スパイは小説より奇なり

オリンピックも中盤にさしかかってきましたね。なかなか、金メダルがとれない日本ですが、銀メダルと銅メダルの獲得数はすごくて、調べてみると、すでに北京オリンピックの結果を超過しています。

アテネ 金16 銀9 銅12 合計37
北京 金9 銀6 銅10 合計25
ロンドン 金2 銀8 銅11 合計21(4日現在)

これからまだメダルが期待される競技も多いので、ぜひその数を増やしてほしいもの。でも、総メダル獲得数では軽く北京は超えるのではないでしょうか。あとは、金です。金がほしい。あと、カネもそんなにたくさんでなくていいから、ほしいかな。

007

ところで、「金」で思い出しましたが、イギリスのスパイ映画、「007」の中に、「ゴールデンアイ」ってのがありましたね。1995年公開で、主演はピアーズ・ブロスナン。ジェームズ・ボンド役としては初の作品だったそうです。007シリーズの第17作目で、すでにかなりマンネリ化していた感のあるシリーズを、冷戦後のスパイ戦争仕立てにして、その人気を復活させ、高い評価を得ました。

ピアーズ・ブロスナンも好きなのですが、個人的には、ショーン・コネリーのジェームズ・ボンドが一番好きかな。ピアーズ・ブロスナンの後釜のダニエル・クレイグもなかなかクールでカッコいいと思います。聞くところによると、原作者のイアン・フレミングが生前思っていたイメージに一番近いのがこのダニエル・クレイグなのだとか。

実際のスパイって、きっと映画のように「ちゃらちゃら」していないですよね。ショーン・コネリーとか、ピアーズ・ブロスナンの007って、なんだか女遊びが主で、スパイは「ついで」の仕事みたい。そこがまた魅力的ではあるのだけれども、やっぱ、本物のスパイらしいかんじがするのは、ダニエル・クレイグの007。これほどイケメンのスパイは実際にはいないでしょうが、いい仕事しそうな感じがします。

イアン・フレミング

さて、007シリーズの原作者、イアン・フレミングは、本当にスパイだったというのは、有名な話で、ご存知の方も多いと思いのではないでしょうか。政治家の息子として生まれ、イギリスの陸軍士官学校を卒業後、銀行や問屋での勤務を経て、大手通信社のロイター通信の支局長としてモスクワに赴任中、スパイ活動に従事していたといいます。

所属していたのが、かの有名な、MI6。イギリスも参戦した第二次世界大戦中でMI6のスパイとして活動しましたが、実際にはデスクワークが主体であり、任務を帯びて敵地に潜入するようなことはなかったそうです。第二次世界大戦の終結後にスパイ活動から引退し、作家に転向。

その後、ジャマイカに移住して作家活動を本格化させます。フレミングが住んでいた別荘は、「ゴールデンアイ」というのだそうですが、フレミング自身は、ゴールデンアイという作品を執筆していませんから、ピアーズ・ブロスナンが演じた同名の映画は、おそらく、この事実を知った後年の脚本家が、別荘のことを聞いて話を膨らませたのでしょう。

1953年に、それまでのスパイだった経験をもとに「ジェームズ・ボンド」シリーズ第1作となる長編「カジノ・ロワイヤル」を発表。その後、11作、全部で12作の007シリーズを書き上げ、1964年に遺作となった「黄金の銃をもつ男」を校正中に心臓麻痺で亡くなっています。56歳。若いですねー。

彼が書いた007シリーズの中には、頻繁に食事シーンが出てきますが、フレミング本人も「超美食家」だったと伝えられています。そのためか、早い段階から心臓血管の疾患をかかえていたそうで、早逝したのはそのためだと思われます。

意外だったのは、「チキ・チキ・バン・バン」を書いたのもフレミングなのだそうで(1964年の作品)、今の若い方はご存知ないかと思いますが、「空飛ぶ自動車」を題材にしたこのファンタジーはミュージカル仕立で1968年に映画化されて大ヒット。私も子供のころに見たような記憶があります。フレミングが書いた唯一の童話なのだそうですが、なんで、こういうのを書く気になったのでしょう。スパイ小説ばかり書いていて、飽きたのかも。

MI6

このMI6ですが、なんで「6」なのかな?と思ったら、もともと、軍情報部第6課というイギリス軍部の中の一セクションにすぎなかったからだそうです。最初は、各省庁がバラバラに敵の情報を集めていたのですが、SIS(イギリス情報局秘密情報部)が各省庁の情報面での調整役となり、各省庁から要求された情報を整理し、相手の役に立つように加工して渡すようになったのだとか。

そして、SISの中で各省庁との窓口となる課が第6課だったため、その母体のSISを「MI6」と呼ぶようになり、その後もマスコミやジャーナリストがこの呼び名を使い続けたため、MI6という呼び名が定着したようです。

本来は不適切な呼び方ですが、その後多くのスパイ小説家がSISのことをMI6と書くようになります。私もスパイ小説が好きで、昔からたくさんの作家の作品を読んでいますが、たいがいは、SISとは呼ばず、MI6になっていますね。

ところで、イギリス政府はその昔、MI6の存在そのものを否定していたそうです。日本でも第二次大戦前の昭和13年に、陸軍中野学校の前身の「防諜研究所」なるものを作っており、それがその後の諜報部員育成所の中野学校になっていきますが、その活動内容は外部に漏れないような仕組みになっていました。日本ではこの学校の卒業生が諜報機関を作り、対米戦に備えたといいますが、その存在は外部には一切知られていなかったといいます。

MI6も同じで、その存在そのものを知られること自体が、諜報活動に支障が出ると考えたのでしょう。イアン・フレミングは自身は、その後、元MI6の諜報員であることを公表したようですが、イギリス政府は、20年ほど前まで、その存在を公式に認めていませんでした。現在では、議会からの突き上げや、当局の監視に対する一般市民の不安などに対応して、その存在を明らかにしており、自らのホームページまで公開しているようです。

また、2009年、ジョン・サワーズ長官が就任すると、それまでのまったくメディアに露出しないという方針を変更して、メディアの前でスピーチを行なうといったこともしているそうです。

このように、自らの存在をアピールするようになった背景には、MI6の構成員である、スパイそのものの人材不足があるからだそうです。

スパイというのは、もともと危険な任務が多く、万一摘発されたら刑務所暮らしを余儀なくされ、スパイ活動先の国事情によっては死刑になる可能性もあります。それなのに、基本的には公務員であるため給料も安く、昨今の世界的な不況で、内通者に払う報酬も少なくなり、なかなか良い情報も集められません。このため、イギリス国内でも人気のない職業なのだそうで、これに危機感を持ったのか、最近MI6も新聞広告や失業者向けの求人誌を使って、大っぴらに募集をかけているほどなのだとか。

応募資格は、父母どちらかが英国人であること、21歳以上で過去10年間に5年以上イギリスに住んでいた英国民である事が最低条件なのだそうです。イギリス生まれの日本人とのハーフのあなた。応募してみませんか?

とはいえ、あんまり、実入りが少ないようだと、触手も動きませんね。でも、そのスパイ、第二次世界大戦以前は、結構儲かる商売だったようです。各国ともスパイ網を組織化・巨大化させ、諜報活動を繰り広げたため、膨大な予算がついていたためとか。ひとくちにスパイといっても、その守備範囲は広く、軍事機密だけでなく、政治や経済、科学技術などのあらゆる情報を入手する必要があり、そのためには多額の費用が必要になります。

また、実際に活動するスパイ自身も頭がよく、目端がきく人物でなくては務まりません。当然、高学歴のエリートが選ばれることになりますが、上述のイアン・フレミングもかなり頭のいい人だったようです。通信社の記者をしていて世情には詳しく、また、後年、有名な作家になるくらいですから、かなりの博識だったに違いありません。

サマセット・モーム

この点、同じくイギリスのスパイで、後年小説家になる、サマセット・モームとも似ています。本名、ウィリアム・サマセット・モームは、1874年に生まれ、1965年に91才で亡くなるまで、数多くの作品を残した、小説家、劇作家です。

その代表作「月と六ペンス(1919年)」は、画家のポール・ゴーギャンをモデルにした小説で、絵を描くために安定した生活を捨て、死後に名声を得たゴーギャンの生涯を自伝小説のように描いたもの。世界中から賞賛を浴び、映画や舞台、テレビ化などもされているので、ご存知の方も多いかと思います。

もともとは、医者だったそうでが、医者になる前から文学青年で、医療の傍ら小説を書いていましたが、いまひとつぱっとしなかったようです。しかし、医者になる前のインターン時代に貧民街で病院勤務したことや、様々な医療活動を通じて赤裸々な人間の本質をよく知るようになったことが、後年の才能開花につながったと言われています。

1914年、第一次世界大戦が起き、志願してベルギー戦線の赤十字野戦病院に軍医として勤務します。が、やがて諜報機関に転属になり、そこでスパイになることを打診されたようです。そしてこれを承諾したモームは、スイスのジュネーヴで諜報活動を行うようになります。

表向きは「劇作家」を名乗っており、実際に「人間の絆」などの作品を出版していたそうですから、スパイであることを見破られる心配もありません。ぞんぶんに活動してイギリス軍部からはかなり重宝されたようです。

このスイス滞在時に結婚し、一人娘が誕生しますが、同時に健康を損ない、1916年に諜報活動を一旦休止。この間、タヒチ島などの南太平洋の島々を訪れていますが、このタヒチでの経験が、ここに住んでいたゴーギャンをモデルにした作品、「月と6ペンス」につながったようです。

翌17年には、スパイに復帰。アメリカから日本、シベリアを経由し、ペトログラートへと向かい、ロシア革命の渦中のペトログラートでイギリスの諜報部員として活躍します。

その頃、ドイツとロシアは講和をしようとしていましたが、彼の役割は、この講和を阻止すること。このころ、ロシアはロシア革命がおこる直前で内部崩壊寸前。その混乱に乗じてドイツが黒海北部の旧帝国ロシア領土に進行して占領。このためこの地域では、ロシア帝国とドイツ間で激しい戦闘状態にありました。イギリスとしては、ドイツと大国ロシアの双方が戦争を続けてくれれば、両国とも疲弊してくれるわけで、うまくいけばトンビに油げ、ということで混乱している地域をイギリスのものにできるかもしれません。

そのためには、ドイツとロシアが講和するのを阻止したかったわけです。しかし、単独講和を唱えるレーニン率いるボリシェビキ党が、戦争継続派のケレンスキー臨時政府を倒したため、講和が成立。モームはそのスパイとしての存在意義を失います。

このスパイ活動で、肺を悪化させて帰国したモームは、スコットランドのサナトリウムで療養。そして、この時期に「月と六ペンス」の構想を練り著述を始めたといいます。1919年に出版されると、アメリカでベストセラーとなり、かつての作品「人間の絆」も再評価され、英語圏作家として世界的名声を得ていきます。「

モームは「月と6ペンス」を書くにあたり、ゴーギャンが過ごしたタヒチへ再度行き、ゴーギャンの絵が描かれたガラスパネルを手に入れたそうです。そこまでゴーギャンに思い入れたということは、自らのそれまでの波乱の人生と何か重なるものがあったのかもしれません。

モームは旅行が好きだったらしく、その後は、世界各国に船旅を続けたそうで、1920年代にはアメリカ各地や南太平洋、中国大陸、マレー半島、インドシナ半島などを訪れています。そして、1926年に、南フランス地中海地域のリヴィエラ(コート・ダジュール)に本拠となる大邸宅を購入。1927年に夫人シリーと離婚しますが、その後も、キプロス、スペイン、イタリア、北アフリカ、西インド諸島などなどをを旅行し、数多くの旅行記も書いています。

しかし、あいかわらずスパイとしての活動はやめておらず、第2次世界大戦勃発前後は、イギリス当局からの依頼でフランスでの情報宣伝活動を行っています。しかし、1940年6月のドイツ軍によるパリ陥落により、邸宅を撤収しロンドンへ亡命。

しかし、あいかわらずの旅行癖はやまず、ニューヨークへ向かい終戦までアメリカ各地に滞在。この時に描いた、「かみそりの刃」というのは爆発的にヒットしたそうで、数年で映画化されました。

その後、1946年に、大戦中に枢軸軍・連合軍双方の軍に占拠され激しく痛んだリヴィエラの邸宅を改修し、そこで晩年を過ごすようになります。1948年の「カタリーナ」を最後に筆を絶ちますが、評論やエッセイを発表しながら、更に世界中を旅し続けます。

1950年にはモロッコを、さらに、ギリシア、トルコ、エジプトと次々に訪れ、1954年にはイギリスに立ち寄り、即位まもないエリザベス2世に謁見して、名誉勲位をもらっています。1959年には、アジア各地を旅行訪問し、約1か月間日本にも滞在。日本人の翻訳者や英文学者たちと交流したといいます。

最晩年は高齢による認知症により、ニースにある病院に入院。1965年12月暮れに自らの希望でリヴィエラの邸宅へ戻り、まもなく没しました。享年91歳。イアン・フレミングが亡くなった1964年から1年あまりあとのことでした。

夢と現実

今日は、元スパイだった、二人のイギリス人作家に焦点をあててみましたが、その生涯を垣間見て思うのは、なんて二人とも多才なんだろう、ということ。スパイを務め上げるには広い見識と洞察力が必要に違いなく、そして行動力も必要不可欠な能力に違いありません。

とくに、サマセットモームは、死ぬ直前まで世界中を旅しており、すごい行動力だと思います。しかし、若いころから世界中を旅するのが夢だったに違いなく、作家としての名声を得ることで、それが夢ではなくなり、現実のものとなったとき、その喜びは最高潮に達したことでしょう。

彼の代表作、「月と6ペンス」の「月」は夢を、「六ペンス」は現実を意味するのだとか。若いころに書いたその小説が、よもや自分の人生そのものだったことを、本人はわかっていたでしょうか。

おそらくは今ごろ、あちらの世界で、同じくスパイで同国人のイアン・フレミングとともに自分たちをモデルにした次のスパイ小説を書く相談をしているに違いありません。案外と、今も続く、007シリーズの作者の耳にささやいて、アイデアを授けているのかも。

そのスパイ小説のアイデア、私にもらえないでしょうか。きっといいものが書けると思うのです。私自身、前世がスパイだったものですから……