バルセロナの記憶

最近、テレビのニュースで、毎日のようにスペイン、カタルーニャ自治州の独立の問題が報じられています。

その首都、バルセロナには実は一度行ったことがあり、そのせいか、妙にこのことが気になってしかたがありません。

というか、何かこのことが他人事でないように思え、いてもたってもいられないような気持になるのはなぜでしょうか。

バルセロナを訪れたのは、ちょうど20年ほど前のこと。そのころ出向していた国交省の外郭団体の仕事で、スペインに2週間ばかり滞在しました。彼の国の水資源の事情を調査する、という目的でのことでしたが、過去にいろいろ行った国の中では最も印象に残った場所でした。

その際、3日間ほどバルセロナにも滞在したのですが、仕事の中休みか週末かだったかで、丸一日市内を散策する時間がとれ、サグラダファミリア教会をはじめ、ガウディゆかりの観光地をなど、市内の名所を散策しました。

モンジュイック公園もそのひとつで、ここには1992年バルセロナ・オリンピックのメイン会場となったスタジアムがあります。

大会のフィナーレのひとつ、五輪女子マラソン本番では、日本の代表選手、有森裕子が、29Km付近で3位集団から抜け出してスパート。レース終盤の35Km過ぎ、先頭を走っていたワレンティナ・エゴロワ(ロシア)に追いつき、その後エゴロワと二人で急な登り坂が続くモンジュイックの丘にて、約6キロに及ぶ激しい死闘を繰り広げました。

競技場へ入る直前でエゴロワに引き離され、8秒差で五輪優勝はなりませんでしたが、2位でゴールし、見事銀メダルを獲得しました。

このころは私もまだ若く、フルマラソンにも参加したこともあったので、この勝負には興味がありました。

二人の選手が激戦を繰り広げたという場所をぜひ見てみたいと思い、この場所を訪れたのですが、バルセロナの市街を抜け、外港に面したモンジュイックの丘に近づくにつれ、何やら懐かしいような複雑な思いが心をよぎりました。




モンジュイックは、バルセロナの南方のはずれにあります。すぐ東側にバルセロナ港があって、その昔はすぐ下の崖を障壁とする要害だったでしょう。海からやってくる外敵を見通せるような高台に位置します。

港から、そこへいく道の両側は街路樹に覆われており、坂を上りきった左手には、通称、エスタディ・デ・モンジュイック(Estadi de Montjuïc)と呼ばれるオリンピック当時のメインスタジアムが今もあります。

実はこの一帯は、それ以前の1929年に開催されたバルセロナ万国博覧会の際に整備されたものです。

最高点の標高、184.8mの丘の一部がオリンピック用に再開発されましたが、以前よりその中心地域はかなり整備されており、丘の斜面や、エスパーニャ広場から伸びる大通りの両側には、万博当時からの多様なパヴィリオンが建てられていて、現在に至るまで丘全体が公園として市民に親しまれています。

ただ、私がここを訪れた時は公園の中まで入って見学する十分な時間がなく、ミラマル通りと呼ばれる丘を東西に横断する通りを通過しただけでした。とはいえ、きれいに整備された通りの左右を垣間見ることができ、ぶらぶらと歩いて行っただけでも、オリンピックが開催されていた当時の雰囲気は感じることができました。

スポーツ公園だけに地元の人が数多く訪れてそれぞれの活動を楽しんでいましたが、歴史的な雰囲気のある風光明媚な場所でもあり、外国人の私にも心地良い空間でした。

東京でいえば、代々木公園、あるいは神宮前のような雰囲気の場所で、非常に明るく開放的な雰囲気のある場所なのですが、にもかかわらず、ここを訪れたときには、なぜか重い気持ちになりました。

もとより、バルセロナの市街にあったホテルを出入りすることからそうだったのですが、何かこの街には親近感があり、それは言うならば、かつてそこに住んでいたことがあるかのような不思議な感覚でした。

街を歩いていても違和感がなく、普通は、初めて行った外国の街には異国情緒のようなものが感じられるはずですが、それもあまりありませんでした。

バルセロナの市街から歩いてきて、モンジュイックの坂を上るところどころには展望台があり、そこからは港一帯を見渡せる場所もあります。防波堤に囲まれた内湾には、コンテナ船や貨物船が停泊し、倉庫が立ち並んでいます。その光景目にしたときにも、あぁここは見たことがある、と思ったのも意外でした。

このスペイン滞在時には、首都マドリードをはじめ、バレンシア、マラガといった他の街も訪れたのですが、同様に、どこへ行ってもどこか懐かしいという感覚があり、とくにグラナダを訪れたときには、なぜか心を揺さぶられるような強い思いがありました。

その当時にも、もしかしたら…という考えが頭にはありました。がしかし、そのことはあまり深く考えずに、というかあまり気にしないように今日まできたように思います。

ところが、最近カタルーニャ州独立の話がよく報道されるようになり、これを聞いてからは妙に心がざわついて仕方がありません。あのときの感情が一気によみがえり、いったいなんだったろうと、考えるにつけ、改めていろいろと調べてみる気になりました。

すると、モンジュイックの丘というのは、常に町を守るための戦略的要所とされてきた歴史があり、古来から頂上には要塞があったそうです。バルセロナ防衛のための重要な地点として、バルセロナ東部にあるシウタデリャ要塞とともに都市防衛の役割を担ってきたといい、20世紀後半まで続いたフランコ独裁時代までは政治犯の刑務所だったそうです。

刑務所で銃殺刑に処された者は山の南西部にあるムンジュイック墓地に埋葬されたといい、19世紀末から20世紀にかけ、山は多くの銃殺刑の舞台となりました。フランコ政権の打倒をめざし、カタルーニャ共和主義左翼(ERC)の指導者であったリュイス・クンパニィスもここで犠牲となっています。

戦前、フランコ政権は、ドイツのナチス党と連携しており、彼はナチス当局によって逮捕され、1940年9月にスペイン当局へ身柄を引き渡されたのでした。法的保証を欠いた軍事裁判の後、直ちにムンジュイック城に送られ、1940年10月15日にここで処刑されました。

彼は目隠しされるのを断り、「無実の人間を殺せ。カタルーニャのために!我々は苛まれても、再び打ち勝つのだ!」と、死ぬ前に言ったそうです。

遺体は、城近くの南西墓地に埋葬されましたが、その墓地はムンジュイックの丘の一角にあります。オリンピック会場となったメインスタジアムの正式名称は、エスタディ・オリンピック・リュイス・クンパニィスであり、これは、彼を記念して命名されたものです。

彼が処刑されたモンジュイック城は、現在も当時の面影を残したまま保存されているようですが、私がバルセロナに滞在していたときには残念ながらそうした事実も知らず、そこへ行くこともありませんでした。

もし訪問できていたなら、何かもっと別なふうに感じることもあったのかな、と思ったりもするのですが、すぐ近くにあるオリンピックメイン会場の入り口に立ったときだけでも、何か心の底から湧きあがってくるものがあったことを覚えています。

その当時の私といえば、スピリチュアル的なことには多少の関心はあったものの、知識はまるでなく、そうした感情を深く掘り下げて考えるようなことはありませんでした。

しかし、20年の月日を経て今思うのは、はやり彼の地は、かつてゆかりのあった土地だったのではないか、ということ。すなわち、住んでいたか、何等かの縁があったのではないか、ということです。

つまりは「前世の記憶」、ということになります。




実はこのスペイン旅行では、ほかにアルハンブラ宮殿にも訪れ、そのお膝元のグラナダの街なども歩いたのですが、このときにはまた別の形の感情の起伏がありました。グラナダはスペインの南部にあり、バルセロナとは700km近く離れているのですが、その両方に縁があったとすればそれはどういうことなのでしょう。

自分自身でもまだよくわからないのですが、両者にそれぞれの記憶があるのであれば、その関連性から見えてくる過去生もあるのかもしれません。あるいは、それぞれの街でそれぞれ生まれ変わり、一回づつ別の人生を歩んだのかもしれません。

こうした、前世での記憶については懐疑的な人も多いでしょう。そもそも輪廻転生という考え方に否定的な人も多いわけですが、私自身は信じていて、このブログでも何度もそのことについて書いてきました。

そうした中で最近読んだ本に「前世発見法」という本があります。その著者、グロリア・チャドウィックさんはこう書いています。

「あなたの現生の経験や感情は、過去に原因があることが多い。現在に明らかな理由が見当たらず、特定の事柄になぜ強い感情を持つのだろうと不思議に思うことがあったら、何故かを探るため、過去性に目をむけるとよい。」

こうした不思議な経験は、過去生の出来事や感情の象徴であることがしばしばだといい、過去生の反映されたものは、我々の周りにたくさんあり、それを注意深く観察すれば、過去を見ることが可能になるといいます。

過去生を知ることは、現在経験していることの理由を知り、現生を生きている意味を理解するのに役立つともいわれています。そのすべてを知ることは容易ではありませんが、パズルの断片をつなぎ合わせていくと、過去から現在に至るまで、自分がどのように進化してきたか、どのように教訓を学んできたかが明らかになるともいわれているようです。

しかし、過去生を思い出そうとすると、たいていは感情の原因となっている出来事よりもむしろ、数ある記憶の中でもとくに感情のほうをまず思い出すことが多いようです。それは、過去生の記憶というものは、出来事よりもむしろ、感情によって分類されているためだそうです。

過去生を思い出そうとするとき、過去の経験に似た現世での状況が引き金となって、まずそのころの感情が呼び起されます。しかし、対応した事実関係の詳細は思いだされず、当時の感情にだけ感応するため不思議な感じを抱くようで、その現状にはそぐわない感情に戸惑いを覚えます。

過去生の記憶らしきものではあるように思えるものの、一瞬のイメージやひらめきの中に姿を現し始めた感情だけが表面にまず出てくるものらしく、心の中に、当時は認識していたであろう事実に関連する思いがいくつもいくつも現れて出てきます。

しかし、それを思い出したと思った瞬間に、消えてしまうことも多く、そうした状況を自分を自分でも理解できず、悩んでしまったりします。ときにむきになってそれを思い出そうとしますが、多くの場合は逃げて行ってしまいます。

このように、過去生のイメージがようやく出てきそう、と思ったとき、一瞬にしてそれが心に出たり入ったりする、といった経験をしたことがある人も多いのではないでしょうか。本当に過去生を思い出したいと思ったときなどには実にイライラさせられます。

しかし、このように、過去生の記憶が表面に出てくるか、忘却の中に吸い込まれてしまうかどちらかの間で揺れ動いているときには、焦るのは禁物だといいます。リラックスするしかなく、それが表面に浮き上がってくるのをじっと待つのがいいそうです。

これは言葉がのどまで出かかっているのに、それを口に出しては言えないときの状況に似ています。

こうしたときには、言葉を思い出そうとする努力をやめ、注意をよそへ向けます。すると、その言葉が思いがけなく出てきたりします。後で思い出すことにし、放っておくと表面に浮いてくることも多いようで、これは過去生を思い出すときにもあてはまるようです。

ただ、こうして過去生の記憶らしい断片を何とか思い出したとしても、逆にそれが現在の状況とは結びつかないように感じられることも多いでしょう。自分の理解にぴったりマッチし、現生に完璧にあてはまる、明確な過去生の記憶を見つけようとしているのに、潜在意識は本当の過去生を隠そうとしているのではないか、と思えるときさえあります。

しかし、これは間違いです。過去生を思い出すのに失敗したり、不完全な映像を見せられたりすると、それを疑ったりしがちですが、潜在意識とは実は過去生を思い出すためのガイドそのものであり、本来は自分自身の助けとなってくれる存在です。自身がそう望めばきっと助けてくれます。

ただ、潜在意識が介在しなくても、時に強烈な過去生のイメージが浮かんでくることがあります。

たいていの過去生の記憶は静かに遠慮がちに浮上してくるため、それと認識しづらいことが多いものですが、そのいくつかは時に激しく、認識の中になだれこむような衝撃を伴って浮上してきます。この場合、その衝撃はかなり激しいものである場合が多いようです。

普通の過去生の感情を思い出したときには、それが過去のものであると告げてくれるような特別な信号はありません。しかし、それに対して自分の感情が激しく反応するようなときには、それが過去生のものであると見分けることができ、明らかに現在の感情とは違うと、“感じられる”ものだといいます。

自分自身の深いところでそれと“分かり”、そうだったと“感じる”といい、それが真の過去生の記憶を表示しているしるしです。

そうした明らかな記憶が表面に浮かび上がるときというのは、過去生の出来事も思い出すか、再経験を伴うことも多いといい、そのイメージは明確に見える場合もあります。しかし、夢のように思える場合もあり、ときには感情ばかりが強くて“場面は感じない”こともあるようです。

今思うと、あのバルセロナでの私の体験もそうだったのかもしれません。



ただ、いったん過去生の出来事を再経験できるような状況になったときには、うまくいけば自分の周りの光景や音、状況といったものを見、聞き、触れ、味わい、場合によっては嗅意を感じることすらできるといいます。それはあたかも過去ではなく、現在に起こっているかのように感じることができるようです。

こういうふうに記憶が姿を現し始めたら、自分自身のやり方で静かにそれを再現するようにするといいそうです。急き立てたり強いたり、一生懸命やりすぎると記憶は遠ざかってしまいます。

残念ながら、あの時私は立ち止まろうとせず、その場を立ち去りましたが、もう少しじっくりと時間をかけてあの場所にいたなら、もう少し思い出せることもあったのではないか、と悔やんで見たりもします。

しかし、自己認識を覆すような大きな出来事を思い出さなくても、また、始まりである小さなヒントさえ思い出さなくてもがっかりする必要はありません。望みさえすれば、過去生の記憶は自分自身にあったやり方で自然に表れてくるといい、そしてそのガイドをしてくれるのが潜在意識です。

実は、過去生の記憶のほとんどは、すでに認識していることが多いといいます。にもかかわらず、意識して過去生と関連づけていないだけのことであって、潜在意識に働きかければそれはやがて静かに表れてくるようです。

前述した「前世発見法」にはその方法論もいろいろ書かれており、いずれまた紹介したいと思います。私も色々なことを試しているところであり、なんとなく思い出したこともあります。スペインにまつわるこれらの記憶についても、まとまったビジョンが出来上がれば、折々に書いていきたいと思います。

著者のグロリアさんはこうも書いています。

「あなたが過去生の記憶を探求し、経験するとき、あなた自身の中にある知識の世界を切り開いているのである。過去生を発見し、それが現在性に与えている影響を理解することによって、あなたの生命の中の意味を発見し、自分の運命を操ることができるだろう。」

20年前のあの日、あのとき立ち止まってじっくりと感情の奥底を見通せばもう少し今の人生に役立つことを思い出したかもしれませんが、それはそれ。あのときはまだその機会が熟していなかったということなのでしょう。

その後の長い年月を経て、テレビのニュースを見て再びあのころの感情を思い出したというのは、今再びそのチャンスが巡ってきた、今こそそれを役立てるべきときだ、と告げているのかもしれません。

スペイン人だった?ころの記憶を思い出すのにはまだまだ時間がかかりそうですが、記憶のパズルの断片と歴史を照らし合わせていくことで、やがてはより明確な前世の記憶がよみがえってくるのでしょう。

そのためには、あるいは再びスペインを訪れるのが一番いいのかもしれません。今年はもう既に無理なようですが、来年以降に期待しましょう。

明日からもう11月です。まずは、彼の国の秋はどんなだっただろう、と思い出してみることにしましょう。