もうすぐ11月……


10月も終わりに近づきました。明日の10月31日は、ハロウィンです。

ハロウィンは、ハロウィーンとも発音され、英語表記でも“Halloween”,“ Hallowe’en”のふたつあり、欧米諸国でも統一されていないみたいです。

もともとは、古代ケルト人がやっていたお祭りが起源だと考えられています。

ケルト人というのは、紀元前1200年以上の大昔に、中央アジアの草原から馬や、車輪付き戦車、馬車などを持ってヨーロッパに渡来した「ケルト語」を話していたという民族です。

青銅器時代に中部ヨーロッパに広がり、その後期の紀元前1200年~紀元前500年ごろから、鉄器時代初期にかけて、ここに「ハルシュタット文化」という文化を築きました。

しかし、この当時、ヨーロッパの文明の中心地はギリシャやエトルリアであり、このためケルト人たちは彼等からの大きな影響を受け、その結果このハルシュタット文化は紀元前500年~紀元前200年に隆盛を迎える「ラ・テーヌ文化」に発展していきます。

やがて紀元前1世紀頃に入ると、このころ既にヨーロッパ各地に広がっていたケルト人たちは、各地で他民族の支配下に入るようになります。とくに現在のドイツ人の祖先、ゲルマン人の圧迫を受けたケルト人は、西のフランスやスペインに移動し、紀元前1世紀にはローマのガイウス・ユリウス・カエサルらによって征服されます。

その後、500年にわたってローマ帝国の支配を受けたヨーロッパ西部ののケルト人たちは、被支配層として俗ラテン語を話すようになり、ローマ文化に従い、中世にはゲルマン系のフランク人に吸収され、これがやがてフランス人に変質していきました。

ケルト人は、無論、現在のイギリスであるブリテン諸島にも渡来しました。ローマ帝国に征服される以前のブリテン島には戦車に乗り、鉄製武器を持つケルト部族社会が幅を利かせていました。

しかし、西暦1世紀ころ、イングランドとウェールズもまたローマの支配を受けるようになります。しかし、このローマ人たちはその後イングランドに侵入したアングロ・サクソン人に駆逐され、アングロサクソンの支配の下でイギリスにおけるローマ文明は忘れ去られていきました。

ただ、同じブリテン島でも西部のウェールズはアングロサクソンの征服が及ばず、それ以前に隆盛を誇っていたケルト人の文化が残り、このため古代のケルト語が残存しました。

このほか、ブリテン島北部のスコットランドやアイルランドは、まったくといっていいほどローマの支配すら受けなかった地域であり、このため、現在でもケルト人の色濃い地域です。

こうして、現代に継承された「ケルト人」の国というのは、これを残存するケルト語派の言語が話される国と定義するのであれば、アイルランド、スコットランド、マン島、ウェールズ、及びブルターニュの人々ということになります。イギリスを中心としたヨーロッパ北西部の地域に住まう人たちです。

ただ、これら5ヶ国の人々の中で、いまだにケルト系言語を使って日常的生活を送る人の数は30%程度を超えないそうです。またアイルランド以外のケルト人の国は、より大きい異民族の国家に併合された上、本来の母語を話す人が次第に減少していっています。

しかし、ハロウィンのような風習だけは、廃れないまま現在も受け継がれています。

この古代ケルト人が発祥といわれるハロウィンというお祭りですが、もともとはケルト人の1年の終りが10月31日であり、この夜は死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていたことに由来します。

ケルト人たちはこの時期に、死者以外にも、地獄から有害な精霊や魔女が出てくると信じており、これらから身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていました。

古代ケルトのケルト人社会にはドルイドと呼ばれる祭司がいました。ドルイドの社会的役割は単に宗教的指導者にとどまらず、政治的な指導をしたり、公私を問わず争い事を調停したりと、ケルト社会におけるさまざまな局面で重要な役割を果たしていたとされています。

そのドルイドがもともと持っていた風習がハロウィンに変わっていきました。ドルイドたちの信仰では、新年の始まりは冬の季節の始まりである11月1日のサウィン(Samhain)祭でした。そして、普通は月の始まりがスタートと考えるところですが、彼等はその前日の日没こそが新しい年の始まりだと考えていました。

したがって、この祭りは「収穫祭」として毎年10月31日の夜に始まりました。ヨーロッパの中でもとくにアイルランドと英国に住んでいたケルト人のドルイド祭司たちは、この日の夜に火をつけ、作物と動物の犠牲を捧げるとともに火のまわりで踊りました。こうした儀式を行うことで、太陽の季節が過ぎ去り、やがてやってくる暗闇の季節の中でやってくる悪霊たちに備えようとしたのです。

というのも、1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていたからです。

この祭典では悪霊を退散させるためには、とくにかがり火が大きな役割を演じました。更にこの祭典で村民たちは、屠殺した牛の骨を炎の上に投げ込みました。かがり火が燃え上がると、村人たちは他のすべての火を消して厳粛にその夜を過ごしました。

さらに11月1日の朝が来ると、ドルイド祭司は、各家庭にこの火から燃えさしを与えました。人々はそれぞれこのかがり火から炎を持ち帰り、自宅の炉床に火をつけ、かまどの火を新しくつけて家を暖め、これによって彼等が「シー(Sith)」と呼んだ妖精などの悪霊が入らないようにしたのです。

ケルト人たちの間でこうした祭典がある一方で、紀元1世紀ころにブリテン島にローマ人が侵入してきたとき、彼らは女神ポモナを讃える祭りという風習をケルト人たちにもたらしました。

偶然ですが、この祭りもまた11月1日頃に行われていたため、このあとこのポモナ祭りもまたハロウィンの行事のひとつとして定着していきました。ポモナとは果実・果樹・果樹園の女神で、そのシンボルはリンゴです。現在もハロウィンではダック・アップルと呼ばれるリンゴ喰い競争が行われるのはこれが由縁です。

またハロウィンのシンボルカラーである黒とオレンジのうち、オレンジはポモナに由来するとの説があり、また黒のほうは、古代ローマの死者の祭りであるパレンタリア(Parentalia)におけるシンボルカラーが黒であったからだともいわれています。

ところが、イングランド南部でせっかく定着しかけたこのハロウィンの習慣は、17世紀以降、同じ時期に祝われるようになったガイ・フォークス・デイに置き換わり、廃れていきました。ガイ・フォークスについては以前このブログでも少し書きましたが、国王ジェームズ1世らを爆殺する陰謀を企てた人物で、実行直前に露見して失敗に終わり、捕えられて処刑されました。

これにちなんだ祭事が毎年11月5日にイギリス各地で開催されるようになり、これと同時期に行われていたハロウィンのほうがあまり流行らなくなったのです。しかしながら、スコットランドおよびイングランド北部においては広く普及したままでした。

こうした一方、ヨーロッパからアメリカへ移住する移民が増えると、ハロウィンはむしろアメリカのほうでよく祝われるようになりました。

ハロウィンがアメリカの年鑑に祝祭日として記録されたのは19世紀初頭以降のことです。これ以前では、このころのアメリカの中心地であったニューイングランドでは改革派のピューリタンが幅を利かせており、彼等はハロウィンに強く反対していました。

しかし、19世紀になりアイルランドおよびスコットランドからの大量の移民がやってくるようになり、やがてアメリカ中でハロウィンが定着していきました。

ハロウィンは、アメリカでは19世紀半ばまで特定の移民コミュニティ内部のイベントとして行われていたようですが、徐々に主流社会に受け容れられ、20世紀初頭には、社会的、人種的、宗教的背景に関係なく、あらゆる人々に普及していきました。

やがて東海岸から西海岸へと浸透していき、やがてはこのアメリカが世界の大国となっていく中で、その風習は全世界へと広められていったのです。

しかし、その二次的な発祥地と目されるアメリカでは、現代では民間行事として定着しているだけであり、本来もっていた宗教的な意味合いはほとんどなくなっています。

ただ、古代ケルトのサウィン祭はアイルランドのキリスト教会に影響を与えていたため、アメリカに移住したアイルランド人たちが信奉していたカトリック教会も、彼等の民族の根幹にかかわるこのお祭りを民衆から取り去ることはできませんでした。

このため、カトリック教会にもともとあった「諸聖人の祝日」である11月1日の前夜祭をハロウィーンとして民衆のために残すことにしたのです。

諸聖人の日は、もともと東方教会に由来するもので、カトリック教会では609年に導入され、当初は5月13日に祝われていたものですが、8世紀頃から英国やアイルランドでは11月1日にすべての聖人を記念するようになったものです。

ハロウィンという名称も、もともとはキリスト教でいうところの「諸聖人の日前夜」です。これはこれ以後に用いられるようになったと考えられていますが、ハロウィンという用語が現在のように巷に定着するようになったのは、ずっとあとの16世紀ころと考えられています。

しかし、現代のキリスト教会では、ハロウィンの習俗がキリスト教的ではないとの認識ではおおむね一致しています。

たとえばカトリック教会では「諸聖人の日」が祭日とされていますが、10月31日のハロウィンは祭日ではなく典礼暦(教会暦)にも入っておらず、教会の宗教行事・公式行事として行われることはありません。

ただ、宗教には関係ないと割り切って、参加してもよい、あるいはキリスト教の行事ではないことを明確にし、娯楽として楽しむのならよいとしています。

カトリック信者の中にはキリスト教の伝統の中でなおも保持された風習に、キリスト教的意義を見出すことが大事と考えている人も多く、起源・歴史を知り、真実を伝えていくことが大切と考えている人もいるようです。

一方のプロテスタントもまた同様ですが、完全否定まではしないもののあまり積極的にハロウィンを祝おうという機運はなく、どちらかといえば否定派が多いようです。いくつかの福音派は完全にハロウィンを否定しています。

プロテスタントでハロウィンに否定的な人たちは、キリスト教信仰とは無縁、むしろ対立する恐ろしい悪魔崇拝であると考え、死神と邪悪な霊をたたえ、傷害事件まで誘発しているとまで考えているようです。

とはいえ、民間の風習としてのハロウィンは、現代では主にアイルランド、イギリス、アメリカ、カナダ、ニュージーランドでさかんに行われており、オーストラリアの一部でも広まっています。

これらの国ではハロウィンが盛大に祝われますが、アイルランド以外はプロテスタント信者が多いせいもあって、その翌日にあたるキリスト教の記念日である諸聖人の日には、通常これといった行事は催されないのが普通です。

こうしたプロテスタント諸国では宗教改革によってカトリック教会の祝日である諸聖人の日が徐々に廃れたためであり、ハロウィンのみが残された格好になっています。アメリカの一部キリスト教系学校では、ハロウィンがキリスト教由来の行事ではないことから、「ハロウィンを行わないように」という通達が出されることさえあるそうです。

しかし、こうした宗教の違いによる肯定・否定はともかく、ハロウィンはクリスマスと同じく、季節の風物詩を示す民間行事として欧米の人達の間ではなくてはならないもののようです。

主として肯定派たちが行事として行う、トリック・オア・トリート (Trick or Treat)の習慣もまた、楽しいものです。

この習慣は、ヨーロッパでその昔、クリスマスの時期に行われていた、soulingと呼ばれる「酒宴」の習慣から発展したといわれています。

カトリック教会では、先述の11月1日の聖者の日の翌日の2日は「死者の日」とされており、古くは「万霊節」と呼ばれていました。

この日に、信者たちは「魂のケーキ(soul cake)」を乞いながら、村から村へと歩いていたといい、物乞いをして施しを受けるときには、その代償として亡くなった家族や親類の霊魂の天国への道を助けるためのお祈りをしました。

これは、さきの古代ケルト人が、サウィン祭のとき徘徊する幽霊に食べ物とワインを残す風習を持っていたことに由来します。が、やがてこの魂のケーキの分配はケルトの人々の酒宴に変化していきました。

しかし、酒宴に変わったとはいえ、その基本的な考え方は慈悲を持って霊を救うというキリストの教えと合致したため、カトリックに代表されるキリスト教会はこれを奨励するようになっていきます。

とはいえ、教会で酒宴を行うわかにもいかず、このため本来の習慣に立ち戻って食べ物とワインを捧げることになり、やがてはこれを信者に求めるために、村々を回るようになりました、

しかし、時代が下がるにつれてこの食べ物はより現実的な菓子のようなものになり、さらに年月を経ていくうちにワインも姿を消し、やがてはケーキだけとなり、このケーキも現在のように飴や駄菓子などへと変わっていき、物乞いをする相手もご近所さんへと変わっていったわけです。

現在では、魔女やお化けに仮装した子供達が近くの家を1軒ずつ訪ねては、「トリック・オア・トリート(Trick or treat. ご馳走をくれないと悪戯するよ)」と唱えて回ります。

また、ハロウィンの催しとしては、冒頭の写真にもあるようなジャックランタンづくりが定着しています。

これは、この11月2日の死者の日に因み、その前々日の31日のハロウィイの夜から、カボチャをくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャックランタン(Jack-o’-lantern)」を作るというものです。

このほか、カボチャの菓子を作り、子供たちは貰ったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりもします。お菓子がもらえなかった場合は報復の悪戯をしてもよいということになっています。

このカボチャですが、ハロウィンにはオレンジ色のカボチャをくりぬき、刻み目を入れ、内側からろうそくで照らしたものを造ります。最もハロウィンらしいシンボルといえます。

カボチャを刻んで怖い顔や滑稽な顔を作り、悪い霊を怖がらせて追い払うためであり、ハロウィンの晩、家の戸口の上り段に置かれます。

正式には「ジャックランタン(Jack-o’-Lantern)」といい、読み方もジャック・オ・ランターンのほうが正しいようです。日本語では、お化けカボチャ、カボチャちょうちんなどと言われることもあるようです。

ハロウィンの本場のスコットランドでは、もともとはカボチャを使わず、カブの一種である「スィード(swede)」を用いました。現在のようにカボチャが多くなったのは、二次的な発祥地となったアメリカではカブよりもカボチャのほうが栽培に適していたためでしょう。

もともとは、「ウィル・オー・ザ・ウィスプ(Will o’ the wisp)」を象徴したものといわれます。ウィルオウィスプ、ウィラザウィスプともいい、世界各地に存在する、鬼火伝承の名の一つです。青白い光を放ち浮遊する球体、あるいは火の玉であり、イグニス・ファトゥス(愚者火)とも呼ばれます。

他にも別名が多数あり、地域や国によって様々な呼称がありますが、いずれも共通するのは、これが見られるのは夜の湖沼付近や墓場などであるということです。近くを通る旅人の前に現れ、道に迷わせたり、底なし沼に誘い込ませるなど危険な道へと誘うとされています。

その正体は、生前罪を犯した為に昇天しきれず現世を彷徨う魂、洗礼を受けずに死んだ子供の魂、拠りどころを求めて彷徨っている死者の魂、ゴブリン達や妖精の変身した姿などなどいろいろな言い伝えがあります。

その意味は「一掴みの藁のウィリアム」または「松明持ちのウィリアム」だそうで、このウィリアム(ウィル)というのは、死後の国へ向かわずに現世を彷徨い続けた男で、この鬼火はこの男の魂だという伝承もあります。

ウィリアムは生前は極悪人で、遺恨により殺された後、霊界で聖ペテロに地獄行きを言い渡されそうになった所を、言葉巧みに彼を説得し、再び人間界に生まれ変わります。

しかし、第二の人生もウィリアムは悪行三昧で、また死んだとき死者の門で、聖ペテロに「お前はもはや天国へ行くことも、地獄へ行くこともまかりならん」と言われ、煉獄の中を漂うことになります。

それを見て哀れんだ悪魔が、地獄の劫火から、轟々と燃える石炭を一つ、ウィリアムに明かりとして渡しました。この時からウィリアムは、この石炭の燃えさしを持ち歩くようになり、その石炭の光は人々に鬼火として恐れられるようになったといいます。

が、これはあくまで伝承です。この鬼火の正体は、球電(自然現象)と言う稲妻の一種、あるいは湖沼や地中から噴き出すリン化合物やメタンガスなどに引火したものであるといわれています。日本でも人魂現象としてよく知られています。

このほか、ハロウィンといえば仮装です。ハロウィンで仮装されるものには、幽霊、魔女、コウモリ、黒猫、ゴブリン、バンシー、ゾンビ、魔神、などの民間で伝承されるものや、ドラキュラやフランケンシュタインのような文学作品に登場する怪物が含まれます。ハロウィン前後の時期には、これらのシンボルで家を飾るのが習わしです。

また、日本ではあまり行われませんが、先述のダック・アップル (Duck Apple)もまた欧米でハロウィンらしい行事のひとつです。またの名を、「 アップル・ボビング(Apple Bobbing)」ともいい、ハロウィン・パーティーで行われる余興の1つであり、水を入れた大きめのたらいにリンゴを浮かべ、手を使わずに口でくわえてとるリンゴ食い競争です。

このほか、アガサ・クリスティの書いた「ハロウィーン・パーティー」の中ではこのリンゴ食い競争の他、昔から代々伝わってきたゲームとして、小麦粉の山から6ペンス硬貨を落とさないよう小麦粉を順番に削り取る「小麦粉切り」や、ブランディが燃えている皿から干しブドウを取り出す「スナップ・ドラゴン」(ブドウつまみ)などが紹介されています。

さて、こうしたハロウィンは、日本では、2000年頃まではハロウィンは英語の教科書の中もしくはテレビで知られるだけの行事であり、現在ほどさかんなものではありませんでした。

しかし、クリスマスと同様にアメリカで行われる娯楽行事のひとつとして日本でも定着し、多くのイベントが催されるようになり、さらなる娯楽化、商業化が進んでいます。

ハロウィンのパレードとしてはJR川崎駅前の「カワサキ・ハロウィン・パレード」などが有名であり、このパレードでは約3000人による仮装パレードで約10万人の人出を数えるそうです。1997年より毎年のように開催されています。

また、東京ディズニーランドでも、1997年10月31日に園内に仮装した入園者が集まるイベント「ディズニー・ハッピーハロウィーン」が開催されて以降、10月になると恒例のイベントとして行われるようになり、現在では時期も早まって9月初旬から始まるそうです。

欧米系島民が多数在住する東京都小笠原村父島では、島民の秋のイベントとして定着しており、幼年の子どもたちの大多数が参加するほどの盛況ぶりを見せているといい、このほかにも、欧米系村民が多数存在し、海外からの観光客も多い長野県白馬村では、毎年10月の最終日曜日に村民ボランティアによって「白馬deハロウィン」が行われています。

今やこの時期になるとどこのお店へ行ってもお化けカボチャのディスプレイを飾るのが通例になっていて、ハロウィン関連の商品の売れ行きも上々のようです。

それが別に悪いともいいませんが、それにつけてもちょっと流行るとすぐ右へ倣えをしてしまうところは、いかにもミーハーな国民性だなと思ってしまうのは私だけでしょうか。

ま、こうした行事によって季節感が感じられるのは悪いことではなく、この行事が行われるということは今年もあと二か月なんだなと、時の移ろう速さを教えてくれる指標でもあります。

そう、今年もあと二か月です。そろそろ年賀状の心配もせねばならず、同窓生の忘年会のセットもありで、何かと忙しい季節ではあります。そうそう、今のうちから大掃除もしておきましょう。庭の手入れもしかりです。

が、何を一番先にやるべきでしょう。皆さんは、あと二か月を何を優先してお過ごしでしょうか。