ストーカーの科学

タレントの菊池桃子さんが、タクシー運転手からストーカー行為を受けた、というニュースに驚いた方も多いと思います。

このタクシー会社というのが、これまた業界大手(日本交通)だということで、私も驚いています。その昔は深夜残業のあとに、よくこの会社のタクシーにお世話になりましたが、紳士的な運転手さんばかりだったので、なおさらです。

元運転手は、菊池を客として乗せたことから自宅を知り、その周辺でつきまとうなどしたため、菊池さんが警察に届け出たようです。警察はこれを受けて、警告などをしていたようですが、それでもやめず、Twitterで「菊池さんに会いに行く」と予告し、実際に現場に現れたところを現行犯逮捕となったそうです。

それにしても、警察まで動き出しているのに、自分の行為が犯罪である、となぜ自己認識できなかったのか、というところが疑問です。ストーカー行為をするような人の心には、やはり常人とは違った何かが棲みついているのかな、と想像してみたりしているところです。




ストーカーと追っかけ

このストーカーという言葉は、英語のストーク(stalk)から来ています。植物の「茎」という意味もありますが、獲物に忍び寄ること、そっと追跡するという意味もあり、これにerをつけることで、つきまといをする「人」を意味するようになります。

人を執拗に追跡したり、それによって相手を悩ませたり怖がらせる人というのは、今に限らず昔からいるわけですが、それが社会的に知られるようになり、犯罪行為である、違法である、ということが明確化されるにつれ、そういう行為に及ぶ犯罪者を指すために用いられるようになりました。

ストーカーはまた、いわゆる「追っかけ」の一つだともよくいわれます。いわゆる「有名人」に対するストーカー行為であり、芸能人やスポーツ選手といったメディアへ良く顔を出す人たちへの憧れのようなものが悪い方向に変化したものと考えることができるでしょう。

日本でも、明治20年代ごろにはもう既にこの追っかけはあったといいます。「女義太夫」というものがあり、これは浄瑠璃の一種です。太夫と呼ばれる語り手(歌い手)と。三味線弾きで演奏されるのが基本で、江戸時代から既にあるものです。明治に入ってから「寄席」が流行るようになると、ここに登場する「娘義太夫」がとくに大人気になりました。

落語や講談に次ぐ人気を誇り、とくに若い学生たちはこの娘義太夫に熱中しました。娘義太夫の日本髪が熱演のあまり乱れ、かんざしが髪から落ちると、その争奪戦が始まったといいます。

無論、演出です。娘義太夫が別の寄席に移動する時は、その人力車を追い駆けてついていったといい、15・6歳ほどの年端もいかない少女に熱狂するこうした若者たちのフィバーぶりは、現代のアイドルに対するものとほぼ同じです。

1892年(明治25年)5月26日の読売新聞に掲載された記事は、そうした学生を「放蕩書生」と呼んで、彼らが勉強時間を浪費するほど彼女たちに夢中になっていることを嘆く内容となっています。こうした放蕩書生は、大卒の初任給が25円程度の時代に、寄席通いで50円も使っていたといい、当時、彼らは「追駆連」(おっかけれん)と呼ばれていました。

ストーカーの心理

現在もそうですが、こうした「追っかけ」が過ぎると、やがて暴力的な行為が起こるようになったり、最悪は、ファンがスターを死に至らしめる、といったことも起こり得ます。日本だけでなく、悪質なストーカー行為は古今東西引きも切らず、最近の一例ではジョン・レノンの殺害事件が思い起こされます。

「追っかけ」をしてしまうような人々には、憧れの対象との間に” 愛情関係 “がある、と勝手に思い込む人が多いようです。やがて、彼らの心の中では、相手がその愛情をなかなか認めてくれないという想いがつのるようになり、ついにはそれを認めさせる必要がある、と思いこむようになります。ときにそのために武装までして付きまとうケースもあり、大きな問題に至ります。

こうしたストーカーたちが、精神障害者かそうでないかは別として、その一般的特徴には、「被愛妄想(エロトマニア)」とう症状が見て取れるといいます。「被愛」というのは、自分が愛される、という意味です。これに「妄想」がつくと、証拠・根拠がないのに相手が自分を好きであると信じる、ということになります。

この被愛妄想の怖いところは、相手が自分を嫌っている証拠・根拠があっても相手が自分を好きであると信じている、信じて疑わない、といったところです。

これは明らかに、通常の恋愛感情とは違います。自分が相手を好きだ、とたとえ一方的であっても強く思うだけなのが恋愛感情であり、相手に好意が見て取れない、と分かった場合はそこで、失恋となります。ところが、相手が自分を強く好きに違いない、と思い込み、本人的にはいつまでも破局に至らない、というのが被愛、ということになります。

法的取締まり

このように、ストーカーは一般的に自己愛が強いのが特徴であり、また、相手の拒絶に対しても過度に敏感な反応を示し、時としてそれが暴力につながります。ストーカーと言われる人々のすべてのタイプに共通するところは、相手の感情に想像力を働かせることができない、甘え、思い込み、欲求不満を攻撃に替えて解消する、というところです。

こういう人たちにつきまとわれると、多くの場合、当事者同士では収拾がつかなくなり、警察に届け出るしか方法がなくなります。しかし、日本ではかつて、つきまとい行為を既存の法律が対象としていなかったため、警察が介入できず、取り締まることができませんでした。

もっとも、つきまとい行為から一歩踏み出してエスカレートした場合は軽犯罪法違反、さらに名誉毀損罪や脅迫罪で取り締まることは可能でしたが、いったん取り締まりが終息すると、再度付きまとい行為が再発する、ということがほとんどでした。

こうした法律的に取り締まりができない状態で、警察が対応できる範囲を超え、つきまとい行為が殺人に直結してしまった例に「桶川ストーカー殺人事件」があります。女子大学生が元交際相手の男を中心とする犯人グループから嫌がらせ行為を受け続けた末、1999年(平成11年)に埼玉県桶川市のJR東日本高崎線桶川駅前で殺害された事件です。

これを機に、議員立法でストーカー規制法が2000年(平成12年)に制定されて全国的にストーカー行為を取り締まる機運が高まり、地方公共団体などでもストーカー行為を刑事罰に規定した迷惑防止条例が制定される例が多くなってきました。

このストーカー規制法によれば、ストーカーとは同一の者に対し、つきまといなどを反復してすることを指し、「つきまといなど」の示すところは、恋愛感情その他の好意やそれが満たされなかったことに対する「怨恨」により、相手やその関係者に以下のいずれかの行為をすることをさします。

面会・交際の要求(7,738人 52.2%)
つきまとい・待ち伏せ等(7,607人 51.3%)
無言電話・連続電話(4,453人 30.0%)
乱暴な言動(3,069人 20.7%)
監視していると告げる行為(1,092人 7.4%)
性的羞恥心を害する行為(987人 6.7%)
名誉を害する行為(793人 5.3%)
汚物等の送付(139人 0.9%)

カッコ内の数字と%は2009年(平成21年)の認知件数(分類上の複数計上)であり、多い順です。直接面会したい、会いたいという行為が最も多くなっていますが、つきまといや待ち伏せ、無音電話といった陰湿なものがそれと同等以上に多いのが特徴的です。



医学的にみたストーカー

それにしても、通常の人の感覚なら、こうした行為が明らかに異常であると自覚できるものですが、当人にはストーカーとの自覚が無い、という点が問題です。

しかし、医学的にみても、精神異常ではないとされるケースも多いようで、周囲の人からもちょっと変な人、ぐらいにしか思われていない、といったこともよくあるようです。ところが、あるとき急に異常行動に走る人もいるわけで、こうしたことから、ふだんよりそうした「気」のある人を看過した周囲にも問題がある、といわれることも多くなりました。

一方では、精神的にも明らかに正常とは言い難い人がストーカーになる場合も増えていて、警察庁の統計によれば、ストーカーに占める精神障害者の割合は、2009年(平成21年)の認知件数は0.5%、71人だそうです。もっともこれ医学的な検査をして異常であると認知された数であり、実際にはもっと多くの精神障害ストーカーがいそうです。

精神病とは、妄想や幻覚を特徴とした症状であり、なおかつ、それを当人が自覚していないような明らかに精神的に重篤な状況をさします。精神病を病んだストーカーの症状としては、恋愛妄想、関係妄想といった妄想が多く、その昔は精神分裂病といわれていた統合失調症の症状を伴うことが多いようです。

現実検討ができない症状であり、場合によっては相手が好きなのかどうなのかも判断できないような症状と思われますが、ストーカーの分類上は、これを「精神病系」というようで、明らかにこれは病気です。

一方では、これ以外の明確には病気とはいえないようなストーカーもいて、たとえば「パラノイド系」と呼ばれる人たちがいます。

妄想によりストーキングを行いますが、妄想の部分以外は正常で、言動は論理的で、行動は緻密であることが多いようです。パラノイドとは、パラノイア(paranoia偏執病)の形容詞形で、不安や恐怖の影響を強く受けており、他人が常に自分を批判しているという妄想を抱くものを指します。

自らを特殊な人間であると信じたり、隣人に攻撃を受けている、などといった異常な妄想に囚われますが、あることに強い妄想を抱いている、という点以外では人格や職業能力面において常人と変わらない点が特徴です。ストーカーとしては、現実の恋愛関係の挫折によるつきまとい行為もありますが、無関係の相手につきまとうタイプが多いようです。

また、「ボーダーライン系」というのもあります。こちらも、性格は外交的・社交的で、一般人とほとんど変わりません。しかし、「孤独を避けるための気違いじみた努力」が特徴であり、こちらも病気ではなく、人格の成熟が未熟であることが原因であることが多いといわれます。

自己中心的で、他人・相手の立場になってみてものを考えることが出来ないタイプが多く、我々が考えている以上に世の中には多いと考えてられており、中には医療関係者の中にもいる、といわれています。人間関係は濃く、相手を支配しようとするところに特徴があるといいます。

さらに、「ナルシスト系(自己愛性人格障害))。これは、自己愛が強い、つまり自信・自負心が強いのが災いし、拒絶した相手にストーキングする、といったもので、いわゆる「ナルちゃん」です。行動的な分類からは「挫折愛タイプ」に属するものが多く、破滅型です。

騒々しく見栄っ張りで、傲慢で人を利用するという明確な悪癖が表に出るタイプがいる一方で、過度に傷つきやすく、失敗を恐れ、恥をかかされることを心配するために人前に出ることを避けるといった人もおり、二面性があるのが特徴です。

以上は、病気ではない、とされる人たちですが、もうひとつ「サイコパス系(反社会的人格障害)」というのがあり、こちらは明らかに精神異常者であり、ストーカーの中でも最悪の部類です。

被愛妄想を持つ(相手が自分を好きであると信じる)のではなく、自分の感情・欲望を相手の感情と無関係に一方的に押し付けるタイプで、性欲を満たすための道具として相手を支配するものが多いようです。「凶悪・冷血な犯罪者」「典型的な犯罪者」になることも多く、人間関係は強引で、相手に「取り憑く」能力を持っています。

先天的な原因があるとされ、ほとんどが男性であるとされますが、女性は皆無というわけでもないようです。もっとも、その大部分は殺人を犯すような凶悪犯ではなく、身近にひそむ異常人格者です。ただ、北米には少なくとも200万人、ニューヨークだけでも10万人のサイコパスがいる、とされています。

日本では「反社会性パーソナリティ障害」と名称されているようですが、研究が始まったのがごく最近のため、その実態はまだよくわかっていないようです。

ボーダーライン型の実態

こうした、サイコパスは特別の存在として、ストーカーといわれるような人は、前述のように「精神病系」「パラノイド系」「ボーダーライン系」「ナルシスト系」の4つのタイプに大きくわけられるようです。

この中で、男女を問わずストーキングを受けた者が最も困難に陥れられる、最も始末の悪いタイプ、といわれるのが、ボーダーライン系(型)であるといいます。

ボーダーライン型は、医学的には、「境界性パーソナリティ障害」といい、英語のBorderline personality disorderを略して BPDといいます。

BPDの症状は青年期または成人初期から多く生じ、30代頃には軽減してくる傾向があるようです。症状の機軸となるものは、不安定な思考や感情、行動およびそれに伴うコミュニケーションの障害です。

具体的には、衝動的行動、二極思考、対人関係の障害、慢性的な空虚感、薬物やアルコール依存、自傷行為や自殺企図などの自己破壊行動が挙げられます。また激しい怒り、空しさや寂しさ、見捨てられ感や自己否定感など、感情がめまぐるしく変化し、なおかつ混在する感情の調節が困難です。

自己同一性障害の人もこうした障害を持っていることが多いといい、不安や葛藤を自身の内で処理することを苦手とすることが多いようです。

性的放縦、ギャンブルや買い物での多額の浪費、アルコールや薬物の乱用といった衝動的行為に及ぶことも多く、過食嘔吐や不食などの摂食障害がある場合もあります。最悪の衝動的行為は自殺ですが、そのほかにもリストカットなどの自傷行為や薬物の過量服薬があり、結果として死に至ることもあります。



以上は、本人自身が苦しむ症状ですが、問題は、次の「対人障害」です。具体的に他に及ぼす影響であり、これには主に二種類あります。

ひとつが他者を巻き込み混乱を呼ぶケースであり、多くの場合、これがストーカー行為として表面化すると社会問題になります。

依存や混乱の著しいタイプの人は、他者を巻き込みやすく、人との摩擦が生まれやすくなりますが、そうした行為が顕在化するのは、相手とある程度関係が深まり、その相手が本人との深い層にある感情や願望に触れた場合だといいます。

もうひとつは、対人恐怖・過敏性が強く、深い交流を避け回避的になるケースであり、こちらは社会問題化することは少ないとはいえ、社会人の一員であった場合は、元々所属していたその組織などに影響を及ぼします。表面上は顕著な対人障害もなく社会機能が維持できている人も多く、一見すると対人障害があるとは見受けられない場合があります。

いずれの場合も、ふだんは異常に見えない人が多いといわれています。しかし、いったん周りの人間がこの症状に巻き込まれると、様々な被害を受けることが多く問題になります。前者の場合はストーカーとなり、特に社会問題になるわけですが、後者も社会貢献ができなくなるわけであり、大きな意味では社会問題のひとつとなりえます。

近年そうした人が増えているといい、治療法もいろいろ模索されていますが、治療法としては、精神療法(心理療法)が主になるようです。精神療法とは、心理セラピーともいい、薬物のような物理的また化学的手段に拠らず、教示、対話、訓練を通して精神障害や心身症の治療、心理的な問題の解決を図ろうとする方法です。

欧米諸国に比べ日本においては、こうした精神療法を医療として認めるかどうか、という議論がまだあり、制度面の遅れがあるようです。しかし、近年、「精神科専門療法料」という名目で健康保険が使えるケースも増えており、このような「目に見えない技術」に対しても理解が深まってきているようです。期待したいと思います。

ただ、精神療法の効果が出るには概ね一年以上の長期間がかかるといい、BPDの症状の自覚がある人は、根気よく医療対象者をみつけて、気長に対処していく必要があります。「BPD」、「境界性パーソナリティ障害」のキーワードで検索すれば、多くの医療関係機関が見つかると思いますので、心当たりのある方は最寄の医療機関を探してみてください。

BPDだった有名人

ここまで読んできて、BPDなんて症状はないし、他人事だと思っている人も多いと思います。しかし、上にあげた症状のうち、「ギャンブルや買い物での多額の浪費」、「アルコールや薬物の乱用」などのキーワードをみて、案外とドキッとした、という人も多いのではないでしょうか。

実は、過去にもBPDだったとされる有名人も多く、例をあげれば、スイスの詩人・ヘルマン・ヘッセ、作家の太宰治、イギリスの王妃のダイアナ妃、女優のマリリン・モンロー、同じくアメリカの清純派女優ウィノナ・ライダーなどがいます。

太宰治は慢性的な虚無感や疎外感を抱えていた、といわれており、安定している時期は自己愛的性格でしたが、不安定時は感情統制が困難でした。芥川賞を逃した時の怒りは常軌を逸していたといい、感受性が強く、高い知能を持っていた、というところが、BPD障害を持つ人によく現れる特性と一致します。

太宰は、この当時鎮痛剤として流通していたパビナールという薬に依存していました(現在は麻薬に認定)。たびたび「離人感」を口にし、自殺願望が絶えず、実際、心中未遂を繰り返して5回目で自殺完遂に至りました。38歳で亡くなりましたが、28歳のころには精神科病院である江古田の東京武蔵野病院へ入院していたことが知られています。

マリリン・モンローもまた7回に及ぶ自殺未遂を繰り返し、薬物の過量服薬で亡くなりました。母子家庭で育ちましたが、母親はうつ病で何度も精神科病院に入院しており、孤児として育てられたモンローは、愛情に飢えていたものの、他者との親密な関係を保ちにくい環境で成長したことが要因といわれます。

睡眠薬とアルコールの依存症になり、死の8年ほど前から精神分析医による治療を受けていました。主治医はモンローについて「いつも自分を価値のないつまらない人間だと思っていた」と振り返っており、死の数日前のインタビューでは、「世界が必要としているのは本当の意味での親近感です。どうぞ私を冗談扱いにしないで下さい」と語っていました。

そして、ダイアナ妃。彼女もまた、BPDだったといわれており、衆人の目にさらされるストレス、夫婦間の諍いにより摂食障害が悪化し、カミソリやレモンスライサーで体を切ったり、夫のチャールズと口論中にテーブル上にあったペンナイフで自分の胸や腿を刺すなど衝動的な行動を取ることもあったといいます。

慢性的なうつ状態もあり、大勢の心理療法士や心理学者、精神分析医にかかっていたそうです。しかし、晩年のダイアナ妃はチャリティー活動に生きがいを見出し、対人地雷の廃絶、ホームレスやエイズ患者、暴力被害や薬物依存症の女性問題にも取り組みました。

既存の枠に捕らわれない奉仕活動を行い、「病んでいる人、苦しんでいる人、虐げられた人とともに歩んでいる」と称えられ、世界中で愛されましたが、残念ながらこちらも若くして亡くなりました(36歳)。

以上、例としてあげた3人は、無論、ストーカーとは言えない人々であり、優れたパーソナリティを持った人物として、むしろ畏敬を集めるような人々ばかりです。おそらくは、BPDの対人障害としては、対人恐怖・過敏性が強く、深い交流を避け回避的になるといった内向的なタイプの人たちだったでしょう。

しかし、そうしたひとたちがこぞってこうした短い一生を送る羽目になる、といったところが、BPDの症状もたらす闇の深さといえます。

近年、啓発本やインターネットなどにより、一般社会でもBPDの存在が広く認知されるようになってきています。しかし病名が普及するにしたがって、意図しないところでBPDに対するネガティブなイメージも高まっていった傾向があり、患者自身あるいは周囲の人間も、この病名にある種の嫌悪感を持つことが多いといいます。

この傾向は医師やカウンセラーなどの治療者にも存在し、現在でも不必要に忌避的になる医療従事者は少なからずいるといいます。しかし1990年代以降、さまざまなアプローチでの治療法や、2000年代からは治療ガイドラインも次々と発表され、BPDは医療の現場では特別な存在ではなくなっています。

ストーカーによる被害を少なくするためにも、ぜひその治療法が確立され、拡散していってほしいものです。