スタンド・スティル


今日は時の記念日だそうです。

“記念日”であるだけに、当然、お休みではありません。

こういうメモリアル・デイばかり作っておいて、一向に休日が増えないのは政府の怠慢ではないか……と思ったりもするのですが、記念日がすべて休日になってしまったら、ほとんど仕事をする日がなくなってしまうので、私の考えがワーカホリックの日本人の大多数の同意を得る、というのは難しそうです。

なぜ今日が時の記念日なのかというと、「日本書記」に「漏刻(ろうこく)」と呼ばれる水時計を新しい台に置き、鐘や鼓で人々に時刻を知らせたと記述されていることにちなんでいます。

この日は、旧暦の671年の4月25日だったそうですが、現代の暦に置き換えると、6月10日にあたるのだとか。ほかの記念日は旧暦のままだったりすることが多いのに、時の記念日だけわざわざ置き換えたのは、やはり「時」に関する記念日だから、正確を帰そうとしたのかな?と勘ぐったりしています。

この漏刻は、これよりもさらに十年ほどまえの660年には、既に天智天皇(当時は中大兄皇子)が初めて製作させており、その元となるものは遣唐使により中国からもたらされたものだったようです。

サイフォンの原理で複数の水槽をつなぎ、一定速度で水が溜まるように工夫されたものであったそうで、管の詰まり防止や凍結防止などへの配慮までなされていたといいます。

さらには、読み取った時刻の伝達やメインテナンスをする担当者が必要であったため、奈良時代頃までには「漏刻博士」というチーフ2名と、守辰丁(しゅでぃんちょう)という20名のスタッフまで用意されていました。

漏刻博士は、「ときつかさ」ともいい、ようするに時の番人です。それなりに官位があり、従七位下相当が普通だったそうですが、五位・六位に任じられた例もあるそうで、従五位下以上と六位の蔵人は昇殿を許される身分ですから、いわゆる「殿上人」であり、位の高い人達しかなれなかった官職です。

天皇が地方などに行幸する際には、必ず漏刻博士1名と守辰丁12名が漏刻とともに随従する義務があったそうで、こうした史実をみても古代から日本人は時間に厳しい国民だったことがわかります。

この後も日本では長い間、水時計が使われ続け、1595年の羅葡日辞書(らほにちたいやくじしょ。イエズス会宣教師によって刊行されたラテン語・ポルトガル語・日本語の対訳辞書)にも「トケイ、ラウコク」の項があります。

ただし、時代が下って戦乱の世になると、置時計である漏刻はあまり活用されず、日の出から日の入までを6等分した不定期法が使われるようになり、時計を使う習慣はやや廃れました。

17世紀に鎖国が始まってからは、戦国時代に伝わった西洋時計の改良が日本独自で行われ、西洋式の1日を24時間に分ける時計に対して、季節によって「一刻」の長さが変える「和時計」が作られて普及しました。

和時計は正確なものではありませんでしたが、複数を用いることで正確を期し、また、晴れの日には日昇時と日没時に補正ができるため、その運用を厳格に行うことで精度が維持され、和時計は普及していきました。

明治になると鎖国が解かれ、また、時刻もグレゴリオ暦採用に合わせて24時間均等割りに変更されたため、西洋式の時計が再び使われるようになります。国産時計の生産は1892年に服部金太郎が作った精工舎で始められ、3年後には輸出も行われるようになります。

その後世界に冠たるクオーツ時計を作ったのは日本人です。このクオーツによって日本の時計や一躍有名になり、現在では、時計と言えば日本かスイス、いわれるほど高い製造技術を誇っています。

が、その根本技術は無論、西洋が発祥です。現在使われている六十進法の時間単位は紀元前約2000年にシュメールで考えられたものです。1日を12時間2組に分けたのは古代エジプト人で、巨大なオベリスクの影を日時計に見立てたことが起源だそうで、彼らは先般、気球の事故のあったルクソール近郊で水時計も作っていたそうです。

水時計は後にエジプト以外でも用いられるようになり、古代ギリシアではこれを「クレプシドラ」と呼んでいたとか。同じころ、古代中国の殷では、水があふれる仕組みを利用した水時計が開発されていますがこの水時計の技術はメソポタミアから紀元前2000年ごろにもたらされたものではないかといわれています。

従って、時計の原点はエジプト、これが中国を経由して日本に入り、古代の水時計として発展したということになります。

その後、時計としては色々なものが作られます。「火時計」というのもあり、これはなんだろうと思ったら何のことはない、ロウソクを用いた時計でした。ロウソクの炎が燃えることで蝋が融け、この融けたロウの分量によって時を測ります。

「香時計」というのもありました。これも何のことはない、ロウソクによる火時計の応用です。ロウソクの代わりに「お香」が使われており、香からは大きな炎が上がらないので、ロウソクよりも燃え方が安定しており、火災の危険も小さいといえます。

6世紀頃から中国で使われ始めたようで、日本にも伝来し、正倉院には当時のものが残されているそうです。正倉院の香時計には漢字ではなく古代インドの文字が刻まれているそうで、このことから、中国で使われていたものは、中国国内だけでなく、インドで作られたものが輸入され、仏教行事に使われていたと推定されています。

この線香時計に使われた線香は線香時計専用に調整されたものであり、凝った作りのものも多くあったそうで、例えば一定長さごとにおもりが付けられていて、時間が来るとそのおもりが落ちて銅鑼などを鳴らす仕掛けのものもあったといいます。

線香の香りもいろいろなものが使われており、一定時間ごとに香りが変わるものもあったといいますが、これをもし現代の日本で販売したら結構人気が出るのではないでしょうか。私が知らないだけで、もうすでにたくさん売られているのかもしれませんが。

ちなみに、その昔日本の花街で芸妓さんを呼ぶとき、そのサービス時間を線香時計で測って料金を計算していたそうで、このため芸妓さんに支払う代金は「花代」のほかに「線香代」と呼ぶ地方もあったそうです。

無論こうした、火時計や香時計、あるいは水時計のような原始的なものはその後、機械時計に取って代わられるようになります。

一口に機械時計といっても、数多くのものがありますが、その歴史を今ここで語っても面白くもなんともないのでやめておきます。

この時計の中でも最も新しくて精度が高いものが、原子時計です。原子や分子のスペクトル線を用いて正確な時間を計るものであり、高精度のものは10-15(3000万年に1秒)程度、小型化された精度の低いものでも10-11(3000年に1秒)程度の誤差であるといいます。

原子や分子には、それぞれに決まっている周波数の電磁波を吸収あるいは放射する性質があるため、水晶振動子から放射された電波を用いるクオーツ時計よりもさらに高精度な周波数を求めることができます。

原子時計を元に作られた正確な時刻情報は標準電波として放送されており、その電波を受信してクォーツ時計の誤差を修正しているのが電波時計です。よく電波時計というのは「電波」を用いて時を計測しているのだと勘違いしている人がいますが、これは間違いです。

また、原子時計は、GPS技術には不可欠なものです。GPS衛星からの信号には、衛星に搭載された原子時計からの時刻のデータ、衛星の天体暦(軌道)の情報などが含まれています。

GPS受信機にも正確な時刻を知ることができる時計が搭載されているならば、GPS衛星からの電波を受信し、発信~受信の時刻差に電波の伝播速度(光の速度と同じ30万km/秒)を掛けることによって、その衛星からの正確な距離がわかります。3個のGPS衛星からの距離がわかれば、空間上の一点は決定できます。

しかし、衛星に搭載されているのが原子時計のような正確なものでなければ、この求める一点には大きな誤差が出てしまいます。当初、アメリカ軍部でGPS衛星の打ち上げ計画がもちあがったころにはまだ衛星に搭載できるような小型の原子時計が開発されておらず、このためこの計画はほとんど頓挫しかけたそうです。

ところが、ちょうどこのころにドイツで小型の原子時計の開発に成功した会社があり、アメリカ軍の開発者がこの噂を聞きつけ、この会社との提携にこぎつけたため、GPSの開発が成功したというはなしです。

現在、GPS衛星は約20,000kmの高度を一周約12時間で回っています(動いており、静止衛星ではない)。

軌道上に打ち上げられた30個ほどの衛星で地球上の全域をカバーしていますが、いかんせん、アメリカの軍事衛星であるため、いざというときにはGPSが使えなくなってしまう可能性もないではなく(たぶんそんなことはないでしょうが)、あるいはより精度の高い位置精度の追及のため日本独自のGPS衛星の打ち上げ計画も着々と進んでいるところです。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)は既に2010年9月11日に技術実証のための準天頂衛星初号機「みちびき」を打ち上げており、2017年から2019年までにはさらに衛星3基が追加で打ち上げられて、4基体制でシステムが運用されることが決定しています。

ところが、このGPS衛星に搭載された正確無比な原子時計によって刻まれる時間と、地球上の時間は、実はほんのわずかですが「ずれ」があるのだそうです。

これは衛星からの信号を受信する地球上の受信機側での信号処理によるものだそうです。高速で運動するGPS衛星はその運動による発振信号の時間の遅れが生じますが、これ以外にも地球の重力場による影響による時間の遅れがあるといいます。

とくに後者は、衛星軌道の擾乱や信号到達距離の湾曲、発振信号の時間の遅れなどを引き起こし、これらの誤差により地上受信機の時計は、GPS衛星の時計よりわずかに遅れることになってしまいます。

このため、GPS衛星の時計は、これを補正するためわざと人為的に遅く進むように設計されているそうです。この時間の遅れは相対論効果を考慮した計算結果と高い精度で一致しているといい、身近な相対性理論効果の実証の一つとして挙げられています。

しかし、世界最高の技術であり、正確無比といわれているGPSシステムにも、こんな原始的な誤差矯正が行われているなんて驚きです。技術が進んだとはいえ、逆にその進んだ技術にもそろそろ限界が見えてきているということなのでしょうか。

というか、そもそもこれ以上時計は正確になりうるのか?というのは誰しもしりたいところです。今よりも時計が正確になるといったい何が起こるのでしょうか。

現在よりもさらに時計の精度が上げていこうとすると、相対性理論によって時計の精度にその時計がある場所の速度、重力、電磁場が精度に大きく関係してくるといいます。

前述のGPS衛星の例でも示したように、地球上にある原子時計と人工衛星軌道上の衛星に搭載されている原子時計の間には、その時の進む速さの微妙な違いが検出されます(違いといっても、我々人間が五感で検知できるようなレベルのものでは当然ありませんが)。

これを逆に考えると、こうした現象を利用して、その時間の誤差を生み出しているとされる電磁場や重力場がいったいどういうものであるのかを突き止めることができる、とされています。

こうした場を「重力波」と呼ぶのか、あるいは「時空のゆがみ」と呼ぶのかそれすらもまだはっきり決まっていないようですが、ともかく、これまで人類が認知していなかった物理世界の検出が、時計の精度を上げることによって測定できる可能性を秘めているのだそうです。

物理学の基本量である、光の速度や、素電荷の重さ、万有引力定数などといったものはいまだに正確な数値が求められていないといい、これらを求めることが、時計の精度を突き詰めることによって実現ができるとともに、これらの数値と数値との関係をもが新たに解明される可能性があるといいます。

私も十分には理解していないのですが、相対性理論と量子力学という二つの物理分野では、根本的にまだ未解明な部分が多く、整合性がとれていない部分も多々あるそうで、もしかしたらどちらかに間違っている部分がある可能性もあるということです。

そのどちらが正しいかについて結論を出し、統合・調整できる可能性も、時計の将来がその鍵を握っているというわけです。

まぁもっとも、日常的な生活を送っている我々にとっては、今以上正確な「時間計測器」ができたところで、急激に生活が変わる、ということはないでしょう。

我々にとってより身近な問題は、短い時間をより有効に使えないか、あるいはもっと早く時間が過ぎてしまわないか、という卑近な問題のほうがより深刻なテーマであったりします。

人工的に作り出された「秒」の長さや周期は、我々の心臓が脈打つことによって生み出される脈拍よりも短く設定されてしまっているわけですが、この秒周期をもとに時計が刻む音を常に聞かされ続ける、あるいはそれを意識するということは、人間にとって何らかのストレス源になってしまっているのではないか、という指摘もあるようです。

人間は普段意識している「時間の長さ」による心理的な影響を受けることが知られており、また聞かされる「環境音」の周期・リズムから心理的・生理的に影響を受けることも多くの実験で明らかになっているそうです。

さらに自分自身のその時々の脈拍をリアルタイムで聞いていると心地よいと感じるそうで、心地よく感じていることを示す脳波が多く出ることも実験によってわかっているといいます。そういえば、赤ちゃんがお母さんにだっこされると泣き止むというのは、母親の脈拍を聞き取るからだという話を聞いたことがあります。

もしも仮に秒の長さが現在の設定よりもいくらか長く設定され、脈拍と同じ程度になったらどうなるのでしょう。

あるいは、人間の脈拍よりも十分に長くなっていたなら、秒針の音は人をもっとゆったりとリラックスさせるものになるかもしれず、もし本当にそうなったら、古来から決められている一定の「時間」に束縛されている今の生活は根本的に変わっていく可能性があります。

そんなことはいまさらできるわけはないのですが、とはいえ、ちょっとした工夫で「時間」によって束縛されているという感覚を和らげることはできるかもしれません。

現代生活の人工的で短かすぎる時間による過剰なストレスに苦しめられている人は、自然の時間で生きる生活を送るといいます。たとえば人工的な時間を表示する時計類は身体から離して一切眼に入らぬようにし、自然の中で暮らすというのも一つの方法です。

夜は照明を用いず日没後すみやかに眠るようにし、日の出にあわせて起床し太陽光を浴びるようにすると、やがてストレスから解放され治癒される傾向がある、ということが知られています。

旅に出て、旅館に泊まると、たいがい時計が置いてありません。これは、日常から離れて普段とは違う自分を感じてもらうという、旅館側の配慮が長年の間に習慣として定着したものでしょう。

かつて日本人は現代のように分秒刻みの時間に追われる生活をしていたわけではなく、室町時代ごろから江戸時代までには、日の出と日の入(または夜明けと日暮れ)の間をそれぞれ6等分する不定時法が用いられていました。当然、日の出と日の入りの間隔は季節とともに移ろうため、この6等分の時間の配分も当然変わります。

「朝一番」は夏には朝の5時ごろですが、冬には7時となり、「夕飯時・宵の口」も夏では午後7時ごろ、冬では5時と逆転します。このため、「今何どきか?」を数字の時間では表現せず、一日を明方・早朝・朝方・昼方・夕・夕方・晩・夜中・深夜・未明などに詳細に区分して、これを意識して生活していたわけです。

また当日を基準とし、一昨日・昨日・昨晩・昨夜早朝・明日未明・明日・明後日・明々後日(しあさって)・弥の明後日(やのあさって)などの日を単位とした時間の区分もでき、1年区分でも「桃の咲く頃・下り鰹の捕れる時期」などといった表現もあります。

時間や日にち、季節や時節による区分表現を曖昧にすることは一見アバウトなようですが、考えようによってはこれは非常に雅で繊細な時間感覚です。

明治維新以降、戦前戦後、高度成長、バブル期の崩壊、失われた20年と現代に至るまで西洋時間に規定されて生きてきた我々が、今また「原点」を見出そうとするとき、その基本となるのは案外とこうした緩やかな「時間感覚」なのかもしれません。

時の記念日である、今日からでもいい、」「時間」によって束縛されているという感覚を和らげる何等かの工夫を初めてみてはどうでしょうか。

さて、今日は最後に、小椋佳さん作詞作曲の「スタンドスティル」という歌の歌詞をご紹介しておきましょう。私は曲もさることながら、このなんともいえない透明感のある詩が、若いころには大好きでした。

私の世代では、知っている人も多いかもしれませんが、30.40代の世代では馴染の薄いミュージシャンかもしれません。

スタンドスティルは「静止」という意味です。一度立ち止まって、時間を感じてみてください。

トロピカルフィッシュの 泡音の
絶え間ないくりかえしの中で
生き残る時間

同じティーバッグが 垂れている
紙コップにぬるい湯そそいで
薄くする時間

君といられることを だれに感謝しようか

弯曲した道の見はるかす
角のない いらだたしさだけ
はねている時間

壁に掛けたままの一枚の
絵に浮かぶ過去だけが
見えてくる時間

君といられることを だれに感謝しようか

まるででっちあげの 大事の
片付いた祝宴の中で
笑い合う時間

トロピカルフィッシュの泡音の
絶え間ないくりかえしの中で
生き残る時間

君といられたことを だれに感謝しようか