今日の修善寺は、久々に朝から陽射しに恵まれ、遠くに見える富士山にも雲ひとつかかっていません。さすがにこの時期になるともう、雪はほとんどなくなっていて、山頂付近に、「!」という形の雪渓が一カ所ほど残っているのみ。富士山の初冠雪は、例年だと9月の下旬だそうですから、これからまだまだ暑い日が続くとすると、今見えている「!」も「・」くらいになってしまうのかも。
今年は、こうした積雪の様子を定点観測してきませんでしたが、来年からは定期的に写真を撮って記録してみようかな、などと考えています。
ところで、今ここから見えている富士山の真横、東側に見えている葛城山もその昔は、火山だったそうです。いまからおよそ1千万〜200万年前の海底火山の名残で、伊豆半島がフィリピン海プレートというプレートに乗っかって北上し、本州側のプレートと衝突、隆起してできました。
このとき、葛城山以外にも、西伊豆にあるほかの山々も隆起し、西伊豆の海岸沿いに南北に連なるこれらの山々を「静浦山地」と呼ぶそうです。この静浦山地、通称、「沼津アルプス」とも呼ばれていて、ハイキングコースとしてとても人気があります。
それもそのはず、その稜線からは晴れていればくっきり富士山が見え、かつその真下には黒々と横たわる駿河湾とそれを縁取る松林、そしてはるかかなたには南アルプスまでみえる絶景なのです。東京からもさほど遠くはない距離にあり、標高も500m内外と手ごろなため、週末には結構な人でにぎわうとか。
私自身は葛城山以外はまだ登ったことがないのですが、もう少し涼しくなって、富士山が毎日見えるような日が続くようになったら、ぜひこの沼津アルプスの縦走をやりたいと思っています。
この沼津アルプスの東側に、我々が住んでいる修善寺・大仁地域がありますが、ここからら北には、いわゆる「田方平野」が広がっています。この田方平野では、約6,000年前の縄文時代には、気候温暖化により海面が数メートルも上昇し、海水が流入したため、伊豆の国市の旧伊豆長岡町付近までは入江だったそうです。
現在は水が引いて長岡の町は畑と田んぼが広がるのどかな田園地帯になっていますが、縄文時代に住んでいた人たちの遺跡が、これらの田園地帯よりやや高い標高にある丘の中腹などにちらばっています。
このあたりにその昔、「伊都国」という「王国」があったらしい、ということはを前のブログ「伊豆の王国(伊豆歴史ものがたり)」でも書きましたが、確かに海にも近くて山もあり、海山のふんだんな食べ物が手に入りそうです。少し北上すれば、昔からの大往来である東海道筋にも出れるという立地は、畿内との連絡もとりやすく、王国を作るには適した土地のように思えます。
現在、この長岡の「江間」という地域は、「いちご」の産地として有名で、いちごが旬の2月中旬から3月下旬にかけては多くの観光客がいちご狩り目当てに出かけてきて、たいそうにぎわいます。
伊豆では、この長岡や韮山などの中伊豆のほか、東海岸では熱川や稲取でもイチゴ狩りを楽しむことができます。主流の品種は、「章姫(あきひめ)」と「紅ほっぺ」で、それ以外の種類を栽培しているところもあって、だいたい全部で6品種くらいあるそうです。1品種しか栽培していないところも多いみたいですが、施設によっては、いくつかの品種を食べ比べができるようです。
静岡といえば、昔は、章姫(あきひめ)が有名でしたが、今ではこの章姫の改良型の「紅ほっぺ」のほうが多く、平成20年度には82%を占めるまでになっています。この紅ほっぺ、果実は丸っぽくて色はかなり濃い赤色。しかもかなり中のほうまで赤く、甘みと酸味のバランスが良く、コクもあって、なかなかおいしいと思います。痛みにくいこともこの品種の特徴だそうで、東京や遠くからわざわざイチゴ狩りに来る人にとっては、鮮度が保ちやすいということもアピールポイントのようです。
ちなみに、静岡県のいちご生産面積は全国第6位(20年度)だそうで、一位から五位は、それぞれ、栃木、福岡、佐賀、熊本、長崎、です。なので、とりたててイチゴ栽培がさかん、というほどではなさそうですが、温暖な気候を利用してイチゴ栽培は昔から行われています。
おそらく静岡で一番有名なのは、久能山(現清水区と駿河区の間の海岸付近)の石垣栽培イチゴでしょう。ここのいちごの栽培は100年以上の歴史があります。石垣栽培とは、石垣の石と石の間にイチゴを植える栽培方法で、イチゴは2~3月の寒い時期に育てるため、温室のない明治時代にイチゴを栽培するためにはこの方法しかなかったのです。
いま現在は、石垣栽培をした上にさらに温室をかぶせたりしていますが、これは、いちごを育たるためというよりも、海岸から吹き付ける砂でイチゴ棚が埋もれてしまうのを防ぐためみたい。私は学生時代に清水に住んでいたので、よくここを通りましたが、石垣イチゴ棚を囲ったビニールハウスの半分ほどが砂で埋もれていたのをよく見ました。
昔は本物の石を使っていたようですが、現在は擬石コンクリートブロックを積んで、その間にイチゴの苗を植えています。全国的にもめずらしい栽培方法みたいで、イチゴ狩りを楽しむというよりも、その石垣を見に来る観光客も多いようです。
この久能海岸のすぐ裏手の山の上には、徳川家康の霊廟、久能山東照宮があり、さらにその先には富士山の絶景で有名な日本平もあることから、イチゴ狩りとこれらの観光地めぐりを組み合わせた観光ツアーが人気を呼んでいるようです。
イチゴのそのほかの栽培方法としては、土耕栽培や高設栽培があります。土耕栽培は、文字通り地面を耕して盛り土(畝:うね)を作り、黒いビニールシートで土を覆ってイチゴの苗を植える方法です。簡単でいい方法なのですが、地べたにイチゴができるので、ナメクジやほかの病害虫の被害も受けやすく、衛生面が気になります。
高設栽培というのは、地面より高い位置でイチゴを栽培する方法で、いろんな方法がありますが、ベンチのようなものの上に鉢を置いたり、これを何段も重ねて棚のようにしたもの、あるいはメッシュ状の板を立てかけて、その斜面上でイチゴを栽培したりするものなど、多種多様なものが開発されています。
イチゴは草丈が低いため、土耕栽培での収穫や葉かぎなどの作業は、中腰や膝を曲げた状態で行わなければならず、体に大きな負担がかかります。農家も高齢化が進んでいることもあり、これを解消するためには、作業姿勢の改善が図れる高設栽培を導入する農家が全国的にも増え、栽培面積が急速に拡大しているとのことです。長岡や韮山のイチゴ栽培もほとんどがこのタイプです。
さて、話がずいぶん飛んでしまいました。話の発端は葛城山です。標高は452mもあります。以前、このブログでも紹介しましたが、この山の山頂付近は、「伊豆の国パノラマパーク」として観光利用されており、山麓から山頂までロープウェイが運行されています。
山頂部からの眺めは最高で、晴れていればが、富士山や箱根山、天城山などがの絶景が楽しめます。また、ちょっとした食事ができる軽食レストランやアスレチックなどのほか、平安時代よりその名が確認されている葛城神社や、鎌倉時代から置かれているといわれる地蔵尊もあり、子供から大人まで楽しめる観光スポットになっています。
この山に登るには、ロープウェイが一番早いわけですが、健康的な方のために登山道が複数用意されています。そのひとつは、狩野川のすぐそばにそびえる城山(じょうやま)まで登頂し葛城山を目指すルートで、葛城山に登頂したあと、さらにその西側にある発端丈山に向かい、駿河湾に抜けることもできるみたいです。私も今度ぜひトライしたいと思います。
ところで、この城山(じょうやま)にはその昔、金山城というお城があったそうです。南北朝時代に「畠山国清」が作ったお城だそうで、修善寺に近くの城山(しろやま)にあった「修善寺城」と発端丈山の山頂の「三津城」の3城で鎌倉公方勢を迎え打ったという歴史があるとか。この地域の歴史といえば、狩野氏や北条氏、源氏のお話ばかりだと思っていたのが、また新たな人物が出てきたのにはびっくり。
この畠山国清という人がどんな人だったのかについては、また改めて調べ、ここで書いてみようと思います。案外と面白い歴史秘話があるかも。乞うご期待です。