今年は暖冬で、早くもソメイヨシノが咲きそうです。
日に日に暖かくなり、日中の最高気温も20度を上回ることも珍しくなくなってきました。
「冬籠りの虫が這い出る」といわれる啓蟄は、ちょうど今頃、3月の上・中旬のころの気候をいいます。
古代中国で考案された季節を表す標語「七十二候」のひとつに、同じ季節を表現した「鷹化為鳩」というものがあり、これは「たかかしてはととなる」と読みます。
鷹が鳩に姿を変えることをさし、獰猛な鷹も春のうららかな陽気によって鳩に化ける、といいう意味ですが、ここでの鳩は、郭公(カッコウ)でもある、といわれます。
カッコウをみたことがある人はわかるでしょうが、たしかにぱっと見た目には鳩に見えなくもありません。中国やヨーロッパを含むユーラシア大陸全般に生息する鳥ですが、日本にも夏鳥として今の季節ごろからやってきます。
全国的に見られますが、本州中部から北に多く生息しており、草原、耕地、牧草地と小さな林がある明るくひらけた環境に棲んでいます。エサとしては、昆虫類も食べますが、クモやムカデなどの節足動物を好み、毛虫なども食べるようです。
名前のカッコウは、オスがそう鳴くから付けられたものであり、学名はCuculus canorusであって、“Cuculus”は「クゥークゥルス」という風に発音します。日本語でのカッコウは欧米人にはそう聞こえるのかもしれません。
canorus(カルノス)のほうはラテン語で「音楽的」を意味します。ヨーロッパでは、カッコウの声が聞こえる春になると、少女たちがその鳴き声を使って占いをするそうです。その最初にきいた鳴き声の数で、自分があと何年たったら結婚できるがわかるといいます。
フィンランドやロシアでは、その鳴き声を悲しい声ととらえる一方で、フランス人には陽気な声として聞こえるらしく、それぞれの国で悲しく楽しい民謡が作られています。
ヨーロッパのこのほかの国でも、古くからその鳴き声が親しまれており、民謡以外の楽曲にも取り入れられています。有名なところでは、「おもちゃの交響曲:オーストリア」(エトムント・アンゲラー)、「第六交響曲(田園):ドイツ」(ベートーヴェン)、「森の奥にすむカッコウ:フランス」(サン・サーンス) などがあります。
サン・サーンスの「森の奥にすむカッコウ」は、「動物の謝肉祭」という組曲の中に収められており、全14曲のうちの第9曲目に出てきます。クラリネットがカッコウの鳴き声を模倣するという形で表現されており、ピアノ伴奏がその「声」を引き立てる形になっています。
日本でも「静かな湖畔の森の陰から」といった歌に歌われており、これは長野県・野尻湖のYMCAのキャンプ場で作られたそうです。筆者も行ったことがありますが、確かに静かな湖であり、この歌の普及からカッコウはこうした山奥の静かな場所で鳴く鳥と広く受け止められています。
しかし良い意味に受け止められているばかりではありません。「閑古鳥が鳴く」という言葉がありますが、これはカッコウのことです。静かなところでしか鳴かない、ということは、つまり人気が少ないところで鳴く鳥である、ということであり、「閑古鳥」ともいわれます。客が来なくて商売がはやらない「閉店ガラガラ」の状態を指すときによく使います。
松尾芭蕉の句にも「憂きわれをさびしがらせよ閑古鳥」というのがあります。こちらは風流の例えとして使われており、「閑古鳥よ いつも何となく物憂にふけっている私を、お前のその寂しい鳴き声で、もっと閑寂境の世界に誘い込んでおくれ」といったほどの意味です。
芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡って岐阜の大垣まで旅したあとに詠んだ句です。芭蕉はこのとき48歳で、京都や伊勢志摩などの畿内での旅を終えて江戸へ帰った直後でした。
その2年ほど前に約5ヶ月600里(約2,400km)に渡って各地を旅した中で見た景色への思いをこの歌に込めたのではないかと思われます。この旅の印象を綴られたのが有名な紀行文「おくのほそ道」です。ちなみに芭蕉はこれから2年後の元禄7年(1694年)に、50歳で亡くなっています。
このほか、日本の昔話には、カッコウがなぜカッコウと鳴くようになったか、について語るものがあります。
とあるとき、ひとりの母親が「背中がかゆいのよ 掻いてくれない」と息子に頼みました。しかし、その子は遊びに夢中で母の頼みを聞いてくれそうもありません。母親はしかたなく川辺に行き、そこにあった岩に背中をあててこすっていましたが、あやまって川に落ち、死んでしまいました。
残された子は親不孝をしたことを悔い、悲しみに暮れて泣きました。そしてもしお母さんが生き返ってくれるならその背中をかこう、かこう、と言っているうちに、やがて鳥になり、カッコウ、カッコウと鳴くようになった、といいます。
さらに、日本には昔から「鳩時計」というものがありますが、この鳩も実はカッコウです。
もともと、ドイツで発明されたものを輸入したものですが、上述のとおり、カッコウの別名が閑古鳥であることから、縁起が悪いので鳩に替えられたという説があります。普及したのは戦後のことで、輸入したものを改良して準国産化したのは世田谷にあった、「手塚時計」だといわれています。
オリジナルの鳩時計は、ドイツ南西部のシュヴァルツヴァルトというところで18世紀の終わりごろから作られ始めました。ここで鳩時計の心臓部ともいえる、装置が発明されましたが、これは二つの音を発し、その高低さで鳥の声を模倣するというものでした。
そもそもオルゴールのような自動演奏装置の一部として開発されたものでしたが、この地方の人々は器用だったため、身近にある豊富な木材を利用して彫刻で人形を作るのが得意であり、この装置をもとに、からくり時計を作り始めました。
19世紀の半ばまでには現在のものとはそれほど違わない原型の鳩時計ができ、この地方がスイスにも近いことから、その後スイスでも作られるようになりました。
そのしくみとしては、鎖に付いた細長い松ぼっくり状のおもりがついていて、鎖がその重みで上下することによって時計やそのほかの装置を作動させる、というものです。おもりは通常2つまたは3つあり、1つは時間を動かすため、もう1つは時報(鳩や鐘の音)、そしてもう1つはオルゴールを動かすために使われます。
現在では世界中に普及していますが、近年ではアメリカ、日本、中国などではクォーツなどのムーブメントを組み込んだタイプも多く販売され始めており、本場のドイツでも作られています。しかし、かつての伝統的な重り式鳩時計もドイツやスイスを中心にして、まだ作られています。
ドイツにはシュヴァルツヴァルド時計協会という組織があり、おもり式鳩時計の品質証明書を発行しています。同協会が定める品質をクリアしている証であり、その基準を満たしている伝統的な鳩時計にのみ、その認定書を付けることができます。
幾らぐらいするものなのか調べてみたところ、シンプルなデザインのものでも2万円程度はするようで、オルゴールが組み込まれているような複雑なものでは3~4万円もするようです。が、その装飾は見事で、その価値は高そうです。こうしたものがお好きな方は購入を検討されてはどうでしょう。商売をやっている方はやめたほうがいいかもしれませんが。
このカッコウについては、宮沢賢治もまたその作品の中で登場させています。「セロ弾きのゴーシュ」というもので、賢治が亡くなった翌年の1934年に発表された作品です。37歳で亡くなるその7年ほど前に習い始めたセロ(チェロ)に触発されて書いたものと考えられます。
町の楽団でセロを弾くゴーシュという男性が、夜な夜な訪れてくる動物たちから刺激を受けつつ、その才能を伸ばしていく、といった話で、この中に主人公のもとに音楽を教わるためにカッコウが訪ねてっくる、という場面があります。
ゴーシュは粗野な性格で、所属する楽団の楽長に叱られた鬱憤晴らしに、弱者の動物をいじめる、といった卑屈な若者でした。しかし彼の元を訪れる様々な動物たちへ無償の行為を繰り返すうちに、次第に謙虚さを学び、同時にその技量を高めていきます。
カッコウとの反復練習で自らの音程の狂いを自覚し、さらにタヌキの鋭い指摘によって、自分の楽器の特性を知ります。そして最後にやってきた野鼠は、ゴーシュのセロの演奏で動物たちの病気が治ることを教えてくれました。
こうして自分が人知れず役立っていることを教えられ、自信を持つようになった結果、ゴーシュの演奏はリズム、音程、感情の三つが改善され、聴衆の心を動かすようになります。
楽長からも褒められて初めて自分の上達を知りますが、このときはじめて動物達から恩恵を受けていたことに気づきます。と同時に慈悲の心が芽生え、これによって真に音楽を理解できる青年へと成長していきます。
この作品は戦後、三度にわたって映画化されており、1982年には、高畑勲が監督して一般公開されています。前年の1981年には、大藤信郎賞(日本のアニメーションの先駆者である大藤信郎を称え、1962年に創設された賞)にもノミネートされて受賞しています。
この宮沢賢治の原作の中で、カッコウはゴーシュの手助けをすることになるわけですが、最初に来た時はその鳴き声に悩み、ドレミファ(音階)を正確に歌うことができませんでした。
「音楽だと。おまえの歌は、かっこう、かっこうというだけじゃあないか。」とゴーシュはッコウをからかいますが、賢治もまたこの鳥の鳴き声はただ単調なだけ、というふうに思っていたのでしょう。
現在、日本中で使われている「音響装置付信号機」に使われている誘導音のひとつもまたこうした単調なカッコウの声であり、横断歩道を渡るとき、「カッコー、カッコー、カッコー」といった擬音に促されて道を渡った経験は誰にでもあるでしょう。
これは単調ではあるものの、その高温と低温の組み合わせが人の注意を惹きやすいとして、1975年に警察庁などからなる委員会によって選ばれたものです。擬音としてはもうひとつ「ピヨ、ピヨ、ピヨ」が選ばれ、このほかメロディーとしては、「通りゃんせ」、「故郷の空」の二つも選ばれています。
このように意外と我々の身近なところでもその声が応用され、親しまれているカッコウですが、その生活史をのぞいてみると、ちょっと眉をひそめるような生態を持っていることに驚かせられます。
それは「托卵」を行う、ということあり、これは自分以外の種の鳥に、卵を預けて育てさせる、というものです。カッコウの成鳥の大きさはだいたい35cmほどもありますが、これよりもはるかに小さいオオヨシキリやホオジロ、モズといった鳥の巣に自分の子の卵を産み付けます。
自分と同じくらいの大きさのオナガに対しても托卵を行うことが確認されていますが、いずれにせよ、自分で子育てをせず、人様の家に自分の子供を押し付けて育てさせているわけで、人間世界ではありえない習性です。
その「仕事」は巧妙であり、托卵の際には、その相手の巣の中にあった卵をひとつ持ち去り、ちゃんと数を合わせる、という念の入れようです。カッコウのヒナはだいたい10~12日程度の比較的短期間で孵化し、これは相手の巣の持ち主のヒナより早いことが多くなっています。
先に生まれたカッコウのヒナもまた親譲りの性格の悪さを持ち合わせており、生まれたらすぐに、その巣の持ち主の卵やヒナを巣の外に放り出してしまいます。本能的にそうするようその遺伝子に刷り込まれているらしく、こうして自分だけを育てさせることに成功すると、その後はその巣の養父母の元ですくすくと育ちます。
その巣の親もまた他人の子とも気付かずにその子を育て、ご丁寧にその巣立ちまでご奉仕します。巣立ち直前には「カッコウ、カッコウ」ともう一人前の声を上げますが、その声が他の種の子の声であるのにも気づきません。「義母」である親鳥、例えばそれがオナガならば、「グェーイ、グェーイ」とカッコウの子とまたは違う声で鳴きながら給餌します。
しかし、やがてすぐには餌を与えないようになり、幼鳥をじらしながらより高い枝に誘導し、独り立ちを促します。やがてカッコウの幼鳥はどこかへ飛び去りますが、残された巣には何も残されることはありません。その巣から本来は巣立つはずの子は、とうの昔にカッコウに押し出されて、巣の外で冷たくなっているわけです。
もっとも本当の親であるカッコウの親鳥の托卵のタイミングが遅い場合は、先に孵化した巣の持ち主のヒナも大きくなっていることがあります。この場合は相手が重すぎて押し出せないため、そのまま一緒に育つ場合もあるようです。
また、あるカッコウが別種の鳥の巣に卵を産みつけた後、別のカッコウが同じ巣に卵を産む、といった「ダブルブッキング」をすることもあるといいます。この場合、2つの卵がほぼ同時に孵ることもあります。この場合はその2羽のヒナ同士が落とし合いをするところとなり、敗れたほうには当然死が待っていることになります。
こうした托卵がなぜ行われるのかについての解明は、まだ完全には行われていません。ただ、カッコウは自分の体の体温を維持する能力が低く、外気温や運動の有無によって体温が大きく変動することがわかっています。
このため、卵を産んでも自分の安定した体温で育てることができず、体温の変動の少ない他の鳥に抱卵してもらうのではないか、ということが言われているようです。
こうした托卵はカッコウの専売特許ではありません。他の鳥では、例えばダチョウのように、同じ種同士が共同で子育てをするといった例もあります。ダチョウはオスが地面を掘ってできた窪みにメスが産卵、その巣にさらに他のメスも産卵します。これを最初に産卵したメスが抱卵するといいます。
同様の行動はムクドリにもみられるということであり、このように自分以外の同種や他種に卵を預ける、といった行動は鳥類以外にもみられます。
北米に生息する“フロリダアカハラガメ”は同所に生息するアメリカアリゲーターの巣に托卵します。巣の発酵熱で孵化を早めると同時に、巣を守るアリゲーターの親を卵の護衛役に利用します。托卵先のアリゲーターの卵に危害を加えることはありません。
また、魚では、ナマズ類に属する“シノドンティス・ムルティプンクタートス”という種は、マウスブルーダー(口の中で抱卵する)である“シクリッド”という魚に卵を託す習性を持っています。このナマズの稚魚は、シクリッドの口腔内で育ちますが、その過程で養母であるシクリッドが生んだ卵を食べながら成長します。
さらに、昆虫の“シデムシ”も種内托卵を行います。その一種“モンシデムシ”も同種に托卵を行いますが、托卵される側は、ときに「子殺し」を行います。寄生に対して敏感な本能を持ち合わせていて、親は通常の孵化に要する時間と比べて孵化が早すぎる個体があればこれに気づき、殺すことがあるといいます。
カッコウの話に戻ると、同様に托卵されたその子が異種のものであることを見破る鳥もいます。そうとわかるとそれを排除してしまいますが、このように托卵を見破るケースが時おり見受けられるというのは、長い間痛い目に遭ってきた結果、そうした異種の卵を見分ける能力を自然に身に着けたものと考えられています。
これに対して、カッコウもまた対抗策を講じてきました。その結果、托卵先の相手の卵にできるだけ模様を似せ、見破られないようにできるようになりました。たとえばホオジロの卵には線模様がありますが、カッコウの卵にも似たような模様があって見破られにくくなっていますし、大きさもそっくりです。
このようにある生物学的な行動を通じて、関係しあう者同士がお互いの能力を発達させ、ともに進化することを「共進化(Co-evolution)」といいます。
生物学的には、一つの種の「生物学的な要因」の変化が引き金となり、別の種の生物学的要因もまた変化すること、と定義されています。この共進化は、別々の種との間だけでなく、同じ種同士でも起きます。
2種の生物が互いに依存して進化する場合、それがお互いの利益につながるなら、この共進化は「相利共進化」と呼びます。たとえばヤドカリとその貝殻上に生息するイソギンチャクとヒドロ虫との関係では、ヤドカリは殻の上にこれらの刺胞動物が生息することで敵の攻撃を受けにくくなり、ヒドロ虫は移動手段を得られます。
この場合、異なる生物種が同所的に生活することで、互いに利益を得ることができる共生関係であることから、「相利共生共進化」ともいいます。
一方、カッコウの例のように、カッコウ側は子育てをしてもらって利益を得ますが、托卵をまかされる相手は害を受けるわけであり、この場合は「片利片害」になります。しかし、そのことを通じてお互いに切磋琢磨し、化かし化かされないように進化するわけであり、「片利片害共進化」を果たすわけです。
同じ「片利片害」でもライオンとそれに食われる草食動物との関係のように、捕食種と被捕食種、といった極端なケースもありますが、この場合でも進化は発生します。ライオンは草食動物を効率的に狩るために進化し、草食動物はこれから逃れようとまた独自の進化を遂げるわけです。
一般には草食動物は逃げ足が速く、より周囲に敏感になるのに対して、捕食者はそれを捕まえられる能力が優れていきます。いわば「軍拡競争」のような状況であり、このように、敵対的な関係にある種間で、進化的な軍拡競走が繰り広げられるパターンは「赤の女王仮説(Red Queen’s Hypothesis)」として説明されています。
「赤の女王競争」や「赤の女王効果」などとも呼ばれ、アメリカの進化生物学者であるリー・ヴァン・ヴェーレンによって1973年に提唱されたものです。
「赤の女王」とはルイス・キャロルの小説「鏡の国のアリス」に登場する人物です。彼女が作中で発した「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)」という台詞からきています。
赤の女王は、一般的なチェスでは黒のクイーンにあたります。この物語の序盤で他の多くの駒たちとともに姿を見せますが、その後人間並みの大きさになって再登場すると尊大な態度でアリスに接します。
そして、鏡の国のチェスゲームに興味を持ったアリスに、自分が敵対する白のチームの歩となってゲームに参加するよう助言します。加えてルールを説明しますが、その中で「ひとところに留まっていたければ全力で駆けなければならない」とこの発言をするのです。
赤の女王が言いたかったのは、ゲームに勝ちたかったら、同じところに留まっていてはダメ、努力しなさい、ということなのですが、進化論的には、捕食者に耐えて生き残るためには、自らが進化し続けなければダメ、ということであり、こうしたことからこの説が「赤の女王仮説」と呼ばれるようになりました。
弱肉強食の生物界において小型動物が生き残っていくためには、いかに立ち止まることなく自分を進化させていくかが問われています。現在を生きる小動物たちは皆、捕食者から逃げのびる中で長い時間をかけて自己淘汰を行ってきたのであり、その結果この世に生存するに足る優れた能力を持つに至ったわけです。
一方で、たとえば海洋の孤島などのように捕食者のいない環境を考えてみましょう。そこで生き延びてきた小型動物たちは無警戒であり、もしそのような場所に上位捕食者が入り込んだとしたら、あっという間に食べ尽くされてしまうに違いありません。
捕食者がいる、ということはその時々では脅威に違いありませんが、長い目でみれば、自己を進化させるという意味で重要である、ということがわかります。
こうした赤の女王仮説は、他の種が存在する理由にも使えます。例えば昆虫の例では、北アメリカ北部に生息する“ジュウシチネンゼミ”の例があります。このセミは、17年に一度しか成虫が姿を見せません。アメリカ南部には13年にしか発生しないセミもおり、こうしたセミは、一定周期で現れたり消えたりするので、「周期ゼミ」と呼ばれています。
もっとも一定周期の間現れないのは特定の地域だけでのことであって、その間、また別の地域では現れます。つまり、ほぼ毎年どこかでは発生しているものの、それぞれ別の場所で13年、17年周期で発生するのです。例えば隣接する地方では、ある年に片方の地方では発生するけれどもその隣では発生せず、そのあとも時間をずらして交互に発生します。
全米においては、17年周期の17年ゼミは3種、13年周期の13年ゼミは4種いるそうですが、これらのセミが同じ地方において同じ年に発生することはほとんどありません。まるでそれぞれの周期ゼミが隣のテリトリーの発生周期を知っていて、これを避けているようにすら見えます。
まれに、全米のどこにも周期ゼミが発生しない年もあるようですが、いずれにせよ、こうした周期ゼミは、基本的には地方毎に発生の時期をずらすことで、同じ場所に同じ種が重複して発生しないようにしている、と考えられています。
しかしそれにしても、どうして時期をずらして別々の場所に発生するのでしょうか。これについてはまだよくわかっていないようですが、この現象のひとつの説明としては、かつてこれらのセミに寄生した天敵があったのではないか、ということが言われています。
普通のセミは、ほぼ毎年、夏になれば発生します。これに対して、13年、あるいは17年もの長い間、間を空けて発生する理由は、3~4年の間隔で大発生する寄生虫を避けるためと考えることができます。これにより、長スパンで発生する自分たちのサイクルに、こうしたはついてこられなくなります。
しかもその発生年数が、13年、17年といった「「素数」であれば、より寄生虫を避けやすくなります。例えばセミの発生周期が13年ではなく12年であったなら、発生周期が3年や4年の寄生虫とは、同時発生してしまう時期が3~4年間隔で必ず出てきます。
ところが、これが13年であれば、発生周期が3年の寄生虫は39年、4年の虫は52年おきにしかセミと同時発生することができません。17年周期であれば、発生周期が3年の寄生虫は51年、4年の虫とは実に68年周期でしか遭遇しないことになります
こうした習性をもし周年ゼミが長い間の淘汰で得てきたとしたならば、これもまた共進化の結果であり、捕食者である寄生虫に、被食者である周期ゼミが勝ち残った結果の進化、といえます。
このように、ほ乳類のような小動物が自分の身体機能を進化させることで外的からその身を守ろうとするだけでなく、こうしたちっぽけな昆虫類もまた、自らの発生時期を変えるという単純な工夫で天敵から逃れる術を得ている、と考えることができるわけです。
このことはつまり、生物はその生存の過程において、何等かの迫害者がいる場合はそれに適応して彼らから逃れる術を身に着けている、ということにほかなりません。たとえ一つの世代においてそれが達成されなくても、何世代にもわたってそれが繰り返されれば、その結果として進化がもたらされます。
その進化は迫害を受けるものだけでなく、迫害者にも起こる可能性があるわけであり、昨今、人類を脅かしているコロナウイルスもまたそうした過程で進化してきたものです。
ウイルスは、手を変え品を変えて、宿主である我々の体内に入り込み、寄生しようとしますが、これに対して我々はそれを阻止するために、「免疫系」というものを発達させてきました。
免疫系は、細菌やウイルスなどの寄生者を排除するよう選択圧を受けた結果、我々が身に着けた能力です。片やウイルスもまた、こうした免疫系を破壊するか回避するような選択圧を受けた結果、世代ごとにその能力を進化させてきました。
従来のウイルスに比べてコロナウイルスのほうが感染力が強い、といったことが言われているようですが、これはそうした進化を重ねることによってその能力をより巧妙なものに仕立ててきた、と考えることができるのです。
こうした人間とウイルスの共進化、別の意味での「戦い」の歴史は長く、おそらくは人類が始まって以来続いているものでしょう。ヒトに感染するウイルスの中でも最も古いものといわれているのは、天然痘と麻疹(はしか)のウイルスであり、これらのウイルスは数千年前にヨーロッパと北アフリカの人類の前に初めて出現しました。
11世紀以降、十字軍やイスラムによる征服によって、こうしたウイルスは新世界へと運ばれていきましたが、ここに住む先住民たちは対抗する免疫を持っていなかったため、数百万人が死亡しました。1580年にはインフルエンザによるパンデミックが初めて生じ、その後の世紀でも頻度を増しながら発生し続けていきました。
1918年から1919年にかけて流行したインフルエンザは、初出がスペインであったため、スペイン風邪と呼ばれましたが、これによって4000万人から5000万人が1年以内に死亡し、歴史上最も壊滅的な伝染病流行の1つと言われています。
人類が初めてこうしたウイルスへの対策法を確立したのは19世紀になってからです。ルイ・パスツールは狂犬病ワクチンを、エドワード・ジェンナーは種痘を開発することで、ウイルス感染から人々を守ることに成功しました。
さらに20世紀に入ってからは1930年代に発明された電子顕微鏡によってウイルスの性質は徐々に解明され始めました。昔からの病気も新しい病気も、多くがウイルスによって引き起こされていることが判明するようになり、古代からあったポリオでは、1950年代にポリオワクチンが開発されるとその制圧が進みました。
ジェンナーが開発した種痘の実施は徐々に世界中に広まっていき、20世紀中盤には先進国においては天然痘を根絶した地域が現れ始め、日本においては1955年にほぼ天然痘は根絶されました。
一方では新しいウイルスも出現し、そのひとつであるHIVは、この数世紀の間に出現した新しいウイルスの中で最も病原性の高いものの1つです。人の免疫細胞に感染してこれを破壊し、最終的に後天性免疫不全症候群 (AIDS)を発症させるこのウイルスの感染対策はまだ確立されていません。
そしてコロナウイルスです。2009年の新型インフルエンザ以来の世界的流行となったこのウイルスに対して、先日、WHOはこれをパンデミックである、と宣言しました。
パンデミックとはある感染症が、著しい感染の広がりを見せ、死亡者も膨大になる事態を想定して、世界的な感染の流行を表す警告するものであり、世界的な保健機関であるWHOがそれを宣言すること自体、歴史的な大流行であることを意味します。
「今、すべての人類が脅威にさらされている」との警告がなされたものであり、多くの人を死に至らしめる可能性が高く、それを警告するためこのような宣言なされるわけです。
コロナウイルスが過去に発生した伝染病と比べてどれほど危険性が高いかはまだよくわかっていないようですが、人類にとって有害な伝染病であることは間違いありません。
しかし、上述のような「共進性」ということを考えたとき、こうしたウイルスの流行もまた、人類がさらに進化するための試練である、というところは否定できないでしょう。長い目で見れば、むしろ「必要悪」といえるのかもしれません。
そもそも、ウイルスは、人類の誕生のころから我々と共生してきたものです。コロナウイルスのように人に有害なものも数多くありますが、実は地球上には約1031、ものウイルスが存在すると推計されており、そのほとんどは人類にとっては有害ではなく、むしろ有益なものです。
対して、人間に害を及ぼすタイプのウイルスはその「病原性」に対して科学的関心が寄せられてきたものですが、それらは種を越えた「遺伝子の水平伝播」によって進化を促し、生態系の中で重要な役割を果たす生命に必須の存在である、という見方があります。
遺伝子の水平伝播とは、母なる細胞から子細胞への遺伝ではなく、個体間や他生物間においておこる「遺伝子の取り込み」のことです。生物の進化に影響を与えていると考えられています。
通常、生物の体の中では、細胞分裂によって母細胞から子細胞へ染色体がコピーされということが繰り返されています。同様の遺伝子情報は、親から子へと行われる際に継承されるわけで、その際の時間的変化を垂直的(遺伝子の垂直伝播)とするならば、同種が「同時的に」他の生物からの影響によって遺伝子情報を受けて変化することは「水平的」と表現できます。
これが、「水平伝播」であり、我々のようなヒトのゲノムには、ウイルスの遺伝子が「水平的」に取り込まれていることが知られています。つまり、我々が生きている間にウイルスによって侵されることによって、そのウイルスの遺伝子情報が我々の中に取り込まれる、というのです。
こうした水平伝播が長い歴史の中で繰り返されてきた結果、つまり、「垂直伝播」が起こってきた結果、ある種のウイルスは既に人間と一体化しているといわれています。
ヒトゲノムプロジェクトによって、ヒトゲノムの至る所に無数のウイルス由来DNA配列が散在していることが明らかにされています。これらの配列はヒトのDNAの約80%を構成しており、太古のレトロウイルスがヒトの祖先に感染した痕跡だと考えられています。
これらのDNA断片は、ヒトのDNA中にしっかりと定着しています。このDNAのほとんどはすでに機能を失っていますが、これらのウイルスの中にはヒトの発達に重要な遺伝子を持ち込んだものもあるようです。
4000万年前に存在したウイルスの遺伝子がヒトに取り込まれたとする論文も発表されており、ヒトの進化にウイルスが関与する可能性は昔から研究者の間で取り沙汰されています。
そして近年では、そうした影響力の強いウイルスのひとつが「バクテリオファージ」タイプのウイルスではないか、といわれています。
バクテリアファージとは、細菌に感染するウイルスの総称で、このタイプのウイルスが感染した細菌は細胞膜を破壊される「溶菌」という現象を起こします。
このとき、その細菌は食べ尽くされるかのように死滅し、死細胞を残しません。このため、「細菌(bacteria)を食べるもの(ギリシア語:phagos)」を表す「バクテリオファージ(bacteriophage)」という名がつけられました。つまりは、細菌イーター(細菌の掃除屋)ということになります。
ウイルスは、人類だけでなくその他の生物にとっても、病気や死の原因になるもの、という評価を受けていますが、多くの生態系においては、豊富にあるウイルスは実はその生存のために重要な役割を担っているといわれています。
上述のとおり、地球上には約1031のウイルスが存在すると推計されていますが、実はそのほとんどはこうした「バクテリオファージ」タイプのウイルスです。
しかし、そのほとんどは海洋に存在し、陸上にはあまりいません。細菌も含めた微生物は海中のバイオマス(生物体量)の90%以上を構成していますが、バクテリオファージタイプのウイルスはこのバイオマスの約20%を日々殺しているといわれており、海洋中には細菌や古細菌の15倍のこうしたウイルスが存在すると推定されています。
日本近海では、いわゆる「赤潮」と呼ばれ、微小な藻類が高密度に発生し水面付近が変色する現象がしばしば起こります。欧米でも赤潮は発生しますが、同様の原因ではあるものの水面が褐色になる現象が起こることが多く、これは water-bloom(ウォーターブルーム) と呼ばれています。日本でも発生することがあり「水の華」という呼称があります。
赤潮や水の華は他の海洋生物を殺す有害なものとなることも多く、バクテリオファージはこうした藻類ブルームを迅速に破壊してくれます。海洋の藻類は、ラン藻という細菌の一群から形成されており、複数のラン藻間の環境的なバランスを維持し、地球上の生物のための適切な酸素合成を助けているのが、こうした海洋性のウイルスです。
さらに、我々が病気になったときに投与される抗生物質に対し、これに耐性を示す細菌が増えており、これまでの抗生物質が徐々に効かなくなっている、と言われています。その対策のためにもこのバクテリオファージは有効ではないかと考えられ始めています。
薬を投与しても効果のない細菌(薬剤耐性細菌)によって引き起こされる問題は急増しており、細菌感染の治療の上において問題になってきています。ウイルスによる感染以上に深刻といわれていますが、ここ30年の間に開発された新たな抗生物質はたった2つだけであり、細菌感染と闘うための新たな手段としてバクテリオファージが期待されているのです。
その研究は1920年代に始められ、細菌を制御する方法として注目を浴びるようになり、1963年にはソ連の科学者たちによって大規模な臨床試験が行われました。その業績は、1989年に西側諸国で公表されるまで世界的にも知られていませんでしたが、その発表を受けて、バクテリオファージによる治療には大きな関心が寄せられるようになりました。
こうしたバクテリオファージを用いた細菌感染症の治療法は「ファージセラピー」といわれています。理論上、宿主生物(ヒト, 動物, および植物)に対して無害なだけでなく、腸内細菌のように病原性を持たず、善玉細菌に対しても無害であり、高い治療効果が期待できるわりには副反応も起こさないと考えられています。
このため、細菌を殺すウイルスとして大きな期待が寄せられているのです。ただ、欧米を中心にこれに対する関心は高まってはいるものの、まだヒトへの使用は承認されていません。細菌を破壊する過程で出てくる毒性が人間に及ぼす影響も懸念されているためであり、まだまだその実用化には時間がかかりそうです。
ただいつの日か、こうしたウイルスを利用した細菌治療法が確立され、それと同時にそうした優れた性質がヒトの遺伝子に害なく取り入れられる時代がくるかもしれません。その延長で、今猛威を振るっているコロナウイルスのようなものへの対策に使える日がくる可能性があるかもしれません。
あるいはコロナウイルスもまた改良されて人間と同化し、今のように有害なものではなく、むしろ有益なものにできるよう、人工的に改良できるような時代がやってくるかもしれません。
そのためにはあとどのくらいかかるでしょう。
何十年、何百年もかかるかもしれません。が、そのころまでには、また生まれ変わり、別の人生を歩んでいるに違いありません。
もしかしたら、そんな新技術の開発を担っているのはほかならぬ私かもしれません。
あるいはあなたかも。それならばぜひ未来の私を救っていただきたいものです。