梅雨と霊感 

東海地方が昨日、梅雨に入りました。東京に住んでいたころは、東海地方が梅雨に入ったと聞くと、東京も梅雨入りするのは時間の問題だな、とは思うものの、まだそれまでにはもう少し時間があるだろう、と心の余裕のようなものがありました。しかし、ここに移り住んでみて梅雨に入ったと聞くと、いきなりやってきたな、という唐突感がある。

実際、九州地方が梅雨入りした、と3日ほど前のブログで書いたばかりなのに、もう梅雨入りとは、ちょっと早すぎるんじゃない!と、だれに文句を言っても仕方なし。来るものは来るのです。これも必然・・・

じめじめべとべとの雨の季節は誰しもが嫌うものですが、でも考えてみると、子供のころには別にそんなに嫌ではなかったような気がします。子供のころ、雨の日は雨の日なりに、家の中で本を読んだり工作をしたりして過ごすのはあたりまえと思っていたし、むしろ普段外でばかり遊んでいたので、そういう時間を貴重な時間のように思っていました。

また家の中から庭先の草花が雨に打たれているのを長時間ぼんやり眺めながらいろんな想像をしたりするのも案外と楽しく、子供ながらも雨に抒情を感じていたのを覚えています。雨音は昼寝をするのに絶好の子守唄だったし、ときおり夕方に聞く雷やどしゃぶりは自然へのおそれを感じるというよりも、何かめったに見ることのできないイベントでに出くわしたようで、逆にわくわくしながら、なりゆきをみていました。

少しの晴れ間に外に出て、びしょびしょになりながら、泥んこ遊びや水たまりと戯れるのも楽しかったし、庭先にいたカタツムリを捕まえて遊んだりもしました。ときには、傘をさして、雨の中を近所の森に行ってはそこにいる昆虫を観察したり、工作に使えそうな木や草を採取し、家に持ち帰ってはそれを子供なりの工夫をして遊ぶ・・・そういう時間はけっしていやな時間ではなく、むしろ無限に続く楽しい時間だったように思います。

いまにして思えば、梅雨といえども、そういう豊かな時間の過ごし方をしていたな、と思うのですが、では、いったいいつごろから、そんな季節が嫌いになったのかな~と考えてみる。

少なくとも、中学校ぐらいまでは大丈夫でした。高校時代や大学時代のことは逆にあまり覚えていませんが、高校のときは受験勉強などで忙しく、梅雨なんて関係ないって感じだったと思う。大学は沼津の片田舎で2年、街中の清水で2年過ごしました。誰しもそうだと思いますが、日本の大学生というのはありあまるほど使える時間もあり、大学に行って勉強する時間以外はすきなときに好きなことをやって過ごすことができます。わたしが大学時代を過ごしたこのふたつの町は、地方都市だったので東京のようにありあまるほどの遊び場こそありませんでしたが、程よい人とモノの密度は生活しやすく、また近くには豊かな自然もありました。自由に使える時間を使ってアルバイトもしたし、友人たちといろんなところへ行ったりで、自由きままに過ごせました。ですから、この時代も梅雨の時期をうっとうしく思うというのはとくになかったように思う。

そうすると、梅雨を息苦しく思うようになったのは、就職してからか・・・と、思いを馳せると、なるほど、と思いあたることがあります。

大学を卒業後は、東京の渋谷にある会社に勤め始めたのですが、会社の寮は神奈川県の相模原市にあり、ここから小田急線と銀座線を使って1時間ちょっとの通勤をしていました。このころの小田急線の混雑度は都内の路線屈指のもので、夏の間は、人と人の間に挟まれて身動きがとれないほどの状態で新宿駅に着くころには汗でびっしょりになることもしばしば。梅雨の時期や雨の日などは、傘を持たなければならないため、そのためにより混雑が増すようなかんじもあり、窓も開けられないので冷房が入っていても湿度が高く、じっとりした空気の中過ごす1時間は苦痛そのものでした。

その後、寮を出て、中央線の阿佐ヶ谷や田園都市線の鷺沼などいろんなところに引っ越してみましたが、東京にいる限りはこの通勤ラッシュからは逃れるすべはなく、とりわけ梅雨の時期の通勤は苦痛でした。同じ通勤でも夏の日差しのカッと差す暑い日には湿度もそれほどではなく、また冬場には着ぶくれした人のために車内の圧力が増すという難点はありますが、逆に人のぬくもりのせいで温かく、苦痛ではありませんでした。それが、梅雨の時期になると車内の環境は一変。暑いだけでなく高い湿度、それに加えて人いきれ。薄いシャツにくっつく他人の衣類。汗の匂いと身動きのとれない車中に押し込まれての通勤は大嫌いでした・・・

首都圏などのように、通勤時間帯にラッシュがある場所では、人々にとって季節変化というものは重大な関心事です。ですから、朝夕のニュースでもその日の通勤の時間帯にいかなる気象変化があるか、ということをどこのテレビ局でも繰り返し繰り返し流しますし、通勤をしている人はそれを必ず確認してから外出するのはあたりまえ。天気予報というものは通勤客にとっては、なくてはならない情報であり、日々、予報の内容に一気一憂しながらドアを開けて勤め先に出かけるのです。ですから、いやな季節の天気予報にはとりわけ敏感になっているように思う。梅雨の時期の天気を気にする人は多いのではないでしょうか。

かくゆう私も毎日天気予報を気にしながら通勤を繰り返していましたが、とりわけ梅雨どきの雨の情報に敏感になっていったのはこのころからだと思います。このためか、いつのころからか、梅雨入りはいつかなー、早く梅雨が明けないかなーというのを気にしはじめ、毎年の恒例行事のように、気象庁の気象情報をチェックするようになっていました。

その後、海外へいた数年を除けば東京でもう20年ほども過ごしてきました。しかし、この間も大学を就職してすぐに身についてた梅雨への苦手意識は消えず、例年のように、早く梅雨が明けないかなーを繰り返してきたわけです。

しかし、よくよく考えると、本当は梅雨そのものがきらいだったというよりも、通勤そのものが嫌いだったのではないかという気もしてきます。別に梅雨という季節がきらいなのではなく、梅雨の間のジメジメべとべとの環境での辛い通勤の経験がトラウマとなり、その連鎖で梅雨=嫌いな季節となっていったのではないかとも思うのです。

その証拠に子供時代には、梅雨の季節がけっして嫌いだったわけではないし、考えてみれば、今だって雨の日に室内にいてまどろんだり、音楽を聴いたりするのはけっしていやではない。雨音は子守唄のように今も聞こえるし、雨に打たれた新緑をみるのは心が和みます。とくにここ修善寺にはなにやら雨にぴったりの抒情を感じるし、それを今年は心から楽しめる・・・そんな気がします。

それで、ここまで書いてきてふと思い出したのは、このブログでも再三登場する霊能者のSさんに最初にお会いしたときに言われたこと。Sさんがおっしゃるには、私もかなり霊感が強いほうだというのです。そのことについてさらに詳しくいろいろ聞いてみると、霊感の強い人は、他人の気をどうしても感じやすいので、人ごみが苦手の人が多いのだそうです。Sさんご自身も、バスや電車に乗るのがきらいで、それはやはり、他人の気を感じてしまいやすいから。Sさんはバスや電車ではなるべく人と目を合わせないようにしている、とおっしゃっていましたが、それを聞いて私もはっとしました。・・・同じだからです。

そういわれてみて、初めてわかったのですが、私は子供のころから、人ごみが苦手で、高校時代4km離れた高校に通うためにバスに乗るのがいやで、たいていは徒歩か自転車で通っていたほどです。

もしかしたら、通勤が嫌いだったのもそのせいか・・・必ずしも梅雨などの天気のせいばかりではなく、人の多い電車に乗るという行為そのものが嫌いだったのか・・・と気がついたのです。

自分が嫌いなものとか嫌なものを思い浮かべたとき、本当にそれが自分の本質に合わないので嫌いになっているのかどうか、についてはよくよく考えてみたほうが良いと思います。実際には嫌いではないのに、嫌いと思いこむ過程において、肉体的や精神的な何等かの別の要素の刷り込みが起こる。それが長年の風習になってしまっているというのはよくあることです。

私自身は、梅雨がきらい、と思い込んでいたけれども、本当はそれは人ゴミがきらいで、それと重なった梅雨の季節のイメージを嫌っていたのかもしれない。

皆さんにもそういうことってありませんか。梅雨はお嫌いですか?でも本当は私と同じように霊感が強く、雨の日の人ごみが、ことさらきらいだからなのではないでしょうか。