星の瞬くころに

11月になり、気温もかなり下がってきました。

ついこの間まで、やかましく鳴いていた虫の声もしなくなり、夜更けに外へ出ると、そのかわりのように賑やかにきらめく星々がみえます。

星のまたたきのことを“シンチレーション”と呼びます。子供の頃に読んだ科学読本か何かで知りました。

「星像のゆらぎ」を意味する天文用語で、天体観測記録をつける際に、5段階や10段階評価でこれを併記します。客観的評価点で記し、たとえば、3/5や2/10といった風に書きます。

評価が高いほど数字は大きくなり、これすなわち、揺らぎが少ない、という意味です。天体観測をする場合は、当然数字が低く、揺らぎが少ない方が良いとされます。

シンチレーションが少ないことを、別の言い方でシーイング(seeing)が良いと言い、その逆はシーイングが悪い、といったふうに表現します。

意外なのですが、どんよりとした空のほうが、シーイングが良く、これは大気が安定しており、気流が穏やかなので揺らぎは少なくなるためです。従って、春霞や梅雨の時期は晴れさえすればよいシーイングが得られます。

逆に、冬空のように透明度が高いとシーイングが悪くなります。前項と逆のパターンで、「雲がない」=「上空で強い風が吹いている」ということになり、大気が安定しないためです。冬のよく晴れた日はきれいな空ではあるのですが、シーイングは軒並み悪く天体観測には厳しい条件です。また、冬によく星が瞬くのはこのためでもあります。

シンチレーションの主な原因は、大気の揺らぎなどによる空気の屈折率の微小な変化によるものです。近いものは望遠鏡内部の対流や人の体温による対流から、遠いものはジェット気流に至るまで、至る所に発生原因が潜んでおり、予測しにくいことから、望遠鏡の地上からの観測精度の限界のボトルネックになっています。




現在ではこれを克服するために、大きな望遠鏡などには「補償光学系」と呼ばれる技術が開発され、導入されています。これは、大気の揺らぎ等によって生じる星像の乱れ、シンチレーションをセンサーで捉え、電子制御回路を使って、揺らぎを抑えるべく望遠鏡の鏡を直接変形させる技術です。

我々アマチュアが使うような天体望遠鏡の鏡は固定されていますが、国立天文台の「すばる望遠鏡」のようなクラスになると、最新のエレクトロニクス技術に基づく、32ものセンサーが取り付けられており、屈撓(くっとう)性のある可変形鏡を用いたリアルタイム・補償光を行うことができます。

国立天文台などの研究チームが2012年に初めてすばる望遠鏡でこの高性能補償光学装置による可視光線での観測に成功し、従来よりさらに高い観測精度を得ることに成功しました。

国立天文台はさらにその後、人工星(レーザーガイド星)を使った更に高精度な補償光学系を開発しました。

従来の補償光学装置では、観測対象となる天体の近くに明るい星がある場合、それを基準(ガイド星)として大気の揺らぎを計測し、これをシステムにフィードバックすることによって鏡を変形させて観測精度を向上させます。

しかし、観測対象としたい天体のほど近くにそうした明るいガイド星があることはむしろ少なく、そこで、レーザーを用いて人工的にガイド星の代用にできる光点を生成します。これがレーザーガイド星です。具体的には夜空に向けて、強力なレーザーを照射して人工星を創出します。

人工星を創りだす???と疑問の向きも多いでしょうが、そのしくみはこうです。

地球の表面から高度90~100kmには「ナトリウム層」と呼ばれる層があります。この層は5 km ほどの厚みを持ち、主に地球に降り注いだ隕石が蒸発したことによって生成されています。

細かい化学的説明は省くとして、いわば大気圏内に隕石が蒸発してできた霞のような層です。ここに、強力なレーザー光を当てると、この層が約12等星相当の光を放ちます。こうしてできた人工星を補償光学のために使う、というわけです。



こうした最新の技術による新型補償光学装置を使ったすばる望遠鏡による観測は、2006年10月にファーストライト(初観測)に成功し、以来、素晴らしい成果をあげ続けています。

2014年11月には、我が国の観測史上、最も遠い宇宙をこれまでにない感度で探査し、ビッグバンからわずか7億年後 (131億光年先) の宇宙にある銀河を7個も発見するという快挙を成し遂げました。

このすばる望遠鏡は、アメリカ・ハワイ島のマウナ・ケア山山頂(標高4,205m)にあります。1999年1月がファーストライトで、建設が始まった1991年に望遠鏡の愛称の公募が行われ「すばる」の名が選ばれました。

主鏡に直径8.2m、有効直径(実際に使われる部分の直径)は8.2mもあり、当時世界最大の一枚鏡をもつ反射望遠鏡でした。残念ながら、その後大きさではその後、アメリカリゾナ州南東部のグラハム山の標高10,700フィート(3260メートル)に抜かれています。

この望遠鏡は、「双眼望遠鏡」であり、すばる望遠鏡と同じ大きさの8.4m鏡を2枚使ったもので、合成した有効直径は11.8mとされます。またスペイン領ラ・パルマ島のロケ・デ・ロス・ムチャーチョス天文台にあるカナリア大望遠鏡も分割鏡で、合わせた有効直径10.4mとなり、すばるより大きいとされます。

しかし、すばる望遠鏡は、単眼鏡の天体望遠鏡としては現在でも世界最大です。またハワイ以西のアジアでもこれより大きな望遠鏡はなく、「世界最大級」であることには間違いありません。

日本の国立天文台がマウナケア山頂にすばる望遠鏡を設置したのは、ここが天候が安定し、空気が澄んでいるためです。現在、日本だけでなく、世界11ヶ国の研究機関が合計13基の天文台(マウナケア天文台群)を設置しています。しかし、ハワイ原住民との取り決めから、13基以上の天文台を建設しないことになっています。

数多くの天文台を創ることで、希少な自然が破壊されることを恐れてのことです。近年マウナ・ケアへの望遠鏡の建設は法的および政治的な論争の種となっており、地元の先住民と環境活動グループはさらなる望遠鏡の建設に反対しています。環境ダメージを引き起こし偉大な文化的重要性を持つこの地を汚すことになる可能性があることが理由です。

このため、現状では、各国との取り決めにより、今後新たに天文台を建設する場合は、既存のものを取り壊すか新たな了承を取り付ける必要があります。地元ハワイの住民はその自然環境や歴史性の維持を求めているわけですが、各国もそれに答えています。

神話によると、マウナ・ケアの山頂は雪の女神ポリアフと多くの他の神々の住まう地であるといいます。ここは祈り、埋葬、子供の清め、および伝統的天(宗教的)体観測にも重要な場所です。

それに加えて、山頂地域は固有種の昆虫、ウェキウ・バグ の棲息地であり、開発による影響が議論されています。この虫は、カメムシの一種らしく、上昇気流によって山頂へと飛ばされてきた昆虫を食べるという、かなり特殊な生物のようです。

このマウナ・ケア山はハワイ島を形成する5つの火山のうちの1つです。ハワイ語でマウナ・ケアとは「白い山」の意であり、冬になると山頂が雪に覆われることから名づけられました。

マウナ・ケアの山頂は更新世(約258万年前から約1万年前までの期間)の氷期のあいだ巨大な氷帽によって完全に覆われていました。

山頂には過去30万年間に少なくとも4回の氷河エピソードがあったことを示す証拠が残されていますが、更新世というのは、アフリカなどでようやくヒト属が原人として進化した時代であり、無論この時代にハワイ島に人類はまだいません。




その後ハワイの住民となった人々は、19世紀にアメリカの宣教師がアルファベットを伝えるまで、文字を持たない文化を形成していました。このため、「いつ彼らがハワイ人になったか?」という問いに応える歴史文書は存在していません。

しかし、言語学的な推測、ハワイ島をはじめとする島々の熔岩に描かれたペトログリフ(岩面彫刻、岩石線画)などの研究から、最初にハワイへやってきたのは南太平洋に住んでいたポリネシア人であると考えられており、同じ地域に住む、マオリやタヒチ人と同じ起源にさかのぼることができそうです。

その年代については諸説があり、遺跡の放射性炭素年代測定にもとづき紀元前500年前後から8~9世紀頃までと、時間的にはかなり幅広い説があります。

ハワイ島南東部のカウ地区には、長さ13 km、幅18 m、深さ18 mの深い裂け目があり、グレート・クラックと呼ばれています。噴火によって形成された割れ目ですが、ここには、道、岩壁、および、考古学遺跡が見つかっています。おそらくは、この割れ目を利用した居住区があったのでしょう。

住んでいた住民は、南太平洋にあるマルケサス諸島、あるいはタヒチといったところから航海カヌーでハワイ島に移り住み、こうしたところを住居として選んだと考えられます。

ハワイには、「クムリポ」と呼ばれる神話が残されています。ハワイ王国の王家に代々伝えられてきた創世神話で、クムリポとは「起源」を意味するハワイ語です。18世紀の初頭に時の王子の誕生を祝って編纂されたとされ、日本における古事記にも相当する壮大な叙事詩だそうです。

宇宙の起源から歴代の王の業績に至るまでが16パート2102行にわたる散文で語り継がれており、文字を持たなかったハワイではこれら全てが口承によって秘密裡に伝えられてきました。ハワイ王国第7代カラカウア王が崩御前年の1889年に公表され、妹のリリウオカラニ女王が退位後の1897年に英訳することにより、世界的に有名となりました。

この神話クムリポからも考古学的な考察と検討が行われており、こうした伝承神話や言語学的見地、歴史遺構やなどからの類推により、ハワイにやってきたポリネシア人はカタマランやアウトリガーカヌーを操り、900年ごろに定着したのではないか、といわれています。

900年というと、日本ではこの時代の天皇は醍醐天皇であり、901年(昌泰4年)に、菅原道真が大宰府に左遷されています(昌泰の変)。余談ですが、遣唐使は寛平6年(894年)にこの菅原道真の建議により停止されました。それまで遣唐使は200年以上にわたり、当時の先進国であった唐の文化や制度、そして仏教の伝播に大いに貢献していました。

日本では国際化に歯止めがかかった時代に、海の向こうのハワイでは、海外との交流がより促進されていた、という真逆の流れがあったところに歴史の面白さを感じます。

このポリネシア人たちの航海が本当に可能だったのかどうかについて、1976年から検証航海が行われました。「ホクレア号」といい、17人の男女が乗り込んだ丸木舟は、マウイ島を出発し、31日目にタヒチに到着、1978年にはタヒチからマウイ島への航海も成功させ、ポリネシア人たちの太平洋の航海が不可能ではないことを証明しました。

しかし、なぜ彼らが移動する必要があったのかについては、ハワイの神話やペトログリフを紐解いてみても遠方への航海や交流を暗示するものはあっても、その明確な記述はありません。それまで居住していたポリネシアの島々が手狭になった、飢饉になった、他の島との戦で追放された、などなどいろんな仮説が打ち立てられていますが根拠はありません。

ただ、彼らはハワイ諸島へ定住するため、タヒチ島間を断続的に往復し、タロイモ、ココナッツ、バナナといった植物や、豚、犬、鶏といった動物をハワイ諸島へ運び込んだことはわかっており、この「大航海」は14世紀頃まで続きました。

フラをはじめとする古きハワイの文化も、この交流の過程でもたらされたと考えられています。フラ(hula)とはフラダンスに代表されるハワイの伝統的な歌舞音曲のことで、厳密にはダンスだけでなく、演奏、詠唱、歌唱の全てが含まれます。フラは総合芸術であると同時に宗教的な行為でもあり、日本の能楽と似ています。

ハワイでは、12世紀頃に族長(アリイ)による土地の支配と統制がはじまりました。その後成立する「ハワイ王国」の前の段階の階級社会です。アリイを頂点とし、そのサポートを神官(カフナ)が行いました。そして、その下に職人や庶民(マカアイナナ)、奴隷(カウバ)がといった階級の人々で構成される社会が誕生しました

アリイはヘルメットを被り、羽編みのマントを身に付け、マナという特別な力を持つとされ、絶対的な権力を持っていました。

また、最下級の奴隷、カウバは共同生活の規律を乱す犯罪者がそれとされますが、主には他の土地の捕虜によって構成される階級で、顔に入墨を彫られ、他階級との交わりが禁じられていました。時にはカフナの行うまじないごとの生贄とされることもあったといいます。

そうした中、1778年、イギリスの海洋探検家ジェームズ・クックによって、1月18日にオアフ島が、1月20日にカウアイ島が「発見」され、ワイメア・ベイにレゾリューション号、ディスカバリー号を投錨し、ヨーロッパ人としてハワイ諸島への初上陸を果たしました。

クックは、上官の海軍本部長サンドウィッチ伯爵の名から、サンドウィッチ諸島と命名します。しかし、クックがサンドウィッチ諸島と名づける以前より、現地ハワイ人の間では既にハワイという名称が定着していました。

この頃のハワイ諸島には大族長(アリイ・ヌイ)による島単位での統治が行われており、ハワイ島ではカラニオプウという大族長が、それ以外の島をマウイ島の大族長カヘキリが支配していました。

大族長は世襲制であったため、ハワイ島では、1782年にカラニオプウが没すると息子のキワラオが王位を継承しました。軍隊の指揮で頭角を現しつつあったカラニオプウの甥にあたるのが、かの有名なカメハメハです。彼はこのとき戦争の神(クカイリモク)という称号を授かり、コハラおよびコナの領地を譲り受けました。

これに立腹した大族長カヘキリの息子、キワラオはカメハメハに戦争をしかけましたが、ハワイ島、西海岸のケアラケクア湾付近で行われた「モクオハイの戦闘」で負傷し、逆にカメハメハによるハワイ島統一が成されました。1790年のことです。



クックたちが、ハワイを訪れたのは、ちょうどこうした部族紛争が勃発していた最中でした。

突然の見たこともない大きな船の到来と、そこに佇む異様な衣を纏う乗組員に先住民は驚きおののきました。ハワイ島の王であったカラニオプウはクックをロノ(ハワイ人の宗教に出てくる4大神のひとりで、農耕と平和の神)の化身と錯誤し、ヘイアウの奥に鎮座する祭壇へ案内し、神と崇めました。

クックは、それまでにも他の探検先で先住民に神と間違えられる、といったことを何度も経験しており、わざわざ先住民らが望みそうな振る舞いを演じてみせたといいます。

ちょうどこのときは、ハワイ住民にとっての新年で、それから4か月間の収穫を祝い、休息の期間とされる「マカヒキ」の期間でした。このため、先住民らにより豊穣の神ロノを讃えるその祭が執り行われ、クックらにも酒池肉林のもてなしが行われました。

長い航海で女に飢えていた乗組員らは現地の若い先住民の女を侍らせ、約3週間宴に興じたといいます。その後クック一行は必要な物資を積み込み、北洋へと出航しましたが、カワイハイ沖で遭遇した暴風雨にレゾリューション号のメインマストが破損したため、再度ハワイ島へ戻り修繕にあたろうとしました。

このときもクックたちは彼らに手厚いもてなしを要求します。しかし、先住民らは「クックはあまりにも人間的な肉欲を持っている」「ロノ神の乗る船があのように傷つくものだろうか」といった疑念を持ち始めます。こうして、先住民らの中でもこうして懐疑的で過激な者たちは結託し、険悪な様相でディスカバリー号のボートを奪い取ろうとしました。

こうした動きに恐れをなしたクックは、大族長のカラニオプウを人質として拘束するという暴挙に出ます。この諍い(いさかい)はついに、乱闘へ発展し、1779年2月14日、クックはついに4名の水兵と共に殺害されるに至ります。ディスカバリー号を率いていた腹心チャールズ・クラークは、大急ぎで船の修復を終え、イギリスへと舵を取りました。

ところが、このクラークもその航海中、結核で死亡したため(8月)、その後は英国海軍の将校、ジョン・ゴアが指揮を取り、イギリスに帰還。海軍本部、英国王立協会にクックの死、北方海路探索の失敗、そしてサンドウィッチ諸島の発見を報告し、欧米にその存在を知らしめました。

その後もハワイ王国は、カメハメハ大王の元に隆盛を極めますが、カメハメハが1819年に他界すると、長男のリホリホが王位を継承しました。しかし、生前、彼の執政能力に不安を感じていたカメハメハは摂政(クヒナ・ヌイ)の地位を新設しており、その地位についた神官とリホリホの間で対立が続き、ハワイ王国は波乱の時代を迎えます。

そんな中、1820年アメリカ海外伝道評議会が派遣した聖職者ハイラム・ビンガム、アーサー・サーストンらを乗せたタディアス号がニューイングランドより、ハワイ島北西部のコハラに到着。そこで彼らが見とがめたのは、ハワイ先住民たちのモラルの低さでした。

男はマロと呼ばれるふんどしのような帯のみを身につけ、女は草で作った腰みのだけを身に付け、フラダンスという扇情的な踊りを踊り、生まれた幼児を平気で間引く彼らの文化は、欧米の聖職者からみれば無知で野蛮、非人道的なものであると理解するに十分でした。

こうした風紀と社会秩序の乱れを回復すべく、ビンガムを主導として宣教師らはプロテスタンティズムによる社会統制を試みました。こうしたアメリカ人宣教師らの影響は次第にハワイ諸島全体の教育、政治、経済の各分野へ広がっていきました。

その後、こうしたアメリカ文化は徐々にハワイ王国に浸透していくと同時に、アメリカ人の支配的な体制が強まっていきます。1893年にはついにハワイ王国の終結及び暫定政府の樹立が宣言されますが、その5年後の1898年にはついにハワイ併合が実現。それまでの暫定政府だったハワイ共和国はアメリカ合衆国へ併合されました。

一方、このアメリカ合衆国の併合により、既存の労働契約が無効化され、契約移民としてハワイに多数居着いていた日本人労働者はその過酷な労働契約から解放されました。彼らは洪水のようにアメリカ本土への渡航をはじめ、1908年までに、3万人強の日本人がアメリカへ移住したとされています。

のちに、こうした日本人移民が問題視され、アメリカでの排日移民運動へと繋がっていきます。1907年には転航禁止令が布かれ、翌1908年には日米間で行政処置としてアメリカ行き日本人労働者の渡航制限を設ける日米紳士協約が交わされました。

ハワイをアメリカの領土の一部から、明確な州として確立させようという動きは、ハワイ王国、カメハメハ3世時代から何度も持ち上がった案件でしたが、それが実現するのは、第二次大戦後の1959年のことです。
それまでに至る間に発生した日本軍による真珠湾攻撃や、その前後の日系ハワイ人の動向についても興味深い事実がたくさんあるのですが、今日はもうこのくらいで。

実はハワイ諸島は、太平洋プレートが北西方向へ、100万年間に51kmという速度で移動しあおり、今も少しずつ日本に近づいています。

なかなかハワイを訪れる機会がありませんが、彼の国のほうから近づいてきてくれているのはありがたいこと。生きているうちの再会を果たしたいものです。

もっともあと何百万年生きられるかはわかりませんが…