で、まぁ

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今日は、赤穂浪士の討ち入りの日です。

この事件は「忠臣蔵」として歌舞伎や浄瑠璃など様々な形で演劇化され、現代においてもテレビや映画で繰り返し、同じ話が繰り返されてきました。

旧暦のことなので、現在なら1月30日ということになります。一年でも最も寒い時期であり、こうして語り継がれてきた話の多くは、雪が降りしきる中を四十七士が討ち入りに行く、と設定されているものが多いようです。

が、史実では数日前に降った雪が積もっていたものの、討ち入り当日は晴れていたといいます。また、空には月が輝いていたといい、月明かりを頼りに浪士たちが進んでいった、とされているものなどもありますが、実際にも月は満月に近いものだったようです。

しかし、討ち入りの時刻には月はかなり西の空の低い場所にあったといい、このため、討ち入り時にはさほど明るくはなかったと考えられ、かなりの真っ暗がりを提灯などで手元足元を照らしながら進んでいった、と考えるほうが正しいようです。

それにしても事件が起きたのは、元禄時代、1703年ですから、いまから300年ほども昔のことです。大きな事件だけにその当時の記録がかなり残っているとはいえ、こうした気象状況のように、後年になってかなり脚色されたものも多いと考えられます。

天候のほかにも、討ち入りの際、大石内蔵助が「陣太鼓を打ち鳴らす」、という話があるようですが、実勢に残されている資料には、笛や鉦を持参した話は載っているものの、太鼓を用意したとは書かれていないそうです。

現実問題として、太鼓を叩いてしまっては奇襲が意味をなさなくなってしまうので、浪士たちは太鼓を叩いていなかったであろうと考えるのが自然です。

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また、討ち入りの際の四十七士の服装も、全員が服装を黒地に白の山形模様のついた火事場装束のような羽織に統一した、という話があります。ここのところも微妙に違うようで、史実では事前の打ち合わせで、「黒い小袖」に「モヽ引、脚半、わらし」と決まっていただけだそうです。

あとは思い思いの服装でよかったらしく、全員が一様であったのは定紋つきの黒小袖と両袖をおおった2枚重ねの白い晒(さらし)布くらいだったとされています。ただ、全体として火消装束に近いスタイルに見えたのは間違いないようで、とはいえ、人生最期の晴れ舞台であったこともあり、火事装束よりはさらに派手だったともいわれています。

このように長い時間を経て時代が移ろえば、その当時のことを忠実に再現するのは難しく、いわんや300年前の話の再現を、残されている記録文書だけで行うのはやはり無理があります。

歌舞伎や人形浄瑠璃といった演芸活動に取り込まれて脚色がなされた、ということもありますが、一方では口伝えに伝わったことがそのまま史実として定着し、その後の人々の頭の中に勝手にイメージ化されていったということもあるでしょう。人伝えに聞いた、という話ほどあてにならないものはありません。

その昔、「伝言ゲーム」というものがテレビや巷でも流行ったこともあります。あるグループが一列になり、列の先頭の人に、元となる一定の言葉やメッセージを伝え、伝えられた人はその言葉を次の人の耳うちし、それを最後の人に伝えるまで繰り返す、というものです。

最後の人は自分が聞かせてもらったと思う言葉を発表し、元の言葉と発表された言葉が一致するかどうか、またどの程度違っているかを楽しむ遊びですが、間に入る人数が多くなればなるほど、伝言の内容は変わっていき、場合によっては、最初の伝言とは正反対のものになっていた、といったことさえもあります。

しかし、ゲームで済むならまだしも、これが「社会的な伝言ゲーム」となった場合には、がぜん事件性を帯びることになります。

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その昔、豊川信用金庫事件というのがありました。1973年12月、愛知県の宝飯郡小坂井町、これは現在豊川市になっていますが、この町を中心に「豊川信用金庫が倒産する」というデマから取り付け騒ぎが発生しました。短期間に約20億円もの預貯金が引き出され、最後には日本銀行が事態の収拾にあたらざるを得なくなるまでの大事になりました。

話の発端は、ある女子高生たちの雑談がきっかけでした。1973年12月8日の土曜日、彼女たちが登校途中の飯田線車内で、豊川信用金庫に就職が決まっていた一人の女子高校生を、友人のふたりの高校生が「信用金庫は危ないよ」とからかいました。

この発言は同信金の経営状態を指したものではなく、「信用金庫は強盗が入ることもあるので危険」という意味で発せられたもので、女子高生ふたりが既に就職が決まったもうひとりをうらやみ、揶揄したにすぎない、ごくごくたわいない冗談のはずでした。

ところが、二人の友達から「危ないよ」といわれたこの女子高生は、話を真に受けてしまいます。そして、その夜、この女子から「信用金庫は危ないの?」と尋ねられたひとりの親戚Aが、信豊川信金の近くに住む別の親戚Bに「本当に豊川信金は危ないのか?」と電話で問い合わせたといいます。

そのとき、親戚AとBの間でやはり豊川信金は危ない、という結論に至ったかどうかはわかりませんが、さらにこの翌日の日曜日、この親戚のどちらかが、親しくしていた美容院経営者に対し、「豊川信金は危ないらしい」と印象付けてしまう話ぶりでこの話に尾ひれをつけました。

そしてさらにその翌日の月曜日、この美容室経営者は、ちょうどそこに来ていたこれまた親戚にこの話をします。ところが、そこにたまたま居合わせたクリーニング業者の耳にもこの話が入り、この話はさらに彼の妻に伝わりました。この妻はおしゃべりだったらしく、話はその翌日の火曜日には、小坂井町中の主婦らの間でもちきりとなっていました。

おばさんたちが、町の辻々で豊川信金の噂をするものですから、当然、通りがかりの住民の耳にも入ります。これを聞いてまたまた別の住民にこの話が伝わる頃にはもうこの話は冗談では済まなくなっており、「豊川信金は危ない」と断定調になっていました。さらに翌日の水曜日になるころにはもう、街の至るところで豊川信金閉鎖の噂が飛び交うようになりました。

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そうしたところ、翌日の木曜日に、ある小売店の主が、関係取引先に「豊川信金から120万円おろせ」と指示しました。この主は、豊川信金の噂を全く知らず、ただ仕事の支払いのために金を下ろす指示をしただけでしたが、これを聞いた相手の取引先の担当者は、噂を耳にしていました。

このため、小売店の主は、同信金が倒産するので預金をおろそうとしていると勘違いし、慌てて指示された金額以上の180万円をおろしてしまいます。その後、さらにこの話をこの担当者は知り合いたちに喧伝、その一人であるあるアマチュア無線愛好家が、無線を用いてこの噂をさらに広範囲に広めてしまいます。

これによって、普段は人の出入りも閑散としていた哀れ豊川信金は一躍大パニックの舞台となります。同信金小坂井支店の窓口には預金者59人が殺到する結果となり、これにより当日だけで約5000万円が引き出されていきました。

このとき豊川信金には慌ててタクシーを拾って駆け付けた客も大勢いました。そしてそうした客を運んだタクシー運転手の一人の証言によれば、昼頃に乗せた客は「同信金が危ないらしい」といっていたものが、14:30の客は「危ない」に変わり、16:30頃の客にはこれが「潰れる」になっていました。

銀行業務が終わっても裏口から行員に入れろ、と交渉する客も出る始末であり、こうした夜の客はこのタクシー運転手に、「明日はもうあそこのシャッターは上がるまい」と語ったといい、こうして時間が経つにつれて噂はさらにどんどんと誇張されていきました。

14日金曜日、事態を重く見た同信金がついに動き出します。我々の銀行は安全です、と声明を出しましたが、いや、あれは詭弁だ、いよいよ本当に危ないから出した声明だと曲解されてしまい、逆にパニックに拍車が掛かる始末。

さらにはその後、「職員の使い込みが原因」、「理事長が自殺」という二次デマまで発生し、事態はさらに深刻化していきます。信金側も黙って看過しているわけにもいかず、それならマスコミに報道してもらうしか仕方がないと、マスコミに正しい状況を報道してくれ、と依頼します。

依頼を受けたマスコミ各社は、14日の夕方から15日朝にかけて、デマであることを報道し騒動の沈静化を図ろうとします。こうした新聞社のひとつ、朝日新聞の見出しは「5000人、デマに踊る」であり、読売新聞は、「デマに踊らされ信金、取り付け騒ぎ」、毎日新聞「デマにつられて走る」、などなどでした。

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一方、この事件を聞きつけた親方日の丸の番頭、日本銀行も事態の収拾に動き出します。同銀行の考査局長が記者会見を行い、同信用金庫の経営について「問題ない」と発言するとともに、混乱を避けるため日銀名古屋支店を通じて現金手当てを行ったことを明らかにしました。

このとき、豊川信金側では、預金者へのアピールとして、本店の大金庫前に日銀から受けとった現金を「展示」する、といったことまでやりました。輸送されてきた現金は、窓口からも見えるように高さ1m、幅5mに渡って山積みされたといいます。

事件の発生から、1週間たった15日の土曜日には、噂では自殺した、とされる同信金の理事長自らが窓口対応に立ちました。こうしたことも奏功し、ようやく事態は沈静化に向かいはじめました。

これまで書いてきたようなデマの伝播ルートは、その翌週になって警察が調査した結果解明され、発表されたものです。分析の結果、警察は、伝言ゲーム式にデマが形成され、事態がパニックに発展したと分析しました。そして事件が発生した背景には、事件が発生した1973年当時、10月にはトイレットペーパー騒動が発生するなどの騒動があったこともあげました。

オイルショックによる不景気という社会不安が存在し、デマが流れやすい下地があり、このため、口コミで情報が伝わるうちに、情報が変容したと考えられます。また、事件の7年前の1966年、小坂井町の隣の豊橋市の金融機関が倒産するという事件があり、出資者の手元に出資金がほとんど戻ってこないという大きな被害を与えていました。

デマの伝播に一役買った、クリーニング業者もこの7年前の倒産被害者であったため、善意で周囲の人間にデマを広めてしまったこともわかりました。この業者は、過去の経験から、このときも大金をおろすよう妻に指示しており、このため、デマがさらにリアリティを獲得し、パニックの引き金となっていったようです。

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このように、狭い地域社会の中でデマが次第にエスカレートしていくことを、「交差ネットワークによる二度聞き効果」といい、これは別々の人から同じ情報を聞くことで、それに信憑性があるものと思い込んでしまうという社会現象です。

日本では、この事件より前の1971年に成立した預金保険法で、預金保険機構の裏付けのもと、ペイオフ(預金保護)制度が既に施行されていました。これは金融機関が破綻した場合、預金保険機構が預金保険金の給付として預金者に直接支払いを行うという決め事で、この当時は100万円までのペイオフが設定されていました。

しかし、このころはまだこうした法令の一般への認知度が十分ではありませんでした。この事件においては、こうした預金保護制度を知っていて、渦中において預金をしに来る、という冷静な人さえいたようですが、大方の預金者は貯金どころではなくパニックに流されてしまう結果となりました。

こうした、デマが事件に発展するということは、この事件以前にも数多くあり、1923年の関東大震災においても、朝鮮人が井戸に毒を入れた、放火・暴動を起こしている、クーデターを起こすため海軍東京無線電信所を襲おうとしている、というデマが飛び交った結果、無関係の朝鮮人だけでなく、日本人、中国人も含む多数が殺害されました。

また、2011年の東日本大震災でも多くの流言が発生しており、震災発生後1か月で80個ものデマが広がりました。大別して11種類にも分けられるといい、その内訳は「情報の混乱によるデマ」「科学的・医学的知識の欠如によるデマ」「偏向報道によるデマ」「政治家を貶めるデマ」「外国の支援を政府が妨げているとするデマ」などでした。

特に、この地震のデマはツイッター上で流れた不正確な情報を大量にツイートする人がいたことから広まるケースが多かったようで、さらに国内マスコミに不信感を持つ人々が海外メディアの誤報をインターネットに転載したため、デマに拍車がかかりました。

こうした外国メディア報道とされたものの中には「福島第一原発では核兵器開発が行われていた」「東日本は今後300年、焦土と化す」など、といったひどいものもありました。

最近では、昨年2014年8月に広島市を襲った集中豪雨による土砂災害被災地において、韓国人窃盗団による空き巣犯罪が広がっているという噂がネット上で流布され、広島県警がこれを否定するコメントを出す、といった事態に発展しました。また、マスメディア関係者による食料買い占めのデマも広まったといいます。

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このように、デマが発生するか否かは、「情報の重要さ」と「情報の不確かさ」で決まってきます。どうでもいいこと、つまり重要性が低くて、しかも嘘に決まっていることが確実である、つまり「不確かさが極小」なら、流言は発生しません。

また、大切なこと(重要性が高い)ではあるものの、やはり嘘に決まっている、あるいはウソであることがほぼ確実であるなど不確かさが極小なら、こちらも流言発生は噂話や伝言にとどまります。

ところが、人々が重要性が高い大切なことと考える事象であり、しかも嘘か本当か分からない、すなわち「不確かさが極めて大きい」ときには、流言が発生しやすくなります。

重要性が高いこと、というのは命の問題が最たるものですが、多くの人にとっては、それに次ぐものは金銭の問題であり、情報の出どころがあいまいだったこの信金事件ではその二つがドンピシャと当てはまる結果となりました。

さらに、流言が発生するにはある条件を満たしているとより広がりやすくなる傾向があるとされます。その要因のひとつが、“話をしたがる人”であり、その人に信用がある、または情報をよく知っているなどの条件が重なれば、聞き手はそれが本当であると信じてしまう傾向にあります。

信用がある、というのは有識者や学識経験者だけとは限らず、長年同じ商売をしている人、長い付き合いがある人などがそれです。また、情報を良く知っている人、というのも、ときには町内にごくありふれたおばさんであったりもするわけです。

こうした人の話は検証せずに鵜呑みにしてしまうことも多く、次々と伝播していきます。さらに、「これはためになる」と思い込むことから、良かれと思い、つまり善意で自分の周囲の人や知人に広く伝播させてしまう傾向が強いといいます。

こちらは、近年ではチェーンメールが発達していることから、こうしたメディアで広まってしまうことも多いようです。

例えば、メールで「圧縮ソフトを使うとウイルスにかかってしまうらいしい」、とか」「輸血で必要なためB型Rhマイナスの人を探しています」などといった書き込みがあった場合、多くの人は相手のことを思いやる気持ちから、あえてその情報を流してしまいがちです。

こうした情報は、一見、善意の情報のように見え、何の害もないようにみえますが、実は何者かが流した偽の情報であったり、情報の内容によっては、上述の信金事件のように社会的重要問題に発展してしまう場合もあります。

また、受け手側の心理的な要因として、予測不能な事態に陥ったときの「不安」というものがあります。

一般に、災害発生直後などでは、人々の不安は高い状態になりやすく、こうした状況下では流言に対する被暗示性が高くなり、不安が強い人ほど流言を信じやすくなるという傾向がみられます。いわゆる疑心暗鬼の状態であるため、不安によって正しい判断ができないわけです。

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さらに、何等かの対策を講じるにも知識がない、判断能力がない、といったこともデマを信じてしまう要因になります。

流言を受け取っても、批判能力の高い人の場合には、他の情報源にあたってチェックするなどの情報確認行動をとることにより、真偽を見分け、流言の伝播を食い止めることができます。ところが、普段から自律的に行動せず、他人の行動ばかりみて自分の行動をどうするかを決めている、つまり、流されて生きている人はこうはいきません。

1938年10月にアメリカでSF「宇宙戦争」のラジオドラマ放送をきっかけとして起こった騒動では、番組で連呼された「火星人襲来!」を事実と勘違いして多くの人がパニックに陥りましたが、その後の調査では、こうしたパニックに陥った人の多くが、「批判能力」の低い人であった、という調査結果が得られたといいます。

実は聴いている放送を他局に変えればそのような事実はないことがすぐに確認できたわけですが、それすらをしなかった、できなかったというのは判断能力がない、とみなされても仕方がないわけであり、判断能力がない人というのは、すなわち批判能力も劣っていることが多い、というわけです。

社会的情勢が不安定である時代には、噂が広がりやすいとされます。例えば、石油ショック・不況といった何らかの社会情勢の不安定化、大地震などといった天変地異、伝染病の流行などがその契機になると見られており、人間の、危機や不安に対する自己防衛本能、最悪の場合を想定してそれに備えようとする本性との関連が指摘されています。

今年一年を振り返るに、今年だけでなく、ここ最近の日本はやはり社会情勢が不安定という感が否めません。そこへ加えて中東のIS問題やフランスのテロ事件などの諸外国の問題が日本にも影を落としつつあり、さらに日本ブームによって入国する外国人も増え、一層その不安定さの行方を不透明にしています。

幸い、今年は国内においては大多数の人がパニックになるような大きな事故、事件はありませんでしたが、来年また東北大震災のような災害が起こらないとも限りません。事件事故がおこったときに常に冷静である、ということは誰にでもできることではありませんが、せめて、判断能力、批判能力だけは常日頃から持つように心がけたいところです。

さて、今年も残り少なくなりました。年賀状も書いてない、大掃除もしていない私としては、こんなブログを書いてばかりいては立ち行きません。

なので、今年はもうあまりブログをアップしないかもしれませんが、書き込みがなくなったとしても、ついにクタばった、といった類のデマは飛ばさないよう、お願いいたします。

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