においても、江の島で犯人らしき人物が防犯カメラにネコにエサをやっていた映像が映っていたことが検挙につながりました。

この事件の内容は、もう忘れている人も多いかもしれませんが、犯人がインターネットの電子掲示板を介して、他者のパソコンを遠隔操作し、これを踏み台として襲撃や殺人などの犯罪予告を行ったというもので、近年増加しているといわれる「サイバー犯罪」の典型として注目されました。

このとき捕まった犯人は、その後何回か起訴されていますが、未だこのサイバー罪を犯したことを認めていないようです。その後捜査はどう進展しているのでしょうか。

この事件でも活躍したのもまた「防犯カメラ」でしたが、これはそもそも日本の各都道府県警は、繁華街等の防犯対策の一環として、繁華街、街頭、街路周辺に監視カメラを設置しているものです。

一般にも、防犯を主な目的として、商店や銀行など金融機関、公的機関の天井などに仕掛けられているものがありますが、これは本来「防犯カメラ」ではなく、「監視カメラ」と呼ばれるべきものです。

警察が設置している防犯カメラは、正式には「街頭防犯カメラシステム」と呼ばれ、2012年現在時点では、全国に791台あることが公表されていますから、現在では更に増えていることでしょう。

2002年に警視庁が東京都新宿区の歌舞伎町に50台設置したのがこの増加の呼び水になりました。繁華街と呼ばれる地域や、人の密集する地域、駐車違反多発地域を中心に設置されているそうで、札幌の事件の解決につながったのも、この防犯カメラの一台です。

このほか、公的な場所で設置されている監視カメラの代表としては、鉄道各社のものがあり、JRなどでも、最近、東海道・山陽新幹線で営業運転を開始したN700系電車の全乗降口と運転室出入口にも監視カメラを設置しており、防犯を強く意識した監視カメラの設置を進めています。

他の鉄道会社においても、テロ対策や各駅の状況の確認を目的に多く設置されているそうですが、首都圏の各鉄道会社は監視カメラを運用する規則を公表しておらず、プライバシーの観点からもこの規則を開示すべきであるとする声があがっているようです。

このほかにも、成田国際空港と関西国際空港に「顔認識システム」付きの監視カメラが設置されていて、その他、工場の製造ライン監視、原子力発電所、火力発電所、研究所などで人が入れない場所の異常監視を行われているほか、ダム、河川、火山などの状況の監視・記録にも使用されています。

ご存知、「ライブカメラ」とも呼ばれるものもあり、これは広域を監視し、テレビ局、インターネットなどで公開できる画像をリアルタイムに撮影して公開しているものです。ネットを介し距離に関係なく遠方の監視も行えるわけで、その場所にいなくても各地の現時点の様子が手に取るようにわかるので、旅行先の天気を知りたいときなども便利です。

私も富士山の画像が見えるライブカメラのURLをいくつか登録していて、時々眺めて楽しんでいます。とくにここ伊豆からは富士山の様子が見えないときでも、近くに設置してあるライブカメラには写っていることがあり、あぁ今日も富士山が見えた~と喜ぶほどの富士フェチでもあります。

一般的な監視カメラとしては、上述のような小売店や銀行など金融機関と言ったもの以外にも、工場や会社などへの侵入者や不審者の監視・記録目的のものもあります。先日の冷凍食品への農薬混入事件でも、従業員の背任行為を抑止する目的で取り付けられた監視カメラが威力を発揮しました。

こうした施設内だけでなく、市街や盛り場の道路などに監視カメラが取り付けられることも増加しつつあり、また、カメラの価格降下に伴い、自宅駐車場などに盗難防止目的として安価な監視カメラを設置する個人宅も増えているようです。

こうした、カメラがいったい、どのくらい国内にあるかは、正確にはわかっていないようです。が、公式な統計ではありませんが、だいたい国内に300万台以上あるといわれているようです。

諸外国と比べてみると、やはり世界最大の監視カメラ大国はイギリスです。イギリス全土に設置されている監視カメラの数が420万台だそうで、イギリス以外の西ヨーロッパ諸国の監視カメラが、それ全部を合わせても650万であることを考えると格段です。

アメリカでは、だいたい全国で200万台ぐらいのようです。国土が広いので、とうてい全部をカバーしきれません。おそらくはニューヨークとかロサンゼルスといった大都市に集中しているのでしょう。

このほか、日本を除き、中国も含めたアジア諸国ではだいたい合計数が300万ほど、オーストラリア、アフリカ、中東の監視カメラの合計数が200万といいますから、いかにイギリスの420万台が突出しているかが分かります。

イギリスで2005年7月に起きたバス、地下鉄を標的とした爆弾テロにおいて犯人の検挙が迅速に行われたのも、監視カメラの記録に負うところが大きいと見られているようです。

このイギリスと比較すれば、日本の300万という数字はやや少なめですが、なかなか、というかかなり健闘しているといっていいのではないでしょうか。

この監視カメラの効用ですが、「監視している」ことによる犯罪抑止効果を求めるケースと、「犯罪が起きたときの証拠確保」を目的とする場合とに分かれる、ということはよく言われることです。

前者の場合は目立つ場所に設置され、後者の場合には目立たない場所に設置されます。しかし、この2つの効果を同時に追求することはできません。

なぜなら、犯罪行為を抑止するために監視カメラを設置するのであれば、設置してあることを目立たせなければいけません。しかしそうすると犯罪者はカメラの存在に気付き、犯行に及ばないので証拠記録が撮影できなくなってしまうからです。

したがって、場所・状況に応じて、「犯罪行為の抑止」と「犯罪行為の証拠の記録」を使い分ける必要が生じます。これにまた、「プライバシー侵害」というややこしい話が絡まってきて、監視カメラの設置場所の選定はなかなか難しいようです。

このため、プライバシーの侵害だという批判を回避するために監視カメラを設置していることを「監視カメラ作動中」といった看板などで告知している場合もあるようです。

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一般人が設置した監視カメラで撮影された映像は、犯罪捜査において、警察からその画像の提供を依頼されることも多々あります。最近の監視カメラには、たいてい画像保存用のメモリカードなどのインターフェースがあり簡単に外部に出力できるようになっており、再生しながらビデオテープにダビングすることも可能です。

こうしたカメラ映像が、犯罪捜査に使われて功を奏した例としては、オウム真理教元幹部の逮捕が有名です。元幹部の行動をたどるため警視庁が分析した監視カメラは、駅や金融機関、スーパー、コンビニなどの約1000台に上ったといい、映像を次々と公開したことから、市民から多くの情報が寄せられ、これが検挙につながりました。

監視カメラの設置は、こうした大きな事件が起きると、直後に設置が増える傾向があるそうです。ただ、増える一方であるこうした監視カメラの数千万枚の画像から一瞬で特定の人物を検索する、といった技術の開発はなかなか難しいようで、映像の解析技術は進んではいるのですが、その実用化にはまだまだ時間がかかるということです。

それにしても、最近は、ちょっと町に出て、ふと見上げたその視線の先に、防犯カメラやら監視カメラを見かけることが多くなりました。

私の場合、顔の下半分が黒いもので覆われている(俗には髭と呼ばれている)ので、防犯カメラに撮影されたら、もう逃げようがありません。

そのあやしげな風貌と立ち振る舞いが撮影されたら、どんな犯罪を犯しても30分もたたないうちに逮捕されてしまうに違いありません。もっとも、これまでネズミ一匹殺したことはありません。大嫌いなゴキなら数万くらいは殺害してますが……。

この監視カメラの設置に関して、プライバシーの問題に係るとして何等かの規制があるのかと調べてみたところ、とくに法律上の明確な決まりはないようです。

正当な目的や必要性があって公共性の高い場所に設置されるものであれば、大きな問題はないと一般にも受け止められているようです。ただ、常に特定の民家の玄関が映り込んでいるような場合は、問題になる可能性があり、裁判沙汰になったこと事件も多数あるようです。

裁判の判例のひとつとしては、ある町の人が隣に住む家の住人が自宅の敷地内に勝手にゴミを投げ入れて困っていたそうで、これが迷惑だというわけでこの隣人の方向へ監視カメラを向けてゴミの投げ入れの監視を行いました。

そうしたところ、逆にこの隣人から訴えられ、裁判の結果、この隣人へのプライバシーの侵害が認められて、カメラを設置した人への慰謝料の支払いが命じられた、ということです。

防犯カメラを設置するルールがないまま、数だけがどんどん増えている点については、かなり前から問題視されており、どこにカメラがあり、誰が管理していているのかよくわからないことも多く、苦情を言いたくてもどこへ訴えればよいのかわからないケースがほとんどです。

設置の基準を定め、映像の目的外使用を禁止するなどの統一的なルールづくりを急ぐ必要があると思われますが、今のところ、与野党ともそういった些細なことよりも、秘密保護法案の推進といった大局のほうを重視しているようです。

とはいえ、商店街など公共の場への監視カメラの設置を巡っては、肖像権・プライバシーとの関連や、監視されているという、あのイヤーなイメージから来る拒否感などが一般市民から度々指摘されており、これを受けて、法的規制として、2003年7月に「行政機関等による監視カメラの設置等の適正化に関する法律」案が出されました。

この法律案は、一応第156回通常国会で受理はされ、衆議院に提出されたものの、外国から武力衝突や侵略を受けた場合などに際し、自衛隊の行動を規定する、いわゆる「有事法制」などの審議のほうが優先され、結局審議未了で廃案になっています。

しかし、その後も監視カメラの設置に対する根強い反対意見が強く、このため東京都の杉並区のようにカメラの設置に独自の基準を定めたところもあります。しかし、全国的、統一的な基準は現在においても存在しないようです。

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プライバシーの侵害といえば、警察が日本各地の幹線道路に設置している「Nシステム」と呼ばれる「自動車ナンバー自動読取装置」についても非難の声があがっています。

これは、道路に設置し通過する車輌のナンバープレート画像を監視カメラで撮影記録し、その映像からナンバーを識別するシステムです。空港などで旅行者の顔を撮影し犯罪者の顔写真データベースと自動照合をする「顔認識システム」と合わせて、実用化されており、既に各地で稼働しています。

もともとは増え続ける交通事情に対応し、車両全体を警察により監視する必要性があるとの判断により、科学警察研究所が1980年代後半にNECと合同で開発したものです。

Nシステムにおいては、この装置が設置してある場所を通過した2輪を除く車両すべての記録が可能であり、犯罪捜査などでの必要性が生じれば、この記録を警察が保有する犯罪履歴のある手配車リストなどと瞬時に照会することができます。

設置されているのは、主要国道・高速道などの重要道路のほか、県境の周辺道路、都道府県庁・原子力発電所・空港・自衛隊・在日米軍など軍事施設、および一部の火力発電所などの重要施設の周辺などです。

こうした場所を手配車両が通過した場合、この車両と判明と同時に車種・所有者・メーカーなどがすぐに取り出され、警察無線に「N号ヒット」と一斉指令が流れるということで、この情報は付近を巡回中のパトカーや捜査車両にも通知されます。

警察官らは、知らされた情報からターゲットの車輌を確認して追尾、そして不審なクルマはあえなく御用、という手順となります。盗難され手配車両になったクルマの特定や被疑者が乗った車の追跡などに用いられるとともに、重大事件発生時などは不審車両の洗い出しに使われます。

かつては、オウム真理教などの宗教関連施設の周辺にも設置され、施設を出はいりする車の特定からこの事件を解決に導いたほか、富士フイルム専務殺人事件(1994年2月)、福岡美容師バラバラ殺人事件(1994年3月)、つくば母子殺人事件(1994年11月)、埼玉愛犬家連続殺人事件(1995年1月)などでも活躍しました。

このNシステムは、高速道の料金所にも設置されていて、料金所を通過する車両のナンバーを撮影できます。最近では、小型の同じ装置を地方道などの電柱に設置しており、これまでは犯人が裏道を走って逃げた場合に失敗していた追跡をこれによって補うといったことまでやっているようです。

改めて日本のケーサツってすごいなぁと思うのですが、こうした最先端機器の導入もあってか、世界でも一、二位を争うほど、有能だという評価もあるようです。

ところが、このNシステムでは通過する車両そのものを特殊カメラで無差別に撮影し、同時に運転者、同乗者も撮影されるため、プライバシーなどの人権侵害の問題があるとして批判する向きもあります。

1999年9月には、新潟県中越地方の某警察署課長(当時40)が女性警察官との交際を巡り辞職しましたが、新潟県警察がこの課長の自家用車の動きをNシステムで追跡していた事が新潟日報のスクープで明らかになる、といった事件がありました。

非番の公務員の動向監視に用いられた、といことで職権乱用だということでマスコミらが激しく非難しましたが、これは表に出た氷山の一角にすぎない、ともいわれています。警察では日常的に所属する警察官、警察職員の私的な動向監視のためにNシステムを使用しているのではないか、という噂もあるようです。

2006年には、愛媛県警察の捜査員が使用していたパソコンが、コンピュータウイルスに感染し、Nシステムが設置されている愛媛、香川、徳島の国道及び高速道路を通過した車のナンバープレート情報と通過日時が記録されたファイルが、他の捜査情報と共にインターネット上へ流出する、といった事件も発生しています。

このとき、流出した情報は約10日分であり、車両台数にして10万台超とされているそうです。

2006年に、愛人と一緒にしまなみ海道を運転していたあなた、世間にその関係を知られていませんか?

2014-1120838

この警察が設置している道路交通取り締まり装置としては、ほかに「オービス(ORBIS)」と呼ばれる悪名高きものもあります。「自動速度違反取締装置」が正式名称であり、「オービス」というのは実は商品名です。

アメリカのボーイング社で開発され、この名前が付けられましたが、これはラテン語で「眼」を意味します。オービスという名前が浸透してしまったので、誰もがこの名前で呼ぶようになり、ボーイング社以外の製品を含めてこの取締機全般の通称として使われるようになりましたが、私は、「自動ネズミ捕り機」と呼んで、蔑んでいます。

ご存知のとおり、全国の幹線道路や、高速道路、事故多発区間、速度超過違反が多発している道路などに設置されており、制限速度を大幅に超過して走行している車両を検知すると、当該車両の速度を記録し、ナンバープレートおよび運転者の撮影を行う、というものです。

基本的には一般道路では30km/h以上、高速道路では40km/h以上の速度超過で撮影されていますが、各都道府県の公安警察によってはこの数字をいじくっているところもあるようなので、制限速度80キロの高速を、120キロで走るのはOkだと思っている人がいたら注意が必要です。

が、全国津々浦々を走り回った経験がある私も、120キロ以下で検挙された経験はないので、多分、大丈夫なのでしょう。大きな声では言えませんが、最近では120キロ以上をちょっと超えたくらいでもそれほど神経質にならなくても大丈夫のようです。

このオービスが作動した場合には、撮影の瞬間に、多くは赤色または白色のストロボが発光するそうです。取締機によって撮影されると、数日から遅くとも30日以内に警察から当該車両の所有者に出頭通知が送付されるということですが、なにぶん経験がないので(ホントです)、出頭してどんな仕打ちを受けるのかはよく知りません。

が、拘留されてカツ丼を目の前に置かれ、それをエサに自白を強要される、といったことはないでしょう。たぶん。

取締機を設置している道路には、設置していることを警告する看板が設置箇所の約1~3km前に「速度自動取締路線」といった表示がされています。

これを見て、そんな看板を金を出して作る暇があったら、警察官が自分で取り締まれよ、といつも思うのですが、私と同様にこの「自動取締」という言葉に反発する人は多いようです。

が、この看板が設置されている本当の理由は、被写体の肖像権に配慮するためです。

オービスでは、違反検知とともに運転者の撮影がなされますが、こうした写真を犯罪の証拠とするためには「事前告知」と「犯罪行為の瞬間の撮影」が必要であることが、過去の裁判における判例で示されためです。

例え速度違反者といえども、警察による容貌の無断撮影はプライバシー権(肖像権)の侵害である可能性がある、というわけで、オービスでは助手席に同乗している者の写真も撮影されるため、違反行為とは全く無関係な第三者のプライバシー権も侵害される可能性があります。

違反通知が来たので、奥さんと一緒に警察に出頭してその写真を見せてもらったら、実は別の女性とドライブしたときのものだった、なんて悲劇も起こりうるわけです。

無論、この装置では取締機が反応した現場に警察官はいません。違反者は後日呼び出しを受けて、警察署に出頭したときに初めて弁明の機会が与えられることになりますが、スピード違反を直接警察官に視認されて捕まったときと比べて、被疑者の防禦権が著しく制限されます。

防禦権とは、起訴前段階における不当な扱いを避けるため、冤罪防止や権利侵害防止のために黙秘権が認められる権利であり、逆に「供述の自由」が認められる、といったことです。オービスに引っかかって出頭を命じられたとき、既にオービス撮影による厳然たる証拠写真があるために、この権利を主張しにくくなるのです。

要は、ロボットにすぎないオービスで撮影されたら、あんたは無罪だと主張する権利はないよ、と同じことだというわけで、オービスが導入された当時、このことは大きな社会的反響、というか反発を呼びました。

このため、「違反者、同乗者のプライバシー権の侵害である」という点について、1969年に最高裁までこの問題が争われましたが、結果としてこの装置は合法と認められるとともに、以後、一貫して取締機による撮影は違憲ではないとされ、その後もプライバシー権侵害を認定した判例はありません。

私としては、こんなロボットが人を裁くようなシステムはさっさと廃棄してしまえ、と思うのですが、このオービスの設置により、むちゃくちゃな運転をするドライバーが抑制されているといった面も否定できません。

ただ、2013年現在での過去5年間では、このオービスによるスピード違反者の検挙数は20%以上減少しているそうです。フィルムを使用した旧式のシステムのまま改良が行われていないケースや、高額な修理予算が捻出できずに故障したまま放置されているケースがあるためだそうです。

それ見たことか、そんなオンボロ機械に人を取り締まるのは言外だ、と私などは大喜びしたいところですが、検挙数が減っているのは必ずしもオービスの劣化によるものだけでなく、オービスの設置場所を知らせるカーナビアプリの普及なども寄与しているようです。

いっそのこと、オービスを検知すると、自動的にスピードを落としてくれるような装置を各自動車メーカーも作ればいいのに。

2014-1120837

ところで、この「プライバシーの権利」というものに関して日本で最初に裁判が行われたのは、1964年(昭和39年)に最高裁で判決の出た、「宴のあと」裁判が最初だったそうです。

「宴のあと」というのは、かの有名な三島由紀夫の小説のタイトルで、この小説のモデルとなった、元外務大臣で東京都知事候補だった、有田八郎氏が自分のプライバシーを侵すものであるとして、三島と出版社である新潮社を相手取って起こした裁判でした。

三島は、芸術的表現の自由が原告のプライバシーに優先すると主張しましたが、最高裁判事は「言論、表現の自由は絶対的なものではなく、他の名誉、信用、プライバシー等の法益を侵害しないかぎりにおいてその自由が保障されているものである」との判断を示し、三島側に80万円の損害賠償の支払いを命じました。

三島側はこの判決を不服として控訴しましたが、結局この翌年に有田氏が死去したため、その2年後に三島側と有田氏の遺族との間に和解が成立し、この事件は決着しました。しかし、三島自身もその4年後の1970年(昭和45年)に割腹自殺を遂げています。

文学作品に関するプライバシー権を巡る事例は、このあとも後を絶たず、このほかの有名なところでは、柳美里の処女小説、「石に泳ぐ魚」が、この作品のモデルとなった韓国人女性から出版差止めを求める裁判を起こされました。

モデルとなった当時大学院生の女性は作品を読み、自分の国籍、出身大学、専攻、家族の経歴や職業などがそのまま描写され、自身の顔の腫瘍を陰惨な表現で描写されたことなどに反発してこの裁判を起こしました。裁判の結果、その主張が認められ、裁判所は出版社の新潮社と柳に対して、慰謝料の支払いを命じました(平成14年判決)。

こうした文学作品をめぐるプライバシー侵害問題にあたっては、「文学における表現の自由」をめぐってさまざまな論議が起き、マスコミ・論壇・文学界から大きな注目を集めています。

文学だけでなく、雑誌や週刊誌などの自由表現についても、過去に何度となくメディアに大きく取り上げられた事件があり、一番よく取沙汰されるのは、やはり「フライデー襲撃事件」でしょう。

1986年(昭和61年)12月に、タレントのビートたけしさんが、その子分らともにに、写真週刊誌 「フライデー」の編集部を襲撃した事件で、おそらく知らない人はいないくらい、有名な話です。

事の発端は、この当時39歳だったたけしさんが、親密交際していた専門学校生の女性(当時21歳)に対して、フライデーの契約記者が、彼女が通う学校の校門付近でたけしとの関係を聞こうと声をかけたことでした。

ところが、それを女性が避けて立ち去ろうとしたため、記者が彼女の手を掴んで引っ張るなどの乱暴な行為に及んだといい、これに怒ったたけしさんが、講談社に電話をかけ、強引な取材に抗議したうえ、さらには「犯行」に及んだというものです。

たけしさんらは住居侵入・器物損壊・暴行の容疑で、大塚警察署によって現行犯逮捕され、襲撃されたフライデーは事件後「言論・出版の自由を脅かす暴挙に対して、断固たる態度で臨む」との声明を発表するとともに、記者会見で負傷した様子などを公開しました。

結局、この事件は裁判にまで進展し、東京地裁で翌年6月にたけしさん側へは、懲役6ヶ月、執行猶予2年の判決が下され、裁判は確定しました。

あわれたけしさんは、執行猶予判決が確定するまでの約8か月間謹慎することとなりましたが、当時たけしと交際していたといわれた女子大生に暴行で告訴された記者のほうも、罰金10万円の判決を受けたということです。

この話は余りにも有名なので、これ以上説明する必要はないでしょうが、このフライデー事件以後も、同じジャンルの写真週刊誌である、「FOCUS(新潮社)」や「FLASH(光文社)」、「Emma(文藝春秋)」、「TOUCH(小学館)」なといった写真週刊誌などが、同様の事件を繰り返してきました。が、現在も生き残っているのはフライデーだけのようです。

こうした週刊誌におけるプライバシーの侵害については、イギリスのダイアナ妃が生前、「パパラッチ」につきまとわれ、その死についても、彼等が何らかの形で関係していたのではないか、と噂されたりしています。

2014-1120841

プライバシー侵害問題は、インターネットにおいても問題視されており、インターネットの発祥の地、アメリカやカナダなどの北米においても、大きな社会問題になっています。

その中でも、「スター・ウォーズ・キッド」事件という話は有名です。

これは、カナダのある少年に付いたあだ名であり、事件というのは、2003年5月、少年の自分自身を録画したビデオクリップが、予期せずオンラインに流出し、インターネット上の様々なコミュニティで取り上げられるようになったというものです。

「スター・ウォーズ・キッド」ないしは「ジェダイ・キッド」として知られるようになり、インターネット上で通算10億回以上再生されたといいます。

一見、何が問題なのか、と思うのですが、実はこの件があまりにも反響が大きすぎたせいで、当事者の少年は街を歩けば全く見知らぬ人からも「あの有名で愉快なビデオの少年」として声を掛けられるようになり、その結果不登校となりました。

この結果、これがいわゆる「ネットいじめ」のはじまりであるといわれるようになったもので、現在もネットにおけるいじめ、というとこれが最初のケースとして取り上げられることが多いようです。

少年は、最初このビデオクリップを自撮りしたといいます。ゴルフボールの回収に用いる棒をあたかも映画の「スター・ウォーズ」のキャラクターであるダース・モールのように振り回す自身の姿を、ビデオに撮影・録画したといい、彼にしてみれば、極めて私的なお遊びのつもりでした。

ところが、この録画した映像は、少年の通う高等学校の撮影室で撮影されたものであり、この録画映像を彼は、おそらく誰も気にしないだろうと考えて消去しなかったため、そのまま残り、このビデオテープは数ヶ月間忘れ去られていました。

ところが、少年がこのことを彼の数人の友人に話したため、彼等はもしかしたらこれは愉快な悪ふざけになるかもしれないと考え、このビデオテープを探しだし、映像ファイルとしてパソコンに取り込み、自分たちのウェブサイトに掲載したのです。

この結果、この動画ファイルの映像は2週間もしないうちに、数百万回ダウンロードされ、やがてこれを見た別の誰かが、スター・ウォーズの音楽と文章、少年の振り回す棒にライトセイバーの光と効果音などもつけた改変バージョンを流すようになりました。

この改変された映像を更に、ゲーム系サイトや技術系サイト、スター・ウォーズ関連サイトなどが提供し始め、これにより口コミもあって映像はますますダウンロードされていきました。程なく、世界中で人々がオリジナルの映像ファイルを取得し、これの更なる改変版までもが作成されるまでになりました。

これらの改変版では、コメディー的な演出ないし映画のパロディ要素のため、音楽や視覚効果や効果音などの付加、他の著名な映画もしくは映像との合成などまで行なわれたといいます。

あげくのはてには、彼の「活躍」に一方的ながらも好意をもった人達のなかから、彼を「スター・ウォーズ エピソード3・シスの復讐」にゲスト出演させよう」という嘆願書を集める者まで現れました。

17万8千を超える電子著名が集まったといい、この署名のことは、実際にジョージ・ルーカスの耳にまで入りました。しかし、ルーカスは逆に彼の状況に同情し、映画ではそうした出演は行われなかったそうです。

報道によれば、この当時、少年は相当に当惑したそうで、このため学校にすら行けなくなってしまいましたが、彼にしてみれば、ほんの遊びで撮影したビデオが他人に見られ、ましてやそれが全世界で反響を呼んでいるなどとは想像も出来なかったのです。

ただ、このビデオはインターネット上のコミュニティでは概ね好感を持って迎えら、悪意を持って彼を批判するような動きはなかったようです。

しかし、この事件はやがてプライバシーの問題としてメディアに取り上げられるようになり、ニューヨーク・タイムズやCBSニュース、BBCニュースなどの主要ニュースメディアで報道されるようになりました。

さらに拡大していく騒ぎのため、少年は治療とカウンセリングを受けなければならなくなり、一時は鬱状態に陥り、小児精神科病棟に入院するまでになったそうです。

こうして、2003年7月、少年の家族は同窓生3人の家族に対して25万カナダドルの訴訟を起こしました。

その訴訟文には、被告3人の友人たちは不法に映像を取得し、少年の同意なしにそれをインターネット上に流出させ、この映像の為に少年は同窓生のみならず一般社会からの嘲笑や迷惑を被られたとの主張が書かれていました。が、結局これらの元同窓生の家族と少年お家族の間で示談が成立し、裁判は行われなかったそうです。

その後の彼はいじめを克服し、この事件をきっかけとして弁護士を目指すようになり、地元カナダの大学で法律学を学んだそうで、おそらく現在ではそこを卒業して、司法試験を受ける勉強をしているのではないでしょうか。

こうしたインターネット上のプライバシーの問題は、日本においても最近しばしば物議をかもしだしています。

その昔、「カレログ」と呼ばれるスマホソフトの普及によるプライバシーの損害問題が大きくクローズアップされましたが、これを覚えている人も多いでしょう。

カレログとは、観察対象者の男性が所有しているスマートフォンの情報を、女性会員に通知するというアプリケーションで、会員になった女性はパソコンのウェブサイトを使って、観察対象者である男性の現在地情報を詳しく知ることができる、というものです。

観察する相手男性のスマホのバッテリー残量、アプリケーションの一覧までリアルタイムで閲覧する事ができるそうで、「プラチナ会員」になると、観察対象者である男性の通話記録まで閲覧できるというものでした。

説明するまでもないでしょうが、「カレログ」の「カレ」とは交際相手の男性のことであり、ログは、記録(=log)のことです。

ところが、このサービスでは、性別を判定する機能はついておらず(あたりまえのことですが)、このため男性が女性を観察対象にして使用することも可能であり、また同性同士で使うことも可能です。

本来は、カレログの利用者が対象となる相手から許可をとった上で、彼のスマホにアプリをダウンロードしてもらって利用することが定められています。

しかし、実際には彼の許可を得ずとも、こっそりと彼のスマホにダウンロードすることも物理的に可能なわけであり、このため、本人には知らせずにこっそりと彼の行動をストーキングすることもできます。

無論、男性と女性の立場逆転、あるいは男性対男性にも可能なわけで、ストーカー行為や嫌がらせをやりたい人にとっては、もってこいのアプリということになります。

このアプリは、結局大きな社会問題に発展するまでもなく、2012年10月をもってサービス終了となりましたが、一時はかなりの人気となり、しかも未成年者の間でも流行ったため、風俗を乱すということで、この当時かなり批判的な意見も続出しました。

現在は、その後継アプリとして同じ会社が「カレピコ」というのをリリースしていますが、この新サービスではこの当時の批判を配慮して、かなり機能を限定させているようです。

常に位置情報を記録し、PCから一方的に利用者を監視していた「カレログ」と比較すると、端末利用者の同意のもとでインストール・利用されることが前提となり、アプリをインストールしたスマホ同士で利用するよう改められているということです。その仕組みはよくわかりませんが、相手に無断でインストールということはできなくなっているようです。

しかし、予め指定した場所に近づくと、パートナーに通知される仕組みなどが付加されているといい、これはつまり、浮気してしまった過去の記録を残すのではなく、浮気しそうな場所に近づかせないようにする、いわば浮気の「未然防止」装置としての機能を持っていることになります。

この新システムは、従来のカレログに比べてよりポジティブな方向性へと変化したと評判だそうで、また、片方からの一方的な監視ではなく、お互いの信頼を確かめる機能を加えられているということで、こうした面でも健全化しているようです。

私はスマホを使っていないのでよくはわかりませんが、昔のカレログよりかなりよくなったと評価され、受け入れる人も増えているといいます。

特定の場所に近づくと通知するという機能を使えば、たとえば、子供の学校や塾に設定しておけば、無事に着いたかどうかがわかりますし、その場所を駅などに設定しておけば、旦那の晩ご飯を作るタイミングが見計らえる、などの建設的な目的にも使えます。

一見、ストーカー行為の防止にも使えるのではないか、と考えてしまうのですが、よく考えてみるとストーカーをしている相手にその同意が得られるわけはありません。

けれども、ホントは嫌いなヤツなんだけだけど、友達同士という関係はよくあったりします。そんなときにはカレピコを入れて、その友達が近くに来たら逃げ回る、と言ったこともできるかも。が、もっとも相手が同じようにこちらを感知していたら逃げることはできませんが……

とはいえ、他にもいろんな使い道が考えられ、なかなか侮れないサービスに進化してきたといえるのではないでしょうか。

奥様や彼女から逃げたいあなた、その使い道を検討してみてはいかがでしょうか。

2014-1120855

鬼は奥

2014-1130310
節分です。

節分とは「季節を分ける」ことを意味し、特に「立春」である毎年2月4日ごろの前日を指します。立春というのは、旧暦で設定されていた一年二十四節気の季節ごよみの初日でもあります。つまりその前日ということは、季節上での「大晦日」を意味します。

季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられていますが、この節分は一年が始まる前の大みそかであり、年が明けて明るい太陽が出る前に悪さをいっぱいしておこうと、とくに鬼がワイワイ出てきます。それを追い払うための悪霊払いの行事こそが、節分の豆まきです。

「福は内、鬼は外」と声を出しながら福豆(炒り大豆)を撒いて、年齢の数だけ食べます。もしくはそれよりもう1つ多く豆を食べるとより厄除になるといいます。が、私的にはこの歳になると豆を五十数個食べるのはさすがにきついものがあります。

これから更に齢を重ねていくと、さらに増えるわけであり、それを考えると憂鬱になります。この先60、70になっていくオヤジにそれだけの豆を食わせるのは、ほとんど老人虐待です。100歳まで生きたらどうするのでしょう。

節分には、邪気除けのために柊鰯(ひいらぎいわし)などを飾るところもあります。関西では、柊鰯とはいわず、いかがし(焼嗅)、やっかがし、やいくさし、やきさし、ともいうようです。

この形態は、地方や神社などによって異なります。一般には柊の小枝と焼いた鰯の頭、あるいはそれを門口に挿します。柊の葉の棘が鬼の目を刺すので門口から鬼が入れず、また塩鰯を焼く臭気と煙で鬼が近寄らないと言います。鰯の臭いで鬼を誘い、柊の葉の棘が鬼の目をさすのだと言う人もいます。

福島県から関東一円にかけては、今でもこの風習が見られるようですが、私が育った広島や山口ではあまり一般的な風習ではないようです。ほとんど見たことがありません。東京近郊では、柊と鰯の頭にさらに鞘を取り去った大豆の枝である「豆柄(まめがら)」が加わるそうです。

畿内では節分にこのいわしを直接食べるそうで、これは「節分いわし」と呼ばれているようです。

このように一口に節分といっても、いろいろな風習があるわけです。

節分のルーツは、「追儺(ついな)」と呼ばれる中国の行事が日本に輸入されたものだといわれています。平安時代ごろから、宮廷の年中行事となり、最初は旧暦の大晦日に行われていたようです。追儺は、「鬼儺」とも表記されます。これは「鬼遣らい(おにやらい)」の意味であり、鬼を追い払うことです。

平安時代には、方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼を払う役目を負う大舎人(おおとねり)という役人と、この方相氏の脇にサポーターとして侲子(しんし)と呼ばれる役人らが控え、総勢20人ほどで、大内裏の中を掛け声をかけつつ走り回ったそうです。

方相氏は袍(ほう)と呼ばれる儀礼服を着て、金色の目が4っ付いた面をつけて、右手には矛、左手に大きな楯をもち、大内裏を走り回りました。駆け回る方相氏を鬼たちから守る目的で、宮中の公卿たちが清涼殿の階(きざはし)から弓矢を射る仕儀もあったといい、また他の殿上人らが、でんでん太鼓を叩いて厄を払うという、勇壮なものだったようです。

ただ、この時代にはまだ、豆を撒くという習慣はなかったようです。

撒いたのは最初は豆ではなく、桃だったようです。追儺の発祥地である中国において桃は神仙に力を与える樹木であり、桃の実は「仙果」と呼ばれて、昔から邪気を祓い不老長寿を与える食べものとされていました。

また、桃で作られた弓矢を射ることは悪鬼除けとなり、桃の枝を畑に挿すことは虫除けのまじないになるとされ、これらの風習が日本に伝えられました。

「古事記」には、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)が桃を投げつけることによって鬼女、黄泉醜女(よもつしこめ)を退散させたことが書かれており、イザナギノミコトはその功を称え、桃に大神実命(おおかむづみのみこと)の名を与えたといいます。

つまり、日本に伝来したころには、桃を投げつけることが鬼退治に効果があると信じられていたわけです。

「桃太郎」はこの古事記の話から派生した民話であり、ご存知のとおり桃から生まれた男児が長じて鬼を退治する話です。また3月3日の桃の節句は、桃の加護によって女児の健やかな成長を祈る行事でもあります。室町時代ころには、この桃の枝には邪気を祓う力があるとして「桃の枝」信仰も生まれました。

イザナギノミコトが鬼女にぶつけた桃がいつのまにやら豆に変わったのは、桃という果物がこの当時も貴重品だったからでしょう。時代が下るにつれ、桃がもったいないので、これを炒った豆で代用し、鬼を追い払う行事となっていきました。

上で書いたような宮中行事は、やがて庶民に採り入れられるようになり、二十四節気の暦が定着するようになってからは、節分に行われるように変わっていきました。

と同時に、当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺した柊鰯を、魔除けとして戸口に立てておくという風習も現れ、さらに一般家庭だけでなく寺社でも豆撒きをしたりするようになりました。

第59代天皇の宇多天皇が在位した9世紀後半(867~931年)には、鞍馬山の鬼が京に降り来て都を荒らすのを、祈祷をして鬼の穴を封じようとしたという記録が残っています。三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れた、といわれており、このころにはもう既に、大豆による豆まきは一般化していたようです。

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やがて豆などの穀物には、「生命力と魔除けの呪力が備わっている」とされ、信仰の対象にもなっていきました。豆は「魔目(豆)」とも書くことができ、これを魔物の目に投げつけて滅することは「魔滅」にも通じるということから、この時代の魔物の代表格であった「鬼」がその対象となりました。

しかし、実際には鬼は目に見えません。このため鬼の形をした作り物やお面をかぶった人物に豆をぶつけることでこれに代え、こうした行事を行うことで邪気を追い払い、一年の無病息災を願うようになっていったのです。

が、鬼は外、福は内、という例の掛け声が使われるようになったのは、ずっとあとのことで、南北朝時代のころのことだったようです。瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)という室町時代中期の臨済宗のお坊さんが書いた「臥雲日件録」の中に「散熬豆因唱鬼外福内」という表現がみられるそうです。

そのとおり、豆まきといえば掛け声は通常「鬼は外、福は内」です。しかし、地域や神社によってバリエーションがあり、鬼を祭神または神の使いとしている神社もあって、こうした神社では、「鬼は外」ではなく「鬼は内」と呼びかけるそうです。

また方避え(ほうたがえ)の寺社でも「鬼は内」というそうです。方違えとは、陰陽道に基づいて平安時代以降に行われていた風習のひとつで、方忌み(かたいみ)とも言い、外出の際などや家屋の新築の場合、政治を占う場合や、戦の開始などの際に、その方角の吉凶を占う行事です。

陰陽道にでは、方位神(ほういじん)という神様が設定されていて、その神のいる方位に対して事を起こすと吉凶の作用をもたらすと考えられていました。方位神は、それぞれの神に定められた規則に従って、季節が変わるごとに各方位を遊行します。

吉神のいる方角を吉方位といい、凶神のいる方角を凶方位といい、あちこち動き回るので、その都度、良い方向、悪い方向を占う必要があったのです。

占いの結果、出かけようとしていた方角が悪いといったん別の方向に出かけ、目的地の方角が悪い方角にならないようにします。また、帰宅の際などにも、目的地に特定の方位神がいる場合に、いったん別の方角へ行って一夜を明かし、翌日違う方角から目的地へ向かって禁忌の方角を避けるといったことまでやりました。

凶方位を犯すことによる災厄を避けるため、現在ではこの風習は寺院や神社で「方位除け(方除け)」の祈祷・祈願を行うだけとなり、実際に行先を変えることまでは行われなくなりました。

また、方位神を祀ってこの祈祷を専門に行うようになったのが「方避えの神社」です。方避け(ほうよけ)寺社とも呼ばれ、神社ばかりではなく寺の場合もあります。旅行に行く際には、こうした寺社にお参りして、悪方の災いを祓うわけです。

大阪の堺にある、方違神社(ほうちがいじんじゃ)はその中でも有名なもので、この地方では「ほうちがいさん」と称され、方違え、方災除けの神として親しまれています。社地は摂津、河内、和泉の境の三国山にあって、この三令制国のいずれにも属さない地に建設されています。

いずれの国にも属さないということはつまり、方位のない地であることを意味し、このため、古くから方位、地相、家相などの方災除けの神社として信仰を集めてきました。

現在でも、転勤、結婚などでの転宅や海外旅行などの際に祈願する参拝者が多く、自分の在所からでかけていく先の方位についてのお祓いをしてもらい、清めの御砂を頂いて、自分の家の四方に撒くそうです。

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節分にはこの「方位」にまつわる別の行事をやるところも多いようです。

大阪などの畿内などを中心に食べる、例の「恵方巻」というヤツもそのひとつです。

恵方巻は、巻き寿司を節分の夜にその年の恵方に向かって無言で、願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かじり(丸かぶり)するのが習わしとされていて、同日にこの巻寿司を「太巻き」「丸かぶり寿司」、「恵方巻」などと呼んで食べるイベントが各地で行われます。

「目を閉じて」食べるのが一般的のようですが、一方では「笑いながら食べる」という人もいて、さまざまです。太巻きには7種類の具材を使うとされ、この7という数字は商売繁盛や無病息災を願って七福神に因んだものとされているようです。

7つの具材の中には野菜が入っていて、キュウリは青鬼、またニンジンやおぼろ、生姜を赤鬼に見立て、これを節分と関連づけて、鬼退治をするためにこれらを食べるようになったのだという説や、太巻きを鬼の金棒に見立てて、鬼退治だとする説もあるようです。

7種の素材も決まっているわけではないようで、代表例としては、かんぴょう・キュウリ・人参・シイタケ煮・伊達巻・ウナギ・桜でんぶ(おぼろ)などのようですが、他にも焼き紅鮭、カニ風味かまぼこ、高野豆腐、大葉、三つ葉、しょうが、菜の花、漬物などなどのバリエーションがあるようです。

もともとは近畿地方だけの風習だったようですが、食品業界の陰謀で日本各地に広がっていきました。大手のコンビニエンスストアなどがこのブームに便乗したことから、全国的なイベントとなっていきました。

最近では、菓子業界までがこれに便乗し、形が恵方巻に類似する円柱状のロールケーキなどの各種商品においてもあさましい販売促進活動が見られます。

恵方巻の起源・発祥は諸説存在しますが、はっきりとわかっていません。が、前述のように節分にかこつけて食べるようになったという説のほかに、豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が偶々節分の前日に海苔巻きのような物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたのがはじまりだ、といいうまことしやかな説もあるようです。

このほか江戸時代の終わり頃、大阪の商人たちの商売繁盛と厄払いの意味合いで、立春の前日の節分に「幸運巻寿司」の習慣が始まったとする説や、江戸時代末期から明治時代初期において、大阪の商人による商売繁盛の祈願事として始まったという説もあり、今日も大阪を中心としてさかんな行事であることから、これらの説が有力視されているようです。

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それにしてもなぜ、この太巻きのことを「恵方」巻きと呼ぶのでしょうか。

これは、陰陽道で、その年の福徳を司る神である「歳徳神(としとくじん」」に由来しているといわれています。古来、この神様のいらっしゃる方位を恵方(えほう、吉方、兄方)、または明の方(あきのかた)と言い、その方角に向かって事を行えば、万事に吉とされてきました。

かつては、初詣は自宅から見て恵方の方角の寺社に参る習慣があり、このことを「恵方詣り」とも呼んでいました。

神社などでよく売られている暦をめくると、最初のほうのページに、美しいお姫様の格好をした女神さまが描かれていることがありますが、これが歳徳神です。

この歳徳神の由来にも諸説あり、牛頭天王のお后であるという説がひとつ。また、牛頭天王は、時代が下ると須佐之男尊(スサノオノミコト)と一体視されるようになったことから、スサノオノミコトの妃の櫛稲田姫(クシナダヒメ)とも同一の神様だとも言われています。

このクシナダヒメは、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する話の中に登場してきます。ヤマタノオロチに食べられてしまう8人の娘の中で最後に生き残った娘であり、ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたところを、スサノオにより姿を変えられて湯津爪櫛(ゆつつまぐし)という櫛に変身します。

そして櫛としてスサノオの髪に挿しこまれ、ヤマタノオロチ退治が終わるまでスサノオとその行動を共にすることになります。

スサノオはこの櫛を頭に挿してヤマタノオロチと戦いこれを退治することに成功しますが、実はスサノオはこの美しいクシナダヒメとの結婚を条件にヤマタノオロチの退治を申し出たのでした。神さまといども、報酬がなければ行動は起こさないというわけです。

めでたくオロチを退治したスサノオはヤマタノオロチを退治した後、櫛にされたクシナダヒメを、元通り美しい娘の姿に戻し、彼女はめでたくスサノオの妻となりました。スサノオはクシナダヒメと共に住む場所を探して、宮殿を建てたといわれており、この地が現在各地に残っている「須賀」という地名です。

この地名は、北海道から九州までいたるところにあります。あなたのお宅の近くにもあるのではないでしょうか。

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この吉方にいらっしゃるという歳徳神の位置もまた、その年の十干によって毎年変わります。

甲・己の年、つまり、西暦年の末尾が、4・9の年は、東北東やや右です。2014年の今年がそれです。このほか、0・5の年、つまり来年2015年は、西南西やや右、1・6、や3・8は南南東やや右で、昨年の2013年がこれでした。このほか、2・7では、北北西やや右となっています。

従って、今日恵方巻きを食べる人は、東北東の方を向いて願い事をしながら食べましょう。

とはいえ、節分との関係も薄そうな根拠のあいまいな風習です。あまり食品業界を儲けさせるイベントに巻き込まれないようにしましょう。

だいいち、太巻き丸々一本を一気食いするなんて、むちゃくちゃです。消化にも悪いし、お年寄りなどはのどに詰まらせてしまって、窒息死してしまうかもしれません。豆をたらふく食べさせられたあとにこの太巻きを食べたらもう何も食べれなくなってしまいます。

なので私的には、豆をまくで十分だと思っています。

このほか、節分における他の風習といえば、東京の浅草、京都の花街、大阪の北新地などでは、節分の日に、舞妓さんや芸妓さん、ホステスといった女性が、通常の芸妓衣装ではない、様々な扮装をするそうです。

「節分お化け」、あるいは単にお化けと呼ばれているようで、節分の夜に普段と違う服装で、社寺参拝を行います。東京では、台東区の吉原で毎年、「よしわら節分お化け」が行われるようです。

もともとは、節分の夜に、老婆が少女の髪型を「桃割」という形にしたり、少女ではなく成人女性の場合は髪型を島田結いにしたりする風習だったようです。このため「オバケ」とは「お化髪」が語源であるという説もあります。

これが変じて、異装することが流行るようになっていったようで、服装や風体を変えるだけでなく、違う年齢や違う性を名乗るなど「普段と違う姿」をすることによって、節分の夜に跋扈するとされる鬼をやり過ごしたのだといわれています。

節分である、立春前夜は、秋や冬といった暗い季節と春や夏などの明るい季節の変わり目です。 また冒頭でも述べたとおり、旧暦では節分は年の変わり目の前日でもあり、方位神が居場所を変えるなど、古い年から新しい年へと世界の秩序が大きく改組される不安定な時季でもあります。

この様な時季には現世と異世界を隔てる秩序も流動化し、年神のような福をもたらす存在が異世界からやってくる反面、鬼などの危害をもたらす存在もやってくるとされています。

このため節分には豆まきなどの追儺(ついな)儀式が行われていますが、「節分お化け」もまた、このときにやってくる鬼を姿を変えてやりすごそうとする儀式のひとつというわけです。

異装のまま寺社へ詣でて新年の平穏を祈るのですが、やはり民間信仰に属する儀式のため、節分お化けがいつごろどのように始まったかについて詳しくはわかっていないようです。が、京都を中心として江戸時代末期から盛んに行われていたとされており、上述の吉原以外では京都の一部の地域でもこの風習が残っているといいます。

こようにの節分お化けもやはり鬼にまつわる行事であり、節分にはやはり鬼はつきものです。

この「おに」の語は「おぬ(隠)」、つまり「いない」が転じたものだといわれており、元来は姿の見えないもの、この世ならざるものであることを意味します。そこから人の力を超えたものの意となりました。

平安から中世の説話に登場する多くの鬼は怨霊の化身、人を食べる恐ろしい鬼であり、有名な鬼である大江山の酒呑童子は都から姫たちをさらって食べていました。「伊勢物語」には、夜中に女をつれて駆け落ちする侍が、その途中で鬼に連れの女を一口で食べられる話があり、ここから危難にあうことを「鬼一口」と呼ぶようになりました。

平安以降は、戦乱や災害、飢饉などの社会不安が頻発しましたが、そうした中では、人の死は当たり前でしたが、また行方不明になる人も多く、人々はこれを異界がこの世に現出して連れ去ったのだと解釈するようになりました。人の体が消えていくのは、この世に現れた鬼の仕業だと思うようになっていったのです。

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このように鬼は異界の来訪者であり、人を向こう側の世界に拉致する悪魔でしたが、一方では一寸法師や瘤取り爺さんなどの昔話にあるように福を残して去る神としての一面もあり、このため各地に鬼を祀る神社などが存在します。

一寸法師の話はだれでも知っているでしょう。が忘れている人も多いと思うので、あらすじを書き出してみましょう。

一寸法師は子供のない老夫婦が住吉神社の神様に祈った結果授かった子供でしたが、その大きさはわずか一寸(3cm)しかなく、何年たっても大きくなることはありませんでした。

ある日、一寸法師は武士になるために京へ行きたいとわがままを言い出し、おじいさんとおばあさんを困らせます。が、強引にも御椀を船に、箸を櫂にし、針を刀の代わりに、麦藁を鞘の代りに持って旅に出ます。そして京で大きな立派な家を見つけ、この家の主人を脅して働かせてもらうことにしました。

しかも、その家の娘とねんごろになり、この娘と宮参りの旅をしている時、鬼が娘をさらいに来たのを見た一寸法師はさすがにこの娘を守ろうとします。すると鬼は一口で一寸法師を飲み込んでしまいますが、一寸法師は乱暴にも鬼の腹の中を針で刺すと、鬼は痛いから止めてくれと降参し、一寸法師を吐き出すと山へ逃げてしまいます。

一寸法師は、鬼が落としていった打出の小槌を振って自分の体を大きくし、身長は六尺(メートル法で182cm)になり、めでたくこの娘と結婚しました。しかも米と金銀財宝を打ち出して、大金持ちになりました。

が、その後娘は一寸法師にいじめられた鬼をかわいそうに思い、介抱してやっているうちに不倫に陥り、鬼と共謀して一寸法師を元の小人に戻して追い出してしまいました。泣く泣く育ての親の老夫婦のもとに帰りましたが、二人は自分たちを捨てた一寸法師をシカとし、その後一寸法師は小さい姿のまま、悲しく生きていくことになりました……

多少脚本に偽りがありますが、まぁだいたいこんな話です。

一方の瘤取り爺さんのほうの話はというと、あるところに、頬に大きな瘤のある隣どうしの二人の翁がおり、片方は無欲で、もう片方は欲張りでした。

ある日の晩、無欲な翁が夜更けに鬼の宴会に出くわし、踊りを披露して接待したところ、鬼は翌晩も来て踊るように命じ、明日来れば返してやると翁の大きな瘤を、スポン、と傷も残さず取ってしまいました。

これを聞いた隣の欲張りな翁が、それなら自分の瘤も取ってもらおうと夜更けにその場所に出かけ、鬼の前で踊り出しますが、鬼が怖くて及び腰になり、踊りはしっちゃかめっちゃか。とうとう鬼は怒って隣の翁から取り上げた瘤を欲張り翁のあいた頬に押し付けくっつけると去ってしまった……という話。

無欲な翁は邪魔な瘤がなくなってその後幸せになりましたが、一方の重い瘤を二つもぶら下げることになった欲張り翁もまたその後、幸福な一生を送りました。

そのユニークな顔が大評判になり、あちらこちらから引っ張りだこになったあげく、鬼の前で踊ったという武勇伝が受け、時代を代表するヒーローとなり、都のたいそうな美人と結婚して幸せに一生を暮らしましたとさ……

こういう話を子供のころから繰り返し聞かされている?我々は、普通この鬼はおそろしい形相をした男の姿をしているとみんな思っています。

ところが、この鬼は、その形態の歴史を辿れば、初期の鬼というのは実はみんな女性の形だったといいます。

「源氏物語」にも鬼が登場しますが、その剣の巻には次のような話があります。

摂津源氏の源頼光の頼光四天王筆頭の渡辺綱(わたなべのつな)が夜中に戻橋のたもとを通りかかると、美しい女性がおり、夜も更けて恐ろしいので家まで送ってほしいと頼まれました。

綱はこんな夜中に女が一人でいるとは怪しいと思いながらも、それを引き受け馬に乗せました。すると女はたちまち鬼に姿を変え、綱の髪をつかんで愛宕山の方向へ飛んで行きました。が、抗う綱は鬼の腕を太刀で切り落として、なんとか逃げることができました。

……という話なのですが、この話には続きがあり、この鬼は、切られた自分の腕を取り返すために女に化け渡辺綱のところへ来て「息子の片腕があるだろう」と言い、それを取り出して見せようとして出してきた綱から腕をいきなり奪い取り、元の鬼の姿に戻って逃げ去る、ということになっています(こちらはホントです)。

この話からもわかるように、そもそもの昔には、鬼は女性とみなされていました。女の本質は鬼であるといわれており、戦乱の多かった昔に自分の子供を戦争で傷つけたものに対する母親の憎悪が鬼という存在に変化したものだといわれています。

最後のほう、昔話をおちゃらけて改変してしまったので、信じていただけないかもしれまんが、これもまたホントの話です。

鬼嫁、鬼婆、鬼女などなど、鬼にまつわるものはだいたいみんな女性です。そこに鬼の怖さの合理性がかいま見えてくるのです。やはり鬼はこわい。女はこわい。嫁もこわい。

なので、これを読んでいるお父さん、節分の夜に鬼の面をかぶって逃げ回るのはやめにして、今夜からは鬼役はお母さんに任せましょう。

それなら面はいらないって?それは私には肯定も否定もできません。

2014-1130336広島城にて