毎年、11月22~23日ごろは、二十四節気の「小雪(しょうせつ)」にあたります。
わずかながら雪が降り始めるころであり、次の節気の大雪(たいせつ)、これは12月7日ごろですが、その前日まで続きます。小雪は更に、初侯、次候、末侯の3区分に別れていて、初候は「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」であり、このころには 虹を見かけなくなります。
続く次候は「朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)」であり、北風が木の葉を払い除けるようになり、大雪直前の末候は、「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)」で橘の葉が黄葉し始めます。
ちょうどこの連休中が、この初候の「虹蔵不見」にあたります。虹が見えなくなるころ、といいますが、確かに雨も少なくなり、次第に空気が乾燥することも多くなるため、虹を見かけることも少なくなるように思います。
しかし、かつて私が滞在していたハワイでは年から年中、虹が見えていました。これは、ハワイには貿易風がいつも吹いていて、海からの湿った空気が島にぶつかり、雲ができやすいためです。
この雲は水分をたくさん含んでいますから、多数の雲の粒がくっつくと雨雲になります。しかし、貿易風によってこの雲は流れやすく、雲が流れてきた場所では雨が降りやすくなり、そこに太陽の光が当たると虹ができます。雲が去ろうとする間際には「狐の嫁入り」状態になることが多く、これが虹の出現を頻発させる、というわけです。
意外と思われるかもしれませんが、ハワイは割と雨が多い場所です。離島なのでさぞかし水不足に悩まされることも多いだろう、と思う人も多いでしょうが、このためかなり水は豊富です。これは山間部で降った雨が、溶岩の中を染み透って、海岸付近にたくさん湧き出ているためです。
また、この溶岩は水をきれいにしてくれる浄化作用も持つため、ハワイの水は極めて美味です。ミネラルウォーターとしてブランド化し、海外へ輸出しているほどです。
このように雨が多いので、傘が手放せないのでは、と思われるかもしれませんが、しかし、貿易風によってすぐに雨雲は場所から場所へと移動してしまうので、局所豪雨といったことにはめったになりません。ただ、10月から4月は、一応「雨季」となっており、この時期はことさら虹が多くみられます。
このように虹が頻繁にみられることから、ハワイは「虹の州」とも呼ばれ、車のナンバープレートにも虹があしらわれているほどです。また、ハワイ大学の野球部の名前は「レインボーズ」です。アメフトチームもその昔、私が留学していたころはレインボーズとよばれていましたが、現在はウォーリアーズ(「勇士たち」の意)になっているようです。
こうした、野球部やフットボールチームのメンバーの人種は原住民はポリネシア人のほか、アジア人、欧米人と実に雑多です。ハワイはアジア諸国とアメリカの接点でもあって多人種が住んでいるためです。このため、肌の色の違いを超えて1つの虹になるという意味からも、ハワイではことさら虹を共通のシンボルとみなしたがる風潮があるようです。
地上ではアーチ状に見えますが、飛行機からなどでは眼下に360度円環状に見えます。私は体験したことがまだありませんが、ハワイでは観光用のヘリコプターや遊覧飛行機もよく飛んでおり、上空からはこの円形の虹がよく観察されるということです。
ハワイ以外の場所でも、雲海を超えるほどの高い山の上などでは、眼下に円形の虹が見えることがあり、こちらは「ブロッケン現象」と呼ばれています。ドイツのブロッケン山で登山家が見かけたことからこの名が付きました。日本でも富士山クラスの高い山で見ることができることもあり、こちらは「御来迎(ごらいごう)」として知られています。
この虹は、物理学的にみれば、赤から紫までの光のスペクトルが並んだ、円弧状の光です。太陽の光が、空気中の水滴によって屈折、反射されるときに、水滴がプリズムの役割をするため、光が分解されて、複数色の帯に見えるものです。
雨あがりだけでなく、水しぶきをあげる滝のあいだ、あるいは太陽を背にしてホースで水まきをした時などにも見ることができるのはご存知でしょう。これは空中に散布された水滴がプリズムの役割をしているわけです。
虹の色の数は一般的に7色とされ、これは、ニュートンの虹の研究に由来します。ニュートンの住んでいたこの当時のイギリスでは虹の基本色は赤黄緑青紫の5色と考えられていました。が、ニュートンは柑橘類のオレンジの橙色と植物染料インディゴの藍色を加えて7色としました。
しかし、実際には虹の色と色の間は無限に変化しています。ニュートンもこのことを知っていましたが、それにもかかわらず、虹を7色としたのは、当時、7が神聖な数と考えられていたからです。音楽のオクターブがドレミファソラシの七音音階であるのも、宗教的な意味合いから来ている、という説もあるようです。
西洋で7 は幸運の数とされるのは、新約聖書のヨハネの默示録の中に7つの教会が示され、その7つの門の前で神の啓示がある、とされたためです。一方では、キリスト教では七つの大罪というもあります。これはキリスト教において人間を罪に導く可能性があるとされている欲望や感情であり、傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、色欲がそれです。
いずれせよ、キリスト教では7は重要な数字であり、1週(7日)のうち1日は休息を取る習慣もこの宗教からきています。さらに、キリスト教の七大天使七大天使が各曜日に当てられることもあります。これは、ミカエル(日)、ガブリエル(月)、ラファエル(火)、ウリエル(水)、セアルティエル(木)、イェグディエル(金)、バラキエル(土)などです。
ニュートンも、こうした聖書に由来する話しに造詣が深く、「自然哲学者」の一面も持っていたことから、自分が研究していたこの虹の基本色も神聖なる数字、7と定めたのでしょう。しかしニュートンが虹を7色と決めたからといって、欧米の社会一般で虹の色が7色だと統一されたわけではありません。
現在でもアメリカでは一般的に赤、オレンジ、黄、緑、青、紫の6色と認識され、ドイツでは物理の教科書でスペクトル分類と合わせて赤、オレンジ、黄、緑、青、紫の6色とされる場合もあり、国によって認識もさまざまです。
虹の色を何色とするかは、地域や民族・時代によって異なり、お隣の中国でも古くは5色とされていました。日本でもその昔は、5色、あるいは8色や6色とする時代もありました。また、沖縄地方では2色(赤、黒または赤、青)でした。現代でも、沖縄では、焼き物の絵柄や絵画などを描く際、虹を明・暗の2色、とする場合もあるようです。
現在の日本では、一般的には虹の色は、赤・オレンジ・黄色・緑・水色・青・紫の7色とされます。7つで定着したのは、仏教の影響もあったでしょう。初七日や七七日(四十九日)、「七回忌」などに見られるように、日本人は何かと7にまつわる行事を持っています。
1月7日の朝に、春の七草が入った粥を食べる七草粥を食べるのもこうした宗教的な意味合いからです。また、神様にも大黒天・恵比須・毘沙門天・弁才天(弁財天)・福禄寿・寿老人・布袋の七福神がいます。
さらに、日本人は北斗七星が大好きです。これにまつわる神話は日本各地に多数ありますが、これは中国では「破軍星」と呼ばれ、これを背にして戦うと必ず勝利するという中国の故事から派生したモノが多いようです。
近代では、ドラマや映画、漫画などにもよく、7にまつわるヒーローがよく登場します。1954年公開の黒澤明監督の映画、「7人の侍」はその代表であり、海獣と戦う「ウルトラセブン」はウルトラシリーズの第3作です。その昔、元犯罪者の特殊部隊が悪と戦うといった漫画がありましたが、こちらは望月三起也さん作の「ワイルドセブン」です。
また、ワイルドセブンならぬ、マイルドセブンというのもありますが、セブンスターは JT のタバコの銘柄です。このほか、日本に関して言えば、震度の最大値は7ですし、日本の郵便番号は7けたです。ラッキーセブンということで、7を愛車のナンバーに登録する人も多く、777はパチスロの大当り(ビッグボーナス)に相当するため、とくに人気があります。
この7を幸運の数字であるとする風習はしかし、日本が発祥ではありません。英語圏を中心とする思想の輸入です。いろいろな説があるようですが、野球が起源とも言われ、アメリカの野球の試合において、7回目の攻撃で打った球が強風でホームランになったことに由来しているといわれます。
1885年9月30日のシカゴ・ホワイトストッキングス(現シカゴ・カブス)の優勝がかかった試合では、7回にホワイトストッキングスのある選手は平凡なフライを打ち上げました。ところが、このフライは強風に吹かれてホームランとなりました。
このホームランによってホワイトストッキングスは優勝を決め、勝利投手はこの出来事のことを「ラッキーセブンス(幸運な7回)」と表現しました。一説にはこれが「ラッキーセブン」の語源であるされます。
確かに、野球における7回というのは点が入りやすいという印象があります。理由としては7回というのは、先発投手の球数が100球を越えることも多く、球威が序盤ほど残っていないことが多いことがまずあげられます。その際、先発よりも実力の落ちるリリーフ投手が登板することも多く、これが点が入りやすい原因だとされます。
また攻撃側に関しては打者の目が先発投手に慣れてきている、といったことなどもあるでしょう。しかし、意外にも7回に点が入りやすいというのは統計的には根拠がないそうで、むしろ得点の入りにくいイニングであるという統計もあるということです。
がしかし、一般には仮に点が入らなくても試合のターニングポイントとなるイニングであるという認識は根強いようです。
ところで、私ごとなのですが、先日、我が家にもついにマイナンバーが届きました。早速開いてみて番号を確認したのですが、その12ケタの番号を「数字根」にしてみると、驚いたことに、私もタエさんも7でした。
一般的に、生年月日や姓名を数字に置き換えて、ひと桁になるまで全ての数字を足し、最後に出た数字のことを数字根といいます。英語ではDigital rootといい、その結果得られる数字から運命を占ったりすることもあります。
しかも、さらに驚くべきはその7になる前の合計が、ふたりとも61であり、え~っ!?こんなことあり~と二人して驚いたものです。
12ケタ全部が9の場合でも最大の合計値は108ですが、数字根が7になる場合というのは、25(52)や34(43)、16と61、そして106などたくさんあります。
そのなかで夫婦してルートが同じ61になったというのはとても偶然とは思えず、ついつい運命を感じてしまいました。
こうした数字根を使った占いのことを、一般的には数秘術(Numerology)と呼ぶようです。西洋占星術や易学等と並ぶ占術の一つで、かなり古くかあり、ピタゴラス式やカバラ式といったものがあるようで、「数秘学」という学問体系すらあるようです。
無論、数字根はマイナンバーだけでなく、いろんなものから算出できます。占う対象を生年月日にしたり、姓名をアルファベットにし、それぞれの文字が何番目のアルファベットであるかを数えて加算する、という方法もあります。
数秘術の創始者は一般的にピタゴラスの定理で有名なピタゴラスと言われています。彼のことを「数秘術の父」と呼ぶ向きもあるようで、数千年前のギリシャや中国、エジプトやローマでもこの数秘術が使われていた事を示す証拠が存在しています。「秘術」というくらいであり、その当時は、許された者にのみ、口頭でその情報が伝えられていたようです。
ピタゴラスの後、その思想はプラトンに引き継がれ、数学の発展と共に成熟していきます。生年月日や姓名を数字に置き換えるだけの単純な作業が数学に発展?と思われるかもしれませんが、誕生日や姓名の一部だけを計算したり、誕生日と姓名の数を組み合わせたりする事もあり、時代が下るにつれてその占い方法も複雑化しています。
こうしたものの中から、魔方陣(Magic square)と呼ばれるものも生まれました。正方形の方陣に数字を配置し、縦・横・斜めのいずれの列についても、その列の数字の合計が同じになるもののことをさします。
一番簡単なのは、タテヨコ斜め、各列の合計が15になる下のようなものです。
816
357
492
4×4の魔方陣は全部で880通り存在し、5×5の魔方陣ともなると、2億7530万5224通りもあるそうで、現在までには27×27の魔方陣も発見されているということです。こうした数字遊び中から、人類は数学を発展させてきたわけです。
この数秘術はさらに、西洋占星術やタロット等とも結びつき、ユダヤ教のカバラの書物によって補強され、ルネサンス期にはヨーロッパで隆盛を極めました。現在では、アメリカ・ヨーロッパ全土で注目されているといいます。
日本でも、インターネットの普及によって、この数秘術を扱うサイトが増えてきているようです。「数波」なるモノを提唱しているサイトもあります。
これは、人名や文章といったコトバを数字に置き換えることで、その数字と共鳴する波動を導き出す?のだそうで、結婚相談やら人生相談に使える、とのたまわって多額の金を巻き上げるケースもあるようです。
無論、数字に波動がある、というのは何の根拠のないものです。なので、いかがわしいサイトだと思ったら深入りしないようにしましょう。しかし、誰しもがそうですが、自分の生まれた誕生日などには、何かの意味があるのでは……と思ってしまうものです。
また、親からつけてもらった姓名にも何かの運命的な意味が含まれているのでは、と誰でも思うでしょう。日本人の場合、姓名をローマ字で表記し、そのアルファベット順などで数字に置き換える事が多いようです。
誕生日は誰しもが変わらない事から、持って生まれた性格や先天的な宿命等が占えるとされます。また、姓名数は結婚等で姓が変わったりする際に変わることから、結婚後の運命を気にする人も多いようです。
これらの「運命数」の中で日本人に嫌われるのが4という数字です。「四の字」といわれ、漢字文化圏のでは、死と音が通じることから忌み数とされる漢数字の「四」をことさらに不吉と見なす傾向が強いようです。死の連想を嫌う病院では特に忌避傾向が強く、病室の階数や番号に「4」の数字を使用することは避けられることが多いようです。
このほか、日本では「苦」に通じる 9 も忌避されます。また、西洋では 13 が忌数としてよく知られているほか、666は、「獣の数字」として嫌われます。
しかし、こうした忌数字は、それぞれの国で異なり、万国共通のものではありません。ベトナム語では「死」の読みが「惨」と同じであることから、3が嫌われてきました。また、中国では、「五」と「無」の発音が同じなので、5が忌み数とされることがあるようです。
イタリアでも、17 が忌み数とされますが、これは17 をローマ数字で書くと XVII となり、これを並び替えると VIXI となります。これは、ラテン語で「私は生きることを終えた(私は死んでいる)」という意味になるからだそうです。
このように、忌数というのは、国毎に違うことでもあり、ことさら気にする必要はありません。日本での4も死につながるから、とはよく言われるものの、何の根拠もあるわけではありません。
江戸時代には、何かと人々が四の字を嫌うので、これを笑い飛ばそうとする向きもあり、「しの字嫌い」(1768年)といった古典落語も作られました。これは、働き者で忠義に厚いが何かと堅物で通っていた下男を、主人がこらしめてやろうとする噺です。
主人が下男に向かって「死ぬ」「しくじる」など、「し」のつく言葉は縁起が悪いから、一切禁止にする、と宣言します。そして主人は、「もし下男が先に言ったら1年間無給、私が先に言ったら小遣いをあげよう」と提案しました。主人は下男に、なんとか「し」を発音させようと苦労します。
しかし、下男もなかなかしたたかで、主人が飯が炊けたかを質問しても「おまんま、炊いて“し”めえやした」と言うところを、「おまんまは、炊いて、……炊き終わっとります」「水は汲んでおいたかな?」「水なら、とっくに汲んで……“汲んでおわった”」と健闘します。
さらに、主人は再び策を巡らせ、下男が普段「お“し”りが大きい」と悪口を言っている、分家の嫁のことについて質問したり、さらに四貫四百四十四文(しかんしひゃくしじゅうしもん)の銭を勘定させることを思いつきます。
「この前、分家のおかみさんの悪口を言っていたな。あれ、なんと言っていたんだ?」「あれは、お、おケツが大きい、と」下男。さらにそろばんの勘定では、「へぇ……よ貫よ百よ十よ文」。
さらに主人は「あ“し”」の、“し“びれが切れました」と言わせるよう、下男を長時間正座させていましたが、しびれを切らした下男は、「”あんよ“の、”よびれ“が切れた」と切り返す始末。
そして結局、これを聞いていた主人は思わず、「うーん、”し“ぶとい」と言ってしまう、というのがオチになります。
このほか、江戸時代には、「むつかしや四の字をきらふ旦那様」「四の字でも小つぶ四つは気にかけず」といった川柳も詠まれていました。これも、江戸では四の忌避を滑稽に感じる向きもあったことを示しており、前者は「四の字」に代表されるような迷信を信じる旦那を小馬鹿にしたものでしょう。
また、後者の小つぶとは、小粒銀、小玉銀のことで、この当時の銀でできた小銭のことです。四の字といった古臭い風習は気にかけるくせに、小粒玉四つほどの小額は気にかけないような人を笑ったものです。
なので、マイナンバーが届いて、その数字根が4になった、という方。ことさらにこれを気にする必要はありません。4を含めた1から9までの一桁の数字、数秘術ではこれを「ルート・ナンバー」と呼び、すべての数の基本となる数だと考えます。
ルート・ナンバーには、それぞれ固有の数秘術的な意味がある、とされますが、いろいろネットで検索した結果、以下のようなものもありました。
1:はじまり。独立。革新。リーダーシップ。男性原理。
2:調和。結合。人間関係。協力。女性原理。
3:真実を語る。イマジネーション。楽観主義。陽気。クリエイティヴな表現。
4:建設する。形づくる。ハード・ワーク。持久力。まじめ。実際的。
5:変化。移行。進歩的な考え。機知に富む。自由。多才。増進。
6:バランス。育てる。奉仕。責任と義務。家族の力。結婚と別れの数。家庭と仕事の問題。
7:分析。リサーチ。科学。テクノロジー。孤独。叡智。スピリチュアルな力。調査。神秘主義的。形而上学的。
8:権威。力。財力。ビジネス。成功。物質的価値。組織。自己制御。
9:終わり。ヴィジョン。寛大。変容。スピリチュアルな意識。宇宙。教え。全体性意識。完全性。
数の意味は、“Kay Lagerquist, Ph. D., and Lisa Lenard, The Complete Idiot’s Guide to Numerology, Alpha, 2004”が出典だそうです。
さらにご興味のある方は、以下のサイトにアクセスしてみてください。主唱者は欧米の多数の占いを紹介している方で、朝日カルチャーセンター、NHK文化センターなどでも講師をされているようです。
秋もたけなわになってきました。もう伊豆、修善寺の紅葉をご覧になりましたか?