彗星のはなし

2014-7-3801
さて、7月になりました。

今日、7月2日は、1900年に ドイツのフリードリッヒシャフェンで飛行船ツェッペリン号が初飛行した日であり、また1937年に世界一周飛行中の女性飛行士アメリア・イアハートが南太平洋で消息を絶った日でもあり、さらに2002年 にスティーヴ・フォセットが世界初の気球による単独世界一周飛行を達成した日でもあります。

何かと航空機に関わる出来事や事件が発生した日なわけですが、もしかしたら、何等かの関係があるのかも、とか思ってしまいます。が、無論、この3つのできごとには何の相関関係はありません。

しかし、先週末に書いたブログでも、こちらの世とあちらの世は繋がり、重なっていると書いたばかりであり、案外と飛行機を飛ばすということを司る何かの波動がつながって、これらの出来事が起こったのかもしれません。

さらに調べてみると、実は1985年の同じ日、こちらは航空機ではありませんが、 欧州宇宙機関 (ESA) がハレー彗星探査機ジオットを打ち上げており、これは、過去において最もハレー彗星に最接近したといわれている探査機です。

ジオット(giotto) またはジョットという名前は、1301年に出現したハレー彗星をパドヴァのスクロヴェンニ礼拝堂の壁画のモチーフに描いたイタリアの画家ジョット・ディ・ボンドーネにちなんでいます。

このハレー彗星は古代からこのように何度も人類に目撃されてきており、明確な記録として残っている最古のものは、紀元前240年5月25日の中国の「史記」の記述であり、そこには「彗星先ず東方に出で、北方に見ゆ。五月西方に見ゆ」との記載があります。

近年では、1986年にハレー彗星は地球にかなり近づいており、これに伴い、アメリカ、日本、ソ連、ESAの各国・機関は、共同で衛星によるハレー彗星の観測を行いました。そのなかで、ESAはハレー彗星のコマの内部まで突入し、近距離より彗星核の撮影を試みるという最も冒険的な計画を立てました。これがジオットです。

彗星が太陽に近づいていくと、太陽から放射される熱によってその表面が蒸発し始めますが、それに伴って発生したガスや塵は、非常に大きく、極めて希薄な大気となって核の周りを球状に覆います。これがコマです。

ジオットはこのコマに近づいて観測を行いましたが、この際に核から噴出した多数の塵が衝突することが予想されたため、その製作にあたっては衛星の進行方向に装甲板が取り付けられました。また映像は、衛星本体の脇に、装甲板の外側に取り付けられている鏡を経由し、本体内のカメラで撮影する、という特殊な方法がとられました。

こうしてジオットは、1985年7月2日、 フランス領ギアナのギアナ宇宙センターからアリアン1ロケットにより打ち上げられ、翌年の3月14日、ハレー彗星の核から600 kmまで接近しました。そして塵の衝突により最接近直後にカメラが故障し映像の送信が中断するといったトラブルもありましたが、最接近して無事にハレー彗星の撮影に成功しました。

こののちもジオットはさらに、スイングバイで別の彗星の観測にあたることになり、1992年7月10日には、グリッグ・シェレルップ彗星という彗星にも約200 kmまで接近し、データを観測するなどの成果をあげました。しかし、1999年、地上からの呼びかけに反応しなくなり、通信は途絶えました。

このESAが送ったジオットを含め、日本、ソ連やアメリカといった他の国・機関が送った衛星群は、ハレー艦隊(Halley Armada)とも呼ばれました。複数の探査機が、順を追ってハレー彗星に近接観測するさまを艦隊になぞらえたことによります。

多国の複数の宇宙探査機で同一天体を観測するものとしてはそれまでに類を見ない国際協力プロジェクトであり、各宇宙機関・探査機は観測分野を調整し、彗星観測にあたりました。ジオットは、これらの探査機の中では最も彗星核に接近しましたが、各国の衛星はこのジオットの軌道修正に必要なデータを提供するための観測も担いました。

ただ、アメリカ航空宇宙局はスペースシャトルより大気圏外観測を行う予定でしたが、1986年1月のチャレンジャー号爆発事故の影響によりシャトルの運航が中止され、観測は取りやめとなりました。

また、元々ハレー彗星の国際共同探査を提案したのはNASAでしたが、ハレー彗星の探査に十分な予算が付かず、当初予定されていたハレー彗星探査機HIMの開発は財政難のため頓挫。結果的に他国と比べ一歩距離を置いて参加する形となりました。

このため、新たにハレー彗星へ向かう探査機を打ち上げず、代わりに欧州と共同で運用していた探査機ISEE-3をICE(アイス)に改名してハレー彗星探査に転用し、月スイングバイを利用した複雑な軌道変更を経てハレー彗星に向かわせました。

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また、1965~1967年に打ち上げられ、4機体制で太陽周回軌道を網羅して惑星間環境の観測を行っていたパイオニア6~9号のうち、6号、7号、8号が機能を維持しており、これらを有効利用することとしました。

一方のアイスは、1986年3月28日に、ハレー彗星に約2800万kmまで接近しました。カメラは搭載していないため画像撮影はできませんでしたが、周辺環境や粒子を19個の観測装置で観測しました。

また、パイオニア7号は、ICEより近く、1230万キロまでハレー彗星に接近し、太陽風により形成されたプラズマがハレー彗星から放出されるガスにより中和されるという現象を発見しました。

一方、ソ連は、ベガ1号、ベガ2号の2機の探査機を送りました。ベガの名はロシア語で金星を表すベネラと、ハレーを表すガレーから取られたものです。

当時は冷戦の最中であり、ソ連の宇宙開発も秘密主義の下に置かれていましたが、ハレー彗星の探査に関しては例外的に開放的な協力姿勢を見せ、この2機の大型探査機には欧米の観測機器・技術が採用されました。

両機は金星探査機も搭載しており、ハレー彗星に接近する前に金星に接近し、それぞれが金星大気にバルーンを投下しました。このうちのベガ1号は、彗星の核から8,889kmまで最接近し、コマのガス雲を通過中には、様々なフィルターで500枚以上の画像を撮影しました。

このとき多くの塵がベガ1号に衝突しましたが、使用不能になった機器はありませんでした。この結果得られたベガの画像からは、核の長さは約14kmで、約53時間の周期で自転していることが示されました。また質量分析器により、塵の組成は「炭素質コンドライト」に似ており、クラスレートと呼ばれる特殊な氷の粒も検出されました。

炭素質コンドライトというのは、化合物や有機物の形で石質隕石に含まれる炭素原子で、これまで地球上で発見された隕石ではほとんどみられておらず、数十例しかないという希少なものです。また、ベガ2号は、3月9日に彗星の核から8,030kmまで最接近し、コマのガス雲を通過中には、ベガ1号よりも良い解像度で700枚の画像を撮影しました。

一方、日本の宇宙科学研究所は自主技術にこだわり、比較的独自路線でこのハレー艦隊に参加していました。

この当時まだNASDA(宇宙開発事業団)とよばれていた後年のJAXA(宇宙航空研究開発機構)は、日本初の惑星間探査機打ち上げロケットM-3SIIを新たに開発し、当時不可能と言われていた全段固体燃料ロケットによる地球重力圏脱出を成功させました。

探査機としては、「さきがけ」と「すいせい」の2機が製作され、先行するさきがけを試験機とし、その運用結果や取得したノウハウをすいせいの運用にフィードバックすることとし、それぞれ異なる観測機器が搭載されました。この2機は、太陽風とハレー彗星の大気との相互作用を観測したり、紫外線で彗星のコマを撮像することを目的としていました。

さきがけは、1986年3月11日にハレー彗星に699万kmまで接近し、彗星付近の太陽風磁場やプラズマを観測し、数々の観測ノウハウをすいせいのために蓄積しました。

これに続いて打ちあげられたすいせいは、1985年11月14日に「真空紫外撮像装置」という特殊装置を用いてハレー彗星を撮影し、この結果からコマの明るさが規則的に変光していることが明らかとなり、変光周期から核の自転周期が2.2±0.1日と推定するなどの成果をあげました。

さらに年3月8日にハレー彗星に145,000 kmの距離まで最接近し、彗星付近の太陽風の観測を行い、水放出率の変化の測定、ハレー彗星起源のイオンが太陽風に捉えられた様子などを観測するなどの多くの成果をあげました。

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このように、ハレー艦隊としての観測は、各国が太陽系探査を協力して実施する先駆けのケースとなり、これを機に日欧が太陽系探査に進出するようになるとともに、予算の制限などによる宇宙探査計画の推進に苦しむ各国が相互に協力して探査を行うという機運を生み出しました。

その後も2003年12月から翌年1月にかけて日欧米3か国の探査機群が相次いで火星を訪れた、いわゆるマーズラッシュの際には互いのデータを利用してより高精度の探査を行うことが提案されるなど、太陽系探査は協力体制が基本になっていきました。

そして2007年以降は中国やインドも月・惑星の探査に進出しはじめ、その後の太陽系探査はこれらの国も含めた国際協力体制で臨む方向で話が進められています。

ところで、このハレー彗星ですが、これは約76年周期で地球に接近する短周期彗星です。公転周期は75.3年で、ほぼ人の一生分です。多くの周期彗星の中で最初に知られた彗星であり、冒頭でも述べたとおり古来より多くの文献に記録されています。前回は1986年に回帰し、次回は2061年夏に出現すると考えられています。

ハレー艦隊による各国の観測から、ハレー彗星の核は約8×8×16kmの大きさでジャガイモのような不定形をしていることがわかり、また核の密度は1立方センチあたり、 0.1~0.25gと結構スカスカであることがわかりました。さらに核の表面は予想されていたよりも非常に暗いことなども判明しました。

このほか、探査機ジオットによる調査では、彗星核表面には炭素が多く存在することが明らかになり、核から放出された物質の組成は氷が80%、一酸化炭素が10%、メタンとアンモニアの混合物が2.5%などとなっており、他に炭化水素や鉄、ナトリウムなどが微量に含まれ、このほか人を死に追いやるシアンガス(青酸)などもわずかに含まれていました。

さらに、ハレー彗星から放出された物質は、5月のみずがめ座η流星群および10月のオリオン座流星群の流星物質となっていることなどもわかりました。

このハレー彗星のような彗星には長周期のものと短周期のものがあります。ハレー彗星は短周期のものであり、短周期のものではハレーのように大きなものは非常に稀といわれています。

小惑星は比較的円に近い楕円軌道を描いているものが多いのに対して、彗星は非常に細長い楕円や放物線、双曲線の軌道をとるものが多くなっています。彗星がなぜこうした極端な楕円軌道になるような摂動を受けるのかを説明するために、様々な説が提唱されてきました。

このうちの有名な説のひとつに、銀河系の中の恒星が太陽の近くを通過したことにより、オールトの雲などに含まれる彗星のような太陽系外縁天体の軌道が掻き乱され、その一部が太陽へと落下してくるとする説があります。

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このオールトの雲というのは、1950年に天文学者のヤン・オールトによって提唱されたものです。オールトは、長周期彗星の軌道計算を行い、その遠日点が太陽から1万~10万天文単位(約0.1~1光年)の距離のものが多いことを発見しました(地球と太陽との平均距離は、1億5千万キロほどでこれを1天文単位(1AU)といいます)。

ちなみに遠日点というのは、楕円の軌道を持つ天体が、太陽から最も遠ざかる位置のことで、逆に最も近づく位置は近日点といいます。

そこでオールトは、小天体が多く集まる「オールトの雲」と呼ばれる領域が太陽系の最外縁部に存在するという仮説を提唱しました。太陽系の最外縁部といっても、かなり太陽系よりも離れており、海王星や冥王星のある太陽系外縁よりもさらに遠く離れたところにこのオールトの雲はあると考えられています。

オールトは、これらが「雲」の名にあるようにもやもやと広がっていると考え、これが長周期彗星の元になっていると考えましたが、この仮説は広く受け入れられ、それ以後多くの学者が長周期彗星はオールトの雲に起源を持つと考えられるようになりました。

オールトは、この雲の中に存在する天体は、時々お互いに重力的相互作用(摂動)を起こし、一部が太陽の引力に捉えられて極端な楕円軌道を描くようになり、これが彗星として太陽に非常に接近するようになると考えました。

一方、このオールトの雲の内側にはこれとは別に、エッジワース・カイパーベルトというものがあります。これは、太陽系の海王星軌道よりやや外側にあり、天体が密集した円盤状の領域であり、イメージとしてわかりやすくいえば土星の輪のようなかんじで、水金地火木土天海冥などの太陽系惑星の周りを取り巻いています。

短周期彗星はこのエッジワース・カイパーベルトを起源に持つと考えられ、ハレー彗星もそのひとつです。オールトの雲とエッジワース・カイパーベルトはいずれも、太陽系の形成と進化の過程において形成された微惑星、または微惑星が集まった原始惑星が残っていると考えられている領域です。

従って、彗星を探査すれば、太陽系の起源がわかる可能性があり、これが各国がこぞって彗星探索機を飛ばす理由です。太陽系では、3天文単位(AU)以遠では比較的凝固点の高い物質がすべて凍り、岩石質の物質の総量を上回り、微惑星の主成分は氷になります。

火星の太陽からの距離が1.5AU、木星が5.2AUですから、火星と木星の中間あたりぐらいから外側はもうすべてが氷の世界であり、ここにあった氷の粒が冥王星の外に押しやられ、これがエッジワース・カイパーベルトを形成しています。

一方のオールトの雲は、主として太陽系の形成と進化の過程で、現在の木星軌道付近から海王星軌道付近までの太陽系内に存在していた氷状の小天体が、形成後に巨大惑星となった木星や土星の重力によって弾き飛ばされたものと考えられていて、前述のとおり、太陽系を球殻状に雲のように取り巻いています。

ここには1×1012(1兆個)単位の数の天体が含まれると推測されており、これらの小天体は、木星や土星のような巨大惑星の重力や相互衝突により軌道要素が変わり、冥王星や海王星のように太陽系外縁に至るような惑星の軌道半径よりもさらに大きな長楕円軌道に次第に移っていったとする説が有力です。

つまり、オールトの雲というのは太陽系内にあった小天体の軌道が大きな惑星に吹き飛ばされてだんだんと太陽系外に移っていった結果形成もので、これに対し、エッジワース・カイパーベルトは地球ほか太陽系内の惑星が形成される過程で、次第に海王星軌道の外側に押し出されていったものであり、オールトの雲とは起源が異なります。

さらに言いかえると、オールトの雲は、太陽系の中の木星や土星付近にあって惑星になりかけたものの残骸で、エッジワース・カイパーベルトは惑星にもなれず、太陽系の外に押し出されたものです。太陽系外縁部の氷小天体が惑星にまで成長できずに残ったものですから、黄道面を取り巻くようにして太陽系の回りに環状に広がっているわけです。

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したがって、もともと太陽系内にあったオールト雲起源の彗星の方がエッジワース・カイパーベルト起源のものより形成温度が高いと考えられており、その成り立ちも異なりますが、それぞれのエリアを起源とする彗星などの天体の性質もある程度異なるものと考えられています。

また、ハレー彗星のようにエッジワース・カイパーベルト起源の彗星は短周期のものが多いのは、その周期が水金地火木土天海冥と同様に、昔から固定されていて変わっていないためです。

オールトの雲起源の彗星は、弾き飛ばされた惑星物質から形成されたものであり、だんだんとその楕円軌道が広がっており、さらに長周期になりつつあるものさえあると考えられています。

かくして、オールトの雲起源の彗星はかつ太陽系にある惑星の名残によって形成されたものなので大彗星になるものが多いといわれ、この反対にエッジワース・カイパーベルト起源の彗星には大きいものがないといわれるのは、塵にすぎないものが集まってできたものが多いからです。

こうした彗星は、2009年11月の時点までで、3648個もの彗星が確認されています。そのうち、約400個がカイパーベルト由来の短周期彗星であり、約1,500個がクロイツ群の彗星、残りがオールト由来の長周期彗星です。

クロイツ群というのがまた新しく出てきた用語なので、混乱しそうですが、このクロイツ群に属する彗星は、近日点が太陽に極めて近い類似の軌道を持っています。つまり、オールトの雲由来やカイパーベルト由来の彗星よりもはるかに太陽に近い軌道を持っており、このためサンクレーザー(太陽に非常に接近する彗星)とも呼ばれています。

クロイツ群は、数百年前に分裂した一つの非常に巨大な彗星の破片だと考えられており、これらの彗星の間に関係があることを最初にはっきりと示した天文学者のハインリヒ・クロイツにちなんで命名されました。

クロイツ群に属する彗星のうちいくつかは大彗星となっており、太陽に接近した時には昼間でも見えるものもあります。軌道が太陽の極めて近くを通ることが最初に分かったのは1680年に見えた大彗星であり、この彗星は、太陽の表面からわずか20万 km(0.0013 AU)のところを通過しましたが、これは地球から月までの距離のおよそ半分と同じです。

このような彗星の中で直近に現れたのは1965年の池谷・関彗星であり、これはおそらく前回のミレニアムで最も明るくなった彗星です。このようなクロイツ群由来の彗星は、数百年前に分裂した一つの非常に巨大な彗星の破片だと考えられていますが、1995年に打ち上げられた太陽探査機SOHOは、クロイツ群に属する数百の小さな彗星を発見しました。

こうした小さい彗星は太陽の側を通過できずにその多くが消滅してしまいますが、これまでの観測結果からは中には差し渡し数mしかないものもあることがわかっており、アマチュア天文家たちは、インターネット経由でリアルタイムで公表されるデータからクロイツ群の彗星を数多く発見しています。

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かくして、こうして確認された彗星の数は増え続けているわけですが、オールト由来にせよ、カイパーベルト由来にせよ、クロイツ群に属するにせよ、我々が認識した彗星は、太陽系内外に存在するはずの彗星のごくこぐ一部です。

太陽系外部に存在する彗星の元になる天体はおよそ1兆個存在するかもしれないといわれており、地上から肉眼で見えるようになる彗星の数はおおまかには1年に1個程度ですが、その大部分は暗く目立ちません。これに対して、歴史上、非常に明るく肉眼でもはっきり見え、多くの人に目撃されたような彗星は「大彗星」と呼ばれます。

こうした大彗星を中心に、その成分を明らかしようと色々な探査が行われているわけですが、前述のジオットが核を撮影したところ、蒸発する物質の流れが観測され、ハレー彗星は氷と塵の集まりであることが確かめられました。

また、1998年に打ち上げられた NASA のディープ・スペース1号は、2001年にボレリー彗星の核に接近して詳細な写真を撮影し、ハレー彗星の特徴は他の彗星にも同様に当てはまることを立証しました。

その後の宇宙飛行ミッションも、彗星を構成している物質についての詳細を明らかにすることを目標に進められ、1999年に打ち上げられた探査機スターダストは、2004年にヴィルト第2彗星に接近して核を撮影するとともにコマの粒子を採取し、2006年に標本を入れたカプセルを地球に投下しました。

これは、2010年に小惑星イトカワからサンプルを持ち帰った日本のはやぶさよりも前のことであり、彗星からのサンプルリターンは無論世界初です。この標本の分析により、彗星を構成する主要元素は太陽や惑星などの原材料物質と同じであることがわかり、また試料の中には、高温下で形成されるカンラン石やなどが発見されています。

高温下で形成される物質はエッジワース・カイパーベルトのような冷たい領域で彗星が生まれたとされる領域で形成されたとは考えにくく、太陽に近い場所で形成された物質が彗星が形成された太陽系外縁部まで運ばれてきた可能性を示しており、これはオールトの雲の存在を裏付けるものです。

さらに2005年に打ち上げられた探査機ディープ・インパクトは、同年7月4日に、核内部の構造の研究のためにテンペル第1彗星にインパクターを衝突させることに成功し、この結果、短周期彗星であるテンペル第1彗星の成分はオールトの雲由来の長周期彗星のものとほぼ同じであることが判明しました。

この衝突で飛び散った物質の観測では、塵の量が氷よりも多いこともわかり、彗星の核は「汚れた雪玉」というよりも「凍った泥団子」であることもわかりました。またこのときテンペル第1彗星に付着した物質を遠隔操作で確認したところ、ここからも、かつて高温下の条件を経験したと考えられる物質が検出されました。

このように、「凍った泥団子」にすぎない彗星はもろく、その軌道回帰の過程で、ばらばらになってしまうこともあります。過去には多くの彗星の核が分裂する様子が観測されてきており、シュワスマン・ワハマン第3彗星という彗星は1995年の回帰時に4個に分裂し、その後さらに分裂して2006年には30以上の破片になっていました。

この他にもウェスト彗星、池谷・関彗星、ブルックス第2彗星等、彗星核の分裂が観測された彗星は数多く、崩壊・消滅した彗星も多数あります。1994年7月に木星に衝突して消滅したシューメーカー・レヴィ第9彗星もそのひとつです。

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さらにこのほか、大彗星から分裂したクロイツ群の彗星が太陽面に接近し、蒸発、雲散霧消する姿は数多く観測されており、前述の太陽探査機SOHOは、毎年数十個の彗星が太陽に突入するのを観測しています。

昨年観測された、クロイツ群に属するラヴジョイ彗星の太陽の表面への最接近距離は13万2000kmと、地球と月の軌道の1/3に相当する非常に近い距離でした。

これほど太陽に接近する彗星は、普通は100万℃以上ある太陽のコロナに焼かれ蒸発するか、さもなくば太陽に衝突するか、潮汐力によって粉々に砕かれる運命を辿るといわれていました。が、中には十分に大きな彗星は生き延びるという予測をした研究者もおり、ラヴジョイ彗星はその初事例となりました。

このラヴジョイ彗星のように明るい彗星は、いつの時代にも話題になります。がしかし過去にはしばしば一般市民にパニックやヒステリーを引き起こし、何か悪いことの前兆と考えられることも多いようです。

比較的最近でも1910年のハレー彗星の回帰の際に、彗星が地球と太陽の間を通ることから「彗星の尾によって人類は滅亡する」というような風説が広まりました。

この当時既にスペクトル分析によって、彗星の尾には猛毒の青酸(シアン)が含まれているものもあることが知られるようになっており、天文学者でSF作家でもあったカミーユ・フラマリオンは、ハレー彗星の接近に伴い、その尾に含まれる水素が地球の大気中の酸素と結合して地上の人々が窒息死する可能性があると発表してしまいました。

これらが世界各国の新聞で報道され、さらに尾鰭がついて一般人がパニックに陥りました。日本でも、空気が無くなっても大丈夫なようにと、自転車のタイヤのチューブが高値でも飛ぶように売れ、貧しくて買えないものは水に頭を突っ込んで息を止める練習をするなどの騒動が起きました。

その後も、1990年にはオウム真理教の麻原彰晃がオースチン彗星の地球接近によって天変地異が起ると予言して勢力拡大を図り、1997年のヘール・ボップ彗星の出現時にはカルト団体ヘヴンズ・ゲートが集団自殺事件を起こしています。

ただ、様々な要素により、彗星の明るさは予言から大きく外れるため、彗星が大彗星になるか否かを予言するのは実は大変難しいことです。

彗星がまだ地球からかなり遠くにある場合の観察において、もし彗星の核が大きく活発で明るい場合、太陽の側を通ってもその明るさが不鮮明になっていなければ、大彗星になる可能性が高いといわれます。が、1973年のコホーテク彗星は、こうした条件を満たしており、壮大な彗星になると期待されたにも関わらず、実際はあまり明るくなりませんでした。

一方では、その3年後に現れたウェスト彗星は、ほとんど期待されていませんでしたが、実際は非常に印象的な大彗星となりました。

また、20世紀後半には大彗星が出現しない長い空白期間がありましたが、20世紀も終わりに近づいた頃、2つの彗星が相次いで大彗星となりました。1996年に発見され明るくなった百武彗星と1995年に発見され、1997年に最大光度となったヘール・ボップ彗星がそれです。

さらに21世紀初頭には大彗星が、それも2個も同時に見ることができるというニュースが入り、これは2001年に発見されたNEAT彗星と2002年に発見されたLINEAR彗星でした。しかしどちらも最大光度は3等に留まり、大彗星とはなりませんでした。

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ごく最近では、2006年に発見され、2007年1月に近日点を通過したマックノート彗星は予想を上回る増光を起こし、昼間でも見えるほどの大彗星となり、大いに天文ファンを沸かせました。南半球でのみ観測されたものですが、尾が大きく広がった印象的な姿を見せ、新聞報道などで写真を見た方も多いでしょう。

記憶に新しいところではやはり、2011年のラヴジョイ彗星があり、天文ファンのみならず、世界中の人が堪能しましましたが、昨年の11月、「世紀の彗星」になると注目を集めたアイソン彗星には多くの人が失望させられました。

このアイソン彗星は、29日未明、太陽に最接近する際に太陽の熱によってバラバラに崩壊し蒸発してしまいましたが、これは太陽の直径より短い約110万キロまで太陽の表面に近づき、強い重力や熱にさらされたためとみられ、多くの科学機関がその前後を観測する計画でしたが、その目論見は潰えました。

さて、今年はどうかというと、1月上旬には、明け方の東の空では、ラブジョイ彗星が双眼鏡を使うと良く見えたといいます。それでは今年はあとの後半どうかということになると、残念ながら今のところ、大彗星の出現予想はないようです。が、突然ヘール・ボップ彗星のような大彗星があらわれないとも限りません。

また、彗星はなくても流星があります。流星とは、宇宙空間にある直径1ミリメートルから数センチメートル程度のチリの粒が地球の大気に飛び込んできて、大気と激しく摩擦を起こし、高温になると同時に光って見える現象です。

彗星はこのようなチリの粒を軌道上に放出していて、チリの粒の集団は、それを放出した彗星の軌道上に密集しています。彗星の軌道と地球の軌道が交差している場合、地球がその位置にさしかかると、チリの粒がまとめて地球の大気に飛び込んできます。

地球が彗星の軌道を横切る日時は毎年ほぼ決まっていますので、毎年特定の時期に特定の流星群が出現するわけです。それぞれのチリの粒はほぼ平行に地球の大気に飛び込んできますが、それを地上から見ると、その流星群に属している流星は、星空のある一点から放射状に飛び出すように見えます。

流星が飛び出す中心となる点を「放射点」と呼び、一般には、放射点のある星座方向からやってくる流星をその星座の名前をとって「○○座流星群」と呼びます。毎年ほぼ安定して多くの流星が出現する3つの流星群としては、「しぶんぎ座流星群」「ペルセウス座流星群」「ふたご座流星群」などがあり、これは、「三大流星群」と呼ばれています。

その発生時期は、しぶんぎ座流星群が、1月上旬ごろ、ペルセウス座流星群が7月中旬から8月下旬にかけて、ふたご座流星群 12月上旬から下旬にかけてであり、それぞれ1時間あたりに見える個数の目安は、40、50、80程度です。このほか、オリオン座流星群も、10月にほぼ1ヶ月間みることができ、その数は1時間に40ほどだそうです。

このペルセウス座流星群は、時間個数は平凡ですが、その総数では年間でも常に1・2を争う流星数を誇ります。条件がよい時に熟練の観測者が見ると、1時間あたり60個以上の流星が観測されるそうで、極大の時期がお盆の直前なので、夏休みなどの時期と重なり多くの人が注目しやすい流星群です。

一般的な出現時期は7月17日から8月24日、極大は8月13日頃です。流星数が増えるのは8月の中旬になってからです。

放射点は、夕方には地平線の上にありますが、実際に流星を目にし始めるのは、もう少し放射点が高くなる午後9時から午後10時頃となります。明け方まで放射点は高くなり続けるので、真夜中頃から空が白み始めるまで観察しやすい時間帯が続きます。特に午前3時頃が最良の観測ポイントです。

観測の方角は、だいたい北東の空ですが、全天にくまなく飛ぶので、できるだけ空の開けた場所で広範囲に観測してみましょう。ペルセウス流星群は、比較的明るく、流れる量も多く、初心者でも簡単に見られる流星群です。

しかも今年は最高のコンディションとのこと。そろそろこれがやってっ来る季節になりましたが、夏休みの思い出に家族で観測してみてはいかがでしょう!

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