台風一過のあとの伊豆はスカッ晴れかと思いきや、昨日は曇りがちで、しかもやたらに寒く、思わず冬用のトレーナーを取り出して着る始末でした。
が、今日からはお天気が回復するようで、今朝は富士さんもよく見えていました。それにしても、そろそろ初雪がありそうなものですが、まだその頂きは真っ黒なままです。早く白化粧をしてまた青空に輝く富士が見たいものです。
ところで、同じ真っ白でも火山灰で真っ白になっていた御嶽山も、この台風に伴う雨で、元の灰色状態に戻っているようです。噴火からまたたくまに2週間近くが過ぎ去ろうとしていますが、まだ行方不明者が多くいてその捜索もこの灰泥によって難航しているようです。
今後こうした火山災害を防ぐためには、その予知のための機器の開発と現地への設置が望まれています。しかし、こうした機器の開発は遅々として進まず、何よりも高額なために、日本全国に100以上もある活火山すべてにこれらの装置を投入することができません。
そこで、ふと思い出したのですが、先日の、といっても7月1日ですが、この日のNHK・TV番組「クローズアップ現代」は「生物模倣技術」に関する最新情報を伝えていました。「生物に学ぶイノベーション ~生物模倣技術の挑戦~」というタイトルでしたが、ご覧になった方もいるのではないでしょうか。
この番組によれば、世界で最も強じんな繊維と言われるクモの糸が、日本最新のバイオテクノロジーで人工合成への道が開かれ、これに世界が注目している、といったことや、また壁や天井を自由自在に歩けるヤモリの足の裏の構造を参考に、驚異の粘着性能を持ちつつも簡単にはがせるヤモリテープが商品化される、といったことが話されていました。
私が思い出したこの番組の内容とは、この中で、ある種の玉虫は、赤外線を感知する器官が発達しており、これによって数10km離れた火山活動を感知することができるため、これをもとにした新しい火山活動検知器が研究され始めている、ということでした。
こうしたタマムシのひとつに、「ナガヒラタタマムシ」というのがいます。日本には生息していないようで、おそらくは山火事の多い北米大陸原産のタマムシだと思いますが、このタマちゃんは、山火事が起きると、ほとんどの動物が逃げてしまうのに対し、喜んでやって来るそうです。
なぜなら、火事で燃え残った木は、卵を産みつけるのに格好の場所だからであり、しかも、火事で焼けた現場は、捕食動物が追い払われているため安心して食べ、交尾し、産卵できるためです。
このナガヒラタタマムシの中脚の横には、「孔器」と呼ばれるセンサーが付いており、山火事によって放出される赤外線を検知できます。孔器は、赤外線の入射による温度の上昇を検知し、炎の発生している場所へこのタマムシを向かわせるのです。
また、お気に入りの木が燃えると,大気中に放出される微量の化学物質を「触角」によって検知することもできます。ある研究者によれば、この“煙探知器”とも言える触角によって、約800㍍先でくすぶる1本の木にさえ気づくことが分かったということです。
このタマムシの触覚は、アカマツを燃やして発生させた揮発性物質に高い感受性を示すことも実験によりわかっています。立木などの生木が不完全燃焼のまま熱せられた場合、その組成の20~30%を占めるリグニンという物質が放出されますが、この物質に敏感で、数ppb(10億分の1)という濃度単位で探知できることが確認されています。
さらに、別の調査結果では、直径30cmの松の木の高さ2mから下が焼けた場合、1時間に7gのこの揮発性物質が放出され、この場合、弱風下でもおよそ1km以上離れた場所でタマムシはこの火事を感知できたそうです。
従来の感度の高い赤外線式の熱感知器は冷却する必要があり、このため高額になりがちでしたが、研究者たちはこうしたタマムシの孔器と触角の双方を調べることによって、より効率的に赤外線や火災を検知する装置の改良法を探っています。
その結果、もっと高感度の火災警報器が開発するヒントが得られるかもしれず、さらには、山火事や火山噴火で発生する物質と他の化学物質との違いを識別できる、もっと感度の高い検知システムが開発される可能性もあるわけです。
このように人類は、これまでも生き物の持つ能力に一歩でも近づこうとしてきましたが、生物の構造や運動を力学的に探求したり、その結果を応用することを目的としたこうした学問をバイオメカニクス(英語:biomechanics)といいます。
また、これを工業化技術に応用したものを「生物模倣技術」と呼び、これはバイオニクス (bionics)もしくは、バイオミメティクス(biomimetics)といいます。
近年、この生物模倣技術の開発が、新たなイノベーションを引き起こそうとしています。新たな成長分野として熱い期待を集めており、日本は、この分野で、世界のトップランナーになれる可能性を秘めています。
すでに絶滅した種も含め、生物はすべて、何百万年もの自然淘汰を経て、最適化されてきたデザインの成功例といえますが、南北に長いこの国土には、9万種もの多様な生物が生息しており、そのすべてがばく大な資源となりうるからです。
例えば、北海道大学の博物館には、100年以上にわたって収集されてきた生物の標本、およそ300万点が保管されています。これらの標本は、羽や体の表面の構造、そして、手足や関節の仕組みなど、生物が進化させてきた機能を知る貴重な手がかりであり、生物学にとっても宝の山です。
この博物館では今、標本を電子顕微鏡で撮影し、分類することで、生物資源のデータベース化を進めています。また今後、全国の博物館からのデータを集め、オンラインで技術者に提供することを検討しているということで、これが公開されれば、工業製品などへの応用も一気に加速しそうです。
北大ではさらに生物学、材料工学情報科学などの専門家たちが月2回集まり、こうした生物の画像を共に分析することで、製品化の可能性を探る検討会なども始まっています。
この研究者たちのネットワークが今、とくに注目している生き物がいます。モンシロチョウです。検討会で見たチョウの画像から、新たな素材のヒントが得られたといい、これはチョウの細長い口の断面であり、注目したのは、内側の表面にある微細な構造です。
チョウは、ストローのように細長い口で、粘り気のある花の蜜を吸っています。しかし、蜜を吸い込むために必要な大きな筋肉はなく、そのメカニズムは謎でした。ところがその微細構造を細かく調べたところ、口の内側の構造によって表面張力が強まり、吸い上げなくても、蜜が自然に上がってくるらしい、ということがわかってきました。
つまり、このチョウの口の構造を応用すれば、ポンプなどを使わない液体の輸送技術などが開発できるかもしれない、というわけです。
一般に、工学に関わっている人たちの中には生物は苦手という人も多いでしょう。が、生物の専門家と一緒に、その垣根を少しずつ減らしていくことで、新しいアイデアが生まれる可能性もあり、こうした複合領域における技術開発が進むことは、技術立国を目ざす日本では非常に有用なことです。
事実、最近、こうした工学者と生物学者のコラボによる生物模倣技術の画期的な研究成果が相次いでおり、昨日、ノーベル物理学賞を邦人3人が受賞して日本国中が沸きましたが、平成20年にノーベル化学賞を受賞した、下村脩さんの受賞要因となった、「緑色蛍光タンパク質」は、「オワンクラゲ」というクラゲが持つ蛍光タンパク質の抽出が鍵になりました。
近年急速に発達した遺伝子組換え技術においては、作成された遺伝子が、生体の中のとこでいつどのくらいできているのかを確認することが重要になりますが、これを簡単に確認できるようにするための遺伝子を「レポーター遺伝子」といい、この蛍光タンパク質(GFP)はこれに応用されています。
蛍光タンパク質が光るために確認できやすくなるためであり、現在までに蛍光強度や波長特性、適応温度、発色速度などが様々に異なる改変型GFPが作られるようになり、細胞生物学・発生生物学・神経細胞生物学の分野で広く使われています。
工学ではなく、医学と生物学とのコラボの産物ではありますが、昨今はなにかとこうした異分野の交流だけでなく、産官、あるいは産学、もしくは産官学による技術開発も目立ちます。
冒頭で少し述べた人工のクモの糸も、産学のコラボでできたもののひとつです。開発したのは、山形県鶴岡市のベンチャー企業で、これは慶應大学へのベンチャーキャピタルによる成果のようです。ベンチャー企業などが大学の研究室などに投資し、その開発成果を得て商品などの開発を進め、利益を得る、という仕組みです。
これによって生み出されたのが、クモの糸の構造をまねて人工的に作ったクモの糸であり、青い色をした糸だそうです。実験では、ナイロンより高い伸縮性を実現し、今後さらに改良を進めれば、さらに強度は、鋼鉄製の糸の2倍にも達することが分かりました。
この糸をシート状に編んで、自動車のボディーなどに使えば、従来より軽くて丈夫な車を造ることも可能といいます。
クモの糸は、以前から優れた性質を持つ夢の繊維として、注目されてきました。クモが出すさまざまな糸の中でも、ぶら下がるときに使う糸は、特に強さと伸縮性を兼ね備えています。その秘密は、分子レベルの構造にあることが分かっており、主な成分は、「フィブロイン」と呼ばれるたんぱく質で、硬い部分と軟らかい部分が並んだ構造をしています。
これが集まって糸になるとき、硬い部分はくっつき合って頑丈に、軟らかい部分は絡まり合って、伸縮性を発揮します。この独特の分子構造が、丈夫さとしなやかさを両立させ、クモの糸の驚異的な強じんさを生み出していたのです。
しかし、クモは縄張り意識が強く、すぐに共食いしてしまうため、絹糸を作るカイコのように、大量に飼うことができません。従ってこれまではそうしたものを人工的に作ることは不可能といわれてきました。
これを可能にしたのが、最新のバイオテクノロジーであり、その生成にはバクテリアを使います。まずある種のバクテリアにクモの糸を作り出す遺伝子を入れます。すると、バクテリアはクモ遺伝子の命令に従って、フィブロインを作り出します。そして温度や栄養などを調整すると、バクテリアはフィブロインを大量に産出するようになります。
こうしてクモの糸の原料となるフィブロインを大量に含んだ液体が培養されますが、これだけではまだ糸にすることはできません。このためこの培養液を精製して純度を高めます。すると、フィブロインだけが回収できますが、これをさらに特殊な溶液に溶かします。
すると、ゴム状に固まり、これを細く圧縮して押し出すことで糸状にします。単体でも使えますが、束ねて使えばさらに強度は増すことになり、上述のとおり布のように織って使うこともできます。
自動車だけでなく、飛行機やロケットといった乗り物にも応用できるだけでなく、もしかしたら先日このブログでも紹介した「宇宙エレベーター」などにも応用できるかもしれません。現在、量産に向けた計画も動き出しており、年内には試験プラントが稼働する予定だそうです。
こうした小さな生物の機能を応用したものは他にもあり、ハチドリをモデルにした、重さ僅か数グラムの、超小型の飛行ロボットの開発も進んでいます。ハチドリの複雑な羽の動きをハイスピードカメラで撮影し、スーパーコンピューターで解析することによって、ロボットに応用しようとするものです。
アメリカの無人機・電気自動車メーカー、AeroVironment社が、軍事目的の偵察機として研究を進めているものなどがあり、同社は開発に5年、400万ドルの費用をかけて既に試作機を完成させています。最初は屋内で数十秒だった飛行時間が、最近では風のある屋外でも8分間に伸び、カメラから映像を送ってくるまでになっているといいます。
さらに、壁や天井を自由に歩き回る、ヤモリの足の接着方法をまねた接着テープの開発も進んでいます。それを後押ししているのが、ナノテクノロジーの進展であり、従来より小型化され、高性能になった電子顕微鏡が普及したことで、100万分の1ミリ単位での観察が容易となっており、これがこの技術の開発を可能にしました。
開発しているのは、電子部品などを作っている日本の日東電工という会社で、同社の研究スタッフは、この電子顕微鏡を使った観察により、ヤモリの足の裏には、吸盤や粘着物質はなく、数億本に枝分かれした微細な毛が生えていて、物質と引き合う特殊な力が働いていることを発見しました。これをまねて、実用化されたのが、ヤモリテープです。
強く接着するのに、簡単に剥がすことができ、繰り返し何度も使えますが、その素材としては、宇宙エレベーターへの採用も決まっている、カーボンナノチューブであり、これを微細加工することによってヤモリの足の裏の構造を再現しているようです。
このほかにも砂漠で砂の上をすいすい移動するトカゲの仲間に注目している日本の研究者もいます。このトカゲは、何等かの方法によってざらざらとした砂の上を滑らかに歩いていると考えられており、その理由がわかれば、回転摺動を高める、いわゆるベアリングの技術などに応用することができます。
このように、生物の数だけ、人工物が学ぶべきヒントはあると言ってもよく、日本が目指す生物模倣技術というのはいくらでもありそうです。しかし、上に紹介したものは主に模倣技術ですが、こうした機能の再現だけではなく、その生物が自らの体を作っているその製造方法にも学ぶところが多々あります。
例えば、新素材の研究を行っている、東京大学の垣澤英樹准教授の研究室では、「アワビ」を研究対象にしています。アワビの貝殻は炭酸カルシウムを主体とした物質でできていますが、これは一種のセラミックスといえます。
しかし、単なるセラミックスとは違って、非常に割れにくい性質を持っており、その割れにくさの秘密を調べれば頑丈な構造物ができるようになるかもしれません。アワビの貝殻を電子顕微鏡で観察すると、その貝殻は厚さ1ミリにつき、薄い板が1000枚以上も積み重なり、板の間にも軟らかい接着層が挟まる複雑な構造をしているそうです。
これがこの貝殻が強靭な理由ですが、さらにこの貝殻に力が加えると、その一番外側にある薄い板が1枚ずつつ壊れます。が、さらにその内側は破壊されることなく、破壊の進行を食い止めます。また、板の間の接着層もクッションとなって、衝撃を吸収するため、簡単には割れません。
アワビは、ほとんどエネルギーや資源を使わず、海水中の炭酸カルシウムを取り込んで、この貝殻を成長させます。人間のように、高温で焼き固めたり、高い圧力をかけることなく、ありふれた物質だけを使って、強じんな貝殻を作れるように進化してきたのです。
このアワビのようにその生体の製造方法をまねすることができれば、エネルギー消費が極めて少なく、しかも環境に優しい強靭な構造体の製造技術が確立できる、というわけであり、このように何億年という歴史の中で淘汰されてきた結果生物がたどり着いた生体の生成方法を研究すれば、いろんな技術に応用できそうです。
こうしたバイオミメティクスの技術は、無論、日本だけでなく、海外でも研究はさかんで行われており、ここのところ毎年のように東京都内で生物模倣技術の研究者が一堂に会した会合を行っているということです。
大学や企業などの研究者、およそ100人ほどが毎年世界各国の最新技術を報告しあっているそうで、この会議には日本人だけでなく、海外の研究者も参加しています。昨年発表されたものの中で、いちばん注目を浴びていたのが、ドイツのトンボの飛行をまねたロボットで、これは、バイオニックコプターと呼ばれていました。
上述のハチドリの模倣技術もさることながら、昆虫や鳥の飛行方法の研究はいろいろあるバイオミメティクスの中でも人気のあるもののようです。
このほか、生物の生体製造技術の模倣としては、熱帯の鳥や甲虫がもつ金属的な光沢や鮮やかな色彩もよく研究対象になっています。
こうした生物の鮮やかな色は、色素によるものだけではなく、微細な構造が生みだしており、それは、特定の波長の光だけを反射するよう、実に巧みに配置された構造でだといい、このような構造が生む色彩は、色褪せることがなく、色素による色よりも鮮やかです。
このため、塗料や化粧品、クレジットカードの偽造対策のホログラムなどに利用できるといい、アメリカの企業が大きな関心を寄せているそうです。
また、南米に生息する、「オオハシ」という鳥のくちばしは、木の実を割れるほど頑丈なうえに、飛行の妨げにならないほど軽く、丈夫で軽量な構造として注目されており、ハリネズミとヤマアラシの針毛は、無駄のない構造でみごとな弾力性があります。
ツチボタルはほとんどエネルギーを使わず、熱を放出することなく、かすかな光を放ちますが、これに比べ、白熱電球は消費電力の98%を熱として失う非効率的な発光装置です。また、いわゆるヘッピリムシは、尾部に効率のよい化学反応室を備え、高温ガスを敵めがけ噴射します。
乾燥したオーストラリア大陸はそのほとんどが砂漠地帯であり、最も乾いた地域であるだけに水の確保が生死を左右する場所であり、こうした死の土地に巣くう生物の観察によっても重要な発見がなされそうです。
この地において、この水不足の問題をみごと解決している生物がおり、これは「モロクトカゲ」といいます。この生物をシャーレに入った水の上に置いた実験では、ものの30秒ほどで、シャーレの水がトカゲの後ろ足を伝って背中へと吸い上げられ、とげにおおわれた背中全体の皮が濡れてくるそうです。
さらに数秒後、水は口に達し、トカゲは舌なめずりするようにあごを閉じたり開いたりします。つまり、モロクトカゲはいわば足から水を飲んでいるのです。もっと時間をかければ、わずかに湿った砂からでも、同じ方法で水を集められるそうで、この特技は、砂漠で生き延びるために決定的な強みとなります。
モロクトカゲのこの技をヒントに、わずかの水を効率的に集める装置を開発できれば、砂漠で人間が利用できるようにできるかもしれません。さらに、モロクトカゲの皮は、見た目よりもはるかによく水をはじき、これも何かに使えそうです。
この皮には、水を口まで吸い上げる、肉眼では見えない微細な管が通っている可能性もあります。さらにその生息環境である砂のきめ細かさや光の加減、日陰がどの程度あるかといったことを調べれば、このトカゲの特技の本質が見きわめられる可能性があります。
電子顕微鏡がとらえた世界では、モロクトカゲの皮膚の表面に並ぶとげは巨大な山のように見えます。その山の中腹あたりに、小さなこぶが並び、山を下るにしたがって、そのこぶがより大きな構造をなす、といった形になっており、おそらくはこれが水を集める装置と考えられます。
山のふもと、つまりとげの根元を観察すると、ハチの巣状になった刻み目が見え、それぞれの刻み目の幅は25ミクロンほどです。この構造によって表面が超撥水性になり、ウロコの間を水が伝っていくと考えられています。
さらにマイクロCTスキャナーで皮を調べると、この推理を裏づけるように、ウロコの間に水を吸い上げる役目をしていると思われる微細な毛細管が見つかっています。こうした観察により、今ではもうかなりモロクトカゲの皮膚の構造はかなりわかってきており、今はもう試作品を作る段階にきているといいます。
さて、これまで見てきたように、今、こうした生物模倣技術が脚光を浴びている背景には何があるのでしょうか。
ひとつには、原発問題や、あるいは石油、天然ガスの枯渇による高騰化の問題があるでしょう。これによりエネルギーを多用する地下資源依存型のものづくりそのものに陰りが見えてきており、逆に生物の世界に、イノベーションとか、ブレークスルーのアイデアを探るべきではないかという機運が生まれてきたものと考えられます。
観察・分析の技術の進化がこれを後押ししている、という側面もあります。例えば、精度の高い電子顕微鏡の登場によって生物の微細な構造を容易に観察することができるようになったことは大きく、また、複雑で動きの早い生物の挙動を、スーパーコンピューターを使って、物理的に精緻に解析することができるようになったことも生物模倣技術の進展に貢献しています。
そして、ヤモリテープに使われるカーボンナノチューブの細工のように、「ナノテクノロジー」と呼ばれる超細密工作技術の発達もまた、生物模倣技術の進展に貢献しており、生物の微細構造の発見だけでなく、実際にこれを使って、そういう微細な構造そのものを再現することもできるようになったことも重要です。
こうしたことを背景にして、近年急速に製造方法を生き物から学ぼうという思想が普及してきたと考えられます。また、生物は、炭素とか酸素、水素・窒素といった、いわゆる軽元素と呼ばれる、ありふれた材料でものづくりやっています。
しかも、それを常温、常圧で形にしているわけであり、人間のように、高い温度をかけたり、高圧にしたり、真空下に置いたりして、ものを作ってきているわけではありません。石化燃料が枯渇しようとしている現在においては、こうした手間暇とエネルギーをかけた製造技術に頼っていてはもはやモノづくりはできなくなってしまう可能性もあります。
文字通り「自然体」でその体を形作っている生物に学んでこそ、人類が生き残る道もあろうかというものであり、結果として、そういう合理的な生産方法の開発というものは、やはりコスト性をよくしていくことにも効いてきます。億年を生き抜いてきた生物を真似ることで、省エネ・省資源化のノウハウが学べる可能性があるわけです。
生物の産業への応用は、ロボットやセンサー、そして新素材の開発などにおいて、とくに欧米で急速な進展がみられます。多くの先進国が、かなりの分野で製品化するところまでこぎつけている中、国際的な競争が激化しており、日本でも研究開発の体制作りが急務となっています。
ただ、日本では今、ようやく産と学が危機感を感じて、何かやろうかなと活動を開始したばかり、という感じであり、国もようやく動き始め、生物模倣技術による新材料などの研究に対し、およそ10億円の予算が投入されることが決まりました。
しかし、日本以外の各国ではどこも生物模倣技術で世界的な技術標準を取ろうと必死です。例えばドイツでは、ドイツ銀行と政府が組んで、この分野のネットワーク作りに、日本とは桁が2桁違う、3000億円もの大金を既に投下しており、中国もまた、こうしたドイツの動きに参画しようと動き始めています。
ただし、ドイツの場合は、かの国のお家芸である、メカトロニクスとかロボットとか、バイオニクスなど、機械工学の分野に限定されているきらいがあります。これに対して、日本では極めて学際的なネットワークを作ろうとしており、これがうまくいけば、いろんな分野で、リーダーシップを取れる可能性があります。
ただ、日本の産業界は役人の世界と同じで、研究者ごとに縦割りの構造が浸透しており、例えば経済産業省と文部科学省傘下の科学技術庁がとりつけた予算による研究費は、それぞれの省庁の息のかかった企業や大学にしか行きわたりません。
一緒にやればいいのに、同じ研究を別々にやっているのが現状であり、今後は、こうした研究を横断的に結んでいくことが必要があります。
博物館を中心に研究者がネットワークを作ることも非常に重要です。生物学者、工学者だけではなくて、医学者、あるいは情報科学の研究者、場合によっては、歴史学者とか博物学者の参画が必要な場合もあると思われ、メーカーのエンジニアも参画して、よりベンチャーキャピタルがさかんになる方向に持って行く必要があります。
もうすでに大手の家電メーカーが、空気を上手に捕捉するチョウに学んだ扇風機や、あるいは鳥の羽に学んだ空調機などを大学の援助で開発し、実用化をして発売するような成果も上がっているといい、これからはこうしたイノベーションが毎日のように新聞紙面をにぎわすような世の中になっていくことが望まれます。
それにしても、この分野の進化の先に、どんな社会の変化が生じるのでしょうか。
これについては、上でも述べたとおり、そもそも生物は自然、地球と共生をしながら、共進化をしてきたわけであり、この生物を真似ることによって、省資源な材料の使い方とか、省エネルギーな構造といったものを、自然から学び、自然と共生できるデザインをもっと学び、石化天然資源の浪費を抑え込んでいく、といった方向性がひとつです。
また、日本に限っていえば、バイオテクノロジーとのコラボにより、これからは生物自体がいろんな材料を生物自身が生み出していく、という形も考えられます。動植物の遺伝子情報の研究治験、知的財産は、日本が世界でいちばん蓄積されているといわれており、例えば、昆虫や藻類に関する日本の知財蓄積量は世界一といわれます。
これは、日本画周囲を海に囲まれているからであり、藻類や昆虫などの生育・生息数が多いのは、四季がはっきりしていて、北から南まで多様な昆虫が生息しやすくなっているためです。インドネシアのような熱帯地域には亜寒帯の動植物は生息しえませんが、日本には熱帯や亜熱帯、亜寒帯までの多様な環境に生物が生息できる土壌があるのです。
このような多様な環境を持っている国というのは、先進国では日本以外にはあまりありません。こうした優位な自然資源を背景に、いろんな生物模倣技術を展開していけるというのはそれだけでも有利であり、工業製品だけではく、例えば医薬品の製造の分野などでも生物に学び、あるいは作らせたりするような技術が数多く創造される可能性があります。
とくに、この分野で日本が突出するためには、生物学が重要といわれます。従来は産業界からは程遠い世界だと思われていましたが、この分野の研究者たちを積極的に企業自身が支援をしていくような、そういうコラボレーションスタイルの研究開発が国策として必要になると思われます。
このように、バイオミメティクスは大きな可能性を秘めているし、現状の日本では優秀な人材も集まっているため、この分野で世界の最先端に立つということは夢ではありません。
ただ、多額の資金を調達したバイオベンチャーが経営破綻に追い込まれる、といったこともないわけではなく、これは、バイオミメティクス研究には時間がかかるのに、利潤を追求する企業はすぐに成果が出て、利益につながることを期待するため、と考えられます。
自然の構造を解明し、模倣するには、いろいろな分野の研究と技術力が必要になりますが、上述のように日本の産業界は縦割り傾向が強く、そうした共同作業の調整が難しいという事情もあります。
ただ、バイオミメティクス研究が成熟しない最大の理由は、自然の構造そのものにあり、自然の設計は、技術者の目で見れば、「なぜこんな回りくどいことをするのか」と言いたくなるほど複雑に入り組んでいます。が、技術者たちは容易にこれを見抜けません。
なぜならハエの羽やヤモリの足は、自在に飛びたいとか壁を歩きたいといった特定の目的に向かって「設計」されたものではないからです。ただ偶然に生まれたデザインでもなく、ある世代でうまくいったものが生き延びて子孫にそれを残し、何千世代にもわたって、数えきれないほどこうした試行錯誤を積み重ねてできた、寄せ集め機能です。
上述のアワビも、その頑丈な貝殻を作るためには、15種類のタンパク質が複雑に協調して働いているといい、いくつかの研究チームがその解明に取り組んでいますが、いまだに謎は解けていません。また、クモの糸の強さの秘密は、それを構成するフィブロインなどの数種のタンパク質の性質にあるだけではありません。
クモの体には糸を紡ぎだす出糸突起という器官があり、そこには600個の出糸管があって、7種類の糸をより合わせて、とても強靭な糸を作っていますが、これほど複雑なものを模倣できるだけの技術はまだありません。
このように自然の設計の多くは重層的な性質をもち、その一つひとつの層を明らかにして、本質を突き止めるのは非常に難しいのが現状であり、現在の技術では、こうしたナノレベルの複雑な構造を人工的に再現することは不可能といわれます。
自然はDNAに刻まれた複雑な指令に従って、分子1個1個を積み重ね、難なくその構造を作りあげ、わずかのコストで複雑な微細構造を作ることができますが、仮にこれと同じことを人間がやろうとすると、とてつもなく大きなコストと時間がかかってしまうためです。
それでも、少しずつ自然との差は縮まりつつあるといえ、研究者は最先端技術を使った顕微鏡をさらに改良して性能をアップし、自然が生みだすミクロやナノの秘密に迫ろうとしています。商業ベースにのるレベルには達していなくとも、バイオミメティクスの成果は確実に出ており、さらに自然との差を埋める道具として力を発揮していでしょう。
いつか人間も、大した道具も使わず、昆虫や鳥のように自由自在に空を飛び回れる、そんな時代が来るかもしれません。その技術を開発するのが日本人であることを願ってやみません。