昨夜は、夜更かしして、ソチ五輪の男子ハーフパイプと女子ノーマルヒルジャンプ競技を見てしまいました。
男子のほうの快挙!に湧く中、女子のほうは残念な結果になりましたが、メダルの獲得の有無はともかく、二十歳にも満たない若い彼らの健闘には全国から惜しみない拍手が送られたことでしょう。
ジャンプの高梨選手と同じ北海道上川町出身の、元スキージャンプ選手の原田雅彦さんが、今朝のNHKニュースで、高梨選手のときだけ、まるで彼女に不利に働くかのような風が吹いていたことなどを明らかにしていましたが、今回良い成績を残せなかったことには、まるで天の意思があったかのようにも思えます。
彼女が奢っていたとかそういうことではなく、まだまだ成長過程にある彼女に更なる試練を与えることが今回のことだったと考えれば、次のオリンピックのときまでの道のりもまた大きな意味を持ってくるでしょう。
金メダルへの期待への重圧に今回耐え続けることが成長につながったと思うし、この失敗における口惜しさをバネに励むべき次のオリンピックまでの長い苦行の道もまた、本人を成長させる「必然」だと思うのです。
「よく頑張った」という普通の賛辞ではなく、「よく耐えた」「これからも頑張れ」が彼女への正しい声のかけ方のような気がしてなりません。
ところで、この原田選手もまた、なかなか金メダルを取れない人でした。長野オリンピックのスキージャンプ団体競技でこそ金メダルを取っていますが、長野を含めて、それ以前のリレハンメル、そのあとのトリノにおいても、銀・銅メダルは獲得しているものの、個人競技ではついに金は取っていません。
しかし、オリンピック、世界選手権を通して9個のメダルを獲得しており、これは日本人最多だそうです。
これだけ偉大な結果を残していながら、オリンピックにおける金はたったひとつ、ということを考えると、いかに「魔物が棲む」というオリンピックという場での金メダル獲得が難しいかが想像できます。
それにしても、世界のアスリートたちが憧れるこの金メダルって、実際にはどのくらいの価値があるのだろうか、と最近儲かっていないせいかこうした下卑た疑問しか湧いてこないこの脳味噌が言うので、早速調べてみました。
金メダルに使われている金の純度とはどのくらいなのだろう、という観点から調べてみたところ、意外にも、このオリンピックで用意される金メダルというのは純金ではないのだそうです。
「純度92.5%以上の銀製メダルの表面に6g以上の金メッキしたもの」と、オリンピック憲章に定められているそうで、つまり、万年筆などに使われている「バーメイル(vermeil)」と同じもの、ということになるようです。
vermeilと言うのは、元々はフランス語の「ベルメイユ」の英語表記です。
本来は、スターリング・シルバーの加工法の1つで、これをベース素材にし、その上から14金を金張りやメッキした物がバーメイルです。
その昔は、宝飾品によく用いられ、万年筆などが普及し始めてからは一般用語として使われるようになりましたが、最近ではパソコンが普及で、万年筆すら使わない人も増えているので、このバーメイルもあまり聞きなれない用語になっています。
ちなみに、スターリングシルバー (sterling silver)とは、 銀の含有率92.5パーセントの合金で、銀に銅やアルミニウムなどを加えて、強度を上げたものです。ほかにブルタニアシルバーというのもあって、こちらは純度95.8パーセントです。ブルタニアシルバーのほうも無論、金メダルとして使えます。
オリンピック憲章では、金メダルに使われるのは、このどちらでもよいようなのですが、純金が使われないのは、開催国によっては経済的に落ち込んでいるところもあるので、こうした国でオリンピックが開かれるときに、大きな負担にならないように、という配慮からなのだそうです。
なお、金メダルに限らず、銀・銅を含めてのメダルの大きさは、オリンピック憲章では「大きさ直径60mm以上、厚さ3mm以上」だそうです。しかし、これ以上大きくしてはいけない、という規定は無いので、極端な話、タイヤサイズのメダルでも一応OKということです。
が、それではメダルではなくて浮き輪になってしまいますし、だいいち重過ぎます。メダル授与式を重量挙げの場にするわけにはいきません。
ただ、メダルの意匠はある程度開催国の自由に任せられていて、トリノオリンピックではその形状が実際に浮き輪と同じドーナツ型にされました。また長野オリンピックでは一部に漆塗りが用いられるなど、その形態はさまざまです。
ただし夏季オリンピックのメダルの裏面については規格が統一されており、勝利の女神が浮き彫りにされています。
この規定は、2004年のアテネオリンピックからで、オリンピックの発祥地、ギリシア側からIOCへの要請によりこのように統一規格が変更されました。ギリシアとしては、発祥地としての誉を永遠にメダルに刻みたかったのでしょう。
ソチでのメダルは、金・銀・銅とも、直径が10センチ、厚さが1センチあり、その半分が中空になっていて、そこにクリスタルなどがはめ込まれ、ロシアの伝統的な模様と、氷や太陽が輝くイメージをあしらわれた、大変美しいデザインです。
今回のオリンピックでは、来る2月15日に開催される競技で金メダルを獲得した人に限って、昨年の2013年2月15日に西シベリアに落ちた隕石がはめ込まれたメダルが特別に用意されているそうです。
調べてみると、15日は、スケートのショートトラックは、スピードスケート1500m、ラージヒルジャンプなどの競技の決勝が行われる予定のようなので、もしかしたら、日本人選手の中にもこの隕石入り金メダルを獲得する人が出るかもしれません。楽しみです。
金以外の銀メダルの素材としては、上述のスターリングシルバーなどがそのまま使われるようです。が、銅メダルも純銅製ではなく他の金属との合金です。
こちらは錫との合金の青銅が多いようですが、銀、亜鉛、ニッケルとの合金の場合もあります。従って、「ブロンズメダル」と一般には呼ばれていますが、その実態は「青銅メダル」ということになります。
近代オリンピックでは、1位から3位までの順位でそれぞれこれらの金・銀・銅のメダルが授けられますが、第1回近代オリンピックでは優勝者には銀メダルが与えられ、準優勝者は銅メダルだったそうです。このときの3位入賞者にはメダルではなく賞状が贈られたといいます。
ただ、2回以降の優勝選手に贈られるこの金メダルも、実はその素材はほとんど銀であり、実質は銀メダルということになります。
つまり、極論をいえば、金メダルを目指して練習に励み、これを得てきた選手たちは、いわば「シルバーコレクター」ということになります。がまァ、これはそういうひねくれた見方もある、というだけのことです。
それにしても、金メダルというのはほんの一握りの選手だけが受け取ることができる勲章である以上、二番手、三番店に甘んじる人が多いのは当然であり、古来、シルバーコレクターと呼ばれる人が多いことも確かです。
シルバーコレクターの意味は、スポーツの世界において、何度もあと一歩で優勝を逃し2~3位に甘んじている選手やチームを指す俗称です。つまり日本語における「万年2位」と同じです。
「優勝するだけの能力を持ちながらも運に恵まれない」としてその選手(チーム)の実力を賞賛する目的で使われることがある一方で、「実力はあるが肝心のところで精神的な弱さが露呈する」などと揶揄する意味で使われる場合もあります。
シルバーコレクターと呼ばれる人は過去にたくさんいますが、有名なところでは、陸上競技のフランク・フレデリクスでしょうか。アフリカ南西部のナミビアの元陸上競技者で、とくに200m走が得意だった選手です。黒人です。
その競技中のポーカーフェイスぶりから、“ナミビアの鉄仮面”の異名をとった選手で、世界選手権では、1993年シュトゥットガルト大会での金メダルがありますが、オリンピックでは1992年バルセロナ、1996年アトランタの男子100m、200mに出場し、合計で4個のメダルを獲得しましたが、そのすべてが銀メダルでした。
この時期には、彼のライバルとしては、世界記録樹立経験者のマイケル・ジョンソン、ドノバン・ベイリーらがいたための悲運でもありましたが、フレデリクスは生涯のレースで3位以下は一度もなく常に安定した成績を残してきた選手です。
オリンピックでこそ金メダルは取れませんでしたが、このほか、IAAFグランプリファイナル,IAAF陸上ワールドカップも含めて1位は6回もあり、2位に至っては12回にも及びます。キングオブ、シルバーコレクターと呼ぶべきでしょう。
ちなみに、オリンピックの男子短距離走の個人種目における最多メダル獲得数「4」は、カール・ルイスや、アト・ボルドン、ウサイン・ボルトなどですが、フランク・フレデリクスもまた金メダルこそは取れなかったものの4個の銀メダルを獲得しており、メダルの数だけをみれば彼らに並ぶ最多記録保持者です。
このほか、冬季オリンピックにおけるシルバーコレクターとして思い浮かぶのは、フィギュアスケート競技のサーシャ・コーエン(アメリカ)でしょうか。
世界フィギュアスケート選手権で2位が2回、3位が1回であり、オリンピックにおいてもトリノオリンピックでの2位が最高でした。全米フィギュアスケート選手権においても優勝が1回あるだけで、2位が4回、3位が1回です。
フィギアスケートに関しては、ほかにもたくさんのシルバーコレクターがいますが、技と体力に加えて、高い芸術性が求められるという非常に難しい競技であるだけに、たとえ金メダルはとれなくても、上位のメダルを取り続けるというのは、やはり相当に卓越した優れた技量がなければできることではありません。
日本の浅田真央選手もまた、数々の世界大会で金メダルを獲得していますが、前回のバンクーバーでは銀メダルに終わりました。今回も銀メダルになってしまって、シルバーコレクターといわれることのないよう、頑張ってほしいところです。
このほか、2位や3位にもなれず、力はあるのになかなか結果が出せずに、「入賞」だけを繰り返すという選手もおそらくは数限りなくいます。
こうした人たちの中でも特に実力を兼ね揃えているにもかかわらず結果が出せない選手のことを「無冠の帝王」などと言ったりもします。
この用語は、もともとは儒教で孔子のことを「素王」と呼んでいたのにちなみます。
孔子という人は、その生涯にわたって貴い地位には縁が無かったといわれており、帝王に据えてもおかしくないほどの徳を持っているのに、「帝王の冠を持たない人」であり、日本にはその考え方だけ導入され、のちの世で「無冠の帝王」という使われ方をするようになりました。
しかし、実際には孔子は何度となく仕官を求め、時には儒教の道徳上からみてもあまり好ましくないような人物に願って出仕しようとしたこともあったようです。ま、無冠の帝王と呼ばれる人の中には、その実力以上に人気が先行してそう呼ばれるようになった人たちもいるのも確かであり、孔子もまたそうなのかもしれません。
この無冠の帝王という呼び方ですが、日本では最初、これは新聞記者に対する呼び方でした。新聞記者の中には、特に地位や権力を有しているわけではありませんが、決して圧力に屈することなく、常に世論を武器に権力者に対抗しようとする人がいます。
そうした実力がありながら、影の立役者の立場に甘んじていることから、彼らを称賛してこう呼ばれるようになったものであり、これが、スポーツの世界にも持ち込まれて使われるようになりました。
現在では、新聞記者やスポーツなどの分野に限らず、相当の実力を持ちながらも、その実力に相応しい賞やタイトルを獲得できていない人物全般を指す言葉となりました。が、肝心なところで勝負強さを発揮できず、賞を取り逃している人を指すこともあり、こうした場合にはやや揶揄的な意味を込めて使われます。
今回のソチオリンピックにモーグルで出場した上村愛子選手なども、もしかしたら無冠の帝王と呼ぶべきなのかもしれません。
オリンピック以外では、ワールドカップ日本人最多の10勝を成し遂げており、2007-08シーズンには日本人初の総合優勝を成し遂げていますし、フリースタイルスキー世界選手権では2009年猪苗代大会で2個の金メダルを獲得しています。
ここまで立派な成績を残していながら、5大会も出場した五輪では最後までメダルに縁がなく、そこは運というしかないのかもしれません。ただし、出場した五輪全てに入賞し、しかも一度も順位を落とさなかったところが素晴らしいと評価されています。
ちなみに、上村選手は、1998年長野では7位→2002年ソルトレイク6位→2006年トリノ5位→2010年バンクーバー4位、と大会ごとに順位を上げており、その集大成であるソチ大会では3位になるはずでした。実際、すわ銅メダルか、思われるほどの活躍をみせてくれましたが、判定などの問題もあり、やはり前回と同様の4位に甘んじました。
スキージャンプの葛西紀明選手もまた、無冠の帝王のまま終わるのかどうかが注目されています。ワールドカップ日本人最多タイの16勝を誇り、しかも今年1月に行われたワールドカップでは史上最年長優勝(41歳7ヶ月)も果たした実力者です。
が五輪では、1994年の リレハンメルで 団体ラージヒルで銀メダルを取っているものの、個人競技でのメダル獲得は一度もありません。先日のノーマルヒルでも結果が出せず、残りはラージヒルですが、ぜひ頑張って、隕石入り金メダルを取ってほしいものです。
ところで、過去のオリンピックにおいて、日本はいったいいくつ金メダルを取っているのかが気になったので調べてみたところ、過去の夏季オリンピックの金メダリストは、130だそうです(団体競技はひとつにカウントしているので、実際に日本に持ち帰られた金メダルの数はもっとありますが)。
金メダル取得者の出身地ごとにこの金メダル分布をみてみると、全国的に見ると東高西低。のようで、とくに東海地方と九州地方では全ての県が金メダリストを輩出している一方で、北陸地方ではロンドンオリンピックでの松本薫(柔道女子)だけだったりします。ちなみに最多は北海道で、なんと8人もの金メダリストがいます。夏なのに意外。
一方の冬季オリンピックのほうですが、こちらは歴史も浅いこともあり、1972年の札幌オリンピックにおける笠谷幸生(スキージャンプ70m級)以後、金メダル獲得数は9つ(同様に団体競技はひとつにカウント)にとどまっています。
前回のバンクーバでは獲得者がおらず、今回金メダリストが出るとすると、その前の2006年トリノで、荒川静香がフィギュアスケート女子シングルで金メダルを取って以来ということになります。果たして今回のソチでの結果はどうなるでしょうか。
さて、ここまで書いてきたところで、ついでだからメダルとは何か、ということを調べてみようと思いたちました。そこでまず浮かんできた素朴な疑問なのですが、そもそもメダルとコインは何が違うのでしょうか。
大きさが違うんだよ!という声が聞こえてきそうですが、調べてみるとメダルというのは、金属板に何らかの意匠を施したものを意味し、ともかく何らかのデザインがしてあれば、これすなわちメダルと呼ぶようです。
ただ一般的概念としては、メダルと呼ぶ場合は、スポーツなどの競技で勝利選手、優秀選手を表彰して贈られる各メダルのことを指します。もっとも、同じスポーツでも団体競技の場合には、トロフィー及びフラッグがその「チーム」に「ひとつだけ」授与されますが、メダルはこうした場合には競技者1人ずつに授与されます。
従って、「個人表彰」の意味合いが非常に強いのがメダルの特徴です。円形のものが一般的ですが、円形以外の形状にデザインされることもあり、実際2009年世界陸上競技選手権大会では長方形の形状のメダルがデザインされました。
一方、コイン(硬貨)は、貴金属を通貨として利用する上で、ニセ金貨などの公正性を欠くようなものが出回るのを予防する観点から、極めて精巧な意匠が凝らされて製造された「メダルの一種」です。
つまり貴金属と同じ希少品として位置づけられますし、実際に金や銀を用いて鋳造されるものもあります。貴金属を用いないものでも、貴金属と同等の価値があるとみなされ、これと引き換えが可能です。
これに対してメダルは、褒賞として与えられる記念品・表彰品に過ぎず、先の金メダルの組成の話からもわかるように、必ずしも金などの貴金属である必要はありませんし、これを貴金属と同等の価値があるとして、引き換えることはできません。
個人の名誉に敬意を表して与えられるものであり、その元来の意味からすれば、鋳潰して貴金属の資源的価値に還元される必要も無いわけです。
このため、メダルの意匠は、偽造防止を目的としたコインの意匠とは異なり、一般的にはそれほど精巧な造りは求められません。無論、オリンピックのような世界的な大会では、コイン並の精巧なものが作られることが多く、また国威を発する意味もあることから、独自の意匠が凝らされるのが常ですが、通常のメダルにはそこまで求められません。
個人の努力に対して与えられるものであることから、単に「見栄え」だけを強調されることも多く、また、見栄えさえよければいいわけですから、貴金属である必要さえなく、安い金属にメッキでもいいわけです。安っぽさを補うためにリボンなどで装飾されたものさえ存在します。
つまり、メダルはその性質上、“メダリスト”の呼称に見られるように、メダルを受けることによるそれぞれの競技の世界における強力な「ステータス」を表すものであり、そのステータスを手に入れるために各選手とも必死なプレイを行うわけです。
しかも、本来はけっして、金目当てにこれを求めるものではありません。
しかし、金メダルなどのメダルを獲得するということは、国によってかなり大きな社会的ステータスを得ることにもつながり、このためこうした選手には兵役の免除や、生涯にわたる生活保障、そして多額な報奨金が支払われあることもあります。
なので、もともとはメダルの獲得というものは無欲なものであったはずなのに、最近では金儲けのため、と目される部分もあり、貧困な国などでは何が何でも勝ちたいという選手が出てくるのはやむを得ないところはあります。ドーピングや審判員の買収といったことが後を絶たないのはそのためでもあります、
ところが、個人の奮闘をたたえて与えられるメダルには、スポーツだけでなく、軍隊におけるメダルのようなものもあります。戦場などにおいて、著しい軍功をあげた・軍に功績のあった人物を表彰するためのものであり、スポーツのように自己満足や金のために個人が努力して得るものではなく、国家のために働いた人にだけ与えられます。
これが、つまり「栄誉」と呼ばれるものです。
一般には、「勲章」という形のメダルが与えられます。国家、あるいはその元首が代表して、個人に対しその国家に対する功績や業績を表彰するために与える栄典であり、一般にはその章飾の授与こそが「栄誉」と称されます。
日本では、軍隊以外にも文化や芸術・技術や教育といった分野などで功績があった人にも「叙勲」と称して勲章が皇室から贈られますが、これも「栄誉」です。
ところが、軍隊には、もうひとつ「従軍記章」というのがあります。明治8年に太政官布告として制定されたもので、日本が参戦した戦役・事変に関わった人物へ、これを顕彰するために日本国から贈られる一種の勲章です。ただし勲章ではなく、その戦役に参加した人全員に与えられるため「記章」と呼ばれます。
欧米の”Campaign medal”に相当するもので、軍功の如何や階級に関係なく、また軍人及び軍属に限らず要件を満たせば文民や民間人にも広く授与されます。ただし、その佩用は本人に限り、子孫に及ぶものではありません。かつての日清・日露戦争や第一次世界大戦といった戦役では多くの人がこれを授与されています。
このほかにも、「大東亜戦争従軍記章」というのがあり、これは太平洋戦争の従軍記章として計画・準備されていたものです。しかし、第二次世界大戦敗戦による陸海軍解体に伴い授与されず生産分の大半は破棄され、法律的な効力も大戦後失効しています。
ところが、戦後国家軍隊として復活した自衛隊では、この従軍記章が、「防衛記念章」として復活しています。自衛官がその経歴を記念して制服に着用することができる徽章のことであり、自衛官特有の栄誉でもあります。
勲章の一種である、「略綬(りゃくじゅ)」に似た長方形の布製の板で、大きさは横36ミリメートル、縦11ミリメートルです。
ここで、略綬というのは、本来、勲章・記章の受章者がそれらを佩用しないときに受章歴を示すために着用する綬(リボン)のことです。
受章した勲章・記章の全てを日常佩用することは実用的ではなく、破損や紛失の危険も伴います。しかし、一方では受章者には自己の受賞歴を誇示したいという要求もあり、そこで、式典等礼服を着用する場合以外は、略綬を日常的に着用して正式の勲章・記章の佩用を省略するようになりました。
元々は、重要な儀式の場以外で勲章自体を身につけるのは華美に過ぎるといった場合において、メダルである勲章本体をつけるのではなく、このメダルに付属した、リボンだけを折って代用としたものであり、このため「綬」=「リボン」という漢字があてがわれたものです。
いちいち勲章をつけなくて済むことから、各国の軍隊で普及しましたが、この普及によって、常装でも何の勲章・記章を受章しているのかが確認でき、その着用している軍人の功績や経歴を窺い知る事ができるようになるというメリットが生まれました。
当初は本当にリボンだけが使われていたようですが、時代が下るつれいろんな形式のものも出てきて、現在では背広などの平服の襟に付けるスティックピン形式や、軍服に並べて着ける長方形略綬などいろいろな形式があります。
ただし、外国の場合は、軍人が胸に着けている略綬は「略」の意味そのものであり、もともとはリボンのついた勲章が授与されて別にあり、これを省略してつけているものです。これに対し、日本の防衛記念章は略綬型のもの自体が勲章となっていて、メダルのような勲章本体は存在しません。
このため、自衛官の間では多少この「栄誉」を軽んじてみる向きも多く、この略綬のことを評して「グリコのおまけ」と呼ぶ人も多いようです。
なぜ、日本には略綬しかなく、本体の勲章がないかといえば、それは、自衛隊の創設後、大きな戦役は一度もなく、従って戦争で活躍した栄誉として勲章を与えるという場がこれまでになかったからにほかなりません。
創設時の自衛隊には、第二次大戦を経験した旧日本帝国軍の所属者が多数在籍しており、戦前に受章した勲章・記章の略綬を着用する者もいました。
ところが、戦後の叙勲基準は、基本的には憲法において戦争をやってはいけない、と書かれていることを元に定められています。つまり戦争を放棄している以上は、今後とも自衛官が戦闘に従事することはないだろう、というわけで、自衛官が現職の間に戦闘に従事した証として勲章を与えるということが無くなってしまいました。
戦前のように従軍記章や記念章も発行されることが無くなったため、旧軍の軍歴が無い戦後の自衛官は、勲章は無論のこと、戦争に参加していないので従軍記章の略綬さえも着用することはなくなったというわけです。
とはいえ、アメリカを中心とする多国籍軍による湾岸戦争のときなどは、日本は国連平和維持活動(PKO)への参加を可能にするPKO協力法を成立させ、ペルシャ湾の機雷除去を目的として海上自衛隊の掃海艇を派遣、自衛隊の海外派遣を実現させました。
近年はさらにこうした超法規的措置として派遣されるようなケースが増えてきており、こうした戦闘に参加した場合にはおおっぴらに勲章を与えたり従軍記章を与えることはできないものの、苦労した彼らに何等かの証を与えてあげたいのは人情というものです。
また、戦後も他国の軍人は制服につけることのできる多数の勲章類を保持しており、特にアメリカ軍では、朝鮮戦争やベトナム戦争を始めとして多数記念章・従軍記章が数多く制定されているため、略綬を着用している軍人が多数いました。
戦後、自衛隊もハワイやグアム、カリフォルニア沖で、アメリカ軍と合同演習を行うような機会も増えましたが、そうした折に行われる儀礼・儀式の会場や、パーティなどでも、現役の自衛官は、略綬など何もつけられないのに対し、米軍軍人は常服でもきらびやかな略綬をたくさんつけて、これらの会合に出席します。
こうした状況に対して、自衛隊内部からはこれではあまりにもみすぼらしい、国のために頑張っている隊員が可愛いそすぎる、という声があがったのはごくごく自然のことでもあります。
このため、外国軍人との外見上の均衡をとるという必要がある、という名目で、1982年(昭和57年)4月1日に制定されたのが、「防衛記念章制度」であり、このとき、戦後初めて自衛隊が身に着ける15種類の略綬が定められました。
その後、自衛隊の活動領域が狭かった昭和時代には「防衛記念章の制式等に関する訓令」の改正はわずかに3回しか行われておらず、略綬の数もあまり増えませんでしたが、平成に入り自衛隊の活動領域が飛躍的に拡大すると共にその数も増えていきました。
同訓令は平成元年から平成10年末までの間に8回も改正が行われ、授与対象が拡大するところとなり、平成23年9月の改正時点では、なんと41種類もの防衛記念章が存在しています。
これらの略綬こと、防衛記念章は、自衛官の服装のうち、常装、第1種礼装、第2種礼装及び通常礼装に着用することができるとされています。
略綬の本体の金属心の構造などの細かい規定は規定では定められていないそうですが、自衛隊内で販売されているものは記念章単体で着ける事が出来ない構造になっており、留めピン付きの連結金具に通して左胸ポケット上に着ける形式です。
従って、より上位の章を貰った時は、ピン付金具はそのままに新しいものと差し替えることができます。なお自衛官が外国勲章を受章した場合、その略綬を防衛記念章と一緒に並べて着けることもできるそうです。
この41種類の防衛記念章のうち、一番上の「特別賞詞」とその次の第1級から第3級までの賞詞を受賞した自衛官には、合わせて「防衛功労章」が授与されるそうです。
無論、著しい功績があつた隊員に対して授与されるもので、「使命感を醸成し得る礼遇の付与を目的とした」功労章だということです。防衛記念章と異なり終身保有することができ、受賞者が死没した後もその遺族が保存することができます。
しかし、この特別賞詞を受賞した人はこれまで一人もいません。が第1級賞詞と第2級賞詞を貰った人は、ほんのわずかおり、これが、現役自衛官でオリンピックのメダリストになった人たちです。
金メダルを取った人には第1級賞詞が、銀・銅メダリストになった者には第2級賞詞が授与されており、これまでは、元重量挙げ選手で東京、メキシコの二つの大会で金メダルを獲得した三宅義信氏と、ロンドンオリンピック女子レスリング48kg級・金メダリストの小原日登美氏がいます。
二人とも、第1級賞詞を2度受賞しており、当該記念章の紺色の略綬中央に銀色の桜花がついた記念章を襟元につけているはずです。
この三宅 義信さんは、1939年(昭和14年)に宮城県柴田郡村田町で生まれた人で、オリンピックには法政大学在学中であったローマオリンピックで銀メダルを獲得し、1964年東京オリンピック、1968年メキシコシティオリンピックで優勝。
その次のミュンヘンオリンピックは4位に終わったものの、現役引退後も幹部自衛官として勤務する傍ら多くの選手を育成し、日本重量挙げ界に大きな貢献してきた人です。
1997年に自衛隊体育学校校長を最後に退官(最終階級は陸将補)され、退官後の現在は小松製作所顧問を務める傍ら、日本トライアスロン連合副会長、日本オリンピアンズ協会常務理事などを務められているそうです。
小原 日登美さんのほうは、その後結婚されましたが、旧姓は「坂本」さんです。
青森県八戸市出身で、17歳の1998年のときに全国高校生選手権50kg級で優勝。以後、1999年にも全日本女子学生選手権51kg級と全日本選手権で優勝するなど数々の大会で優勝し続け、24歳で自衛隊に入隊。自衛隊体育学校に所属しつつ、2006年と2007年の世界選手権で連覇を達成するなどその後も活躍をし続けました。
北京オリンピックでは55kg級で出場を目指し、2007年1月の全日本選手権で吉田沙保里と対戦しましたが、完敗。同年9月開催の世界選手権の55kg級でも吉田が優勝したため、北京オリンピックに出場する夢は断たれました。
そして、2008年の世界選手権での優勝を最後に現役を引退を決意。このときそれまでの自衛隊員としての数々の戦歴(無論、スポーツ競技としての)が認められ、防衛大臣浜田靖一から、女性自衛官としては初となる第1級賞詞と第1級防衛功労章が授与されました。
現役引退後は同じく女子レスリング競技者だった、妹の真喜子さんらの指導に当たっていましたが、2009年12月、この妹が結婚を機に競技生活から引退することを明らかにした際、なんと、現役復帰を表明。48kg級でロンドンオリンピックを目指すこととなりました。
こうして現役復帰後の、2010年9月に行われたレスリング世界選手権モスクワ大会では、7度目の優勝を果たして見事復活を実現。このとき、世界柔道選手権銅メダリストの國原頼子とともに防衛大臣北澤俊美からこの功績を顕彰されています。
そして、2012年8月9日、ロンドンオリンピック女子48kg級でついに悲願の金メダルを獲得。このことは、まだそれからあまり日数が経っていないので、覚えている方も多いでしょう。
しかし、小原選手は、この直後にこのオリンピックを契機として引退することを表明しました。ところが、前回の最初の引退のときに第1級賞詞を授与されたのと同様、このときもロンドンオリンピックでの金メダル獲得が評価され、再度の引退後、防衛大臣森本敏から2度目の第1級賞詞が授与されました。
同年には、青森県県民栄誉賞・八戸市民栄誉賞・彩の国スポーツ功労賞(2度目)が授与されるとともに、紫綬褒章も受章しています。
このように、2度も自衛官として第1級賞詞受賞したのは、上述の三宅義信以来史上2人目となりますが、オリンピックの金メダルだけでなく、自衛隊における金メダルともいえる「防衛功労章」も受賞したのは、日本広しといえども、このお二人だけ、ということになります。
さて、これまで各界のメダル事情をみてきましたが、このほかにも、メダルには学術研究などにおいて、ある分野で著しい功績があった研究者・技術者に対して授与するものがあります。
その分野の有名な研究者の名前を冠していることが多く、 生物学におけるダーウィン・メダルや、電気電子工学分野でのエジソンメダルなどが有名です。 ベンジャミン・フランクリンメダルのように、複数の分野を対象としたものも存在します。
しかし、メダルとして思い浮かぶものといえば、このほかにもゲームセンターのメダルゲームやライブハウスのドリンクチケットの代わりとして用いられるものなどを思い浮かべる人も多いでしょう。このほか海外では、一部の公共交通機関のほか、カジノのような遊戯施設において、やはり硬貨やチケットの代替としてメダルが利用されます。
英語圏では、この様な一種のチケットとしての役割を持つメダルは、メダルとは呼ばずに「トークン」と呼ばれることが多いようで、カジノにおいては、とくにスロットマシーン専用に金属製のトークンが現金の代わりに用いられたりします。
トークンはカジノにおいては現金の代わりをしますが、一般的にカジノの外では価値を持ちません。しかし、カジノ内では得たトークンは無論換金可能であり、その性質上、カジノは「賭博」とみなされる風潮が強いことはご存知のとおりです。
ところが、21世紀に入ってから、日本でも一部の地方自治体の中でカジノの許可権限やカジノによる税収や経済効果を求め、構造改革特区を目指す動きがあります。
東京においても、かつての石原慎太郎東京都知事や、その後任で先ごろ辞任したばかりの猪瀬直樹知事、そして自民党の一部の議員らが、「国際観光産業振興議員連盟」を結成して合法化を求めていました。
この団体はいわゆる「カジノ議連」と呼ばれ、現在もカジノの合法化を求めた活動しているようですが、猪瀬知事の献金疑惑問題が浮上してからは、その活動は縮小しつつあったようです。
カジノの日本導入にあたっては、青少年への悪影響、治安悪化、暴力団などの犯罪組織の資金源になるなどの恐れがあることや、国会による法改正を必要とすることなどの事情があるため、反対意見も多く実現には至っていません。
ところが、昨年暮れの12月初旬、自民・維新・生活の3党と無所属議員の一部が突如「特定複合観光施設区域整備推進法案」を提出し、カジノ実現への執念を見せており、これに対して日本共産党や社民党など一部の政党がこの動きを警戒しています。
これを推進しようとしていた猪瀬元知事自身はその直後に辞任していますが、この法案提出がなぜこうした時期に提出されたのかは不明ですし、猪瀬知事辞職との関係はよくわかりません、
しかしもしかしたら開催が決定した次期東京オリンピックでの自分の功績をもとに、どさくさに紛れてカジノも導入できると考えていたのかもしれません。
が、その後彼が公職選挙法に違反していたかどうかが捜査されているこの時期において、こうした法案が通過するとは思えませんが、はたしてどうなるでしょう。
新知事となった、枡添要一さんの見識が注目されるところです。
私としては、東京にカジノができ、そこに導入されたスロットマシーンで多くのメダルが取引されるかどうか、といった話題よりも、目下の最大の懸念である、金メダルのほうが気になります。
そろそろ夕飯時も近づき、おなかもすいてきました。今の気持ちとしては、さらに金メダルよりも、キンメダイが食べたいかも…… これから魚市場までダッシュして取ってこようかしらん。