メッセージ

柿田川湧水にて

今年の初め、修善寺へ引っ越す前の話ですから、もうかれこれ三か月以上前のことになります。引っ越し前の荷物の山に囲まれて、夕方このブログを書いていたときのこと、突然電話が鳴りました。見知らぬ番号の主だったので、少し出るのを躊躇しましたが、引越しの手続き関連の電話かもしれないと思い出てみると、それは我々と同じくらい?の年配らしい女性の方でした。

申し訳なさそうに、ご用件を切り出されたその方のお名前はMさん。めずらしいお名前なので、よくお聞きする、どうやら昔務めていたPインターナショナル社の先輩社員の奥様のようです。P社は私が大学を卒業して最初に努めた会社で、通算8年ほど勤めて退社しました。円満退社でしたので、その後も元同僚や先輩方とは折につけお会いする機会も多かったのですが、Mさんはその後海外出張が多かったため、なかなかお会いできずにいました。所属部署も違ったため、それほど多くの仕事をご一緒しませんでしたが、妙にウマが合い、その当時はプライベートではお酒などもよく飲みに行ったものでした。が、ここしばらくは、年賀状だけでのおつきあいになっており、ときおりお顔を思い出す程度になっていました。

いまごろ何のご用件だろうと思いお伺いすると、ご主人あてに今年の正月に私から年賀状が届いたのだが、そのお返事ができずに申し訳なかったとのこと。ご本人からの電話ならともかく、奥様が電話とはもしや・・・と思い、さらにお聞きすると、不安は的中でした。Mさんは昨年の9月末に癌で亡くなったそうで、どうやらその当時の所属部署が違っていたので、会社関係者へのご葬儀の連絡も、私には来なかったようなのです。また、奥様が出された年末の喪中ハガキの宛先名簿の中からも私の名前が漏れていたため、その日になってようやくMさんの死を知ることになったのです。

奥様は喪中ハガキが届かなかったことへのお詫びを口にされましたが、逆に私のほうこそ、疎遠になっており、亡くなられたことも知らずに逆に恐縮している旨を伝えました。さらに亡くなられて日もまだ浅く、ご心中まだ穏やかでないだろうとも思い、日々まだまだおつらいだろうと思いますが・・・と慰めのことばもさしあげました。

奥様は、私とMさんとの関係もはっきりご存知なかったようで、その昔はMさんと一緒に仕事もし、大変お世話になったことなども伝えると、ああ、そうでしたか、同じインターナショナルにお勤めでしたか・・・とすこし打ち解けたご様子。

Mさんとはその昔、私がまだ入社浅かったころ、山形沖の離島で、とある調査に一緒に携わり、二週間ほど、同じ宿に缶詰になったことがあります。調査は船を出して行う海洋調査だったため、海がシケると船が出せず、何日も宿で待機。その間、することもなく、夜は自然と酒盛りになり、Mさんともずいぶん打ち解けて、いろいろな話をしました。それがきっかけになり、所属していた部署は違うものの、その後は仕事だけでなくプライベートでも仲良くさせていただき、会社があった渋谷ではほかの友人たちともつるんで、よく一緒に飲みにいったものです。出身は福島で、少しなまりのあるその口調で私をからかうのですが、酔いが進むとさっぱり何を言っているのかよくわからなくなり、まるでお経でも聞いているようでしたが、本人は上機嫌、私もとても楽しい酒だったことを覚えています。真面目な性格でしたが冗談好きで人懐っこく、およそ高飛車なところがないので、だれからも愛された人でしたが、私自身も、ともかくよくかわいがってくれた先輩社員の一人でした。

P社退社後は、私自身も海外留学をし、お互い別々の国にいることも多く、すれ違う一方でしたが、その後、私が帰国して、努めていた別の会社の仕事で半蔵門のあたりを歩いていたときのことです。通りの向こうから、あの人懐っこい顔をくしゃくしゃにして、Mさんが現れました。なんでもすぐ近くにある財団に用事があって来たとのことでしたが、それにしても広いこの東京の中で偶然出会うなんて、奇遇だねーとか言いながらも二人で再会を喜んだものです。そのときはお互い時間もなく、ゆっくり話もできませんでしたが、考えてみればそれがMさんにお会いして話をした最後だったかもしれません。

奥様にもそうしたお話を少ししたかと思います。電話をいただいた側なので長話も失礼かと思ったのですが、私自身、8年前に家内を亡くし、その当時はとても辛かったけれども、その後なんとか気持ちも立て直していったこと、そして再婚をしてもうすぐ静岡へ移住することまでも、お時間を借りて、ついついお話ししてしまいました。

すると、先方もかなり打ち解けられたご様子で、旦那様が亡くなられた近況をとつとつとお話になりはじめ、実は・・・と涙声になりながら、ご主人が亡くなってからかなり気落ちをされていること、東京を引き払ってご実家のある九州へ一人で帰ろうかと思っていることなどを打ち明けてくださいました。私も先妻を亡くして息子と二人になったときは、東京を離れ、実家の山口に帰ろうかと思っていた時期もあります。そうした辛い時期を経験したものの、今ようやく落ち着いた日々が来ていることなどもお伝えしたところ、少し落ち着かれたようでした。

そのときは、引越し間際でいろいろ忙しかったこともあり、最後にまたいずれお線香でもあげさせて頂きにまいります、と社交辞令的なご挨拶を申し上げて電話を切らせていただきました。電話を切ったあと、しばらくMさんのことなど思い出していましたが、それとは別に、電話をくださった奥様にもっと何か言ってさしあげられなかったかな、と少し後悔めいた思いがこみ上げてきました。実はその時の電話で、多少スピリチュアル的なことも申し上げようかとも思ったのですが、初めてお電話をいただいた方にそうしたお話をするのも気が引けましたし、そういう世界に理解を示さない方も多いことから、そのときは思いとどまりました。が、電話を切ったあとにどうしてもそのことが引っかかるのです。

そのあともどうしても気になり、一時間ほど経ってから、とうとう思い切って電話履歴先にお電話を差し上げることにしました。少しとまどったご様子で奥様が出られ、どういうふうに切り出そうかなと思いましたが、実は私が先妻を亡くしたときに、ある方から紹介していただいた本があるので、もしよろしければ読んでみてはいかがでしょうか、と申し上げました。奥様は少しびっくりされたようでしたが、実は、今私はこれからどうしようかと思い悩んでいたところなので、そういう良い本があるのならば、ぜひ読んでみたいとおっしゃってくださいました。

その本とは、飯田史彦さんの「生きがいの創造」という本です。以前このブログでも書きましたが、飯田さんがまだ福島大学の教授の頃に書かれた本で、まだスピリチュアルということばが世にあまり浸透していない時代でしたが、これまで累計で60万部のベストセラーになっています。

本の中身については、以前も紹介しましたのでここで再度詳しくは述べませんが、あの世に行った人たちも自分たちも肉体を介さない限りは同じ世界に生きていて、かつその関係ははるか昔の前世からのものであることも多いことなどを実例をあげながら、説明されています。愛する人に旅立たれた人や人生に思い悩んでいる人たちのために、その苦悩がどういう意味を持っているのか、そしてこれからどう生きていくかをいろんな角度から説かれており、「生きがいの創造」というタイトルもそうしたスピリチュアルな観点から人生を見つめなおしてもらいたい、という著者の希望からつけられました。

私自身、この本のおかげで妻の死から立ち直れたといっても過言ではなく、その後、すっかり飯田さんのシンパになってしまい、それ以外にもスピリチュアルなことについて触れた本を探して読んだり、関連するサイトにも数多く目を通すようになりました。

しかし、Mさんに電話を差し上げたのは、Mさんも私と同じようになってほしい、というよりも、私自身、苦しいことが多かった時代に、そういう考え方(あちらの世界と前世)もある、ということを少し考えてみるだけで、落ち込んだ気持ちがかなり楽になった経験からです。飯田さんも書かれていたと思いますが、そういう世界があるかないかを信じる信じないは別として、今自分が生きている意味や愛する人と別れることになった意味を、こうした本を通じて深く考えてみることで、気持ちがずっと楽になる。電話ではお話しませんでしたが、こういう経験をMさんにもしていただきたかったのです。

幸い、Mさんは私の紹介を快く受け入れてくださり、早速本屋に行ってみます・・・とおっしゃってくださいました。その結果がどうなるかはわかりませんでしたが、ともかく、何やら義務を果たしたような気になり、その日ようやく私自身も気持ちが楽になりました。

・・・その後、一か月近く経った夕方。引っ越す直前だったと思いますが、再びMさんからお電話が入りました。お電話の内容は、本を読んで大変気持ちが楽になったこと、私が再度電話を差し上げたことに対してのお礼などなどでしたが、驚いたのは、実は奥様はその本を、以前読んだことがあったらしく、私に勧められるまでそのことをすっかり忘れていたということでした。

なんでも亡くなったMさん自身が、こんな本があるよ、と生前奥様に薦めていたらしく、その当時は薦められるままに読んだものの、得心はいかなかったとのこと。しかし、今回改めて同じ本を読んでみてその内容を思い出し、その当時は納得がいかなかったことが、今はすっかり理解でき、そのおかげで気持ちが至極楽になった、ということでした。

これはきっと、亡き夫のことを嘆き悲しまれる奥様を見て、Mさん自身があの世で私のことを思い出し、奥様の気持ちを和らげるために私に電話をさせるようにしむけたに違いない、ある意味では、Mさんからのメッセージだったのかもしれませんよ、という意味のことを奥様に申し上げたところ、奥様はうれしそうに、そうそう、私もそう考えていたところです、とおっしゃってくださいました―――

・・・これは、たまたまなのか、偶然なのか、はたまた必然なのか・・・については、いろいろな考え方もあろうかと思います。が、死後の世界が我々の生きている世界とつながっていて、亡くなった方は現生に残された方のことを忘れないで見守っていてくれている、と考えることができれば、それは本当に心強いことです。そんなことはない、そんな非科学的なことは信じない、と我を張っている人に比べれば、素直に信じて、自分もそういう世界の一部だと考えることができれば、人生はもっと楽になる・・・ これは、飯田さんも同じ意味のことを「生きがいの創造」の中で書かれていたと思います。

今日はそうした世界のことを、私の生活の一エピソードから少し垣間見てみましたが、いかがだったでしょうか。ここ数年、私自身が50歳を越したこともあり、比較的歳の近い友人や知人の訃報がときどき届くようになりました。最近は、そのたびにその死が周囲の人や私自身に対してどういう意味を持つのか、を考える癖がついてしまいました。が、それは悪いことではなく、自分の人生を考える意味でも大切なことだと思っています。人の死に際してだけでなく、日常起こるいろいろなトラブルや逆に良いことも、何かきっと意味のあるメッセージと考える・・・そうすればもう少し人生が楽しくなるのではないでしょうか。