先週末、ここのところ忙しかった日々の憂さ晴らしにということで、タエさんと西伊豆の黄金崎へ行ってきました。ここのサクラもなかなか見応えがあるということなので、黄金崎って行ったことがないし、これからの桜シーズに備えての下見も兼ねてということでした。
黄金崎ではいま、一番眺めが良い場所のすぐそばの駐車場が改修中であり、このため、国道に近いところにあるもうひとつの駐車場から15分ほど歩かなければなりません。
それでも良い眺めをみたいたから、ということで歩くことしたのですが、この日は天気は良かったものの、あいにくのものすごい風で、歩いているうちには海からの飛沫やら砂ぼこりに加えて、どうやらスギ花粉らしいものが猛烈に吹き付けてきました。
おかげで、花粉症の私は始終鼻をかみっぱなしで、涙は出るわ、目は痛いはで、死ぬような思いをして岬の突端まで辿りつきました。
結果としてここからの眺めはやはり素晴らしく、来てよかった!と思えるようなものでしたが、かんじんの桜はまだまだほんの咲きはじめで、多くの木がたわわになるほどの蕾を蓄えてはいるものの、咲いているのはまだほんの2~3輪といったところでした。
とはいえ、今日はその日から3日ばかり経っており、ことのほか暖かいので、おそらくは明日の春分の日ころにはかなりの量の蕾が花開きはじめるのではないでしょうか。この週末に再度訪問するかどうかはまだ決めていませんが、遅くとも来週には行ってみたいと思います。楽しみです。
それにしても、この「花粉症」には毎年のように悩まされ続けており、なんとかならんかいなといつも思います。
いつのころから花粉症になったのか良く覚えていませんが、学生のころには既に春先になると頭が重い、といった症状をかかえていたと思いますので、おそらくはこのころからなのでしょう。東京でも、多摩地方に住んでいたので、ことのほか花粉が多く、その後の人生においてもこのシーズンになるといつも憂鬱な思いにかられていたものです。
その原因となるスギ花粉ですが、ご存知のとおり、戦後復興や都市開発の目的で木材の需要が急速に高まったがために、日本各地でスギやヒノキなどの成長が早いい樹木の植林がさかんに行われた結果もたらされたものです。
ところが、その後の高度経済成長を経て日本では林業が衰退し、木材も外国からの質が良くて安い輸入品に押されて国内スギの需要が低迷するようになったというのは皮肉なもの。
大量に植えたスギの伐採や間伐なども停滞傾向となり、花粉症原因物質であるスギの花粉だけが増え続けるという結果になり、わが国の花粉症患者は年々増加傾向にあります。
また、多くの町では都市化によって土地が土や草原からアスファルトやコンクリートなどの花粉が吸着・分解されにくい地盤となり、一度地面に落ちた花粉が風に乗り何度も舞い上がって再飛散するという状態が発生するようになりました。
加えてクルマや工場からの排気ガスなどを長期間吸引し続けることでアレルギー反応が増幅され、スギ花粉症を発症・悪化させるという指摘もあり、いまや中国からの有毒物質の流入も含めて、花粉の飛散は現代最大の「公害」のひとつであるとまでいわれています。
スギが少ない欧米等ではスギが原因となる花粉症は稀だそうで、中央アジアや西アジア、ヨーロッパなどではそもそもスギは分布していません。一応欧米にも「スギ花粉症」(pollinosis of cedar)という病名はあるそうですが、このcedarは元々スギではなくヒノキあるいはマツを指す単語で、日本のスギ花粉症とは異なる病気・症状であるといいます。
スギ花粉症患者が多いのは日本などアジアの一部だけであり、世界的にはヨーロッパのイネ科花粉症・アメリカのブタクサ花粉症などが代表的な花粉症なのだそうです。
一説にはエジプト文明の頃よりその存在があったことを裏付ける文献があるそうですが、日本で「花粉症」ということばが一般的になったのは、1963年前後から目や鼻にアレルギー症状を示す患者が急に増加したためです。
齋藤洋三という人が1964年に「栃木県日光地方におけるスギ花粉症 Japanese Cedar Pollinosis の発見」という論文を発表。これが公式なスギ花粉症の発表とされているそうで、この斎藤さんは「花粉症の父」とも呼ばれているということですが、あまりありがたくないお父さんです。
その症状としては、言わずとしれた、くしゃみ・鼻水・鼻づまりおよび目のかゆみに加え、咳も含めた「4重苦」であり、人によってはさらに様々な喉の疾患を併発し、肌のかゆみまで訴えるひともいます。
私の場合は肌のかゆみまではないものの、鼻づまりになるので日々頭が重く、気分も重くなるのが特徴ですが、まああまり気にしすぎているとどこへも行けなくなるので、多少の発症はがまんして、あまりマスクやメガネもせずに出かけています。
しかし、花粉症患者さんの中には、その症状を悪化させて重症になる人もいて、頭痛だけでなく発熱までおこし、喘息や気管支炎などの気管支疾患になる人もいるとか。
とはいえ、スギ花粉のアレルゲン性は、ほかのアレルギー物質に比べると低いほうであるため、アナフィラキシーショックや口腔アレルギー症候群といったひどい症例は非常に少ないそうです。
それでも重症患者が極端に多量のアレルゲンを体内に取り込んでしまった場合には、ごくまれにショック症状を示す場合さえあるそうで、たかが花粉症といえどもあなどれません。重症患者の中にはスギ花粉を見ただけで、「のぼせ」になる人もいて、これは「マイナスプラセボ効果」というのだとか。
スギ花粉症は、既に「国民病」とまでいわれるほどになっているため、その治療法としてもいろんなものがあるのはご承知のとおり。しかし、スギ花粉症は基本的には「アレルギー症状」にすぎないため、現時点では根治療法が存在しないといわれ、したがってこれほどまでに蔓延しているにもかかわらず、一般には対症療法が行われているだけです。
普通は抗ヒスタミン薬などの抗アレルギー薬や漢方薬などを飲む、あるいは点鼻薬や点眼薬などの外用薬を用いるなどですが、経口薬のほうは、スギ花粉の飛散期が2か月以上と長いため、この期間中服用し続けると重大な副作用も出てきやすいそうです。
例えば「セレスタミン」という薬は長期作用型で副腎への抑制効果が強いために1日1錠ペースの投与でも2週間が限度とされており、重症時以外の人が摂取し続けるのはやめておいたほうがいいといわれています。
ただし医師の中にはそういう長期投与が推奨できない薬を、ただ漫然と長期間処方している場合もあります。お医者さんだからといって頭から信じ込まず、どんな薬を投与されているくらいは自分でしっかりと確認しましょう。
花粉症対策としては、こうした対症療法のほかにも、「アレルゲン免疫療法」とかいう免疫療法があるそうで、これは主に、皮膚にアレルゲン(抗体)を針などで無理やりにくっつけてやるという方法で、言ってみれば種痘のようなものです。経口投与による免疫療法もあるそうで、これらの免疫療法では、治療終了後も数年の間、その効果の持続が期待できます。
とはいえ、やはり根本的な治療ではないので、何年かに一度は同じ治療を受けなければいけません。
このほかにも、いろんな民間療法や食餌療法もあるみたいですが、治癒実績や科学的根拠も乏しい治療法も多いみたいで、金儲けのために何の効果もない代物を売りつけられ、問題になったこともしばしば。
それで何の不具合もなければそれでもまあよしとするとしても、副作用によって目が見えなくなるとか、逆に喉の痛みがひどくなるとかいうものもあるようですので、こうした手口にひっかからないよう、くれぐれも気をつけましょう。
花粉症に対する農林水産省などの国の対策もすこしずつ進んでいる、というふうには聞いていますが、なかなかその根絶には時間がかかりそうです。
行政が言うところの、「花粉症対策」とは基礎研究や治療法の開発、花粉飛散の予報技術の向上などといった対処療法ばかりであり、スギ・ヒノキなどの花粉発生源そのものを無くすといった根本的な対策は進んでいません。
しかし、先日の新聞に、スギの花に塗りつけることで、花だけを枯らしてしまう「特効薬」が農林水産省関連の機関で開発されたという記事が掲載されていました。こういった薬が広く日本中で散布されるようになれば、もしかしたら近い将来、花粉症に悩まされることはなくなるのかもしれません。
とはいえ、まだまだ時間がかかるとすれば、あとはもう、スギ花粉がないところへ移住するしかありません。
北海道の大半や沖縄県ではスギ花粉の飛散が少ないそうで、スギ花粉症の患者数も他県にくらべるとかなり低い水準だということです。このため自らを「避花粉地」と称し、「むらおこし」のために、花粉症患者が花粉症の時期のみを過ごす地を設けることを検討している自治体もあるということです。
北海道の十勝地方の山奥にある、「上士幌町」や鹿児島県の奄美群島などがそれで、療養や保養目的の花粉症患者の誘致を既に始めているそうです。
この上士幌町は、然別湖という北海道の湖では最も標高の高い場所にある(標高810m)湖があることで知られている町で、私も行ったことがあります。
この湖には、サケ科イワナ属の淡水魚で、この湖に陸封されることで固有種となった「オショロコマ」という魚がいることでも有名で、ほかに、放流され自然繁殖したニジマス、サクラマス、ワカサギ、ウグイなどが生息しています。
なので、釣り客やレジャー客には人気があるようで、またこの地域一帯は、夏にはすごく大気が安定している高原地帯だということで、この安定した空気を利用して、最近では「気球イベント」が行われるということです。
「北海道バルーンフェスティバル」というのがそれで、なんともう第40回を迎える大会であり、今年も8月8日(木)~11日(日)の4日間の予定で開催されるとか。フェスティバルとはいうのですが、これは競技大会で、日本全国から集まった気球愛好家によるレースが行われ、これを顔見世パンダにして色々な催しが開催されるというもの。
気球といえば、佐賀のバルーンフェスタのほうが有名で、私もこの北海道のほうのフェスタを知らなかったのですが、上士幌町では、1973年に「日本気球連盟」が発足したその翌年の1974年にもうすでに第1回熱気球フェスティバルが開かれています。
このときの参加機数はわずか5機でしたが、1976年の第3回熱気球フェスティバルでは参加機数も14機となり、昨年の39回大会では、オフィシャルバルーン4機を加えた計30機もの気球が青い空を舞ったとか。
先日のエジプトの気球墜落事故が思い浮かぶので、ちょっと怖いなという印象を持つ人も多いと思いますが、聞くところによると日本で気球を飛ばす場合の国土交通省の基準は世界で最も厳しいとのことで、過去にもあまり事故があったというのは聞いたことがありません。
私自身は高所恐怖症なので乗ってみたいとも思いませんが、ふわりふわりと色とりどりの気球が飛ぶさまは一度眺めてみたいもの。しかし、8月ということになるともう既に、花粉の季節は終わっていて、「避花粉地」としてここへ行く意味はあまりありません。
とはいえ、北海道ではこのほか、「富良野バルーンミーティング」というのが2月上旬に、また富良野市で、また「ゆめ気球とかち」が2月中旬に同じ十勝の音更町で開かれ、このほかにも、「流氷バルーンフェスティバル」というのが、小清水町で同じく2月中旬に開かれるということです。
2月中ということなので、まだ花粉はあまり飛んでいない季節かもしれませんが、時間とお金に余裕がある人は、これをきっかけにしばらく北海道に長期滞在して花粉を避ける、なんてこともありなのかもしれません。
とはいえわが身を振り返ってみると、今はその暇も経済的余裕もなく、今年もしかたなく、花粉を運んでくるそよ風に吹かれているしかなさそうです。
が、東京に比べればアスファルトやコンクリートに覆れた土地は少なく、これでも花粉は少ないほうなのかもしれません。とりあえずは、この地に落ち着いてまだ一年。多少の花粉はあきらめるとして、いまだ見ぬ、あまたある多様な自然を楽しむことにしましょう。
さて、今日はお天気もよく、気温もあがりそうです。花粉を避けてこれが少ないどこかへ出かけたいところですが、先日の黄金崎ような海際でもあのあり様ですから、そんなところはなさそうです。
じゃどこへ行くか。映画でも行きますか…… いつ行くか? 今、ではないでしょう。