ダーの帰還

ダーです。

宮崎に10日間ほど行っていました。仕事の内容は、新燃岳周辺住民の避難に関すること。徹夜を何日もこなし、ヘヘロヘロになりました。東京に帰還してからおよそ三週間。この間、徹夜疲れのリハビリと、このブログのデザインの準備、メインのホムペの手入れなどで時間が流れて行きましたが、ようやく、このブログの中身も書くための時間的余裕が出てきました。

ダーとか、ムシャ君とか、いろんな名前をつけられて迷惑しています。アラフィフ(50)というか、アフターファイブというか、この歳になって旦那をあだ名で呼ぶヨメってそんなにいないんでないでしょうか。

まあ、その是非はさておき、そういう風に呼ばれるのも何やら若返ったような気がして悪い気もしません。ちなみに私は彼女のことをタエさんと呼んでいますが、「さん」付けで呼ぶのも最近はめっきり少なくなったような・・・ 「おタエ」とか、タエとか、呼ぶ機会のほうが今後は増えるのかと・・・

そんな二人ですが、プロフィール(Profile)にも書いたように、二人の出会いは、今から遡ること、なんと35年前。高校二年生になり、同じクラスになってからのことになりますねー。

その頃の私は、写真部に所属する、写真大好きのオタク少年。彼女は文芸部に入っていて、文学の大好きな作家を夢見る少女?高校時代の二人の時間はとくに絡み合うようなこともなく、お互いとくに意識もせずにいたかなー。

高校卒業後、彼女は地元広島の女子大へ、私は静岡の大学へそれぞれ進学し、卒業後、私が就いたのが建設コンサルタント会社での設計の仕事。片や彼女は、広島の大手の広告代理店で、「コピーライター」なるかっこええ仕事に就き、その派手さと地味な自分の仕事の対比を考えれば、その二人がくっついたというのはちょっと不思議かも。

その後、大学時代に二人は再会しますが、その時のお話は多分、タエのほうがいずれこのブログに書くと思うんで、すっ飛ばします。そして月日が流れ、約30年経ったいま、こうして二人夫婦になって東京に住んでいるのは・・・何やらとても不思議な感じがします。

とはいえ、今起こっていることのすべては「必然」。そう思えるようになったのは、7年前に前の妻を亡くしてから。その前までは、人は死んだらどうなるか・・・というテーマについて、あまり真剣に考えたこともありませんでしたが、妻の死をきっかけに、そうしたことにむしろのめりこむようになりました。

正直言って「スピリチュアル」という言葉は何やらいかがわしい宗教のような感じがしてあまり好きではありませんでした。

が、江原啓之さんと三輪明宏さんの「オーラの泉」が放映され、高い視聴率を得るようになってから、一般にも浸透し、やがてテレビや本で目にする機会も増え、自分でも口にするのがあまり抵抗もなくなりました。人はことばの響きだけで、その意味を勝手に解釈するとことがありますが、スピリチュアルについては、その軽い感じの響きとはうらはらに、実は深い意味を持った世界なのだということを、その当時から少しづつ理解してきました。

このカテゴリーは、「結婚について」なので、スピリチュアルについては、また別のカテゴリーで書いていこうかな、と思っていますが、結婚も実は大いにスピリチュアルな意味を持っているので、そうしたことも折に触れて書いていこうと思います。

さて、今晩の晩御飯は何かな?(む)