ハス蓮はす

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11月も下旬に近くなってきました。

この季節になると、スーパーでもよくレンコンが見られるようになってきます。

旬は10月から3月までで、「蓮根(はすね)掘る」は冬の季語でもあります。

天ぷらにするとおいしいし、煮物にしてもよし、すりおろして汁物に流し入れたものは寒い時に体を温めてくれます。ひき肉などの具を挟み、揚げたてでいただけるレンコンのはさみ揚げがあると、実にお酒も進みます。

内部に空洞があり、いくつかの節に分かれていますが、節の長さは品種によって異なります。輪切りにすると穴が多数空いていることから「先を見通す」ことに通じ縁起が良いとされ、正月のおせち料理にも用いられます。

主に沼沢地や「蓮田」と呼ばれる専用の湿地などで栽培されます。日本では、作付面積、出荷量ともに茨城県が全国トップで、特に土浦市、かすみがうら市(旧霞ヶ浦町)、小美玉市、稲敷市などで盛んです。

徳島県鳴門市が2位、愛知県愛西市が3位、山口県岩国市が4位と続きます。私は子どもの頃、夏休みになると育った広島から母方の実家のある山口に山陽本線に乗って帰省していましたが、岩国市内を通り過ぎるころに車窓から見える壮大な蓮田を見るのが楽しみでした。

「尾津の蓮畑」と呼ばれていて、岩国南部を流れる門前川という川の右岸に広がるこの蓮田は、車窓からは左右180度すべて、地平線のかなたまですべてハスまたはハス、というかんじでした。さらに花が咲くころに通ると、まるで極楽浄土に来ているかのようでした。

現在は周辺の宅地開発が進み、往年の壮観は見ることができませんが、いまだに数多くの蓮田が残っていて、見事な景色であることは変わりありません。通常のレンコンの穴の数は8つですが、この岩国で栽培されるレンコンは穴の数は9つであるといい、種類としてもめずらしいもののようです。

日本では奈良時代ころにレンコンの栽培が始まったとされます。しかし当時の在来種は収穫量が少なく、本格的に栽培されるようになったのは新たに中国種を導入した明治初期以降のことです。

栽培種としてのレンコンは、中国もしくはインドが原産とされ、インド(紀元前3,000年)では宗教的に意味のある蓮の花は観賞用として栽培されました。それが中国に伝わって食用化され、さらに奈良時代に日本へも伝わり全国に広まったようです。ただし、2,000年以上前の縄文時代には既に国産の原種もあったことがわかっています。

レンコンが記録に出てくる最初のものは、718年の「常陸風土記」だそうで、この風土記には、「神世に天より流れ来し水沼なり、生ふる所の蓮根、味いとことにして、甘美きこと、他所に絶れたり、病有る者、この蓮を食へば早く差えて験あり」とあるそうです。

我々が普段食するレンコンは、ハスの地下茎が肥大化したものであり、上の葉や花の部分は、はすね、蓮茎、藕などとも書きます。古名「はちす」は、花托(花の終わった後に残るめしべの部分)の形状を蜂の巣に見立てたともので、「はす」はこの「はちす」が訛ったものだといわれます。

その美しい花姿から、水芙蓉とも言われ、このほか、不語仙(ふごせん)、池見草、水の花などの異称があります。花期は7~8月で白またはピンク色の花を咲かせます。 早朝に咲き昼には閉じるのが特徴です。園芸品種も、小型のチャワンバス(茶碗で育てられるほど小型の意味)のほか、花色の異なるものなど多数あります。

漢字では「蓮」のほかに「荷」または「藕」の字をあてます。ハスの花と睡蓮(スイレン)をごったにして、「蓮華」(れんげ)ともいますが、これは仏教とともに伝来し古くから使われた名です。

この蓮華の語源にもあるように、よくスイレンと間違われます。その大きな違いは、ハスの葉は水面よりも高く出ますが、スイレンの葉は水面上に広がります。また、ハスは、ヤマモガシ目ハス科ですが、スイレンは、スイレン目スイレン科であり、植物学上も異種です。

ただ、似ているので昔の人もよく混同したようです。英名 lotus はギリシア語由来で、元はエジプトに自生するスイレンの一種「ヨザキスイレン」のことであり、英名は Nymphaea lotus です。

ハスは中国が原産だと上で述べましたが、エジプトが原産とする説もあり、古代エジプト人はレンコンを好み、茹でるか焼いて食べたといわれます。しかし、古代エジプトで栽培が盛んだったのは、スイレンのほうであり、スイレンの根は食用には適しません。

また、エジプトに蓮の花が持ちこまれたのは、末期王朝時代の紀元前700〜300年頃とされますが、スイレンは、これよりかなり古くから、ナイル川のほとりに多数生えてえていました。よってエジプト原産説やエジプト人のレンコン好物説はハスとスイレンを混同したことから来た間違いだと思われます。

ちなみに、スイレンは、古代エジプトで重んじられ、エジプト神話の中でも一本のヨザキスイレンから世界が生まれたと語られています。その後も「ナイルの花嫁」と讃えられ、現在もエジプトの国花とされています。

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ハスは、地中の地下茎から茎を伸ばし水面に葉を出します。草高は約1m、茎に通気のための穴が通っています。上述のとおり、地下茎はレンコン(蓮根)として食用になりますが、食するのは日本だけではありません。

原産地とされる中国では、すりつぶして取ったでん粉を葛と同様に、砂糖とともに熱湯で溶いて飲みものとする場合もあります。ベトナムでは茹でてサラダのような和え物にして食べます。

中国や台湾、香港やマカオでは、ハスの実を潰し、練って餡にして月餅、最中、蓮蓉包などの菓子に加工することも多いようです。餡にする場合、苦味のある芯の部分は取り除くことが多いようですが、取り除いた芯の部分を集め蓮芯茶として飲まれることもあります。また、蓮肉(れんにく)という生薬として使われ、これは鎮静、滋養強壮作用があります。

このようにはすの実はでん粉が豊富であり、日本以外の近隣諸国ではよく生食されます。はすの実を含む花托も生食でき、若い緑色の花托は堅牢そうな外見に反し、スポンジのようにビリビリと簡単に破れます。

柔らかな皮の中に白い蓮の実が入っています。私も食べたことはありませんが、この種は緑色のドングリに似た形状で甘味と苦みがあり、生のトウモロコシに似た食感を持つといいます。また甘納豆や汁粉などとしても食べられます。ベトナムでは砂糖漬けや「チェー」の具として使うそうで、これはベトナムの伝統的な甘味飲料で、プディングの一種です。

ハスを国花としているベトナムでは、雄しべで茶葉に香り付けしたものを花茶の一種であるハス茶として飲用しますが、甘い香りが楽しめるといいます。また中国でも、果実の若芽は、果実の中心部から取り出して、蓮芯茶(れんしんちゃ)として飲まれます。

なお、ハスの実の皮はとても厚く、土の中で発芽能力を長い間保持することができます。1951年(昭和26年)、千葉市にある東京大学検見川厚生農場の落合遺跡で発掘され、理学博士の大賀一郎が発芽させることに成功したハスの実は、放射性炭素年代測定により今から2000年前の弥生時代後期のものであると推定されました。いわゆる「大賀ハス」です。

戦時中に東京都は燃料不足を補うため、花見川下流の湿地帯に豊富な「草炭」が埋蔵されていることに着目し、東京大学検見川厚生農場の一部を借り受けこの草炭を採掘していました。

草炭は、泥炭ともいい、一見は湿地帯の表層の湿った泥にすぎませんが可燃性があり、採取して燃料として使われることがあります。ただ、含水量や不純物が多く、炭素の含有率が低くて質の悪い燃料であるため、日本では工業用燃料としての需要は多くありません。しかし、物資の少なくなっていた第二次世界大戦末期には貴重な燃料として使われました。

またスコットランドではスコッチ・ウイスキーの製造において麦芽の成長をとめるために乾燥させる際の燃料として香り付けを兼ねて使用され、この時つく香気を珍重します。「ピート(Peat)」といいます。少し前のNHKの朝ドラ、「マッサン」の中にも主人公がこの良質なピートが採れるということで北海道を選んだ、という話が出てきました。

採掘は戦後も継続して行われていましたが、1947年(昭和22年)7月に作業員が採掘現場でたまたま1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出しました。

このことから慶應義塾大学による調査が始められ、その後東洋大学と日本考古学研究所が加わり1949年(昭和24年)にかけて共同で発掘調査が行われました。その調査により、2隻の丸木舟とハスの果托などが発掘され、「縄文時代の船だまり」であったと推測され「落合遺跡」と呼ばれました。

そして、植物学者で当時・関東学院大学非常勤講師だった、ハスの権威者でもある大賀一郎が発掘品の中にハスの果托があることを知り、1951年(昭和26年)3月から地元の小・中学生や一般市民などのボランティアの協力を得てこの遺跡の発掘調査を行いました。

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大賀博士は、1883年(明治16年)岡山県賀陽郡庭瀬村(現・岡山市)に生まれました。第一高等学校卒業後は東京帝国大学理学部に入学。1909年(明治42年)に大学を卒業し大学院へ入学。大学院では植物細胞学を専攻し、そこでハスについての研究も始めました。学生時代に内村鑑三の影響により無教会主義のキリスト教に入信しています。

1910年(明治43年)第八高等学校の講師となり、翌年に同校の生物学教授となります。1917年(大正6年)に満州の大連へ赴き、南満州鉄道中央研究所(満鉄調査部)植物班主任として古ハスの実の研究に従事するようになりました。

1927年「南滿州普蘭店附近の泥炭地に埋没し今尚生存せる古蓮實に関する研究」で東大理学博士を取得。満州事変にいたる一連の軍部行動への抗議として退社し、事変の翌年に東京へ戻りましたが、東京女子大学、東京農林専門学校と転々し、遺跡の発掘に関わるようになったときには、関東学院大学で講義を行っていました。

当初、調査は困難をきわめめぼしい成果はなかなか挙げられませんでしたが、翌日で打ち切りの日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され、予定を延長し翌月までに発掘を続けた結果、さらに2粒、計3粒のハスの実が発掘されました。

5月上旬からはさらに3粒のハスの実が発掘され、博士はこの3粒の発芽育成を、東京都府中市の自宅で試みます。結果、2粒は失敗に終わりましたが3月30日に出土した1粒は無事に育ち、翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪の花を咲かせました。

このニュースは国内外に報道され、米国ライフ週刊版1952年11月3日号 に「世界最古の花・生命の復活」として掲載され、このとき「大賀ハス」と命名されました。また大賀博士は、年代を明確にするため、ハスの実の上方層で発掘された丸木舟のカヤの木の破片をシカゴ大学原子核研究所へ送り年代測定を依頼しました。

シカゴ大学での放射性炭素年代測定の結果、このハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定されました。そしてこの古代ハスは、1954年(昭和29年)に「検見川の大賀蓮」として千葉県の天然記念物に指定されました。

その後、この蓮は全国で増殖されるようになります。大賀博士の自宅近くにある、府中市郷土の森公園修景池には、今でもこの二千年ハスが育てられており、鑑賞会などが催されています。また1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、現在千葉公園(中央区)ハス池で6月下旬から7月に開花が見られます。

日本各地は元より世界各国へ根分けされ、友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っています。

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大賀ハスが移植された施設は多数に及びますが、以下がその一覧です。

対泉院(青森県八戸市)
古河総合公園(茨城県古河市)
青蓮寺(三重県名張市)
本福寺水御堂(兵庫県)
平池公園(兵庫県)
荒神谷史跡公園(島根県出雲市)
定福寺(高知県大豊町)
熊本国府高等学校
吉野ヶ里歴史公園(佐賀県吉野ヶ里町)(神埼市)
北方文化博物館(新潟県新潟市)
成田国際空港(千葉県成田市) – 第1旅客ターミナルビル前「蓮の和風庭園」

なお、愛知県愛西市、滋賀県守山市、埼玉県行田市などの地方公共団体が「市の花」に採用しています。そして、古代ハスのタネが発見された千葉県千葉市 も、「大賀ハス」として 1993年に千葉市花に制定しています。

この大賀ハス以外にも、中尊寺の金色堂須弥壇から古代のハスのタネが発見され、こちらも800年ぶりに発芽に成功して「中尊寺ハス」と呼ばれています。また、埼玉県行田市のゴミ焼却場建設予定地からも、およそ1400年から3000年前のものが発見されて発芽し、こちらは「行田蓮」と呼ばれています。

なお、和歌山県新宮市木ノ川360番地の「白龍山寶珠寺」(ほうしゅじ)の蓮池には、毎年7月から8月末までの間に、白蓮が開花すします。寺の過去帳によれば、約300年前より蓮池が存在し、蓮もそれに由来するといいます。蓮の葉が80cm以上で大きく、花も開花すると30cmと大きいのが特徴です。

このハスの花、仏教用語でいうところの「蓮華」は、よく清らかさや聖性の象徴として称えられます。「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という日本人にも馴染みの深い中国の成句が、その理由を端的に表しています。

古代インドでは、ヒンドゥー教の神話やヴェーダやプラーナ聖典などにおいて、特徴的なシンボルとして繰り返し登場しており、これらにおいては後の仏教における「ハス」の象徴的用法と近い表現がなされています。

泥から生え気高く咲く花、まっすぐに大きく広がり水を弾く凛とした葉の姿が、俗世の欲にまみれず清らかに生きることの象徴のようにとらえられ、このイメージは仏教にも継承されてきました。

仏教では泥水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせる姿が仏の智慧や慈悲の象徴とされ、様々に意匠されています。如来像の台座は蓮華をかたどった蓮華座であり、また厨子の扉の内側に蓮華の彫刻を施したりしています。主に寺院では仏前に「常花」(じょうか)と呼ばれる金色の木製の蓮華が置かれています。

一方で、仏教国チベットは標高が高く、蓮はほとんど育ちません。このため、チベット仏教寺院などで想像で描かれたハスは、日本のものに比べてかなり変形しているほか、そほんのり赤みがかった白い花として表現されることが多いようです。

なお、仏教ではさらに、死後に極楽浄土に往生し、同じ蓮花の上に生まれ変わって「身を託す」という思想があります。我々がときに使う「一蓮托生」という言葉はこれが語源です。

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また、密教においては釈迦のみならず、ラクシュミーと呼ばれる天女を本尊として信仰する修法があります。これは「蓮女」と訳され、日本では「吉祥天女法」と呼ばれるようになっています。ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の妃とされ、また愛神カーマの母とされていたものが、ラクシュミーとして取り入れられたものです。

密教を含む仏教一般では毘沙門天の妃また妹ともされ、善膩師童子を子として持ちます。鬼子母神を母とし、徳叉迦龍王を父とするとも言われ、また妹に黒闇天がいます。 毘沙門天の脇待として善膩師童子と共に祀られる事もあります。

日本では「吉祥天」の呼び方のほうが一般的です。吉祥は繁栄・幸運を意味し幸福・美・富を顕す神とされ、また、美女の代名詞として尊敬を集め、金光明経から前科に対する謝罪の念を受け止めてくれる女神であり、また五穀豊穣をかなえてくれる神様としても崇拝されています。

一方、この蓮の花を支える「茎」は、その表皮を細かく裂いて作ることで糸にすることができ、この糸を「茄絲(かし)」といいます。また、茎の内部から引き出した繊維で作る糸を「藕絲(ぐうし)」と呼び、どちらも布に織り上げるなど、利用されます。

さらに、この茎の内部はストロー状になっており、撥水性の葉と合わせ、葉に酒を注いで茎から飲む象鼻杯(ぞうびはい)として使うという習慣が日本にはあります。

この蓮の葉もまた食べ物として使われます。蓮葉飯(はすはめし)または、蓮飯といい、蓮の葉を蒸しあげ塩を加え柔らかくして細かく刻んで炊き立てのご飯と混ぜたものもあります。

いわゆるちまきのことで、粳米(うるちまい)や餅米(もちごめ)などをさまざまな食材と一緒に蓮の葉包みの蒸したもののことです。こちらは盂蘭盆や一部の仏教宗派の祭礼の供物や名物として、現在でもその門前町の商店やお寺で今も提供している地域があります。

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蓮の葉はさらに漢方薬の荷葉(かよう)としても使われてきました。我が国ではこのように用途の広い蓮を扱う商売人が古くからおり、各地の朝市や縁日で屋台を出していました。

こうした店ではほかに、銀杏、アケビ、椎(しい)などの木の実も扱っており、五節句、二十四節気の年中行事には欠かせない風物詩でした。盂蘭盆に使う蓮の実や蓮の葉は、特に珍重され、彼等は商品の多くを蓮の葉や蕗(ふき)の葉の皿の上に置いて売っていました。

このことから、こうした季節物を扱う商人を「蓮の葉商い」と呼ぶようになりました。彼等の中には屋台だけでなく、八百屋や花屋になるモノも多く、ごく最近までこうした街商でも季節物としてのハスの葉を売っていました。

しかしこうした蓮の葉に代表されるような商品は、季節物という短期使用のいわゆる、「消え物」であることから多少品質が悪くとも問題にならない、しない物を扱う商売人という捉えかたがされるようになりました。そして、そのうちに「きわもの(際物)」売りやまがい物を売る者とみなされるようになりました。

やがては蓮の葉商人の語源でもある蓮の葉そのもの味が、きわものやまがい物を指すようになりました。その結果、「蓮の葉女」といえば、いかがわしい女、という意味になっていきます。

古くは蓮葉女(はすはめ)、蓮葉(はすば、はすわ)といい、現在ではあまり使われなくなっていますが、ときに蓮っ葉女(はすっぱおんな)、蓮っ葉(はすっぱ)と表現されます。意味としてはお転婆、生意気、媚を売る、馴れ馴れしいなど軽はずみな言動をする女性や浮気性や根無し草のように住処を転々とする女性をさします。

もっとも、その語源は蓮の葉商人からきているとする説以外にもさまざまで、蓮の葉が風や水面(みなも)の波によりゆらゆらする様や、蓮の葉の朝露がころころと転がる様という形態を模してという説もあるようです。

ただ、蓮の葉に例えられある女性がいかがわしいものとされる一方で、蓮の花は貴いものの例えてとして現在もよく使われます。上述のとおり、古代インドのヒンドゥー教から生まれた女神信仰の影響で、最高に素晴らしい女性のことを「蓮女」と呼び、こうした女性は日本では「吉祥天」のようだ、といわれます。

同じ植物でありながら、葉っぱと花でこれほど差が出るものも少ないのではないでしょうか。

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ところで、この蓮の葉は円形で葉と茎の接続部分が中央にあり、ここに雨露などが溜まると撥水性があるために、水玉ができます。

ハスの葉はその微細構造と表面の化学的特性により、決して濡れることがありません。葉の表面についた水は表面張力によって水銀のように丸まって水滴となり、泥や、小さい昆虫や、その他の異物を絡め取りながら転がり落ちます。そして、この現象は「ロータス効果」として知られています。

同じくサトイモ(里芋)の葉などでも微細構造と表面の化学的特性から同様の効果が見られます。近年のナノテクノロジーの分野では、こうした植物のロータス効果を応用して、塗料、屋根材、布などの表面でその効果を再現することに成功しており、それらを乾燥したきれいな状態に保つ方法の開発が行われています。

これらの技術で我々が普段よく目にするのが、フライパンなどに使われているフッ素加工、などの撥水加工技術が生まれた技術です。最近ではシリコンで表面を処理することなども行われており、より撥水効果の出る様々な化学物質が使われるようになっています。

ロータス効果による超撥水性加工を施した素材の表面を電子顕微鏡で見ると、その表面にハスの葉の表面に似た多孔性の微細構造が観察できるといい、今ではこの方法により自己洗浄を行う塗料や、温室の屋根に使うようなガラス板にロータス効果を持たせたもの、あるいは車のポリマー加工などにも応用されています。

こうした、科学的方法や自然界にあるシステムを応用して工学システムや最新テクノロジーの設計や研究を行う学問領域のことを生体工学(bionics)といいます。人間以外の動物や植物にはその進化において環境に適合するために高度な最適化が行われてきており、より効率的にその環境で過ごすことができます。

であるため、これを人工物の構築に応用することが考えられたものであり、ロータス効果のように動植物の表面や皮膚を模したものはほかに、イルカの肌を模倣した船殻、ヤモリの指の微細構造を真似た粘着剤のない粘着テープ、蛾の目の構造を模した無反射フィルム、カタツムリの殻の構造から手掛かりを得た防汚製品などなど枚挙のいとまがありません。

それにしても蓮というものは、こうした葉っぱだけでなく、根や茎、花や実に至るまで、ありとあらゆるものに使われており、まさに仏様の御慈悲により人類にもたらされたものといえるかもしれません。

仏教では、仏を表す象徴物の事を三昧耶形(さんまやぎょう)といいます。三昧耶はサンスクリットで「約束」、「契約」などを意味するサマヤ(samaya)から転じた言葉で、どの仏をどの象徴物で表すかが経典によって予め「取り決められている」事に由来します。

多くの場合、各仏の持物がそのままその仏を象徴する三昧耶形となり、たとえば不動明王なら「利剣(倶利伽羅剣)」、虚空蔵菩薩なら「如意宝珠」ですが、阿弥陀如来の三昧耶形は、「蓮」です。

阿弥陀如来は、無明の現世をあまねく照らす光の仏であり、浄土への往生の手立てを見出してくれる仏様ですが、この世においては衆生救済のための仏様です。人々の生活のために何にでも使える蓮を与えたくれた阿弥陀如来の象徴としてはぴったりといえます。

日本以外でも仏教が盛んな東南アジア諸国でも同様に宗教的意味合いから珍重されており、とくにハスの花は、インド、スリランカ、ベトナムの国花に制定されており、また中華人民共和国マカオの区旗にもデザインされています。

ベトナムなどでは、とくにこの蓮にこだわりがあるようで、蓮池に小舟で漕ぎ出でて、蓮の葉の朝露を集めて売る、といった商売さえ成り立っているそうです。また蓮の葉の朝露と同じように手間をかけて作られる「蓮の花茶」というお茶があります。

これは、蓮の花の蕾の中に高級茶葉を入れて蓮の花の香り付けして放置したあと、また一ずつその蕾を摘んで茶葉を小舟で回収するのだそうで、これほど手間隙がかかるために最高級のお茶とみなされているそうです。

さすがに日本が同じ製法でお茶を作ったら大変な金額になってしまいそうですが、単に朝露を集めるだけならできそうです。あなたのお宅の周辺でもし蓮の花をみつけたら、同様の方法で集めた水で蓮の葉茶を試してみてはいかがでしょうか。きっと極楽浄土へ行った気分になるに違いありません。

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