伊豆はここしばらく天候不順でしたが、今朝になってようやく晴れてきました。
今日は、「スーパームーン」だそうで、月がいつもより地球に近づくため、より大きく見えるようです。今年もっとも小さく見えた満月は、3月6日のものだったそうですが、これに比べて直径は1.14倍になり、明るさも3割ほど増すといいます。
こうした差がなぜ起こるかについては、月は地球の周りを楕円状の軌道で回っている、ということを知れば理解できます。
満月とは地球を挟んで月と太陽がちょうど真反対になったときに見える月の姿であり、楕円軌道の一番遠いときの満月は小さく、最も近い場合の満月は大きくなるわけです。
より正確にいえば、今年は28日午前10時46分に月が最も近くなり、同11時51分に満月となるようです。が、日中はお月さんは見えませんから、月が地平線の上に出る夕方以降に明るい満月が上ることになります。
が、「満月」とされるのは、月齢が13.8~15.8のときで、平均では14.8です。月齢とは月の「満ち欠け」のことで、月齢0(ゼロ)が新月で、これがやがて三日月になり、半月になっていって、満月になったあと、ここからは逆に欠けていき、ほとんど見えなくなるときが月齢29です。そしてその翌日からは再びゼロからスタートし、満ちはじめます。
暦によれば昨夜27日の月齢は14.2、今日28日の月齢は15.2で、ともにこの満月とされる月齢の範疇に入っています。
だいたい毎月2日ほどは、こうした満月になるようで、どちらを正式に満月と呼ぶかについては、議論があるようです。が、科学的には平均値の14.8に最も近い夜のほうが満月です。しかし、昨日はお盆の中日である旧暦の8月15日なので、「中秋の名月」として尊び、慣例上昨日のほうを正式の満月としているわけです。
が、観賞する分にはどちらでもいいわけであり、お天気が続いて2日続けて美しい満月が見れる、というのは幸せなことです。伊豆のように、残念ながら昨日の満月を見ることができないところは多かったわけですから……
ところで、満月というと、「狼男」を連想する人も多いでしょう。「獣人」とされる人物が、満月の夜になると、月や丸いものを見ると変身するという伝承です。人が動物の姿に変わったり、超自然的に他の動物の特徴を所有するようになることを「獣化」といい、古くから「人狼症」なる精神病がある、と信じる人々も多かったようです。
が、実際にはそんな病気があろうはずもなく、人類が動物と人間の混ざったイメージを、アニミズムの延長などで持つようになったことの名残と思われます。アニミズムとは、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方であり、これらがギリシャ神話やローマ神話、あるいは日本神話の元になりました。
神託を告げる際に一時的に人格が変わったように見えるシャーマンもその一種とみなされることもあり、畏れられもしましたが神聖視されることもあり、原始社会においては重要な役割を果たしていることも少なくありませんでした。
また、先史時代の遺跡などの壁画には獣の特徴を持った人間が描かれることがあり、自然の力を借りようとした何らかの儀式に基づいて、こうした獣化した人間を描くにようになったと推測されています。
ヨーロッパを中心とするキリスト教圏でも、初期には土俗信仰とキリスト教が共存してその様な偶像が崇拝されていた地域がありましたが、中世以降魔女狩りと同様に、こうした獣人は反キリスト・悪魔のとる姿と位置づけられるようになりました。
その中から、「人狼」というものが現れ、これを悪魔と考えて狩ろうとする「人狼狩り」は悪魔狩りとともに盛んに行われるようになりました。ただ、人狼であるとされた人々は、実際には麦角菌に感染していたことなどが指摘されています。
麦角菌とは、麦の中に含まれる麦角アルカロイドと総称される物質によってできる菌で、様々な毒性を持ちます。食用や飼料用としてヨーロッパや北アメリカを中心に広く栽培されていた「ライ麦」にはこの菌がつくことがあり、これを食べて幻覚や精神錯乱を起こしたものであると考えられています。
また、キリスト教圏以外の地域でも動物などの精霊が憑依して獣化する獣憑き(けものつき)の伝承が世界各地に存在しており、インドや中国では虎憑き、中南米ではジャガー人間、また、日本における狐憑きなどそのバリエーションは世界中に分布します。
ヨーロッパでは、中世になると、キリスト教信者が絶対的な権力を持つようになり、その権威に逆らった者は、「狼人間」のレッテルを貼られ、迫害される立場に追い込まれていきました。とくにその傾向は魔女審判が盛んになった14世紀から17世紀にかけて拍車がかかり、墓荒らしや大逆罪・魔術使用をした人は「狼」とされ、重罪を受けました。
有罪とされた者は、社会及び共同体から排除され、追放刑を受けましたが、この際、当時のカトリック教会は、3回目の勧告に従わない者には罰をあたえました。これは、7年から9年間、月明かりの夜に、狼のような耳をつけて毛皮をまとい、狼のように叫びつつ野原でさまよわなければならない、という掟でした。
人間社会から森の中に追いやられた彼らは、要は世捨て人のようになっていきました。当然自律生活は送ることができなくなり、このため、たびたび人里に現れ略奪などを働くようになりました。時代が下るとこれが風習化し、夜になると狼の毛皮をまとい、家々を訪れては小銭をせびって回るような輩も現われはじめました。
1520年代から1630年代にかけてフランスだけで3万件の狼男関係とされた事件が報告され、ドイツやイギリスでも同様の事件の発生が記録されています。その後、より合理的な解釈を求めて、こうした狼人間の生理現象や精神的な問題が語られるようになりました。
つまり、彼等はいつどんなときに狼に「変身」するか、という課題です。17世紀末にジャン・ド・ニノー(Jean de Nynauld)という人物が、狼への変身を「狼狂(folie louvière)」と呼称し、一種の精神錯乱状態である、と唱えました。フランス人で、医学博士を自称していたようですが、不詳です。しかし、医学に通じてはいたようです。
知能障害や頭脳損傷などに由来する精神的な理由で月に向かって絶叫したり、4つ足で歩くなどの精神錯乱を起こすようになった、と彼はその著書の中で唱えました。そして、これが、その後映画などで知られる、狼と人間の中間的な形態をもつ人型の狼男につながっていった、とされています。
やがては、月を見て錯乱状態になる、という事実?だけが独り歩きするようになり、月だけでなく丸いものを見ても変身するという伝承も現れ、その部分だけが特に強調された映画や小説が創作されるようになりました。
一方では、民間伝承でも月を見ると狼に変身するという話が流布されるようになりましたが、これらの伝承では、必ずしも満月の時とは限らず、新月とかクリスマスから蝋燭の祝日にかけての期間とか満月以外の日に変身するとされるものもあったようです。
1935年に、世界初の狼男を主題とした本格的な映画 Werewolf of London (ロンドンの人狼)が公開されて特殊メイクによる半人半狼の狼男が登場し、はじめて「狼男に噛まれた者は狼男になる」などの設定が与えられました。
また、続いて1941年に公開されたThe Wolf Man (狼男)は更に精巧な特殊メイクによる狼男の登場に加えて、「ロンドンの人狼」を上回る出来あがりとなり、大評判を呼びました。また、「ロンドンの人狼」にも満月の夜に変身するという話がありましたが、この映画では加えて「銀で出来たもので殺せる」いう脚色が付け足されました。
この作品により、現代における「狼男」伝説の基本要素は完成され、「狼男映画の決定版」とまで評価されました。以後、両作品の設定が狼男の一般的な特徴であるという認識のもとで、多くの類似作品が創作されることになっていきます。
日本でもこれらの映画はヒットしましたが、戦後、手塚治虫の描いた漫画、「バンパイヤ(習慣少年サンデー、1966~67年)」が人気を集め、テレビでも、1968~69年にフジテレビ系で実写とアニメの合成のモノクロ作品が放送されて話題になりました。ちなみに、このときの主人公役をやったのは、若き日の水谷豊さん(当時16~17歳)でした。
ちなみに、手塚さんは、このほかにも、「きりひと讃歌(1970~71年)」という、医学界における権力闘争を描いた社会派的色合いの強い作品を描いています。これは、主人公が、四国の山あいにある村で「モンモウ病」という奇病に罹り、獣に変身する、という話です。
突然恐ろしい頭痛に襲われ、獣のように生肉を食べたくなり、やがて体中が麻痺して骨の形が変わり、犬のような風貌になります。そして1ヶ月以内に呼吸麻痺で死に至る……という難病を扱った作品です。手塚さんはその後1989年に60歳で亡くなるまでの晩年、こうした社会的なテーマを扱った作品をたくさん書くようになりました。
このように、狼男といえば、現在では知らない人はいないほど有名な話になりましたが、そもそもなぜ「狼」だったのか、といえば、これは、中世のキリスト教の神学者たちが、獣人化現象は悪魔がオオカミの醜い容姿で現れたものと設定したためです。
人々に悪魔の仕業であると信じさせるためには、身近な存在のオオカミの化身としたほうが分かりやすかったのでしょう。オオカミは肉食で、シカ・イノシシ・野生のヤギなどの有蹄類、齧歯類などの小動物を狩ります。餌が少ないと人間の生活圏で家畜や残飯を食べたりするため、ヨーロッパを中心に忌み嫌われていました。
13世紀のフランスにて動物誌の著作を書いたピエール・ド・ボーヴェル(Pierre de Beauvais)という人は、「オオカミの前半身ががっしりとしているのに後半身がひ弱そうなのは、天国で天使であった悪魔が追放されて悪しき存在となった象徴」である、と書きました。
さらに「オオカミは頸を曲げることが出来ないために全身を回さないと後ろを見ることが出来ないが、これは悪魔がいかなる善行に対しても振り返ることが出来ないことを意味している」とも解説しています。
しかし、上述したように、そもそも獣人化現象は、神が人の体に宿ったことを示すものでした。獣人になる、なれるということは、神聖な血筋である、とみなされることも多く、ヨーロッパ以外の東アジアや南北アメリカにおいてはオオカミは、恐怖や禁忌の対象ではありませんでした。
モンゴル人の狼祖伝説、トルコ人の狼祖伝説(アセナ)のほか、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどの山岳地帯に住むミャオ族(苗人)などに伝わる伝説では、いずれも「狼の血筋」を持つ人々は気高い人々とされ、彼らの民族的な誇りの源となっています。
アラスカからカナダ、合衆国にかけて多数が住んでいたインディアン民族もまた、オオカミの信奉者でした。「狼の氏族(クラン)」を称する部族が多く、トンカワ族を始め、部族名そのものが「狼」を意味するものが多数あります。
日本においては、狼祖伝説そのものはあまりありませんが、そもそも「オオカミ」という日本語自体が、「大神」を意味している、というのはよく言われることです。モンゴルにおけるそれと同様に神性と知性の象徴として畏敬され、埼玉県秩父市三峰にある「三峯神社」や奥多摩の「武蔵御嶽神社」でなどでは、祭神とされています。
また、アイヌではオオカミ(エゾオオカミ)を「大きな口の神(ホロケウカムイ)」「狩りをする神(オンルプシカムイ)」「ウォーと吠える神(ウォーセカムイ)」などと呼んでいました。
このように、日本では、オオカミは眷属(けんぞく)、すなわち神の使者、として敬われることも多く、オオカミのご利益としては山間部においては五穀豊穣や獣害避けであり、都市部においては火難・盗賊避けなどでした。19世紀以降には憑き物落としの霊験もある、といわれるようになりました。
こうした眷属信仰は江戸時代中期に成立したものですが、幕末には1858年(安政5年)にコレラが大流行し、コレラは外国人により持ち込まれた悪病であると考えられ、憑き物落としの霊験を求め、こうしたオオカミのような眷属信仰はさらに興隆しました。
しかし、そのため憑き物落としの呪具として狼の遺骸が用いられるようになると、猟師の中には、人目を憚りながら、狼を狩る者も出てきました。
また同時期に流行した狂犬病やジステンパーの拡大によって狼自体が危険なものとみなされるようになりました。こうした疫病の蔓延によりオオカミの捕殺・駆除が進んだ結果、日本における狼の固有種、ニホンオオカミはついに絶滅に至りました。
ニホンオオカミは1905年に奈良県東吉野村鷲家口(わしかぐち)にて捕獲された若いオスの個体を最後に目撃例がなく、絶滅したと考えられています。また北海道および樺太・千島に生息していたニホンオオカミの大型の亜種、エゾオオカミも1900年ごろまでに絶滅したと見られています。
このエゾオオカミは、大きさはシェパードほどで、褐色の毛色だったとされています。アイヌの人々とは共存していましたが、明治以降、入植者により毛皮や肉目的で獲物のエゾシカが取りつくされ、入植者のつれてきた牛馬などの家畜を襲ったために害獣とされました。
このため、懸賞金まで懸けられ、徹底的な駆除により数が激減した上、ニホンオオカミと同じく、ジステンパーなどの飼い犬から移された病気の影響で絶滅に至ったとされます。
こうして、日本ではオオカミはいなくなりましたが、現在のアニメや漫画、絵本では、オオカミはしばしば登場し、時には人気者です。我々の世代には懐かしい、アニメ「狼少年ケン」は、オオカミに育てられた少年が主人公ですし、最近では、「もののけ姫」に登場する山犬の神様は、オオカミ一族の出だとされます。
また、同じくアニメ映画としては、「おおかみこどもの雨と雪」「あらしのよるに」がヒットしたことなども記憶に新しいところであり、オオカミが登場する童話としても、「三匹の子豚」、グリム童話の「狼と七匹の子山羊」、「赤ずきん」は著名作品です。
さらには、日本だけでなく、世界中で愛されているペット、「イヌ」の祖先はオオカミとする説が一般的です。長い人間の歴史の中で、オオカミを家畜化(=馴化)し、人間の好む性質を持つ個体を人為的選択することで、イヌという動物が成立したと考えられています。
その昔は、遺伝子工学などの研究はあまり進んでおらず、かつてはイヌは、オオカミと、ディンゴやジャッカル、コヨーテなどの交雑種であるとする説もあり、またイヌの祖先として、すでに絶滅したパリア犬や、オーストラリアに現生するディンゴのような「野生犬」の存在を仮定する説などがありました。
しかし、2000年代までの分子系統学・動物行動学など生物学緒分野の発展は、オオカミ以外のイヌ属動物の遺伝子の関与は小さく、イヌの祖先はオオカミであるという説はほぼ定説になっているようです。
ところで、イヌとよく対比される、ネコは、生物学的な大分類においては、イヌと同じ「食肉目」に分類されており、この食肉目は、俗称「ネコ目」と呼ばれています。
エッ?イヌとネコは同じ仲間!?ということなのですが、「ネコ目」というのは、一般名称であって、「真獣類のうちで、肉を裂くためのハサミ状の頬歯である裂肉歯(れつにくし)を1対もつもの(およびその子孫)」のグループと定義されています。
真獣類とは、ヒトを含む哺乳類全般の生物のことです。また裂肉歯は、多くの肉食哺乳類において見られる肉や骨をはさみのように剪断する歯のことです。
哺乳類ということは、海の生物も含まれます。このネコ目には、海生のグループもあって、これはいわゆる鰭脚類(ききゃくるい)と呼ばれるものであり、アザラシやラッコ、アシカやオットセイといった類です。ただ、今日ではその食性もあって彼等の裂肉歯は失われています。
いずれにせよ、ネコ目に属するほとんどすべての動物が肉食であり、イヌとネコが同じ種類というのは本当です。ただし、哺乳類とか魚類とかいったかなり上位の大々分類において同じ、といっているだけであり、ご存知のとおり、ネコとイヌは全く性質の違うものです。
生物学的にみれば、ネコ目の下には、ネコ亜目、イヌ亜目がそれぞれあって、ネコ目の二代双璧をなしています。これに海生生物のグループの鰭脚類が加わりますが、海のものなので、より違って見えます。
しかしこれら三者の先祖は同じです。鰭脚類には足がないように見えますが、四肢が鰭(ひれ)状に変化しているだけです。従って彼等も海で生活する前は、イヌやネコのような四足がありました。
これら四足のネコ目の祖先は、ミアキスと呼ばれる種類の哺乳動物です。約6,500万前~4,800万年前に生息した小型捕食者で、ここから、イヌやネコの陸生のグループおよび、アシカなどの海生のグループが分化しました。
陸生のグループが、イヌとネコに別れたのは、だいたい4000年前位のようで、イヌの場合、3800万年前のヘスペロキオンを経て、約1500万年前には北米にトマークスが出現し、これが、10属35種あるイヌ科の直接の祖先であると考えられています。
この10属の中にオオカミなどの他のイヌ科動物が含まれており、これらとイヌ属、すなわち現在我々がペットとして飼っているイヌの先祖の分岐が始まったのは、だいたい700万年前であると見積もられているようです。
が、分岐した、といってもある日突然イヌとオオカミに別れた、というわけではなく、お互いその類似性を保ちながら、一方は野生に生きる生物として、またもう片方は人間に寄りそう動物として徐々に進化・変形し、現在に至った、ということです。なので、700万年という数字はあくまで生物学上の分類の目安にすぎません。
おそらくは獰猛なオオカミが人間の食べ物を狙って次第にその近くに生息域を移すようになっていったのち、人間のほうがこれを手なづけ、性格のやさしいものを選んで交配させる、といったことを繰り返し、長い間に現在のイヌようなパートナーとして相応しい種にしていったのでしょう。
イヌは最も古くに家畜化された動物ともいわれています。1万2千年ほど前の狩猟採集民の遺体が、イヌとともにイスラエルで発見されています。20世紀末ごろから急速に発達した、近年の分子系統学的研究では1万5000年ほど前にオオカミから完全分離したと推定されています。
この人間と暮らし始めた最も古い動物であるイヌは、その後ヒトの民族文化や表現の中に登場することが多くなっていきました。古代メソポタミアや古代ギリシアでは彫刻や壷に飼いイヌが描かれており、古代エジプトでは犬は死を司る存在とされ(アヌビス神)、飼い犬が死ぬと埋葬されていました。
メソポタミア文明は紀元3500年以上前の文明、古代エジプト文明も紀元3000年以上前の文明ですから、イヌがパートナーとして人間と苦楽をともにしてきた歴史は、5000~5600年、あるいはそれ以上ということになります。
一方のネコのほうも、ネコ目の陸生グループから4000万年前位に分化し、18属37種ができました。が、こちらはさら大型ネコと小型ネコに分かれ、大型ネコにはよく知られる猛獣のライオン、トラ、ヒョウ、ジャガー、チーターなどが含まれます。小型ネコにはオオヤマネコ、ピューマ、ボブキャットなどがいます。
生物の形から、その先祖を分析する「形態学的分析」を主とする伝統的な生物学的知見では、昔からその先祖は「リビアヤマネコ」ではないか、とされてきました。
この説に対しては色々な反論があったようですが、イヌの先祖がオオカミであることが確認されたのと同様、20世紀後半から急速に発展した分子系統学によって、現在ではネコもその先祖がこのリビアヤマネコである、とする従来説が正しいとされるようになりました。
人間にとってもっとも身近な種であるイエネコが人間に飼われ始めたのは、イヌよりもさらに古く、約10000年前からとされています。初めて人に飼われたネコから現在のイエネコに直接血統が連続しているかは不明確ですが、最古の飼育例は、キプロス島の約9,500年前の遺跡から見出されるそうです。
人との付き合いはイヌ以上に長いことになりますが、ただ、愛玩用家畜として扱われるようになった時期は、イヌよりも遅いようです。これは家畜化の経緯の相違によります。
イヌは狩猟採集民に猟犬や番犬として必要とされ、早くから人の社会に組み込まれましたが、ネコは、農耕の開始に伴い鼠害(ネズミの害)が深刻にならない限り有用性がありませんでした。
むしろ狩猟者としては競合相手ですらありました。その競合的捕食動物が人のパートナーとなり得たのは、穀物という「一定期間の保管を要する財産」を人類が保有するようになり、この食害を受けやすい財産の番人としてのネコの役割が登場したことによります。
また、伝染病を媒介する鼠を駆除することは、結果的に疫病の予防にもなりました。さらに、記録媒体として紙など食害されやすい材料が現れると、これを守ることも期待されました。
農耕が開始され集落が出現した時期の中東周辺で、山野でネズミやノウサギを追っていたネコがネズミが数多く集まる穀物の貯蔵場所に現れ、これを便利だからと、人が棲みつくのを許容したのが始まりと考えられています。
この最初に現れたネコこそが、リビアヤマネコです。その生息地とヒトの農耕文化圏が重なった地域で、こうしたことが頻繁に起こるようになり、リビアヤマネコをご先祖さまとするイエネコは増えていきました。
ネコにすれば住処と食べ物が両方手に入ったわけです。一方、人間にとっては、穀物には手を出さず、それを食害する害獣、害虫のみを捕食することから、双方の利益が一致。穀物を守るネコは益獣として大切にされるようになり、やがて家畜化に繋がっていきました。
これに対してイヌはネコのように生活の上でのパートナーとして出発したのではなく、紀元前当初は神様として、神聖なものとされていました。が、時代が下がると、ユダヤ教では犬の地位が下り、ブタとともに不浄の動物とされることもありました。
イスラム教でも邪悪な生き物とされるようになったため、現在においてもイスラム圏では牧羊犬以外にイヌが飼われることは少ないようです。
しかし、欧米諸国では人間にとってなくてはならない労働力であり、狩猟、番犬、犬ぞり、等として様々に利用されました。また、現在では一部の国(中国を含む)以外ではあり得ませんが、食糧が豊富でなかった時代には、祭りでの生贄やご馳走としても使われました。
欧米諸国では、古代から狩猟の盛んな文化圏のため、猟犬としての犬との共存に長い歴史があります。今日では特に英国と米国、ドイツなどに愛犬家が多いようです。現在でも世界中で多くの犬が家族同然に人々に飼われているのは、こうした欧米の強国の文化を引き継いだ国のほうが多いためです。
中世ヨーロッパの時代より、宗教的迷信により、魔女の手先(使い魔)として忌み嫌われ虐待・虐殺されたネコに対し、犬は邪悪なものから人々を守るとされ、総じて待遇は良かった、という歴史を持ちます。
また、ヨーロッパ人に「発見」される前のアメリカ大陸でも、犬は唯一とも言える家畜であり、非常に重要な存在でした。白人によって弾圧されたインディアン諸部族の中で、シャイアン族の徹底抗戦を選んだ者たちは、ドッグ・ソルジャー(犬の戦士団)という組織を作り、白人たちと戦いました。
さらに、アジアにおいても、古代中国などでは境界を守るための生贄など、呪術や儀式にも利用されていました。中央アジアの遊牧民の間では、家畜の見張りや誘導を行うのに欠かせない犬は、大切にされました。
日本でも古くから軍用犬として使われてきた歴史があります。江戸時代に将軍綱吉が出した、生類憐みの令以降は、とくに保護される傾向が強くなり、明治に入ってからは西洋の文物ももたらされ洋犬を飼う習慣が流行したために、柴犬などの和犬に加えて爆発的に種類が増えました。現在においては、5世帯に1世帯がイヌを飼っているといわれています。
ただ、イヌは愛玩動物として飼育されている数が多い分、近年では人間による虐待、虐殺により、命を落とすものや、捨て犬として不法に遺棄されるもの、あるいは飼い主やその家族の身勝手無責任な理由によって保健所に送られるものも少なくありません。
日本では、例年、実に数多くのイヌや、イヌだけでなく多数のネコたちもが、全国の保健所施設で殺処分されています。その数は、イヌだけで毎年9万頭近くにのぼるといい、子供のころには可愛かったのに、大人になるとうるさく鳴くから、といった理由で邪魔にする、というケースなどが後を絶ちません。
飼い主に最後まで責任を持って飼育させる、という教育や、動物愛護に関する啓蒙活動が足りないのではないか、と欧米からは指摘されているようです。
イギリスでは、「子供が生まれたら犬を飼いなさい。子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。子供が少年期の時、子供の良き理解者となるでしょう。そして子供が青年になった時、自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう。」という諺があるそうです。
イヌを飼っているご家庭では、今宵の満月みながら、そのイヌの先祖である、オオカミに思いをはせるとともに、多くの愛情を与えてくれている、そのワンちゃんに感謝してみてはいかがでしょうか。
ただし、かわいいからといって、けっして月に向かって遠吠えをさせないように。ご近所迷惑ですから……