盂蘭盆

お盆ですね。といいつつ、そもそもお盆ってなんだ? ずっと、気になっていました。そんなことも知らないのか、先祖を供養する日だ、といわれそうですが、じゃあ実際には、いつからいつまでをお盆って言うの? と聞かれて即答できる人は案外と少ないのでは。

一般的には、8月15日がその本チャンの日だと思っていましたが、聞くと、沖縄や奄美地方では、旧暦の7月15日(旧盆)だそうで、これは現在の8月の終わりころです。また、東京・横浜・静岡旧市街地、函館、金沢旧市街地などでは、新暦の7月15日、もしくは前後の土日がお盆で、ひとことにお盆といっても、全国的に統一されているわけではないみたいです。

そもそも、「盆」っていったい何なの? とさらに調べてみると、仏教用語でいうところの「盂蘭盆(うらぼん)」の省略形なのだとか。聞いたことはあったけど、うら盆がこういう字を書くとは知りませんでした。裏盆と思ってました。

で、盆とは本来は、文字どおりのお盆を意味したそうですが、ただし、ただのお盆ではなく、精霊に供物をささげるときの容器を意味したのだとか。それが長い間のうちに、供物を供えお供えする精霊そのものの呼称となり、仏教でいう盂蘭盆とごっちゃになり、「お盆」というようになったのではないか、といいます。

じゃあ、盂蘭盆ってのは何なの?ということですが、これは、その昔、個々に修業していたお坊さんたちが、ある時期から一定期間、一カ所に集まって集団で修行するようになったことに由来するのだとか。この修業期間を安居(あんご)といいますが、その最後の日が「盂蘭盆」になります。

そして、この盂蘭盆は旧暦の7月15日に行なわれるのが習わしで、この日、父母や祖霊を供養し、倒懸(とうけん)の苦を救うという行事です。

次々と難しい用語が出てきます。倒懸って何だ?ということですが、盂蘭盆は、サンスクリット語の「ウランバナ(ullambana)」の音を単純に漢字にしたものです。しかし、本当は「さかさまにかかる」という意味があるのだそうで、これは漢字では「倒懸」と書きます。

何がさかさまにかかるのかというと、その昔、インドでは、亡くなった魂は中空に逆さにつり下げられたような苦しい状況にあると考えられていたことから、亡くなったあとも成仏できずにさまよっているような霊がさかさまになっている状態を示します。そして、やがて「倒懸」という言葉そのものが魂を慰める、という意味そのものになっていったのだそうです。

古代のイランの言葉に、「霊魂」を意味する「ウルヴァン」(urvan)というのがあるそうで、この「ウルヴァン」がなまって「ウランバナ」になったという説もあります。つまり、お盆とは、古代のイランでいうところの「霊魂」をさすことばということになります。

少し本題からはずれますが、古代のイランでは、精霊や下級な神様のことをフラワシ(Fravaši)といい、フルワシは、この世の森羅万象に宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在です。この「フラワシ」は人間にも宿っていて、人間に宿る魂のうち、最も神聖な部分が「フラワシ」なのだそうです。

以前、このブログでもご紹介した医師の木村忠孝さんは、どんな霊体にも、「霊体の中枢」ともいうべきものを持っていて、数千年前より宗教によりさまざまな呼び方をされてきた、と書かれています。たとえば、真我、真如、仏、仏性、神性、神性の泉、ご主人、主人公(禅宗)、アートマン(ウパニシャド哲学)、などなどであり、このフラワシも同じものを指しています。

古代イランでは、このフラワシ信仰が、祖霊信仰と結びつき、「祖霊」を迎え入れることがすなわちフラワシをも慰めることにつながるということで、祖霊を祀る宗教行事が行われるようになっていったそうで、これがインドに伝えられて盂蘭盆の起源になったと言われています。

そして、それが中国経由で日本にも伝来し、一般には「盂蘭盆会」と呼び、地方によっては、「盆会」「お盆」「精霊会」(しょうりょうえ)「魂祭」(たままつり)「歓喜会」などさまざまな呼び方をされて、現代に伝わってきたのだとか。ここでようやく古代のイランの風習と現代日本のお盆がつながりました。

ちなみに、この行事は本来インドでは行われておらず、仏教がインドから中国に伝わった際に付加された行事らしいです。本来、インドでは安居の終った日に人々が衆僧に飲食などのもてなしをするだけの行事だったのが、中国に伝わった段階で、祖先の霊を供養し、さらに餓鬼に施す行法(施餓鬼)になりました。

こうして中国から日本に入ってきた盂蘭盆会ですが、どのくらい昔からあるのかはよくわかっていないようです。もともとは、1年に2度、初春と初秋の満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流することをお祭りするような行事だったらしいですが、初春に行われていたものが、正月の祭になり、初秋のものが盂蘭盆になって、仏教の行事として定着したのではないかといわれています。

8世紀ごろにはすでに、夏に祖先供養を行うという風習が確立されていたようですが、地方や、仏教の宗派により行事の形態は異なります。冒頭で述べたように地方によってはお盆の時期が違うのはそのためです。

ところで、仏教ではお盆といえば、普通は1日から24日を指すのだそうです。これは、地獄の釜の蓋が開く日が1日であり、いわば、この日は、地獄の王の閻魔大王デーなのに対して、その閻魔様と対になるのが地蔵菩薩さまであり、この地蔵菩薩様の縁日、つまり地蔵菩薩デーが24日だからです。その行事とは順番に追っていくと、次のようになります。

釜蓋朔日(1日)
釜蓋朔日(かまぶたついたち)といい、地獄の釜の蓋が開く日です。この日を境に墓参などして、ご先祖様等をお迎えし始めます。地域によっては山や川より里へ通じる道の草刈りをしますが、これは故人がその彼岸から帰ってくるときに通りやすいように行います。なお、「地獄の釜の開く時期は、池や川などの水源にはむやみに近付いてはならない」という言い伝えがある地域もあるようです。

七夕(7日)
7日は、故人をお迎えするための精霊棚とその棚に安置する幡(ばん)をしつらえる日だそうです。精霊棚も幡もあまり聞きなれないことばですが、精霊棚は、台の上に真菰(まこも)のござを敷いたものの上に、仏壇から取り出した位牌や、香炉・燭台・花立の三具足を飾り、お供え物を置くための棚のことです。幡のほうは、布などを材料にしたのぼりのような装飾具で、商店街の七夕祭りでよく飾られているあれです。

「棚」と「幡」を据えるので、それがいつしか「七夕」になったのだそうです。この日は、7日の夕方から精霊棚や幡などのほかに笹の葉を安置します。

迎え火(13日)
13日の夕方に火を焚きます。いこれを迎え火(むかえび)といい、そのあと精霊棚の故人へ色々なお供え物をします。いろんなやり方があるようですが、盆提灯などはその最たるものです。このほか、ろうそくを焚くだけとか、いろいろあるでしょうが、秋田県の竿燈などは、迎え火の風習が大規模になったもののひとつです。

盂蘭盆(15日)
お盆当日です。この日だから、何か特別な行事をやらなければならない、というのはないみたいです。お盆の期間中には、故人の霊魂がこの世とあの世を行き来しているといわれますから、その霊をなぐさめ、お祭りし、ときにはお供えものなどをすればそれでよいわけです。15日の当日にお墓参りに行かれる人も多いでしょう。

地方によっては、いろんな風習があり、「精霊馬」(しょうりょううま)と呼ばれるきゅうりやナスで作る動物を用意したり、「施餓鬼(せがき)」といって、餓鬼道に陥った亡者を救っうために、餓鬼棚と呼ばれる棚を作ったりするところもあります。盆提灯や灯篭流しは、迎え火や送り火のときだけのものではなく、お盆の中日にともす地方も多いようです。

盛岡市では供物を乗せた数m程度の小舟に火をつけて流す「舟っこ流し」が行われるそうで、このほか変わったところでは、甲信越・東海地方では仏前に安倍川餅を供えるという習慣があります。

長崎市ではお盆のシーズンになると花火を焚く人が多いそうで、この季節は花火問屋などの花火を扱うお店では大忙しだそうです。

送り火(16日)
送り火は、京都の五山送り火が有名ですが、奈良高円山大文字のように、15日に送り火を行うところもあります。また、川へ送る風習もあって、こちらは「灯籠流し」としてあちこちで行われています。お盆期間中であればいつでもいいと思っている人もいるようですが、そもそもが故人をあちらの世界へ送り出すための風習なので、基本的には16日から24日までです。

盆踊り
15日の盆の翌日か、16日の晩に、寺社の境内にみんなで集まって踊るのを盆踊りです。そもそも、地獄での受苦を免れた亡者たちが、喜んで踊る状態を踊りにしたのだそうです。これはやらなくてはいけない風習というよりも、地域のコミュニティーの交流のために発展してきた儀式というかんじですね。最近では参加しない人も増えています。私も盆踊りなんて行ったのは小学生のころが最後です。

と、いうことで、私自身、書いていてあまりよくわかっていなかったので、勉強になりました。ふーん、お盆って、1日からだったんだーと、初めて知った人も多いのではないでしょうか。

ちなみに、いわゆる「お盆休み」は、特定の日が決められているわけではなく、いわゆる「夏やすみ」の代わりとしてお盆の期間に関わらず、8月中にとる人も多くなってきました。とはいえ、ほかのみんなが休むなら自分も休みがとりやすい、ということで盆中日の8月15日を中心とする3 – 5日間をお休みとする人も多く、企業の中にはこの期間を定休日としているところも多いようですね。

私自身は、企業に勤めていたときは、できるだけ日にちをずらしてとるようにしていましたが、どうしてもお盆と重なる時期になることもあり、このときは移動しようと思っても渋滞に巻き込まれて往生することもままありました。

今年は、どこへも行かずに、ここ伊豆で過ごす予定し、静かに先祖と亡くなった父や先妻の霊を供養したいと思います。が、人の移動の激しいここ数日が終わったら、どこか眺めのいいところへも行ってみたいですね。どこがいいでしょうか。案外と近場に良いところがあるかもしれません。また、新しい「発見」をしたら、このブログでも紹介したいと思います。