今日は、「レモン記念日」だそうです。
1938年のこの日に、彫刻家で詩人の高村光太郎の妻・智恵子が亡くなり、亡くなる数時間前に彼女がレモンをかじる姿を光太郎がうたった、「レモン哀歌」にちなんでいます。
「そんなにもあなたはレモンを待ってゐた・・・私の手からとつた一つのレモンをあなたのきれいな歯ががりりと噛んだ 」という有名な詩で、その後出版された光太郎の詩集、「智恵子抄」の中に収められています。
これに続いて、「トパアズいろの香気が立つ その数滴の天のものなるレモンの汁はぱつとあなたの意識を正常にした あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ」と続きます。
統合失調症、つまり昔よく言われていた精神病に罹っていた彼女は、最後にこうして正気に返り、その直後に51歳という若さで亡くなりました。
光太郎と同じく芸術家だった彼女は、夫の彫刻家としての仕事を優先し、画家になるという自分の夢をあきらめた、というのは有名な話です。
しかし、夫の彫刻もまるで売れず、結婚後は、金銭的に苦しい窮乏生活を送っていましたが、32のとき、実家の酒屋、長沼家が破産したあと、一家離散するなどしたために心を痛めました。また、結婚以前から病弱(湿性肋膜炎)であったこともあり、このころから統合失調症の兆候が現れるようになりました。
その後長らく療養生活を送っていましたが、46歳のとき、大量の睡眠薬を飲み自殺を図ります。しかし、これは未遂に終わり、3年後にその一生の最後の地となる東京・品川にあった、ゼームス坂病院に入院しました。
この病院では、その病状は多少の改善を見せ、彼女はかつての絵画に代えて、多数の切り絵(紙絵)を創作するようになりました。これは、時折見舞いに訪れる光太郎を驚かすとともに、喜ばせたといいます。しかし、1938年10月5日、ついに粟粒性肺結核のため亡くなりました。
その最後のときを、光太郎は、上述のレモン哀歌でこう書いています。
「それからひと時 昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして あなたの機関ははそれなり止まつた」
また、その後しばらく時を経た心情をも綴っており、「写真の前に挿した桜の花かげに すずしく光つレモンを今日も置かう」とも書いています。
たしかに、レモンの酸味や香りは非常に印象的であり、最後に智恵子ががりりと噛んだその端からレモン汁が飛び散った様子などを光太郎は鮮やかに記憶していたのでしょう。この詩を創るにあたっても、最愛の亡き妻を表すシンボルとしてぴったりだと思ったにちがいありません。
このレモンという果実ですが、この実がなる木の原産地はインド北部のヒマラヤで、樹高は3mほどにもなります。ミカン科ミカン属の常緑低木で、この手の柑橘系の木によく見られるように、枝には棘があります。紫色の蕾を付けますが、咲いた花は白が多いものの、ピンクのものもあります。
果実はご存知のとおり、ラグビーボール形で、先端に乳頭と呼ばれる突起があるのが特徴です。レモンは柑橘類の中では四季咲き性の強い品種であり、鉢植え・露地植えのいずれでも栽培が可能ですが、早期の収穫を目指す場合は鉢植えの方が早く開花結実するそうです。
棘のない種類もあるようですが、日本では棘有りのリスボン種とユーレカ種と呼ばれる種類を栽培する農家が多いようです。国内での生産量1位は、広島県であり、尾道市の瀬戸田町など島嶼部での栽培が多く、「瀬戸内・広島レモン」として、全国に出荷されています。
広島県だけで国内生産シェアの51%を有しますが、ついで生産量が多いのは愛媛県であり、両県だけで日本国内におけるレモン生産量の74%を占めています。
しかし、輸入ものも多く流通しており、主な輸入国はアメリカ合衆国です。このほかチリからも輸入しており、この2国からの輸入が97%を占めます。チリは南半球にあるため、日本の農家が栽培できない冬場にチリ産のレモンの輸入量が増えるようです。
その果汁は独特で、砂糖と合わせるとさわやかで甘酸っぱい味となり、製菓材料としても好まれます。ジュースやレモネード、レモンスカッシュなどの清涼飲料水に加工したり、レモンゼリーやレモンタルト、レモンメレンゲ・パイなど、レモンを使用した菓子は数多く存在します。
また、レモンに含まれるビタミンCは、人間の体にとっては必要不可欠なものです。ビタミンCを含まない食事を約60 ~90日間続けた場合、体内のビタミンCの蓄積総量が300 mg以下になり、出血性の障害をもたらす「壊血病」を発症すると言われています。
出血性の障害が体内の各器官で生じる病気で、脱力感を感じたり、体重減少、鈍痛に加え、皮膚や粘膜、歯肉の出血およびそれに伴う歯の脱落、変化があります。また、感染への抵抗力が減少し、古傷が開くキズが治りにくくなるほか、貧血になる、といった症状にも見舞われます。
1日に2.5mgのビタミンCしか摂取しない期間が約3年間続くと老化が速く進行し、死亡する人が出てくる可能性もあるそうです。同じビタミンでも、ビタミンB1が欠乏すると、いわゆる脚気(かっけ)になることも知られており、これもビタミン欠乏症の一つです。こちらも心不全と末梢神経障害をきたして死に至る場合もあります。
このビタミンCを人間は自分の体の中では生成できません。ヒトを含むサル目の一部やモルモットなどだけであり、その必要量をすべて食事などによって外部から摂取する必要があります。かつては人類も体内でビタミンCを生成できたそうですが、進化の過程でその機能を失いました。
ビタミンC合成能力を失ったにもかかわらず継続的に生存し得た最大の理由は、果物、野菜等のビタミンCを豊富に含む食餌を日常的に得られる環境にあったためです。なお、鳥類は現在でもビタミンCの合成能力があるそうで、キツネザルなどの一部の哺乳類でもビタミンC合成能力があるそうです。
レモンはこのビタミンCを大量に含んでいることはよく知られており、農林水産省はかつて「ビタミンC含有菓子の品質表示ガイドライン」によって定めていました。しかし、このガイドラインはなぜか2008年に廃止されており、このため各メーカーとも、「レモン何個分のビタミンC含有」などと、結構いいかげんな表示をしているようです。
が、過剰摂取したからといって体に悪いわけではなく、体内で吸収されなかった余剰のビタミンCは尿中に排出されます。しかし、数グラムレベルで一度に大量摂取すると、下痢を起こす可能性があるそうなので、注意が必要です。
逆に、ビタミンCが足りないほうが大きな問題であり、このため、その昔は壊血病対策として船にレモンを積み込むことが盛んに行われていました。
16世紀から18世紀の大航海時代には、壊血病の原因が分からなかったため、海賊以上に恐れられていました。ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見の航海においては、180人の船員のうち100人がこの病気にかかって死亡しています。
1753年にイギリス海軍省のジェームズ・リンドは、食事環境が比較的良好な高級船員の発症者が少ないことに着目し、新鮮な野菜や果物、特にミカンやレモンを摂ることによってこの病気の予防が出来ることを見出しました。
その成果を受けて、1768~ 1771年のキャプテン・クックの南太平洋探検の第一回航海では、ザワークラウトや果物の摂取に努めたことにより、史上初めて壊血病による死者を出さずに世界周航が成し遂げられました。
ザワークラウト(Sauerkraut)は、ご存知の方も多いでしょうが、ドイツ発祥のキャベツの漬物で、いわゆる「すっぱいキャベツ」です。この酸味は乳酸発酵によるものであり、しんなりとしたキャベツの食感も熱を加えたものではありません。このため、大量のビタミンCが残ります。
当時の航海では新鮮な柑橘類を常に入手することが困難だったことから、ザワークラウトに目が付けられたわけですが、このほかにもイギリス海軍省の傷病委員会は、抗壊血病薬として麦汁、ポータブルスープ、濃縮オレンジジュースなどをクックに支給していました。
ところが、これらのほとんどは、今日ではまったく効果がないことが明らかになっています。
たとえば、濃縮オレンジジュースは加熱されることによって、ビタミンCの多くを失います。レモンも同様であり、加熱すると空気中の酸素や水分との反応が促進されて分解しやすくなります。このため、近年では、レモン果汁100%の加熱型濃縮還元ジュースでは、超音波による果汁濃縮が主流となっています。
超音波加湿器と同じ原理であり、果汁液の水分のみを飛ばすことによって果汁を濃縮するシステムです。加熱式にくらべ、エネルギー効率が良く、工場の冷房費用もかからないため主流となったようです。しかし、この方式でも加熱殺菌は行われるため、やはりビタミンCは壊れてしまいます。
そのため高栄養価を謳う野菜ジュースは別途、合成抽出したビタミン類などが添加されている場合も多いようです。
このように、クックが持って行った多くの食材に含まれるビタミンCも、熱を加えることによってほとんど壊れており、結局、おもにザワークラウト以外のものはほとんど役に立ちませんでした。
にもかかわらず、クックはこの航海からの帰還後に、麦汁なども壊血病に効くとして推薦したりしたものですから、その後も長期航海における壊血病の根絶はなかなか進みませんでした。
1920年になってようやく、イギリスの生化学者、ジャック・ドラモンドがオレンジ果汁から抗壊血病の予防となる因子を抽出に成功し、これをビタミンCと呼ぶことを提案しました。 また、1933年には、ポーランドの化学者、タデウシュ・ライヒスタインが、世界で初めて、有機合成によるビタミンCの合成に成功しました。
この功績だけではなく、その後ライヒスタインは、副腎皮質ホルモンに関する研究などにより、ノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
レモンのその他の利用方法としては、レモンの葉っぱは調味料として用いられることがあり、中国の広東料理の蛇スープでは定番の薬味となっています。また、レモンには大量のクエン酸(4%から8%)が含まれており、これを利用して水垢や汚れを落とすことができます。このため、家庭内で掃除に用いられることがあるようです。
さらに、このクエン酸の効果により、リンゴなどの切り口が褐色に変色しやすいものにレモン汁をかければ、変色を抑えることができます。酸性が強く、またビタミンCを多く含むことから美白、美顔用の材料にも用いられることがあります。
が、実はその効果は科学的には証明されていないそうで、むしろ、皮膚炎を起こすリスクもあるといいますからこちらも注意が必要です。
そのほか、レモンの皮にはリモネンという成分が含まれており、天然物由来の溶剤としてよく利用されています。具体的には、油汚れを落とすための洗浄剤や、ガム剥がし用の溶剤の成分として使用されるほか、発泡スチロールをよく溶かすため、発泡スチロールのリサイクルに利用されています。
意外なことに、レモンからは油もとれます。果皮を低温圧搾、または水蒸気蒸留することで精油を抽出することができ、これを湿布薬や、咳止め薬の成分として利用します。また、この精油は、ほかに香料として使える可能性があります。
しかし、抽出法によって成分組成は異なるそうで、低温圧搾法で得られる精油の香りは、非常に短時間しか持続しないという欠点があるようです。このため、この精油から「テルピン油」の素材となる「テルペン」という物質を取り除く、という二重の操作を加えたものはある程度長持ちすることがわかっています。
これは「レモン油」として販売もされており、食品、飲料に香料として添加されています。しかし、毒素が含まれている場合があるので、皮膚への使用は推奨されません。ただ、香りだけ楽しむのなら有害作用はなく、リラックス作用があることが脳波の計測などによって示されています。
その芳香は目を覚ますほどのきついものですが、慣れると虜になってしまうような魅力があります。またその味わいも、酸味の中のほのかな甘みがあり、こちらのほうでもとりこになってしまう人も多いようです。
このため、レモンといえば、恋愛、とくに初恋と関連づけられることが多いものです。「ファーストキスはレモンの味」という表現は現在では古臭いといわれてしまいそうですが、実際、そうしたレモンの味に淡い初恋感を感じてしまう人は多いでしょう。
フレッシュなイメージがあるため、「ザ・テレビジョン」という雑誌では、その表紙に登場する人物が必ずレモンを持たせているそうです。レモンの花言葉は、花言葉は、「心からの思慕」「香気」「誠実な愛」「熱意」などだそうで、まさに若さや幼い恋の象徴です。
ところが、レモンにこうしたいい印象を持っているのは、日本だけのようで、英語圏ではむしろイメージは悪く、一般には、「無価値」、「不完全」を示す言葉になっています。
アメリカでは、レモンといえば、中古車、というイメージを持つ人が多く、「レモンカー」といえば中古車を示すスラングです。
こうした中古車の市場においてはよく、「情報の非対称性」ということがいわれます。これは、例えば、「売り手」と「買い手」の間において、「売り手」のみが専門知識と情報を有し、「買い手」はそれを知らないというように、双方で情報と知識の共有ができていない状態のことを指す経済用語です。
ある市場において、それを売ったり買ったりする各取引団体が持っている情報に差がある場合、いわゆる、売り手市場や、書い手市場といった不均衡が生まれます。つまり、情報の非対称性があるときには、一方に不利益がもたらされることもあり、中古車市場では、一般にクルマの知識に乏しい買い手が不利、とはよく言われることです。
アメリカでは、中古車市場のことを、「レモン市場」ともいうそうで、これはつまり、売られている中古車は玉石混淆だ、ということです。よく知らないままに、セールスマンに騙されて買ったレモンは、実は腐っていた、ということもあるわけです。
調べてみると、この「レモン市場」という言葉は、その昔、フォルクスワーゲンのビートルがアメリカで販売されたときの、意見広告から派生した言葉のようです。このときの、広告写真には、大きなVWビートルの写真が掲げられ、その下にはこうした意味のことが書かれていました。
「我々は粗悪なレモン(低品質な車のこと)を摘む。そしてあなた方消費者は、プラム(梅)を得るだろう。」
レモンというのは、収穫したときには大きさも不揃いなものが多く、また痛んでしまうことも多いため、出荷のためには品質の良いものの選別作業が欠かせません。これに対してプラムは小粒ながらも大きさのそろっているものが多く、一般に痛みもそう多くありません。
つまり、この当時の粗悪な品質のアメリカ車を揶揄し、これをつまんで捨てる代わりにより小粒で品質の整った梅を選ぶ、すなわちアメ車よりも性能の良いドイツ車を買うことを勧めた広告であったわけです。
この広告は評判を呼び、その後アメリカでのVWビートルの売り上げは爆発的に増えたそうです。アメリカだけでなく、その他の国へもこのビートルは多数輸出され、1950年代から1970年代にかけて大きな成功を収め、おびただしい外貨獲得によって、戦後の西ドイツ経済の復興に大きく貢献しました。
そして、その後世界に冠たる自動車メーカーにのしあがりましたが、そこへ今回の不正問題です。
米環境保護局(EPA)はフォルクスワーゲンが排ガス規制逃れのために一部ディーゼルエンジン車に違法ソフトウエアを搭載していたと告発し、意図的に規制当局を欺こうとしていたとみており、2兆円以上の罰金を科される可能性もあるといいます。
売り物にしてきた「クリーン」なブランドイメージを裏切ったVWは高い代償を支払う形になったわけであり、自らがかつて意見広告したように、自社製品もまた「レモンカー」であることがバレてしまったわけです。
かつて、このVWと提携を目指していて、この事件発覚直前に提携を解消していた、日本の自動車メーカー、スズキは、これを「神回避」した、とネット上で大きな話題となっているそうです。
もともとスズキの軽自動車のノウハウと、VWのディーゼルエンジン技術の技術交換による提携とも言われていたそうです。結局のところVWから技術の提供が行われなかったことが提携解消の裏側にあったと言われているようですが、実はクリーンディーゼル技術が嘘だったため提供することができなかったのが正直なところでは?との噂もあるそうです。
日本国内では軽自動車の好調を支え、リードしてきたスズキですが、もしVWグループ傘下に残っていた場合、売却など多かれ少なかれダメージを負っていたのは確実です。VWの大量のスズキ株を取り戻したタイミングといい、まさに危機一髪の神回避といえるでしょう。
願わくば、VWのようなレモンカーが生まれるような芽を今後とも摘んでいただき、今後もプラムのような素晴らしい車を作り続けていただきたい、とも思う次第です。
ちなみに、梅の花言葉は、「高潔」「忠実」「忍耐」だそうです。自動車界にあって孤高の旅を続ける、スズキにぴったりのイメージではないでしょうか。