ホーキング博士の遺品

ホーキング博士が亡くなりました。

スティーヴン・ウィリアム・ホーキングは、1942年1月8日、イギリス生まれの理論物理学者であり、一般相対性理論と関わる分野で理論的研究を前進させ、1963年にブラックホールの特異点定理を発表して世界的に有名になりました。

1970年代には、宇宙創成直後に小さなブラックホールが多数発生した、とする説や、ブラックホールは素粒子を放出することによってその勢力を弱め、やがて爆発により消滅する、とする理論(ホーキング放射)を発表し、これがその後「量子宇宙論」という分野を形作るところとなり、現代宇宙論に多大な影響を与えた人物です。

20歳前、学生のころに筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、余命5年程度と宣告されました。しかし、途中で進行が急に弱まり、発症から50年以上にわたり研究活動を続けました。晩年は意思伝達のために重度障害者用意思伝達装置を使い、コンピュータプログラムによる合成音声でスピーチや会話を行っていました。

その生涯

父親はオックスフォード大学で医学を学び、母親も同大学でPPE(哲学・政治・経済の学際領域)を学んだ才媛です。第二次世界大戦中、両親が暮らしていたロンドンは爆撃を受けており、母が疎開していたオックスフォードで彼が誕生しました。ほかにフィリッパ、メアリーという二人の妹と、エドワードという、養子縁組による兄弟がいます。

両親は子供たちの教育に力を入れており、とくに父のフランクはスティーヴンを評価の高いWestminster Schoolに入れたがっていました。しかし、家計の状況は苦しく、奨学金無しで通わすのは困難であったため、地元の標準的な学校に通うところとなりました。

しかし、このことが彼にとってはよかったようです。幼少期はむしろのびのびとした教育環境で過ごすことができ、仲の良い友人たちとボードゲームをしたり、花火を作ったり、模型飛行機やボートで遊ぶ、といったことなどが情操面ではプラスに働き、その後の優れた人格の形成に寄与したと考えられます。

宗教的な色合いの強い学校でもなかったことから、キリスト教など特定の宗教に偏った考え方を持つこともなく、また、友達とはオカルト的なことも平気で話し合うことができました。超常現象についても興味があったといい、こうした方面から次第に科学に興味が向いていったようです。

16歳のころには、学校の数学教師の助けも借りつつ、親しい仲間たちと、時計部品、電話交換機、中古部品などを使って計算機を作りあげたといい、こうしたことから、学校では「アインシュタイン」というあだ名で呼ばれていたそうです。

しかし、成績はそれほどでもなかったようで、ただ、理数系の分野では優れており、恩師に勧められて大学で数学を学ぼうと決意しました。とはいえ、自らも医者だった父は、数学専攻で卒業した人には職が少ない、という理由から、彼に医学を学ぶことを勧めました。

父のフランクはまた、自分の出身校であるオックスフォード大学で息子が学ぶことを望んでいました。結局、医学部には入りませんでしたが、1959年10月に17歳で、オックスフォード大に奨学生として入学。当時同校には希望していた数学科がなかったため、ここで物理と化学を学ぶことになりました。

幼少のころの学力はそれほど秀でたものではなかったものの、彼の学才はこのころから飛躍的に伸び始めます。入学したのちに学んだ物理化学の領域は、彼にとって退屈なほど簡単だったようで、彼に言わせれば、「ばからしいほど簡単」でした。

その一方で、第二学年、第三学年と学年が進むにつれ、学生生活も謳歌するようになります。クラシック音楽を通じて多くの友人を得るとともに、サイエンス・フィクションに興味を抱いている者たちのグループとも交流するようになりました。

さらにスポーツでもボート部に参加するようになり、ボート部では、コックス(舵手)役を務めていたといいます。

こうした学業だけでなく、いわば「遊び」の部分にも慣れ親しんだところが、子供のころから英才教育によって育てられた温室育ちの秀才とは異なるところです。幼少期にごく普通の学校でのびのびと過ごし、充実した大学生活も満喫できた、といったことは、その後、世界的に知られるようになる天才の人格形成に大いに役立ったと考えられます。




この学生時代、彼はまた数々の恋愛経験をしたようです。なかでも同じ大学で文学を学んでいたジェーン・ワイルドと懇意になり、その後二人は結婚することとなります。

オックスフォード卒業後は、21歳でケンブリッジ大学大学院、応用数学・理論物理学科に入学。ところが、このころ、 検査で「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」と診断されます。しかし、恋人だったジェーンの献身的な助けもあり、なんとかこの困難な時期を乗り切りました。

体が次第に自由に動かなくなり、医者からは余命わずかとされますが、親の反対を押し切り、二人は結婚します。やがて男児が生まれ、ブラックホールに関する博士論文を教授たちから絶賛されるに至ります。

このあたりのことは、2014年にイギリスで製作された伝記映画、「博士と彼女のセオリー」の中にも詳しく描かれているので、ご興味のある方はビデオレンタル店で借りて鑑賞してみてください。

その後、24歳でケンブリッジ大学トリニティー校で博士号を取得。「特異点定理」「ブラックホールの蒸発理論」などの発表などで高い評価を得て、ロンドン王立協会フェローに選出されたほか、1975年には、業績を讃えられ、ローマ教皇庁から「ピウス11世メダル」を授与されるなどの栄誉を得ています。

1977年、35歳のときにケンブリッジ大学の教授職を得て以降は、一般人向けに現代の理論的宇宙論を平易に解説する「サイエンス・ライター」としての才能も開花しました。その著作群は日本をはじめ、各国で翻訳され、「ホーキング、宇宙を語る : ビッグバンからブラックホール」は、世界的なベストセラーにもなりました。

しかし、そんなさなか、公演の最中に倒れ、死か気管切開かと医者に迫られ、声が出なくなる後者を選択。以後、「スペリングボード」を使う生活を強いられるようになりますが、有能な看護師を雇い、他者とコミュニケーションがとれるようになるまで回復しました。

その後、埋め込みの音声合成器を使いながら自ら音声を発することができるようになりますが、それまでの声が出ない生活において彼を支えたこの看護師こそ、その後彼の二番目の妻となった、エレイン・マンソンでした。

以後、昨日の逝去まで、難病を抱えている人物とは思えないほどの活動的な日々を送っています。2001年には来日し、東京大学安田講堂にて一般講演を行っているほか、2007年には、アメリカでゼロ・グラビティー社の専用機「G-フォースワン」に搭乗。車いすから離れた無重力体験まで経験しています。

2009年、ケンブリッジ大学の教員退職規定により9月の学年末に大学を退任しますが、その後も同大学に留まり、応用数学と理論物理学部の研究責任者を務め、研究活動を続けていましたが、昨日、ついに76歳で亡くなりました。20過ぎのころに、医者からは余命5年と言われたのに関わらず、その後50年以上を生きたことになります。


名言の数々

ホーキング博士は、その生前、数々の名言を残したことでも知られ、多くの人を勇気づけました。

人生訓も多く、例えば、次のようなものがあります。

・人生は、できることに集中することであり、できないことを悔やむことではない。
・自らの行動の価値を最大化するため努力すべきである。
・期待値が「ゼロ」まで下がれば、自分に今あるものすべてに間違いなく感謝の念が湧くはずだ。
・人は、人生が公平ではないことを悟れるくらいに成長しなくてはならない。そしてただ、自分の置かれた状況のなかで、最善をつくすべきである。

ネットを探ればそれこそ山ほど博士の「名言集」が出てくると思いますが、そうした中で、私がとくにいいな、と思うのは次の一節です。

一つ目は、足元を見るのではなく星を見上げること。
二つ目は、絶対に仕事をあきらめないこと。仕事は目的と意義を与えてくれる。それが無くなると人生は空っぽだ。
三つ目は、もし幸運にも愛を見つけることができたら、それはまれなことであることを忘れず、捨ててはいけない。

父親としてどんなアドバイスを子どもたちに伝えていますか?という質問に対して答えたものだそうですが、どうでしょう。厳しい人生を歩む上で、一般の人々にも響く言葉だと思いませんか?


私生活

ホーキング博士は、私生活では、前妻のジェーン・ワイルドとの間に、3人の娘・息子を授かっています。が、26年間連れ添った後、1991年に離婚。上述のとおり、その4年後の1995年に看護師のエレイン・メイソンと再婚したものの、2011年に再び離婚しています。

最初の妻との離婚のころから有名になり出したようですが、地位、名声、富などを一気に手に入れたことで生活が変わってしまったことが離婚に至った大きな理由とも言われているようです。

再婚相手であるエレイン・メイソンさんは、博士のために特注のパソコンを作ってくれた人の元妻だったといい、おそらくはその試用の際の立会などで知り合い、そのまま看護して雇い入れたあと、恋愛関係に発展したのでしょう。

ただ、博士の別の元看護師によると、メイソンは 「支配的で計算高く横暴」 な性格だったといい、あるときから、周囲の人間が博士の体に説明のつかない痣や傷があるのに気づくようになったといいます。

何が起こっているのかを博士に問いただしますが、博士もメイソンも虐待を一切否定。警察にも届けたものの、博士が断固として協力を拒んだため捜査もできなかったといい、そのまま2007年に離婚。

そんな彼があるとき、インタビューで、「1日のうちで最も多く考えていることは何ですか?」と、聞かれたそうです。おそらくインタビューワーは、何か難しい話を期待していたのでしょうが、返ってきた答えはというと、「女性のことだ。彼女というのは、実にナゾに満ちてる存在なんだ」というものだったそうです。

世界的に高名な科学者、天才と言われた人でありながら、私生活、とくに女性面ではいろいろ悩み多き人であったようです。




スピリチュアルに対する見解

一方、この世界的な科学者が神や宗教、あるいは、スピリチュアル的なことに関して、どう考えていたか、についても興味があるところです。このうち神については、若い頃には次のように発言していました。

・宇宙がどうして存在するのか知りたい、なぜ無より偉大なものがあるのかが知りたい。
・宇宙に始まりがある限り、宇宙には創造主がいると想定することができる。
・神の概念に触れずに宇宙のはじまりを論ずるのは難しい。
・神は存在するかもしれない。とはいえ、創造主ぬきでも、科学で宇宙を説明することができる。

世界的ベストセラーとなった「ホーキング、宇宙を語る(1988)」においても、「神というアイデアは、宇宙に対する科学理解と必ずしも相いれないものではない」と記しており、彼の中では神そのものを否定する気持ちはなかったようです。しかし、その四半世紀後、彼の神に対する態度は著しく厳しいものになりました。

2010年の「ホーキング、宇宙と人間を語る」では、「宇宙の創造に神の力は必要ない。宇宙創造の理論において、もはや神の居場所はない。」と述べており、「物理学における一連の進展により、そう確信するに至った」、とも語っています。

その晩年、こうも語りました。

「わたしはこの49年間、死と隣り合わせに生きてきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。やりたいことがまだたくさんあるからね」
「死は脳というコンピュータが機能を停止したに過ぎない。天国も死後の世界もない。それは闇を恐れる人のおとぎ話だ」

こうした発言から、晩年の彼は死後の世界を信じておらず、おそらくは、スピリチュアル、といったことに対しても、否定的だったと推測されます。

一方では、人間そのものも「不完全なもの」という考えがあったようで、「不完全さがなければ、あなたも私も存在しないだろう」という、意味深な言葉を残しています。不完全だからこそ、この世に生まれてきて、それを是正することこそが人生だ、と言いたかったのでしょうか。だとすれば、なにかしらスピリチュアル的な発言ではあります。

さらに、「人工知能」については、昨今将来人間の脅威になるとして、次のような言葉を残しています。

「すでにわれわれが手にしている初期形態の人工知能は、非常に有用であることが分かっている。しかし、私の考えでは、完全な人工知能が開発されれば、人類は終焉を迎える可能性がある(2014年、英BBC放送とのインタビューから)。」

いずれ、人工知能によって人類が脅かされる時代が来ることを示唆するものであり、この発言は、人工知能の開発による危機の訪れを世界に警鐘するもの、として一時期大きな話題になったことは記憶に新しいところです。

そんなホーキング博士もついに亡くなってしまいました。

彼が否定するあの世において、眼下の我々を眺めながら、生前の自分のこうした発言をどう考えているでしょう。あるいは、これはあの世ではない、おまえたちの想像の中にあるお伽噺だ、と未だに考えているのでしょうか。


後を継ぐ者

ところで、そのホーキング博士が生前、その能力を高く評価した、新進気鋭の理論物理学者がいました。

リサ・ランドール(Lisa Randall、1962年6月18日 )さんといい、アメリカ合衆国の理論物理学者で、専門は、素粒子物理学、宇宙論です。2001年、ハーバード大学から終身在職権を与えられ、現在もハーバード大学物理学教授であり、プリンストン大学物理学部で終身在職権(tenure)をもつ最初の女性教授となりました。

また、マサチューセッツ工科大学およびハーバード大学においても理論物理学者として終身在職権をもつ初の女性教授であり、1999年、ラマン・サンドラム博士とともに発表した「warped extra dimensions(ワープした余剰次元)」により、物理学会で一躍注目を集めるようになりました。

2002年 – 欧州原子核研究機構(略称:CERN)で行われた、CERN理論物理学研究会では、生前のスティーブン・ホーキング博士から隣の席を薦められており、こうしたことから、博士も彼女の業績を高く評価していたことがわかります。

2007年には、米「タイム誌」により、「世界で最も影響力のある100人」の一人に選出されており、同年には日本も訪れています。このときは、脳科学者・茂木健一郎さんとも対談しており、この対談を兼ねて、東京大学・小柴ホールで来日記念講演を行いました。

このリサ・ランドールが着目されているのは、高次元世界(5次元、6次元など)の存在を理論的に提唱し、物理学の世界に革新をもたらしたとされる点です。タイムスリップの話でよく出てくる4次元空間を超えてそのさらに上の次元があるとしたものであり、これはいわゆる「あの世」と直結するものではないか、とする議論が沸き起こっています。

恐竜の絶滅に関して、「ダークマター」の力が関与していたのではないか、とする説も展開しており、その可能性について論じる新著「ダークマターと恐竜絶滅(NHK出版)」なども話題となっています。、ホーキング博士以外では、昨今、大きく着目されている人物であり、今後ともにその言動に目が離せない人物となっていくでしょう、

2016年の7月に、超常現象などのニュースを配信するネットサイト、「トカナ(運営会社は出版社のサイゾー)」が、来日中のランドール博士への独占インタビューを敢行しています。

このインタビューでは、ダークマターをはじめとする最新の研究成果からAIなどの近未来技術などのインタビューのほか、幽霊や超能力といった超常現象、果ては人間の愛と心、そして博士の私生活のことなどが語られたようですが、ネットではその一部が公開されているようです。

この中で、記者の「意識や愛の感覚といった事象は、時空を超えて伝わるものでしょうか?」という質問に対して、ランドール博士は、

「例えば音楽について考えたとき、音が科学的にどのように伝わるのか、そのとき脳がどのように反応するかは科学的に解明されている。しかし、それは音楽そのものを理解するということではなく、音楽の本質はそれ以上のものである。抽象的な物事というのは、より高い階層に存在しているのでは。」

「(中略)高い階層にある抽象的な事象が時空を超えて伝わるか、といった物事の仕組みを解釈するには、さまざまな観点があるとしか言えない。」

と答えています。「時空を超えるものであるかどうか?」という問いに対して、それを否定こそはしていませんが、明確な回答もなく、さまざまな観点がある、としています。ただ、「高い階層」というのは、あるいはあの世の存在を意味する発言かもしれません。

さらに、「幽霊や超能力といったものは科学的に分析可能なのでしょうか?」という質問に対しては、

「それは現実を超越したものであり、今の我々の科学では検証しようがない。しかしそれを言い換えれば、今後の進展によっては検証可能な余地が残されていると考えられるのかもしれない。」

以上のように、さまざま観点がある、検証可能な余地が残されている、といった回答は、将来的に解明される可能性もある、という可能性を示したものでもあり、彼女自身がその残りの人生で明らかにしていきたい、という意欲を示したものでもあります。

さらに、今後、そうした未知の世界を解き明かす可能性があるとされる「ダークマター」については、

「ダークマターの研究は、少しずつ進んできてはきているものの、まだその特質さえよくわかっていない。未だに網羅しきれていない可能性もあり、これまでまとめてきた結果や現存するデータをどのように解釈するかという点を突き詰めていきたい。」

といったふうに応えています。

ダークマターこそ、今後、スピリチュアルの不思議を解き明かす鍵になっていくようです。21世紀最高の頭脳を持つと言われたホーキング博士亡きあと、彼をしのぐ理論を打ち立て、ぜひとも「あの世」の原理を見極めていただきたいものです。