オシリスとセト

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星のきれいな季節になってきました。

「参宿」といっても何のことかわからないと思いますが、これは古代中国でのオリオン座の呼称です。

が、この中国の星座には、現在のオリオン座に含まれる7つの星以外にも、うさぎ座、はと座などの星々が含まれており、このように星座の範囲の定義はそれぞれの国によって違います。

現在我々がオリオン座(Orion)としているものは、ギリシャ神話における登場人物オリオンを題材とした星座です。中央に三つ星が並んでいるのがオリオンのベルトの部分であり、これを中心として上下左右に星々が展開します。

ベルトのラインの左上にあるのが最も明るいα星、ベテルギウスであり、このベテルギウスと、おおいぬ座のα星シリウス、こいぬ座のα星プロキオンとともに、冬の大三角を形成します。

また、オリオン座の右下にあるのが、β星のリゲルで、ベテルギウスほどは明るくないものの同じ1等星です。全天で21しかない1等星のなかのふたつもが、このオリオン座に含まれていることになります。秋から冬にかけてはもっとも目立つ星座といえます。

ベテルギウスは、赤い色をした星で、またリゲルは青白い光を放っており、対照的であることも目を引きます。実は、ベテルギウスの和名は「平家星」とされており、一方のリゲルは「源氏星」だそうです。つまり、赤と白の対比です。

岐阜県における方言が元となっているといわれており、ベテルギウスの赤色を平家の赤旗、リゲルの白色を源氏の白旗になぞらえたと解釈されています。そして、この源平それぞれを代表する色が日本の国旗を形成しているわけであり、オリオン座は日本のための星座といってもいいくらいです。

また、オリオン座の三ッ星は、毛利氏の家紋である「一文字に三つ星」の由来になっているともいわれています。「三本の矢」の逸話が有名なので、それを図案化したのだと思っている人が多いと思いますが違います。

元々は、中国では、この三ッ星を「三武」と呼び、将軍星と呼ばれて武人の象徴として信仰していました。

毛利氏の遠祖にあたる平城天皇の皇子、阿保親王のご落胤といわれる大江音人(おとんど)は、一品(いっぽん)親王と呼ばれていました。これにちなんで、その後胤にあたる毛利氏が一品の字を図案化し、これにこの三武の三つ星紋を加えて家紋として使うようになったものと伝えられています。

日本ではこのほか、この三つ星はそれぞれ、表筒男命、中筒男命、底筒男命という住吉三神とされることがあります。ご存知のとおり、海の神、航海の神であり、住吉三神を祀る神社は住吉神社という社名で、日本全国に約600社もあります。また、沖縄では、「黄金三星」(こがねみつぼし、クガニミチブシ)と呼び、こちらも神が住む星とされています。

ギリシャ神話では、巨人オリオン座が、「この世に自分が倒せない獲物はいない」と驕ったため、地中から現れたさそりに毒針で刺し殺され、さそりはともに天にあげられ星座となった、とされています。が、ギリシャ以外では、オリオン座の真ん中にある、三ッ星だけをとりあげて神話を作り上げている国が多いようです。

上述の中国の「参宿」の「参」も三ッ星のことであり、「宿」というのは星座です。つまり「三ッ星を持つ星座」、というほどの意味になります。

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古代エジプトでも、三ツ星とその南側のオリオン大星雲などの星々の一群を「サフ」と呼び、オシリスと同一視しました。

オシリスというのは、「生産の神」であり、太古にはエジプトの王として同国に君臨し、「トート」と呼ばれる知恵を司る神の手助けを受けながら、民に小麦の栽培法やパン及びワインの作り方を教えました。また人間界の法律を作って広めることにより人々の絶大な支持を得ていた、といわれています。

このオシリスには、セトという弟がいました。セトは、エジプトの民に大人気の兄をねたんでおり、ある日、オシリスが館を留守にしている間に72名の廷臣達と暗殺の謀り事を企みました。

その謀りごととは、彼らが住まうビブロス宮殿における催しを利用しようというものでした。大工たちに「木棺」を作らせ、これにピッタリと体が入った者に褒美を贈るというイベントをやろう、というものでしたが、実は、この木棺はオシリスの体に合わせてセトらが作らせた物でした。

こうしてお祭りごとが始まり、その宴のクライマックスで、この余興が始まりました。次々と臣民たちが木棺に入っていきますが、彼等の多くは棺よりも体が大きすぎたり、また逆に小さすぎてなかなかピタリと棺に合う体を持つものが現れません。

ところが、終盤になって、何も知らないオシリスがこの棺に入ったところ、なんとピッタリと治まりました。そのあまりのフィットネス感に酔いしれたオシリスは、棺の中に気持ちよく横たわっていましたが、そこへすかさずセトに命じられた廷臣が、蓋をかぶせてしまいました。

そして、その隙間からは鉛が流し込まれ、オシリスは葬られてしまいます。棺はさらにナイル川に流されることとなりました。

こうして殺された王の死を知った、オシリスの妻であり妹でもあるイシスは悲しむとともに、復讐を誓います。イシスは、献身的な母や妻でありましたが、実は、父である太陽神「ラー」の資質を受け継ぐ魔女でもあり、その魔力を用いて復讐を果たそうとします。

ナイル川に流されたオシリスの棺ですが、その後流れ着いた場所で何も知らない民によって加工され、そのまま柱材として、ビブロス宮殿に運び込まれていました。これを知ったイシスは、セトの王妃の乳母に化け、宮殿に潜入し、柱となっていた棺を探し当てて見つけました。

そして、イシスは世話していた王妃の子供を炎の中に投げ入れ、自身はツバメに変身して柱の周りを飛び回って魔法をかけ、ただの一本の木片にしました。赤子の母親である王妃は泣き叫びましたが、これを尻目に、イシスはツバメの姿のまま木片を咥えて宮殿から持ち出し、秘密の場所に隠しました。

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王妃からこれを聞いたセトは、オシリスを流したナイルの川筋を辿ってそれが柱材として加工されたことを知り、計らずも自分の宮殿に戻ってきていたことを知り、驚きます。運び出されたものが実は自分が殺した兄であったことを知ったセトは、その後執念で棺を探し回りました。

その結果、森のはずれの洞穴の中にあった柱を見つけ、中にあった遺体ごと、今度こそは誰にもみつからないようにと、今度はこれを14の部分に切断し、砂漠にばらまいてしまいます。

これを知ったイシスは、またしても魔力で破片となった夫の体を探し出します。そして、繋ぎ合わせて復活させようとしました。

現在のエジプトの首都、カイロの南にあった、オクシリンコスという町にオシリスの断片を持ち込み、ここで自分の魔法を駆使した結果、なんとかオシリスの体を繋ぎ合わせることに成功しました。ところが、切断された体のうちの男根だけは、魚に飲み込まれていて失われていました。

このため、オシリスは復活を果たしたものの、不完全な体だったため現世には留まることができず、その後は「冥界の王」として蘇ることとなりました。

さて、そのころ宮殿では、別の復讐劇が進行していました。セトに殺されたオシリスとイシスの間には、ホルスという息子がいました。ホルスもまた、父を亡き者にしたこの叔父にあたるセトに対して強い憎悪の念を抱いており、復讐を決意していました。

やがて長じたホルスは父にも負けないほど聡明な青年となり、多くの廷臣たちの支持を得て宮廷内ではセトの強力なライバルとなっていきました。二人はやがてオシリスの後継の座を巡って熾烈な抗争を始めましたが、最終的には正当な後継者はどちらなのか、神々の間で評定を開いてもらおう、ということになりました。

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ところが、神々の筆頭である太陽神のラーは、実は娘のイシスとは不仲でした。イシスには、シューとテフヌトという兄がいましたが、あるとき二人が旅に出てなかなか帰って来ませんでした。ラーは彼らのことを大変心配しましたが、ようやく無事に二人が帰ってきたのを見て涙を流し、その涙から最初の人間が生まれたといわれています。

ところが、この人間たちはやがて自分を敬わないようになったため、ラーは今度は彼らを滅ぼうとしました。そのために、ライオンの頭を持つセクメトという怪女を送り込もうとしますが、このころまだ健在だったオシリスはラーが創り出した人間が大好きでした。このため、血に似せて造らせた赤いビールで彼女を酔わせ、殺戮を止めさせました。

ラーはこれを知って怒り、オシリスを罰しようとしました。ところが、妻のイシスがこれを知り、オシリスの垂らした唾液でこねた泥団子で毒蛇を創りました。そして蛇をラーの寝所に潜ませたため、ラーは毒蛇に噛まれてしまいました。

猛毒にもだえ苦しむラーは、その痛みに耐えかねて毒を解除してもらうことと引き換えに、自分自身を支配できる彼自身の本当の名前をイシスに教えました。

イシスはその名をオシリスの腹心である、トートに教え、これにより彼は「知恵司る神」となることができました。こうして、オシリスはトートを補佐役として、人間界に知恵をもたらす万能の王となることができたわけです。

こうした経緯があったことから、ラーは娘のイシスを嫌っており、このため、亡きオシリスの後継を決める神々の会議においても、イシスの息子のホルスに肩入れすることはなく、その政敵セトを支持していました。

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そこでイシスは老婆に化け、評定が行わる予定地であるナイル川の中の島への渡し守・アンティという女に、金の指輪を与えて騙し、島へ乗り込みました。

ここでイシスは今度は若い女性に化けました。そして、女好きのセトに近づき、色仕掛けで、こうささやきます。「神々の会議が始まったとき、”父の財産は息子が継ぐべきで、その財産を奪う者は追放すべきだ”と発言すれば、神たちは、あなたの寛容さに打たれてオシリスの正当な後継者として認めるでしょう。」

この計略にひっかかったセトは、翌日の会議の中で、わざわざ自らの正当性を否定させる発言を行ってしまいます。この結果、オシリスの後継者はホルスと決まりました。神々が自分の寛大なことばに心打たれると思っていた彼は、ここではじめて女の計略だったと知ります。そして怒り狂い、誰が女を中の島に導いたかを探し回りました。

その結果、手引きをしたのがアンティだとわかると、彼女の踵の皮を剥ぎ、二度とサンダルを履けなくしました。この結果、アンティはイシスから貰った金を呪うようになり、彼女の属する町ではその後、金は忌むべき物となったといわれています。

権力を奪われたセトは、さらに巨大な豚に姿を変えてホルスを襲おうとしました。ところが、神々の会議の場というのは、神聖な場所とされており、そこにブタが現れたのを見て、審判長であるラーは激怒しました。

そして、「豚は未来永劫、忌まわしい動物とせよ!」と叫びました。これがのちの世でイスラム教においてブタが禁忌とされるようになった理由のひとつといわれています。

ラーの怒りを買ったセトは元の体に戻りましたが、ホルスに王の座を奪われたことをどうしても許せず、ホルスにある提案をします。それは、この中の島からカバに変身して川に潜り、先に陸に上がった者が負けにしよう、という不可思議なものでした。

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しかし、若くて血の気の多いホルスはこの挑発を受けることにします。さっそく2人は裸になり、カバに変身してナイルに飛び込みますが、彼を心配した母のイシスは「生きている銅」で釣り針を作り、これを水中に投じてセトをひっかけ、ホルスを援護しようとしました。

ところが、最初の一投では、誤ってその釣り針を息子に引っかけてしまい、息子のほうが苦しみだしたので、驚いて針に命じて外させました。しかし、次の一投ではセトに針を引っかける事に成功します。形勢が不利とみたセトは「自分とお前は同じ母から生まれただろう」とイシスに言い放ちました。

実は、セトはイシスの異父弟であり、母はヌトという再生を司る、葬送の女神でした。これを聞いて情にほだされたイシスは、思わず釣り針を外してしまいます。しかし、セトは釣り針にひっかけられた余りの痛さに、先に陸に上がってしまい、この勝負はホルスの勝ちとなりました。

このとき、セトを助ける、という裏切り行為に出た母親を見たホルスは、逆上します。そして持っていた刀でもって彼女の首を刎ね落としました。その一部始終を見ていたトートは、イシスを哀れに思い、その死体をラーの元へ運び、イシスの体の上に雌牛の頭を置きました。そしてイシスはラーの魔力によってまたたくまに復活しました。

その一方でラーは、母親を殺めるという蛮行を行ったホルスに対しては、罰を下すこととし、ホルスの両目を奪って山中に埋めました。そののち、やがてその目からはロータスの花(蓮の花)が咲いたと伝えられています。

目を失ったホルスでしたが、その後愛と美と豊穣と幸運の女神である、ハトホルが彼の眼窩に雌アカシカの乳を与えたため、目を取り戻すことができました。

こうしてホルスは王として人間界に君臨するようになりましたが、その後もセトとの激しい戦いを繰り広げ、そのなかでホルスは再び左目を失ってしまいます。この左目は長い間、民を治めるためにエジプト全土を旅し、様々な知見を得たとされる大切な目でしたが、この度はトートが月の力を借りてその左目を癒しました。

その後、神々の助言によってホルスとセトは一時和解し、同居する、といったこともありました。しかし、その後ふたたびセトがホルスに危害を加えようとしたため、このとき助けに入ったイシスによってセトは両手を切り落とされてしまいます。

しかし、セトも長い戦いの間で魔力を持つようになっており、切り落とされた両手をナイルの水で洗って取り戻しました。こうしてさらに2人の戦いが続きますが、その戦いにもようやく終焉が訪れます。

その最後の戦いでセトはホルスに対して石の船を作ってレースで決着をつけるという勝負を持ちかけました。セトは自分で申し出たとおり、石の船を作りましたが、ホルスは今度こそはと一計を案じ、石のかわりに杉の木を漆喰で覆った船を作りました。

結果、この勝負ではセトの船は水に沈み、ホルスの船は水に沈みませんでした。しかしセトは、今度も得意の変身力を発揮し、再びカバに変身して水中から、槍でホルスの船の底をついて、彼を殺そうとします。

ところが、ホルスは逆に船上から水中のセトに槍を突き付け、彼の睾丸と片足を奪いました。さすがに急所を奪われたセトもこのたびは復活することができず、こうして最終的にホルスが勝利しました。そして長い間続いた父の仇討ちもまた、ようやく果たされることとなりました。

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こうして、このころ冥府の王となっていたオシリスは、トートとの相談の末、地上の王権をようやくホルスに譲位することができました。ホルスは名実とともに地上を統治する王と見なされるようになり、この王は代々「ファラオ」と呼ばれるようになりました。

ウィーン美術史美術館所蔵の「ホルエムヘブ王とホルス神座像」は、古代のエジプトの王、ホルエムへブ王と、この歴代のファラオのうちの最初の王である、ホルス神を同一の石から彫り抜いて並べたものです。

紀元前1570~1070年ころのエジプト新王国時代のうちの、第18王朝時代末期(紀元前1290年ころ)の作とされる石灰岩像ですが、そこには、ホルス神の名として神聖文字で「ホルス、父の仇を打つ者」と刻まれているそうです。

神聖文字とは、ヒエラティック、デモティックと並んで古代エジプトで使われた3種のエジプト文字のうちの1つで、エジプトの遺跡に多く記されており、紀元4世紀頃までは読み手がいたと考えられています。しかし、その後使われなくなり、読み方は忘れ去られてしまっていました。

ところが、19世紀になって、「古代エジプト学の父」と言われているフランスの考古学者、ジャン=フランソワ・シャンポリオンが、ロゼッタ・ストーンに書かれていた文字を解読したことから、この石像の文字も読めるようになりました。

また、ホルスとセトの戦いの際、ホルスが失った左目は、その後古代エジプトでよく見られる眼のシンボルとなり「ウジャトの目」と呼ばれています。ホルスがセトを撃退したことから魔除け的な意味を持つようになったもの、といわれていますが、こうしたこともロゼッタ・ストーンの解読によりわかるようになったものです。

睾丸と片足を失ったセトは、その後、地上の世界を去り地下世界に隠遁しました。地上には雷の声として響くだけとなりましたが、別の説によるとセトは天空にある神々の世界へ帰り、おおぐま座となりました。また、北斗七星はセトの片足である、という伝承もあります。

一方で、セトはその類い希なる武力から、ラーの乗る太陽の船の航行を守護する神としてもエジプトの民の信仰を受け続けるようになりました。

また、太陽の船を転覆を狙う、暗闇と混沌を司る悪魔神=大蛇アポピスを打ち倒すことから、軍神としても信仰されました。「王の武器の主人」という称号もあり、ファラオに武術を教える神としても信仰を受けるようにもなりました。

今晩夜空を見上げてオリオン座を目視したら、いつも聞き慣れているギリシャ神話の巨人伝説ではなく、今日これまでに書いてきた、こうしたエジプトの伝説も思い出してみてください。

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