おみくじ 福引 あみだくじ……

参議院選挙が終わりました。

自民党の圧勝という大方の予想通りの結果でしたが、もう少し民主党が頑張るかと思いきや、惨敗ということで、改めて前回担った政権でのふがいなさへの国民の怒りが反映されたかたちです。

しかし、投票率は戦後三番目の低さということで、このことから、投票場へ行かなかった人たちの中には、自民党へ投票したくないけれども、かといって民主党へは入れる気にもなれず、他には後押ししたい政党もなく、仕方なく棄権……という人も多かったのではないでしょうか。

とはいえ、投票した人の中で自民党が多かったのは確かであり、これは、これまでそれなりに成果をあげてきたアベノミクスへの評価とも見るべきかもしれません。

が、勝った自民党も、この投票率の低さを真摯にみて、けっしてすべての国民に肯定されたなどと奢らず、また、かつて自らが民主党政権に打倒されて凋落したときの理由は何だったかを思い出して、今後の政権運営に当たってほしいと思います。

……と、珍しく政治に関しての感想など書いてしまいましたが、このコラムではなるべく政治がらみのことは意識して書かないようにしています。右でも左でも上でも下でもなく、常に中立な立ち位置で物事を考えたいと思っているためでもあります。

などと書くと、なーんだ、ちゅうぶらりんなだけで、自分の意見が言えないのだろう、と言われてもしかたがないので、時には真面目なことも書こうかとも思いますが、今日はやめておきましょう。天気もぱっとせず、気分も乗らないので(結局書く気がない……)。

さて、選挙のことについて書き始めてしまったので、改めて、この選挙とは何ぞやと調べてみました。

言うまでもなく、選挙とは公職に就任する者を選定する行為であり、現代の選挙は投票によって行われることが多いのですが、古くは地方の議員選出などで挙手や起立、喝采などの方法で採決が行われたこともあったようです。

しかし、現在ではやはり投票所に行って票を投じる、という形式が主流となっています。その理由はなんといっても記名投票であれば、ごまかしがきかず、公平性が保てるからでしょう。挙手や喝采では、人数の把握が正確ではなく、多数の有権者を対象とする場合にはさらに不確実性が増します。

こうして1890年(明治23年)に第一回の衆議院議員総選挙が投票で行われて以来、国政選挙などの重要選挙は投票によって行われるというのが普通になっていきました。

それでは、どんな選挙があるかといえば、投票者を誰に置くか、という観点からその分類をみると、選挙には、公選、官選、互選などがあります。

公選とは、今回の参議院選挙などの国会議員などの選挙に見られるように、一般の有権者の投票によって選出する方式で、民選とも言うようです。また、官選とは、日本の政令指定都市の区長に見られるように、国家などの行政機関の指名によって選出する方式です。必ずしも投票で行われるわけではなく、挙手や起立だけで決められる場合もあります。

互選というのは、内閣総理大臣の指名投票がもっともわかりやすい例です。国会議員などの国民の代表者だけで行う投票によって選出する方式で、バチカン市国におけるコンクラーベもカトリック信者のうちの偉い人だけが集まって教皇を選出します。

ところで、投票者による選挙の分類ということになると、もうひとつ、「くじ引き」という方法があります。

くじなどを利用して、立候補者毎に等しい確率で当選者を選出する方式であり、定数が何人であろうと当選者の勢力比の期待値は被選挙権行使者の人口比と完全に等しくなり、よくよく考えてみれば、非常に公平な方式です。

古代ギリシアや室町幕府の将軍の選出などに例があり、室町幕府の場合には、このくじ引きによって、足利義教が第6代目の将軍に選ばれました。

そんなもの現在の日本で行われているわけないよ、と思う人もいるかもしれませんが、日本の公職選挙法にはきちんとくじ引きによる規定が書いてあります。例えば地方自治体の議会では、選挙終了後初めて行う本会議では議長選出選挙を行いますが、その際、最多得票者が複数いて同数の場合はくじ引きとなります。

くじによって「当たる」裁判員制度

このほか、日本だけでなくほかの国でも「陪審員」を選ぶ際などには、得票数が全く同じ場合などには決選投票を行わず、くじ引きで当選人を決定することになっているそうです。

陪審員は、日本の場合では、検察審査員や裁判員のことをさします。検察審査員というのは、検察官が不正をやっていないかを判断するための審査員で、くじによって無作為に選出された国民がこの役割を担います。裁判員のほうは、検察官ではなく、一般人を裁く裁判における審査員を同じく一般国民から選ぶもので、こちらもくじによって選ばれます。

では、よく耳にするこの陪審員と裁判員は何が違うのでしょうか。これは、その昔「陪審員制度」という、アメリカなどで採用されている裁判制度を日本も採りいれていた時代があり、裁判員のことも陪審員と呼んでいたためであり、その名残で現在でもよく混同されて使われるのです。

日本では1923年(大正12年)に陪審法が制定され、1928年(昭和3年)から陪審制度による刑事裁判が行なわれていました。しかし、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)、陪審法は施行が停止され、今日に至っています。

アメリカでの陪審員制度での陪審員に課された責務は、被告が有罪か無罪かという事を、検察や弁護側などが集めた証拠と情報をもとに判断して決めることだけです。陪審員は、「①事実認定」を行うだけで、「②量刑」と「③法律的な評価」を決定するのは、裁判官です。

陪審員制度の場合には、一般市民でも十分に判断できるような材料が事前に揃えられていて、これらの証拠をもとにして裁判官から独立して有罪無罪を判断することが多いようです。

ただ、アメリカの場合は、陪審員制度を採用しているとはいえ、裁判官がすべてを裁量する裁判官裁判も併用されていて、被告が陪審員裁判か裁判官裁判のどちらかを選ぶ権利が与えられています。

日本では、陪審員制度が1943年(昭和18年)に停止されて以来、裁判官裁判だけでした。ところが、2009年(平成21年)に66年ぶりに、刑事裁判制度への市民参加制度が復活することとなり、新たに陪審員制度に代わって導入されたのが「裁判員制度」です。

この日本の裁判員制度では、アメリカのように被告が裁判手法を選ぶことはできず、裁判員裁判しか選べません。ただし、今のところ民事裁判や行政裁判などには適用されておらず、刑事事件を扱う裁判だけで採用されています。

また、裁判員に課されている責務としては、有罪か無罪かを決めることだけではなくて、被告の量刑まで判断する必要があり、このため、その判断基準となる証拠の吟味から始めなくてはなりません。

しかし、日本の裁判員制度は、裁判官が一緒になって、量刑を確定するまでの「①事実認定」をする裁判員を補佐してくれることになっています。

この点が陪審員だけで事実認定をするアメリカと違うところです。その分「らくちん」とはいえますが、ただし、日本では裁判員が②の量刑決定をも行なわなければなりません。裁判官が単独で行うのは③の法律評価だけになっています。

この裁判員制度は、法律的知識と経験のない一般市民には非常に大きな負担にもなりかねないともいわれますが、他国にもあまり例をみない、日本独自の制度だそうで、政府筋を中心としてこれを世界に誇れるものだ、と自慢する人も多いようです。

しかし、これを真に受け、この導入によって、日本もようやくアメリカと同じように陪審員制度が取り入れられていて先進的になった、と考えている人も多いかと思いますが、そこのところはちょっと違います。

今のところ、一般国民からの参加が求められた裁判員が扱うのは刑事事件だけであり、アメリカのように民事裁判での陪審員制度が認められていませんし、欧米の陪審員制度のように事前に集められた詳細な資料をもとに詳しい説明等を受けることもできない点は、むしろ遅れているといえます。

証拠を人に揃えてもらえる陪審員制度に比べて、「量刑」を下さなければならない点でも裁判員にとっては大きな負担であり、裁判員制度によって裁判員になった民間人は、陪審員制度での陪審員よりさらに高度な判断が必要とされるわけです。ただ、その分、裁判所の人がサポートしてくれるというのは心強いことではありますが。

それにしても、裁判については全くの素人である一般人が高度な判断をする裁判員となるわけであり、検察や裁判官の意見や心象に傾いてしまう危険も指摘されています。

普段の生活とはうってかわったこういう公的な場所に引き出され、重い判断をしなくてはならない裁判員制度には、やや否定的な声もあり、導入された現在もいまだに賛否両論こもごもです。

ただ、いずれの制度に一長一短はあるようです。陪審員制度との相違点という観点から現行の裁判員制度を見ていくと悪い面も目につきますが、良い点もいろいろあるようです。

なので、新しい裁判員制度を否定するばかりではなく、もしかしたら、「くじ」に当たって自分が裁判員になる日も来るかもしれない場合に備え、その仕組みについてはこうした違いなども知った上で、よく理解しておけば、「貧乏くじ」に当たったとがっかりすることもないでしょう。

くじの歴史

ところで、この「くじ」というのも、考えてみれば不思議なしくみです。

いったい誰が考えたのだろう、と調べてみたのですが、無論わかるわけはありません。が、古くは古代アテネで、公職者選出のためにすでにくじが利用されていたそうで、リーダー的な人などは除いて、人気のある一部の公職は、希望する市民の中からくじで選ばれていたようです。

日本では、文献に出てくる限りでは、前述のように鎌倉幕府の将軍選びに使われたものが一番古いようです。

このころ、室町幕府4代将軍の足利義持がその在職中に、将軍の座を実子の義量(よしかず)に譲り、5代将軍が誕生しました。しかし、この義量は子供のころから疱瘡を患うなどかなり病弱だったようで、将軍職を継いでからすぐにわずか17歳の若さで死去してしまいました。

酒の飲みすぎで死んだのではないかと言われておおり、15歳の時、父の義持に大酒を戒められ、近臣は義量に酒を勧めないよう起請文をとられたという話なども伝えられています。

こうして将軍義量に先立たれてしまったあと、前将軍の義持が実権を持ち続けていましたが、自らが再度将軍職に就こうとはせず、そうこうしているうちに、息子の死から3年ほど経った42歳のとき、浴室で尻の傷を掻きむしって感染症にかかり、これが原因で重態に陥りました。

臣下の武将たちが後継者を定めるよう、改めて義持に懇願したのですが、義持はこれを拒否し、部下たちがこれを評議して定めるように命じます。群臣たちの評議の結果、義持の下にいた4人の弟のうちの一人を籤引きで定めることが決まり、義持もこれを了承しました

義持が後継を指名しなかった理由としては、息子の義量が死んだあとに、一度石清水八幡宮で籤(みくじ)を引き、その際に男児誕生の結果が出、さらにその日には男児誕生の夢を見たのが理由だったそうです。

このため「もう一度籤を引くことは神慮に背くことになる」と語り、義持自らがくじをひくことを渋ったといいます。

これはどういうことかというと、自分は石清水八幡宮で一度くじを引いており、そのご宣託によって男児が誕生すると信じており、臣下らが作ったくじを自らが引いて新しい将軍を決めるということは、最初のご宣託で示された神の意思を邪険にすることになり、これをやってしまうと世継ぎを新たに得ることはできなくなる可能性もある、と考えたのです。

こうして説明書きを書いていてもわけのわからない論理であり、律儀というか、バカというか、つまりはそういう政治的決断をする能力のない人物だったのでしょう。

このため、結局はこのくじは、部下たちに引かせることになったわけですが、それにしても国政の場で選ぶリーダーをくじによって、しかも部下にそれを選ばせることで決めるとは、将軍も舐められたものです。

しかも、義持は自分が生きているうちは、くじを引くな、と指示したため、将軍職の決定はこうして義持の死後にまで持ち越されることになりました。ただ、幕閣の家臣たちはこれに逆らって彼の死の前にその面前で籤を引いており、義持の死後にこれを開封しています。

こうして、義持の死後、石清水八幡宮において神籤会が催され、義持の弟の中から3男として生まれたために門跡に入ることを強いられ、このため京都東山の青蓮院に入り「義円」と名乗っていた人物が選ばれ、のちの6代将軍、足利義教となりました。

しかし、そんな天下のリーダーをくじで決めているような政権が長続きするわけはなく、この義教から二代あとの、8代将軍足利義政の代には継嗣争いが起こるようになり、これが発端となって室町幕府管領家の細川勝元と山名持豊らの有力守護大名が争う、かの有名な応仁の乱が勃発しました。

やがてこの乱は九州など一部の地方を除く全国に拡大していくことで、室町幕府はどんどん衰退していきました。そして、将軍の権威が失墜すると、その配下の守護大名同士も反目しあうようになってお互いを食いつぶし、その間、国人と呼ばれる在地支配層が台頭していきました。

これらの国人勢力も互いに整理統合されながら、新たに強力な戦国大名が成長し、これが群雄割拠して幕府支配に取って代わるようになり、以後の戦国時代への流れを作っていく事になるのです。

さすがにその後の日本の歴史では、これほど国勢を左右するような場でくじが使われるようなことはなくなりました。そのかわり血で血を洗う凄惨な戦いが長く続き、徳川幕府が成立するまでの中世にこの国は大きく荒廃しました。そう考えると、くじによるリーダー選びのほうがまだましだったかもしれません。

その後の徳川幕府はさすがにくじで将軍を選ぶほど馬鹿ではなく、国を外に向かって閉ざすという暴挙は行ったものの、かえってこれが世界にも類をみないほどの独特の文化をつくることになり、その後265年もの長き間の安泰が続きました。この間、くじによる政治判断というのはほとんど行われることはなかったようです。

が、明治になって西洋の選挙制度が導入されるようになると、くじは再び政治の中でもしばしば使われるようになってきました。以来、現在に至るまで、政治の世界ではごくたまにくじによってリーダーを決められるというシーンがみられます。

例えば、衆議院と参議院の両院協議会の初会の議長の決定でもくじが使われるそうです。各議院の協議委員において、それぞれ互選された両院協議会の議長の初会の議長はくじによって決定すると「国会法」で決められており、実際にそうやって議長が決められています。

このほかにも内閣総理大臣指名選挙というものがあります。

内閣総理大臣は、前述のように議員同士の互選による指名選挙で決められますが、上位2名による決選投票でも獲得数が同数の場合はくじ引きとなります。その方法は、黒玉と白玉を銀紙に包み、それを抽選箱に入れ引いてもらい、黒玉を引いたものがその院における内閣総理大臣指名となると決められているといいます。

ただし、これまで内閣総理大臣指名選挙において、抽選で総理大臣の指名が決まった例は1度もないそうです。が、一度はこういう選挙をみてみたいかも。

また、地方公共団体の長に事故があるとき又は欠けたときの職務代理者、つまり副知事あるいは副市町村長の決定にくじが使われるそうです。ただし、これはその長が代理の順序をあらかじめ定めておらず、また、職務代理者の間での席次の上下が明らかでなく、さらに年齢が同じである場合に限るそうです。

地方自治体の長がくじによって選ばれたというのはあまり頻繁にあることではないでしょうが、過去にはおそらく、長が事故や病気で急死したために後継がくじによって決められた事例もあったかと思われます。詳細には調べていませんが。

宝くじ

さて、現代ではこのくじは、政治の世界以外でも良く使われます。プロ野球のドラフト会議が最も有名なものですし、東京大学の総長選挙でもかつてくじが使われたことがあるそうです。

これは、1989年(平成元年)に行われた総長選挙でのことであり、この選挙は激戦となり、理学部有馬朗人教授と教養学部本間長世教授との間で行われた決選投票で、ともに586票の同数を得て勝負がきませんでした。

しかし、大学の選考内規には、こうした場合にはくじ引きによると明記されており、その結果、有馬教授が第24代東京大学総長に決定したそうです。

このほか、一般大衆に浸透しているくじといえば、おみくじ、あみだくじ、福引などがありますが、やはり、人気一番は宝くじでしょう。

古くは「富籤(とみくじ)」と呼ばれ、950年ほど前の鎌倉時代の文書には既に、大阪府の箕面市にある瀧安寺の「箕面富」というものに関する記述があるそうで、これは金銭の当たる籤ではなく、弁財天の御守「本尊弁財天御守」が当たるといったものだったようです。

富籤は「頼母子(たのもし)」または、「無尽」とよばれる、一種の金融の形態が変化したものだともいわれています。無尽とは、複数の個人や法人等が「講」等の組織に加盟して、金品を定期又は不定期にこれらの講に払い込み、その利息額としての金品を、競り合いや抽選で受け取っていたものです。

しかし、出資者数が少ない場合には獲得額に限度があり、射幸心を充分には満足させられないなどの問題がありました。このため債権金額を大きくし、しかも債務関係が1回限りとすることなどで、より大きな配分額が得られる「富籤」という方法が案出されるようになりました。

ようするに今の宝くじと同じで、人気が出ればたくさんの人が出資してくれ、さらに抽選回数を少なくすれば、当てられてしまったときの出資金額は少なくて済みます。くじを引く人にとっては、回数は少なくなるものの、当たれば金額も大きいためワクワク感満載、というわけで、今の時代のものとその本質は全く変わりません。

しかし、富籤そのものは、これとは別に発達したものです。「富会」といわれ新年の縁起物としての行事として行われていたもので、自身の名前を書いた木札を納めその中から「きり」で突いて抽選したのが始まりと言われています。

当選者はお守りが貰えただけでしたが、やがて前述の無尽とも結びつき、次第に金銭が副賞となり、やがては賭博としての資金収集の手段となっていきました。

江戸時代には、公儀の許可を得た寺社が勧進のためという理由で富籤を発売していましたが、明治になり刑法が制定されて、一律禁止となりました。

しかし、第二次世界大戦中の1945年7月には、国が「戦費調達」という理由で「福券」や「勝札」という名前で発売し、復活しています。 物資不足のため、副賞の賞品は、タバコやカナキン(キャラコともいわれる純綿の綿織布)などだったそうですが、その後敗戦してしまったため、とうとう抽選は行われることはありませんでした。

しかし、戦後、1948年(昭和23年)に「当選金付証票法」によって地方公共団体が宝くじを発売することが許可され、「宝くじ」の名前を得て復活。このときの副賞の賞品は住宅一棟だったそうです。

この段階ではまだ政府が宝くじを発行していましたが、1954年(昭和29年)には政府がくじを発行する制度を廃止。その後、1964年(昭和39年)に財団法人日本宝くじ協会を発足させ、ご存知のとおり、以後は宝くじの発行手続きはここが一手に担っています。

その後、当選金は徐々にエスカレートし、1968年(昭和43年)には一等の当せん金が1000万円だったものが、1987年(昭和62年)には6000万円になり、1996年(平成8年)にはついに、1等の当選金が1億円に達しました。

昨年の2012年に発売された「東日本大震災復興宝くじ」では、1等の当選金はついに3億円になり、4月には、「当選金付証票法」が更に改正されました。

これにより、当選金の最高額がそれまでは額面の100万倍だったものが、250万倍にまではねあがり、その適用第1号となった「サマージャンボ宝くじ」で1等の当せん金はなんと、4億円に達しています。

今年から新たに発売された「ロト7」では、1等当選金はついに、史上最高の8億円に達し、5月17日に行われた抽選では3口の当選者が出て、このうちの2口は香川県観音寺市の宝くじ売り場から出たということが新聞にも報道されて、この売場は一躍有名になりました。

私自身は、ギャンブルはやらない主義であり、パチンコはもとより、賭け麻雀、ポーカーの類も一切やりません。宝くじも自ら買ったことはなく、何かのパーティーで、ビンゴで当たり、貰ったことがあるくらいで、無論、このくじは当たりませんでしたが、自分の運なんてそんなもんだろう、と思っています。

ケチ臭いやつだ、と思われるかもしれませんが、人間には性というものがあります。私の場合、前世でさんざんギャンブルをやって、相当にひどい目にあったので、現生ではそちら方面には興味が行かないようになっているのだと信じています。

が、我が奥様はどちらかといえばお好きなようで、といっても発売されるたびに買うというほどのマニアでもないようですが、時折買っていらっしゃいます。が、ご自分の小遣いで買われているようなので、こちらも文句を言う筋合いはありません。

前に確か、一万円だか何がしかの額があたったことがあり、その収益の一部でご馳走していただいたような記憶もあるので、これに味を占め、いまさらやめろという気もありません。

が、自分ではやろうとは思いません。というのも、生来の性癖もありますが、その収益金の一部は無駄に使われているという感覚がどうしてもあるからです。

この宝くじの購買による収益金ですが、その発券事務などは前述の財団法人宝くじ協会がやっているものの、「発売元」は都道府県などの自治体と政令指定都市だけということになっており、当せん金支払い分と財団への事務経費を差し引いた残りである宝くじの収益金は、すべて発売元の自治体の収入になります。

サマージャンボ宝くじなどの一部の例外はあるものの、政令指定都市で販売された分についてはその全額がその政令指定都市の収益となり、それ以外の市区町村で販売された分についてもこの市区町村が属する都道府県に、それぞれ納められます。

ということは、例えば仙台市内の発売所で発売したロト6の収益金は政令指定都市である仙台市のものとなり、仙台市周辺のこれ以外の市町村の発売したものは、宮城県の収益になります。

収益金の使い道は法律で決められており、主にいわゆる「箱もの」整備の財源に税金の代わりとして使われていますが、最近では、高齢者福祉などいわゆる「中身」事業の財源に充てられるケースもあります。

じゃあ、政令指定都市ではない一般市町村にはまったくお金が行きわたらないかといえばそうでもなく、都道府県から、各市区町村における売上げ実績や財政状態などに応じて、各市区町村に「市町村振興補助金」として分配されるそうです。

したがって、市区町村の中には、日常から広報誌で宝くじの宣伝を行うところも多く、ジャンボ宝くじの時期になると、「○○ジャンボ宝くじは○○市内の売り場で買いましょう」と、非常にうるさくそのキャッチフレーズを広報に載せるケースも多いようです。

宝くじの収益金が黙っていても入る政令指定都市に比べ、そのすぐ側にあっても、県からのお情けがなければ、そのおこぼれをいただけない一般市町村にとっては死活問題化であるためです。

が、必死になるのはわかるのですが、いやしくも公務員たるものが、おおっぴらにギャンブルを広めている姿というのは、あまり印象が良いものではありません。

加えて最近の宝くじのコマーシャルは限度を超えているようにも思います。

繰り返し繰り返し同じコマーシャルを流せるのはそれだけ人気があり、それなりの収入があるからでしょうが、この不況下で頑張っても収益があがらない企業がいっぱいあるというのに、それを尻目に有名俳優やミュージシャンを使って大々的なコマーシャルを打つ神経には呆れてしまいます。

とはいえ、2008年度の宝くじ売り上げは1兆419億円にも上ったそうで、その内訳は当選金45.7%、経費14.2%であり、残りの40.1%が収益金として自治体に配布されたそうです。自治体へ570億円近い収益金が流れたことになり、無視できない数字です。

この不況下に税金収入の少ない地方自治体にとってはなくてはならない財源でしょう。ここのところは黙って目をつぶってあげてもしかたないかな、とは思います。

しかし、さらにこのうちの「経費」は、日本宝くじ協会、自治総合センターの2公益法人へ流れており、自治体の収益金からはさらに、全国市町村振興協会、自治体国際化協会、地域創造、自治体衛星通信機構などの4公益法人へ事業資金が拠出されているそうです。

これら6公益法人の歴代理事長43人全員が所管の旧自治省、総務省からの天下りであることが明らかになっているそうで、その収益を上げたのが地方の市町村であるとすれば、こうした官公庁総ぐるみで彼らの豊かな生活を支援してさしあげているにほかなりません。

しかも全国各地に作られていて、無駄であると指摘のある「箱もの」の建設費の多くは、これらの法人へ経費として払われたものの中から支出されたものも多く、さらに我々がよく公園でみる遊具などでもときおり、これらの法人の名前を目にすることがあります。

必要なものなら文句はいいません。が、誰も訪れることのないような寂びれた公園に泥にまみれて誰にも見向きもされない、誰も掃除をしないベンチや遊具がどれだけたくさんあるでしょうか。

私が宝くじを買わないのはそうしたことが理由でもあります。

さて、政治がらみの話はあまりしたくない、といいながら、最後のほうはそんな話になってしまいました。

選挙の話などをすればおのずからそうならざるを得ないのは予感していましたが、ま、仕方がないといえば仕方がないか。時にはこうした政治向きの話も良いかもしれません。

が、そうした話をできるだけしなくて済むよう、自民党さんには頑張って欲しいもの。先行き不安ではありますが、いまは信頼していくしか仕方がなさそうです。

ちなみに私は……○○党に入れました。自民党でないのだけは確かです。みなさんはどちらに投票されたでしょうか。それ以前の問題として、投票場に行きましたか?