鏡の中へ

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今日は11月11日です。

算用数字で表すと1111となり、漢数字で表すと十一十一となることなどから、いろいろなものに見立てることができ、このために実に多くの団体や企業がこの日を記念日にしており、日本記念日協会による認定の記念日が一年で最も多い日になっています。

記念日協会?そんなもんがあるんかい、ということなのですが、1991年(平成3年)に設立された比較的新しい団体です。「社団法人」ということで、企業などが設けた記念日の認定・登録を行っており、各種の業界を盛り立てるために組織された一種の商工団体のようなものです。

登録された内容をホームページで紹介するなど、さまざまなPRを行っており、企業だけでなく、その他の団体や、自治体、個人などが設けた記念日にも対応しているとのことで、とこれまでに登録された数は400件以上にのぼるといい、今も増え続けているといいます。

年末が近づき、そろそろ来年のカレンダーが欲しい、というご用向きも多いでしょう。記念日のカレンダー、記念日の事典、といった変わったものも刊行しているそうなので、ご興味のある方は、同協会のHPを覗いてみてはいかがでしょうか。

ただ、今日11月11日に定められている記念日がすべてこの協会が定めた、というわけでもないようで、その他の記念日もありますが、それらを加えると更に数が増えます。

やはり多いのは、食品関係のものであり、これらのほとんどは、1111がそのものに見えるという理由から来ています。

例えば、豚まんの日(11が豚の鼻に見える)、いただきますの日(箸に見える)、麺の日(麺の細長イメージ)、もやしの日(もやしを4本並べたように見える)、ピーナッツの日(1つの殻に2粒の豆が双子のように同居している)、きりたんぽの日(囲炉裏で焼いているきりたんぽをイメージ)、たくあんの日(大根を並べて干してある様子)といった具合です。

たくあんは、「たくさんの」「1=わん」があることから、「たくわん=たくあん」とする、というダジャレの意味もあってのことだそうで、このほか、「鮭の日」は、「鮭」という漢字が魚偏に「十一十一」と書くことに由来しているそうです。

食品以外の日用品類もまた、1111の数字をものになぞらえたものが多いようです。

たとえば、美しいまつ毛の日(まつ毛になぞらえ)、配線器具の日(コンセントの差込口の形状)、靴下の日(靴下を2足並べた時の形が11 11に見える。恋人同士で靴下を贈り合う)、下駄の日(下駄の足跡)、ライターの日(細長いライターを並べるとそう見える?)、電池の日(十一十一がプラス・マイナス・プラス・マイナスに見える)などがあります。

「磁気の日」というのがあり、こちらも磁石のN極 (+) とS極 (-) を「十一」に見立てたことに由来しており、電池の日とほぼ同じ理由での登録です。

このほか、日用品ではありませんが、我々の身の回りにあるものにちなんだ記念日もあり、たとえば、「煙突の日」は、煙突が4本立っているように見えることに由来、「コピーライターの日」は、ライターが使う鉛筆が並んだように見えることに由来しています。また、「麻雀の日」は、4本の点棒が並んだように見えるためだそうです。

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ほかにも色々ありますが、残りはヘンな理由に基づくものが多いようです。たとえば「チンアナゴの日」というのがありますが、これは「すみだ水族館」が2013年に制定したものです。チンアナゴを映像で見たことがある人も多いと思いますが、海底の砂地から顔を突きだした様子がカワイイ、と一時期評判になりました。

顔つきが日本犬の狆(チン)に似ていることからこの名がついたものですが、このチンアナゴが砂の中から体を出している姿が数字の「1」に似ており、群れで暮らす習性があることから、一年間に最も「1」が集まる日付を選んだということです。

このほか、1918年に、ドイツとアメリカが停戦協定に調印し、第一次世界大戦が集結したのが11月11日であることから、この日は「世界平和記念日」になっており、これにちなんで、この日は「折り紙の日」になっています。

日本折紙協会が制定したもので、世界平和を象徴する「千羽鶴」をイメージしたといいます。また、1を4つ組み合わせると折紙の形である正方形になる、という意味も込められているそうです。

その他変わったものでは、バイナリデイというのもあり、バイナリとは二進法のことです。1111は二進数に置き換えられるから、という理由のようで、1月1日や10月10日でもよかったのでしょうが、なぜかこの日が選ばれています。ちなみに、二進数での1111は、十進数の15に相当します。

このほか、あーなるほど、とうなずけるのは、サッカーの日です。サッカーが11人対11人で行うスポーツであることに由来しています。スポーツ用具メーカーのミズノの関連会社が定めた日のようです。もっとも、だからといってこの日に何か大きなサッカーイベントがあるかといえば、そういうこともないようですが。

このほか、11月11日を「鏡の日」としている団体もあり、これは全日本鏡連合会という業界団体です。2006年に制定。「1111」や縦書きにした「十一 十一」が左右対称であることから来ているといいます。

1月1日も左右対称になりますが、さすがに元旦が記念日ではまずいと思ったのでしょう。月日を二けたと限定するならば、左右対称になるのは一年のうちでは確かにこの日しかありません。

ところで、この「鏡」というヤツですが、言わずと知れたところ、これは可視光線を反射する物体の総称です。

鏡に映る像は鏡像といい、鏡は左右が逆転しているように見える、と思いがちですが、よく考えてみてみると、これは鏡の面を境にした逆転現象です。我々が住まう実像の世界からみた幾何学的な意味からすれば、逆転しているのは左右ではなく前後、すなわち奥行きが逆になっているということになります。

一般的な鏡は平面の形をしており、これを平面鏡といいます。が、鏡は平面のものばかりではなく、表面がくぼんでいる凹面鏡や、逆に突出した凸面鏡もあり、こちらも鏡であることには違いありません。

これらの機能は平面鏡のように左右や奥行が逆という概念をある意味超えています。単に逆転現象を起こすだけでなく、凹面鏡や凸面鏡は光を曲げることが出来るので、レンズの代用とすることが出来ます。反射望遠鏡は凹面鏡を利用していることをご存知の方も多いでしょう。

一方、平面鏡は1方向からの像のみを写すので、立体の正面は見えても側面は写せません。しかし、複数の鏡を組み合わせることでその応用範囲が広がります。いわゆる鏡台は一般的には三面鏡になっており、このほか万華鏡も複数の鏡を利用した玩具です。また、一眼レフカメラの光学系にも複数の鏡が利用されています。

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このように現代の我々の生活においては必要不可欠のものとなっている鏡ですが、無論、太古には作る技術が存在せず、その昔は水溜りの水面に自らの姿形などを映す「水鏡」だけが鏡でした。

その後、進化した人類は石や金属を磨いて鏡として使用するようになりましたが、遺跡発掘などから鏡だとわかった最古のものは、トルコにあるチャタル・ヒュユク遺跡から出土した黒曜石を磨いた石板だそうです。

この遺跡は、その規模や複雑な構造から世界最古の都市遺跡と称されており、遺跡の最下層は、紀元前7500年にさかのぼると考えられています。従って少なくともこの時代には既に人類は鏡を使って、自分を映し出していたことがわかります。

その後石版は金属板に代わり、これを磨いた金属鏡が作られるようになりましたが、その初期にはこうした金属鏡の多くは青銅などを用いた銅鏡でした。現存する最古の金属鏡は、エジプトの第6王朝(紀元前2800年)のものだそうで、これも銅鏡のようです。

以来、銅に代えて錫およびそれらの合金を磨いたものなども用いられるようになりましたが、さらに時代が進むと水銀なども鏡として用いられるようになりました。

東アジアでは、中国の金属鏡が最も古く、既に約4千年前の新石器時代から銅鏡があったようです。紀元前770~221の春秋戦国時代になると華南地方を中心に大量に生産・流通することとなりますが、その後この中国鏡は、日本へも渡来しました。

紀元前3世紀中頃以降とされているようですが、確固たる年代はわかりません。ただ、弥生時代中期のころであろうといわれています。一方、こうした輸入モノではなく、国産の金属鏡が作られ始めたのは紀元前2世紀前後であり、この紀元前2世紀から後16世紀(桃山期)までの約1800年間を 日本史では、「古鏡の時代」と分類しています。

その後さらに時代が下り、こうした金属鏡には溶融しやすい錫(スズ)めっきなどが施されるようになります。

これは、1317年にヴェネツィアのガラス工が、錫アマルガムをガラスの裏面に付着させて鏡を作る方法を発明したものに起源を発します。ガラスの上にしわのない錫箔を置き、その上より水銀を注ぎ、放置して徐々にアマルガムとして密着させ、約1ヶ月後に余分の水銀を流し落とすというもので、鏡として仕上げるためには実に手間のかかるものでした。

その後、1835年にドイツのフォン・リービッヒが現在の製鏡技術のもととなる、硝酸銀溶液を用いてガラス面に銀を沈着させる方法を開発しました。以来、製鏡技術は品質、生産方法共に改良され続けてきました。

現代の一般的な鏡はガラスの片面にアルミニウムや銀などの金属のめっきを施し、さらに酸化防止のため銅めっきや有機塗料などを重ねたものです。が、ガラスの裏面を銀めっきした鏡である点は19世紀以来変わっていません。

これは、銀という金属が可視光線の反射率(電気伝導率および熱伝導率に由来する)が金属中で最大のためであり、最も鏡に適した塗布剤であるからにほかなりません。

今日では、鏡は高度に機械化された方法で大量生産され、光沢面保護のための金属めっきや塗料の工夫により飛躍的に耐久性が向上しています。ガラスを使う鏡の他に、ポリエステルなどのフィルムの表面に金属を蒸着し、可搬性や安全性を高めたものもあります。

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上述のとおり、遺跡発掘で出てきた鏡の最古のものは紀元前7500年ころとされます。が、最古のそれが水面に映った「水鏡」だとすれば、鏡の起源そのものは人類の歴史よりも古いことになります。

ホモ・サピエンスは20万年前から10万年前にかけてもっぱらアフリカで現生人類に進化した後、6万年前にアフリカを離れて長い年月をかけて世界各地に広がったとされます。我々のご先祖様である類人猿たちもまた、水に自分の姿を映し、それが自分であることを認識できていたに違いありません。

ヒトは、鏡によって、初めて自分自身を客観的に見る手段を得たと考えらえます。また、鏡に映る姿が自己であることを知るのは、自己認識の第一歩であるとされます。鏡に映った自分を自分と認識できる能力を「自己鏡映像認知能力」と呼び、自己鏡映像認知能力の有無は動物の知能を測るための目安ともなります。

では、人間以外のどんな動物が、鏡を見て自分を認識できるのでしょうか。ヒトに一番近いとされる猿、そのうちでも知能の高いとされるチンパンジーなどは、鏡に映る姿を自分自身として認識できるといい、例えば毛繕いのときに役立てることができるそうです。

自己鏡映像認知能力があることが確認されている動物としてはこのほか、イルカ、ゾウ、カササギ(北米などに生息するカラス科の中型の鳥)、ヨウム(大型のオウム)、ブタ等が挙げられます。

このほか、パンダも、多くの個体が鏡に向かって積極的に反応するといい、いくつかのアリは、鏡の前でセルフクリーニングの動作をするそうで、鏡で自分自身を認識することができるのではないかといわれているようです。

ホモ・サピエンス、つまりヒトである我々は、だいたい15〜18ヶ月のとき鏡によって自己認識を示し始めるそうで、これを「ミラーステージ」といいます。

このミラーステージに入った赤ちゃんが鏡をみるとき、最初は何かの断片的なものの集まりのように感じているだけです。しかし、慣れてくると次第に自分の姿を全体として捉えるようになり、自分であると認識するようになるということです。

とはいえ、類人猿に近い太古のヒトが、水鏡をみて自分であると判断するだけの能力があり、はたしてほんとうに身づくろいなどの道具に使っていたかについては、確認するすべはありません。

ただ、さらに時代が進んで、「文明」というものが出来上がってくるころには化粧道具として用いるようになっていたことがわかっており、一方では、ヒトは鏡に映像が「映る」という現象を極めて神秘的なものとして捉えるようになりました。

鏡は、現在我々が認識しているように光線を反射する平面ではなく、世界の「こちら側」と「あちら側」を分けものと捉えられ、鏡の向こうにもう一つの世界がある、と昔の人は思ったようです。ただ、水鏡や黒曜石などの石板鏡、研磨度の低い金属鏡しかなかった時代においては、鏡像は「おぼろげなイメージ」に過ぎませんでした。

鏡が祭祀道具ではなく、化粧用具としての性格を帯びるようになったのは、鏡の表面がより滑らかになり、自分の映像をより鮮明に見ることができるようになってからのことです。

西洋ではその後、鏡に「不思議」を感じるのをほとんどやめてしまい、このため鏡は祭祀用具としては発達せず、そのまま実用品になりました。近代になり、ガラス鏡の分解能が増すと、この世を全くそのままに映す装置として捉えるようになっていきますが、さらにそれを映像として残すために発明されたのが、写真です。

このあたりがゲルマン民族の合理性といえるでしょうか。ドイツ語のシュピーゲルや、英語のミラーは、「鏡のようにはっきりとこの世を映し出す」という意味です。ドイツやイギリスには同じ名前を冠する新聞がありますが、鏡とは文字通り「世相を映す道具」でした。

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一方、中国や日本でも当初祭祀道具として鏡が使われるようになりましたが、それが身だしなみを整えるための実用品として使われるようになったのは、かなり後世になってからのことです。このあたりがヨーロッパ人とは違うところであり、漢民族や和人は鏡の「不思議」を神と結びつけて考えることがとかく好きです。

中国で戦国時代から唐時代に製作されるようになった銅鏡は、神獣鏡と呼ばれ、神仙界、すなわち仙人の住む理想郷を図文化した鏡であり、宗教儀式に使われました。また、中国から伝えられて日本語になった「鏡」という文字の読みはカゲミ(影見)、あるいはカカメであり、カカとは蛇の古語です。

つまり「蛇の目」のことであり、このことからも日本でも鏡は呪術性のあるものであったことがうかがわれます。また、日本語で鏡は「鑑」とも書き、人間としての模範・規範を意味します。

手本とじっくり照らし合わせることを鑑みる(かんがみる)というのも、ここから来ており、太古における宗教で培われた規則からきた用語であることをうかがわせます。

天孫降臨(神様が地上に下ること)で天照大神(アマテラスオオミカミ)は「此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし」と語ったとされますが、これは「この鏡を私だと思って大切にしなさい」という神勅です。このように古代から日本人は鏡を神聖なものと扱ってきました。

古墳時代、邪馬台国の女王卑弥呼は、魏の王より銅鏡を贈られたとされます。この鏡は、上述の中国から伝わった神獣鏡です。大和を中心として全国各地の前方後円墳から出土する「三角縁神獣鏡」はこれが改良したものと考えられており、これらは卑弥呼がシャーマン的な支配者であったことと結びつけて考えることができる、とする研究者も多いようです。

さらに鏡は神道や皇室では、三種の神器のひとつが八咫鏡(やたのかがみ)であり、神社では神体として鏡を奉っているものが多数存在します。八咫鏡は門外不出であって一般公開されていない(天皇ご自身も実見を許されていない)ため、神獣鏡と似ているのかどうかはわかりません。が、同一のルーツを持つものである可能性はあります。

また、キリスト教を禁止した江戸時代に、隠れ切支丹鏡という魔鏡が作られました。これは、隠れキリシタンが弾圧を避けてキリスト像を信仰するために、これを隠し持ったもので、光を反射させることによって、内部に隠されたキリスト像をスクリーンに投影することができます。

このほか、霊力を特別に持った鏡は、事物の真の姿を映し出すともされ、地獄の支配者閻魔大王の隣には浄玻璃鏡(じょうはりきょう)という鏡があり、エンマ様の前に引き出された人間の罪業を暴き出すといわれました。

現在の日本では鏡は無論、実用品として扱われます。が、日本人にとっての鏡は呪術的な意味合いを持つ場合も多く、鏡が割れると不吉としたり、鏡台にカバーをかける、といった習慣は、鏡の霊力に対する観念が古くから広く生活習慣の中に根を下ろしてきたことを示すものです。

近代化の中で、そういった観念も次第に薄らぎつつあるとはいえますが、現在も神社などに御神体として奉られている鏡は多く、ここに奉納する餅や酒などの供物にも鏡の持つ神秘性が込められています。例えば「鏡餅」や「鏡開き」などがそれであり、神である鏡に敬意を払ってのことと考えることができます。

一方、科学が発達した現在においては、欧米だけでなく、日本でもこの鏡の世界を物理的に研究しようとする動きが出てきました。そうした研究の中で、鏡の向こうには、「パラレルワールド」がある、という人もいます。

パラレルワールドとは、ある世界から分岐し、それに並行して存在する別の世界のことで、並行世界、並行宇宙ともいいます。我々の住む世界およびあちらの世界それぞれ彼我の世界のことを「時空」とも呼び、タイムトラベルと関連づけて語られることもあります。

「異世界(異界)」、「魔界」、「四次元世界」といったオカルト的なものとは違い、パラレルワールドは我々の宇宙と同一の次元を持つ、あるいはまったく違った次元にあるとされ、れっきとした科学的な研究対象でもあります。

ただ、「この現実とは別に、もう1つの現実が存在する」という考え方は、「もしもこうだったらどうなっていたのか」という考察を作品の形にする上で都合がよく、SFにおけるポピュラーなアイディアにもなってきました。

架空戦記、歴史改変SF作品に見られるような、「もう1つの歴史」を扱う作品と、現実とは異なる次元を扱うパラレルワールドモノは、SFにおいては人気があり、2つのジャンルはいずれも「あり得るかもしれない世界」を描くことを目指しており、それがSFファンには受けるようです。

タイムトラベルを扱ったフィクションにおいて、タイムパラドックスの解決法としてパラレルワールドが用いられる場合もあります。すなわち、タイムトラベルで行き着いた先は実際は現実に酷似したパラレルワールドであり、どの時間軸で歴史を変えようとしても自分がいた元の世界には影響しません。

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ところが、物理学者たちは、こうしたことが本当にあるかもしれないと真面目に考えています。イギリス、オックスフォード大学の教授で、量子計算理論のパイオニアであるデイヴィッド・ドイッチュ博士は、多世界が実在すると考えており、パラドックスを解決するモデルを提唱しているそうです。

パラレルワールドはSFでよく知られるようになった概念ではありますが、実際に物理学の世界でも理論的な可能性が語られるようになってきているわけです。

より具体的には、量子力学の世界では、「多世界解釈」というのがあります。あまり難しい議論は私自身も理解していない部分があるので避けますが、量子力学の世界では、われわれの住む宇宙以外にも複数の異なる量子状態を持つ宇宙があるはずである、とする学者もいます。

量子とは、粒子と波の性質をあわせ持った、とても小さな物質やエネルギーの単位のことです。 物質を形作っている原子そのものや、原子を形作っているさらに小さな電子・中性子・陽子といったものが代表選手であり、要は我々の体や我々の住む世界を形成している物質です。

つまり、我々と同じか、あるいは類似した物質で作られた並行した宇宙世界があるのでは、と考えられていて、これが多世界解釈であり、パラレルワールドが存在する、とする考え方です。

ただし、あくまで理論であって、他の世界であるパラレルワールドを我々が観測することは不可能です。その存在を否定することも肯定することも出来ないため、懐疑的な意見も多数存在します。

とはいえ、その理論的根拠を「超弦理論」に求めようという動きもあります。これは、宇宙の姿やそ誕生のメカニズムを解き明かし、同時に原子、素粒子、クォークといった微小な物のさらにその先の世界を説明する理論の候補として、世界の物理学で活発に研究されている最先端理論です。

が、これも難しい理論なのでここでは開陳しませんし、そもそもこの紙面の分量ではできません。ただ、この理論は現在、理論的な矛盾を除去することには成功しているようだ、とだけ書いておきましょう。

が、なお不完全な点を指摘する専門家もおり、また実験により検証することが困難であるとみなされているため、物理学の定説となるまでには至っていません。

とはいえ、そうした考え方の中から発した研究の中から事実であると確認されたものもあります。たとえば、現在の宇宙は主に正物質、陽子や電子などで構成されていますが、反陽子や陽電子などの「反物質」といわれる物質の存在が微量ですが既に確認されています。

最近では、我々の住まう宇宙はビックバンによってできた、とされる説が定説です。このビッグバンによって、宇宙には正物質と反物質がほぼ同数出現しましたが、その後両者の間で不均衡が起こり、相互に反応してほとんどの物質は消滅しました。

しかし、正物質と反物質との間に微妙な量のゆらぎがあり、正物質の方がわずかに多くの残りました。その残りがこの宇宙を構成する物質となり、そのため現在我々が知る宇宙はほぼ全ての天体が正物質で構成されているのだと説明されています。そして、その正物質こそが上述の量子力学でいうところの量子を形成している、というわけです。

ところが、ビッグバンの過程においては、こうした僅かな正物質が残った我々が住まう宇宙以外にも、別の進化の過程をとった別の宇宙が無数に泡のごとく生じたのではないか、とされおり、その中には、我々の宇宙のように正物質でできている世界ではなく、生き残った反物質のみでできている世界もあるのではないか、といわれています。

その「平行宇宙」では、反物質のみから構成されているため、すべては我々の世界とは「逆」です。どういった形で逆なのかは、理論上の話なので説明しろ、といわれてもできませんが、おそらくは見た目には全く我々の世界と同じです。しかし、どこかが違う。そう、それはまるで鏡の世界のごとき世界である、というわけです。

今、あなたの目の前にあるのとまったく同じ世界でありながら、全く何もかもが逆のあなたが存在している、と考えると、不思議な気分になってきますが、いまあなたが見ている鏡の向こうのあなたこそが、実は本物のあなたなのかもしれません……

これまでの説明、おわかりいただけたでしょうか。

最近研究されている科学理論では、そうした正物質、反物質でできた宇宙が我々の宇宙以外にも無数に存在しているとされますが、ビックバン以降、それが無限に広がっていくのか、いつかは収縮してビックバン以前のような小さな姿に戻るのか、については学者間でも喧々諤々の議論となっているようです。

遠い遠い将来、そうした議論に幕引きをもたらすような理論が完成したあかつきには、今目の前にある鏡を通して、そうした別次元の世界へ旅することができるようになるのかもしれません。

それにしても、そのときが来るまで我々はあと何回、輪廻転生しなければならないでしょうか。

さて、お天気が回復してきました。今日11月11日は「介護の日」でもあります。厚生労働省が2008に発表・制定したもので、そのこころは、「いい(11)日、いい(11)日、毎日あったか介護ありがとう」だそうです。

みなさんにとって、今日という一日がいい日でありますように。

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