バタフライ

2014-3750今日で6月も終わりです。

今年前半に何を成し遂げられたかなぁ~と考えてみると、何もできていなかったような気がして唖然としてしまうのですが、この調子だと、今年の大みそかにも同じことを言っているに違いないと、戦々恐々とした気分になってきます。

年末になって、結局今年もいい年じゃなかった、などと後悔をする前に、今から体制を立て直したいと思う次第ですが、そのためにはやはり今年前半のことを色々反省してみるのが一番です。それにしても、今年に入ってから世間で何があったのかも記憶が曖昧なため、あらためて調べてみることにしました。

すると、まず1月にはタイで反政府デモが相次ぎ、首都バンコクとその近郊に非常事態宣言が発令され、以後この騒乱はタイ国内のあちこちに蔓延していきましたが、この騒動は、一応先月7日の軍のクーデターの形で終止符が打たれ、インラック首相が失職しています。

2月にはソチオリンピックがあり、日本は7つの種目で、金1、銀4(うち、スノボで男女アベック受賞)、銅3つを得て、まずまずの結果でした。続く、3月のパラリンピックでも、金3、銀1、銅2の6つのメダルを手にしましたが、以前にも書いたように、このパラリンピックでは近年、日本勢の凋落ぶりが目立ちます。

このパラリンピックが開催されている最中の、3月8日、マレーシア航空の旅客機370便(乗客乗員239人)がタイ湾のトーチュー島付近で消息を絶ちました。マレーシアだけでなく各国も手伝って大規模な捜索が行われましたが、370便はいまだみつかっておらず、これは航空機史上最大のミステリーとして歴史に残りそうな事件です。

3月にはまた、ロシアのプーチン大統領がクリミア自治共和国の編入を表明して国際的な問題に発展しました。日本では月末に、1966年に発生した袴田事件において進展があり、静岡地裁が再審開始と、死刑及び拘置の執行停止を決定しました。袴田さんは同日午後に東京拘置所から釈放され1966年8月18日の逮捕以来の自由の身となりました。

4月、1日にチリ沖を震源とする、マグニチュード8.2の地震が発生し、すわ、日本にも津波が押し寄せるか、と思われましたが、結局大きな被害は出ませんでした。

4月にはまた、Windows XPのサポート期間終了が終了し、古いパソコンを使っている企業や個人に少なからぬ影響が出ました。また、16日には、韓国の全羅南道珍島沖で、仁川港から済州島へ向け航行していたクルーズ旅客船「セウォル号」が沈没、多数の死傷者を出す海難事故が発生しました。

この船を運航していた船会社とこの会社を保有するグループ企業のオーナーが責任を問われ、逮捕状が出ましたが、このオーナーはまだ捕まっていいません。

4月23日、バラク・オバマアメリカ合衆国大統領が来日。銀座で阿部首相と寿司を食うという場面などが放映され、話題になりましたが、この寿司屋は、「すきやばし次郎」という高級店で、おまかせコースは3万円からだそうです。

5月、前述のとおり、7日にタイのインラック首相が失職したのに引き続き、22日にはタイ軍がクーデターを宣言し、憲法を停止。現在もまだ新しい首相は選出されていません。また、13日、トルコの炭鉱で爆発事故が起き、301人が死亡するとい大参事がありました。

この月には、南沙諸島付近の海域を自国の海だと称して勝手に石油採掘を始めた中国とベトナムの喧嘩が始まり、ベトナムの船が沈没したりしたため、ベトナムでは反中国を掲げる人達のデモが発生し、死者も出るなど血なまぐさいことになっています。

このように5月は、何かとアジアから中近東にかけて何やら騒々しい出来事が多く、6月に入ってもこの傾向は続き、アジアでは8日にパキスタン・カラチのジンナー国際空港をターリバーンが襲撃して、戦闘員10人を含む29人が死亡したほか、21日には、朝鮮の南北軍事境界線近で争乱があり、兵士5人が死亡、7人が負傷するという事件が起こっています。

一方中東では、イラク北部においてスンニ派の武装勢力が台頭して国境地帯を不安定化させ、地域戦争の危険性を高めています。

シーア派のマリキ首相は宿敵のイランの手助けまで得てこれを掃討しようとしており、これに加えて近隣諸国のサウジアラビヤやイスラエルなどの思惑もこの紛争に絡まってきており、中東地域は非常にきなくさい状態になってきています。

そして、6月12日に始まったサッカーワールドカップにおいて、日本は、コートジボアールに敗戦し、ギリシャとは引き分けたものの、コロンビアに惨敗して、一次予選敗退。先日には監督のザッケローニ氏が敗戦の引責を取って、辞任を表明したばかりです。

その日本は、安定した安倍政権の下、どうやら集団的自衛権とやらの行使に向けて歩みだそうとしており、これは大きな時代変化につながっていきそうな雰囲気です。特定秘密保護法案が通ってしまったことなども含め、この国の先行きが不安になってきます。

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さて、このように移り変わる国内外の世情と自分の境遇は、一見何のかかわりもなく、私が歴史に何等かの影響を及ぼしているといった大それたことは何もないわけです。

ところが、「バタフライ効果」ということがあり、案外と私がさきほどした、くしゃみによっても、世界が変わるかもしれない、ということも考えられなくはありません。

このバタフライ効果(バタフライ・エフェクト)とは、初期のわずかな変化が思いがけない方向へ発展してゆくことです。

一般に、自然において発生した複数の現象は、同じ時間だけ経過すると、似たような過程を経て似たような結果に落ち着くだろうと考えがちです。例えばある地域では小雨、隣の地域は雨か曇りであっても、やがて高気圧がやってくると、全体的には晴れになることが多いものです。

同じく、自然科学者も、実験などを行う時、普通は「微少な誤差は無視できる」「誤差は小さければ小さいほど影響はより小さい」と考えます。また自然科学者は、微分方程式や差分方程式で記述可能なような、ランダムではない事象は、初期値がほんのちょっと違っていても、一定時間経過後の計算結果は同じであると、しばしば考えがちです。

私はかつて海の波や砂の動きをコンピュータでシミュレーションして予測する、ということをやっていましたが、このシミュレーションモデルで使う数式は、簡単なものではプログラムで書き出せば数行で終わってしまうようなものもあり、多少違った初期値を与えても、結果は同じになるはず、といつも思っていました。

ところが、最近はこうした結果が明らかに見え、有限と思われるような系の中にも、初期値の小さな差が大きな差へと拡大するような系が存在することがわかっています。このような系は、「カオス系」と呼ばれるようになり、このカオス系に関する研究成果は「カオス理論」としてまとめられ、現在では物理学や数学の一分野にまで発展しています。

カオス系においては、誤差が時間と共に有意な差へと拡大することが知られており、長時間経過した後ではこの誤差は無視することができなくなるほど大きくなる場合があります。一般の数値解析では誤差を避けることができず、またこの誤差がどのくらい大きくなるのか小さいままなのかも計算では結果が得られないため、長期の予測は事実上不可能です。

つまり、バタフライ効果とは、「カオスな系」においては、初期条件のわずかな差が、結果に大きな違いをもたらすということであり、その結果は実際上「予測不可能」ということになります。

このバタフライ効果というのは、1961年にはマサチューセッツ工科大学の気象学者であった、エドワード・ローレンツという人が、発見しました。彼は計算機上で数値計算によって天気予測を行うプログラムを実行していた時、最初ある入力値を「0.506127」とした上で天気予測プログラムを実行し予想される天気を得ました。

ところが、もう一度同じ計算結果を得ようとし、小さな差異は無視できる、と信じて「0.506」と入力し、同じプログラムを実行したところ、この2度目の実行結果は、彼が想定していたのとは異なるものとなり、予測される天気の展開は、一回目の計算とまったく異なったものになってしまいました。

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こうして、エドワード・ローレンツは、この結果をもとにまとめた論文において、はじめて「butterfly effect」という表現を使いました。そしてこれを1972年にアメリカ科学振興協会でおこなった講演でも使ったところ、その後世界的な反響を呼ぶようになりました。

この講演のタイトルは、「予測可能性~ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか」だったそうで、以後、「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」や、「アマゾンを舞う1匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れたシカゴに大雨を降らせる」といった表現が、他の研究者たちの間でも使われるようになりました。

ブラジルでの蝶の羽ばたきというごく小さい要素であっても、テキサスでトルネードが起きるという気候変動に大きく影響を与える可能性があるというわけですが、ただ、こうしたカオス系での予測は不可能ということですから、ブラジルの蝶の羽ばたきを観測すれば、テキサスの天気が必ず予報可能になるというわけにはいきません。

とはいえ、この理論によれば、もしこの世全体がカオス系であるとしたら、自然界にあるどんな小さな要素の変化でも、それは未来に大きな影響を与えるということになり、その未来予測は実際上不可能ではありますが、すべてはつながっている、ということになります。

以後、バタフライ効果が現れる具体的な例として、気温・風・波などの状態・変化や道路における自動車の自然渋滞、株価の値動きなどが確認されるようになり、たとえ小さな変化においても、未来は変わりうる、ということを科学者の多くが信じるようになりました。

この「バタフライ・エフェクト」は、その名前のまま、2004年に映画化され、日本では2005年5月に公開されました。斬新で衝撃的なアイディア、練り込まれた脚本が受け、本国アメリカで初登場1位を記録したほか、2006年には続編「バタフライ・エフェクト2」が2009年には「バタフライ・エフェクト3」が公開されました。

一番最初の作のあらすじとしては、時折、記憶を喪失するある少年が、成長してからはその症状も次第になくなっていきますが、ある日、その幼いころの治療の過程で書いていた日記を読みかえしたところ、その「読み返す」という行為によって、過去に戻れる能力がある事を知ります。

彼には幼馴染の女性がおり、彼の幼いころの行動でこの幼馴染の人生を狂わせてしまったという負い目を持っており、彼はこの能力を使って過去に戻り、彼女の運命を変える事を決意します。

しかし、実際に過去に戻り、選択肢を変えることによって新たに始まった人生では、この幼馴染も含めて彼の愛する誰もが幸せではありませんでした。失望した彼は、再び現在に戻り、過去へと戻れる日記などを燃やすことにし、また、二度とこの幼馴染にも会わないと決めます。

8年後、彼は医師となって街中を歩いており、そこにかの幼馴染の姿を見かけますが、彼は既に彼女のことをはっきりと覚えておらず、不思議そうに見覚えのあるその女性をしばらく見ていますが、やがて彼女に背を向けて、再び歩き始めていく……というストーリーです。

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ネタバレになるので細かい部分は省略していますが、結構面白い話なので、見たことがない方はレンタルビデオで借りて見られると良いでしょう。

以後、こうしたバタフライ効果をテーマにした映画や小説がたくさん作られるようになり、日本においても、漫画家の「かわぐちかいじ」さんの描いた、「ジパング」が、講談社の漫画雑誌「モーニング」に連載され、好評を博しました。

こちらのストーリーとしては、西暦200X年の6月のある日、海上自衛隊の自衛艦隊のイージス艦がミッドウェー沖合で突如嵐に巻き込まれ落雷を受け、タイムスリップしてしまいます。

そしてタイムスリップした先は、ミッドウェー海戦直前の1942年6月4日の太平洋上であり、そこには戦艦大和以下大日本帝国海軍連合艦隊がいました。突然の出来事に戸惑う艦長以下の隊員たちは、こうした戦争には関わるまいと戦線を離脱しようと決意しますが、そんな彼等の前に、撃墜され水没しつつある零式水上観測機が現れます。

その沈みゆくゼロ戦の後席には、高級士官らしい人物が気を失って坐乗しており、クルーの多くは彼を救出すれば時代の変化に関わることになるため無視しようとします。

ところが、この船の副艦長で、気骨のある人物としてクルーの多くにも慕われている主人公が、単身船から飛び込み、零戦から彼を救出してしまいます。このことから結局、好むと好まざるにかかわらず、彼等はこの戦争に関わってしまったことになり、やがて日米双方の争いに巻き込まれていく……といった話です。

この話の中では、タイムスリップしてしまった彼等がこの戦争に関わってしまうことで、時代が変わってしまうと自覚し、何とか関わらないようにする、というところがミソであり、バタフライ効果に関する言及も何ヶ所かで出てきます。が、最新鋭の自衛艦が二次大戦の真っただ中に突然現れるというのは、もはやバタフライ効果どころではありません。

こんな荒唐無稽は話は無論現実にあるわけはありませんが、ただ、その影響を与えるものが大きいか小さいかは関係なく、ともかくもどんな些細なことでも、世の中を変えてしまう可能性がある、と考えさせられるのがバタフライ効果であり、これを気にし出すと、おいそれとゴミも捨てられなくなってしまいそうです。

もう二年ほども前になりますが、このブログで、「魂の真実」という本の内容について触れたことがありました。著者は、「木村忠孝」さんという現役のお医者さんで、アメリカでの臨床経験を経て日本で開業され、その後転職をされていなければ現在も、北九州市の春日病院という病院の院長さんをおやりになっているはずです。

「魂の真実」における木村先生の主張のひとつは、我々の肉体などのように目に見える物資は、粗い振動数の低い波動帯でできている世界にあり、一方では素粒子のように目に見えないものは、よりきめの細かい振動数を持ちより高い波動帯の世界にあるということです。

粗い波動帯に住む我々には、振動数の高い波動帯の世界は目に見えませんから、素粒子もみることができないわけですが、こうした振動数の高い波動帯でできている物質で満ち満ちている世界の中には、霊の世界もある、といいます。無論、波動帯はひとつではなく、波動の違う波動帯がたくさんあり、このため霊界も一つ一つ細分化されています。

たとえば、あるひとつの高い振動数を持つ波動帯でできた霊界があるとします。現世にいる我々の目からは当然のことながら、その世界を見ることはできませんが、その世界に住み、同じ振動数でできた体を持った霊たちにとっては、我々の世界で我々の世界の物質をみるのと同じように、その世界の物質を普通にみることができ、触ることもできます。

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この世界の霊たちは、振動数を自由に変更することができ、そのことによりその世界からより高い波動帯の霊界へ行くことも低い世界へ行くこともでき、このことによって、もし我々の世界に現れたなら、その姿は突然消えたり、現れたりしてみえます。つまり、我々がいうところの「幽霊」とは、それができる世界の「人」が、我々の住む世界に波動を変えて現れた姿ということになります。

こうしたあちらの世界の住人の振動数の変化は、時空の変化ともつながっています。つまり、私たちが現れたり、触れたりできるこの世界以外に、数多くの霊界があり、この霊界と我々の住む世界は時に重なりあい、また隣り合わせしており、単に空間的に重なっているだけではく、それぞれの住人の波動が影響しあって時間とともに変化します。

ただ、我々より振動数の高い霊界においては、精神活動を作動させる波動帯と、周囲の環境を形作る波動帯がより近似しているので、意識や思考するだけで、それによって発生するエネルギーによって、周囲の環境や世界を作ることが可能ですが、波動の低い世界に住む我々にはそれはできず、思考だけで世界は変えられません。

より波動の高い霊界、しかもその霊界にも波動帯の違う霊界が数多くあり、それらの世界が重なりあうとともに、我々の世界とももつながっているということは、つまり我々がちょとした行動を起こすことでそこから発せられた波動の変化は、我々の世界のみならず、そうしたより次元の高い世界の波動へも影響を与える、ということになります。

こう考えてくると、バタフライ効果というのは、この世のものだけでなく、あの世にまで影響しうる現象だということになります。現世に住まう我々は、ちょっと考えたり意識したりするだけでモノの形を変えたりすることはできませんが、その思考が良いものであるか悪いものであるかは別として、それはあちらの人達に何等かの影響を与えます。

つまり、悪しき考えはあちら側にも悪影響を与え、逆に良い考え方はあちらの世界をも明るくします。いわんや、口から突いて出る言葉などのように「音」として表現されたものも当然あちらにも伝わります。「言霊(ことだま)」という言葉がありますが、これは口から出た言葉はすべて魂に響き合うもの、といった意味です。

従って、人をののしったり、悪口を言ったりしたことはそのまま、言霊としてあちらの世にも伝わり悪影響を及ぼしますが、良い言葉や美しい音楽はあの世を癒し明るくします。言霊によるバタフライ効果は、あの世にも及ぶわけです。

また言葉だけではありません。ヒトが取る行動もまた、我々の住む世界だけでなく、あの世にも影響を与えます。戦争や殺人といった悪しき行為や、詐欺、窃盗に至るまで、この世に蔓延する悪行はあの世にも波動として伝わり、影響を与えます。

こうして考えてくると、我々の日常における一挙手一投足のひとつひとつは、すべての世界に関わってくるということになり、いかに日頃の行いが大事か、ということが思い知らされます。

いつもいつもいいことばかりをやっている、というのはヒトとして疲れてしまうかもしれませんが、善行はやはりこの世とあの世をよくするための一番の薬です。しかし、たとえ善行ばかりできなくても、普通に生き、悪いことだけはやらないよう戒めて生きていく、というのは平常な世界を保つということでもあり、それだけでも十分意味があります。

ところで、木村先生によると、この世界に住まう私たちの体にある細胞はそれぞれ一定の周波数を持っており、その周波数はある一定の範囲であるからこそ集合体としてまとまることができ、このため肉体というものが存在するのだそうです。

肉体だけでなく、この世にあって、我々が見ることができる物質は、すべて波動がいろいろな形に姿を変えたものにすぎず、ある波動とある波動が干渉、交叉し、いろいろな形ができますが、こうした交わりはまた色の変化としても現れます。

この色というものは、波動の内容や働きを知らせるひとつの表現方法なのだそうで、色の種類や統合、区分、変化の仕方によって、一見してその働き、機能を知ることができるといいます。

一方、この肉体を形成している細胞の持つエネルギーは光となって体外に放射されています。これをバイオフォトン、バイオプラズマと呼び、一般的には、「オーラ」として知られています。

この我々が放射しているオーラは、考えや気分、感情によってその振動数波長が変わるため、当然色も変わります。つまり、オーラの色をみることによって、その人の今の状態がわかるわけです。

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俗に言う霊能者と呼ばれる人達は、このオーラを見ることのできる第三の目の機能がすごく発達していて、相手に触るだけでその相手が思っていることが瞬時にわかったり、目隠ししていても相手の持っている物質が放つ振動数波長でそれが何であるか当てたりすることができ、無論、オーラの色や形も目視することもできます。

それだけ高い波動を見たり感じたりできる人達ということで、より次元の高い霊の世界の住人たちに近いひとたちと考えることができるでしょう。そういう人達が、幽霊ではなくこの世に存在するというのは、やはり霊界と我々の世界の橋渡しの役割を担っているためと考えることができます。

このオーラの色は、現世において肉体を持っている我々の代名詞のようなものです。悪行ばかりをやっている人のオーラはきっとドス黒いに違いなく、他人を愛し、善行を及ぼす人達のオーラは慈愛にあふれた緑色をしているに違いありません。

が、普通の我々にはなかなか見ることができないもので、何とかならんかいな、といつも思います。

しかし、今年初めにお会いした、広島在住の霊能者Sさんによれば、オーラはある程度訓練をするとみることができるようになるそうで、その訓練のひとつとして、24色の色鉛筆のセットを使うといいそうです。

このエンピツを、それを見ずに目をつむって指先で触り、この色は何か、を当てる訓練を繰り返しているうちに、オーラを見る能力が備わってくるといいます。そして折を見て、鏡を見て自分の周辺にもやっとした色が見えてくるようなら、訓練の成果が出てきている証拠だそうです。

自分でもオーラを見ることができるようになり、自分で自分の状態を確認できるようになるということは素晴らしいことです。つまり、オーラの色を見ながら自分の健康状態や心理状態をコントロールできるわけであり、より高い次元に上ったことになります。

オーラが見えるということは、自分の波動がより高まっているということでもあると思われ、そうしたら、もしかしたらあちらの世界の人も見えるようになってくるのかもしれず、今年後半は、こうした自分の霊能力をアップする、ということに取り組んでみるのもいいかもしれません。

さて、みなさんの今年前半はいかがだったでしょうか。もしかしたら、あまりかんばしくないこともいろいろあったかもしれませんが、すべてが世界全体につながっていると考えれば、逆にあちらの世界からは良い波動を受けており、そのために健康でいられるのかもしれず、すべてはけっして無駄ではありません。

すべてのことはつながっている、すべてのことには意味がある、と考えて今年の後半戦も頑張りましょう!

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