そうだ、八ヶ岳へ行こう!

先日、八ヶ岳で痛ましい遭難事件がありました。

長野県の八ヶ岳連峰・阿弥陀岳でのことであり、3人が死亡し、4人が重軽傷を負った滑落現場は、過去にも死者が出たことのある「難ルート」として知られていたそうです。

八ヶ岳の最高峰は、赤岳・2,899 mで、これに次ぐのが横岳・2,829 m、そして、先日事故の起こった阿弥陀岳 ・2,805 m、四番目が硫黄岳 ・2,760 mとなります。これらの峰々は、南北に連なる連峰の真ん中よりもやや南側に集中しており、なかでも、横岳・硫黄岳・阿弥陀岳の三つは急峻な地形を持つ、非常に鋭い山峰です。

日本有数のロッククライミングの岩場として知られ、また冬場は氷瀑のアイスクライミングの場とてしても有名です。

それだけに、冬季に素人が入れるような山ではありません。こうした場所への冬登山は、危険を伴ない、従来からも遭難者も多いことから、それなりの熟練した登山家しか立ち入らない、立ち入れない、ということで暗黙の了解があったはずです。

詳しいことはまだわかりませんが、そうしたところへ入ったということは、冬山登山に関してはそれなりの実力を持った人たちだった、と考えていいのでしょう。で、なかったとすれば、かなり無謀な冒険だったのかもしれません。

一歩誤れば即、死が待っている、といってもおかしくない危険個所も多く、夏山ならどうってこともないような場所でも、天候の悪化によって、著しく危険な環境に豹変することもあります。

最悪なのはやはり、今回のような滑落であり、その多くが「即死」を意味します。「滑落遭難」という用語があるほどで、足を踏み外して滑り落ちれば、しばしば死に直結します。滑落の途中、固い岩などにぶつかる可能性が高く、数百m以上落ちれば、さらに死の危険が大きくなり、また落下距離が小さくても頭部を打てば致命傷になります。

ただ、聞くところによると、今回の事故での死亡者の直接の死因は、滑落によって生じた小規模な雪崩に巻き込まれての窒息死だった、といわれているようです。

また、そもそもは複数の人間が滑落しないように、ザイルで互いを結び合って予防していたはずなのに、それが起きてしまった、ということに関しては、ここ数日の暖かさによって雪氷に固定した確保鋲(ハーケン)が効かなかったということなどが考えられているようです。

しかし、それ以外にも、事前の準備不足や、この登山に参加していた方たちの力量の問題もあったのかもしれません。そうした場合の遭難の原因には様々なものが考えられますが、主なものを挙げると、以下のようなものがあるようです。

登山に対するあなどり(「自分だけは遭難しないだろう」という思いこみ)、があった
登山前に当然行うべき、山の綿密な調査の不実行・不足
登山前に用意しておくべき装備の不備
自分の体力以上の山への無謀な挑戦(体力・筋力トレーニングの不実行・不足)
リーダーシップ、及びフォロワーシップの欠如、もしくは不足

過去の多くの事例では、リーダー、もしくはメンバーが、自己や周囲の状態を冷静沈着に把握していなかったために、遭難に巻き込まれたというケースが多いようです。極端な荒天、メンバーの怪我、滑落、落石などなど、何らかの重大な困難に遭遇すると、多くの場合、判断能力を失います。

様々な状況がありえますが、一般的には、こうした困難に直面した場合には前には進まないほうがよい、と言われているようです。今回の遭難においても、はたして先頭を進んでいて滑落した、とされる人物がどのような判断をしていたのかが問われるのかもしれません。

その方が亡くなったのかどうかまだよくわかりませんが、そうだとすれば、あちらの世界で今、この事故のことをどう振り返っているでしょう。

何はともあれ、まずは、亡くなった方々のご冥福をお祈りしたいと思います。また、これからは、いわゆる春山登山の時期ですが、この時期の登山は融雪による重大事故が起こりやすい環境です。くれぐれも気をつけて頂きたいと思います。

八ヶ岳伝説




さて、悲しい話はこれぐらいにしましょう。

この八ヶ岳ですが、山梨県と長野県にまたがる、南北に細長い山体で、元々は火山とみられています。

と、いっても一連の噴火は、人類の有史以前のことであり、確実な噴火記録は残っていません。活動時期は、約130万年前に始まり、数十万年前に明瞭な活動休止期・侵食期を挟んで現在のような形になったと考えられています。

南の編笠山から北の蓼科山まで、南北約21 kmもの長さがあり、その昔は多数の噴出口がある「火山列」だったそうです。活動時期や噴出物の特徴などから、山塊中央部から、やや南に下がった位置にある、「夏沢峠」を境にして北八ヶ岳、南八ヶ岳などと分類して呼ばれます。

八ヶ岳は日本百名山のひとつにも数えられています。ただ、その対象は、南八ヶ岳であり、北八ヶ岳は入っていないようです。八ヶ岳連峰全体の中では、北八ヶ岳に位置する蓼科山も日本百名山に選ばれています。

「八ヶ岳」の「八」の由来ですが、「八百万(やおろず)」などと同じように、山が「たくさんある」という意味で「八」にしたのではないかといわれています。また、幾重もの谷筋が見える姿を「谷戸(やと)」といいますから、これから八が導かれたという説もあるようです。

八つの頂きがある、ということなのですが、実際には、山、岳、峠といった呼称の峰々を合わせれば15もの峰があり、ある意味では小さな山脈といってもいいほどの規模です。

このようなバラバラな形になったのは、そもそも富士山と背比べをした結果だ、という神話があります。

あるとき、すぐ近くにあり、お互い意識し合っていた富士山と八ヶ岳が、どちらが日本一背が高いか優劣を決めよう、背比べをしよう、ということになりました。

その方法として、両者の頂上に筒を置いて水を流し、どちらに流れるかを試せばいい、ということになりました。その調停役を買った神様は、さっそく、近くにあった竹藪から最も太くて長い竹を切りだし、両者の頂のあいだにかけ、水を流してみることにしました。

実はこのころはまだ両者の高さは、ほぼ同じであり、どちらが高いとは、はっきりとはわかりませんでした。しかし、神様が筒を掛け、水を流してみると、するすると富士山のほうに流れていくではありませんか。

目の上の水が自分の方に流れてくるのを見た富士山は、その瞬間、負けた!と思い、すぐさま立ち上がって、筒を手に持ち、おもいっきり八ヶ岳をひっぱたたきました。

殴ったのではなく、「蹴り飛ばした」という話もあるようですが、いずれにせよ、富士山のバカ力で叩かれた八ヶ岳の頭は、こなごなになって砕け散り、今のような八つの峰々になってしまいました。

神様がちょっと目を離したすきに起きたことであり、それを神様が見ていなかったことをいいことに、富士山はそしらぬ顔をして、神様にもう一度、高さを試してみてください、と言いました。何も知らない神様は、筒の中の水が、今度は八ヶ岳のほうに流れていくのをみて、日本一の山は富士山だ、と宣言しました。

こうして、現在に至るまで、日本一の山は富士山、ということになりました。

この話にはさらに続きがあります。この叩かれた八ヶ岳には妹がいました。北側に位置する蓼科山であり、富士山にぶちのめされて粉々の八つの峰になってしまった兄を見て、蓼科山は悲しくて悲しくて「えんえん」と泣きました。その妹の流した涙が川になり、やがて麓の平な場所に貯まって大きな湖になりました。

その湖こそが、今の諏訪湖であり、なるほど現在の地図をみると、八ヶ岳のすぐ西側には、妹の蓼科が流した涙によって満々と水をたたえた湖水が広がります。

このように、八ヶ岳は昔からよく神話に登場します。前述のとおり、八ヶ岳の最高峰の赤岳ですが、これは国常立尊(くにのとこたちのみこと)とされ、「日本書紀」では天地開闢の際に出現した神であり、「純男」の神であると記しています。

その意味は、「陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性」であり、なるほど、その山容は南麓の長坂方面から仰ぐと、ヨーロッパ・アルプスのアイガーに似て、勇壮そのものです。

山体そのものが赤岳神社とされていますが、山麓の長野県茅野市には、「赤岳神社里宮」が建てられ、「赤岳講」と呼ばれる講も組織されて、昔から現在に至るまで信者による信仰も根強いといいます。こうしたこともあり、八ヶ岳周辺には神話や修験等に由来する石祠や石碑などが多いようです。



初心者がいくなら

八ヶ岳は南北両方のほとんどのエリアが、八ヶ岳中信高原国定公園に指定されています。

広大な裾野には、東側の清里高原や野辺山高原、西側の富士見高原や、北方の蓼科高原などが広がっており、夏の冷涼な気候を利用してレタスやキャベツなどの高原野菜の栽培が行われています。

山麓には伏流水が湧くためでしょうか、特に西南側の裾野一帯にかけて縄文時代の遺跡が濃密に分布しており、長野県側では井戸尻遺跡や尖石遺跡、山梨県側では金生遺跡や青木遺跡、天神遺跡といった多数の遺跡があります。

山梨県側では、大泉歴史民俗資料館、長野県側では井戸尻考古館といった、これらの遺跡を紹介している博物館、資料館も複数存在するので、こうしたところを訪ねて、太古を偲んでみるのも楽しいかもしれません。四季折々に各遺跡を巡るツアーなども開催されているようです。

八ヶ岳の登山ルートとしては、これだけたくさんの山塊があるため、数限りないものがあるようですが、やはり最高峰の赤岳は人気があるようです。ただ、赤岳のある南八ヶ岳はいわゆる「岩稜の世界」であり、夏山でもマニアや体力に自信のある人でないと難しい山といわれているようです。

それにひきかえ北八ヶ岳は登山道も比較的歩き易く、クサリ場や鉄はしご等も少なくのんびり山旅を楽しむことができるようです。なので、初心者の方は北八ヶ岳を中心に登山ルートを検討してみてはどうでしょうか。

とくに、北八ヶ岳の一番一番南側に位置する天狗岳はし、北八ヶ岳の最高峰でありながら、比較的初心者にもアプローチしやすい山のようです。北八ヶ岳にあっては、急峻な山容を呈しているとは言え、南八ヶ岳のそれと比べると、はるかに穏やかな山だということです。天狗岳へ登り上げる数多くのルートすべてにおいて危険個所はほぼ無いそうです。

北八ヶ岳ロープウェイ

しかしそれでも、歩いて登るのはな~という人は、蓼科方面に出かけてみてはどうでしょうか。蓼科山は、北八ヶ岳の最北端に位置する山ですが、その南西側には、蓼科高原と呼ばれる高原が広がっており、ここからは北に蓼科山、東に八ヶ岳を望むことができます。

レジャー施設が多いほか、国道152号、国道299号、ビーナスライン(旧蓼科有料道路)が高原を縦横に貫き、ドライブコースとしても好眺望を楽しめますが、筆者のおすすめは、「北八ヶ岳ロープウェイ」です。

100人乗りの大型ロープウェイで、標高1,771mの山麓(さんろく)駅は、北八ヶ岳の峰のひとつ、標高2,403 mの縞枯山(しまがれやま)の南西に位置します。ここから標高2,237mの坪庭(つぼにわ)駅まで約7分間で行く空中散歩はすばらしく、また、山頂駅には自然が造り出した芸術「坪庭」が広がります。

苔や高山植物などが長い年月をかけて生い茂り、自然に出来た植生帯で、「坪庭」とはもともとは、盆栽などを飾ったこじんまりとした日本庭園のことを指しますが、決してそんなに小さなものではありません。1周30分~40分ほどの散策路には、自然そのままの高山植物が季節毎に咲き、訪れる人々を魅了します。

また、ロープウェイを利用することによって、北八ヶ岳周辺の登山が容易になります。特にロープウェイ山頂駅からの「北横岳」登山ルートは、老若を問わずに人気があるようです。

無論、坪庭駅に併設されている展望台から、日本アルプスの絶景が楽しめます。うれしいことに展望台までは車いすでご移動可能(夏季のみ)だそうで、足の悪いご家族と一緒に行くこともできそうです。

さらに、ロープウエイから右上に見える「縞枯山」は、その名の通り山の斜面が「縞枯れ現象」で覆われている山です。この縞枯れ現象は本州中部のあちこちで見ることできるようですが、この北八ヶ岳が最も有名で、学術的にも大変貴重なものとして注目されています。

複数の研究機関が現在も継続研究中とのことですが、何故このような縞枯れが起こるのかハッキリとした原因の特定は出来ていないといいます。

ロープウェイの利用は、中学生以上の往復が¥1,900、片道が¥1,000(同、子供 ¥950 ¥500)(2018年3月現在)。

近くには、白樺湖や蓼科湖、白樺リゾート池の平ファミリーランドといった施設もあり、春スキーができるスキー場もたくさんあるようです。今年は寒かったので、5月の連休あたりまでもスキーができるところがあるのではないでしょうか。

サクラが終わったら、もうすぐ大型連休。今年は八ヶ岳へお出かけしてみてはいかがでしょうか。