宇宙戦争

最近、ニュースといえば、北朝鮮のミサイルや核開発の話題ばかりです。

少々うんざり気味ではあるのですが、わが国、いや全世界を滅ぼしかねない最終兵器を持つ暴走国家の動向から目が離せないのはあたりまえであり、いたしかたないこととは思っています。

それにしても、かつては夢物語と思っていた核戦争や宇宙戦争といったものが現実的になりつつある時代なのかな… と夏バテで少々ふやけ気味の頭でぼんやりと考えていたりもしています。

ところで、宇宙戦争といえば、やはり巨匠ジョージ・ルーカスの大作、スターウォーズがまっ先に思い浮かびます。しかし、イギリスの作家H・G・ウェルズが1898年に発表した小説にも同名のものがあり、SFの古典として今も高く評価されています。

原題は、”The War of the Worlds” となっており、“wolds”は直訳すれば「世界同士」となります。「地球人の世界」と「火星人の世界」の2つの「世界」が争いを描いた話であり、その後こうした架空の宇宙人とのあいだで戦闘が勃発する、といったモチーフを用いた小説や映画が繰り返し創作されてきました。

映画として中でも有名なのは、戦後の1953年9月に公開された「宇宙戦争」で、製作はSF映画の製作者として名高いジョージ・パル。H・G・ウェルズ作の翻案で、舞台は20世紀半ばのカリフォルニア。映画の中で登場する火星人の戦闘機はエイのような形をしており、1本の触角を生やしていました。

また、1996年に7月に公開された「インデペンデンス・デイ(ローランド・エメリッヒ監督、ウィル・スミス主演)」。こちらはかなり原作とは異なったものとなりましたが、多数のCGを駆使し、ジョージ・パル版同様、非常に凝った爆発シーンやアクションが多数あったことが受け、大ヒットました。

一番最近では、2005年、巨匠スティーヴン・スピルバーグ監督により再び映画化された「宇宙戦争」があります。巨大なマシンを操り地球を攻撃する宇宙人に対して、必死の抵抗を試みる人々を描いた映画で、トム・クルーズとダコタ・ファニングという人気の俳優の主演ということもあり、そこそこヒットしたようです。

未知との遭遇」「E.T.」と過去に人類に友好的な異星人との交流を扱った作品を手掛けてきたスピルバーグが、一転して宇宙侵略物の古典の映画化に挑んだ本作は、2001年9月11日に起きた同時多発テロ事件で受けたアメリカに住む人々の衝撃・思いを反映して製作された、といいます。

映画には墜落したジャンボ旅客機、掲示板に貼られた無数の人探しの張り紙、といった舞台装置が登場していますが、映画のメイキングでスピルバーグも公言している通り、これらは9.11のテロを連想させるため、あえて描いたものだそうです。

本作もH・G・ウェルズの小説を原作としていますが、それだけではなく、1938年にオーソン・ウェルズの演出で発表され、一世を風靡したラジオドラマ版の要素をも引用して製作されたといいます。




そのH.G.ウェルズのオリジナルの「宇宙戦争」のあらすじを少し書いておきましょう。

9世紀6月の金曜日の未明、イギリスは、ウィンチェスター上空で緑色の流れ星が観測され、天文学者のオーグルビーは、この流れ星がロンドン南西ウォーキング付近に落ちているのを発見。それは直径およそ30mほどもある巨大な円筒形をした宇宙船でした。

見物人が群がる中、円筒の蓋が開いて醜悪な火星人が現れ、彼らが円筒に近づいた途端、目に見えない熱線が人々を焼き払います。熱線は恐るべき威力で、人間や動物を含め、周囲の木々や茂み、木造家屋などが一瞬で炎に包まれました。

その夜、英国軍が出動しますが、十分に攻撃体制が整わないうちに、火星人の第二、第三の円筒が落下(着陸)します。翌日・土曜の午後にようやく軍隊の攻撃が始まりますが、今度は円筒の中から屋根よりも高い3本脚の戦闘機械(トライポッド)が登場し、あたりの街の破壊の限りを尽くし始めます。

これに対して出動した英国軍は全滅。さらに翌日の午後には、テムズ河畔に火星人の戦闘機械5体が現れますが、英国軍の砲撃で戦闘機械の1体を撃破。一旦は撃退に成功します。しかし、火星人はその夜から、さらに新兵器を投入。液体のような黒い毒ガスと熱線を使う攻撃に戦法を変更し、軍を撃破してロンドンへと向かいます。

月曜日の未明になるとさらに火星人の進撃は続き、ロンドン市民はパニック状態で逃げ惑います。軍隊は総崩れ。英国政府は「もはや火星人の侵攻を阻止し、ロンドンを防衛するのは不可能である。黒い毒ガスからは逃げるより他にない」と避難勧告を出しました。

その日英仏海峡に現れた火星人の戦闘機械3体に対し、沖にいた駆逐艦サンダーチャイルドは、戦闘機械目がけて突進し、砲撃で撃破。2体目に迫る途中、熱線を受けて大爆発するも、体当たりで2体目も撃破するなど善戦をしました。3体目の戦闘機械は逃げ去りますが、その後もイギリス本土への火星人の円筒の落下は続きます。

ところが15日目の朝、突然火星人の進撃が止まります。火星人に襲撃され、あと一歩で捕まりそうになり、廃屋に閉じこもっていた主人公、オーグルビーが思い切って外に出ると、火星人らは姿を消していました。

静寂に包まれたロンドンに入った彼は、そこで戦闘機械を見つけます。死を決意し近づいていきますが、そこで見たものは火星人の死体でした。のちに判明したのは、彼らを倒したのは人間の武器や策略ではなく、太古に造物主が創造した微生物ということでした。

微生物に対する免疫がない火星人は地球に襲来し、呼吸し、飲食し始めた時から死にゆく運命だったのです。やがて人々は破壊された街へ舞い戻り、今度こそは宇宙人に負けない国づくり、いや星づくりをと、復興が始まりました…

原作は、1890年代後半にイギリスの雑誌や新聞に連載されていましたが、1898年に最終版が出版され、それ以来、現在に至るまで重版が続いています。この初版本の公表に先立ち、アメリカでは2回の無許可の連載が新聞に出されました。

最初は1897年12月から1898年1月までニューヨーク・イブニング・ジャーナルに掲載されたもので、物語の舞台はニューヨークに変えられていました。また第二の連載では、火星人が現れたのがボストン近郊になっていました。

その後、アメリカでも正式に出版されて人気を博しましたが、1938年10月30日には、ハロウィン特別番組として、アメリカCBSのラジオ番組「マーキュリー放送劇場(The Mercury Theatre on the Air)」の中で放送されました。

番組は、音楽中継の途中に突如として臨時ニュースとして火星人の侵略が報じられるという体裁になっており、物語の舞台は、先の新聞連載と同じく、アメリカ合衆国に実在する各地の地名に改変されていました。

ところが、この生放送を多くの人が本物だと信じました。侵略がフィクションである旨を告げる「お断り」が何度もあったと言われますが、そのうちの1度は放送開始直後、残り2度は終了間際でした。このため、聴取者の多くが話に夢中で、この「お断り」を聞きのがしたと考えられています。結果として多くの聴取者を混乱と恐怖に落としめ、実際の火星人侵略が進行中であると信じさせました。

無論、原作本を読んでいた人も多くいて、すぐにおかしいなと感じた人も多かったようです。番組の内容がウェルズの「宇宙戦争」であることに気がついた人や、番組内容の非現実的なディテールに気がついた人などは、他のラジオ局で同様の放送をやっているか確認したり、新聞の番組表を見直すなどして事実を掴みました。

しかし、同じように番組を聴いていてパニックに襲われ、混乱していた人に確認の電話をかけてしまい、逆に感化されてしまった人も多かったようです。こうして、正確な知識や情報を得られず、明確な根拠も無い人が増え、そのままに広まる、いわゆる「デマゴーグ」が全米中に連鎖的に広まりました。

「マーキュリー劇場」は、もともと聴取率が非常に低い不人気番組であり、「宇宙戦争」の前週の聴取率はわずか3.6%でした。しかし、たまたまこのとき、裏番組では当時アメリカ国民の3人に1人以上が聴取していたという“The Chase and Sanborn Hour(チェースとサンボーンの時間)”というコメディ番組をやっていました。

ちょうど宇宙戦争のほうがが始まったとき、この国民的人気を誇る裏番組に、なぜか超不人気の歌手が登場したといい、多くの人が局を変えた瞬間、たまたま火星人によるニュージャージー州襲撃のくだりが放送されました。その迫真のナレーションが、パニックに拍車を掛けたもうひとつの原因といわれています。

さらに1938年といえば、ちょうどこのころヨーロッパでは、チェコスロヴァキアのズデーテン地方帰属問題をめぐってナチス・ドイツと欧米列強が緊張関係にありました。アメリカ国民の間でもヨーロッパで戦争が勃発して自国も巻き込まれるかもしれないという懸念が膨らみつつあった時期であり、このため、火星人による襲撃をドイツ軍による攻撃と勘違いした住民も多かったようです。

ナチス・ドイツの台頭により、開戦への緊張感が高まっている時代であったことも関係したわけですが、さらに混乱に拍車をかけたのは、この作品をプロデュースしたのが、天才脚本家といわれたオーソン・ウェルズであったことです。

子供のころから、詩、漫画、演劇に才能を発揮する天才児といわれたウェルズですが、このころは人気俳優として人気絶頂でした。劇団「マーキュリー劇場」を主宰し、シェークスピアを斬新に解釈するなどさまざまな実験的な公演を行って高く評価され、1936年、ラジオにも進出し、CBSのラジオドラマのディレクターも始めていました。

オリジナルの「宇宙戦争」の舞台はイギリスでしたが、これを放送する際には、舞台を現代アメリカに変え、またその出だしもヒンデンブルク号炎上を彷彿とさせるような臨時ニュースで始めました。そしてウェルズ自らが演じる「目撃者」による回想を元にしたドキュメンタリー形式のドラマとして番組をスタートさせしました。

この前例のない構成や演出と迫真の演技は、生放送のニュースと間違うほどの出来であり、結果として聴取者から本物のニュースと間違われ、パニックを引き起こすに至ります。おそらく歴史上最も成功したラジオドラマ作品だったといえるでしょう。



この事件でウェルズは全米に名を知られるようになり、それまでスポンサーの付かなかったこの番組は、その後キャンベル・スープ社の提供による“The Campbell Playhouse”に改題して1940年3月まで継続しました。その後も1950年代半ばまで、ウェルズはラジオ番組に関わり続け、多くの印象的な番組を残しています。

しかし、オーソン・ウェルズの演出が素晴らしかったにせよ、H.G.ウェルズの原作はそれ以上に説得力のあるものでした。臨場感あふれる描写にあふれていたことが人を惑わせた理由と考えられます。原作本の作者もウェルズなら、ラジオ演出もウェルズであり、この名前の人には天才的なストーリーテラーがが多いのかもしれません。

それにしても原作が発表された1898年といえば、日本はまだ明治31年であり、3年前の1895年(明治28年)には、日清戦争が終了したばかりのころです。この戦争の勝利によって軽工業を中心とする産業革命が本格化、1901年(明治34年)には、日本初の西洋式製鉄所である官営八幡製鉄所が開業したばかりです。こうしたことなどで、ようやく日本においても重工業とよばれるべき産業の端緒が形成されはじめた、といった時代です。

もっともイギリスはこの時期、パクス・ブリタニカ(Pax Britanica:イギリスの平和)と呼ばれた時代を迎えており、この時期のイギリス帝国はまさに最盛期を迎えていました。ヴィクトリア女王の統治の下、科学技術は発展し、選挙法改正により労働者は国民となり、世界中から資本が集まっていました。

産業革命による卓抜した経済力と軍事力を背景に、自由貿易や植民地化を情勢に応じて使い分け覇権国家として栄えた時代であり、H.G.ウェルズのような想像力のある人間が書いたSFを人々が単なる夢物語と受け取らず、将来的な自分の国の姿としても十分にありうる、と考えうる下地が整っていた、ということでしょう。

ただ、H.G.ウェルズという人(正確にはハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells))は科学者でも研究者でもなく、単なる文筆業家、つまり作家にすぎませんでした。作家になる以前は、呉服商や薬局の徒弟奉公、見習い教師などを経験していますが、いずれも長く続かなかったといいます。

子供の頃から教員を目指していたようですが、このころのイギリスの教育界は、極めて保守的だったといわれており、丁稚奉公をしていたような青年を受け入れるような寛容さは持ち合わせていませんでした。また、父は商人でしたが、家庭は下層中流階級に属しており、けっして裕福ではありませんでした。

このため、奨学金でサウス・ケンジントンの科学師範学校(現インペリアル・カレッジ)に入学。このころ「ダーウィンの番犬(ブルドッグ)」の異名で知られ、チャールズ・ダーウィンの進化論を弁護したことで知られる生物学者、トマス・ヘンリー・ハクスリーの下で生物学を学び、進化論には生涯を通じて影響を受けることになります。

これをきっかけに学生誌「サイエンス・スクールズ・ジャーナル」に寄稿し、22歳のときに掲載された「時の探検家たち」は、のちの「タイム・マシン」の原型となりました。また、25歳のときには、四次元の世界について述べた論文「単一性の再発見」がイギリスの評論雑誌「フォート・ナイトリ・レヴュー」に掲載されたりしました。

師範学校を卒業後、ヘンリー・ハウス・スクール(高校?)で教職に就きます。このころ、ウェルズは彼のいとこイザベル・メアリー・ウェルズと結婚しますが、3年後には離婚し、肺をわずらったこともあり、教師の道はあきらめ、文筆活動へ進むことを決意します。

その後、エイミー・キャサリンと再婚。このころから「アーティスト」としての活動にも取り組んでおり、かなりの枚数の絵を描いています。日記で自己表現をすることも多く、このころは政治的解説から現代文学への彼の気持ち、現在のロマンチックな興味に至るまで幅広い話題を取り上げています。

多数の絵やスケッチを残しており、彼はこれらの写真を “picshuas”(ピシャウス)と呼んでいますが、今風の漫画とスケッチを足して二で割ったような絵です。これらのpicshuasは、長年にわたってウェルズの学者による研究の話題となっているとともに、骨董の世界ではかなりの高額で取引されているようです。

その後ウェルズはジャーナリストとなり、「ペルル・メル・ガゼット」といった保守層を対象とした新聞にのちのSFの元になるような幻想小説を書いたり、総合科学技術誌「ネイチャー」に寄稿したりするようになります。

1890年代から1900年代初頭にかけて、「タイム・マシン」(1895年)をはじめ、「モロー博士の島」、「透明人間」、そして「宇宙戦争」など現在に至るまでも名作といわれるような有名作品の数々を発表しました。これら初期の作品には、科学知識に裏打ちされた空想小説が多く、ウェルズ自身は「科学ロマンス」と呼んでいました。

晩年は、人権家としての社会活動に携わり、歴史家としても多くの業績を遺しました。が、生涯を通して糖尿病、腎臓病、神経炎などさまざまな疾患と戦いながら仕事を続けたといいます。

満79歳のとき肝臓ガンが悪化して逝去。ロンドンの友人のフラットで亡くなったといい、直接的な死因は臓発作だったようです。

その生涯における創作活動の結果は膨大で、とくに後世でもよく扱われるSF的題材を数多く生み出し、また発展させた事で評価を得ており、小説家としてはジュール・ヴェルヌとともに「SFの父」と呼ばれます。

社会活動家としては、50~60代に「新百科全書運動」を展開しています。世界平和の基盤となる新世界秩序のための知識と思想を集大成させる、としたもので、これに関する著書「世界の頭脳」を執筆。この中では、書籍の形態をとらない世界規模の百科事典を構想しており、これは現在のウィキペディアの構造を予言していたとも言われます。

また、自らが糖尿病を患っていたこともあり、1934年、糖尿病患者協会の設立を「タイムズ」紙上で国民に呼びかけました。これにより、国家規模での糖尿病患者協会が初めて設立されました。

ウェルズが書いた小説のひとつ、「解放された世界」は、SFでもありましたが、原子核反応による強力な爆弾を用いた世界戦争と、戦後の世界政府誕生を描いた社会小説の面もありました。核反応による爆弾は、原子爆弾を予見したとされ、ハンガリー出身の科学者レオ・シラードは、この小説に触発されて核連鎖反応の可能性を予期し、実際にマンハッタン計画につながるアメリカの原子爆弾開発に影響を与えたといいます。

また、ウェルズは、第一次世界大戦中に論文「戦争を終わらせる戦争」を執筆。大戦後に戦争と主権国家の根絶を考え、国際連盟を樹立すべく尽力しました。しかし、結果的に発足した国際連盟はウェルズの構想とは異なり国家主権を残す様相を示すようになったため、彼はその後「瓶の中の小人」という論文で国際連盟を批判しています。のちに発足した「国際連合」も同様に批判していました。

第一次大戦と二次大戦の二つの大戦を経験した彼は、戦争に翻弄される多くの人々をみて、「人権」にも言及しました。1939年には「人権宣言」についての書簡を「タイムズ」とルーズベルトに送るととともに、これを世界中の指導者に送っています。

知る権利、思想と信仰の自由、働く権利、暴力からの自由などを示したもので、これをもとに、1940年には、イギリスの貴族院議員所属の裁判官、ジョン・サンキーが議長を務める「サンキー委員会」にちなんで「サンキー権利章典」が創られました。11の基本的人権を含んでおり、これは以下の通りです。

人生への権利
未成年者の保護
コミュニティに対する義務
知識の権利
思考と崇拝の自由
仕事の権利
個人所有権
動きの自由
個人的自由
暴力からの自由
法の制定の権利

この権利宣言は、1941年1月6日に公表されたアメリカ大統領、ルーズベルトの一般教書の中の「四つの自由」を包含しています。さらにのちの1948年12月10日の第3回国際連合総会で採択された「世界人権宣言」などに影響を与えたとされ、さらには戦後の新日本国憲法の原案作成に大きな影響を与えたとされます。

特に日本国憲法9条の平和主義と戦力の不保持は、ウェルズの人権思想が色濃く反映されている、といいます。原案では、全ての国に「戦争放棄」を適用して初めて自由が得られる、といったことが記されていようです。しかし、結果として日本のみにしか実現しなかったことで世界平和の達成は遠い先の話になった、といったことが言われているようです。

また、ウェルズの原案から日本国憲法の制定までに様々な改変が行われた結果が、現状の憲法9条だといいます。そして、このあたりのことが、現在活発に議論されるようになった改正議論の原因のひとつにもなっているともいわれているようです。

ウェルズが、晩年にこうした人権運動に走るようになったのは、自らが創作したSFの世界での世界平和の延長線上の行為であったことは想像に難くありません。

また、「戦争を終わらせる戦争」とは人類世界のためだけのものではなく、今後実際にありうるかもしれない宇宙人の世界との戦いの中で必要になってくるものなのかもしれません。

2017年も暮れに近づいてきました。残る時間の中、宇宙人との接触はあるでしょうか。