千夜一夜

11月も半ばを超えようとしています。

メディアからはあちこちの紅葉の進み具合が寄せられてきますが、ここ伊豆ではまだそれほど赤くなっていないようです。

先日、紅葉を撮影しようと天城峠下の滑沢渓谷へ出かけたところ、ほとんどのモミジがまだ濃い緑色をしていました。

色づき始めるまでには… そう、あとまだ10日以上はかかるのではないでしょうか。

秋に葉を赤や黄色に染めるのはだいたい広葉樹です。その色づきの具合は、冷え込みと太陽光に関係しており、朝晩の冷え込み、日中の日差しが強くなると紅葉が始まります。

夏の間、葉に溜め込まれた養分はこの時期、幹の方に移動し、次の春に向けて樹木本体の成長に備えます。そして、葉と枝の間には「離層」ができ、水や栄養分の行き来がなくなり、「落葉」の準備ができます。

このとき、カエデなど赤く色づく植物は、葉に取り残された栄養分が光に反応して赤い色素(アントシアニン)を作ります。これが紅葉の仕組みです。ところが、夏の間、晴天が続く年には鮮やかな赤に染まりますが、曇りや雨の日が続くと、色づきが悪くなります。栄養素のアントシアニンが蓄積されないためです。

今年の夏は長いあいだ不順が続いていました。関東では1ヶ月以上晴れ間が出ない時期もあったようですが、ここ伊豆はそれほどでもないにせよ、やはり晴天は少なかったようです。なので、今年はあまりきれいな紅葉は期待できないかな、と思ったりもしています。

とはいえ、今朝のように冷え込みが激しいと、あぁこれでまた天城や湯ヶ島の紅葉が一段と進むだろう、とついつい思いが馳せます。フォトジェニックな光景があそこにもここにもあるに違いない、と想像すると、家にいるのがもったいなく、落ち着きがなくなります。

私にとっては一年間で最も活動的な時期かもしれません。気温も適度で、それほど着込むこともなく、精力的に野外活動が楽しめます。紅葉だけでなく、朝晩の空模様や山生の様子も美しく、どうしてもカメラを持ち出す機会が増えます。結果として、シャッターを切る回数も増え、かくしてサーバーのストレージはどんどんと減っていきます…

このように日中の活動が活発なせいもあり、夜はこれがまたよく眠れます。布団に入るのが心地よく、夜中にトイレにいかなければ、いくつもいくつも夢を見ます。

今朝方も妙な夢をみました。昔の上司やら亡くなった父やらが登場し、何やら複雑な人間関係の中でありえないことが次々起こる、といった夢でした。もっとも、本人にはなにやら意味深な夢であったように思えても、人に話すとふーん、そうなの、で終わってしまいそうな類のものです。

こうした脈略のない夢は誰しもが見ると思います。それを取りまとめたようなものも古今東西ゴマンとありますが、たいていは陳腐なものになりがちです。しかし、その中でも群を抜いて完成度の高い印象があるもののひとつに「千夜一夜物語」があります。

イスラム世界における説話集で、「アラビアンナイト」の名称でも広く知られています。アラビア語の題名は「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」といい、alfが「千」、laylahが「夜」、waは接続詞「と」で、その直訳は「千夜と一夜」になります。

3~7世紀に勃興したサーサーン朝時代に、ペルシャ・インド・ギリシャなど各地の民話が集められたものが元になっています。サーサーン朝というのは、現在のインド西部、アフガニスタンからエジプトに至る、いわゆる中東といわれる地域であり、通称として「ササーン朝ペルシャ」とも呼ばれる王国です。

その後、8世紀後半に、新都バクダッドがイスラーム帝国の中心都市として整備され始めた以降、千夜一夜物語はアラビア語に翻訳され、9世紀にはその原型ができたとされます。

この写本を、ルイ14世に仕えていたフランスの東洋学者アントワーヌ・ガランが、アラビア語から仏語に翻訳しました。そして1704年に「千一夜」として出版したのがきっかけにヨーロッパ中にブームが起きました。

以降、世界中で翻訳されて広まることとなりますが、日本では、1875年(明治8年)に初翻訳され、「千夜一夜物語」「アラビアンナイト」の呼称が定着しました。以来英語・フランス語などのさまざまなバージョンからの重訳が行われました。




日本ではこのなかでも有名な説話が児童文学に翻案されて親しまれました。そして「千夜一夜物語」という呼称よりも、よろエキゾチックな「アラビアン・ナイト」の名のほうが親しまれるようになりました。

ペルシャの王に対して、その妻が毎夜物語を語る形式を採るこの話は、千夜一夜の名の通り、1001話あるかといえば、そうではありません。アントワーヌ・ガランが翻訳に使用した「千一夜」のアラビア語の写本は282話しかなく、また結末はなかったそうです。

しかし出版以降、「千一夜」を目標に、ガランを含む多くのヨーロッパ人によって次々と話が追加されました。その中には、アラジンと魔法のランプ、シンドバッドの冒険、アリババと40人の盗賊、空飛ぶ絨毯などなど、ディズニー映画の原題になったものが多数含まれています。しかしこれらは元のアラビア語の原本からかなり歪曲されています。

とくにその結末には、いくつもの創作の手が加えられたものが多く、出版社によってその脚色内容もかなり異なっているようです。

ただ、1984年に、「千一夜物語研究」で有名なムフシン・マフディーが発表した「初期アラビア語版による千一夜」は、本来の「千一夜」に一番近いものだとされているようです。イラク系アメリカ人だった彼は、先祖であるアラビア人の歴史、文学、哲学に精通し、それを正確に後世に伝えようとしました。

マフディーなどが編纂した、こうしたオリジナルに近い千夜一夜物語は、ペルシャ・インド・ギリシャなど様々な地域の物語を含み、当時の歴史家の書いた歴史書とは異なり、中世のイスラム世界の一般庶民の生活を知る一級の資料でもあります。

その理由は、冒険商人たちをモデルにした架空の人物らが主人公として登場する一方で、ササン朝ペルシャ以降で最も隆盛を誇ったアッバース朝(中東地域を支配したイスラム帝国第2の世襲王朝・750年 – 1517年)の王、その妃などの実在の人物が登場するためです。

なかでも、アッバース朝・第5代カリフ(イスラーム国家の指導者、最高権威者の称号)、ハールーン・アッ=ラシード(763~809)は、全盛期のアッバース朝に君臨した偉大なる帝王として語り継がれている人物です。

彼は、796年には宮廷をユーフラテス川中流のラッカに移転させ、治世の残りをラッカに築いた宮殿で過ごしました。

ラッカといえば、イスラム国が占領した拠点として世界中に知られるようになりましたが、当時も農業の中心・交通の要所で、シリア・エジプトやペルシャ・中央アジア方面の軍の指揮に適した軍事上の要衝であり、東ローマ帝国の国境に近い戦闘の最前線でもありました。

ハールーンは797年、803年、806年と3度にわたって行われた東ローマ帝国に対する親征でいずれも勝利を収め、アッバース朝の勢力は最盛期を迎えました。文化の面では学芸を奨励し、イスラム文化の黄金時代の土台が築かれたことで知られています。

それほど隆盛を誇った時代の王であったこともあり、千夜一夜物語の第9話にも、ハールーンが実名出てきます。しかし、千夜一夜物語は、別のサーサーン朝の王、“シャフリヤール”と呼ばれる架空の王の逸話から始まります。

そんな千夜一夜物語はいわゆる「枠物語」の手法で描かれており、これは、大枠の話の中に、より小さな物語を埋め込んだ入れ子構造の物語のことです。

導入的な物語を「枠」として使うことによって、ばらばらの短編群を繋いだりそれらが物語られる場の状況を語ったりするような物語技法です。こうしたフォーマットはさまざまな語り手が自分の好きな話あるいは知っている話を語り、一方で語りたくないものは語らず、他の場所から聞いた話を付け加えることもできるという融通性を持っています。

作者が以前から温めていたストーリーを短編にして、長い物語の中に組み込むのにも都合のいい形式でもあり、サーサーン朝時代に、アラブの各地から集められた民話を編集するのにも都合のよい形式であったわけです。



さて、その「枠」にあたる冒頭の話はこんな風に始まります。

昔々、ササン朝ペルシャに“シャフリヤール”という王がいました。王は東にあるインドや中国も攻略し、ここを手中に治めるほどの勢力を誇っており、その弟の“シャハザマーン”は主にペルシャ北部の都市サマルカンドを治めていました。

この二人は仲の良いことで知られ、あるとき兄のシャフリヤールはむしょうに弟に会いたくなり、サマルカンドに使いをやって、自分の都に呼びよせました。

この呼びかけに答え、喜んで兄のもとに向け出発しようとしたシャハザマーンですが、その出がけに兄への贈り物を忘れた事に気付きます。急いで宮殿へ取って返し、贈り物が置いてある部屋に向かおうとしたところ、思いがけなく、彼の妃が一人の奴隷と浮気の最中であるところを目撃します。

激高した彼は、思わず腰に差していた刀で、行為の最中である妃と奴隷を刺し殺そうとしますが、思いとどまり、心を落ち着け直してから再び兄の国への訪問をつづけました。しかし、その道中、妃への憎しみとそれを殺めようとしたこと、あるいはそれを果たせなかったことなどなどの想いにさいなまされ、ひどく塞いでしまいます。

それでも兄の国に辿りつき、そこで兄一家から歓待を受ける間、ようやくその傷心が癒えようとしたころ、兄は所要あって、しばらく外出すると知らされます。兄の留守の間、なすこともなく漫然と過ごしていましたが、そんな中、シャハザマーンは今度は、兄の妃が二十人もの男奴隷と関係を持っていることを知ります。

さらには二十人の女奴隷も含めて淫靡な行為をしている現場を実際に目撃し、痴態の限りを尽くす彼らを見て呆然とします。

しかし逆に、自分に起きた出来事はこれに較べればまだましだ、と思い直し、しだいに元気を取り戻します。そんな折、兄のシャハリヤールが帰ってきますが、妙に元気になったように見える彼を見て、不審に思います。

折を見ては理由を聞き出そうとしますが、兄想いの弟はなかなか口を割りません。そこで酒を飲ませ、リラックスさせたところで、ようやく理由を聞き出すことができました。しかし、事実を知って驚きを隠せないシャハリヤール。それでもまさかと思い、妻の寝所に忍び込みますが、さらに自分の目でそれを見るところとなり、改めて妻の不貞を知ります。

状況を弟に話すと、弟も涙を流しながら、自分の身の上に起こったことを話し始めました。二人とも同じ境遇にあることを知り、共感した彼は、何もかもいやになり、流浪の旅に出よう、と弟に持ちかけ、彼もこれに同意します。

こうしてあてどもない旅に出た二人ですが、くる日もくる日も歩き続け、ある日海辺に出ました。そこにあった一本の木の下で休もうと、横になったとき、ターバンを頭に巻き、大きな刀を腰にさした大男が遠くからやってくるのが見えました。

その風体を見た二人は、これはきっと危ないヤツに違いない、と急いで木に登って見ていると、男はどんどんと近づいてきました。しかし、彼らには気が付かず、木の下の日陰に長々と絨毯をひくと、そこで彼らと同じように横になって眠る用意を始めたではありませんか。

実は彼、この地に棲む「魔神」でしたが、昼寝をするにあたって、頭の上のターバンの中から櫃(ひつ)をポンッと取り出しました。するとその中から非常に美しい乙女が飛び出てきて、慣れた様子で彼の前でひざまづきました。

魔神はうれしそうに、その膝枕のうえで魔神は眠り始め、すぐに大きないびきをかきはじめました。そのとき、乙女がふと目をあげると、そこに二人の男がいるのに気づきます。ニヤリと笑った彼女は、魔神の頭を敷いていた絨毯の上に移し、彼らに小さな声で呼びかけました。

「ねえそこにいるお兄さんたち、ちょっと私といいことしない?」と、見た目とは大違いのその呼びかけに二人は戸惑いますが、その次に彼女がしらっと言った言葉にさらに驚愕します。

それは、もし私と ”しなければ” 魔神を起こしておまえたちを殺させる、というもので、怯えた二人は彼女の言うとおりにせざるを得ませんでした。

しばらくして、コトが済んだ乙女は、満足したかのように今度は、自分の身の上話を始めました。それははじめ、自分は婚礼の夜に魔神にさらわれてきて今に至る、といったことでしたが、続けて彼女が言った内容は驚くべきものでした。

それは、これまで魔神が眠っている隙に彼女が570人の男たちと性交した、ということ、彼女が「それ」をしたいと思えばどんな者もそれにあらがえなくなること、なんとなれば何者であろうが、彼女の思い通りになってきたこと、といったことでした。

目の前にいる見目麗しい美女が、自分たちがこれまで経験してきた以上の淫乱な行為をしてきたことを聞かされたふたり。そして、こんな恐ろしい魔神でさえ自分達よりもさらに酷い不貞に遭っていることに驚嘆し、改めて自分たちはまだましだ、と思い直します。



こうして、いよいよ女性不信を募らせた二人はそれぞれの都へ帰っていきました。

そして、宮殿に戻った兄のシャハリヤールが最初にやったことはといえば… 妃、そして彼女と痴態を繰り広げていた男女の奴隷達をひっとらえ、彼らすべての首を刎ねさせることでした。

そして大臣に毎晩一人の処女を連れて来るよう命じ、その夜から処女と寝ては翌朝になると殺す、ということを繰り返すようになりました。こうして、バクダッド中のあちこちから処女が集められ、王の伽をするようになりましたが、3年もすると、もうこの都から若い娘は姿を消してしまいます。

しかし、それでも王は大臣に処女を連れて来いと命じ、さもなければお前の首を刎ねる、と言い出したので、大臣はすっかり頭を抱え込んでしまいした。

この大臣には娘が二人いましたが、恐怖にさいなまされ、悩み、やつれていく父を見て、姉娘のシェヘラザードは一計を思いつきます。

彼女は、自分を王に娶合わせるよう父に進言。驚く父でしたが、なんとかなる、と彼をなだめながら言うので、大臣もしぶしぶそれを認めます。

こうして、王のもとに参上したシェヘラザードですが、その伺候にあたっては、妹のドニアザードを呼び寄せておく、という下準備をしていました。

そしてその夜がやってきました。シェヘラザードは自ら王と一晩を共にするため、王の閨(ねや)に行きますが、床に入る前に、最愛の妹ドニアザードへ別れを告げたい、と王に頼み込みます。このため、ドニアザードもまた閨にやってくることになりましたが、実は、シェヘラザードは、妹にある依頼していました。




こうして、古今の物語に通じているシャハラザードは国中の娘達の命を救うため、自らの命を賭けて王と妹を相手に夜通し語り始めました。千夜一夜の始まりです。

実は、シェヘラザードが妹のドニアザードにしていた依頼とは、物語を語るのが得意なシェヘラザードが小話を終えるたびに、合いの手を入れてくれ、ということでした。行為のあと、王は横になってシェヘラザードの最初の話に聞き入りましたが、話が終わると、すぐにシェヘラザードの首を切ろうとします。

そこへ、居合わせた妹のドニアザードが、すかさず「お姉さまのお話はなんて味わい深いのでしょう!」と口を挟みました。そして次の話をするよう姉に促したので、王もしぶしぶ刀から手を放し、じゃあ次のを聞いてからにしようか、と思い直しました。

こうして、朝がくるまで何度も何度も話が終わるたびにドニアザードの手助けが続き、そうこうするうちには、窓の外はすっかりと明るくなりました。そこでようやくシェヘラザードは口をつぐみ、そして、慎み深く王に対して言いました。「明日お話しするお話は今宵のものより、もっと心躍りましょう。」

これを聞いた王もまた満足し、新しい話を望んでシェヘラザードを次の夜まで生かしておくこととしました。こうして、何夜も何夜も同じような心躍る夜が過ぎていきました。

そして、千とひとつの夜が明けるころまでには、王とシェヘラザードの間には三人の子ができていました。

王妃となったシェヘラザードによって、王は説話を楽しむことができ、後継者まで得ました。しかし、それだけではなく、慎み深く思慮深いシェエラザードから、仁徳と寛容さとは何であるかを教えられ、王としてふさわしい風格を身に付けていたのでした… 続く(かも)