セブン

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1月も今日で終わりです。

昨年末の母の骨折に始まり、せわしなく始まった新年でしたが、さらにその後の母のリハビリ病院への転院、別荘地内の新年会へのはじめての出席、そして先日の広島での姪の結婚式への出席と、例年になくめまぐるしい年の始まりでもありました。

いずれのイベントでも、新たな出会いがあり、これだけ年のはじめから人との交流があることも珍しく、どうやら今年はそういう巡り合いの一年になりそうな予感です。

先日、広島に行った折には、いつもカウンセリングをして頂く霊能者のSさんにもお会いし、今後のことを見立てていただいたのですが、そのとき彼女に言われたことも印象的でした。

曰く、「自分のやりたいことを実現していくためには、人に会う機会を増やしていくべきであり、少なくとも「7人」の人に会った方が良い。自分の夢を実現するためには、7人の人に会え、といわれている。出会いによって自分を成功させるために会うべき人の数は、確率論的にも平均「7人」である」、と。

伊豆へ帰ってきてからもこの言葉が気になっていて、いったい「7人」の根拠は何だろうと思ったので調べてみたのですが、Sさんが「いわれている」とおっしゃるほどの根拠らしいものはみつかりませんでした。

ただ、仏教では、人が死ぬと、初七日以降の一週間ごとに、「7人の仏様」に出会ったあと、成仏する、という考えかたがあり、この7週間がすなわち「四十九日」ということになっています。

この間出会う仏様とは、初七日忌の「不動明王様」を始めとして、以下のようになっているようです。

初七日忌・不動明王(ふどうみょうおう)
二七日(二週)・釈迦如来(しゃかにょらい)
三七日(三週)・文殊(もんじゅ)菩薩
四七日(四週)・普賢(ふげん)菩薩
五七日(五週)・地蔵(じぞう)菩薩
六七日(六週)・弥勒(みろく)菩薩
七七日(四十九日)・薬師(やくし)如来

最初の初七日忌に出会うという、不動明王は、憤怒の表情とその劫火で、人の悪い心を蹴散らし焼き尽くすと言われています。が、人が亡くなって最初に会った際に、「よろしくおねがいします」とご挨拶すれば、そのお顔が優しくなると言われているそうです。

また、二週目の釈迦如来は、言わずと知れた2600年前にインドに生まれ、仏教を創始し広めたお釈迦さまのことです。

我々と同様にこの世で苦しみ、また悲惨な状況をたくさん見て、何とか人々を救いたいと願って修行した末に、悟りを開いた方で、人を苦しめるものには、怒りや悲しみや不安など色々ありますが、その感情も究極的には「愛」の変形したものであることを教えてくれます。

三週目の文殊菩薩、これは智慧の仏様として知られ、「三人寄らば文殊の知恵」という言葉があるほど、頭脳明晰な仏様です。計算能力や豊富な知識は無論、人として大切なこと、この宇宙の法則など、とても学校では教わることのできない大切なことを教えてくれます。そして、我々が及びもつかないような高い知識、高次の意識を学ばせてくれます。

四週目、普賢菩薩 。これは、上の文殊菩薩様の弟さんにあたる仏様です。文殊の知恵に対して、行願(ぎょうがん)を与えてくれるといわれます。慈悲深い仏さまで、行願とは、つまり私たちの願いのことです。「何になりたいの?」と問いかけてくれ、この仏様に出会うと、これに答える形で願望達成能力も一段と高まります。

五週目の地蔵菩薩。これは、「お地蔵さま」の名で親しまれている仏様です。あちらにいらっしゃる仏さまの中でも、とくに子供たちの世話を担当している仏さまです。いわば保育園の園長、あるいは担任の先生のような存在です。

ここを通過する幼くして亡くなった子供や、いわゆる「水子」などを励ますとともに、大人で亡くなった人にも「教育」を授けてさらに上に登っていくことを助けてくれます。

六週目、弥勒菩薩。これは、京都・広隆寺と奈良・中宮寺に同名の菩薩像があり、これをイメージする人も多いでしょう。「未来を守る」仏さまで、将来の人類救済のためにこの世に出現されると予言されています。古い習慣を打破し、新しい可能性に導いてくれ、すべてのことは、次の瞬間には変わり、すべては変化する、ということを教えてくれます。

最後の四十九日目に登場するのが、薬師如来です。この仏様は、左手に薬の壷を持つ「お薬師さま」です。病気平癒の力を持つ如来様で、飛鳥時代から広く人々の信仰を集め、 大医王仏(だいいおうぶつ)とも呼ばれています。 奈良・薬師寺のご本尊さまとしても有名です。無論、薬の神様で、ここからあの世に旅立つ魂に薬を授けてくださいます。

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仏教では、以上の7人の仏様に出会った後、人の魂は「精霊」となり、仏の世界の一員としても認められて、あちらの世界で永住ができる、ということになっているようです。

無論、私は仏教徒ではありませんから、これを信じているわけではありませんが、Sさんがおっしゃった、これから出会うべき7人とは、まさにこうした能力を持った人かもしれない、と思いめぐらしたりしています。

悪しき心を正し、愛と智恵と慈悲、そして教育を与え、未来を指示し、最後にこの世を渡っていくために必要な「薬」を与えてくれる、そういう人達に会いなさい、というわけです。確かにそういった人達に出会うことができれば、どんなことでも成功できるに違いありません。

人の心には「仏性」がある、とよく言われますが、7人の人に出会いなさい、というのはその7人を通じて、その心の中にある7人の仏様に出会いなさい、という教えかもしれません。

このほか、7人といってまっさきに思い浮かぶのが、黒澤明監督の映画作品、「七人の侍」でしょう。東宝が1954年(昭和29年)封切り公開した時代劇で、白黒ではありますが、207分にも及ぶ超大作で、1957年の第29回アカデミー賞で美術賞(白黒部門)と、衣裳デザイン賞を受賞しています。

日本よりも海外での評価の高い作品で、アメリカの西部劇である「荒野の七人」は、実はこの黒澤監督のオリジナル作品の権利許諾を得た正式リメイク作品でもあることはかなり有名です。

このほかにもその後のアメリカでは、この映画に触発されて「地獄の7人」「黄金の七人」「宇宙の7人」などなどの諸作品が作られており、中国でも「セブンソード」といった作品があります。

日本でも望月三起也作の漫画、「ワイルド7」がこの映画に着想を得た作品として知られ、このほかにもタイトルに「7」の数字は出てこないものの、登場人物が7人といった作品多数あります。70年代に放映されたテレビ漫画の「ガンバの冒険」などがそれであり、そういえば、「男女7人夏物語」なんてトレンディドラマも流行りましたっけ。

腕利きの7人の個性的なプロフェッショナルが、弱者を守る、秘宝を盗むなどの目的のために結集して戦う、というこの映画のプロットは、こうした「7人モノ」の映画・ドラマの原点とも言われており、また本作を通じて侍の精神や武士道の考え方なども海外に影響を与えています。

「スター・ウォーズ」のジェダイの騎士は七人の侍のキャラクターを元に創作されたとこれを製作したジョージ・ルーカスは述べているそうです。

それにしても、黒澤映画ではなぜ7人ではならなかったのか、について調べてみたのですが、黒澤監督もこれについてはとくに明らかにしていないようです。

ただ、故井上ひさしさんとの対談で、どうやったらこのような絶妙なシナリオが書けるのか問われたのに対して、この脚本の根底にあるのはトルストイの「戦争と平和」である、その中からいろいろなことを学んでいる、と黒澤監督は答えたそうです。

「戦争と平和」というのは、19世紀前半のロシアを舞台に、この時代に起こったナポレオンによるロシア遠征と、これに続き起こったロシアとフランスをはじめとするヨーロッパ諸国との戦いなどの歴史的背景を精緻に描写しながら、1805年から1813年にかけての、あるロシア貴族の3つの一族の興亡を扱ったものです。

主人公とその恋人の恋と新しい時代への目覚めを中心におきつつも、その周辺に彼等にまつわる多数の登場人物を置いたいわゆる「群像小説」であり、この戦争の時代に没落していったロシア貴族から、大地の上で強く生き続けるロシアの農民の生き様までを力強く書きあげ、世界の文学史に残る名作といわれています。

その主要な登場人物は14~15人に及び、到底7人というキャラクターには絞り込めないと思われるのですが、黒澤監督はその非凡な才能を生かし、不要なものを切り取るとともに重要なテーマを生かし、より分かりやすい時代劇へと変貌させていったのでしょう。

「戦争と平和」は、その表題に由来して不条理に思える戦争と紛争、そこに巻き込まれた人々の問題を考えるときに、この「戦争と平和」という表現がしばしば引用されてきましたが、7人の侍もまた、戦国時代を背景に生きぬく侍や百姓などの人物像を見事に表現しきり、以後の日本映画に影響を大きな影響を与え、最高傑作といわれるまでになりました。

こうしたことも考え合わせると、あらためて7人という数字は、人の生きざまを表わすには適度な数字だと思えてきます。先の仏教の例もしかりであり、ラッキー7ともいわれるほど、7という数字は縁起が良い数字とされており、7人に会え、とおっしゃったSさんの御教示は、なるほど正しいのかも、と一層思えてきました。

ところで、7といえば、ひところに「7つの習慣」というビジネス書が出版されて、ヒットしました。原題は、“The 7 Habits of Highly Effective People”であり、著者は、スティーブン・R・コヴィーというアメリカの経営コンサルタントです。

ハーバード・ビジネス・スクールでMBA取得後、ブリガムヤング大学にて博士号取得。 ブリガムヤング大学で教鞭をとり、経営管理と組織行動学の教授を務めたあと、コンサルタントとして世間一般人も指導するようになりましたが、イギリスの「エコノミスト」誌によれば、今、世界で最も大きな影響力を持つ経営コンサルタントと評されているそうです。

「7つの習慣」の原著の初版は1989年ですが、日本では1996年に翻訳版が出版されました。累計130万部を売り上げベストセラーとなり、また日本語を含む44ヶ国語に翻訳され、全世界では2000万部の大大ベストセラーとなっています。

フランスの有名経済紙、「フォーブス」が2002年に「もっとも影響を与えたマネジメント部門の書籍」のトップ10に選んでおり、日本のビジネス誌「プレジデント」でも2008年に「どの本&著者が一番役立つか」という特集をしたときに1位に選んでいます。

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実は私はまだこれを読んでいないのですが、このブログを書いている部屋の書棚には、ちゃんと一冊あり、「そのうち読もう本」の一つになっています。

読んでもいないのに、ここで紹介するのもなんですが、今日のテーマである「7」にちなんで、ついでに紹介しておくこととしましょう。コヴィー博士の提唱する7つの習慣とは以下です。

第一の習慣・主体性を発揮する (Habit 1 Be Proactive)
第二の習慣・目的を持って始める (Habit 2 Begin with the End in Mind)
第三の習慣・重要事項を優先する (Habit 3 Put First Things First)
第四の習慣・Win-Winを考える (Habit 4 Think Win/Win)
第五の習慣・理解してから理解される (Habit 5 Seek First to Understand, Then to Be Understood)
第六の習慣・相乗効果を発揮する (Habit 6 Synergize)
第七の習慣・刃を研ぐ (Habit 7 Sharpen the Saw)

この7つの習慣をひとつひとつ説明している暇はないのですが、ふと気が付くと、さきほど紹介した仏教で説いている、死後に出会うという7人の仏様のキャラクターと、この7つの習慣が類似しているような気がしてきました。

第一の習慣である、「主体性を発揮する」というのは、自分の身に起こることに対して自分がどういう態度を示し行動するか、自らで決める、ということであり、問題解決において強い意志を持って、心の中の悪心を蹴散らしながら進む、とういことで不動明王に通じるものがあります。

また、第二の習慣、「目的をもって始める」は、人生の最後のイメージ、光景、パラダイムを持って今日を始めることであり、これはお釈迦様が率先して我々に教えてくれたことにほかなりません。

第三の習慣、「重要事項を優先する」、これもまた文殊菩薩が与えてくれる計算能力や豊富な知識を持てば、目標を具現化でき、自由意志を発揮し、毎日の瞬間瞬間において目標を実行することができるようになるわけです。

第四の習慣である「Win-Winを考える」もまたしかり。Win-Winの原則を支える5つの柱「人格」「関係」「合意」「システム」「プロセス」は、何になりたいの?と語りかけてくれる普賢菩薩が与えてくれる行願の智恵にほかなりません。

第五の習慣、「理解してから理解される」とは、相手を理解するように努め、その後で、自分を理解してもらうようにすることです。これは人と人との触れ合う場、言い換えれば教育の場などで与えられるべき智恵です。教育を司るお地蔵さんと相通じるものがあります。

第六の習慣、「相乗効果を発揮する」。相乗効果とは、全体の合計が各部分の和よりも大きくなるということです。

自分と他人との意見に相違が生じた時に、自分の意見を通すのでなく、他人の意見に折れるのでもなく、第三案を探し出す、ということです。これは古い習慣を打破し、新しい可能性を導きだす、ということでもあり、その方法を教えてくれる弥勒菩薩にも通じます。

最後の、第七の習慣、「刃を研ぐ 」。これは武装する、という意味ではなく、人の持つ4つの資源である、肉体、精神、知性、社会・情緒を維持、再新再生するという習慣です。具体的な例としては、運動(肉体)、価値観に対する決意(精神)、読書(知性)、公的成功(社会・情緒)などがあげられます。

これだけは、病気平癒の力を持つという薬師如来とはつながらないようにも思えますが、よくよく考えてみれば、薬というものは、肉体や精神、知性、情緒といたものを平癒するためのものです。ここでもやはり仏の教えと相通じるものがあるといえるのではないでしょうか。

以上は私の勝手な解釈にすぎず、多少無理があると思われる向きもあるかもしれません。が、改めて自分で書いたものをみる、私としては意外とすんなり受け入れられるものがあります。

もしかしたら、コヴィー博士もまた、仏教の教えからこの七つの習慣を導いたのでは、などと考えてしまいますが、それはさすがに勘ぐりすぎでしょう。

が、西も東も問わず、7という数字とそれにまつわる事象には、なにやら不思議なパワーが秘められている、と感じるのは私だけではないでしょう。

そういえば、キリスト教には「7つの大罪」というのもあります。傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲がそれですが、これをテーマとしたサスペンス映画で「セブン」というのもありました。

サスペンスというよりも猟奇殺人事件を扱ったホラーに近い内容ですが、これを製作したデヴィッド・フィンチャー監督もまた、その後世界中でもっとも有名な監督のひとりとなりました。が、この映画の内容は、七人の侍とは何の関係もありません。

さすがにこの七つの大罪と七人の仏様を結びつけるのは無理があるでしょうから、やめておきますが、案外とその解釈において仏様が消し去ってくださる罪として理解できるものなのかもしれません。

今度時間があったら、またその紐解きもやってみようかなと思いますが、今日のところは少々多忙なのでやめておきます。もしみなさんのほうで、時間がおありでしたら、ぜひやってみてください。

ちなみに、この7つの大罪に関連するのは、仏様ではなく、7人の悪魔です。かつてのブログ、「メランコリー」にも関連記事あるので、参照してみてください。

さて、2月になります。みなさんも7つの習慣を実行する準備はできましたでしょうか。

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