お化けのはなし


昨日の夜のこと、「ネプ&イモトの世界番付」というバラエティをみていたところ、「お化けを信じる国」についてのアンケート調査結果なるものを発表していました。

1位はエジプトで、日本は5位、最下位はインドネシアでしたが、2位以下では、マレーシア、シンガポール(3位)と続いていました。

ほかには、アメリカが7位、中国が24位、イギリス27位などでしたが、これ以外の国のことも気になったので調べてみたのですが、この番組の公式ホムペにも情報の記載がなく、とういう調査をしたのかよくわかりません。

そもそもどういう統計を取ってこうした結果が出たのか(対象アンケート者数など)がわからないので、この結果をどれほど信用してよいものかについても少々疑問です。

ただ、エジプト人のほとんどはイスラム教徒であり、イスラム教の原点に近いといわれる聖典「クルアーン」に出てくる、妖霊(ジン)と呼ばれる自然霊のことを信じている人が多いそうです。しかし、それならば同じイスラム圏のイランやイラクでもお化けを信じる人が多そうなもの。

ところが、同じくイスラム教徒の多い、イランでは幽霊を信じない人が多いそうで、これは、そもそもイスラム教には、亡くなった人の魂がこの世をうろついているという概念がないからだそうで、じゃあいったいイスラム教徒はお化けを信じる人が多いのか少ないのかどっちなのよ、と突っ込みたくなってしまいます。

この話に結論はなさそうなのですが、エジプト人は、寝る前にベッドを叩く習慣があるそうなので、エジプト人の言うところのお化けとは、妖怪や物の怪の類なのかもしれません。片やイラン人が信じていないというのは、人霊のことらしいので、そうした違いだとすれば、なんとなく納得はできます。

そもそも「お化け」という概念がいったい何なのかを定義せずにアンケートを取っていること自体が問題なのであって、テレビで放送するならば、ちゃんとお化けとは何を意味するのかをきちんと提示した上で調査せんかーいとまた、文句を言いたくなるのです。

が、まぁたかがバラエティ番組のこと、これが報道番組とかであれば問題ですが、人の興味を引きそうな話題を提供するために、少々根拠の希薄なアンケート結果を引き合いに出したのだろうと考えれば、あまり腹も立ちません。

ちなみに、スイスや、フィンランドなどのヨーロッパ諸国では、お化けも幽霊も信じない国があるそうで、スイスなどでは、お化けを話題にするような人は精神科行きを勧められるほどだといいます。

フィンランドもお化けを信じない国民性だそうで、お化けや幽霊を題材にした映画などを見に行くこと自体が理解できないそうです。そういえば、お墓が怖いという感覚がフィンランド人にはない、という話も聞いたことがあります。

ところが、同じヨーロッパでも、上のアンケート調査結果でランキング27位だったイギリスでは、この順位はともかく、お化け好きで有名です。家やマンションを買う時に幽霊屋敷だと高い価格がつくほどだそうで、国内には心霊スポットが何千ヶ所もありロンドン塔もその1つです。

旅行会社が主催する「ゴーストツアー」も大人気だそうで、こうしてみると、EUとしてひとくくりにされているヨーロッパでも、お化けに関してはかなり国による温度差があるものだとわかります。

じゃあアジアは、どうなのかなと見てみると、中国ではかつて、キョンシー映画が流行ったくらいですから、お化けについての関心はかなり高い国のようです。韓国も実話をもとにした漫画が大人気だそうで、お化けを題材にしたホラー映画などもかなり作られていて、日本にもかなり入ってきています。

アジア諸国の中でも、タイはとくにお化けに関心が高い国のひとつだということで、タイで一番怖いのは「ガスー」というお化けだそうです。昼は普通の女性の姿なのですがが、夜になると頭と内臓だけ体から外して空を飛ぶのだとかで、なるほどおどろおどろしくて不気味です。

……と書いてきたら当然日本についても書くべきなのでしょうが、こうした話題を取り上げつつも、そもそも「お化け」の定義をせずに話を進めるのも問題ありですので、ここでお化けとはいったいなんぞや、というところを書いてみたいと思います。

ウィキペディアでは「お化け」とは、「本来あるべき姿や生るべき姿から、大きく外れて違って変化してしまう、その変化した姿を「お化け」や「変化(へんげ)」という。」と書いてありました。日本では「化け物」や「化生(けしょう)」といった言い方もよくされます。

ご存知のとおり、日本は世界でも稀といわれるほど、四季の移ろいがはっきりしている国です。従って、日本人が「お化け」とする概念にも、かなり自然現象によるものが入り込んできているのは間違いないでしょう。

お天気なのに、雨が降る現象を、「狐の嫁入り」と言ったり、山岳信仰や里山信仰には必ずといっていいほど、自然にまつわる神様が出てきます。その多くは人の形をしていますが、中には、草木や動物、昆虫の季節的変化や成長過程での変容にヒントを得たものも多く、これらに共通する特徴は本来の自然の状態から大きく変化することです。

科学的な考察や説明ができない昔の人にとっては、自然の移ろいは神がかり的な驚異であったに違いなく、これがこの自然に対する畏怖や畏敬になり、観念としての「自然崇拝」につながっていき、やがてはこれが日本独特の化け物や化生になっていったと考えられます。

無論、こうした自然崇拝はヨーロッパやアジアの他国でもあり、これは形こそ違えフェアリー(妖精)や万物霊の考え方につながっていきました。

イギリスなどのヨーロッパでは、アニミズム(animism)という考え方があり、これは生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方です。日本の自然崇拝と似てはいるものの、日本のように限られた自然物・現象を対象として発展したものではありません。

日本における、自然崇拝とは、特定の自然物・自然現象を「神格化」したものです。ヨーロッパのように、すべてのものに「精霊」が宿っているとする考え方ではなく、数ある自然物・現象の中から神として崇め奉るべきものを選んで崇拝対象としたものであり、自然と超自然的存在を区別しない、というかその境界が非常にあいまいなのが特徴です。

自然崇拝の対象としては、

天空
大地、山、海
太陽、月、星(星辰崇拝)
雷、雨、風などの気象
樹木、森林
動物(特に熊、狼などの猛獣)
水、火、岩石

などであり、自然と超自然的存在があいまいな証拠に、これらのうち共通の属性を持つ複数のものを一体として神格化する傾向が強いようです。例えば天空や雷などがそれであり、これを一緒くたにして、風神・雷神様と呼んでいたりします。神道では、巨木、巨石(磐座)を御神体とする神社も多く、これらにより構成される「山」全体をご神体として崇拝するケースも数多くみられます。

このほか、日本では少数になるのでしょうが、太陽崇拝や月、星などの崇拝もないわけではなく、このほか「火」を信仰する宗教もあり、たとえ火をご神体としないまでも、火を色々な宗教儀式に取り入れている宗教団体も多いようです。

現在の日本人が「お化け」と考えているものは、こうしたかつての自然崇拝の名残であるものが多く、いわゆる「妖怪」や「もののけ」や「化生」といわれるもののほとんどは、何等かの自然物が変じたものである場合が多いようです。

これらは、「妖怪」としてひとくくりにされることも多いようですが、妖怪はそもそもが自然への畏怖から生まれたものであり、里山や鎮守の森のように自然と共にある生活が畏敬や感謝になり、これらへの怖れや禍福をもたらす存在として具現化されたものです。

日本では「神さび」という言葉に代表されるように、古いものや老いたものは、それだけで神聖であり神々しいという価値観が古くから形成されています。妖怪のことを「九十九神」と呼ぶ場合もあり、古い物や長く生きた物の憑き物という解釈もあるようです。

九十九神(つくもがみ)とは、長く生きたもの(動植物)や古くなるまで使われた道具(器物)に神が宿り、人が大事に思ったり慈しみを持って接すれば幸(さち)をもたらし、そうでなければ荒ぶる神となって禍をもたらすといわれる神様です。

もともとは自然、あるいは動植物由来であることから、そのほとんどが、「妖怪」といわれるものと重複しており、荒々しいものの代表としては九尾の狐がおり、親しみを込めたものの代表選手はお狐様です。

また、動物としては、九尾の狐のほか、猫又・犬神などがあり、 道具では朧車(おぼろぐるま、牛車の妖怪)・唐傘小僧・鳴釜・硯の魂(硯の精)などがあります。

ちなみに、この中の「硯の魂」というのは、私の郷里の山口にまつわる妖怪です。鳥山石燕という江戸中期の浮世絵師が描いた妖怪画集「今昔百鬼拾遺」に記述されていた奇談からきています。

これは、山口の関門海峡の一角、「赤間ヶ関」で作られた石硯を文具として愛用していた者が、「平家物語』を読みながらまどろんでいると、硯の中に海が現れ、やがて源平の合戦のような様子になったというものです。

赤間ヶ関(山口県下関市)は平家の終焉の地であり、この硯にかつて下関での壇ノ浦の戦いで滅びた平家の怨霊が宿ったもの、という伝承から来たもののようです。硯は赤間ヶ関の名産品であるとともに、その昔平清盛が宋の国王から賜った「松陰」という硯を賜ったという話も残っており、何かと硯は平家一門との関連が深いのです。

昭和・平成以降の妖怪関連の文献には、これをただの硯と思って使用していると、硯の中から海の波音や激しい合戦の音が聞こえてきたり、人の声や「平家物語」の語りが聞こえてくるという話も載っているということであり、付喪神(器物が変化して生まれた妖怪)の一つとする解釈もあります。

こうした物の怪は、やはり自然や動植物への畏怖を背景として、民間信仰の中で育まれてきた存在です。

長い間に人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす不可思議な力を持つ非日常的な存在のことを「妖(あやかし)」または「物の怪(もののけ)といい、あるいは「魔物)と呼ぶようになり、近年その総称として「妖怪」という言葉になったものです。

この妖怪については、また一コラム起こせそうなほど深い話題なので、またいつか取り上げてみたいと思います。

ところで、こうしたお化けの話をする上においては、こうした自然崇拝を起源とする神々や妖怪のほかにも、「幽霊」というものを外しては語れません。

これは明らかに自然や土着の古い文物から来ているものではなく、「幽」という文字が著わすように、おそらくは、「驚き」もしくは「恐怖」といった、人間の感情からできた用語でしょう。

死んだ者が「成仏」できず姿をあらわしたもの、という仏教的な思想から生まれ出てきた存在とみなされることもありますが、より一般的には、「死者の霊」が現れたものであり、洋の東西を問わず世界に広く幽霊は存在する、といわれており、欧米や日本だけでなく、中国やインド、また陸上だけでなく、海にもいるといわれています。

ただ、前述のようにイスラム教の世界では、そもそもその信教に幽霊という概念がないことから、死者としての幽霊などはありえない、というのが基本的な考え方のようです。

イスラム世界に限らず、日本においても、見たことがある、という人よりも見たことがない、という人のほうが圧倒的の多いことから、科学的見地からみてもありえないとして否定する人も多いのは確かです。

しかし、実際にいるいないは別として、歴史的な書物にはかなり古くからその存在が取沙汰されてきています。

「日本書紀」の465年の記述には既に幽霊についての記述があり、これは出会った時点では幽霊であるとは気づかず、後になってから、すでに亡くなった人物(=幽霊)であったと気づくという話だそうで、そのあとの室町時代までには、ごく普通に歌謡や歌舞伎のテーマとしても扱われるようになっていきました。

江戸時代になる以前からもう、「怪談」という形で伝承されてきており、江戸時代に入ってからはとくに幽霊話が大流行し、雨月物語、牡丹燈籠、四谷怪談などの名作が作られました。

また講談・落語や草双紙・浮世絵で描かれ花開き、現代では題材として新作から古典の笑話・小説・劇などに用いられ、その他の様々な媒体で登場し紹介されて今に至っています。

ちなみに、1825(文政8年)年7月26日に江戸の中村座という芝居小屋で「東海道四谷怪談」が初公演された事にちなんで、7月26日は「幽霊の日」ということになっているそうです。

こうして、江戸で幽霊話が流行して以降、日本では幽霊は「生前の姿」で現れることになっていきました。納棺時の死人の姿で出現したことにされ、額には三角の白紙の額烏帽子(ぬかえぼし)をつけ白衣を着ているとされることが多くなります。

元禄年間(1688~1704)刊行の「お伽はなし」のころには、まだ幽霊はみな二本足があることになっていたそうですが、1732年(享保17年)に出された「『太平百物語』ではもうすでに幽霊の腰から下が細く描かれていたといい、享保年間(1716~36)ころになると、下半身がもうろうとした姿にまで「進化」しました。

さらに時代を経るとひじを曲げ手先を垂れる、現在の我々がよく目にするような姿で描かれるようになり、葛飾北斎、歌川国芳、月岡芳年といった江戸時代の有名浮世絵画家がこうした姿を描き、幕末から明治時代にも歌川国貞、豊原国周といった絵師が多数の「お岩さん」の幽霊画を描くようになったことから、このスタイルが定着しました。

円山応挙(1733~1795)はとくに、幽霊画の名手といわれ、応挙の幽霊画は江戸時代以後もかなり人気が高く、その後多くの画家にも影響を与えたといわれています。

とはいえ、「足のない幽霊」というのはこれ以前からあり、応挙誕生以前の1673年(寛文12年)に描かれた「花山院きさきあらそひ」という浄瑠璃本の挿絵には既に足のない幽霊の絵が描かれており、このことから、江戸時代以前にはすでに「幽霊=足がない」という概念があったことがわかります。

ところが、これらより更に時代が下がってから流行るようになってからの幽霊には「牡丹灯篭」のお露のように、下駄の音を響かせて現れるケースもあり、これは明治期になってから入ってきた中国の怪異譚の影響を受けて創作されたものです。

近年でも幽霊の目撃談は後を絶ちませんが、外見上生きている人間と区別がつかない、つまり足のある幽霊を見たという例の方が多く、江戸時代までのような足のない幽霊というのはむしろまれであり、無論、「白い死装束」を着た幽霊が出現することはほとんどないようです。

墓地や川べりの柳の下などの場所に現れる、というスタイルも江戸時代に定着したものであり、現れる時刻が、丑三つ時(午前2時ごろ)というのもしかりです。

江戸時代よりも前の古い時代には、物の怪のたぐいは真夜中ではなく、日暮れ時(逢魔時、昼と夜の境界)によく現れることになっており、場所も町はずれの辻(町と荒野の境界)など「境界」を意味する領域で現れるとされていたといい、幽霊は夜現れるもの、というのもまた、江戸時代に形成された固定観念です。

こうした江戸時代に形成された固定概念をもとに、最近のスピリチュアリズムの浸透によりよく取り上げられるようになった、守護霊や浮遊霊・地縛霊もまた足のない姿で現れると考える人も多いようですが、そんなわけはありません。

また、幽霊が特定の場所や時間に現れると考える人も多いようですが、これらも明らかに江戸時代に流行った歌舞伎や浄瑠璃の名残であり、特定の時間でないと幽霊が現れないなどというのは迷信です。

ただ、特定の場所、というのはその人達が生きていた時の想念とも関係があるため、あながち否定はできません。そういう意味では、その亡くなり方に時間に関係するような大きなイベントがあるような場合(例えばある時刻に自動車事故や水難でなくなったとか)、亡くなった時刻に由来して現れる霊もあるかもしれません。

いずれにせよ、スピリチュアル的な観点からの「幽霊」の話は、今日の話の趣旨とは少し違いますし、長くなりそうなので、今のところはやめておきましょう。

ところで、欧米では、幽霊のことを英語ではghost(ゴースト)あるいはphantom(ファントム)といいます。フランス語でもファントムは、fantôme(ファントーム)です。

日本と同じく、やはり死者の魂が現世に未練や遺恨があり、現世に残り、生前の姿で可視化したもの、と考えられることが多く、希望を実現しないまま死んだ人、責任を果たしきれないままに死んだ人などが幽霊になって出ると考えられるケースが多いようです。

この点、日本でも欧米でもその昔には戦乱が後を絶たなかったために、数ある戦いの中で無念を残したまま死んだ人の霊が出るという話も多く、また戦乱の中で殺された人、処刑された人の幽霊話もかなりあるようです。

欧米では、その霊を生者が慰め、その願いを代わりに叶えてやることで消え去るものともされていることが多く、この点、亡くなった人にはお経をあげて成仏してもらう、といった日本のスタイルと少し違っています。

幽霊の現れる時の姿も日本とはかなり違います。多くの場合、生前の姿のままや、殺された時の姿、あるいは骸骨、首なし、透明な幻、あるいは白い服を着た姿で現れることが多く、また火の玉や動物の姿などの「変化(へんげ」」としても現れます。

火の弾や動物といった人間の形以外のものへ変化した幽霊などは、日本でいうところのもののけや妖怪に近く、欧米では日本と違って幽霊と妖怪の境があいまいなことがわかります。

さらに現れる場所や時間も違います。場所としては、墓場、殺された場所、刑場、城館の跡、教会堂、街の四つ辻、橋などが多く、時刻は、基本的には真夜中の0時から1時あたりがピークです。日本では、丑三つ時の二時半ぐらいですから、およそ一時間以上も「時差」があります。

しかも、欧米の幽霊は夜明けを告げる鶏が鳴くと姿を消します。日本の幽霊は、朝方まで身近な人と添い寝をするといった話もあり、欧米のように陽の光に弱いという印象はありません。

ただし、欧米では「降霊術」がその昔から盛んであり、待降節、クリスマス、謝肉祭、ヨハネ祭といったお祭りがある場合には、降霊術師や霊媒をわざわざ呼んで、亡くなった人を呼び出す場合がありますが、この儀式は昼間でも行われるといいます。

ヨーロッパでもこうした幽霊話の歴史は古く、古代ローマでは、街の地下に死者の霊が住んでいると信じられ、地下にその住居をつくったり、住居の出入り口をふさぐ「幽霊石」を祭りの日にだけあけて自由に出入りさせる、ということが行われていたそうです。

その後もヨーロッパ人は、生者を守る霊の力を借りようとし、反対に危害を加えるような霊については警戒したり、祈祷文によって遠ざけようとする風潮が定着していき、こうした中で数々の幽霊話が作られていきました。

18世紀後半にはとくに幽霊物語が発達し、その草分けとしてイギリスのホレス・ウォルポールの「オトラント城奇譚」(1764)などが有名です。このウォルポールという人は、国会議員まで勤めた人だそうで、物語は城主の息子がある日、結婚式直前に空から降ってきた巨大な兜(!)の下敷きになって死亡するところから始まります。

その後、冷酷な領主、予言、肖像画、鎧がための騎士、そして亡霊……といいう複雑な話が続いていくらしく面白いらしいのですが、残念ながら私はまだ読んだことはありません。が、怪しさ満載の傑作怪奇小説であるらしく、その出来に刺激され、その後は、エドガー・アラン・ポーなどが同様の作品を数多く書くようになり、ヨーロッパの多くの人々に親しまれるようになりました。

ただ、単なる架空の話として読まれたわけではないようで、これらの作品にはなるほど現実化と思わせるようなリアリティーがあり、人々は幽霊が実在していることを信じこむようになっていきます。

20世紀に入ってからは、前述の交霊術も都会を中心に普通に開かれるようになり、「心霊主義」が蔓延していきます。いわゆる、「ポルターガイスト」現象も頻繁に起こるようになり、というか、そうした心霊主義の広がりにより、噂が多くなっただけですが、これにより、普通の事件すらも心霊のしわざと見なされるような風潮が出てきました。

これらの風潮はとくにイギリスで強く、現在でもイギリス人が幽霊話が大好きだというのもこれが原因です。ただ日本のように幽霊を怖がるのではなく、イギリス人たちは無類の幽霊好きで自分の家に幽霊が出ることを自慢しあう、といわれるほどです。「幽霊ファン」「幽霊オタク」のような層がいて、幽霊見学ツアーなどが現在も頻繁に行われています。

近代の心霊研究もまた、イギリスを中心に発展しましたが、このようにイギリス人が幽霊好きな理由としては、ひとつにはその気質が大航海時代に培われた冒険心が、その後の知的な探究心に結びついていったものだという説があります。

幽霊が現れても、それを怖がったりせず積極的に知的に調べてみたがる癖は、海の向こうに何があるのかもわからない時代に、大胆に船を操って世界中に飛び出して行った時代に培われたものというわけであり、一応なるほどな、と納得できます。

幽霊が出没することを英語では「haunted ホーンテッド」と言い、幽霊が出没する建物は「ホーンテッド・マンション」「ホーンテッド・ハウス」などと言い、確かこうした題名の映画もあったように記憶しています。

日本では、幽霊が出る建物となると、賃貸料が極端に安くなり、悪徳不動産などでは、悪い噂になるなどと考えてひた隠しにする業者もいるようですが、イギリスでは逆みたいです。

幽霊を自分の目で見てみたいと思っているイギリス人も多いそうで、イギリスでは幽霊が出るとの評判が高い住宅・物件は、通常の物件よりもむしろ高価で取引されていることもあるとか。

私自身は幽霊は見たことがありません。霊感はある、と言われるのですが、霊感があることと幽霊を目視することは違う能力のようです。オーラの色が見える、背後霊が見える、という人もいますが、私には見えません。

が、感じることについては非常に敏感なので、よく出ると言われるところへ行くと、ぞくぞくします。

仕事の関係で、本郷の東大へよく行っていた時期があるのですが、私はこの場所が非常に苦手です。

その理由をこれまで調べたことはなかったのですが、調べてみると第二次大戦時の東京大空襲では、この本郷キャンパスはあまり被害を受けなかったといいます。ところが、関東大震災では深刻な被害を受けており、大学関係者の中にも多くの被害者が出たようです。

しかし、頑丈な建物も多かったため倒壊しなかった建造物も多く、このため、周囲の壊滅した町からの避難民がここに続々と押しかけるようになり、東京市はこのため、大学構内に仮設住宅、給水用井戸、仮厠、電灯などを設置し、これらの罹災者の便宜を図りました。

臨時救護班や伝染病部を設置し、内外の患者を収容。この年、9月から12月の間に臨時治療を施した外来患者数は1万4 千余名、医院内に収容した患者数は1万800余名に達したそうですが、この中には当然ながら亡くなった方も多かったようです。

思い過ごしだと言われればそれまでなのですが、このためか、どうしてもここの空気は私には異様に重く、長時間の滞在が苦痛です。なので、時折構内で行われるセミナーへの参加などのご紹介もあるのですが、なるべく理由をつけて近寄らないようにしています……

さて、今日も長くなりました。私の霊感の話や幽霊話はまだまだたくさんありますが、そろそろ終わりにしましょう。

今日は梅雨の晴れ間がこれから出るようですから、ずっと気になっている中伊豆の大見城跡へ行こうかなとも考えています。東大よりももっと古いお城なので、おそらく幽霊が出ることもないでしょう。

が、出たら出たでこれはまた面白いかも。その話でまた一発面白いブログが書けるでしょう。私も最近はイギリス人と同様、幽霊が怖いという感覚はありませんので、ぜひ一度お目にかかりたいもの。

みなさんはいかがでしょう。幽霊見たことありますか?