この4月から、日経新聞朝刊の「私の履歴書」の執筆連載をトヨタ自動車の名誉会長、豊田章一郎さんがされています。
トヨタ自動車創業者の豊田喜一郎の息子で、父の命で建設業や食品業を経験した後1952年にトヨタ自動車工業株式会社に取締役として入社。トヨタ自動車工業の常務や専務、副社長を経て、1981年にトヨタ自動車販売代表取締役社長に就任し、豊田本家出身者への社長職「大政奉還」の旗印となりました。
また、1982年、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の合併に誕生したトヨタ自動車の初代社長に就任。以後、1992年に代表取締役会長就任、1999年に取締役名誉会長等を歴任し、1994年から1998年まで第8代日本経済団体連合会の会長を務めるなど、現在でも経済界の重鎮です。
このトヨタの偉いところは、創業者一族に経営を任せず、常に外からの血を入れて組織の活性化を図ってきたところで、このため大組織によくありがちな、血管閉塞を起こすことなく、ほどよい内部の活性化が図られ続け、その結果として、日本はもちろん、世界でもナンバーワンといわれるような大企業となりました。
そのトヨタの車を見ると、確かによくできていて、デザインもさることながら動力性能も優れたモノが多く、トヨタファンならずとも、なかなかいいな、と思わせるものがあります。
しかし、私はトヨタ党ではなく、ホンダのほうが好きです。昔はスバルやいすゞに乗っていたこともありますが、トヨタの車は一度も自分では購入したことがありません。
なぜか、といわれるとはっきりとしたことは言えないのですが、なんというか、ワクワク感がないとでもいうのでしょうか、例えばエンジンひとつにしても、ホンダやスバルのエンジンのような、あのブワッと吹け上がるときの高揚感がないのです。
デザインも優れていて、大衆車であるカローラなどをレンタカーで借りて乗ったりすると、あぁよくできているなーと感心するのですが、いざ運転してみると、可もなく不可もなく、優等生的なその出来具合に、しばらくすると飽きてしまいます。
業務用で使う分には非常によく出来た車だと思うのですが、普段自分が乗り回すクルマとしては少々どこか物足りなく感じてしまうのです。
無論、トヨタやたくさんの車を作っていて、それすべてに試乗したわけではありませんから、こうした批評をする立場にはありませんが、かつて乗ったことのあるトヨタの高級車にもやはり同じような感触を持ったことから、総じてこの会社の車はそうなのかもしれません。
なぜなのかはわかりませんが、私は昔からナンバーワンよりもナンバー2のほうが好きなようで、このほかにも例えば、カメラではニコンよりもキャノン、オリンパスといったメーカーのものが好きでしたし、パソコンでもSONYやNECよりも、東芝やエプソンといったどちらかといえばマイナーなメーカーをいつも選んでいました。
野球では巨人や阪神よりもカープが好きですが、これは育った町が広島だったからにほかなりません。が、巨人戦のカードのときには、がぜん燃える思いがあるのは、やはりナンバーワンに対しての対抗意識があるからなのでしょう。
それにしても、古来から日本では、ナンバー2といわれる人達があまた輩出され、彼らが歴史を作ってきたと言っても過言ではなく、有名なナンバー2としては、例えば主君上杉景勝のナンバー2であった、直江兼続がいます。
景勝と兼続は、幼い頃から兄弟のように固い絆で結ばれていましたが、主従の関係にありました。上杉謙信が倒れた時、景勝を跡取りとすべく画策したのが兼続であり、この時のもう一人の跡継ぎ候補は北条家からナンバーワンとして送り込まれた上杉景虎でしたが、兼続はこれを除いて自分の主君である景勝に家督を継がせ上杉家を守ることに成功します。
ここから兼続のナンバー2としての人生が始まり、口数が少なく不器用な景勝、対して容姿が美しく、言語晴朗、頭脳明晰な兼続はこの主君の良きサポーターとなり、その後の乱世を生き延び、上杉の名を幕末まで残しました。
このほかの歴史上有名なナンバー2としては、若き将軍家綱を支え強力なリーダーシップを発揮した保科正之や、江戸城内で刃傷事件が起こした主君の遺恨を晴らした家老の大石内蔵助などが思い浮かびますが、千利休や真田幸村のように最終的には自らのその優れた能力のために身を滅ぼしたナンバー2もいました。
こうした彼等の立場は、終世ナンバー1ではなく、あくまでナンバー2でした。
人間という存在が組織的な活動をするためには、どうしても序列が必要になり、大きな組織になればなるほど、ナンバー1になるということ自体が並大抵のことではなくなります。
このナンバー1になるということが大組織ではどういうことかというと、そのためにはある種の正当性が問われることになります。特に組織が大きいだけでなく、機構が複雑になればなるほど、組織のトップは実力のみではなく、この正当性が重大な問題となってきます。
その正当性をどう決めるかについては、その時代の特性や帰属する組織の性格にもよりますが、多くの場合が血統であり、あるいは多数の者たちの同意によるものでしょう。が、時には神の意志といったこともあるでしょう。
このように時代、文化によりその正当性は異なりますが、どうしても一部の人間にしか越えられないハードルがナンバー1とそれ以下には存在します。
しかし、人間はその出自や社会状況に関係なく、野心を抱き、向上することを夢みるものであり、自らの能力の有無を世間に問いかけたいと願うものです。それこそが人間性を形成する一部であり、こうして神の恩寵を受けたナンバー1へのハードルをどうしても越えることのできない多くの男たちは、組織のナンバー2を目指すことになります。
つまり、ナンバー2を目指す人は、歴史の神の恩寵を最大限に引き出すことの出来なかった、「優れた凡人」といえ、時には人には真似できないほどの愚直な努力によってその座を獲得するのです。
では、トヨタやニコンといったナンバーワン企業が神の恩恵を受けて誕生したメーカーかといえば必ずしもそうではないかもしれません。が、やはりどこか優等生的な雰囲気はぬぐえません。
これはトヨタがその後日本が太平洋戦争に突入していく中、国策企業として優遇されたといういきさつや、ニコンにしても「光学兵器」の国産化を目的として設立されたという経歴があることと無関係ではないでしょう。
これに対して、ホンダやキャノンといったナンバー2はこうした国の方針とは関係なく、戦後の混乱期に独自の努力で今の地位をなしえた企業であり、広島カープもまた、巨人のような老舗球団ではなく、原爆の焼け跡から市民団体が立ち上げた球団です。
多くの人間はリーダーにはなれません。その素質も、その正当性も、そして幸運をも持ち合わせていないからです。しかし、巨大な権力や組織の間をうまく泳ぎ抜き、その中で実務能力を身につけ、現実的な思考を生かしつつ未来に対する先見性を持ち、社会や歴史に大きな足跡を残すことは可能です。
ナンバー2であることは強権な権力や巨大組織と常に対峙して生きていくということでもあり、それらはいつの時代にも残酷で、冷酷な魔物でもあるため、ときに利休や幸村のように時代に埋没していきます。
いかにしてその魔物と対峙し、これをコントロールしていくのかこそが一生の課題なわけで、そこを必死に頑張っていく姿は泥臭くもありますがしかし、多くの人の共感を呼びます。私がナンバー2を好きなのはそのためかもしれません。
過去において、成功したナンバー2、失敗したナンバー2は数多くみられますが、それぞれの事例を見れば、どのように生きるのか、そのヒントが見えてくるのではないでしょうか。
優秀なナンバー2がいなければ、ナンバー1もありえません。今のトヨタがナンバー1でいられるのは、ホンダなどあまたのナンバー2が控えているからです。
しかし、そのトヨタにもまたナンバー2がいるはずです。この大企業にあって、そのナンバー2がナンバー1をどう支えているか、その生き様がどうであるかを観察することもまた勉強になるかもしれません。
さて、あなたの周りのナンバー2は誰でしょう。あるいはあなた自身が優秀なナンバー2であるかもしれませんが。