リプレイ

H&M今月のはじめに、夫婦二人でトム・クルーズ主演の最新SF映画、「オールユーニードイズキル」を見に行ってきました。

「オールユーニードイズキル(All you need is kill.)」という題名から、原作は欧米人が書いたのかと思いきや、これは日本人の桜坂洋さんという作家さんの作品だそうです。映画館でみつけた宣伝用のビラにも「日本原作」とあり、副題は「戦う、死ぬ、目覚める」となっていて、なかなかうまいキャッチコピーです。

ただ、映画の邦題は小説のタイトルと同じ「オール・ユー・ニード・イズ・キル」となっていますが、英語圏でのタイトルは「Edge of Tomorrow」と変えられています。これは、All you need is kill.ではどうもこの映画のコンテンツがあちらの人には理解されがたいと判断されたためのようです。

この桜坂洋という作家さんは、元システムエンジニアだったそうで、ゲームを含むコンピュータ全般が趣味であり、コンピュータ・オタク文化にも造詣が深いということですが、失礼ながら、お写真を拝見すると、少々オタクっぽく見えなくもありません。

2004年発表の短篇「さいたまチェーンソー少女」で第16回SFマガジン読者賞を受賞後、2008年にも短篇「ナイト・オブ・ザ・ホーリーシット」で第20回SFマガジン読者賞を受賞するなど、いかにもゲームの題材になりそうな作品が多く、新進気鋭の作家として最近かなり注目されているようです。

かの日本SF界の巨匠、筒井康隆さんなどからも高い評価を受けており、筒井さんの最近作である「ダンシング・ヴァニティ」などの評論も書いているほか、「All You Need Is Kill」のような少年少女向きとも受け取れるような作品の発表の後は、一般文芸誌や純文学誌での執筆もこなされるようになりました。

この作品の英語に翻訳されたものを、スパイ映画の「ボーンシリーズ」などの人気作品を手掛けたダグ・リーマンが読んだところ、その内容に惚れ込み、早々に松坂氏にその映画化権の供与をオファーしたといい、この監督さんの作品にはほかに、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが主演した「Mr.&Mrs.スミス」などもあります。

松坂さんは、まさかハリウッドのそんなすごい監督さんから自分の作品を使いたいといった申し出が来るなどとは夢にも思っていなかったそうで、最初にこの話が来たときには、何かの冗談だろうと思ったと言います。

出演はトム・クルーズですが、脇役として、「プラダを着た悪魔」や「ヴィクトリア女王 世紀の愛」に出演して高い演技力が評価されたエミリー・ブラントが加わって、より深みのある映画に仕上がっています。

7月4日より公開されたばかりで、まだまだ上映が続いているようなので、みなさんもSFがお好きなら、ぜひ見に行ってください。

桜坂洋による原作では、この物語の部隊は、東京の遥か南方のコトイウシという架空の島ですが、映画版では主にロンドン、パリ、フランス沿岸部などのヨーロッパに変更されています。また主人公も原作では当然日本人ですが、映画版ではアメリカ人のトムクルーズとイギリス人のエミリー・ブラントに変更されています。

そのストーリーも少々変更されているようですが、ネタバレにならない程度に披露すると、まず舞台は近未来になります。地球は謎の侵略者「ギタイ」の度重なる襲撃により、壊滅状態に陥っており、地球防衛軍は辛うじて彼らの侵略を食い止めていましたが、敵の強大な戦力になす術も無く、戦死者は増える一方でした。

トム・クルーズ演ずる、ウィリアム・ケイジ少佐は、この戦争の宣伝担当のひ弱な事務官でしたが、ある日突然、この侵略戦争の最前線に送り込まれます。日ごろから体を鍛えているわけでもなく、最新式の兵器も使いこなせないケイジ少佐は、敵に何一つのダメージも与えられず、あっけなく戦場で戦死してしまいます。

ところが、次の瞬間、彼は戦地に赴く前の時間に戻っており、再び前回と同じ飛行機に乗り、同じ戦場に行って、同じような死に方をします。そして次から次へと同じように死から生へと時間が巻き戻され、その都度何度も死にますが、回数を重ねるごとにうまく死から逃れる方法を模索するようになり、次第に死に至るまでの時間も長くなっていきます。

いわゆる「学習効果」を得るわけですが、それでもその後も何度か戦死し、また前の時間に戻ってしまう出来事が繰り返されるにつれ、やがて彼は自分が何等かの理由でタイムループに巻き込まれてしまっていることに気付きます。ちょうどそんなとき、自らも同じタイムループに巻き込まれていたとする特殊部隊の軍人リタ・ヴラタスキが現れます。

このヴラタスキを演じるのがエミリー・ブラントで、ケイジ少佐は彼女と戦うにつれ、さらに戦闘技術を向上させていきます。こうして二人は終わりの無い戦いを繰り返す中、自分たちがタイムループに巻き込まれた理由をみつけ、少しずつ敵を倒す糸口をつかんでいくのですが……

2014-1120742

とまあこんな具合で、この先を書くと大ブーイングになりそうなので、これ以上はもう書きませんが、何度も死と生を繰り返すという物語は、いわゆる「ループもの」のひとつです。主としてタイムトラベルを題材としたSFで扱われることが多く、物語の中で登場人物が同じ人生の時間を何度も何度も繰り返すような設定を持つ作品のことをさします。

時間旅行が主題であることから、「時間もの」ともいわれ、結構昔からある物語の類型のひとつです。こうしたテーマは「ジュブナイル」と呼ばれるティーンエイジャーを対象とした小説分野を初めとし、最近の日本のオタク文化ではよく扱われる題材となってきています。

半永久的に反復される時間から何らかの方法で脱出することが目標となるものが多いことから、様々なゲームとしても扱われることが多いようで、ゲーム大好きの松坂洋さんがこの作品を作ったのも、自分でこうしたゲームがやってみたかったからだそうです。

このように過去の自分に戻って人生を再挑戦するという類型の物語がSF小説の一つのサブジャンルとして確立したのは、1987年発表のケン・グリムウッドの小説「リプレイ」が世界的なヒット作となって以降といわれています。

実は私も20代の後半にこの小説の翻訳版を新潮文庫で買って読んだことがあり、その面白さんに夜が更けるのも忘れて没頭したのを覚えています。たしか、二度ほど読み返した覚えがあり、各回とも一気読みできるほど面白い話でした。

こちらも、あらすじを簡単に述べておきましょう。

経済的に成功していないラジオ局のディレクターがある日突然、43歳の若さで心臓発作によって死んでしまいます。ところが、次に目を覚ますと18歳の時分に戻っており、不思議には思ったものの、せっかく再び与えられた人生だからと、もう一度その人生をやり直すことにします。

しかし、この新しい人生で彼は「過去の失敗」と「未来の記憶」を存分に利用して数々の成功をおさめ、人生をさんざんに謳歌します。しかし、結局は前と同じ年頃になると死を迎え、再び若い時に戻されて人生のやり直しを強制再開させられます。

これが何度も繰り返される、つまり「リプレイ」される人生において、次第に彼は自暴自棄と諦観に囚われるようになりますが、そんな中、同じようにリプレイを繰り返す女性と巡り合い、改めて人生に向かい合うようになります。

しかし、やがてリプレイ期間が次第に短くなり、いつかは究極の絶対死が訪れることを彼は知ります。永遠の命を得たいと考えつつも、やがては絶対死を迎えることを知った彼は、同じ運命を辿ろうとしている彼女に対して……

2014-1140200

……という話なのですが、どうでしょう。面白そうだと思いませんか。この「リプレイ」という作品は、1987年にアメリカで出版されるやいなやかなりの反響を呼び、1988年度の世界幻想文学大賞を受賞しました。

作者のケン・グリムウッドは、1944年アラバマ州に生まれで、フロリダ州ペンサコーラで育ち、大学では心理学を学び、ロサンゼルスのラジオ局で編集者として勤務する傍ら小説を書き始め、1976年に作家としてデビューしました。

専業作家となったのは「リプレイ」で成功を収めてからですが、その後も映画化の話も持ち上がるような秀逸な作品をいくつも執筆しました。が、2003年にカリフォルニア州サンタバーバラの自宅で、心臓発作によりわずか59歳の若さで亡くなりました。

死の直前までグリムウッドは「リプレイ」の続編に取り組んでいたといいますが、それにしてもその亡くなり方が、代表作「リプレイ」の主人公と同じ心臓発作だったというのは、人生は本当に奇なるものです。

グリムウッドは、この「記憶を持ったまま人生をやり直す」という発想を、ゲーテの「ファウスト」に影響を受けて生み出したようです。実際、「リプレイ」の作中においても「グレッチェン」という名前の娘が登場しますが、これはファウストの恋人の名前であり、作品内は他にもいくつか似たような人物設定が見受けられます。

ゲーテの「ファウスト」のほうは、その死後にまた人生をやり直すといったループは見られませんが、若返って人生をやり直す、という設定になっており、グリムウッドはこれを題材に、もし、ファウストが更に何度も人生を繰り返したらどうなるだろうか、との着想を得てこの物語を作ったのでしょう。

実に面白い発想であり、この着想は見事に功を奏して「リプレイ」はベストセラーとなりましたが、以後、他の作家もこれを真似するようになり、「若返りと人生のやり直し」という設定は、やがて時間を扱うSF作品の中ではごく普通に使われるようになっていきました。

ただ、類似する筋立ての作品は「リプレイ」以前にもあり、自分の人生の過去に戻って別の世界を疑似体験するというアイディアは1946年公開のアメリカ映画「素晴らしき哉、人生!」ですでにみられ、また日本でも1965年発表の筒井康隆の小説「しゃっくり」ではループ期間が10分間と短いものの世界が一定期間を反復し続ける設定がなされています。

こうした「ループもの」がよく使われるようになった背景には、近年においては時計が生活の隅々にまで普及したために人々が常に時間を意識するようになったことに加え、テレビ番組や映画などのように、始まりと終りがはっきりとしている定型放送が洪水のように流されるようになったことなどが関係ありそうです。

しかもこうした物語は、ビデオやDVDの普及によって簡単に録画再生できるようになっており、どんな人生の一シーンでも「計測可能」かつ「再生可能」ということが人々に強く意識されるようになってきました。

物語の類型化というのはそれ以前からもありましたが、近年時間というものがより身近になったことで、こうした類型化と時間の要素が結びつき、「ループもの」が流行るようになったのでしょう。

2014-1160327

とはいえ、ループものには、いくつかのパターンがあり、これらを俯瞰すると、幾つかの分類ができるようであり、主として以下のような4種類に分類できそうです。

1.主人公がループをネガティブに受け止め、苦難する姿を描くパターン
主人公は理不尽な形で閉ざされた時間の中に取り残され、リセットされてしまう努力や蓄積を苦痛と受け止め、先に進めないことに対する絶望や恐怖を味わうというもの。ホラーや悲恋モノが多い。

2.主人公がループをポジティブに受け止め、成長する姿を描くパターン
主人公はループする時間の中で成功や失敗を繰り返しつつ、自省しながら成長し、自己実現を成し遂げようとする。当初は理不尽な状況に苦しむが、やがて改心や精神的な成長を経てループから脱出する。逆に成長できずに破滅するというパターンもありうる。

3.主人公がループを特定の問題の解決に用いるというパターン
主人公はループの中で解決しなければならない具体的かつ単純な目標や心残りを抱えており、繰り返される状況の中で試行錯誤を繰り返したり、解決のための鍛錬を行ったりする。問題を解決できない停滞感と、それを解決した時の爽快感が描かれ、その双方の過程を経てループの元凶となっている根本的な問題が解決されてループが終了する。

4.主人公がループする状況そのものを楽しむというパターン
輝かしい人生の至福な時間がループされ、主人公はそれを肯定的に受け止めて享受する。この場合のループは問題解決の手段ではなく、目的そのものである。ループを繰り返している原因や脱出方法には恋愛感情が関係してくるパターンも多く見られる。

こうしてみてくると、今回我々が映画でみたオールニードイズキルは、2.でもあり、3.でもあるというかんじであり、そう考えると、あるいは2.と3.は同パターンとしてくくるべきなのかもしれません。

ところで、通常、こうした「タイムトラベル」の話を違和感なく完成させるためには、現在過去未来に同じ自分がいる、といった、いわゆる「タイムパラドックス」の問題をクリアーしなくてはなりません。

例えば、物理的なタイムトラベルにおける過去への時間跳躍では、自分の肉体ごと過去の世界に移動することになるため、過去の自分に遭遇することもありうるわけで、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」がそうであるように、タイムパラドックスそのものが作品の中心テーマのひとつとして扱われる作品も多いようです。

2014-1140207

ところが、「リプレイ」のように自分の意識だけが過去の自分に戻る、あるいは世界全体が過去のある時点に戻ると設定されている作品では、自分自身との遭遇は起こらず、時間跳躍している本人の視点から考えれば、過去改変に伴うタイムパラドックス、例えば「親殺し」といったパラドックスは発生しません。

肉体の移動を伴わずに過去への一方通行的な時間遡行を繰り返すという点がこの「ループもの」の優れたところで、読み手にとってあまり深く考えさえることなく、タイムトラベルを成立させることができる、という点もまた近年こうしたループものが流行る要因なのでしょう。

ところが、最近の作品は更に複雑怪奇になってきており、従来は単純に過去に戻って人生をやり直すというシンプルな構造であったものが、最近は物語の中で時間と世界の仕組みが複雑に変化するものが多くなっており、オールニードイズキルでは、この中に「宇宙人の襲来」を加えてより複雑にしており、それゆえに娯楽性をも高めています。

こうした手法は、数多くのループものを見て目が肥えてきた映画ファンや、あるいはこうしたループものに飽きてきた層の目にも新鮮に映ります。確かに今回この映画を見た私としても評価点は高く、見終わったあとの満足感が従来のものとは明らかに違います。

が、それだけに、更にこれを進化させたループものを作ろうとすると、もうさすがに新しい発想はないだろう、これ以上大きな期待を持てるものはできないだろう、とこれ以上のものは望めないがゆえのフラストレーションを感じてしまいそうです。

従って、これをさらに超えようとすると、従来の「人生をやり直す」という形のループものではなく、もっと別の形のループものが求められてきます。更に新しい視点からのSF映画が求められているといえ、文明の発達もさることながら、SF映画においても今後もさらにその内容に大きな変革が加えられなければその味来はないでしょう。

そこで、この「ループ」というモノに関して、他にどんな発想があるかを整理してみることにすると、一般に、「ループ」に関連する概念としては、次のようなものがあるようです。

1.パラレルワールド
多重世界(ラメラスケイプ)、あるいは並行世界(パラレルワールド)と言われるもので、「世界は可能性のあるだけ存在する」、つまり、自分たちが住む世界と、別の世界はお互いに干渉できないまま常に並存していて、自分たちの世界と似通った世界は俯瞰できるものの、相関していない他の世界は観測できない、というもの。

2.終わりなき日常
多くの人が人生のよりどころとなるような価値観を見失っている現代社会では、物質的には豊かになっても個人が「自分自身の物語」を見出すのが困難になっている。なにげない日常生活まるでループしているかのように見え、人生もまたまるで同じループを繰り返しているというふうに感じる。夢に見た「輝かしい未来」はやってこないという感覚……。

3.メビウスの帯
メビウスの帯は単に循環するだけでなく、局所的には表と裏の面があるのに、全体としては1つの面としてつながっている、という位相構造に特徴がある。循環や繰り返しを想起させることから、創作においてはループ構造を持つプロットや登場人物が過去や未来のある時点で原点に戻るという形が考えられる。

4.永劫回帰
宇宙を構成する物質とその組み合わせは有限であるが、時間は無限とするもの。宇宙的視野から見た現実世界は限られたパターンの中で同じ歴史を永遠にループしている。ループものと違うのは、ループを繰り返しても過去と寸分違わぬ歴史を繰り返すだけで、過去から記憶を持ち越したり過去を学んで成長したり、失敗のやり直しはできない。

ハト

どうでしょう。1.については、既にこうした発想の映画が作られ始めていて、余り目新しさはないかもしれませんが、2.の「終わりなき日常」はSFというよりも、心理描写の世界のようでもあり、わりと新しい感覚です。

日常で「デジャブ」を感じるように、もしかしたら自分の人生は同じことを繰り返しているだけにすぎないのではないか、という虚脱感や恐怖感をうまく表現すると、斬新な作品になりそうな気がします。

3.4.については、目新しいようですが、視点を変えれば従来のループものの一種と考えることもできます。結局はそのループから抜け出せない、という点においては同じであり、そう考えると、やはり新しいループものを創作していくという相当難しそうです。

とはいえ、いずれも現実的にはありえない世界観であり、いずれもがいかに読み手に「もしかしたら……」と思わせることができるかどうかが最大のポイントであり、結局はそうした独創的な作品を生み出せるかどうかは、作り手の発想力次第ということになりそうです。今後さらに奇抜なアイデアを出せる作家さんが出てくるのを期待しましょう。

なお、ここには入ってはいませんが、輪廻転生もまた、こうしたテーマになり得る「ループもの」です。しかも、ある意味、究極のループものといえるかもしれません。

言うまでもなく、輪廻転生とは死んであの世に還った霊魂が、この世に何度も生まれ変わってくることをさしますが、「輪廻」と「転生」の二つの概念は重なるところも多く、「輪廻転生」の一語で語られる場合も多いようです。

ループものと明らかに違うのは、肉体・記憶・人格などの同一性が保たれない点です。ただ、キリスト教などにおける「復活」の概念は「一度限りの転生」であり、肉体や記憶は一度で消え去りますが、「人格」だけは生前のまま次に転生するとされているようです。

この世に帰ってくる形態の範囲の違いによって使い分けられることが多く、「輪廻」は動物などの形で転生する場合も含み、「転生」の一語のみの場合は人間の形に限った輪廻転生を指して使われます。

また、人間は人間にしか転生しないといいますが、過去に生きていた人物が別人となって現代に現れるというのはフィクションとしても魅力的なテーマであり、転生という概念を取り入れた作品は過去にも数多く作られています。

このような創作物では、記憶や能力の一部を受け継いでいるという形で描かれることが多いようですが、ある日突然ある一時期の過去生を思い出す、といった形で描かれることもあります。が、何もこれは何も創作の話ばかりではなく、現実的にもありうることです。

現に私も過去生のいくつかを思い出しており、それはスパイであったり、金貸しであったり、船大工であったりと様々です。細かいことは思い出しませんが、もしそれらをすべて思い出して「ループもの」を創作できたら、さぞかし面白いものができるのではないかと夢想したりもする次第です。

さて、今日の話はなにやら夢物語のようになってきたので、そろそろやめにします。

東海地方も梅雨が明けました。寝苦しい夜の日も多くなると思われ、そうした夜にはうなされ、その中で過去生を思い出す、といったことも多くなるかもしれません。が、それはそれで何かの役に立つかもしれません。

もし過去生を思い出したら……それを必ず書き留めておき、今後の人生に役立てましょう。過去と現在はつながっています。そして未来へも。過去生の経験は現世で役にたち、現生での出来事はやがて次の人生での糧となっていきます。そして人間は未来永劫、成長していくわけです。

私は、次に生まれ代わるとするとどんな人物になっているでしょうか。そしてみなさんは?

夏の日の夢は続きます……

2014-1150031