わいせつとは何か

人気グループTOKIOのメンバー、山口達也さんが強制わいせつ容疑で書類送検された、というニュースが日本中をざわめかせました。

報道されているいろいろなニュースを見ると、家庭的な事情もあったようですが、お酒の問題も深刻だったようです。ただ、だからといってああそうですか、と許される問題でもありません。

テレビをはじめ多くのメディアに顔を出し、世間に大きな影響力のある人気者としてはやはり超えてはならない一線を越えた、と言わざるを得ません。ご本人はもう既に十分に反省しておられるでしょうが、事の反響は大きく、まだまだこのあと尾をひきそうです。

ところで、この「猥褻」という言葉の意味を改めて調べてみました。

すると、わいせつの「猥」は、もともと「乱れる」「崩す」という意味があり、そこから転じて男女のみだらな関係を意味するようになったようです。また褻は、本来「肌着」を意味する語ですが、それを長いあいだ着続けることの不潔さから、「よごれる」「」けがれる」という意味もあらわすようになっていったようです。

合わせて「乱れ穢れた行為」という意味になるわけですが、日本の刑法において、従来は「猥褻」と難しい漢字で表記されていました。しかし1995年(平成7年)の刑法の口語化改正により表記が改められ、今は「わいせつ」と簡単にあらわされるようになっています。

このわいせつ罪ですが、刑法上はふたつあり、ひとつは、刑法174条に基づく「公然わいせつ罪」でもうひとつは、刑法176条に基づく強制わいせつ罪です。前者が「性的感情に対する罪(社会的法益に対する罪)」であるのに対して、後者は「性的自由に対する罪(個人的法益に対する罪)」であって、法的性格が異なります。

わかりにくいのですが、ようするに公然わいせつ罪のほうは、公衆の面前で行う行為で、不特定多数の人の公益に反するとみなされる行為をすることであり、強制わいせつ罪のほうは、個人的な身勝手で行う行為であって被害者は特定の人に限定されます。

これを簡単に説明するのによく使われる例があり、それは強制的にキスをする行為は「わいせつな行為」として「強制わいせつ罪」になりますが、夫婦が公衆の面前でキスをする行為は「わいせつな行為」ではなく、「公然わいせつ罪」にはあたらない、というものです。

ところが、このキスという行為は戦前は無論のこと、戦後まもなくのころまでもかなりいかがわしい行為とみなされており、公然わいせつ罪とみなされてもおかしくないものでした。公序良俗に反する行為とされ、面前で行うのは無論のこと、映画などで放映されるキスシーンも戦前はご法度でした。

そもそも、わいせつという概念は、法的に定義された概念であるものの、時代と場所を超越した固定的な概念ではありません。何がわいせつであるか否かは、その時代、社会、文化に対応して変化する「性」に対する規範意識に左右され、社会通念によって判断されるものです。

したがって、現在における「猥褻」の判断は戦前のそれにおいて適用されるものではなくようするに「普遍的」なものではない、ということです。憲法第21条で保障される「表現の自由」においてわいせつ的表現が該当するかどうかについては、学説上も争いがあり、未だに定説がないといいます。




そうした議論の中において、性的な表現の一部が、現在ならば当たり前のものであって自由にしていいというものが認められず、違法かどうかをめぐって激しく争われた事例もありました。

実はわいせつかどうかを問われる罪にはもうひとつ刑法175条というのがあり、これは「わいせつ物頒布等の罪」ともいい、「わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者」は罪に問われます。

これが憲法21条に違反するかどうかいうことで争われ、一審二審とも有罪判決を受けたあと、最高裁でも有罪とされたの「チャタレイ夫人事件裁判」です。判決が出たのは1957年(昭和32年)のことであり、わいせつと表現の自由の関係が問われたものの中でも最も有名な事例です。

「チャタレイ夫人の恋人」は、イギリスの作家D・H・ローレンスの作品であり、これを日本語に訳した作家の伊藤整(せい)と、版元の小山書店社長小山久二郎が被告となりました。そもそも日本政府と連合国軍最高司令官総司令部による検閲が行われていた占領下の1951年に始まったものであり、1957年に結審するまで6年もかかりました。

ところがこのチャタレイ夫人…はその後、1981年にシルビア・クリステル主演で映画化もされており、原作よりもより過激な内容になっているにもかかわらず、まったく罪に問われるようなことはありませんでした。40年も経てば性的描写についての社会的批評にこれほどの差異が出てくるのか、と考えさせられます。

簡単にあらすじを書いておくと次のような内容です。

炭坑の村に領地に持つ貴族の妻、コンスタンス・チャタレイ(コニー)は夫と蜜月の日々を送っていた。しかし、夫のクリフォード・チャタレイ准男爵は陸軍将校として第一次世界大戦に出征、クリフォードは戦傷により下半身不随となる。復員後は2人の間に性の関係が望めなくなるが、夫はその後作家としてある程度の名声を得るようになる。

しかし、コニーは一日中家にいる夫との二人きりの日々の生活に閉塞感を強めていくとともに、性生活ができないことを悩みに思うようになっていく。一方の夫のクリフォードのほうは、じぶんたちに「跡継ぎ」がいないことを深刻な問題として考えるようになる。

悩んだ末にクリフォードは、あろうことかコニーに自分以外の男性と関係を持つよう勧める。ただ、その相手の条件とは、同じ社会階級であることであり、また子供ができたらすぐに身を引くことができる人物であること、であった。

コニーは、自分はチャタレイ家を存続させるためだけの物でしかないと嘆くが、そんななか、チャタレイ家の領地で森番をしている男、オリバー・メラーズと会話を交わすようになる。オリバーはかつて陸軍中尉にまで上り詰めたほどの軍人だったが、上流中流階級社会になじめず退役し、チャタレイ家で雇われるようになったのだった。

妻に裏切られて人生の味気無さを悟り、一人暮しをするオリバーだったが、コニーはこの変わった男の威厳と自信に満ちあふれているようにみえるその姿に次第に惹かれるようになっていく。やがてふたりは恋に落ち男女の仲になる。秘密の逢瀬を重ね、性による人間性の開放に触れたコニーは、やがてクリフォードとの離婚を望むようになる。

しかしなかなか夫に言い出せず、閉塞感漂う思いの中、気晴らしのために姉と共にヴェニスに旅行に出かける。しかしその旅行先でコニーはオリバーの子供を妊娠していることに気がつく。ちょうどそのころ、オリバーのかつての妻がクリフォード領地に戻ってくる。彼女はかつての夫とコニーが通じていることに感づき、世間に吹聴して回るようになる。

その噂はすぐに夫のクリフォードの耳に入るところとなり、オリバーは森番を解雇され、別の農場で働くようになる。旅先から帰ってきたコニーは、オリバーを追い出したクリフォードを詰問し、ついには離婚を申し出る。しかし夫はこれを承知せず、コニーは改めてこの夫に失望する。

やがて名誉も身分も、真実の幸福には関係ないことを悟ったコニーは、オリバーの許へ走り、そこで新しい人生の門出をするのだった。

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ストーリーだけを追っていると、なんだ別に過激でもなんでもないじゃないか、と思うわけですが、原文にはやはりそれなりの露骨な性的描写があったわけです。小山書店の社長も、その当時は度を越えていることを理解しながらも出版したようで、無修正版が発行されて2ヶ月後にはもう警視庁に摘発されて発禁処分になりました。

裁判そのものは1957年(昭和32年)3月に結審して終わり、被告人小山久二郎を罰金25万円に、同伊藤整を罰金10万円に処する有罪判決として確定しました。

しかし1964年(昭和39年)には、新潮社から、伊藤整訳で性描写部分を削除した版が発行されました。さらにその後、時代の変化や英米での無罪判決も受け、1973年(昭和48年)に、講談社から羽矢謙一訳で無修正版が初めて発刊。1996年(平成8年)には新潮社から伊藤整訳・伊藤礼補訳で、削除部分を補った「完訳」版が発行されるに至ります。

ここに至るまでには、チャタレイ夫人裁判以降さらに、「悪徳の栄え事件・裁判(1969年(昭和44年))」、「四畳半襖の下張事件裁判(1980年(昭和55年))」という、やはりわいせつ表現が憲法違反になるかどうかが争われた大きな事件があり、そのいずれも最高裁まで行ったものの、結論としては違法という判断になりました。

しかし、四畳半襖の下張事件での判決では、「その時代の」社会通念に照らして判断すること、という但し書きがついており、以後、わいせつ表現に関する風向きが変わっていきました。1996年に、以前は発禁であったチャタレイ夫人の「完訳」版が発行され、特段罰則を受けなかったのもそうした流れによるものでしょう。

ただ、2007年(平成19年)にはさらに、松文館から発行された成人向け漫画の猥褻性をめぐる「松文館事件裁判」という同様の裁判が行われ、最高裁では二審判決の漫画もわいせつ物に当たるという判断を支持し、二審判決が確定。わいせつか表現の自由かという議論については、現在に至るまで肯定論者と否定論者の攻防が続いています。



こうしたわいせつか否か、という議論をするときに良く持ち出される用語に「エロティカ」と「ポルノグラフィ」というのがあります。「エロティカ」は、性的興奮を起こす素材を扱う作品のうち、芸術的・科学的な価値を意図したり残したりしているものを指し、「ポルノグラフィ」は、性を好色に描写し芸術的価値が少ないか全くないものを指します。

このふたつの違いを区別することは、なかなか難しく、エロティック・アートというものの存在を支持する立場からは、エロティカは性的な面白さより芸術的な面白さを追求するものであり、それゆえポルノとは違うとされます。しかし、エロティカも実際は性的興奮を起こすことを目的としているとして、このような主張を退ける意見もあります。

裸体芸術や性科学などの名目で公開されてきた「性科学映画」は社会的に認められています。また、性を商業化するものとして糾弾されることのあるピンク映画やポルノ映画であっても「芸術作品」として評価されるものもあるわけであり、どこでポルノとエロティカの線引きをするかはなかなに難しいものです。

ただ、ポルノのほうは女性差別の問題と関連付けて論じられることがあり、例えば電車などの公共空間におかれた週刊誌の広告のグラビアなども女性身体を一方的に性的な客体として描く女性差別的な表現とみなされることもあります。

一方では女性向けのポルノと言われているものもあり、レディースコミック・ティーンズラブ・ボーイズラブといったジャンルがそれです。

ボーイズラブは男性同士の同性愛を、レディースコミックやティーンズラブでは男女間の異性愛がメインとして描かれているわけですが、いずれにせよここに描かれているものは男性向けではなく女性向きなポルノグラフィなわけです。

男女それぞれに向けたポルノが存在するわけであり、このことからもポルノは女性蔑視を主旨とした男性だけのものかといえばそうではないことがわかります。

男性だけでなく女性も含めて、人類全体にわいせつかどうかという議論は存在するわけであり、かくして官能表現をめぐるラビリンスは深まるばかりです。過去から未来へ向けて「性」の内容は変化しつつあるようですが、その行き着くところはどこなのでしょう。

何がエロティックなのかという理解は時代や地域によって変わるため、エロティシズムを一律に定義することは難しいようです。ルーベンスが描いた官能的な裸体は、17世紀にそれが庇護者に献呈されるため製作されたときにはエロティックでありポルノグラフィックでもあると考えられました。

「チャタレイ夫人の恋人」もまた性を露骨に扱ったために猥褻とされ、1928年の完成から30年間にわたって多くの国で出版や流通に適さないとされてきましたが、今日では学校の標準的な文学と見なしている地域さえあります。

日本の各地に男女器を形どった「神」が祀られていますが、こうした彫刻は伝統的に病魔や死を退散させる象徴とみなされてきたのであって、エロティックと呼ぶべきものではありません。

そう考えてくると、未成年者に強制的にキスをするという行為も時代を超えた遠い未来の世界では合法行為として受け取られるようになるのかも。

いや、そんな遠い時代にはきっと、キスという行為の意味も変わっていて、もしかしたらおしりとおしりをくっつけあう行為がそれと呼ばれるようになっているのかもしれません。

そんな時代にはもう電車なんかには乗れなくなっているかも。いや電車というものすらない時代とすれば、その行為はどこでやるのでしょう。

もしかしたら未来の地球人はそうした愛を宇宙で交わしているのかもしれませんが… 妄想は膨らむ一方です…