聖夜の百鬼夜行

2015-7197年末が近づくにつれ、日が短くなってきました。

冬至のころが昼が最も短く夜が最も長くなる、とされているわけですが、天文年表などを見ると今年はだいたい12月22日のころのようです。

が、これは東京を基準とした尺度なので、緯度が異なると当然一番太陽が出ている時間が短くなる日にちは異なります。

緯度が低くなればなるほどやや前倒しになるようで、調べてみると東京より緯度が約0.7度低いここ伊豆ではだいたい12月14日ころになるようです。

伊豆でのこの日の日の出は6時43分、入りは16時33分であり、お日様が出ている時間はわずか9時間と50分です。朝、日が昇るのが遅いのはまだ容認できるとしても、夕方4時半には陽が落ちるというのは、あまりにも日が短すぎて惜しい感じさえします。

明るいうちに物事を済ませてしまいたいという人にとっては、その活動時間が著しく制限されるような気にもなってきます。が、よくよく考えてみれば日没後に何もできなくなるわけでもなく、夜は夜でこの季節にはいろいろな楽しみがあります。

囲炉裏を囲んで美味しいものを食べてもよし、外へ出て町のイルミネーションを楽しむでもよし、毛布にくるまって暖まりながら長い夜に長い夢をみるのもまたよしとしましょう。冬のほうが夏よりもよく寝れる、という人は圧倒的に多いはずであり、これは扇風機や冷房などの手を借りずに自律的に休息がとれるためにほかなりません。

ヒトと異なり、生物の中には、冬のあいだ中、眠って過ごす輩もいます。いわゆる冬眠であり、これは体温を低下させて活動量を減らすことで、食料の少ない厳しい冬をやりすごすわけです。

もともと人間も、こうした他の生物のように自然の摂理に合わせて寝起きしていたはずです。大昔の人は日の出とともに起き、日没とともに寝ていました。ただ、月が出ている夜は月明りのもと活動することもできましたし、火を使うようになってからは、月が出ていない夜でも活動するようになっていきました。

灯火が発達するにつれ、夜間に明かりをつけた下で活動が行われるようになり、西欧では「歴史は夜作られる」といった言葉も生まれました。

これには色々な意味が含まれているようで、歴史を作るのは結局人間であり、その人間は皆、男女の夜の生活によって産まれる、というふうに下ネタ好きな人は取るかもしれません。が、一般的には歴史に重大な影響を与えるような相談は、夜半に人知れず行われている、という意味とされます。

夜=「見えない部分」という暗喩でもあり、真に重要な歴史の真実とは、目に見えるところで記録されるのではなく、記録されないところで形成されるということでもあります。

日本においても料亭政治というのがあり、重要なことは国会や党大会で話し合われるのではなく、実は数人の大物が料亭で決めてしまい、決して表には出ないということがよくいわれます。

このほか、芸術作品でも夜をテーマにしたものが多く、ゴッホの「星月夜」はその中でも最も有名なものです。映画でも限られたセットを有効に活用するために夜の闇を効果的に使っている作品が多いようです。夜をテーマとした作品は個々の楽曲は枚挙に暇がなく、ノクターンといえば「夜想曲」のことであり、また、セレナーデは「小夜曲」です。

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近・現代、しかも特に大都市などでは、夜に活発に活動する人が増え、仕事や学校を終えた後に、遊ぶ時間に使っている人も多くなっています。

日本などではコンビニエンスストアなど24時間営業する店舗の数が急増しており、「夜間族」にとってはありがたい極みでしょう。ただ、夜間にこうした施設で照度の高い照明に身体がさらされることが体内時計を狂わせ、健康を害し精神的にも不安定にさせている、といったことは医学者たちからしばしば指摘されていることです。

何億年という生命の歴史によってもたらされた人の体内時計は、夜は暗く昼は明るいという自然な状態にあって正常に機能するはずであり、夜通し起きていて、日中は寝ているという生活が体の調子を狂わせるのはあたりまえです。

ただ、動物の中には、夜に主に活動するものと、昼に主に活動するものがおり、これをそれぞれ、夜行性、昼行性といいます。ヒトは元々昼行性動物ですが、現在のように電灯のおかげで昼夜を問わず活発に活動できるようなご時世には、夜中心に日々を送る夜型人間はゴマンといます。

実は我が妻、タエさんもそのひとりです。元コピーライターであったころからの習慣で夜に物書きをし、翌日は昼まで寝ているという癖が現在まで続いています。

人より光合成できる時間が短い分、さぞかしパワー不足だろうと思われがちですが、どうしてどうしてLED照明のごとく省エネに造られているようで、僅かな燐光のような光でも蓄電ができるタイプのようで、毎日元気なことこの上ありません。

朝早くから夕方遅くまで燦燦とした太陽光を浴びていないと干からびてしまい、夜になると酒というガソリンを喰らわないとエネルギー補給ができない私とは真反対です。

植物もまた、こうした太陽光をもとに光合成で生きているわけであり、基本的には昼間に活動するだけで、夜間は葉を閉じて眠るものが多いようです。ネムノキなどが有名で、こうした植物の葉の動きは、「就眠運動」としてよく知られています。

花にも夜間は閉じるものが多く、これは、花が光によって外側に向って開く「傾光性」という性質の逆作用です。しかし、中には夜間に花を開くものがあり、これらの植物は、夜行性の動物を花粉媒介に利用にしています。例えば夜咲きのサボテンでとして知られる、「月下美人」などがそれです。

ちなみに、オジギソウやモウセンゴケのように、触れると葉を閉じる性質のことを「傾触性」といいます。オジギソウは別途、花を持ちますが、こうした能力を持っているのは、イモムシなどの捕食者からの防御として葉っぱを小さくするためと考えられているようです。

ただ、こうした植物は特殊なものであり、一般の植物は、昼は光合成と呼吸をし、夜になると動物と同じように呼吸のみをするようになります。このため夜になると、昼に比べて大気中の酸素濃度はわずかに減少し、二酸化炭素濃度は増加する、ということは学校の理科の時間に習ったかと思います。

ところが、暖地の砂漠では、夜行性の動物が圧倒的に多いといいます。昼間は活動するには過酷だからです。植物においても、光合成を昼間に行えば気孔を開けることで水分が放出されてしまうため、こうした砂漠に育つ植物では夜間に二酸化炭素を取り込むことが知られています。

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このほか、こうした生物や植物以外にも夜になると活発になるモノがいます。……妖怪や幽霊の類です。

日本では昼と夜の境である「たそがれ時」は神隠しなどの不思議な出来事のよく起きる時刻とされました。「たそがれ」とは、「誰(た)そ彼」の意味で、また、「彼は誰」とは「かわたれ」という読みがあてられます。夕方うす暗くて人の見分けのつかない時分に、彼は誰、誰ぞ彼、といっていたのが、「たそがれ」という言葉の語源といわれています。

このように人や物事の見分けがつかないような時間は、いわばこの世と異界がまじわる時でもあり、このため、その昔の人はこの時間ごろから異界から神や魔物や妖怪が多く出現すると考えるようになりました。

たそがれのことを、「逢魔時(おうまがとき)」という場合すらあり、電灯など無い時代、夜はまさに闇の世界であり、人々の家のすぐそばまで異界の境から「魔」が忍び寄るとされていました。

「百鬼夜行」という言葉もあり、夜はさまざまな魔物や妖怪が出没する時間帯でした。「日本書紀」には、夜は神がつくり昼は人が造った、とまで書いてあるそうで、夜は神の世界でした。このため、思い起こしてみれば、日本では祭りや神事は、日没からの夕方以降に行われるものが多いことにお気づきでしょう。

一方では、こうした神様には、一般には眷属(けんぞく)と呼ばれる手下がいます。多くは動物の姿を持つ、または、動物にみえるものであり、狛犬やお狐様はその代表例です。が、その他超自然的な存在を意味することもあります。

その中には、鬼や妖怪に近い姿をしているものもあり、これらが神様の御到来に先駆けて露払いをするのが、「百鬼夜行」だとする説などもあるようです。平安時代から室町時代にかけての説話では、多くの人数が音をたてながら火をともしてやってくる、さまざまな姿かたちの鬼で練り歩く、といった百鬼夜行の様子などが描写されました。

一般には「百鬼夜行に遭った」という言い方をします。これに出遭うと死んでしまうともいわれていたため、これらの日に貴族などは夜の外出を控えたといわれています。このため、経文を唱えることにより難を逃れた話や、読経しているうちに朝日が昇ったところで鬼たちが逃げたり、いなくなったりする、といった話も残っています。

魔を退けるため、仏の功徳を説くような説話の形式をとることも少なくなく、室町時代に書かれた百科事典「拾芥抄(しゅうがいしょう)」には、「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ」という呪文を唱えると、百鬼夜行の害を避けられると書かれてあります。

さっぱり意味がわかりませんが、元々呪文などというものには意味はなく、世界中で使われている「アブラカダブラ」や、日本の「ちちんぷいぷい」「オン・キリキリ・~(密教)」、「くわばら、くわばら(雷)」なども、それぞれみんな意味などありはしません。

ちなみに陰陽道、密教や修験道では、「九字」というのがあり、9つの漢字の読みを唱えながら、手で印を結ぶか指を剣になぞらえて空中に線を描くことで、災いから身を守ると信じられてきました。一番有名なのは、真言宗に伝わる「臨兵闘者 皆陣列在前」というものです。

これは、「りん・ぴょう(びょう)・とう・しゃ(じゃ)・かい・じん・れつ・ざい・ぜん」と読み、その意味は「臨む兵、闘う者、皆 陣列べて前に在り」だといいますから、この呪文を唱えることで、自分を魔物から守ってくれる神将が眼前に現れてくれるということなのでしょう。

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この百鬼夜行には、時代ごとに色々なバージョンがあります。例えば平安時代末期に作られた物語集、今昔物語では、大納言で左大将の藤原常行という武人が、愛人のもとへ行く途中、大内裏の南面にあった美福門周辺で歩いてくる100人ほどの鬼の集団に遭遇しました。

しかしこのとき常行は、乳母が阿闍梨(修業を積んだ高僧)に書いてもらった「尊勝仏頂陀羅尼」という仏典を縫いこんであった服を着ていたので、これに気がついた鬼たちは逃げていったといいます。

また、平安時代後期にかかれた「大鏡」には、「藤原師輔」が遭遇した百鬼夜行のはなしが書かれています。平安時代中期の公卿で、学問に優れた人物として知られ、村上天皇の時代に右大臣として朝政を支えたことで知られる人物です。

この鬼たちの筆頭は、大化の改新の前夜に討たれた「蘇我入鹿」だったそうで、これを先頭に、蘇我馬子、蘇我倉山田石川麻呂、山背大兄王、大津皇子、山辺皇女など藤原氏を恨んで死んだ者たちの行列が続きました。しかし、このときも師輔は、「尊勝仏頂陀羅尼」を読んで難を逃れたとされます。

こうした話は、江戸時代になって編纂された「諸国百物語(延宝5年(1677年)刊行)」という怪談集にもまとめて掲載されています。これは江戸時代に流行した百物語怪談本の先駆けといえる書物であり、その後に刊行された多くの同系統の怪談本にも大きな影響を与えたといわれています。

絵巻物としても多数残されており、京都大徳寺山内の真珠庵に所蔵されている「百鬼夜行絵巻(平安末期作と推定)」は、重要文化財であり、百鬼夜行を描いた代表的な作品とされています。槌や傘といった器物の妖怪たちが中心となっている点に大きな特徴があり、「鳥獣人物戯画」などとの関係もあるのではないかとも考えられているようです。

このほか、阿波国(現・徳島県)に伝わる「夜行さん(やぎょうさん)」という妖怪も、百鬼夜行のひとつだといわれています。

これは、首のない馬の妖怪、「首切れ馬」に乗って徘徊する鬼だとされ、遭遇してしまった人は投げ飛ばされたり、馬の足で蹴り飛ばされたりしてしまうといいます。徳島では元来、大晦日、節分の夜、庚申の夜、夜行日などは魑魅魍魎(ちみもうりょう)が活動する日とされ、夜歩きを戒める日とされてきました。

「庚申の夜」、というのは、禁忌(きんき)行事を行う日のことで、庚申の夜には謹慎して眠らずに過ごし、神なり仏なりを供養することで禍から逃れ、現世利益を得ようとするものです。また、「夜行日」というのは、祭礼の際に御神体をよそへ移すことをいい、神事に関わらない人は家にこもり物忌みをしました。

夜行日においては、その戒めを破り神事を汚したものへの祟りを妖怪、あるいは「夜行(やぎょう)」と呼ぶようになりましたが、これが徳島の夜行さんのルーツでしょう。

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徳島ではかつてそうした夜行の出現日の夜の外出を控えるよう戒められていましたが、運悪く遭遇してしまった場合は、草履を頭に載せて地面に伏せていると、夜行さんは通り過ぎるため、難から逃れることができるといいます。

同じ徳島の奥地、三好郡山城谷村政友(現・三好市)では、この夜行さんは、髭の生えた片目の鬼であり、家の中でその日の食事のおかずのことを話したりしていると、夜行さんが毛の生えた手を差し出すといいます。

また、同じ四国の、高知県高岡郡越知町野老山(ところやま)付近では夜行さんを「ヤギョー」と呼びます。このヤギョーさんを避けるために、その昔、ここの村人は錫杖を鳴らしながら夜の山道を通ったといいます。

この高知の例では、ヤギョーさんの姿形は伝えられていません。が、元々、夜行さんは首切れ馬に乗っていた鬼とされます。ただし、夜行さんと首切れ馬は必ずしも対になっているわけではなく、むしろ首切れ馬単独での伝承のほうが多いといい、徳島県内を流れる吉野川下流から香川県東部の地域においては、首切れ馬だけが節分の夜に現れます。

かつて私が住んでい東京の多摩にも似たような話があり、これは八王子市の夜行さんの伝説です。八王子駅から北へ5~6キロほど離れたところに、滝山城址公園がというのがありますが、その一角にかつて高月城(たかつきと読む)という後北条氏の居城がありました。

ここを一時期守っていたのは北条氏照という、北条早雲からは数えて4代目の一族の一人です。豊臣秀吉の小田原征伐の際には徹底抗戦を主張し、居城である高月城や滝山城には重臣を置いて守らせ、自身は小田原城に籠もりました。が、小田原合戦では破れ、城を明け渡したあと氏照は兄・氏政と共に切腹を命じられて51歳で果てました。

このとき、八王子などにいた後北条の一派もまた秀吉軍によってことごとく掃討されましたが、滝山城や高月城、そのほか八王子城なども、上杉景勝、前田利家などに攻略されて落城しました。高月城を守っていた重臣の名前などはわかっていませんが、娘がおり、この娘もまた落城とともに命を落としたとされます。

以後、この滝山周辺では、夜な夜な首なし馬に姫君が乗る「夜行さん」が見られるといい、伝承によれば、高月城が敵軍の襲撃を受けた折り、この城の姫が馬に乗って逃亡しようとしたところ、馬は敵兵に発見されて首をはねられたといいます。

首のないままで疾走したあと、丘陵端の断崖から多摩川へとまっさかさまに落ちて、そのまま天へと昇ったとか、いろいろな言い伝えがあるようです。それ以来、姫と首なし馬は満月の夜に八王子を徘徊し、その姿を見たものは必ず不幸になるのだといい、近年でも八王子で目撃されたことがあるといいます。

深夜に人気のない通りを後ろから「カポカポ」と蹄がアスファルトを叩く音が背後でするものの、振り返るが姿は何も見えないといいます。また四つ角で、上半身が女、下半身が馬のケンタウロスのような怪物が、右から左へ猛スピードで走り横切るのを見た、といったまことしやかな目撃談が伝えられているそうです。

この高月城は、その南側約1.5kmほどのところにある滝川城よりも小ぶりな城であり、現在その城跡は残るものの、きちんとした整備はされていないようです。一方、滝山城のほうは、遺構として本丸・中の丸・千畳敷跡空堀などのかなりしっかりとしたものが残っており、国の史跡に指定されています。

大部分が東京都立公園「滝山自然公園」となっており、桜の名所であるため、この近くに住んでいた私も何度か訪れたことがあります。夜行さんという話はその当時聞いたことがありませんでしたが、八王子の中でもとくに古代の面影を残している一帯であり、なるほどそこに妖怪が出るか……といわれればなるほど納得できるような雰囲気はあります。

ご興味のある方は、一度訪れてみてください。場所はこちらです。

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ところで、この日本の夜行さんによく似た魔物で、「ワイルドハント」と呼ばれるものがヨーロッパの大部分の地域に古くから伝わっています。

イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン、ノルウェーなどなど多岐にわたり、いずれの地域においても、伝説上の猟師の一団が、狩猟道具を携え、馬や猟犬と共に、空や大地を大挙して移動していくものであるといわれています。

日本のように馬の首がない、というわけではありませんが、猟師たちは死者あるいは妖精(死と関連する妖精)であり、猟師の頭領は亡霊、多神教の神、あるいは精霊です。多くの精霊や妖怪、悪事を働いた者や非業の死を遂げた者をも引き連れた軍団であり、ときにそのリーダーは、歴史上や伝説上の人物である場合もあります。

例を挙げれば、東ゴート王のテオドリック、デンマーク王のヴァルデマー4世、または北欧神話の神オーディン、ウェールズで霊魂を冥界に導くとされるグウィン・アプ・ニーズ、あるいはアーサー王のこともあります。

テオドリックは5世紀ごろにイタリアから東欧にかけての地域に君臨した実在の王で、多くの家臣を敵との戦いで死なせながらも、勝利を勝ち取ったとされる伝説的な英雄です。また、ヴァルデマー4世は巧みな外交戦略なども通じて国力を回復させ、アッテルダーク(再興王)と称されました。

オーディーンは北欧神話の主神にして戦争と死の神です。また、グウィン・アプ・ニーズは、イギリスのウェールズ地方の神話に登場する王であり、アーサー王もブリトン人、つまりグレートブリテン島に住まうイギリス人の間に伝承される、伝説的な君主です。

いずれもその死後、神と崇め奉られるようになり、ワイルドハントのような狩猟団を率いるようになったとされます。日本とよく似ているのは、この狩猟団を目にすると、戦争や疫病といった、大きな災いを呼び込むことであり、目撃した者は、死を免れません。

ほかにも狩猟団を妨害したり、追いかけたりした者は、彼らにさらわれて冥土へ連れていかれたといわれています。また、彼らの仲間に加わる夢を見ると、魂が肉体から引き離されるとも信じられてきました。

このほか、ドイツのワイルドハントは、ドラゴンや悪魔を引き連れており、彼等は馬、または馬車に乗っている場合が多く、何頭かの犬を引き連れています。特に若い女性は、罪があろうとなかろうと、彼らの獲物となるそうです。

もし彼らの道を塞ぐようなことをすれば罰せられますが、一方では彼らの手助けをすれば、金や黄金、あるいは呪われて逃れられなかった死者や死んだ動物の脚が与えられます。

ワイルドハントから逃げおおせるには、聖職者や魔術師に頼んでワイルドハントを撃退してもらう必要があります。また、ドイツを含む中央ヨーロッパでは、ワイルドハントをよけるため、肉を沢山いれた木の容器を、家の正面の木の上に置くそうです。

上述のとおり、北欧神話では、このワイルドハントの首領は、「オーディン」とも呼ばれ、彼等の狩りは「オーディンの渡り」とも呼ばれます。狩りが始まるのは10月31日で、翌年4月30日までは終わらないといわれますが、これは彼等にとっては、日が沈まない白夜の反対の「極夜」の時期です。一日中太陽が昇らない、あるいは極端に日が短くなります。

10月31日は、太陽は九つの世界へいき、精霊や妖怪がこの世を放浪するようになり、これは、この日はサムハインと呼ばれ、後の世に言うところの「ハロウィーン」にあたります。魔女の新年でもあり、北欧ではハロウィーンと共に、冬の季節が始まります。かつて多くのヨーロッパの人々は、影が長くなって火をともすこの時期には家にこもっていました。

オーディーンによるワイルドハントは、このハロウィーンから12月終わりの冬至のあいだに集中するといい、スレイプニルと呼ばれる8本脚の軍馬にまたがったオーディンが、魔物や精霊たちや遠吠えする犬を従えて、やってきます。

オーディンが、スレイプニルにまたがって天に駆け出すと、雷のような音が轟き、風が吹きはじめ、やがて耳をつんざくような音へと変わります。他の悪魔や精霊の馬の蹄の音も、この音に加わり、犬たちも同様に、やはり耳をつんざくような吠え声を上げます。

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この騒動はユールまで続きます。ユールとは、古代ヨーロッパのゲルマン民族、ヴァイキングの間で、冬至の頃に行われた祭りのことです。そしてこの行事はキリスト教との混交が行われたのち、現在では「クリスマス」と呼ばれるようになりました。

北欧諸国では現在でもクリスマスのことをユールと呼びます。かつてのゲルマン世界ではクリスマス前後に、「燻し十二夜」と呼ぶお祭りをしており、これが後の世のユールです。この祭りが開かれる頃は雪嵐が多く、その嵐にオーディンの到来を人々は重ね合わせたと考えられます。

また、この頃祖先の霊が帰ってくるという言い伝えがあり、今も、特に北欧ではこの習慣が守られていて、故人の好んだ料理を作って並べ、馬の手綱を解いて、故人の霊が乗れるようにしておくのだといいます。

このユールこと、クリスマスの時期には、ワイルドハントの動きも最高潮に達し、死者がワイルドハントの一員となって現世をうろつきます。リーダーであるオーディン、その後に、黒くて吠え続ける犬を連れて、狩りの角笛を吹きならす死んだ英雄たちが続きます。

古代のゲルマンやノルマンの子供たちは、このユールの前の夜にブーツを暖炉のそばに置き、オーディンの8本足の馬、スレイプニルのために干し草と砂糖を入れたといいます。また、オーディンはその見返りとして、子供たちに贈り物を置いていったともいいます。

現代では、スレイプニルは8頭のトナカイとなり、灰色の髭のオーディンはサンタクロースと呼ばれています。子供たちが干し草や砂糖を入れていたブーツは、その後靴下に変化し、逆にサンタクロースがその中にプレゼントを入れてくれるようになりました。

キリスト教化により、魔物であったオーディーンは、聖ニコラウス、そして親切な赤い服をまとったおなじみのおじさんに変わったというわけです。ただ、現在でも靴下やブーツを置き、昔と同じようにその中にスレイプニルのための食物や干し草を入れておく地方もあり、そこではやはり、オーディンが子供たちへキャンディを入れてくれるそうです。

この話には続きがあります。

もし、このユールの夜に戸外でワイルドハントに出逢った人は、彼等に試されるといいます。ワイルドハントがいかに恐ろしい魔物であっても敬意を払えるかどうかが試されるといい、一種の度胸試しです。

このとき純粋な心を持ち、ワイルドハントに恐れることなくユーモアで持って受け答えができれば合格とされ、その人は靴を黄金で一杯にするか、食べ物と飲み物をもらって帰ることができます。

しかし不運なことに合格しなかった場合、その人は、恐怖に満ちた夜の旅へ、生涯連れまわされることになります。ワイルドハントに命を奪われ、魂が、その後何年もこの軍団と共に空を駆け巡ったあげく、地上に帰っても邪悪な者や嘘つきといわれます。

そうした不合格者は、ユールの時期に、祖霊へのご馳走を怠ったからそうなるのだ、とも伝えられています。

日本にも、やがて冬至が訪れ、そのあとユールの季節がやってきます。ただし、日本のことですから、ワイルドハントは来ず、おそらくは百鬼夜行に遭遇するのでしょう。

そして、ユーモアのセンスのない人、ご先祖様を大事にしていない人は、おそらくその百鬼夜行の試験にも不合格となるでしょう。しかし純粋な心を持ち、いつも人を笑わせることが大好きな人はきっと合格し、鬼たちが玉手箱をくれるに違いありません。

今日このブログを読んで、少しでもクスッと笑う人がいたとしたら。そう、私にもきっと何等かのご褒美があるのではないでしょうか。

……少々期待している次第です。

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