突然ですが、カメラを持っていない、という人はおそらく日本人ではいないのではないでしょうか。それくらい日本人はカメラ好きな国民だと思います。
もともとの語源であるラテン語では、camera は「小さな部屋」を意味し、のちに政治や財政を司る「部屋」(官房・国庫)などと意味が拡大したそうですが、さらにこれが英語に訳されたときの camera は「暗室」を意味するようになりました。
このため古くは「写真術」を表す言葉だったと思われますが、時代が下がるつれ、撮影する機材そのものをカメラと呼ぶようになっていったようです。
今日はなぜか「カメラの日」ということになっているようなのでこの話題をとりあげたのですが、なぜカメラの日なのかというと、1977年11月30日に小西六写真工業(現コニカミノルタ)が、世界初のオートフォーカスカメラである「コニカC35AF」を発売したのを記念してのことだそうです。
ちなみに,フランスのルイ・マンデ・ダゲールが「ダケレオタイプ」という長時間露光の写真機を発明したことで制定された「カメラ発明記念日」はこれが発明された1839年の8月19日で、カメラの日とは別になっています。
このコニカのオートフォーカスカメラのことを覚えているとすると50代以降の年配の方でしょう。私も形はよく覚えていませんが、「ジャスピンコニカ」の愛称でテレビコマーシャルが流れ、このカメラが大きく宣伝されていたのをなんとなく覚えています。
それまでカメラを扱うのに尻込みをしていた女性層にこの「オートフォーカス」という昨日は多いに受け入れられ、爆発的な売れ行きを示したといいます。
コニカはこれに先立つ1963年4月にも世界初の自動露出(AE)カメラ「コニカAutoS」を世に送り出しており、その当時はカメラ業界におけるパイオニアとして広く名前が知れ渡っていました。
しかし、カメラ好きの私の目には、どちらかといえば「トイカメラ」的な存在のように映り、女性が好むというその前衛的なスタイルがあまり好きではなかったような記憶があります。
確かにニコンやキャノンといった高級一眼レフを作っている会社のカメラとは異なり、コストパフォーマンスを追求した結果からか、手にとった質感も何かちゃちなかんじがしました。
とはいえ、それまでのカメラでは、撮影するためにフレームで対象を捉え、シャッター速度、絞り、そして焦点という3つの要素を合わせて撮影しなければならなかったものを、このコニカのカメラは、そういう専門知識のない人でも簡単に使えるようになったという点で高い評価をすることができます。
カメラのほうで自動的に露出を決めてくれ、しかもピントまで合わせてくれるというのは、画期的なシステムであり、それまでは扱いにくい「機械」というイメージであったものが気軽に持ち歩けるアクセサリーのような存在になったのはこのカメラからではないでしょうか。
アメリカではこういう素人でも扱えるカメラというのを「休日に気軽に持ち出して使えるカメラ」というので Vacation Camera と呼ぶようになり、このことばがそのまま日本語に輸入されてローマ字読みされ「バカチョン・カメラ」ということばになったそうで、コニカのオートフォーカスカメラが出たころには、もうすでに市場でこの言葉は定着していました。
ところがこのことばは「馬鹿でもチョンでも扱えるカメラ」という意味だと誤解する人が多かったようで、「チョン」は朝鮮人のことで差別語だと騒ぐ人たちが出てきて、マスコミが使用を控えるようになり、その後、文章に書くのは禁句のような扱われかたをして消えていったという経緯があります。
日常会話ではみんなあまり深く意味を考えないまま、今でもときどき使われるのを聞くこともありますが、どちらかといえばやはり年配の人が使っているのではないでしょうか。
このオートフォーカスカメラですが、現在販売されているカメラはある程度以上の価格のものにはほぼ全部使われていますが、レンズ付きフィルムなどの安いカメラにはピント合わせの必要のない「固定焦点方式(パンフォーカス方式)」が採用されています。
絞りを絞り込んで焦点の合う範囲を広げたもので、比較的感度の高いフィルムで使うと近くの人物から遠くの背景まで全てに焦点が合います。すべてに焦点が合うのは良しあしであり、遠くにあるものと近くのものの遠近感がなくなってしまうなどの難点がありますが、ともかく安いので、いわゆる「トイカメラ」と呼ばれるもののほとんどは、この方式です。
こうした旧来のカメラにとって代わって登場したのが、コニカの世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF」ですが、オートフォーカスとはいえ、このころの技術ではまだまだピントを合わせるのは難しく、きちっとしたピントの写真を撮るのはなかなか大変でした。
ピントを自動で合わせるためには、カメラに組み込まれている「距離計」という装置を自動で動かすことになります。話すと長くなるのでやめますが、簡単にいうと、コニカC35AFでは二つの窓から入った被写体像を二つのミラー(片方は固定、片方は可動)で捉え、その二つの像が合致する箇所を判断、そのピント位置にレンズを駆動しました。
このカメラは大ヒットとなり、「ジャスピン」の名前とともに「AFカメラ」の名が世に浸透していきました。コニカはその後、ストロボを内蔵させた「ピッカリコニカ」なども発売し、これもヒットします。
他のカメラよりは若干高めの価格設定でしたが、オートフォーカスでストロボがついている、という形式のカメラはその後他者からも次々と発売され、数年でその後の価格はどんどん安くなっていきました。
その後、各社のオートフォーカスの性能は徐々によくなっていきましたが、なかなかスピーディにピントを合わせることができるカメラは登場しませんでした。
ところが、1985年にミノルタが発売した、α-7000は「位相差検出方式」という新方式を使っていたため、ピント合わせがよりスピーディーになり、しかも一眼レフカメラとして発売され、AF用の交換レンズも揃えられたため、爆発的なブームになりました。初めて買ったオートフォーカスカメラがα-7000だったという人は多いのではないでしょうか。
この位相差検出方式とは、対になっているラインセンサーを用いて、像の位相差(ズレ)から、ピントの合う方向を検出するAF方式で、α-7000は中央一点測距方式でしたが、その後ミノルタだけでなく、他社からも発売されるようになったAFの多くは多点測距となりました。
現在のデジタル一眼レフの多くもこの位相差検出方式を使っていますが、コンパクトデジタルカメラでは撮像素子を使う像面AFが主流で、これは画像のコントラストの違いによって距離を測りピントを合わせる方式です。複雑な装置が必要なく、安価なコンパクトデジカメにはもってこいの方式です。
このデジタルカメラは、撮像素子で撮影した画像をデジタルデータとして記録するカメラのことで、コダックが世界で先駆けて開発しました。
通称「デジカメ」とよくいわれますが、「デジカメ」は、日本国内では三洋電機や、他業種各社の登録商標です。三洋は「デジカメ」だけを使うのはかまわないが、「○○のデジカメ」といようにメーカー名を併記した記述は認めない、といっているそうです。
しかし、これだけデジカメという用語が一般化している現代にあって、一社だけがデジカメとはうちのカメラのことだよ、と言ってみたところで、あまり利益に結び付くような話ではないように思いますがどうなのでしょう。
ま、商標はともかく、日本で初めて電子式のカメラとされるものは、ソニーが1981年に試作し後に製品化した「マビカ」のようです。初の販売製品としてはキヤノンが1986年に発売したRC-701というのがあるそうですが、このカメラでは2インチのビデオフロッピーディスクを記録媒体として使用したそうです。
これに追随して、カシオは1986年にアナログ方式で画像を保存するVS-101を発売したものの、10万円台という価格はちょっと高すぎたため人気が出ず、大量の不良在庫を出しました。その後も990年代初頭に至るまでいくつかのメーカーから「電子スチルカメラ」と称するカメラが発売されましたが、ビデオカメラほどヒットしませんでした。
1988年に富士写真フイルムが開発した「FUJIX DS-1P」は当時のノートパソコンでも使われたSRAM-ICカードに画像を記録しましたが、これは発売されることはなく、その後富士フィルムは、1993年に電源がなくても記録保持ができるフラッシュメモリを初採用した「FUJIX DS-200F」を発売。しかし販売実績はあまり伸びなかったようです。
しかし、1995年にカシオ計算機が発売したデジタルカメラ「QV-10」は、外部記録装置なしで96枚撮影ができ、本体定価6万5,000円という価格が受け、それなりに売れたようです
今でこそ当たり前になっていますが、このカメラの一番のメリットは、液晶パネルを搭載し、撮影画像をその場で確認できたことで、また当時はWindows95ブームで一般家庭にパソコンが普及し始めた時期でもり、パソコンに画像を取り込めるということで、広く認知されるようになりました。
この機種はNHKの番組「プロジェクトX」でも取り上げられ、あたかも世界初のデジタルカメラのように紹介されましたが、上述のとおり、世界発のデジカメというわけではありません。
このカメラの成功を皮切りに多くのメーカーが般消費者向けデジタルカメラの開発・製造を始めました。QV-10発売の2か月後にリコーから発売されたDC-1にはカメラとしては初めての動画記録機能があり、その記録方法としてJPEGの連続画像が採用されました。
この頃の製品の画質はまだ数十万画素程度であり、電池寿命もそれほど良くなく、存在が認知されたとは言え購入層もその使われ方も限定的でした。
1995~97年ころというと、私が転職した先で方々へ出張に行き、現場の写真を撮って帰る機会も多かったころですが、デジカメで撮った写真など画質が悪くて使い物にならなかったので、あいかわらずアナログカメラばかり使っていたのを記憶しています。
当時のアサヒカメラや日本カメラといった日本を代表するカメラ雑誌の記事を読んでも、その性能がフィルムカメラを追い越すようになるなんてことはありえない、という論調だったのを覚えています。
ところが、このころから各メーカーとも猛烈な高画素数化競争や小型化競争などを始めます。市場拡大を伴った熾烈な競争により性能は上昇しつつも、価格も下がり続け、利便性も受けて、2005年頃にはフィルムカメラとデジタルカメラの販売台数がついに逆転。フィルムカメラからデジタルカメラへと市場が置き換わりました。
2000年初頭には日本のデジカメは世界で断トツのシェアを誇っていましたが、このころから海外の電気機器メーカーの参入も始まり、台湾や中国、韓国等のメーカーが開発競争に加わるようになります。
さらにはカメラ付携帯電話が流行したことから、携帯電話に付随するカメラの高機能化も加わり、とくに携帯電話の領域では海外メーカーのデジカメがかなりのシェアを占めるようになってきました。
しかし、日本のメーカー製の高級デジカメの質は現在でも世界のトップクラスであり、報道関係やプロカメラマンの間でもほとんどが日本製のデジタルカメラを使っています。
初期には高画質でも大型で可搬性のないものであったり、専用のレンズ群が必要で価格も数百万円になる一眼レフカメラも多く、一部の大手報道機関などが少数保有するだけの特別なカメラでしたが、最近ではこうした高級カメラも一般の人が入手できるくらいのかなりの手頃の価格になってきました。
フィルム現像にかかる費用がなくコスト的にも優れたデジタル一眼レフは、現在ではフィルムカメラを駆逐してしまい、報道カメラの中心的な存在となっていますが、こうしたカメラは専門家だけでなく、一般の人でも普通に所持するようになってきました。
はっきり言って、どうやってそんな高級なカメラを使いこなせるの?というくらい高額なカメラを持ち歩いているおじさんを良く見かけますが、こういう人に限って真っ暗闇の海の風景をストロボを焚いて撮ったりしています。
ま、こういう人たちが日本のカメラメーカーの快進撃を支えているわけであり、文句を言う筋合いはありません。しかし、良いカメラを持てば良い写真が撮れるというわけではありませんので、そうした意味では日本人のカメラに対する高級志向はもう少し改められるべきかな、とも思います。
このデジタルカメラの将来ですが、今よりもさらに高画質化が進むのでしょうか。私はそうは思いません。写真を見るのは人間である以上、ある一定値以上の高品質化は過剰といえます。
L版程度のプリントしか普段見ない人にとって、1000万画素以上のデジカメを使う意味は全くなく、A4版だとしてもこの程度の画素で十分です。こうしたことを一般の人はあまり意識して考えていませんが、いずれこうしたことがわかってくるころには、見た目に分からない品質にお金を出す一般ユーザはいなくなると思います。
なので、デジタル技術の進展に従い、コンパクトデジカメがスマートフォンにその地位を奪われているように、一眼カメラなどもやがてはコンパクトデジカメやあるいはスマートフォンにその地位を奪われるようになり、あまり高画質で高級すぎるものは逆に流行らなくなるのではないかという気がしています。
むしろカメラで撮影したものをどう扱うか、ということころが焦点であり、画像の処理技術であるとかプリントの方法であるとかに人々の興味が移っていくように思います。
さて、今日はカメラが話題ということで、少し熱が入ってしまいましたが、これ以上書くとさらに長くなりそうなのでやめておきましょう。
明日からはもう12月です。しかしまだ紅葉は散りきっていないと思います。週末はみなさんもデジカメを持って撮影に出かけましょう。