戸田にて ~旧戸田村(沼津市)

昨日は朝から気持ちの良いお天気で、一日中富士山もよく見えていました。午後からもこの上天気は続きそうだったので、久々にきれいな夕日でもみようと、西伊豆の戸田港まで足を延ばしてみることにしました。

修善寺から戸田へ行くには県道18号をひたすらに西に向かいますが、この途中には、「達磨山」という高い山があり、山頂一帯は部分的に高原地帯になっていて、ここからは360度の大パノラマが広がる……ということなのですが、残念ながらクルマでは行くことはできません。ハイキングコースが整備されており、頂上までは徒歩で行くことになります。

が、その頂上近くの県道18号沿いには「達磨山高原レストハウス」という展望所兼の休憩施設があって、クルマが30~40台ほども泊まれる駐車場やトイレ、レストランが整備されています。360度というわけにはいきませんが、ここからは富士山をはじめ、沼津や御殿場、箱根方面まで見渡せるため、いつも多くの人で賑わっています。

この日は上天気だったので、真正面にはどんと富士山も見え、駿河湾を行きかう船も手に取るようにみえます。この日も多くの観光客で賑わっていて、みなさんこの富士をバックに記念撮影をさかんにされていましたが、私もその中に入ってバシャバシャと写真を撮っておりました。

レストランでしばしコーヒーを飲んで休憩したあと、いざ戸田港へ。ここ達磨山高原は18号の最高地点でもあるため、ここからは九十九折の下り坂を下っていくことになります。下ることおよそ20分、周囲を自然の砂州で囲われた遠洋漁業の町、戸田港へ到着しました。

この戸田港ですが、以前このブログでも書いた「ヘダ号」が建造された場所でもあります。

ロシアのプチャーチン提督が乗船した船が下田沖で津波に遭遇し、破損したため、これを修理すべく戸田港へ廻航中に今度はシケに逢って沈没。その代替船の建造を要請したところ、幕府もこれに応じ、韮山代官の江川英龍を総監督として建造が行われた、というお話でした。

そのヘダ号に関する資料を集めた、「戸田造船郷土資料博物館」という施設が、戸田港の入口にある「御浜岬」という砂州の先端にありますが、今回戸田へ向かったのはここへも立ち寄りたかったためでもあります。

この博物館「造船郷土資料館」ということで、戸田の漁業に関するいろいろな郷土資料や「深海生物資料館」なる施設も付属していて、同じ入館料でこちらも閲覧できます。が、やはりなんといってもメインは、プチャーチンが乗ってきたディアナ号に関する資料や、日本で初めて建造された西洋帆船となったヘダ号に関する資料です。

2階建ての建物のうち、2階部分がこのディアナ号とヘダ号に関する展覧物の資料館になっていて、中へ入るとど真ん中にヘダ号の大きな模型が展示してあります。

このヘダ号を中心として、そのまわりにはディアナ号の遭難のいきさつに関する展示や、ヘダ号の設計から建造までの経過やこれに関するさまざまな資料、プチャーチンやヘダ号建造に関わったさまざまな人物の紹介などが展示されていて、歴史が好きな人にとってはなかなか興味深い資料館に仕上がっています。

ここに入って初めて知ったのですが、戸田にはプチャーチンの死後、その姪御さんなども訪れていて、ヘダ号の件でお世話になったことなどから多額の寄付をその当時の戸田村にしたそうです。

また、後年この博物館が造られたときも、ロシア政府からその建設費用の一部が寄付されたそうで、その後も何かとこの地を関係者が訪問しており、ディアナ号の遭難を救ってくれた日本人への感謝をロシア人は今も忘れていないようです。

このほかにも、「ヘダ号」の設計者である「モジャイスキー」にまつわる逸話や、ロシアに密航して、彼の地でロシア政府に重用された「橘耕斎」などに関する資料などもあって、今日はこれを紹介しようかなとも思ったのですが、結構紙面が要りそうなので、また今度にしたいと思います。

博物館には1時間ほどもいたでしょうか。ここを出たころには4時をかなり回っていて、太陽はもうすぐ西の海へ沈みそうです。夕日が沈む前に、御浜岬の先端部分を少し散策することにしました。

博物館のすぐ裏手(南側)には、諸口神社(もろくちじんじゃ)という神社が建っていて、こちらは航海および漁業者の守護神として地元戸田の人たちに敬われている神社です。港に面した砂浜に赤い鳥居が建てられていて、戸田港から港外へ出ていく船からは、鳥居を通してその奥にある神社がみえるはずです。

陸地にいた我々は、赤い鳥居を通して神社をみることはできませんでしたが、船からこういう神社がみえるしくみというのは、広島の厳島神社もそうですが、なかなかの風情があります。確か河口湖にも湖畔に赤い鳥居があったと思います。多くは水の神様を祀ったもので、厳島神社の祭神の市寸島比売命(イチキシマヒメ)も水の神様です。

ちょうどその鳥居のすぐ真下まで出たところ、港からはちょうど一隻の大型船が出航しようとしているところでした。噂には聞いていたのですが、これがサンセットクルーズを提供している「ホワイトマリン号」のようです。

下甲板と上甲板の二層構造になっていて、それぞれに観光客さんが十数人づつほども乗っており、これを取り囲むようにしてカモメが乱舞しています。おそらく船内からカモメへ投げるエサが用意してあるのでしょう。結構な数です。

この外港へ出ていこうとするホワイトマリンと並走するような恰好で、我々も御浜岬をぐるりと回り、北側の湾外のほうへ歩いていくと、西のほうにはもうすぐ沈みそうな太陽が、そして北東にはほんのり赤く染まった富士山も見えてきます。絶景です。

夕方から漁に出る船も何隻かいて、ホワイトマリンのあとを追うようにして港内から出てきましたが、これらの船が西へ西へと出ていくと、沈む夕日の中でシルエットになって黒々と浮かび上がり、これがまたきれいです。

岬を完全に回り、博物館のすぐ北側まで回ってきたのですが、ここから見える夕日は少し陸にかかってしまいそうだったので、よりよく夕日が見える場所に移動することに。クルマで300~400mほど離れたところにある、「戸田灯台」の駐車場まで移動し、ここで車を降りました。

戸田灯台は、昭和27年に完成した、高さ17.43mの白いコンクリート製の灯台で、ここからの光は11.5海里、およそ約21km先まで到達するとのことです。ついこの間行った伊豆東海岸の城ヶ崎の灯台などよりもずっと小ぶりですが、富士山をバックに夕日にほんのり赤く染まったこの灯台はなかなか絵になります。

ところで、この「灯台」ですが、「燈台」とも書かれるようで、どっちが正しいのかな、と気になって調べてみました。そうしたところ、「燈台」のほうは、構造物としての正式名称を示すときに使う用語だそうで、戸田灯台の場合も、構造物としての正式名称は「戸田燈台」なのだそうです。

「灯台」という用語は、「常用漢字」が制定されたあとに使われるようになった用語で、常用漢字が制定される前には、すべて「燈台」と呼ばれていたそうです。なので、ごく近年建てられた一部の灯台を除き、常用漢字が制定される前に建設されたほとんどの灯台の正式名称は、地点を表す固有名詞の後に「燈台」を付けたものということです。

なので、城ヶ崎海岸の灯台も正式には「城ヶ崎燈台」と呼ぶのが正しいのです。しかし、常用漢字が制定されたあとは、「灯台」のほうを学校の教科書などでも使うようになり、地図などでも「地点」を示す用語として広く使われるようになったため、「燈台」という用語はあまり使われなくなってしましました。

反対に常用漢字が制定された後、近年になって造られた灯台の構造物としての正式名称は「○○灯台」となるそうです。ただし、こちらの数は非常に少ないみたいです。なぜなら常用漢字の制定は1981年ですから、現存する灯台のほとんどはこれより前に造られたものだからです。

ちなみに、一般に岬に建つ灯台には岬の名前として「埼」を使用するのだそうです。「崎」は使いません。これは、崎は地形を表す用語で、埼は地点を表す用語だからです。

なので、海図などでは、灯台は「地点」を船舶などに周知するための存在であるので、「埼」を使用します。「城ヶ崎」は地形を意味する用語なので「崎」を使っていますが、「犬吠埼灯台」というときには「埼」を使います。犬吠埼という「地点」に灯台があるからです。

この辺、ややこしくて頭がこんがらがってきそうなので、この話題、これくらいにします。

さて、この「戸田燈台」から見た夕日は、文句なくきれいでした。太陽がはるかかなたの御前崎方面に沈み始めたのが5時ちょっと過ぎからでしたが、この間わずか5分ほど。本当に短い自然ショーなのですが、このほんの短い間にも海の色と空の色は刻一刻と変わっていきます。

沖をみると、さきほど戸田港を出ていったホワイトマリン号も観光客のために船足を止めて仮伯しています。船上のみなさんも沈む夕日をさぞかし堪能したことでしょう。かくいう我々も久々に見た沈みゆく夕日に感動したことは言うまでもありません。

こらから秋が深まるにつれ、こうした美しい夕日が沈む光景はまた何度か見れるでしょうが、その時間にいつも海岸にいるとは限りません。そういう意味では「一期一会」です。

「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのもの。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」

かつて千利休が示した茶道の心得です。その最高のおもてなしを伊豆の海から頂いた我々が大満足して家路についたことは言うまでもありません。

今回のようなきれいな夕日がまたいつ見れるかわかりませんが、できれば今度は場所を変え、これと同じ、あるいはこれ以上にきれいな夕日が見れるようであれば、またレポートをしてみたいと思います。

紅葉も見にいかなくてはいけません。秋が深まる中、行きたいところばかりどんどん増えていく今日この頃です。