ロシアは女尊?

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なんということでしょう。

ここは本当に伊豆か?という景色が眼下に広がっています。

これでもだいぶ融けたのですが、昨日の朝には我が家の目の前の道路は完全に雪で陥没。苦労してクルマを出したのですが、それでもウチの車が四輪駆動でスタッドレスを履いていたから出せたのであって、同じ別荘地内では、当分買い物にも行けないお宅もかなりありそうです。

しかも、この降雪の影響なのか、伊豆市周辺ではあちこちで停電が発生しているようで、昨夜我が家でもここへ引っ越してきて初めて2時間ほど停電しました。

また、昨日もそうでしたが、今朝も防災無線で、伊豆市から中伊豆方面へのバスは終日運休だとのお知らせがありました。その他の路線でも今日もまだ運休しているダイヤも多いことでしょう。

中伊豆にあるリハビリ温泉病院に今、骨折した母が入院しているのですが、今日、そこへ辿りつけるかどうか、心配です。

あちこちで除雪車が引っ張りだこになっているようですが、もともと伊豆はこれほど大雪が降るような場所ではなく、除雪車そのものの台数も限られているようです。当分伊豆の交通網は混乱したままでしょう。回復するのは明日以降でしょうか。

この連休を利用して、伊豆方面へのお出かけを予定している方、くれぐれも道路情報に気をつけるとともに、冬用タイヤをお持ちでない方は、チェーンをお忘れなく。

さて、テレビをつけてみると、折りも折り、そこにも同じ雪国の風景が広がっています。先週末から始まったソチオリンピックです。彼の地の絶景とともにいろんな競技の様子をほとんどのテレビ局が放映しています。

内も外もまるで雪だらけ。まるで別世界に送り込まれたようで、不思議な気分です。

ところで、今日2月10日は、奇しくもちょうどこのオリンピックを開催しているロシアと日本が戦った日露戦争が勃発した日です。

この戦争は当時の大日本帝国と帝政ロシアとの間で、朝鮮半島と満洲南部の覇権をめぐって発生したものです。

ちょうど110年前の今日、すなわち1904年(明治37年)2月10日、日本政府からロシア政府への宣戦布告がなされました。しかし、この宣戦布告の二日前の8日には、すでに戦闘は始まっており、現中国の旅順港にいたロシア旅順艦隊に対する日本海軍駆逐艦の奇襲攻撃(旅順口攻撃)が行われていました。

戦闘は、その後、旅順要塞攻囲戦・黄海海戦・遼陽会戦と続き、クライマックスともいえる日本海海戦において日本の連合艦隊がバルチック艦隊を打ち破り、これをもってトータルでは日本が辛くも勝利するという形で終了。

両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年(明治38年)9月5日に締結されたポーツマス条約により講和しました。

その後、ロシア帝政は、革命によって滅び、共産党によるソ連邦の形成と崩壊後、現在のロシア連邦に落ち着いており、今回のオリンピックも、プーチン大統領が率いるこの新生ロシアの旗のもとに史上初めて行われた冬期オリンピックということになります。

開催地であるソチは、黒海に面したヨーロッパでも有数のリゾート地です。スターリンをはじめ、歴代のソビエト連邦やロシア連邦の指導者たちの別荘があり、プーチン大統領もソチの別荘で毎年のように夏期休暇を過ごしているそうです。

また、イタリアの政治家シルヴィオ・ベルルスコーニ氏も休暇を過ごすために毎夏ソチを訪れているといいます。雄大なカフカース山脈の他にも、美しい砂浜や温暖な気候による亜熱帯風の植生に恵まれ、帝政時代に築かれた美しい公園やスターリン時代の様々な建築物などは、休暇を過ごす人々に大変人気があるといいます。

ところで、日露戦争当時、ロシア帝国はこのソチが面する黒海に「黒海艦隊」という艦隊を持っていました。日露戦争勃発後、これを遠く極東まで廻航させ、日本海海戦に参加させようという計画がありました。

しかし、当時日英同盟を結んでいたイギリスなどの圧力により、黒海艦隊はボスポラス海峡を通過することができず、帝政ロシアは結局この計画を断念。それでもなんとか、黒海から軍艦を出そうとしましたが、結局商船に偽装した仮装巡洋艦数隻を脱出させることしかできませんでした。

このため、黒海艦隊は日本海海戦には参加できず、そのせいもあってヨーロッパにあったロシア艦船で日本海海戦に参加できたのは、北欧のバルト海にあったバルチック艦隊だけになりました。

その勢力が減った分、日本はこの戦闘を有利に展開することができましたが、黒海艦隊がもし参加していたら、日本海海戦における日本の圧勝はなかったかもしれません。

無論、この海戦において日本海軍は圧倒的な兵員の錬度と卓越した戦術を持っており、また下瀬火薬というこの当時世界最高威力をもった炸薬を入れた砲弾を使用しており、それらの総合力によってこの勝利に寄与したということは歴史家の多くが認めるところでしょう。

日本海海戦によって、バルチック艦隊はほぼ全滅し、ロシアは敗北を認めてポーツマス条約の締結に合意しましたが、この敗戦はその後の帝政ロシアの衰退を招く要因となり、ロシア革命を許すことにもつながっていきました。

日露戦争において、黒海艦隊はとうとう出動することはありませんでしたが、この革命後にもたいした出番はなく、その後のソビエト連邦時代に至るまで、ほぼ無傷のまま大部分が温存されていきました。

革命前のロシア帝国時代には、この黒海艦隊の兵員は多くがウクライナ人で占められており、1917年の時点で構成員の80 %を占めていたそうです。このため、ロシア革命後では黒海艦隊は長らく独立状態に置かれ、反ロシア共産党派についた時期があったといいます。

しかし、その後ソ連邦に接収され、1965年ころからは段階的にその割合は減ぜられ、ロシア人の割合が上昇していきました。

ソ連邦になって、アメリカとの冷戦期に入ってからは、この黒海艦隊にもようやく出番が回ってくるようになり、しばしば黒海から地中海へ艦艇を継続的に進出させて、アメリカ海軍やイギリス海軍を牽制する役割を果たすようになりました。この時期、米英海軍艦艇との接触事故も何度か発生しています。

やがて、このソ連邦も1991年に改革派のボリス・エリツィンが台頭するようになり、連邦を構成していた各共和国は、そろって連邦を脱退する中、ソ連邦は解体の方向に向かい始めました。同年12月25日にはソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、ソビエト連邦は事実上崩壊します。

その過程において、黒海艦隊の主要基地であったセヴァストポリ軍港が、ソ連邦から独立したウクライナの領地になったことから、艦隊の帰属が宙に浮くことになりました。

セヴァストポリというのは、ソチから西へ500kmほど離れた黒海のほぼ中央に突出するクリミア半島の先端に位置する町です。現ウクライナの首都は内陸にあるキエフですが、このセヴァストポリはこれに次ぐ中堅クラスの都市です。

黒海艦隊の帰属をめぐっては、長らく新生ロシアと独立したウクライナの二国間で協議が進められた結果、艦隊の分割と基地の使用権に関する協定が結ばれました。この協定により、黒海艦隊は2017年までセヴァストポリに駐留することが認められ、ロシア海軍はウクライナ領に基地を残すことに成功しました。

しかし、その期限もあと3年と迫っており、その存続は注目を集め始めているところです。ただ、現在のウクライナは親露派の地域党党首、ヤヌコーヴィチ氏に率いられており、おそらくはこの地での黒海艦隊の残存は決定的でしょう。

この黒海艦隊が縄張りとする黒海は、言うまでもなく、ロシアにとってはヨーロッパ各国からの侵略を防ぐうえでは最重要な海であり、そこに駐留する黒海艦隊もまた非常に重要な軍隊です。

しかし、黒海艦隊はソ連邦の崩壊後、十分なメンテナンスが行われなかったことから、老朽化が進んでいるといわれ、約40隻の在籍艦艇中、稼動状態にあるものは20隻程度でしかないといわれます。

しかも、黒海の東部には、ロシアから独立後もかつての旧主国との争いの絶えないグルジアがあります。2008年8月のような武力紛争が再び発生した場合には黒海艦隊が海上優勢の確保や輸送を担わなければなりません。

このためロシア海軍は今後10年間で黒海艦隊の近代化を重点的に進める予定で、フリゲート艦や潜水艦、大型揚陸艦を含む20隻を新たに配備して、兵力増強を図る予定だといいます。

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ここで、この黒海の地理的な側面をみてみましょう。

黒海はヨーロッパとアジアの間にある内海であり、マルマラ海を経てエーゲ海、地中海に繋がっています。黒海に面する国は、南岸がトルコで、そこから時計回りにブルガリア、ルーマニア、ウクライナ、ロシア、グルジアです。

どちらかといえば、日本人には馴染の薄い地域といえますが、その南岸のアナトリア半島を「小アジア」と呼んでいるように、ここから東へ向かうシルクロードを通じて、かつてはアジアともつながりの強かった地域です。

面積は約44万平方キロで、これはイベリア半島に位置するスペインとほぼ同じくらいの面積になります。意外なことに、その最大水深は2206mもあります。

「黒海」の名称はその黒味を帯びた海水に由来します。ちなみに地中海はトルコ語でアク・デニズ (白い海)というそうです。

その名の由来である、黒い色をした海水は、硫化鉄によっててきているとする説と、地中海よりも豊富な微小藻類によるとする説があり、なんとまだその成因ははっきりわかっていないそうです。

いずれにせよ、その層水は充分な酸素と栄養塩を含むため豊かな生態系を擁しており、さかんに漁業も行われています。漁獲高は年25万トンから30万tに上り、その3分の2がアンチョビで、残りはアジやイワシ、ニシンやチョウザメなどです。

これらの魚介類は日本にも輸出されており、スーパーなどで、「黒海産」の表示のある食材を見たことがある人も多いでしょう。無論、沿岸諸国にとっても豊富な海の幸を与えてくれる良好な漁場です。

今回のオリンピックが行われるソチだけでなく、あちこちにリゾート地があり、ヨーロッパ人にとっての別荘地帯でもあります。黒海沿岸全域が温暖な気候であり、とくに北岸のクリミア半島やソチ東部の山側にあたるコーカサス地方などはとくに過ごしやすい気候を持っています。

このうち北岸を中心とするロシア領では、ロシア帝国時代からリゾートとしての開発が進められ、特にソヴィエト連邦時代には、ヨーロッパなどの他国への渡航が難しかったこともあって、唯一のリゾート地として急速に開発が進みました。

特に大きなリゾート地であったヤルタ(現ウクライナ領)では、1945年にヤルタ会談が行われ、第二次世界大戦後の世界の枠組みが決められました。ヤルタのほかにも、ロシアやルーマニア、ブルガリア、グルジア領内には多くのビーチリゾートが存在します。

ソチもまた、ヤルタと並ぶ大リゾート地です。現職大統領であるプーチン氏のお気に入り地でもあり、ここが冬季オリンピックの開催地として選ばれたのも、「私がソチを五輪の地に選んだ」と公表するほど、プーチン氏がここにぞっこんであったためと言われています。

黒海南部のアナトリア半島の大半はトルコの領内になります。その南西には、トルコの経済、文化、歴史の中心地である、イスタンブールがあり、この地には古くには東ローマ帝国、オスマン帝国の首都があって栄えました。このことから、黒海地域の歴史はここを中心に作られたといっても過言ではなく、かつ、何回もその支配者が変わったことから、非常に複雑な歴史事情を持ちます。

現在オリンピックが行われていたソチも、かつてはオスマン帝国の領土でしたが、その衰退に伴い、現在のロシアに吸収されたという経緯を持ちます。

黒海には、これよりはるか昔の、紀元前7世紀ごろから、ボスポラス海峡を通ってギリシア人が入植し、沿岸各地に居住地を形成して植民を始め、タナイスやパンティカパイオンといった植民市が各地に建設されていきました。

これらの植民市は北の草原地帯に住むスキタイ人やサルマティア人から穀物や奴隷を購入し、ぶどう酒や武器などのギリシアの産物を取引して力をつけていきました。そして紀元前5世紀にはこれらの植民市を統合して「ボスポロス王国」が成立し、穀物などの貿易を基盤にして国力をつけていきました。

ボスポロス王国は、クリミア半島を中心にギリシア人の植民者と現地人らによって形成された国家で、黒海交易の中心として古代世界で繁栄を誇りました。

現在イスタンブールのど真ん中を通る、ボスポラス海峡の名は無論、これに由来しています。

ボスポラスとは「牝牛の渡渉」という意味で、ギリシャ神話の中で、ゼウスが妻ヘラを欺くため、不倫相手のイオを牝牛の姿へ変えますが、ヘラはそれを見破り、恐ろしいアブ(虻)を放ちました。そのためイオは世界中を逃げ回ることになり、牛の姿のままこの海峡を泳いで渡ったとされています。

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この黒海の歴史をさらにこのギリシャ神話時代にまで遡ると、この当時黒海は、「アマゾン海」と呼ばれていたようです。黒海沿岸を含むギリシャより北方の未開地には、女性だけの部族「アマゾーン」がいたという伝説があり、現にトルコ沖の黒海には「アマゾン島」という小さな島が現存するそうです。

アメリカに本拠を持つ、世界最大のネット通販サイト、Amazon.comもまた、このアマゾンに由来しています。もっとも、こちらは、その創業者が南アメリカのアマゾン川にちなんでつけた社名です。

アマゾン川の流域にも女性のみの部族がいたという伝説があることからそう名付けられたという説があるほか、その初期の探検者のスペイン人が、ギリシア神話の女人族アマゾネスのことを知っていて、そう命名したという説があります。

ちなみに、Amazon.comは、最初、創業者のジェフ・ベゾスによってCadabra.com(カタブラ)という名前をつけられていたそうです。この cadabra はおまじないの、「アブラカダブラ」から採られたものです。ところが、開業直前にベゾフ氏が、このベンチャー計画についてある弁護士と電話で話した際、この弁護士が、” What? cadaver? “と聞き返したそうです。

実はこのcadaverは、英語で死体の意味であり、ベゾフはこの電話によって以後この名前に嫌気がさし、名前をアマゾンに変更した、という逸話が残っています。

この黒海周辺に住んでいたとされるアマゾーンという女部族の話は、実はほとんど伝説に近いものです。ギリシャ神話が起源だともいわれており、神話上では、軍神アレースとハルモニアーという女神を祖とする部族であるとされています。

彼等(彼女ら)が住む黒海沿岸は、当時のギリシア人が住まう地中海地方よりも、かなり北方に位置しました。ギリシア人たちはこの未開の黒海沿岸地域のことを多少の侮蔑を含めて「アマゾン」と呼び、現在のトルコ付近であるアナトリア半島や北アフリカに実在した母系部族のことも「アマゾーン」と呼んでいたようです。

ただ、あまりにも古い話で歴史的な根拠も希薄であり、ほぼ神話に近い話と考えてよいでしょう。

が、神話上では、アマゾーンは馬を飼い慣らし弓術を得意とする狩猟民族で、狩猟の女神アルテミスを信仰していたとされています。人類で最初に馬を飼い慣らした部族、ということになっており、その後アジアにも広がる、騎馬民族の元祖だともいわれています。

アマゾーンは弓の他にも、槍や斧、半月型の盾で武装した騎士として、ギリシア神話中でも、多くの戦闘に参加しています。

基本的に女性のみで構成された狩猟部族であり、子を産むときは他部族の男性の元に行き交わりました。男児が生まれた場合は殺すか、障害を負わせて奴隷としたといい、あるいは父親の元に引き渡し、女児のみを後継者として育てたともいわれています。

古い絵画には、ウクライナを中心にその昔活動していた遊牧騎馬民族である「スキタイ人」によく似た姿で描かれているようです。現代のレオタードのような民族衣装を着ており、これに近い民族衣装を持つ、現在のウクライナ人の先祖とみなす人もいるようです。

この「アマゾーン」の語源ですが、弓などの武器を使う時に左の乳房が邪魔となることから切り落としたため、否定語である”a” と「乳房」の意味の “mazos” の組合わせをもって、「乳無し」と呼ばれたことからとされています。

このように、アマゾンは、かなり勇ましい部族だったようです。このため、現在でもアマゾーン、アマゾネスといえば、強い女性を意味する言葉としてよく使われます。

1973年に製作されたイタリア・フランス・スペインが合作で作った、イギリスのテレンス・ヤング監督作品の「アマゾネス」もこの伝説に着想を得て作られたものです。

そのストーリーですが、最強の女武族アマゾネスの女王がギリシャ軍の男兵士と恋仲になり、やがて二人は結ばれます。

しかし、元々このギリシャとアマゾネスは敵対関係にあり、かなわぬ恋は、やがて、両国の武力紛争には巻き込まれていきます。アマゾネスは、ギリシャ軍に対し宣戦を布告し、こうして血で血を洗う戦いが始まりますが、戦力豊富なギリシャ軍の前に女戦士たちは次々と倒れていきました……

この映画では、異性同士のからみだけでなく、アマゾネス同士のレスビアンの関係も生々しく描写されていて、大ヒットはしなかったと思いますが、この当時結構話題になったような記憶があります。

ギリシャ神話においては、黒海沿岸にトロイアという国があったことになっており、ここをギリシャ人が侵略したことき、アマゾーンはトロイア側についています。この戦争は「トロイア戦争」と呼ばれており、「トロイの木馬」の話で有名です。

ギリシア勢の攻撃が手詰まりになってきたとき、トロイアは巨大な木馬を作って人を潜ませ、わざと負けてこれを敵に戦利品として持ち帰らせた後、夜中に木馬から兵士を出して敵をやっつける、というあれです。

このときトロイア側についたアマゾーンもまた女王ペンテシレイアに率いられ勇敢に戦いましたが、女王はギリシャの英雄アキレウスに討たれてしまいます。

このときアキレウスは死に際のペンテシレイアの美しさを見て恋に落ち、彼女を殺したことを嘆いたという話がギリシャ神話にもあり、上の映画アマゾネスもまた、こうしたギリシャ神話をネタにしたのでしょう。

ところで、このアマゾネスの話にもあるように、古来から実は女は男より強い、ということがよく言われます。男尊女卑ではなく、女尊男卑というのは、古代の日本では当たり前であり、古くは邪馬台国を治めていたのは卑弥呼という女性であり、その後も女性天皇は頻繁に歴史に登場しています。

現代においては、性差別に関しては「男性が加害者、女性が被害者」という構図で語られることが多いものです。が、「男性差別」ということも、最近はよく話題として取り上げられるようになりました。とはいえ、男性差別は女性差別に比べてとかく矮小化されて扱われることもまた多いようです。

が、真に男女平等を達成しようとするならば、男性差別は女性に対する性差別主義と同じくらい真剣に受け止めなければならないというような、まことしやかな主張もあって、インターネットなどでは男性差別に関する議論で大いに盛り上がっているサイトもあるようです。

こうしたサイトで取り上げられている、男性差別の具体例としては、例えば、メイル・レイプ、逆レイプというものがあります。女性が男性に暴力を加えるというもので、これは実際にそういうことがあるかどうかは別として、こうした暴力を取り締まる法律としては、刑法第177条に「強姦罪」というものが規定されています。

ところが、この法律では、女子に対する強姦の規定だけしか存在せず、逆に男性がレイプされた場合にはこの法律は適用されません。

このことは、国連の自由権規約委員会も指摘しており、この法律の定義の範囲を拡大して、性差別是正の観点により男性に対する強姦も重大な犯罪とするよう、同委員会は日本政府に勧告しているといいます。

このほか、助産師については、保健師助産師看護師法では助産師資格についての規定がありますが、第三条にて資格対象を女性のみに限定しており、男性差別の観点から疑問が呈されています。

また、離婚時の親権をめぐっても、子供の父母が離婚し親権をめぐって訴訟が提起された場合、特段の事情がないかぎり、父親側より母親側に子供の親権が与えられることが圧倒的に多いといわれています。

このほかにも、遺族年金の支給対象において妻は条件がないのに対し、夫は55歳以上との条件があり、また、配偶者を亡くした際に支給される遺族基礎年金においては、子を持つ妻が支給される対象とされ、子を持つ夫は支給の対象とされません。労働災害、遺族年金についても同様です。

さらに、児童扶養手当についても、2010年7月までは児童扶助手当が母子家庭には支給されますが、父子家庭に対しては児童扶養手当が支給されませんでした。がこれは、父子家庭を不当に排除しているとの批判もあり、2010年8月に児童扶養手当法が改正され、父子家庭に対しても支給されるようになりました。

教育の世界についても男性差別はあるといいます。

例えば、九州大学は、2012年度の理学部数学科の入学試験後期日程において「女性枠」を導入しようとしていましたが、男性差別であるとの批判が多数寄せられたため、2011年5月19日に導入の取りやめを決定しています。

また、日本の大学に男子校は存在しないのに対し、女子大学は多数存在します。私立に女子大が多いほか、国立でもお茶の水女子大学・奈良女子大学を始めとして、2校の公立4年制大学があり、このほか2校の公立短期大学が女子大学です。

ちなみにウチの奥様は、このひとつの広島女子大学を卒業しています(だからなんなのよ、おまえも入りたかったんかい、という話でもありますが……)。

このほか、必ずしも教育現場ということではありませんが、図書館においても、女性専用・優先席が設置されている公立図書館があります。台東区中央図書館、荒川区南千住図書館、江東区東雲図書館、葛飾区お花茶屋図書館等がそれであり、「不公平だ」などと男性から抗議が寄せられているといいます。

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このほか「女性専用」と聞いて真っ先に思い出すのが、電車での「女性専用車両」でしょう。東京や大阪で導入されているケースが多く、都営地下鉄、大阪市営地下鉄などの主に都市鉄道において、女性専用車両が導入されています。

この女性専用車両についてのブーイングは結構多いようです。

インターネット上のブログ等では「男女平等なら男性専用車両を作るべきだ」といった意見も少なくないようで、女性専用車両の導入が広まるにつれて、「女性専用車両に性差別を感じる。導入はやめて欲しい」など、女性専用車両に対する疑問や不満の意見もみられるようになっています。

こうした声は、最近とかく話題にされることの多い痴漢の「冤罪」や、増えているといわれている「痴女」をなんとかして防いでほしい、という観点からわきあがってきているようです。

一方では、列車や電車に続いて、ほかの交通機関でも「女性専用」を作ろうという根強い動きがあります。

空の交通においても、全日本空輸 (ANA) が、2010年3月1日より国際線の中型機と大型機に女性専用のトイレを設置すると発表したのは記憶に新しいところです。「体調不良時」には男性も使用できるとされていたようですが、だからといって女性専用トイレと同時に男性向けのトイレを設置するわけではありませんでした。

このことに海外のメディアが飛びつき、報道されて話題になり、男性差別に当たるとの指摘や男性専用を求める声が多数寄せられるようになったため、ANAはその反響の大きさに驚き、結局この女性専用トイレは廃案となりました。

現在においても、ANA国際線のシートマップには女性専用化粧室なるものは存在しないようです。

こうした交通だけでなく、巷の飲食店を中心とした店舗でも男性差別は起こっています。実際、一部商店には、女性のみの入店を許可し、男性の入店を制限・禁止しているものがあるそうで、例えば、2006年4月、JR北海道函館駅内に、「16時までは女性のみ」入店をうたったパスタ店が開店しました。

ところが、「男性差別では」という批判が寄せられるようになり、その後、開店2か月後の2006年6月には、批判が寄せられたことを背景として女性専用の時間帯は14〜16時にまで縮小されました。このときJRは「お客の要望に応えた」と説明しており、その後さらに女性専用時間を縮小したところ、逆に来客数は増えたといいます。

東京都新宿区にあるタカノフルーツパーラーもまた、昨年の4月までは、全時間帯において男性は女性同伴でない限り利用できなかったそうですが、最近では、5:00PM以降なら男性のみの利用もできるというふうに規定を改めていいます。

DV(ドメスティックバイオレンス)もまた、本来であれば女性から男性への暴力とされ、「夫または恋人などの男性から女性への暴力」と説明される場合が多いものです。

ほとんどのDVが男性から女性への暴力と考えられる場合が多く、被害者の95%が女性と主張する者も少なくないといいます。ところが、平成17年度に内閣府が実施した「男女間における暴力に関する調査」によると、DVの被害を受けた経験がある女性は33.2%、男性は17.4%だったそうです。

このことにより、「圧倒的多数」の被害者が女性というのは誤りであることが明らかになり、確かに男性が女性にDVすることのほうが多いものの、その逆もありきだ、という認識が世に生まれようになってきています。そういえば、一昔前に、「猟奇的な彼女」といった韓国コメディー映画も流行りましたね。

このほか、痴漢もまた、DVとはいえないかもしれませんが、暴力行為には違いないものです。先の女性専用車両も、主として痴漢行為の抑制を目的に導入された制度です。

とくに都内や府内では、痴漢被害を受けた際に恐怖心や大きなショック・不快感などを受ける女性が急増しており、中には同一人物から繰返し痴漢に遭う人もいて、このほか集団痴漢などといったケースも多いといいます。

咎めた側が逆に返り討ちに遭うケースなどまであり、このため、これを見かねた運営会社側が「緊急避難場所」や「駆け込み寺」としての防衛的機能を持たせるために導入したのが、「女性専用車両」です。

その歴史は意外に古く、1912年(明治45年)1月31日に東京の中央線で朝夕の通勤・通学ラッシュ時間帯に登場した「婦人専用電車」が最初とされています。もっとも、この「婦人専用電車」は、この当時、男性と女性が一緒の車両に乗るのは好ましくないという国民性を反映して導入されたものであり、短期間で廃止されたそうです。

戦後も1947年(昭和22年)5月に、やはり中央線で「婦人子供専用車」が登場し、同年9月からは京浜東北線にも連結されましたが、すぐに姿を消しました。

ところが、2000年代に入ってから、車内における迷惑行為や痴漢行為が社会問題として大きく取り上げられるようになり、明瞭な犯罪として意識されるようになっていきました。

このような状況を背景に、2000年(平成12年)12月、京王電鉄京王線で平日深夜帯に新宿駅を発車する下りの急行・通勤快速の最後部の車両に「女性専用車両」が試験的に導入されました。

この導入は好評であり、国土交通省も痴漢被害を減らす効果が期待できると評価したことから、京王以外の電鉄各社にも急速に普及していきました。

女性専用車両がなかった時代、痴漢による被害者は心理的にも物理的にも安全な逃げ場がなかったのに対し、この女性専用車両の導入は女性たちに安心感をもたらすようになりました。

最初に導入した京王電鉄によれば、痴漢の被害は、通勤時間帯に多いものの、次いで深夜での発生率が高く、こうした夜間では被害者が泣き寝入りするケースが多かったといい、この対策として女性専用車両は安全な避難場所として高く評価されたこともその普及の要因でしょう。

ところが、痴漢行為には、どうしても「冤罪」がつきまといます。また、痴漢被害は女性専用車両に乗れば防げますが、すべての女性客が女性専用車両に乗っている訳ではない以上、一般車両における痴漢の冤罪を完全に防ぐことはできません。

このように、痴漢防止として女性専用車両導入を図ることが、実は男性側にとっての冤罪防止には何の役にも立っていない、という意見もあり、誰でもが冤罪被害者になりうる可能性を指摘して、「男女平等の社会に反する」と不公平感を訴える意見もあるようです。

現に台湾では女性専用車が男性差別であるとされて3ヶ月で廃止になっており、このため日本においても、痴漢の捜査方法の改善が模索されるとともに、テレビなどでどうやったら痴漢とみなされるか、といったことが周知されるような風潮が出てきました。

実際に冤罪が認められるケースも多くなり、また、こうした冤罪の防止効果のない女性専用車両の導入だけを推進することについては、「かすかな違和感」を覚えるという女性も出てきており、一部の男性の「陰湿」さを指摘しつつも、「女性の隔離によってこうした一部男性のゆがんだ品性そのものが改まるとの保証はない」とする女性評論もあるようです。

あげくは、男性のみが利用できる車両、すなわち男性専用車両を導入すべきであるとの主張を行う人さえいて、これに加え、男女の乗車車両を分離すべきであるとの極端な意見を吐く輩もいるようです。

が、私としては、そんなもん、気持ち悪くて乗れません。夏の暑い日に飛びこんだ車両に乗っていたのが全員おっさんで、汗をかき拭き車中に汗臭い匂いが充満するとかいったシーンを、想像するだけでぞっとします。

女性専用車両には反対の立場をとりながらも、老人などより広い交通弱者のための専用車を求める中庸的な意見もあるようですが、それなら私も納得できます。「女性専用」とはせず、「弱者専用」でいいのではないでしょうか。が、そこがオカマやオナベの溜まり場になるのも考え物ですが……

この女性専用車両というものは、海外でもあるのかな、と調べてみたところ、イスラム教やヒンズー教では男女の同席が忌避されるため、これらの宗教の信者の多い国では、戒律に基づき女性専用車両(男女別車両)を設定している例があるようです。

例えば、パキスタンでは、「男女同席せず」が原則であり、女性専用車両にしか女性客は乗車しないため、他の車両は事実上「男性専用車両」となっています。また、イランでも、首都テヘランの地下鉄に女性専用車両が先頭と最後方のあわせて2両に終日設定されていて、エジプトのカイロ地下鉄にも女性専用車両が設定されているそうです。

このほか、韓国、台湾、フィリピン、タイ、インドネシア、インドなどのアジア諸国ではのきなみ女性専用車両、あるいはバスなどが導入されているようです。が、なぜか欧米諸国では少ないようです。

ヨーロッパでもイギリスとチェコぐらいであり、しかも列車や電車ではありません。イギリスでは、1995年から首都ロンドンに「会員制女性専用タクシー」というのがあるそうで、普通のロンドンタクシーは黒色なのに対して、これは車体をピンク色にしていて、運転手も女性が務めているそうです。

ただし、利用時は会員が電話で自宅や勤務先などに呼び出会員制なので、会員以外の女性は利用できず、駅や空港などでの客待ち営業や市中での流し営業も行っていません。ロンドンでは、無許可で営業している、いわゆる白タクが多く、こうしたタクシーでは女性客が乱暴されたり、金品を奪われる事件が多発したのが登場したきっかけだそうです。

じゃあ、今オリンピックが行われているロシアは?ということなのですが、ここにもあります。

長距離列車に酔客対策として「女性専用コンパートメント」が設けられているそうで、このほか、首都モスクワには2006年8月よりロンドンと同様に車体がピンクに塗られた女性専用タクシーがあり、これは「ローズタクシー」と呼ばれているそうです。

ロンドンと同様に運転手は女性が務めていますが、女性だけしか乗車できないロンドンの場合と異なり、父親・夫・恋人・息子など、何等かの女性の近親者が同伴していれば一緒に乗車できるそうです。

このローズタクシーは、イギリスのピンクタクシーを見習って導入されたそうですが、もともとは日本の交通機関における女性専用サービスを見ての発案だといいます。

思わぬところで日本は「女尊男卑」の習慣をロシアに輸出していることになります。

さて、そのロシアの彼の地において日本はいくつメダルが取れるでしょうか。今夜も眠れぬ夜が続きます……

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