昨日、韮山へ行く用事があったので、願成就院すぐ裏手にある守山「(もりやま)」に登ってきました。昨日の小室山に続く、プチ登山シリーズです。このお山、茶々丸のお父さん、足利政知が築いた砦の跡ともいわれ、狩野川のすぐそばに整備された公園から山頂までよく整備された登山道があります。お昼を食べたのが、すぐ近くの韮山にあるラーメン屋だったので、腹ごなしに登ってみることに。汗をかきながら旧な階段の続く登山道を上ることおよそ15分。山頂には、屋根付きの立派な展望台がありました。
ここから見える田方平野は絶景でした。今日は富士山は見えませんでしたが、眼科には、北へ流れる狩野川がみえ、その手前には先日行った堀越御所の跡地も見えます。東に目を向けると4両編成で走る駿豆線も見ることができ、青々とした田んぼの間を縫って三島へ行く電車の姿はのどかそのもの。あー来てよかった、と思いました。
この田方平野ですが、今から約6000年前の縄文時代には、気候最温暖期によって海面が現在より数メートル高くなり、沼津市から、伊豆の国市の長岡付近までが入江だったころの名残だそうです。その後、海面が低下し、狩野川とその支流が運ぶ土砂が堆積し現在の姿となりましたが、低地だけに、古くから狩野川の氾濫によって何度も浸水し、昭和33年の狩野川台風では、死者・行方不明者1269人という大きな被害が出ました。
また、これは私も知らなかったのですが、昭和5年(1930年)に、函南町付近を中心とする「北伊豆地震」というのがあったのだそうで、この地震でも多くの死者が出ました。
この地震、昭和5年の11月26日早朝に発生した、直下型の地震で、地元では「伊豆大震災」とも呼ばれて伝承されているのだとか。
震源地は東海道線の丹那トンネル付近で、ここにある丹那断層という断層がずれて地震がおこりました。マグニチュード7.3といいますから、新潟の中越地震(M6.8)規模の地震になります。震源に近い静岡県三島市で震度6の烈震を観測したほか、北は福島・新潟、西は大分まで揺れを感じたそうで、死者・行方不明者が272名も出るなど、大きな被害が出ました。
この死者の中には、この当時日本第二位の長さといわれた丹那トンネルでの工事関係者3人も含まれています。この丹那トンネル、この当時の技術で掘り進めるには、かなりの難工事だったそうで、これ以外にも数多くの殉職者を出し、完成までに36人もの方が亡くなっています。難工事だった原因は、トンネルを計画する段階で、設計者がこれを横断していた丹那断層を考慮に入れていなかったためで、このため、トンネル掘削が、断層付近に到達したところで、大量の出水が出ました。
北伊豆地震のとき、この大量の出水に対処するため、本坑とは別に排水用の坑道が掘られていましたが、これが、地震の際に丹那断層がずれることによって切断され、西側から掘られた坑道の先端部が北へ2.7mも移動したのです。これによって、坑道の崩壊事故が発生し、工事関係者3名が死亡しました。トンネルは当初直線で設計されていたそうですが、この地殻変動で直線で掘り進めることができなくなり、その後、トンネルの中央部でS字にカーブするように設計し直されたそうです。
丹那トンネルの難工事は、地質が分かっていない場所へ、遮二無二トンネルを掘ろうとした結果でした。これを教訓として、その後のトンネル工事は事前にできるだけの調査を実施し、難工事が予想される箇所を避け、地質に合った掘削方法を準備するようになったそうで、その次に彫られた長大トンネルの関門トンネル工事では、事前調査の結果、地盤の軟弱な九州側の主要工法としてシールド工法が採用され、工事が円滑に行われたそうです。
北伊豆地震は突然起こったのではなく、前触れの前震が何度もあったのだそうです。大きな地震がおこる11月にさきがけ、「伊東群発地震」とよばれる地震が、2月から4月にかけて何度もおき、一時的に沈静化したものの、5月からも再び活発化し、伊東を中心とした地域で8月までに1368回もの有感地震が起きたそうです。
そして、11月の初旬からふたたび新たな群発地震が、今度は伊豆半島の西側(網代の西方10km付近)で発生するようになり、11月の26日の本震の前日、25日までに、なんと2200回を超える地震が記録されました。さらに、25日午後4時5分にM5.1(最大震度4)の前震があったといいますから、被害に遭われた人たちもそれなりの心の準備はできていたはずです。
それにもかかわらず、大きな人的被害を出した原因は、地震が早朝におこり、人々が眠っていたということも大きいようですが、地震が起こった伊豆半島北部の山間部では、山崩れや崖崩れが多発し、とくに天城湯ヶ島(現伊豆市)では大規模な山津波が起きるなど、地震による土砂災害によって亡くなった人が多かったためです。
湯ヶ島では、農家3戸が埋没して、15名亡くなったほか、中伊豆(伊豆市の南)では山の上にあった畑が1haほどが陥没したそうです。被害から見ると、断層帯(後記述)に沿った地域(函南町~伊豆市にかけて)では、震度7の激震に値する揺れであったと思われ、この激しい揺れによって地盤が揺さぶられ、土砂崩れやがけ崩れ、地盤の沈下が起こったのです。
このほか、狩野川に沿った地域では家屋の倒壊が多く、韮山では家屋の全壊率がなんと40%に達しました。韮山町だけで、全壊した家屋は463戸、半壊420戸、死者76名、負傷者152名だそうで、その当時の世帯数は1276、人口7400人だったそうですから、7割の世帯が何等かの被害を受け、住民のおよそ1パーセントが亡くなったわけで、かなりの大打撃だったことがわかります。
北伊豆地震全体での総被害としては、死者・行方不明者272名、負傷者572名、全壊2165戸、半壊5516戸、焼失75戸だそうです。無論、昨年おきた東北の大震災や阪神淡路大震災に比べるべくもないですが、災害の悲惨さは失われた方々の命の数だけでは計れないもの。ここ、伊豆でもこうした大地震が起こりうるということを知り、改めて教訓として肝に銘じ、地震に対する備えを怠りなくしていきたいものです。
ところで、この北伊豆地震、前触れの前震が多かったためでもありますが、前兆は地震におる揺れだけではなく、各地で発光現象や地鳴りといった「宏観異常現象(こうかんいじょうげんしょう)」が数多く記録されたのだそうです。
本震前日の25日の夕方5時ごろから本震発生後の26日午前5時頃までのほぼ半日にかけて、静岡県南部を中心に発光現象がみられたそうで、その当時の記録によると、光の形はオーロラ状で色は青とが多かったといいます。また遠く離れた北関東や近畿地方では、地鳴りのような音が聞こえたという証言もあったのだとか。
宏観異常現象とは、地鳴り、地下水、温泉、海水の水位変動、水質の変化、動物の異常行動、天体や気象現象の異常、通信機器、電磁波の異常など、大規模な有感地震の前兆現象として知らされる現象の総称です。有感地震の因果関係は、多くの科学者がその説明を試みていますが、これが、定説といえるほどの科学的な根拠や統計的なデータは得られていないようです。
ただ、昨年の東北関東大震災では、東北の上空で異常な電磁波の発生が観測されており、これと地震との因果関係がいまさかんに研究者によって調べられているようです。うまくいけば、電磁波の異常を検知することで、地震が来ることを予知できるわけですから、良い成果が出てくることを祈りたいものです。
ちなみに、昨年の地震のとき、ウチのテンちゃんは、まったくといっていいほど、宏観異常現象を見せてくれませんでした。地震の発生とともに、どこかへ隠れてしまい、地震がおさまったころに、すりすりと足元に寄ってきて、不安そうな顔をしていただけ。あらためて、ネコは役にたたん、と思った次第。
地震が起こる前の動物の異常行動として、ナマズが騒ぐというのはよく言われますが、このほかとしては、鶏が夜中に突然騒ぎ始めるとき、日中カラスの大群が移動するとき、日中カラスの大群が異常な鳴き声で騒ぐとき、などがあるそうです。が、ネコが騒ぐというのは、あまり聞いたことがない。ネコの場合、ひげで気温や湿度がわかるそうで、ネコが手で顔を洗いはじめると天気が悪くなりそうだということで、天気予報には使えそうですが、地震予報には使えそうもありません。
宏観異常現象として、よく言われるのは、地震雲や地下水の異常などですが、前述の北伊豆地震でのオーロラのようなものや海面が光るなどの発光現象もよく報告されています。夜空が異常に明るい、とか、光の柱のようなものが見えた、太陽や月に傘のようなものがかかった、月が赤い色をしていた、などなど、枚挙のいとまがありませんが、これらと地震との実際の因果関係を証明した人はまだ誰もいません。
もしかしたら超能力がある人は、地震の予知もできるのかもしれませんが、残念ながら私にはその能力はなさそうです。が、素粒子が目に見えるものとして発見されるような世のなかですから、もしかしたら地震の予知も画期的な発見によって達成できるようになるのかもしれません。
でも、それが実現するとしたら、東京や大阪などの人口密集地帯ではとんでもない人口移動が起こるかもしれませんね。東京の人たちがみんな、伊豆へ引っ越してくるようになったりして。でもその前に地震によって伊豆半島が本州から切り離されないよう、祈ることにしましょう。