昨日の雨はかなり激しく降りました。雷を伴う突風の吹いたところもあったようで、ところによっては小規模な竜巻も起こったようです。
しかし、この雨で富士山の頂上はまた一段と白くなりました。日の光をあびてまぶしいくらいです。頂上にどれほどの積雪があるのかできるものなら直接行って見てみたいところですが、残念ながらこの時期の登山は一般向けには許可されていません。
足に自信がある人はふもとの警察署などに登山計画書を提出すれば、入山が許可されるようです。しかし、冬の富士山はベテランでも恐ろしい、という話をその昔、新田次郎さんの小説か随筆かで読んだことがあります。
三年ほどまえ、元F1レーサーの片山右京さんが同じ事務所のスタッフ二人と共に冬季の富士山に登りましたが、このときも急な天候のせいもあり、同僚二人が遭難して亡くなっています。
片山さんが保護された御殿場署の調べに対し「寒波が来るのを知らずに登った」と話していることから、富士山くらい軽いと油断したのではないか、装備や風対策も十分に出来ていなかったのではないか、という批判が集まりましたが、そうした事実があったのかどうかは別として、私は起こるべくしておこった事故だというふうに思いました。
冬季の高い山というのは、それでなくても危険な場所ですが、富士山のような険しい山ではさらに危険が増します。高所であるために気温が極端に低いうえ、空気が薄いために通常の行動がとりにくく、かつ天候の変化が激しいからです。
しかし、南アルプスや北アルプスなどのいわば、「普通の山」であるならば、かなり高い山であってもいざ天候が急変した場合には、岩陰などの避難場所をみつければ急場をしのげますし、積雪量が多ければ雪洞を掘ってその中で天候の回復を待つことができます。
ところが、富士山はこうした意味ではかなり特殊な山です。ふもとから見てもわかるとおり、なだらかな斜面が続いているだけの凹凸の少ない山であり、風が強いときでも隠れるような場所がありません。
また、表面が風の吹きさらしになることから、雪が降っても深く降り積もるような場所がなく、またすぐに固く凍ってしまうことから、雪洞が掘れるような環境は少ないといいます。
新田次郎さんの小説に「孤高の人」というのがありますが、この小説の主人公の加藤文太郎という人は実在した登山家です。
不世出の登山家とまで呼ばれた天才クライマーでしたが、この人が富士山に登ったときのことがこの小説に描かれており、ふきっさらしの風を避けるような場所もなく、登山道は凍ってツルツルで、この天才といわれたクライマーですら、冬の富士山は怖いと思い知った、というような描かれ方をしていました。
また、同じ新田次郎さんの小説に「富士山頂」というのがありますが、この小説では重い荷物を富士山などの高い山に荷物を運び上げるベテランの「強力(ごうりき)」たちのことにふれていますが、こうした強力でさえ、冬の富士山を恐れている、ということが書かれていました。
片山さんらがもし、これら小説を読み、冬季の富士山の環境がどれほど過酷であるかを知っていたならば、不意の天候の変化にも対応できる準備ができたのではないかと思います。
どんなふうな登山をされていたのかよくわかりませんが、おそらく富士山特有の環境を念頭に置かれた装備(アイゼンやピッケル、ザイルなど)を持っていなかったか、あるいは持っていたとしても、そういう急な気候変化があったときにどう行動するかを念頭に置いた「心構え登山」ができていなかったのではないかと推察します。
また、親しいとはいえ、体力の異なる人たちとパーティを組んで山を登るというのは、時として非常な危険を伴います。「足手まとい」というのはあまり良い言葉ではありませんが、非常に状況が切迫したときの同僚の不調や技量不足は、即自分の命取りに直結します。
片山さんたちも、仲の良い同僚たちイコール何かあったときには頼りになる奴らの「はず」、というどこかあいまいな安心感のみでパーティを組み、富士山に臨んだのではないでしょうか。
実は私も冬山の経験が何度かあります。あるとき、友人二人で東京都の最西端にある最高峰、雲取山という山に登ったのですが、秋もようやく深まったばかりのことであり、雪の心配などせず、比較的軽装備で山に入りました。
ところが、山頂付近で急な天候の変化があり、季節外れの雪に見舞われました。しかもそのとき友人が足を痛めるというアクシデントが重なり、先へもあとへも行けないという状態に陥りました。
幸いそれほど遠くない場所に無人の山小屋があり、そこで急場をしのぎ、朝までには友人の足もある程度回復したため事なきをえましたが、もし小屋もなく、友人の足がさらに悪化したときのことを考えると今でもぞっとします。
「孤高の人」の主人公、加藤文太郎は常に一人だけで山に登っていたため、「単独行の文太郎」と呼ばれていたそうですが、私もそのことがあって以降、文太郎を見習って危険なほど高い山へ登るときには一人だけで登るようになりました。
無論、複数で登山することの意味は、お互いの不調や力不足を補いあうという考え方もありますが、極限状態ではその「お互い」が命取りになることもあるのです。
「孤高の人」の文太郎も、物語の最後で一回だけ、自分を慕う若い登山家と一緒にパーティを組み、北鎌尾根に登ります。そして、その同僚の力不足が原因で自分も命を落としてしまいます。
自分の体力や生命にかかわることは他人に引きずられずに自分で決めなくてはならない、単なるお付き合いで山には行ってはいけない、というのがこの小説の教訓だったと思います。
山という場所は常に危険と隣り合わせの場所という認識をもち、いざというときにどういう行動をとるか、とれるか、またその行動をとるのは一人なのかそれとも二人以上かということは、そうした危険な場所に立ち入る人たちは常に考えておくべきかと思うのです。
そういう意味では、昨今の中高年の登山ブームは、危険な要素を多く含んでいるなと思います。
自分の体力は自分の体だからわかります。しかし他人の体力は見た目ではわかりません。この人はベテランだから大丈夫、という安易な発想でパーティを組むのはやめましょう。その人はベテランで、あなた自身もベテランと思っているかもしれません。しかし、同じベテランでも体力や技術にはたいていの場合ある程度の差異があります。
遭難に至るような危険な状況に直面したとき、そのほんの少しの技量の差によってあなた自身がその同僚の足を引っ張ることになるかもしれないのです。
複数で山に入るとき、その同僚は同じ程度のスキルを持っているか、いざというときに別々に単独行動をとっても大丈夫な人であるかどうか、あるいは、そうなったときどうするか、ということをお互いに話し合った上でパーティを組む、というのがパルを選ぶときの最低限の条件だと思うのです。
実は昨夜、先週放送された、「トランス・ジャパン・アルプス・レース」の様子を特集した「NHKスペシャル」の録画をみました。
「トランス・ジャパン・アルプス・レース」というのは、日本海の富山湾をスタートし、北アルプス・中央アルプス・南アルプスの3000m級の山々を次々と縦断しながら、太平洋の駿河湾までを制限時間たった8日以内で駆けぬける「超人レース」です。
二年に一回開かれており、今年も8月に開催されました。走破する距離はおよそ420km、登りの累積高さはなんと、27000mに及ぶこの過酷な「超人レース」に挑んだのは、女性一人を含む28人。
ちなみに、このレースには、賞金や賞品が一切ありません。日本を誇る山岳地帯を駆け抜け、完走するという結果だけを勲章と考える人たちだけが参加するレースです。
過酷なレースになるだけに、当然事前審査があり、その条件とは、以下のようなものです。
・標高2000m以上の場所において、2回以上のビバーク体験があること(ビバーク体験は、ツエルト+レスキューシート(もしくはシュラフカバー)のみで、ひと晩を過ごす事)。
・1日に、コースタイム20時間以上の山岳トレイルコースをコースタイムの55%以下のタイムで走りきれる体力と全身持久力を有すること(例として、日本山岳耐久レース(71.5km)レベルの大会において、11時間10分以内で完走できること)。
・フルマラソンを3時間20分以内あるいは100kmマラソンを10時間30分以内に完走できる体力を有すること。
私は、フルマラソンを4時間台前半で走ったことがありますが、3時間20分以内というのは、かなり走り込んだ人でない達成できる記録ではありません。また、二日連続のビバーク体験というのは、登山マニアと言われる人でもなかなかやらない経験でしょう。
このため、選抜に残った人たちも消防士さんだったり、山岳レスキュー部隊の隊員だったりといった、いわば「特殊な人」がほとんどでしたが、なかには趣味でこういった超人レースにチャレンジした「普通人」もいました。
このレースの参加資格としては、上述のような実績以外にも、次のような自己管理能力が求められます。
・①事前にリスクを回避する(危険回避能力)、②アクシデント発生時に対応できる(事故対応能力)を身につけていること。→リスクマネジメントができること
・自己責任の法則・・・「すべての責任は、自らに帰する」ことを自覚して行動できること。→ 自己責任の認識があること
この番組をご覧になった人はわかると思うのですが、夏山とはいえ標高3000m級の日本アルプスを縦走するにしては、参加者の装備はあまりにも軽装でした。
「1~2泊程度のビバークに耐えうる装備・食料等」ということで、持てるのは、ヘッドランプや携帯電話、GPSトラッキング端末、地図、コンパス、筆記具以外には、簡単なツエルトや、防寒具、カッパ、手袋、帽子だけです。
水や食料は全行程のものをあらかじめ持参することは不可能なので、途中で補給が可能ですが、こんな軽装備だけで420kmを駆け抜ける、しかも3000m級の山々に登りながら、というのはなかなか常人ではできることではありません。
まさに、危険回避能力や事故対応能力を身につけている人、そして「すべての責任は、自らに帰する」ことを自覚して行動できる人以外はチャレンジできないレースといえます。
しかし、よくよく考えてみれば、「危険回避能力」や「自己対応能力」などのリスクマネジメント能力や自己責任の認識力は、こうした鉄人だけに求められるのではなく、通常の登山をする人たちにだって同じように求められていることのように思います。
山で何かがあったときには、自分自身でそれを回避できるか、自分だけで対応できるか、そして万一何かトラブルに陥った時には、その責任はすべて自分にある、という自覚を持っているか、というのは、今登山ブームに乗っかって安易に山へ入っている人たちすべてに問うてみたいところです。
この「日本一」過酷な超人レースの結果ですが、選抜された28人は、着替えやテントを背負い、山小屋などで食料や水を確保しながら、自らの脚だけでゴールを目指しますが、案の定、数々のトラブルに見舞われます。
荒れ狂う暴風雨、不眠不休の走行に悲鳴を上げる身体、ライバルとの争いで失われていく平常心……選手は一人、また一人と完走を断念していきました。
十分なリスクマネジメント能力がある、と考えていた人たちですら全員の完走はならず、最終的に制限時間内にゴールしたのは18人でした。リタイアした人たちの多くは、天候の悪化などで体力を奪われ、これより先に進めば、自分だけが傷つくのではなく、多くの人に迷惑がかかる、と考えたようです。
危険であると感じたときには、進まず止まる、やめる。まさに自己責任能力がなければできることではありません。
ちなみにこのレースの完走者はほかにも二名いましたが、ひとりは決められている時間外に小屋を利用したということで失格。もう一人は、予定制限時間を23時間あまりオーバーしましたが、無事駿河湾まで辿り着けました。
失格された方もタイムオーバーの方も無念だったでしょうが、自己を厳しく律した上で勝ち取った見事な完走には多くの人たちが拍手を送り、見ていた私たちにも大きな感動を与えてくれました。
この放送ではまた、最後にゴールした方が、「完走することで、自分の何かが変わるような気がする」という意味のことをおっしゃっていたのが印象的でした。過酷な自然に挑む人というのは、何かそういうことを求めている人たちなのでしょう。
すべての登山者に自己責任や自己管理を求めるつもりはありません。軽い散策のつもりで登るピクニック登山にまで大きな責任や自律を求めるのは酷というものです。
しかし、簡単なピクニックであっても、ゴミを捨てない、環境を破壊しないといった最低限の自己責任は求められるべきです。また、たとえ簡単な山であっても体調が万全でないならば、思わぬ事故に合わないとも限りません。
なので、せめて、山に登る上での自己管理と自己責任とはどういうことかを一度は考えてみましょう。その上で、「その環境が自分の何を変えてくれるか」を考えながら登り、そして「何かが変わった」と思えるならば、もっと山に登るということの意味がわかってくるのではないでしょうか。