ローカル・ルール

昨日、ここのところ忙しくて見合わせていた運転免許証の書き換えに行ってきました。

ところが、新しい免許を貰うにあたっては、昨年末に違反をしてしまったため、「講習」を受けねばならず、この講習も大仁警察署では「予約制」とのことで今週は一杯で予約がとれず、新免許証の交付は予約のとれた来週になってしまいました。

前回の書き換えが平成20年で、5年ぶりのことなのですが、今回頂戴することになる新しい免許証も、この違反のために次回の書き換えは3年後のことになるようです。

違反違反というのですが、私自身は少々不本意なレッテルであり、昨年末のその日、直進しかできない交差点で右折禁止の標識を見落として右に曲がろうとしたところ、たまたま居合わせたパトカーに「御用」になったというものです。

右折する直前、運悪く向こうからやってきたパトカーに出くわし、そのパトカーから、「あっ、そこは右折できませんよ!」とスピーカーでの警告がありました。このため、曲がるのをやめようとその場に立ち止まっていたら、続いて今度は「そのままそこにいると危ないですから、右折して止まってください。」とのアナウンス。

そのガイドに正直に従い、右折してすぐのところの路肩で止まったところ、ハイ!めでたく法を破りましたね~、と「既成事実」ができあがったということらしく、ありがたくも切符を切られる羽目になったのです。

右折しろと言ったのはおまえじゃないか!と反論しようとしましたが後の祭り…… 法とやらに厳格なこいつらのことだからどうせ言い返したとしても「違反」は覆らないだろうと、腹には据えかねたのですが、結局は反論せず、おとなしく切符を切られました。

うっかり標識を見落とした私が悪いといえば悪いのですが、無理やり違反をさせられた、という気分があとあとまで残り、そのあとしばらく静岡県警のパトカーを見るのもいやで、たまたま出くわすと石を投げてやろうかというほど憎々しく思えたものです。

しかし、弁解にはなりますが、私はこれまでも何度か交通違反をしたことがあるとはいえ、重大な過失というものはなく、たいていが、駐停車違反か信号の見おとし、もしくは軽度のスピード違反です。

この「軽度のスピード違反」ですが、法定速度を著しく超過したというものではなく、3回ほど頂戴した切符の中身はというと、高速道路で80kmの法定速度のところを105kmで走行した、あるいは一般道で50kmのところを65kmで通過した、などであり、普通に考えれば違反とはいえないようなもの。

だいたい法定速度そのままの速度で一般道や、高速道を走っていれば、交通の流れを妨げ、他の車の迷惑になるのは目に見えていて、教習所でも「他の車の流れに乗って走るように」と教えられているくらいで、ある程度の速度超過は暗黙の了解のもとに皆がやっていることです。

つまり、違反といわれればそれまでなのですが、ようするに私が犯したスピード違反とやらは、いわゆる「ネズミ取り」にたまたま引っかかったというものです。

以前、一般道でスピード違反をとられたときなどは、相手の警察官曰く、「あんまりスピード出ていないんですけどね……」と言われる始末。

その警察官が中座したとき、そこに置かれていたノートをチラ見すると、その日の違反者たちの超過速度が記されており、そのほとんどが75kmとか80kmでしたが、私の違反速度はそのうちの一番低いものでした。

このときも、スピード出ていないなら捕まえるなよ!と喉元までセリフが出てきましたが、これまでも、こうしたときには何を言っても翻ることはありません。もし、反論したとしても、法定速度を違反していることには違いないというわけで、そこを突かれるとそれ以上の反論のしようもなく、結局はいつもあきらめる、ということの繰り返しでした。

それでは、免許を取った人の一体どのくらいの人が違反切符を切られた経験があるのだろう、と調べてみたのですが、よくわかりません。が、私が知る限りでは、私と同様の運転歴がある人で違反をしたことがない人は一人もおらず、運転歴が長くなればなるほどその回数も多くなるようです。

最近では、切符を切られるたびに、あぁ今日は運が悪かったのだ、しょうがない、と思うようになり、しかしそれだけでは腹がおさまらなくなる場合もあるので、そういう時には、いつもタダでクルマを運転させてもらっているのだから、そのお礼にたまには「お布施」を警察にあげておくのだ、と思うようにしています。

神社へ行くときにも千円札以上のお賽銭はしたことがないくせに……

官製ローカルルール

このように、「ネズミ取り」といわれる交通違反取締りは、いろんな形でやられています。スピード違反だけでなく、ある街角の交差点の影にひっそりとパトカーが隠れていて、その交差点には一時停止の標識があるのにもかかわらず、そこできちっと停止しなければ、お縄、というのもあり、ほかによくあるのが、踏切での一時停止違反などです。

誰でもちょっとした油断で起こしそうな違反であり、その規制対象が幅広く一般人に及ぶため、これまでもしばしば、これこそ「行政犯」ではないか、という指摘もされてきました。

行政犯とは、実質的な法益、つまりは税金稼ぎのために、危険性の判断とは無関係に機械的に違反処置を行使するというものであり、こうした強制的な取締りを巡ってはトラブルも数多く生じていると聞きます。

必ずしも危険の発生が成立するとは考えられない要件、例えば、運転免許の有資格者が運転免許証を携帯せずに自動車を運転したとしても、そのこと自体で交通事故の危険が増加するわけではありません。

しかし、道路交通法では、自動車を運転する場合には必ず運転免許を携帯するという行為を義務付けており、こうした規制を課すことによって、運転免許制度そのものの「実効性の確保」することを目的のひとつとしています。

別の言い方をすれば、免許証不携帯だけでなく、数ある交通違反行為全体の規制を強化するため、形式的な違反であったとしても、これを「犯罪」とみなすことによって、この法律全体の実行性を確保したい、という考え方に基づくものであるためです。

従って犯罪は犯罪に違いないのですが、行政の側もそれが極めて社会的な問題を引き起こすような犯罪とは考えておらず、行政が定めた法を守るための便宜上の「タガ」といったようなものです。

まあ、言い方はいろいろありますが、ようするに行政における「必要悪」のようなものでしょう。建設業界における「談合」も同じようなものであり、談合そのものは法律違反ではありますが、なくてはならないとものと考えている人たちもおり、こうしたルールを社会活動を円滑にするための潤滑剤と見る向きも多いと思います。

外国にも違反切符や談合はあるでしょうが、これらのローカルルールはまた日本とは違った形の基準で実施されているようであり、世界各国それぞれです。無論、日本の道路交通法のように法律で規定されているものもありますが、国によってはその法律そのものがあいまいで、警察官の独自の判断で違反内容が決められるという国すらあるようです。

「ローカルルール」の定義とは、ある特定の地方、場所、組織、団体、状況などでのみ適用されるルールということのようです。従って、定義上、その国の法体系上、必ずしも合法であるとは限りません。

たとえば、「校長になるには教育委員会幹部に贈賄が必要」「落札業者や入札価格は入札参加業者の談合で決める」というのも、その地域の関係者全員がそれに従って動いているからにはローカルルールと言えます。日本国の法律上は当然違法です。

しかし一方では、かつてのアメリカ南部や南アフリカなどでの、「バスなどで白人が立っている時は黒人が席を譲る」というような慣習のように、ローカルルールではありますが、違法ではないものもあります。

とはいいながら、人道上、良識の上からみれば問題のあるルールであるには違いなく、つまり合法なローカルルールがいつの場合も正しいとは限らないわけです。

こう考えてくると、日本独自のローカルルールである、「ネズミ取り」も人道上、良識の面からも大いに問題のある悪習慣という気にもなってくるのですがどうなのでしょうか。

しかし良識のない政治家や官僚たちが作った悪ルールとはいえ、これによって国全体の交通安全が守られているのだと言われれば、法律を遵守する真面目な日本人である私としては、これ以上文句を言う糸口がみつかりません。

とはいえ、こうした官製のローカルルールの中身はもう少し議論の対象になってほしいなと思う次第です。官の誤りを正すのは政治の役目。かつて民主党にはそういったところも期待したのですが、あてがはずれました。自民党さんにもがんばってほしいのですが、いったいどこまで期待に答えてくれるでしょうか……

民間ローカルルール

ところで、こうした官製の悪ローカルルールも問題ではありますが、一方では民間における交通ルールにも問題のあるものがたくさんあります。

日本国内において、当然全国どこでも道路交通のルールは同じのはずなのですが、地方によっては、特定のルール違反やマナー違反が、ごく当然のように行われています。法的な交通違反とばかりも言えないものもありますが、中には明らかに交通違反として検挙されるべきものもあるほどです。

例えば、「名古屋走り」というのがあります。愛知県の名古屋市やその近辺では、この地方特有の行儀の悪い運転マナーがみられるそうで、たとえば、交通信号の切り替わり前後に交差点へ進入する、いわゆる信号無視があります。

ところが、名古屋の場合、黄信号は、普通に「Go」のサインであって、ためらいなく進入し、赤信号に変わっても、これは赤信号が点滅している状態と同じ、というわけで、自己の状況判断によっては進入することも「可」とされるそうで、これが名古屋走りの典型例だということです。

一般には、「黄色まだまだ、赤勝負」といわれているそうで、当然信号無視ギリギリの違反行為です。一方、大阪府近郊ではこれとは逆に、信号が青になる前に発信する、いわゆる「見切り発進」が多く、こちらはクルマばかりではなく、歩行者にも危害が加わる可能性が高いため、より悪質です。

この大阪と名古屋の中間に位置する岐阜県や三重県においては、「出会い頭の事故」が多いのだそうで、これはこの地域が、赤信号での侵入を得意とする名古屋と、青信号での見切り発進を得意とする大阪の中間にあるためではないか、と交通工学者などが真面目に議論しているといわれています。

名古屋ではこのほか、道が広いことで速度を上げる車が多い「速度超過」が多いのだそうで、愛知県警では、トラック・バス・タクシーといった職業運転手に対しては、一般の車の流れをつくるペースカーとなるよう要請したことがある、という話まであります。

また、ウィンカーを出さずに車線変更、またはウィンカーを車線変更の直前に出すとか、車線の多い道路では2車線以上を連続で車線変更をしたり、交差点内において車線変更をするとかも多いそうで、私自身はあまり名古屋圏には行ったことがないのでよく知らないのですが、名古屋近辺にご在住の方、そうなのでしょうか?

この「名古屋走り」以外でも、長野県には「松本走り」または「松本ルール」というのがあるそうです。こちらは、例えば、対向の直進車が交差点に接近しているにもかかわらず右折を行う、対向車が左折するスキを見計らって右折を行う、信号が青になる直前のまだ赤の時に急発進して右折を行う、などです。

また、脇道から右折する際、右折しようとしている道路で左側車線を走ってくる走行車の流れをせきとめるようにして、割り込み、無理やり右折待ちをする、ウインカーを出さず、後続車を確認しないまま右左折や車線変更をする、なども松本走りの特徴だそうで、こうしてみると、名古屋や長野などの中部圏一帯は運転マナーが悪い地域、と一般には目されているようです。

JAF(日本自動車連盟)が毎月出している機関紙JAFMateによると、城下町であった松本市は細い道の交差点が多く、そのため右折車で渋滞することも多かったため、これを回避するため右折優先ルールが生まれたとされており、名古屋のほうはどうだか良く知りませんが、こちらも城下町から発展した町なので同じような状況があるのかもしれません。

また、長野のお隣の山梨も運転マナーが良くない人が多いらしく、こちらは「山梨ルール」といわれ、山梨では対向車の有無にかかわらず、減速なしで右折をする自動車が多いといいます。

このように、愛知、長野、山梨の三県は運転マナーが悪い県と目されているようですが、静岡はどうなのでしょう。私自身、学生のころ沼津で免許をとり、大学を卒業するまで静岡で運転していましたが、あまりマナーが悪いと思ったことはありません。ここ伊豆へ来てからもそうなので、そのマナーの良さはあまり変わっていないのではないでしょうか。

それでは、中部以外はどうなのか、ということになるのですが、私が知る限りでは、山口県民はあまりマナーがよくありません。ローカルルールというほどのものはないようなのですが、とくに女性ドライバーのマナーが悪く、上述の名古屋走りや松本ルールほどはひどくないとはいえ、街中で往々にして違反行為を見かけるのはたいていは女性です。

道を譲ってあげても、挨拶や会釈もせずに、当然のごとく走り去る、という人も多く、私だけかな、と思って広島在住の私の従弟に聞いてみましたが、同じような意見でした。

その従弟曰く、山口の教習所では、田舎の農家出身の教官が多く、そうした都会慣れしていない教官の悪いマナーが、教え子たちに伝染するのだろうということでしたが、案外と間違っていないかもしれません。

このほか、関西では愛媛県のドライバーのマナーもあまり評判がよくないようです。

松本ルールでも、対向の直進車が交差点に接近しているにもかかわらず右折を行う、というのがありましたが、これと似たような行為が横行しているのが愛媛県であり、これは「伊予の早曲がり」と呼ばれていて、交差点を右折する際に急発進を行い対向車よりも早く内回り右折するのだそうです。

これらはいずれも危険行為とみなされていて、明らかに違反行為であるため、県警も取締を強化しており、愛媛県内で生じる右直事故の典型的原因にもなっているそうです。

また、関西といえば、阪神地方ですが、神戸近辺には「播磨道交法」というのがあるのだとか。

これは、兵庫県播州地方における道路交通マナーの悪さおよび道路交通ローカルルールを、神戸新聞社が自紙読者投稿欄の連載上で分析したうえで法律的文体でまとめ、自社の新聞「神戸新聞」に発表掲載したものだそうです。

2003年ころに、読者参加型のある連載記事の掲載を開始したところ、一般読者からの反響がとくに多かったのが、兵庫県播州地方における道路交通マナーの悪さ、特に道路交通法を軽視してローカルルールを優先させる傾向があることだったそうです。

やがてこの話題がだんだんとエスカレートしていき、このためにこの連載も大いに盛り上がり、やがてこの連載に掲載されることを目的とするだけでなく、一般からもマナー違反に関する多数の投稿が同新聞社に多数寄せられるようになったのだとか。

そして、神戸新聞社の編集部がこれを「道路交通法」をもじったような法律的文体にまとめ、これを2003年7月8日に「播磨道交法」と題して同紙朝刊へ掲載しました。これは附則を含めて全3章10条からなる、まるで本物の法律とも思えるような文章で綴られているそうです。

例えばその第一章は交差点の通行に関するローカルルールであり、本物の道路交通法では、右折車は直進車・左折車の通行を妨げてはならないことになっているのに対し、この播磨道交法では、これが無視されていることが“条文”として示されているそうで、このほかにも右折車や自転車・歩行者の信号無視などが条文として書かれているとか。

同様に、第二章では、横断歩道の渡り方や車の車線変更に関するローカルルールであり、信号機のない横断歩道は歩行者に優先権があるが、播磨ではこれがまったく守られていない、また、車線変更における割り込みの頻発や、方向指示器を直前まで作動させない、などなどです。

さらに、第三章は「附則」だそうで、これには、路線バスの発進妨害や警音器の濫用の状況などが書かれているそうで、本文を読んでいないので細かいところはよくわかりませんが、こうした断片の情報を総合すると、どうやら播磨というのはよほど交通マナーの悪い場所なのでしょう。

さらにこの神戸新聞の連載記事には、とくに「姫路ナンバー」の交通マナーが、「和泉ナンバー」を上回るという投稿が多く寄せられる一方で、事故統計上では姫路ナンバーと神戸ナンバーに差はないとする議論提起もなされるなど、自元どうしのローカルマナーを比較しあう論議までなされたとか。

「播磨道交法」が神戸新聞に掲載されたあとは、播州地方ローカルルールに詳しい交通関係者として、国土交通省の姫路河川国道事務所の工務課課長の見解まで掲載されて話題になりました。

この課長さんは、播州地区は国道2号姫路バイパスに代表されるように交通量が多く、一方で公共交通機関が未発達であることや各道路の交通容量が限られており、このため地域の利用者が車間距離を詰めたまま高速走行するようになり、これが「播磨道交法」を生み出したとの見解を示したとのことです。

まあ、道路の整備不足はとくに兵庫県だけの問題ではないでしょうから、ほかでも同じような悪しき交通マナーが横行している地域も多いと思うのですが、それにしても地元紙を巻き込んでまでこうしたルールの悪さが声高に叫ばれるということは、それだけ交通事故なども多く、これがこの地域の大きな社会問題になっているということなのでしょう。

しかし、こうした社会問題を官まかせにせずに、自分たちで問題提起して解決していこうという意欲の表れとみることもでき、これが関西人における普通一般の気質だとすれば、他の地域の人達も大いに見習うべき慣習なのかもしれません。

ところで、ローカルルールには、こうした地方ならではのルール以外にも、日本中ほぼ全国で見られるルールもあります。

例えば、「パッシング」がそれです。自動車免許を持っていない人にはわかりにくいかもしれませんが、これは自動車の運転中に、ライトを瞬間的に上向き(ハイビーム)で点灯させることです。

一般的な車では、方向指示器用の操作レバーを手前に引くことで前照灯は一時的に上向きになって、ハイビームとなり、操作レバーを離すと消灯します。

これを1回もしくは複数回操作することで「パッシング」の合図となり、上向きに何度も点灯させたりすると、より強い意思表示となる場合もあります。

どういう使われ方をするかというと、例えば、自車が先行車に追い付いた際に「先に行きたいので進路を譲って欲しい」という場合にその意思表示として使用します。「パッシング」すなわちPassingは「追い越し」の意味であり、そもそもはその行為を容認して欲しい、という意味合いを持ちます。

ところが、この強い光の点滅をあまりにも何度も繰り返すと、「邪魔だ、そこをどけ」という意味にもなり、クラクションと同様にこの過剰なパッシングが傷害事件などに発展したというケースもあります。

このため、パッシングは一回だけに限るか、追い越し車線側にいるときに右のウィンカーを意図的に点滅させることで、追い越ししたいんだよ、という意思を伝える場合があります。無論、こうしたウィンカーの使い方は、本来の法令で定められている方向指示器の用法ではなく、パッシングも同様です。

パッシングは、これ以外にも、道を譲ってあげるとき、例えば右折したい対向車がいるときに、それを許可するよ、という意味でパッシングをしたり、また隣の車線からの合流車がある場合に、入っても大丈夫だよ、という意思表明のためのパッシングもあります。

ところが、この逆に対向右折車の無理な右折をさせたくないときや、合流時に無理な割り込みを制するときにも、パッシングを行うことがあります。ケースバイケースなのですが、これを逆に相手の許可を得たと勘違いして右折や合流をしてしまうケースがないとはいえず、そこはドライバー同士の「阿吽の呼吸」ということになります。

このほかにも、パッシングの使い方として、前照灯が眩しいことや、前照灯の消し忘れを対向車に警告するときや、無理な割り込みや停車などに対して抗議するとき、発見した異変(何らかの危険や交通取り締まりなど)を対向車に知らせるときもありますが、これらの意思表示は往々にして無視されるというか、気づかれないことが多いものです。

よくある話としては、例えば私などは、夕暮れ時や大雨で視界が悪いときなどには早めに前照灯をつけて危険回避の一環とすることが多く、このほかにも地域の自主的な取り組みで昼間でもランプを点灯させることを推奨している地域があります。

これに対して、対向車線からは、「ランプが点いているよ」のパッシングを往々にして受けることがあるのですが、これは私にとっては、「大きなお世話」であり、そっちこそ、暗くなっているのにランプも点けずにあぶないじゃないか、とパッシングをしたい気持ちになってしまいます。

中には、すれ違う前のかなりの遠距離からしきりにパッシングしてくる人もいて、これは取りようによっては大きな迷惑です。

このように、パッシングにはいろんな意味が含まれるため、気を付けて使わないと、意思が誤解された場合、事故や揉め事に繋がりやすく注意が必要です。全てのドライバーが同じ基準のもとで行う合図ではないため、周囲の状況などから注意深く判断する必要があるといえます。

先述の静岡県警察では、横断歩道を渡ろうとしている歩行者を発見した場合、対向車に対してパッシングをして停車を促す運動が実施されているそうです。これもまた他県ではなかなか通じにくいジェスチャーでしょうから、いらざるトラブルを起こしたりしないのかな、と私などは思ってしまいます。

この他にも「サンキューハザード」というのがあり、これは、駐停車のとき左右両方のウィンカーが同時に点滅する「ハザードランプ」を点滅させるというもの。

ご存知の方も多いと思いますが、運転者同士がコミュニケーションを交わすための合図としては最近では最も良く使われるものではないでしょうか。

日本の場合、その意味の多くは、対向車に進路を譲ってもらった場合などの感謝の意を表明するためのものですが、本来のハザードランプは、その名前のとおり、ハザード、つまり緊急事態が発生した場合に使うための装置であり、バスなどの旅客運送車両であれば、バスジャックなどの車内で発生している喫緊の事件を知らせるものです。

なので、海外旅行に行った場合、日本と同じつもりで、ハザードランプをつけて道を譲ってもらったお礼を言ったつもりでいたら、逆にクラクションを鳴らされた、などというケースも多いといいます。お礼の意味でハザードランプをつけるのは日本だけの風習だということを覚えておきましょう。

このほか、「サンキュー事故」というのもあります。最も代表的な例としては、渋滞時の交差点などで直進する自動車が、対向する右折車を先に行かせてあげようといったん停止します。このとき、対向する自動車が右折しようとしたところ、直進車のすぐ脇をすり抜けてきたオートバイや自転車と出会い頭に衝突をする、というもの。

直進車は好意で右折車に道を譲ったわけですが、結果としては事故を招く原因になったわけであり、後味の悪いものになります。

右折車側からすれば、せっかく道を譲ってもらったのだから早く右折しなくちゃ、と思う心理が働き、このための焦りによって直進してくる二輪車に気付くのが遅くなり、直進車の陰になって直進してくる二輪車が見えにくいケースも多いため、事故になる可能性が非常に高いといいます。

この場合、事故の過失割合は、前方不注意ということで、通常右折車のほうが大きくなるようですが、二輪車のほうも違法なすり抜け運転をしている場合が多く、その過失もゼロでは済ませられないことのほうが多いようです。

同様に、直進中、前方の左側の歩道から、横断歩道を渡ろうとしている子供がいたとします。この子供を通してあげるために歩道の手前で止まったところ、その子供が自分の車の前を歩いて通りすぎようとしたとき、向こうからの対向車が歩道で停止もせずに直進して行き過ぎ、ヒヤリとした、ということなどもあります。

歩行者の通行を優先しようとしたつもりが、逆に自分がこれを危険にさらしたということで、こういう時はいやーな気分になります。ただ、仮にこれで事故が起きた場合は、歩行者保護違反ということで、歩道前で止まらなかった対向車は一義的に罰せられることになるはずですが……

さてさて、運転免許の更新の話を書いていたら、長々とここまで来てしまいました。本当はまだまだ書きだしたいところなのですが、この辺でやめておきましょう。

今日は一日天気が良いようなので、お買いものついでに少し麓の桜を見に行ってきましょう。みなさんのお住まいの地域はどうでしょう。桜は満開になったでしょうか。

これからクルマで花見に行かれる方、私もそうですが、くれぐれも悪しきローカルルールで車を運転するのはやめましょう。安全運転でいきましょう。桜が散ったあとも……