雪の国から

2014-1130505再び、なんということでしょう、です。

朝起きて見ると、そこには真っ白な世界があるではありませんか。

昨日の天気予報で今日は雪になるだろうということは知っていたのですが、こんなに朝早くから、しかもざんざんと降るとは予想していませんでした。積もったとしてもせいぜい数センチくらいだろうとの予報でしたが、このまま降り続けるなら、10センチぐらいは楽にいきそうです。

またまた雪かきに追われることを考えると、少々うんざりしますが、しかし雪国でもない伊豆でこうした経験ができることを、心の中ではどこか喜んでいたりする自分がいたりします。

普段あまり積雪を拝むことのない、関東などの地域の方も同じなのではないでしょうか。

テレビでも、はるかかなたの雪の地での熱戦が続いています。昨夜はまた夜更かしをしてしまい、結局カーリングと男子フィギュアを見てしまいました。

またしても男女対決でしたが、男子のほうは圧巻なのに対して、女子のほうは惜敗。どうも今回のオリンピックは男尊女卑のような感じになってきましたが、このあと、どう展開していくのでしょうか。

ウチの奥様は、このカーリングが大のお気に入りのようで、初戦の韓国戦からずっと熱心にご覧になっています。実は私は最初あまり興味がなかったのですが、余りにも彼女が熱中しているので、一緒になってみているうちに次第に引き込まれるようになり、昨夜の夜更かしもそのせいです。

「氷上のチェス」とも呼ばれるぐらいですから、高度な戦略が必要とされ、その理詰めの試合展開をスリリングと感じる向きも多いのは分かる気がします。

日本においては比較的新しいスポーツで、競技として定着するようになったのは、北海道の元常呂町(現北見市)が、町をあげてその普及に取り組んだことがその礎です。

当初は、ビールのミニ樽やプロパンガスミニボンベなどでストーンを自作したそうですが、こうした努力が実を結び、1981年には、第1回NHK杯カーリング大会の開催に成功。1988年には、国内初のカーリングホールを建設して国内外の大会を開催するようになり、ここから多数のオリンピック選手を輩出するまでに急成長しました。

1998年の長野オリンピックでの男子チームスキップ敦賀信人選手の健闘や、2002年のソルトレイクシティオリンピックでの出場がテレビで中継されたことで徐々に認知が広がり、2006年に開催されたトリノオリンピックに出場した「チーム青森」の試合は、その全試合が中継されました。

この試合で7位に入賞したことから、日本におけるカーリングの認知度が一挙に高まり、その後も多数のチームが結成されて現在に至っています。

ただ、まだまだ新興の競技であるだけに、現在競技可能な施設は非常に少なく、競技人口も少ないようです。しかし、老若男女を問わず楽しめる競技であるため、今後のさらなる普及、発展する可能性を秘めています。似たような競技であるペタンクの普及ともあいまって、全国的にさらに人気が出てくるのではないでしょうか。

もともとは、15世紀にスコットランドで発祥したとされています。当時は底の平らな川石を氷の上に滑らせていたそうで、今のように成形した石を使ったカーリングの試合の最も古い記録は、1541年2月だそうです。

1541年というと、戦国時代の走りのころであり、甲斐の武田信玄が、その父の信虎を駿河に追放し家督を相続したころであり、そんな昔からあるスポーツと聞かされると驚きです。

この試合が行われたのは、スコットランド南西部に位置する同国最大の都市グラスゴー近郊のレンフルシャーという町です。

このころのベルギーの有名画家、ピーテル・ブリューゲルの作品に1565年の「雪の中の狩人」の中に、既に遠景として、氷上でカーリングを楽しむ人々が描かれているそうで、このころ既にスコットランド以外のヨーロッパ諸国でもさかんに行われていたことがわかります。

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「カーリング」という名称の起源については、はっきりわかっていないそうですが、一説によれば、髪の毛の「カール」にたとえられるように、投げられた石がゆっくりカールすることに由来するといわれているようです。1630年のスコットランドの印刷物中にこの名称の使用が確認されているのが一番古い記録のようです。

スコットランドでは16世紀から19世紀にかけて戸外でのカーリングが盛んに行われていましたが、現在のルールは主にカナダで確立したもので、カナダでは1807年には王立カーリングクラブが設立されています。

1832年にはアメリカ合衆国にカーリングクラブが誕生し、19世紀の終わりまでにはこのクラブが制定した新しいカーリングルールが、ヨーロッパに逆輸入され、スイスやスウェーデンなどで広まりました。

オリンピック競技としては、1998年の長野オリンピックで冬季オリンピックの正式種目として採用されたのが始まりです。以後のオリンピックでは毎回開催されています。そのこともあって現在ではヨーロッパや日本を含むアジア諸国だけでなく、オーストラリアのような比較的温暖な国でも競技人口が増えているということです。

そのルールは説明しだすとキリがないので細かいことは書きませんが、「エンド」と呼ばれる4人同士の攻守戦を10エンド行います。各エンドごとに選手が2投ずつ行う「ショット」で相手のサークルに石を投げ入れます。

相手チームのストーンに自チームのストーンをあてて、ハウスからはじき出してもよく、そのまま当てずに残すもよしですが、そのあたりは非常に緻密な駆け引きが要求されます。

各エンド終了時に「ハウス」と呼ばれる円の中央に最も近いストーンを残したチームのハウス内のストーン数の合計がそのチームの得点となります。逆に中央付近にストーンを残せなかったチームの得点はゼロです。このあたりの勝か負けるか、いちかばちか、といったドキドキ感もこのスポーツの醍醐味のひとつでしょう。

非常にスポーツマンシップを重んじる競技でもあります。例えば相手チームの失策を喜んだり、あるいはそのような態度を示すことは、慎むべき行為として忌避されています。また、途中のエンドの終了時に自チームに勝ち目がないと判断したとき、潔く自ら負けを認め、それを相手に握手を求める形で示すという習慣もフェアプレーの表れの1つです。

自分がファウル(ルール違反)をした時、それを自己申告するくらいのプレイ態度が期待され、このあたりは、同様の自己申告制がフェアプレーとされるゴルフと似ています。

このゴルフもスコットランドが発祥地です。ゴルフも、もともとは、審判員が存在しないセルフジャッジ制であり、同様にカーリングも、試合中のその場の両チームの競技者自身が判定を行う競技です。

このため、無用のトラブルを避けるためにも、その競技理念が、「カーリング競技規則」の冒頭に“The Spirit of Curling「カーリング精神」”として掲げられているそうです。世界カーリング連盟が定めるこのカーリング競技の基本理念をまず遵守することが、この競技における鉄則であるといいます。

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そこには、例えばこんなことが書いてあります。

「カーラーは勝つためにプレイするのであって、負かすためにプレイするのではない。真のカーラーは、不正をして勝つくらいなら負けることを選ぶだろう。」

「ゲームというものは、プレイヤーそれぞれの技量を明らかにするためにある。しかし同時にゲームの精神について言えば、善きスポーツマンシップ、思いやりある態度、そして誇り高い振る舞いが求められている。この精神は、(中略)ルールの解釈や適用のしかたに生かすべきであるのみならず、(中略)すべての参加者が行いの鑑とすべきものである。」

後段の「ゲーム」のところを、「政治」に置き換えて国会で披露してもらえば、一部の暴徳議員はみんな恐れ入ると思うのですが、どうでしょう。

このカーリング競技で使われている石は、その重さが1個約20kもあります。国際大会で使用されるものは、高密度で強度と滑りやすさに優れたスコットランドのアルサクレッグ島特産の花崗岩が使われているといいます。

他の石では密度が低く、氷の上で石が水を吸い、吸われた水が再び凍ったときに石が膨張して割れてしまうといい、このアルサクレッグ島で採掘される「粘りと弾性に優れた石」は衝突が起こる胴体部に、また「硬く滑りやすい石」を滑走面に使うことで、競技に最も適したストーンになるそうです。

「リーベック閃」という石綿の一種を含む特殊な花崗岩で、正式名称は「エイルサイト」というそうです。また、2004年現在、世界中で使用されているすべてのカーリング・ストーンの60-70%は、この島で採石されたエイルサイトから作られているといいます。

このアルサクレッグ島というのは、スコットランドの南西部の沖合約16kmにある島で、元々は火山島ですが、今は死火山になっています。

中世の16世紀における宗教改革ではカトリック教会の教会員の避難所となりましたが、現在は石工以外の居住者はおらず、ほぼ野鳥の楽園であり、多数のシロカツオドリの巣があるといいます。

周囲は3キロメートルほどしかなく、また最高地点の標高は338メートルという小さな島であるため、ここで獲れる花崗岩には限りがあります。このため石の資源保護の観点から、採石は20年に一度しか行われないといいます。

近年では2002年に採石されており、2010年のバンクーバーオリンピックでも、この石が使われていたそうです。非常に希少な石ということで、1個10万円以上するそうで、これを両チーム合わせて16個用意すると、160万円にもなります。

しかし、丈夫な石なので、一度加工すると、100年以上も使用できるそうです。ネットオークションの対象になっているのかどうかは知りませんが、古いものが出てきたとしたら、相当な価値があるのではないでしょうか。

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このカーリング競技ですが、上でも述べたとおり非常に歴史のあるものではあるのですが、片や他競技のアスリートなどから「カーリングはスポーツではない」という批判を浴びることもあるようです。

とくに日本においては「スポーツ=体育」という認識が定着しており、身体を激しく動かしていなければスポーツではない、という価値観が根強く存在します。

例えば将棋や囲碁、チェスなどは、「マインドスポーツ」であり、カーリングもまたそのひとつではないか、とする向きです。

カーリングは他の競技に比べ、一見激しい運動動作を伴わないため、スポーツと認識されないのでしょう。ところが、実際には、投擲の正確なコントロールや、的確にスウィーピングを行うためには、強靭な体力も要求されます。

この点は射撃とも似ています。私も大学時代に射撃をやっていたのでわかるのですが、この競技もまたカーリングのように、一見激しい運動を伴わないように見えます。しかし、止まっている標的を狙う以上、構えた銃は常に静止していなければなりません。

ところが、人間というのは呼吸をします。また、じっと静止しているつもりでも、心臓は常に動いています。この二つをいかに制御するか、というのは射撃の精度を上げる上において極めて重要です。

このため、射撃をやる人には、非常に柔らかい柔軟性が求められらると同時に、かなりの長時間息を止めて10kg以上もある銃を保持する体力が求められます。このため、足腰や腕の筋力も必要であり、通常の運動部以上のトレーニングを常に行って、自分のコンディションを整えなくてはなりません。

また、実射訓練においては、多いときは、一日に200回以上もの回数で銃の上げ下ろしをします。これは、一丁の銃を10kgとすると、述べ2トンもの鉄を上げ下ろしすることに相当します。射撃をやったことがある人はご存知だと思いますが、これはかなりの重労働です。

同様なトレーニングは、カーリングの選手にも必要です。正確なショットを打つための筋肉トレーニングや、ブラシで氷上をスウィーピングするための瞬発力は当然必要となり、一見、力を使っていないように見えますが、あの動作をするためには、相当の練習を積んでいるはずです。

これらの体力に加え、ストーンを正確にコントロールする技術力、チーム内でのプレーの連携、そしてスコアを競い合う先読みを繰り返す戦略性や戦術といったゲーム性も兼ねそろえたスポーツといえ、私はかなり高度なスポーツとみています。

こうした話を読むと、あらためてこのカーリングや、ゴルフといったスポーツの発祥地であるスコットランドという国を見直す気持ちが沸いてくるのではないでしょうか。

ちなみにこのスコットランドという国を独立国家と勘違いしている人も多いと思いますが、これは間違いです。スコットランドは、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国、すなわち「イギリス」を構成する4つの国(カントリー)のひとつにすぎません。

この連合王国の国王であり、首相であるのが、「エリザベス2世」であり、エリザベス女王は他の三つのカントリーの国王でもあります。

ただし、スコットランドの法制度、教育制度および裁判制度は他の3国からは独立したものとなっており、スコットランド教会がこの国の独自性の基礎でもあります。このため国際法上は1法域を構成する独立国家とみなされています。

とはいえ、これは法律上の話であってスコットランドはやはり独立国家ではありません。国際連合および欧州連合の直接の構成国ではないことがそれを物語っており、国連における代表国はあくまでイギリスという国家です。

そんなことぐらい知ってるよ~という声も聞こえてきそうですが、私自身も時々誤解しているところがあるので、念のためです。役に立った知識だった方も中にはいるのではないでしょうか。

とはいえ、スコットランドは、イギリスそのものです。古くは石炭がスコットランドの主要産業であり、産業革命を支えのもこの国です。1960年代に北海油田が開発されると、スコットランド北東部の小さな漁港にすぎなかったアバディーンは石油基地として大きな発展をとげました。

現在では、エディンバラ、グラスゴーに次ぐスコットランド第3の都市といわれ、港湾都市として発達するとともに、ヨーロッパの石油の首都とまで呼ばれています。

1980年代からは半導体産業や情報通信産業の誘致が盛んに行われており、スコットランド中部のIT産業の集積地帯は「シリコングレン」と呼ばれるほど、情報産業がさかんなところです。

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数々の文化人、有名人を輩出したことでも知られており、「経済学の父」ことアダム・スミス、詩人のキーツ、シャーロック・ホームズの生みの親コナン・ドイル、「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」の作家ロバート・ルイス・スティーヴンソン、俳優のショーン・コネリー、ユアン・マクレガー、ジェラルド・バトラーなどはスコットランドの生まれです。

スコットランドは、産業革命以前より、科学・技術の中心地であったため、多くの科学者・技術者をも輩出しており、それらの発見・発明は、現代社会にはなくてはならないものが多数あります。

ペニシリンを発見したアレクサンダー・フレミング、蒸気機関を発明したジェームズ・ワット、ファックスを発明したアレクサンダー・ベイン、テレビを発明したジョン・ロジー・ベアード、空気入りタイヤを発明したジョン・ボイド・ダンロップ、道路のアスファルト舗装を発明したジョン・ロウドン・マカダム、などはスコットランドの生まれです。

そして、電話を発明したグレアム・ベルもまた、スコットランド出身です。

実は、このベルは私と誕生日が同じです。なので、妙に親近感を感じてしまうのですが、その生誕から167年を経た雛祭りがもうすぐ近づいてきました。

私もとうとう5×歳になります。その私と同じくらいの年齢でベルは何をやっていたのかな、と調べたところ、なんと、この歳で飛行機の開発をしようとしていたようです。

アエリアル・エクスペリメント・アソシエーション(AEA)という会社を起こし、三角翼の凧のような飛行機の開発を始めており、その研究を通じてイギリスの航空宇宙工学研究の発達に多大な貢献をしました。

残念ながら、人類初の動力飛行機の離陸成功の栄誉は1903年のライト兄弟によって奪われましたが、その5年後の1908年にAEAが開発したレッド・ウィング号が初飛行に成功し、パイロットのフレデリック・ボールドウィンは最初に飛行に成功したカナダ人となりました(この当時ベルはスコットランドからカナダに移住していた)。

そうした晩年に至るまで発明に励んでいたベルにあやかり、私も何ごとかを成し遂げたいところですが、なにぶんこの雪が……

雪のせいにしてはいけません。今日も明日を夢見てせっせと仕事に励みましょう。が、ときには息抜きも必要です。

そうそう、スコットランドといえば、スコッチ・ウイスキーはやっぱり、スコットランド産でなければなりません。スコットランドには、100以上もの蒸留所があり、世界的にも愛好家が多いそうです。

この寒い雪のなか、スコッチ・ウィスキーをちびちびやりながら、今晩もオリンピックを見ることにしましょう。

仕事はどうするかって?それは、今日貰う予定のチョコレートをかじりながら、ウィスキーを飲んだあとのことにしましょう。

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