胡蝶の夢


今日、3月3日は何を隠そう、私の誕生日です。

まあ、なんとおめでたい日に生まれて……というのは、もう子供のころから聞き飽きたセリフで、人に自分の誕生日がこの日であることを告げると、たいていはこうした反応が返ってきます。

別にこの日に生まれてきたかったわけでもなく、所詮は365分の1の確率の事象にすぎないわけで、ことさら人さまに驚いていただくようなことではないと思ってはいるのですが、あまりにも同じ反応が返ってくることが多いので、最近はむしろ、どうだ!男の癖に3月3日なんだぞっ、わざと誇らしげに強調することにしています。

そうすると、たいがいの人はウケてくれて、初対面の人であってもその後の会話がスムースに運ぶ……なんてこともよくあるわけで、そう考えるとひな祭り生まれというのもまんざら悪くないなという気もします。

まあそれがひな祭りだろうがなんであろうがともかく、誰にでも一年に一度ある日であることは間違いなく、この歳になるとそれがめでたいかめだたくないかは別として、毎年のことながら何やらその日を境に人生が変わるような気にならないでもありません。

そのあといつも、やっぱり全然かわらないじゃないか、とがっかりすることになるのですが……

転生について

人生が変わるといえば、こうした誕生日は前世と関わりがある、つまり生まれ変わりがあるとすれば、前世における命日が現在の誕生日である場合もある、ということを力説する人もいたりします。

私自身、輪廻転生はあると信じていますが、誕生日と前世の命日の関係については少々疑問に思います。別に新たに生まれてくるのに前世で死んだ日をわざわざ選ぶ必要もなく、もし選ぶとすればどういう家がいいかとか、どういう親のもとに生まれてくるかといった環境のほうが問題であり、日にちなんてどうでもいい、と思う次第です。

……と、いいながらも過去に3月3日に亡くなった人ってどんな人がいるのかな?と思って調べてみました。

すると、有名なところでは、イギリスの科学者のロバート・フックが1703年3月3日に亡くなっています。自然哲学者、建築家、博物学者でもあり、フックの法則など発見した物理学者・生物学者です。

まさかこんな有名な人の生まれ変わりはないよな、と思いながら、日本人のほうを調べてみると、なんと、以前このブログでもとりあげたことのある、下岡蓮杖が、1914年3月3日に亡くなっています。

この方の経歴は、拙作のブログ「蓮の杖」をご覧いただけると良くわかると思いますが、生まれも伊豆の下田生まれで、写真家(写真師)である点も写真好きの私と共通しています。

苦労して写真術を身につけたのは感心なのですが、ひとつのことを成し遂げるだけでは満足できない性格だったらしく、商業写真で成功をおさめたあとは、石版印刷業、牛乳搾取業、乗合馬車業などに手を出し、はたまた晩年には日本初の喫茶店まで始めています。

多方面に次から次へと興味が移っていく移り気なところは、私も同じです。こりゃーもしかしたらもしかして……と思ったりもするのですが、無論、なんの根拠があるわけでもありません。が、伊豆出身の人であることなど共通点も多いことから妙に親近感を覚えてしまいます。

魂レベルでは、同じ目標のためにグループを作り、集いあってエネルギーを結集し、その中から一人ずつ地上へ送りだして修業を積み、死ぬとその経験をまたそのエネルギー体に持ち帰って、グループ全体のレベルを目標に近づけていく……ということも聞いたことがあります。

なので、もしかしたら蓮杖さんと私は同じグループの人、という可能性もあります。

もし、仮に蓮杖さんと前世を共有している仲なら、下田へ行くと前世のことを思い出すかもしれないので、今度また行って街中をじっくり散策してみましょう。案外と昔馴染んだ風物などにめぐりあうかもしれませんし、それに下田は散策するととても気持ちの良い街のように思えます。

ところで転生(てんせい、てんしょう)とはそもそもなんでしょう。ウィキペディアで調べてみると次のように書いてありました。

「死後に別の存在として生まれ変わること。肉体・記憶・人格などの同一性が保たれないことから復活と区別される。(中略) 転生する前の人生のことを前世、転生した後の人生のことを来世と言う。輪廻のように人間は動物を含めた広い範囲で転生すると主張する説と、人間は人間にしか転生しないという説がある」

もともとはインドで発生した、というか、この土地の人が「気付いた」考え方だったようですが、しかし必ずしも仏教に固有の思想というわけではなく、インドのみならずヨーロッパでもギリシア古代に似たような宗教思想があったといいます。

もともとの仏教では、人は生まれ変わり(輪廻)によって、苦から解脱できる、ということが教えられましたが、この考え方がその後日本に伝来してからは、民衆を道徳へ導くための建前として語られることも多くなり、宗教活動のための説法として利用されるようになりました。

仏教を「職業」として生業にされている方々も多く、とくにその活動自体を否定するつもりもありませんが、輪廻転生の考え方というものは、そもそも広い宇宙の共通法則のようなものであったはずです。が、日本へ入ってきた段階からその考え方は大きく変わり、長い間に輪廻転生の部分についてはかなりゆがめられた解釈がされるようになりました。

一方では、仏教以外の多くの宗教団体が「科学的研究」と称し、転生に関する調査をしていますが、その多くは事例蒐集のみで終わっていることが多いようです。

本当にそれがどういうことなのかを追求したかったなら、もっと科学的、あるいは合理的な方法によって実証する努力をするべきだと思うのですが、どうもそういうことは日本人は苦手なようで、あまりそうした成果を見たことがありません。

結局、信じる、信じないの議論に陥ってしまって、旧来の宗教の枠を超えることができなくなっている、というのが現在の「宗教業界」の実情のような気がしてなりません。

この問題についてこれ以上深い論議をはじめると、すぐには終わりそうもないので今日はもうやめておきます。「すべてのことに意味がある」とすれば宗教にも何等かの存在意義があるに違いない……と今のところは逃げておくことにしましょう。

が、科学的アプローチ云々と書いた以上、今日はそうした研究例について少し書いておくことにしましょう。

イアン・スティーヴンソン

かつて、カナダ人のイアン・スティーヴンソンというお医者さんがいました。アメリカのヴァージニア大学の精神科医で、ここに50年以上も勤め、この間、いわゆる「生まれ変わり」についての科学的アプローチを世界で最初に行った人であり、その研究成果は現在でも高く評価されています。

調べてみると、残念ながら2007年に89歳で亡くなっていますが、この件については数多くの著作が残っているようであり、邦訳もされて出版されたものも多いようなので、私もいずれまた読んでみたいと思います。

1949年にアメリカに帰化し、1951年にヴァージニア大学の精神科の責任者に任命されましたが、1958年からは同大学のニューオーリンズの精神分析研究所に移って、主として子供の精神分析を研究し始めました。

このころ彼が書いた論文のタイトルは「乳児期および小児期は柔軟な性格を形成するか?」というものでしたが、この中には既に幼児が時たま見せる「超常現象」についての記述などがあったことから、彼らの同僚は彼を異端児扱いし、一緒に仕事をするのを拒絶するようになっていったといいます。

しかし、そうした周囲の冷ややかな目にも屈せず、1961年からは生まれ変わり事例の実地調査を本格的に始め、その後40年以上にもわたって事例を集め、最終的に2000例を超える「生まれ変わりを強く示唆する事例」を収集ました。

それらの成果は、1997年にはいったんとりまとめられ、生まれ変わりの信憑性が高いとされた225例の調査例掲載したこの報告書は、現在でも精神分析を専門とする専門家にとっては重要な参考図書になっているということです。

スティーヴンソンのこの研究の実施にあたっては、乾式複写機の発明者チェスター・カールソンが資金援助を申し出ており、ヴァージニア大学側もこの研究には理解を示し、1968年には彼に超心理学研究室の設立が許可されました。

この研究室は1987年には人格研究室と改称され、彼の死後もその弟子たちが仕事を引き継ぎ、ここは現在でも超心理学事例研究の一大拠点となっているそうです。

スティーヴンソン博士が数多くの事例を収集した結果、「生まれ変わり」とされる典型的な例にはだいたい次のようなものがあることがわかりました。

1.事実と符合する証言がある →「過去の自分」やその親族の名、土地や家屋の状況、所持物の見分けなどの証言が事実と一致する

2.特異な行動あるいは行動障害がある →現在の自分の性別や地位とそぐわない行動を示す(女性なのに戦争ごっこばかりするとか貴族のようにふるまうなど)、特定の物に対して異常な恐怖や愛着を示す、自国語を習得することに障害がある、「前世」の家族に対する親近感の表明、水や火への恐怖など死亡時の状況に類似した事柄への恐怖の表明など

3.身体的な「痕跡」がある →特に死に方に関連した先天性欠損や、痣(母斑)、などが見られる(たとえば、前世で戦闘機の銃撃で死んだ日本兵だったと主張するミャンマーの少女の鼠蹊部に、銃撃痕に似た奇形があるなど)

4.他者の証言との一致。例として、ある子供は、前世の自分が死んだ時、その遺体を高みから見おろしていたところ、ちょうど通りかかった女性がいたのでついてきて、その女性を母親として生まれてきた、と証言したが、母親の方も、その遺体のあった場所にいたことを覚えていることを証言した、など。

これらのすべてのパターンが一つの事例で観察されるという特異な事例はなかったようですが、このうち、スティーヴンソン博士は、もっとも客観的な検討が可能でありそうな3.の要素に注目し、「前世」の人物のカルテや検死報告なども入手し、転生が事実であるかどかについて検証していきました。

そして、3.を含めたそれ以外の事例についても、その信憑性について捏造説、偽記憶説、偶然説、人格憑依説などのさまざまな観点から検討を行っていきました。

その結果、まず「捏造説」について彼は否定的な見解を示しました。

それは例えば「前世」では「現世」の村とはとても交流のない遠い村に住んでおり、村人は誰も知らないような情報を語る子供たちの例が多数含まれていること、また「前世」を語る子供の親は、子供の振舞いに当惑し、むしろ語りをやめさせようとしている場合が多く、話を作って子供に語らせると考えるには無理があると考えられたことなどからでした。

また、「殺人被害者の生まれ変わりだ」と子供が主張したと親が証言した例などでは、保護者である親がこうした証言をする動機や利点が見当たらず、またそうした子供が特段、被暗示性が高いということもなかったそうで、これらのことなどから博士は、捏造の可能性のある例は少ないと考えるようになりました。

また、「偶然説」については、先天的な母斑や身体欠損は医学的に発生確率が推定できることを証明し、極めて稀ではあるものの「複数の」身体欠損や母斑が、「前世」の人物の傷跡などと一致する事例もみられることから、これは偶然とは考えにくいという結論を出しました。

このほか、「偽記憶説」については、はっきりとした結論を述べることができるほどの傍証が得られなかったため結論は出せませんでしたが、人格憑依説についても後述するように否定的な見解を得ました。

スティーヴンソン博士は、捏造説や偶然説は考えにくいという自ら出した結果を更に検証し、さまざまな考察をおこなった上で、最終的には「事例報告をつぶさに読んだうえで、各自が自分なりの結論を得るべきであるから、私の解釈は重要でない」としながらも、最終的に「生まれ変わり説」を受け入れたともいえるような次の二つの結論を出しました。

1.事例研究を実施した子供たちを検証した結果、彼らがいわゆる超常能力(超能力:PSI)能力を発揮し、「前世」に当たる死者の状況を遠隔透視したという考え方もできる。

しかし、子供たちには、「前世」を語る以外のことがらでPSIを発揮したというような検証結果は全く得られておらず、このことから、彼らが前世をみるだけのためにPSIの能力を発揮したという説の説得力は弱い。

また、親などの子供たちの周辺人物がPSI能力をもっていて、母斑などもサイコキネシス(PK)で形成させたとも考えられなくもない。が、仮にPKという能力が存在するとしても動機などの面からみてその必要性に疑問が生じ、この説明にもかなり無理がある。

2.「転生」は人格憑依説ではないかという考え方もある。この説は、「肉体を持たない人格」という実体を持たない「何か」が存在し、これが実態のある肉体にとり付いて支配するという考え方である。

しかし、その「何か」が子供たちに憑依したのならば、それほど支配に成功した人格が、子供たちが8歳になる頃までに一様に憑依をやめてしまうのは、まことに奇妙である。また、子供たちに憑依された人格と、子供たち自身が成長する人格とが闘っているような,人格の分裂傾向は見られていない。

実は、スティーヴンソン博士が多くの事例を調べた結果では、子供たちが「前世」を語り始めるのは、だいたい2歳から5歳であり、ほとんど喋れるようになるのと同時に開始されるのがわかっていました。

そして5歳から8歳まで、この状態が続くと、ぱたりと語るのをやめてしまうことが数多くの事例でみられたのでした。

語られる内容は、「前世」の人物が死亡した時の様子、居合わせた人や物に関するもの、さらには死亡してから生まれ変わるまでの様子などなどであり、多くの事例でこれらは、感情の高まりと共に自発的に語られました。

また、「前世」の死から「現世」の生までの間隔は、死の直前という例から数十年後という例まで大きくバラついていて、「前世」では非業の死を遂げた人物であることが多く、殺人被害者である場合には、かつての加害者のことを敵意をもって語り始めるという例もありました。

このほか、「前世」が自殺者であることは少なく、動物であった例は報告されませんでした。

被疑者のうち、とくに子供たちが示す行動には、「前世」の家族に対する親近感の表明、水や火への恐怖といった、死亡時の状況に類似した事柄への恐怖の表明などが多く、「前世」の人物と同様の食べ物の好き嫌いや「前世」の人物を思わせるような独特な遊び方をするといったことも多数観察されました。

観察した子供の中に時には「現世」への違和感を表明し、「この人は本当の親ではない、本当の親のところへ連れて行って」などと訴えるものもあり、また「前世」と「現世」の性別が異なっている場合には、現世での性についての違和感を語るといった例もありました。

スティーヴンソン博士が研究を行った2700件以上の生まれ変わり事例ではまた、「輪廻転生」が「ある」と考える文化圏での事例が多かったといいます。がしかし、「ない」とする文化圏でも報告もあったそうです。

これについて、博士は「輪廻転生」などを否定している文化圏では、実際には生まれ変わり事例が多いにもかかわらず、文化としてこれを否定しているため、その事例報告があまりおおっぴらに行われていないのではないかと考えました。

文化の違いによって生まれ変わりの数が左右されるというよりも、生まれ変わりを多くの人が否定しているような文化圏においては実際には普遍的に事例が起きているにも関わらず、そういう考え方が定着していないため、迷信などとして報告もされず、結果として埋もれてしまったものが多いと考えるほうが自然ではないか、というのが博士の見解でした。

また、事例研究が行われた人達の家庭の状況や、社会的地位、経済状態などは様々でしたが、社会的地位の高い人物が低い家庭に生まれ変わった例では、子供が周囲とは異なる高貴な振舞いをするということなども観察されたそうで、博士はこうした細かな傍証なども積み上げた上で「前世はある」と判断したようです。

こうして、最終的にスティーヴンソン博士は「生まれ変わり」がありうるという見解を示し、人間は生前の身体的特徴の記憶,認知的・行動的記憶を媒介する何等かの機構をもっており、これを博士は、「心搬体(Psychophore)」と呼びました。

博士によれば、心搬体は、これによって運ばれた死者の人格の一部が直接、後世の生まれ変わりへの受精卵や胎児に影響するといいます。そして、人間の生物学的・心理学的発達は、遺伝要因と環境要因に加えて、他の要因に比べて影響は小さいかもしれないが、「生まれ変わり」という第3の要因の影響を受ける可能性はある、と結論づけました。

豊穣の海

振り返ってみると、日本の文化はどうでしょう。生まれ変わりを肯定する文化でしょうか。それとも否定的でしょうか。

もともとインドで発生した仏教には、輪廻転生の考え方があり、チベットなどに伝わって発達したヒンドゥー仏教などでは生まれ変わりが信じられているようです。しかし、日本に伝わった仏教では、「死んだら仏になる」と信じられており、その時点で止まってしまてっていて一般的には転生はないと考えている人が多いと思われます。

仏壇に仏像や位牌を飾って手を合わせるのも、「死んだら神になる」という考え方に近く、日本の八百万の神は自然万物と繋がっていると考えられているため、死んだら自然に帰る、という考え方が定着しているためでもあります。

この日本的な考え方を、亡くなった作家の三島由紀夫も生前疑い、彼なりの結論を出すために色々悩んでいたようで、その最後の長編小説であり事実上の遺作といわれた「豊饒の海(ほうじょうのうみ)」も、そうした輪廻転生を扱ったものでした。

「春の雪」、「奔馬」、「暁の寺」、「天人五衰」の全四巻からなり、第四巻「天人五衰」の入稿日に、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した「三島事件」はあまりにも有名です(1970年、45歳のとき)。

「豊饒の海」とは、月の海の一つである「Mare Foecunditatis」のラテン語の邦訳だそうで、モデルとなった寺院は奈良市にある「圓照寺」というお寺だということです。

この小説は「浜松中納言物語」を典拠とし、「夢と転生の物語」のイメージが作られており、夢と生まれ変わりによって筋が運ばれ、20歳で死ぬ若者が、次の巻の主人公に生まれ変わっていくという構成になっています。

生前三島は、この小説のことを「それの書かれるべき時点の事象をふんだんに取込んだ追跡小説」と自画自賛し、その結論は「幸魂」へみちびかれるもの、と述べていたそうで、この小説を私は読んだことがないので詳しくは知りませんが、その内容はある男が転生を繰り返していき、最終的にその魂は「幸」へ導かれる、というストーリーのようです。

創作ノートからは、第四巻は当初の構想は全く異なるものであったことがうかがえるそうで、死の直前、三島は親しい友人の作家さんに、「豊饒の海」の第四巻の構想をすっかり変えなくてはならなくなった」と洩らしていたといい、第四巻の当初予定された題名は「月蝕」だったそうで、「天人五衰」とは全然イメージが違います。

天人五衰(てんにんのごすい)とは、仏教用語で、六道最高位の天界にいる天人が、長寿の末に迎える死の直前に現れる5つの兆しのことということで、三島はこの最後の作品において既に自分の死を見据えていたとも考えられます。

三島はこの一連の作品について、「あの作品では絶対的一回的人生というものを、一人一人の主人公はおくっていくんですよね。それが最終的には唯識論哲学の大きな相対主義の中に溶かしこまれてしまって、いずれもニルヴァーナ(涅槃)の中に入るという小説なんです」と語っており、この「ニルヴァーナ」こそが彼の考えていた転生だったかもしれません。

三島は、「小説家になつて以来考へつづけてゐた“世界解釈の小説”を書きたかつた」というように、この人間世界の成り立ち、その意味を解き明かし、小説そのものの存在意義を示す「究極の小説」を目指していたといいます。

1950年(昭和25年)に25歳だったときに書いた創作ノートには、既に「螺旋状の長さ、永劫回帰、輪廻の長さ、小説の反歴史性、転生譚」といったメモがあるそうで、これらは「豊饒の海」の執筆を予告するようなことばであり、三島由紀夫もまた、輪廻転生ということの意味をその一生を使って考え抜いた作家であったに違いありません。

胡蝶の夢

「胡蝶の夢」という寓話があります。荘子が夢で胡蝶になって楽しみ、自分と蝶との区別を忘れたという故事からきたという話で、広辞苑には「現実と夢の区別がつかない、自他を分たぬ境地。また、人生のはかなさにたとえる。蝶夢」と書かれています。

「夢に胡蝶となる」などともいわれますが、その話というのはこうです。

荘子がある日、陽当たりのよい縁側辺りでウトウトして夢を見ました。その夢の中では荘子は蝶になっており、花から花へと移って行きました。

夢の中での荘子は生まれながらにして蝶であって、人間の荘子が蝶に化したなどという考えはまるで浮かばず、そうこうするうちにハッと目が覚め、自分の身体を眺めるとそれは紛れもない人間の姿でした。ついさっきまで「蝶だ」とおもって少しも疑わなかったのに。

荘周は考えました。さっきまで自分は蝶になるという夢を見たと思いこんでいるがはたしてこれは本当だろうか。もしかすると、蝶である自分が人間になった夢を見ているだけではないのだろうか……

夢と現(うつつ)とはいうが、一体だれが、どちらが夢でどちらが現だと本当に区別がつくだろうか……夢の中の蝶は、目覚めるまで自分が蝶以外のものであろうなどとは思いもしなかったように、自分の人生も一夜の夢で、それに気づかずに生きているのかも知れない……

中国では、この荘子の寓話から「夢見鳥」ということばができ、これは蝶のことをさすのだそうです。また、夢か現実か分別できないような事象のことを「胡蝶の夢」というようになり、人生を振り返ってそれがあたかも夢の如くであったと思う事を「胡蝶の夢の百年目」などとも言うようになりました。

3月3日の誕生日の今日、5×才になったと考えている自分はこれは本当に現実なのでしょうか。もしかしたら本当の自分ではなく、また別の人が見ている夢なのかもしれません。

だとしても、けっして悪い夢というわけではありません。少なくともこれまでは良い夢でした。もし夢だとしてもこれからも、せいぜい良い夢を見ていきたいものです。いつか来る目覚めの時に、この人生を楽しく思いおこせるように……