卒業、引越し、そして入学・・・

伊豆へ引っ越してきて、一か月あまりが経ちました。この一か月ほどは、これまでの人生の中でも、一二を争うほど騒々しく、落ち着きのない日々でしたが、それは、自分たちの引越しだけでなく、一人息子の高校卒業と大学入学、そして引越しと重なったためでもあります。

引っ越しした3月11日は、奇しくも昨年の東関東大震災の当日でしたが、その前日は、一人息子君の高校の卒業の日でもありました。卒業式当日は雨模様でしかも、かなり気温の低い一日で、卒業式の行われた息子の都立高校の体育館の中も人でぎっしり詰まっているというのに、かなり寒い。周りの父兄を見渡してみると、やはり皆さん寒かったらしいく、みなさん、ひざの上にマフラーやら上着やら、それらがない人は書類のフォルダを載せて寒さをしのいでいるご様子・・・

さて、式そのものは粛々と行われ、特段変わったものではありませんでしたが、今年度赴任してこられたばかりの新任の校長先生の卒業生への送辞が少しく印象的でした。中ごろまでは淡々と送る言葉を述べられ、普通の送辞でしたが、その後徐々に熱い口調に変わり、時おり感極まったように言葉を詰まらせ、最後は少し涙声になりながら惜別のことばを述べられ、送辞を終えられたのでした。

この校長先生は、都立高校としては初?の試みで、公務員ではなく、一般企業出身の人から募集して、校長に採用された方です。
東京都は、昨今の荒れた教育現場をなんとか改革したいと考えているようで、教育現場の古い体質や形態を変えるべくいろいろな試みをしています。息子の通っていた高校も、もとは工業高校でしたが、単なる工業高校としてではなく、総合的なビジネススクール?のような学校をめざしたかったようです。従来の工業高校の多くが「モノづくり」を教えることに重きを置いていたのに対し、コンピュータ教育やビジネス、デザイン、モノづくり、そして大学受験も視野に、という形に変え、息子君はその新しく生まれ変わった学校の三期性ということになります。

また、東京都は、学校の形態だけでなく、教師の側にも改革のメスを入れようとしているようで、生徒や父兄の側から先生に「通信簿」をつけるような制度もあり、我々が高校生だった時代に比べると、ずいぶんリベラルになったな、という印象です。民間の大手のOA企業に務めていたという新しい校長先生は、おそらく、こうした改革のさなかにあって、校長先生ご自身、多くの期待を内外からかけられていたと推察されます。

卒業式の送辞で流されたその涙は、これまで手掛けてきた改革の第一歩を終えたことへの安堵感の表れだったのでしょう。しかしまた、いろいろな試行錯誤の中でいろいろ悩みつつ、自ら練り上げたた教育方針をもって最初に育て、その最初の「成果」として世に送り出すことになった卒業生に対する思いが、言葉を詰まらせたのだと思います。少し長めでしたが、熱のこもったスピーチも大変良かったと思いますし、心をこめて指導にしてきてくださったことは十分に理解でき、こちらも少し目頭が熱くなりました。

この日、総勢300人ほどの若者がそれぞれ見つけたばかりの道を旅立っていきましたが、その中の一人であるわが子は、その翌日の我々の引越しのさなか、彼の進学予定の大学近くの下宿へ一人で旅立って行きました。実は我々の引越しに先立ち3度にわたって大学のある千葉のほうに彼の下宿を探しに出かけていて、2月末までには下宿を特定し、3月に入ってからは、一人暮らしができるよう、少しずつ荷物を運びこんでいたのです。

親元の実家から学校に通う大学生も多い中、独立させて一人暮らしをさせることにしたのには理由があります。無論、我々自身が東京を離れ、自由に暮らしたいと願ったためではありますが、それならば我々が住むことになった静岡周辺で進学先を選んで貰うという選択もあります。しかし、そうしなかったのは、私自身がやはり高校を卒業してすぐに親元を離れ、一人暮らしを始めたことで、故郷では味わえないいろいろな経験をすることができたことや、いろんな出身地の友人を持つことができたことが理由です。

私の場合、このときからの一人暮らしが原因で、その後多少なりとも「根無し草」になったような側面はあります。とはいえ、その後いろんなところに住み、多くの人と出会い、さまざまな組織にかかわってみて、人やモノや人生に対する考え方をあらゆる角度から見直す習慣ができたという点においては、大正解だったと思っています。「かわいい子には旅をさせよ」という言葉どおり、息子も世の荒波で洗われ、大きく成長してもらいたいと願うのです。

ま、しかし、そうはいってもたかが大学生。親に出してもらった金で勉強させてもらっているのだからまだまだ半人前・・・といっても本人は、もうひとりで生活できるんだー、てなもんで意気揚々なもんでしょうが。・・・人生はそんなにあまくないぞ~ これからまだまだ、苦しいことやしんどいことが山ほどまってるぞー

と、本人に声を大にして言ってやりたいところですが、まあ、そのうち、いやでもいろんな経験をすることになるさ、ということで、高校卒業後、とくに「教育的指導」らしきものもせず、そのあとに行われる大学の入学式に備えることにしたのです。

息子君の大学の入学式は4月2日に東京の武道館で行われる予定になっていました。その前の3月の終わりのころには引越し荷物の片づけもかなり進んでいたので、居宅の周りを散策する余裕もできました。我々の住む別荘地には隣接して、「修善寺虹の郷」や「修善寺自然公園」といった観光スポットがあるほか、すぐ麓には修善寺温泉街や伊豆洋らんパークとかもあり、見どころ満載です。沼津や三島などの大きな町へは30分ほどで行けますし、東海岸への伊東へは40分ほど、横浜だって、東名を使えば一時間ちょいで行けます。

日常の生活品や食料品は、この別荘地のすぐ下にある「大仁(おおひと)」という町でで、たいがいのモノが買えます。昔は金山で栄え、明治期以降は大手の企業が進出してできた企業城下町だそうで、伊豆中部以南では最大の町です。しかし、ちょっとしゃれたものや、大きなものは、沼津や三島などのより大きな町に行くことになります。新居で使う家具や小物を買うために、これまでも頻繁にこれらの町に出かけました。

そのうちのひとつ、三島にある、「サントムーン柿田川」は三島駅の南約2.5kmほどのところにあるショッピングモールで、大規模なホームセンターとショッピングモール、大型スーパー、映画館などが入った複合施設です。土日には近隣の住民でごったがえすのですが、平日はガラガラで、これで採算がなりたつんかいな、と思うほど。とはいえ、平日でも人気のモールは人でごったがえす東京とは違い、人ごみの大嫌いな私にとっては、ありがたい限りです。

そして、この施設へ行くことにはもうひとつ大きな魅力があります。それは、ここから歩いて数分のところにある、、「柿田川湧水群」です。富士山の湧水が数百か所も噴出していて、全国でも屈指の湧水が出る「清流源」であり、散策する場所としてもとても魅力的な場所。サンムートンでの買い物のついでに、タエさんとは初めて二人いっしょに行ってきましたが、その様子はまたこのブログでお知らせしましょう。

さて、4月2日の息子の大学入学式。会場は北の丸公園にある武道館。朝10時のスタートの前の9時半すぎには、多くの父兄と新入生が会場を埋めはじめ、10時には広い武道館の1,2階の観客席は8割ほどが埋まりました。武道館といえば、いろいろな大物シンガーのコンサート会場として有名ですが、その名のとおり、いろんな武道の全国大会が行われる場所でもあります。皇居の北側にある北の丸公園の中にあり、都会の真ん中とは思えないほど緑豊かな環境の中にあります。時間があればじっくり散策してみたかったのですが、その日は残念ながらその暇はなさそうです。

息子の選んだ大学は、工学系の大学なので、およそ8割ほどが男子学生。ほとんどが黒っぽいスーツ姿で、さすがに私服の子はいません。我々二人もスーツに身をつつみ、入学式を「観戦」しました。しかし、とくにこれといって特徴のある催しがあるわけでもなく、学長をはじめとする学校関係者からの祝辞のことばと、新入生の答辞など、高校の卒業式と同じく、こちらも粛々、淡々と式次第が進み、二時間ほどで無事、終了しました。

都内御茶ノ水に本部のあるこの大学は、100年以上の伝統があるそうで、最後の催しの「応援団」による歓迎儀式でその歴史の長さを若干見せてくれました。なかなか古風な学ランに身を包んだ応援団員十数人が登場。副団長、団長の順に会場にとどろきわたるほどの大声で、新入生へエールを送り、バックが演武。それをみごとな手さばきの太鼓が盛り立てる・・・というパフォーマンス。団員が小走りで登場するユーモラスな姿や副団長のエールの言葉が悪ガキ口調なことなど、少し現代風でコミカルな面もありましたが、応援そのものはなかなか堂に入っていて、演技が終わると父兄からもさかんな拍手が送られていました。

式後、会場前で息子と記念写真を撮った後、東京駅の近くで昼食をとり、新生活の様子などを話題に40分ほども過ごしたでしょうか。これで、ついこの間まで、毎日いっしょに飯を食っていた息子と別れることになるわけですし、いわんや、毎日一緒に暮らすこともこれからなくなるわけです。亡くなった先妻やタエさんと一緒に育ててきた一人息子の旅立ちを前にして、正直言って少しおセンチな感情もありました。が、息子のほうはサバサバしたもので、食事が終わり、東京駅近くで車から降りる段になると、さっさと手を振って行ってしまいました。

・・・伊豆への帰路、その日は早朝から伊豆を出て上京してきたので二人とも結構疲れていて、助手席でタエさんは爆睡状態。運転中の私はさすがに寝るわけにもいかず、淡々と高速を走らせていました。息子の卒業式や入学式を終えた今、引越しも一段落したこの後の伊豆での新生活がどんなものになっていくのか・・・これまでのことを思い返すにつけ、今後のことに対してもいろんな思いが浮かんできます。

ただ、不安はなく、これまでできなかった、いろいろやりたいことに対する期待が7割。残る3割は残る人生において、これから起こることに対して、何やらよくわからん勇んだ気持・・・とでも言うのでしょうか。伊豆への移住を完了した今、そうした気持ちの意味もまだまだ整理がついていませんが、このブログの中でよく考えながら、また少しづつ書いていくこととしましょう。