こだまでせうか

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先日テレビを見ていたら、カニの季節、ということで越前ガニの高級ブランド化の話題がNHKで放映されていました。

福井県では昨年暮れ、11月6日に漁解禁となった「越前がに」を販売するための観光営業戦略のため、今シーズンから重さ、大きさに基準を設け、それを上回ったズワイガニを最上級の新ブランド「極(きわみ)」として売り出していくといいます。

既に最高級ブランドとして知られるこの蟹の地位を確固たるものとし、県全体で水揚げされる越前がにの評価、価格のさらなる向上につなげていきたい、といった意向のようです。

「極」の基準は重さ1.3キロ以上、甲羅の幅14.5以上、爪の幅3センチ以上。この基準に達するズワイガニが揚がるのは、1シーズンに500杯前後で全体の0・5%以下といいます。重さ1キロ以上の越前がには通常、競り値で2~3万円、小売価格は、その2~3倍になるといわれますから、我々にとってはとても手の届かないような高級食材です。

こうした高級化の背景には、北陸から山陰までの日本海側では、カニを石川県は「加能(かのう)がに」、京都以西では「松葉がに」の名前で市場に出していることがあるようです。産地間の競争が激しくなる一方の中、最も単価が高い「越前がに」の地位を、さらに新ブランドで極めていきたいのだといいますが、何やら遠い世界の話のようです。

ところで、この越前がにのテレビ映像を見ていて気になったのですが、それほどの高級品なのに、このカニの甲羅には黒いブツブツとした粒状の物体がいっぱいついていました。見ればみるほどちょっと不気味というか、むしろ気持ち悪いのですが、いったいあれはいったいなんなのでしょうか。

調べてみると、この黒い粒の正体は「カニビル」の卵だそうです。川や沼などにいるあのヒルです。ヒルといえば、昔子供のころに川で遊んでいるといつのまにやら足に取りついていて、そこから血を吸われているのをみて卒倒しそうになるという、苦い経験をしたことが何度かあります。

陸上だけかと思ったら海中にもいるようで、世界中に生息する生命力の強い動物です。ただし、卵から孵った成虫は蟹には寄生せず、魚の体液などを吸って栄養をとっているといいます。あくまで卵だけを蟹の甲羅に産み付けているだけで、見た目は悪いですが蟹にとって特に害はないということです。

まれに成虫が蟹の甲羅に付いた状態で水揚げされる場合もあるようですが、寄生したり甲羅を破って体液を吸うような事はありません。

なぜ蟹の甲羅に卵を産み付けるかというと、これはカニビルの生息する海域は海底が泥に覆われ柔らかく産卵に適さないためであるためです。このためヒルのエサになる魚が多い海底に生息する蟹と共に移動すれば卵も産みやすくなり、かつ餌をも取りやすいというわけです。

カニビルの卵産み付けの対象になってしまっている蟹は、この越前ガニに代表されるような「ズワイガニ」をメインに「タラバガニ」にも小さいものが見られます。が、さすがに毛ガニには産み付けないようです。

このツブツブがたくさん付いているとおいしいという話もあるようですが、これは、脱皮から経過した時間が長い、硬い甲羅の蟹にしか卵を産みつけられないからです。ヒルの卵がつくというのはそれなりに脱皮から時間が経ったカニということになります。

蟹は脱皮の際に栄養を使うため、その直後は中身がつまっておらず、スカスカな状態になるそうです。しかし脱皮後からかなりの時間を経て殻も固くなるころまでには十分な栄養を取って肥え太っており、その場合はヒルの卵も多く付いていることが多いというわけです。

ただし、脱皮から間もない蟹にも産みつける事があるため、脱皮から時間が経っているからといって絶対に身がつまっているとはいえず、あくまで目安の1つだといいます。

なお、カニビルが付いていればズワイがの産地がわかるといいます。最近ではズワイガニにも輸入ものが数多く流通しています。

このため「日本海産」「日本産の蟹」といったふうに国産であることを強調したり、越前がにや松葉ガニのように「ブランド蟹」として売り出します。この場合、このカニビルのことを引き合いに出し、「日本海側にしか生息しない」とアピールする、という話もあるようです。

とはいえ、カニビルはロシア産の蟹に付着していることも多く、日本海側だけでなく北海道や東北の太平洋側でとれた蟹でも見られるようで、日本産である絶対的な証拠にはなりません。とはいえ日本海産の蟹に多い傾向はあるようです。

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ちなみにこのカニビルは食べられません。また、付いていて何も害はないわけですが、見た目にはやはり少々グロテスクです。このため、昨今は綺麗な個体が好まれる傾向が強く、カニビルがびっしり付着した個体は敬遠されるようです。

料亭やかに料理店などでは取り除いてから出される事が以前より増えているようですし、通販サイトなどのサンプル写真を見てみても、取り除いて撮影しているショップが多いようです。

ところで、カニといえば「猿蟹合戦」を思い出します。何度聞いても面白い話であり、子供のころには私もその絵本を持っていて、大事な宝物のひとつでした。

誰でもが知っている話ではありますが、改めてアップすると、そのあらすじはこうです。

蟹がおにぎりを持って歩いていると、ずる賢い猿がそこらで拾った柿の種と交換しようと寄ってきました。蟹は最初は嫌がります。しかし、種を植えれば成長して柿がたくさんなってずっと得するよ、と猿が言ったので、食いしん坊の彼女はその甘言に負けてついにおにぎりとその柿の種を交換してしまいます。

こうして柿の種を手に入れた蟹はさっそく家に帰って「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」と歌いながらその種を植えました。そうしたところ効果があったのか、柿の木は急速に成長していき、たくさんの柿の実をつけるようになりました。

ところが、蟹は横歩きはできますが、柿の木に登って実をとるといった芸当はできません。困っていると、そこへやって来た猿がこれを見て、代わりに自分が取ってあげようと押し売りをします。スルスルと木に登ってさっそくたわわになった実をひとつガブリ。また一つ一つと平らげますが、ずる賢い猿は自分が食べるだけで蟹には全然やろうとしません。

蟹が早くくれと言うと猿は、それならこれをやるよ、と青くて硬い柿の実を蟹に投げつけました。その固い実は蟹の甲羅を直撃し、大けがをしてしまいます。実はカニはこのとき妊娠しており、多くの子供をその甲羅の中で温めていましたが、この怪我と猿に裏切られたショックで子供を産むとすぐに死んでしまいました。

こうして母亡き子となった子供の蟹達ですが、周囲の助けを得てすくすくと成長します。そして母親と同じほどにも大きくなったころ、かつての親の敵、猿を討とうとついに立ち上がります。そしてかねてより子育てに参加してくれていた、「栗」と「臼」、「蜂」と「牛糞」を家に呼び、猿への敵討ちの算段をします。

その相談の結果、御馳走をふるまうとだましてサルを家に呼び、やっつけようという合議がまとまりました。こうして、何も知らないサルはごちそうと聞くと喜び勇んで蟹の家にやってきました。このとき、栗は囲炉裏の中に隠れ、蜂は水桶の中に隠れ、牛糞は土間に隠れ、臼は屋根に隠れました。

こうして猿が蟹の家にやってきます。その日は寒い日でした。おーい蟹ど~んと呼ぶも誰も答えないので、猿はともあれとそこにあった囲炉裏で身体を暖めようとします。そうしたところ、突然栗が火中からどび出して猿に体当たりをしたため、猿は大やけどを負ってしまいました。

急いでやけどをしたところを水で冷やそうと水桶に近づきふたを開けると、今度は中から蜂が飛び出してきました。蜂に刺され、驚嘆して家から逃げようとしますが、そのとき入り口に寝そべっていた牛糞に滑り前のめりに転倒。

そこへさらに屋根で待ち構え縦から臼が落ちてきて、猿の背中に飛び乗ったものですからあえなく猿は潰れて死んでしまいました。こうして無事、子供の蟹達は親の敵を討つことができ、その後は助けてくれた仲間たちと一緒に末永く幸せに暮らしました、とさ……。

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この話には別バージョンのものもたくさんあり、たとえば、猿が蟹の代わりに木に登って柿を独り占めすると、蟹が一計を案じて「柿の籠は枝に掛けると良いんだが」とつぶやく、というのがあります。猿はなるほどと枝に籠を掛けると、柿の枝は折れやすいので籠は落ちてしまいます。

蟹は素早くこれを抱えて穴に潜り込み、猿が、「柿をくれ」というと、「入っておいで」と取り合わないので、猿は怒り、「では、穴に糞をひり込んでやる」と穴に尻を近づけました。このとき、蟹はあわてて爪で猿の尻を挟んだので、それ以来、サルの尻から毛がなくなり、蟹の爪には毛が生えるようになったという、話です。

また、1886年(明治19年)の小学校令で設けられた尋常小学校の教科書に掲載された「さるかに合戦」にはクリではなく卵が登場しており、爆発することでサルを攻撃しています。この教科書では牛糞がに昆布に代わっており、そのぬめりで猿を滑って転ばせる役割を果たしています。

おそらくは、富国強兵策で教科書にも軍事色を出したかったこと、その一方で明治政府が進めていた各種の民度向上策の中において、牛糞といった非衛生なものは好ましくないと考えたのでしょう。

ほかにも猿蟹合戦のあらすじは地方などにより様々です。地域によってタイトルや登場キャラクター、細部の内容などは違った部分は持ちつつも似たような話が各地に伝わっており、たとえば関西地域では油などが登場するバージョンの昔話も存在します。

昭和末期以降は蟹や猿は怪我をする程度で、猿は反省して平和にくらすと改作されたものが多く出回るようになっていますが、これは「敵討ちは残酷で子供の教育上問題がある」という意見のためのようです。また明治の教科書同様、オリジナルにある牛糞が登場しない場合も多いようです。汚い表現は慎むようにという、文科省のお達しでしょう。

この猿蟹合戦のように、ずる賢い輩が身内を騙して殺害し、殺されたその人物の子供達に仕返しされるというかたき討ち話は古来より掃いて捨てるほどあります。「因果応報」が主題であり、かくして日本人はこうした復讐話が大好きです。

しかし芥川龍之介などは、逆にこの猿蟹合戦の結末はおかしい、と満足せず、むしろ猿を殺してしまった蟹達のほうが悪い、と、親の敵の猿を討った後逮捕されて死刑に処せられるという短編小説を書いています。

このように、攻撃行動は通常は「悪い」行動として道徳背反行為とされます。が、実際には必ずしも「悪い」と判断されません。

被害の回避を目的とした正当防衛などの攻撃行動や、加害者への報復行為・報復的攻撃については必ずしも悪いとは判断されないことから、他の文学作品などでは文脈を考慮して判断され、攻撃行動がむしろ許容されることも多いくらいです。

戦争などで攻撃を受けた側が報復する場合などは肯定的に評価されることすらあります。報復・復讐攻撃は被害者側の相対的剥奪感を解消し、公平感をもたらすこともあり、近年、米国の刑法学においても「報復的公正」が研究されているといいます。

親が子供にいじめられてもやりかえしちゃだめよ、と教えていても、子供社会においてはこうした復讐劇は普通に存在するようです。それほど人間の「本能」に近いところに根付くものなのでしょう。

幼稚園児童の研究によれば、他の児童からものをとりあげるなどの挑発的攻撃、奪われたものを取り返す報復的攻撃、さらに別の児童が取り返してあげるなどの制裁的攻撃の3つの概念があるそうです。

また幼児らは、挑発的攻撃は悪いと判断する一方で、報復的攻撃・制裁的攻撃は許容することが観察されており、幼児においても「報復的公正」への理解があるとされます。報復には、その目的を自己か他者、動機を回避、報復としたうえで次の4つの攻撃があるとされるようです。

防衛 (自己目的、回避)
報復 (他者目的、報復)
擁護 (他者目的、回避)
制裁 (他者目的、報復)

報復、制裁という言葉は他者を懲らしめるという意味合いが強いものですが、防衛、擁護のため、といわれればなぜか納得してしまう、といったことはよくあります。自衛隊は他国を攻めるための部隊ではなく、防衛のための組織だとするのと同じ論理です。

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原始社会においては、報復は権益を侵害する者に対して、一般的に行われていました。また、報復された側が報復をやり返し、結果止めどなく報復の連鎖を招くことは普通にありました。日本でも敵討(仇討ち)、お礼参りなどは近代以前には認められており、上の猿蟹合戦もその流れから出てきた童話でしょう。

ただ、「目には目を、歯には歯を」で有名な、古代メソポタミアの、「ハンムラビ法典」はそもそも報復を奨励したものではなかったそうです。

もともとは、「命には命を、目には目を、鼻には鼻を、耳には耳を、歯には歯を、全ての傷害に同じ報復を」という文々ですが、このあとに「しかし報復せず許すならば、それは自分の罪の償いとなる」という但し書きが添えられていました。

無制限報復が一般的だった原始社会では、逆に行き過ぎた報復行為を制限する目的があったためのようです。

しかし、その他の地域ではやはり報復は社会的に認められることも多く、また、ロシア連邦のチェチェン共和国では、自分の肉親を殺されると7代にわたって復讐の義務が発生するそうです。また同じ東欧のアルバニアには、「ジャクマリャ」という古くからある血の復讐のおきてがあります。

イタリアのシチリアではこれは「オメルタ」といいます。 また同じイタリアのコルシカ島でも「ヴェンデッタ-コルシカ」というる血の復讐のおきてがおり、これらの「血のおきて」は映画「ゴットファーザー」でも紹介され、有名になりました。

そのイタリアで編纂されたローマ神話はギリシア神話と深いかかわりがあり、共通点が多いことでよく知られています。そのギリシア神話には、「ネメシス」という、復讐の女神が登場します。夜の女神である「ニュクス」の娘とされますが、このニュクスとは、ほぼ死を意味する同義語とも考えられており、この「死」にまつわる多くの子を産んだとされます。

復讐神ネメシスのほかにも、忌まわしいモロス(死の定業)、死の運命であるケール、またタナトス(死)を生み、次いでヒュプノス(眠り)とオネイロス(夢)の一族を生み出しました。更に、モーモス(非難)とオイジュス(苦悩)を生んだとされます。

ネメシスは、「義における憤り」に基づいて生まれたといい、別名は「義による復讐」です。つまり、元来は「義憤」の意です。人間が神に働く無礼に対する、神の憤りと罰の擬人化です。従って、「復讐」とはいいますが、現在我々が認識している「復讐」とは少しニュアンスが違っているようです。訳しにくい語であるためのようです。

このネメシスは美貌の持ち主だったため、全能の神、ゼウスは彼女と交わろうとします。しかし、ネメシスはいろいろに姿を変えて逃げ、ネメシスがガチョウに変じたところゼウスは白鳥となって交わりました。結果としてこの女神はひとつの卵を生みました。

この卵をある羊飼いが見つけ、現在のギリシャのペロポネソス半島南部にあった強国、スパルタの王妃レーダーに届けます。そしてこの卵からトロイア戦争の原因ともなった地上で最も美しい絶世の美女、ヘレネーと双子の兄弟、ディオスクーロイが生まれました。「ディオスクーロイ」は「ゼウスの息子」の意味であり、「不死の神」とされます。

古代ギリシアで、アテナイ(アテネ)では、ディオニュシア祭という重要なお祭りがあり、ここでは「悲劇」が演じられました。これを「ギリシア悲劇」といい、この劇中でもネメシスは「神罰の執行者」としてしばしば登場します。

また、アテーナイではネメシスの祭、ネメセイア(Nemeseia)が行われていたといい、これは十分な祭祀を受けなかった死者の恨み(nemesis)が、生者に対して向かわぬよう、執り成しを乞うことを主な目的としました。こうした祭りの流行によって、ネメシスは民衆に「復讐を司る女神」とみなされるようになっていったわけです。

そして、ニュンペーのエコーの愛を拒んだナルキッソス(ナルシス)に罰を与えたのもこのネメシスであるとされます。ニュンペーは、ギリシア神話などに登場する下級女神(精霊)で、山や川、森や谷に宿り、これらを守る「森の妖精」で、エコーはその一人です。

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一方、ナルキッソスは、若さと美しさを兼ね備えていた美少年でした。盲目の予言者テイレシアースによって、「己を知らないままでいれば、長生きできるであろう」と謎の予言されていました。

あるとき、美の女神、アプロディーテーは、彼にある贈り物をします。

「美しさと人を愛する喜び」がそれでしたが、自分の美だけを誇るナルキッソスは、この贈り物をバカにします。アプロディーテーは怒り、ナルキッソスを愛し、手にいれようとする相手を彼がことごとく拒むようにしてしまいます。

彼は女性からだけでなく男性からも愛されていましたが、このため彼に恋していた狩り仲間の一人であるアメイニアスという若者も邪見にするようになります。やがてアメイニアスは彼を手に入れられないことに絶望し、自殺してしまいます。

一方、エーコーは歌や踊りが上手なニュンペーでしたが、彼女もまた彼に恋をしました。ところが、エーコーは女好きのゼウスが妻のヘーラーの監視から逃れるのを歌とおしゃべり(別説ではおせじと噂)で助けたためにヘーラーの怒りをかいます。このため、ゼウスによって自分では口がきけなくされ、また他人の言葉を繰り返すだけになってしまいます。

ナルキッソスに恋してしまったエーコーでしたが、このため彼に話しかけることができず相手にもしてもらえません。彼と会話をしようにも、ナルキッソスの言った言葉を繰り返すだけであり、何もできなかったので、ナルキッソスは「退屈だ」としてエーコーを見捨てしまいます。

エーコーは悲しみのあまり自分を見失います。そして屈辱と恋の悲しみから次第に痩せ衰え、肉体をなくして声だけの存在になり、ついには木霊になりました。

これを見たネメシスは、自分を愛する者を拒み、誰をも愛せないようになっていたナルキッソスに対し「復讐」をもたらします。それは「自分だけしか愛せなくする」という罰でした。

こうして純粋なエーコーをも拒んだ無情なナルキッソスは、文芸を司る女神ミューズたちが棲むパルナッソス山にネメシスによっておびき寄せられます。かつてナルキッソスは、予言者テイレシアースによって、「己を知らないままでいれば、長生きできるであろう」予言されていました。

しかし、そんな予言のことなどすっかり忘れていた彼は、パルナッソス山の麓にあった泉の水を飲もうと、その水面に近づきました。すると、そこにはこれまで見たこともないような美しい少年がいました。もちろんそれはナルキッソス本人だったわけですが、ナルキッソスはひと目でその自分に恋しました。

そしてそのまま水の中の美少年から離れることができなくなりますが、水面の中の像は、いつまでたってもナルキッソスの想いに決して応えることはありませんでした。彼はやがて憔悴し、やせ細り、ついには力尽きて死にました。

そして、ナルキッソスが死んだあとそこにはいつしか水仙の花が咲くようになりました。それはある寒い冬のころのことでした。それゆえスイセンは今のこの季節、水辺であたかも自分の姿を覗き込むかのように下を向いて咲きます。

この伝承から、スイセンのことを欧米ではナルシス(Narcissus)と呼びますが、また、ナルシスト(ナルシシズム)という言葉の語源ともなりました。「自己愛」のことであり、自己を愛し、自己を性的な対象とみなす状態です。転じて「自己陶酔」「うぬぼれ」といった意味で使われることもあります。

こうして復讐の女神ネメシスによって、ナルキッソスは終には命を落とすわけですが、ナルキッソスが死ぬ前の嘆きの声は、そのままエーコーの嘆きとなりました。エーコーの嘆く声は、このようないきさつで木霊となって今でも野山において聞こえるのだといいます。

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日本では、この木霊は、木魂とも書き、樹木に宿る精霊です。また、それが宿った樹木を木霊と呼びます。山や谷で音が反射して遅れて聞こえる現象である山彦(やまびこ)は、この精霊のしわざであるともされています。

「源氏物語」には、「鬼か神か狐か木魂(こだま)か」「木魂の鬼や」などの記述があることから、当時すでに木霊を妖怪に近いものと見なす考えがあったと見られています。怪火、獣、人の姿になるともいい、古い絵図には犬のような妖怪として描かれることが多いようです。

人間に恋をした木霊が、人の姿をとるようになり、ついには人里に下りて恋した相手に会いに行ったという話もあり、これは物悲しいギリシア神話にもどことなく似ています。

「こだま」という言葉の響きも何かしら物悲しい感じがするものですが、西條八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛された「金子みすゞ」も同じような悲哀を感じ取ったのでしょう。有名の作品として、以下の「こだまでしょうか」を残しています。

■こだまでしょうか

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。

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東日本大震災のあと、民間CMが自粛されていた折、公共広告機構(ACジャパン)が代わりのCMを流しました。このとき、この「こだまでしょうか」がそのひとつに取り上げられ、歌手・UAの朗読でこの詩が繰り返し放送されました。

その結果、それまであまり知られていなかった金子みすゞという詩人が大いにブレークするところとなりました。覚えている方も多いでしょう。

この直後から「金子みすゞ全集」の売り上げが伸びました。しかし、地震の影響で重版が困難なことから、急遽電子書籍化された「金子みすゞ童謡集・こだまでしょうか」が出版されたりもしました。また、「こだまでしょうか」独特の語調をパロディにした作品がインターネット上で広まるなどの話題を呼びました。

そうした影響もあって、震災のあった年には、金子みすゞ記念館の入場者数が急増。5月には100万人を突破したといいます。その後も金子みすゞブームは衰えず、あいも変わらず同館を訪れる人は多いようです。

そのみすゞが生まれ育った山口には今日明日、この冬一番の寒波が訪れるといいます。大雪になる可能性もあるのだとか。

その山口県は、昨年暮れに発表された全国都道府県魅力度ランキングでは41位だったといいます。農業就業者数が全国的にも高く、またその平均年齢は全国トップの70.3歳という「老齢農業県」でもあります。

かつて長州と同盟を組んだ同じ農業県の鹿児島では、春になると木霊こと、山の神が、山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻るという信仰があるといいます。他の県にも同じような山の神伝説があるところは多いようです。無論山口もです。

その山の神が下りてくる春もだんだんと近づいてきました。もうすぐ節分です……

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