LEDってなぁに?

2014-1170121先日の邦人3人がノーベル物理学賞受賞のニュースはまたたくまに日本中を席巻し、テレビをつけるとどこもかしこもこの話題でもちきりです。

青色発光ダイオード、LEDに関する発明による受賞、ということなのですが、この「ダイオード」とは、そもそもなんなのでしょうか。

調べてみると、一般的な定義としては、「順方向に電圧を加えた際に発光する半導体素子」ということのようです。それにしても、海洋工学が専門の私には電気・電子工学は畑違いでもあり、半導体とは何ぞや、何につかえるんじゃ、というところもはっきりと理解していないことが判明したので、今日はそのあたりのところを勉強していきたいと思います。

まず、「半導体」の意味ですが、これは、英語 “semiconductor” の “semi-” =「半分」と “conductor” =「導体」にもとづいており、「導体」とは電気をよく通す物質のことで、逆に電気を通さないものは「絶縁体」といいます。

半導体はこの二つに比してその中間的な性質を示すもので、材料としては、ケイ素、ゲルマニウム、カドミウム、といったいろいろなものがあります。この半導体の最大の特徴は、熱や光、磁場、電圧、電流などといった、物理的な外力によって、元々持っているその性質が顕著に変わることです。

例えば、電気を通した場合、その流れの方向を整えたり、電流が流れる途中で熱を発したり、さらには光を発したりします。こうした性質を使って電子機械に使われることが多く、いまや家電製品全般に使われているICにはこの半導体が多用されています。

ちなみに、ICとは、集積回路(integrated circuit)の略で、特定の複雑な機能を果たすために、多数の素子を一つにまとめた電子部品のことであり、またまとめることで装置の大きさを小さくできます。

さて、この半導体でできたダイオード(diode)は、その定義にもあるように整流作用、すなわち、電流を一定方向にしか流さない作用を持ちます。その昔はこの整流作用を真空管で行っていましたが、これは、真空にしたガラス管の中に電気抵抗の比較的大きい電線であるフィラメントと、これに向き合う板状の電極、プレートを封入したものです。

この真空中でフィラメント電極に電流を流すと加熱され、熱電子が放出されます。このとき、フィラメントから放出されたプラスの熱電子はマイナス側のプレートに向かって飛び、その逆にマイナスの電子を飛ばして、プラスのプレートにも飛ばすことができるわけですが、こうした仕組みによって自由気ままに飛び回る電子を制御するわけです。

その昔はこういうまわりくどいことをしないと整流効果が得られなかったわけですが、ところが、こうした作用を小さな素材にすぎないダイオードでは簡単にできるようになり、これにより、大きな真空管は不必要になりました。こうして電子回路は画期的に小さくなり、ひいては電子製品、電気家電の大きさを飛躍的に小さくすることに成功したわけです。

この「ダイオード」という言葉は、1919年、イギリスの物理学者、ウィリアム・ヘンリー・エックルがギリシア語の di = ‘2’と 英語の electrode = ‘電極’ の語尾を合わせて造語したものです。2つとしたのは、基本的にはこの半導体は二つの材料を組み合わせて作られるからです。

それでは、これに「発光」を加えた「発光ダイオード」とは何なのでしょうか。

発光ダイオードは、英語ではlight emitting diode、LEDといい、1962年、アメリカのニック・ホロニアックという技術者によって発明されました。

ホロニアックはもともと鉄道会社に勤める労働者で、苦学してイリノイ大学で博士号をとりました。そしてゼネラル・エレクトリックの研究所に入り、ここでこの発光ダイオードを発明し、これ以外にも41もの特許を取得している発明家でもあります。

アメリカの歴代大統領や、昭和天皇、ロシアのプーチン大統領からも賞を授与されたことがある実力者であり、アメリカでもIEEE(電気工学技術学会)のエジソンメダルを授与され、ノーベル賞の受賞候補とされたことも何度があります。が、これまでも何度も候補にあがったものの、そのたびに受賞を逸しています。

これについてホロニアックは、「自分がやってきたことが何かに値すると思うなんて、馬鹿げている。その番が回ってきたとき、生きていたら幸運ということだ」と語っており、いかにも謙虚な人です。が、ノーベル賞こそ受けてはいないものの、2008年には、アメリカの発明家の殿堂入りを果たしています。

このホロニアックが1962年に発明した発光ダイオードですが、発明当時は赤色のみでした。その後、黄色のものが、10年後の1972年に同じアメリカ人のジョージ・クラフォードによって発明されました。

これらアメリカ人によって発明された発光ダイオードの発光原理は「エレクトロルミネセンス効果」を利用しています。ルミネセンス(luminescence)とは、「物質が電磁波の照射や電場の印加、電子の衝突などによってエネルギーを受け取って励起され、自然放出による発光現象をおこすもの」です。

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???でしょうから説明します。「印加」とは、電気回路に電源などから電圧や信号を与える事を意味します。また、励起とは、光、熱、電場、磁場などに物質がさらされた場合に何等かのリアクションがおきることです。

たとえば励起により、落ち着いた状態であった物質が、活動を伴って活発になったり、高いエネルギーを持ったりし、ようするに「躁状態」になります。

つまり、何らかの力や熱などの「印加」を加えられることによって、「励起」行動を起こした状態がルミネサンスであり、この場合、その起こる現象は、「発光現象」です。そして、半導体中において、「電気」を与える加えることによって得られるルミネセンスは、エレクトロルミネセンス(Electroluminescence:EL)です。

また、ルミネセンスによる発光現象は、「蛍光」といいます。ちなみに、励起源からのエネルギーの供給を絶つと発光が止まるルミネセンスを「蛍光ルミネセンス」、残光を持つ物を「燐光ルミネセンス」と呼びますが、両者の区別はあまりはっきりしていないようで、両者をまとめて蛍光と呼ぶこともあるようです。

ルミネサンスには、こうした電気の作用によるエレクトロルミネセンス以外にも、光や熱などの他の作用によって蛍光現象を起こすものがあり、だいたい以下のようなルミネセンスがあります。

光によって励起するフォトルミネセンス(PL)
電子線によるカソードルミネセンス(CL)
熱による熱ルミネセンス
音響波によるソノルミネセンス
物理的な力によるトリボルミネセンス
化学反応によるケミルミネセンス

では、これらに比べて現在なぜ、エレクトロルミネセンス(EL)だけがもてはやされるのかですが、この答は簡単です。電気は自然界にたくさんあるエネルギーの中でもとくに人間が自由に扱え、蓄積が可能なエネルギーだからです。

光も比較的扱いやすいものですが、よく考えてみれば光は蓄積できにくいし、多少のコントロールはできるものの、まだまだ人間が自在に操れる段階のものとはいいにくいものです。また、音や熱も蓄積できますが、音はパワー不足ですし、熱は身近なところで使うためには危険すぎます。

電気だけが、一番人間が使いやすく制御しやすいうえに、大きなパワーを取り出すこともでき、かつ電線で遠くに簡単に運ぶこともできて、日常で側においておいてもほとんど危険ないほどまでに制御技術が進んでいます。

発光ダイオードは、人間が自由自在に使えるこの電気を作用させることで、光という励起状態を簡単に起こさせるようにしたものですが、さらに単に光るだけでなく、さまざまな分野に応用が利きます。これらは、例えばLEDディスプレイや大型テレビ、その他の大型映像装置、電光掲示板や看板といったものです。

このほか、パソコンやスマホのディスプレイのバックライト、各種照明用、信号機としての利用も進んでいるほか、光ファイバー通信の光源にも使われており、最近は、乗用車やバイクのランプ用のものも性能が向上してきました。

レーザープリンター内部の感光用光源としても使われますが、LED自体が小さいのでプリンターも小さくできる。最近飛躍的にレーザープリンターが安くなってきたのもこのためです。

その原理も簡単です。といっても、電気を通せば光る、というこの一見単純そうに見える現象を理解するためには、ちょっとした説明がいります。家の人や友達にも自慢できるように、ここでわかりやすく順番に説明しますので、一緒に勉強してみましょう。

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まず、ダイオードはその語源に2という数字が入っていますが、発光ダイオードに使う半導体も二つの種類のものをくっつけたものです。この接合のことを「pn接合」といい、半導体の中にあってそれぞれ接している種類の違うp型とn型の半導体が結合したものです。

電線に電圧を加えるとその中で電気は、「電荷」として移動します。電荷とは、すなわち「電気の量」であり、素粒子が持つ性質の一つです。また、プラスとマイナスの二つの種類がある、ということはご存知でしょう。

物体や空気中には、この電荷を持った粒子がたくさんありますが、正電荷と負電荷が等量だけ存在するときは正味の電荷量はゼロであり、正味の電荷量がゼロでないとき、つまり正電荷か負電荷のどちらかの方が多いとき、その物体や空間は「帯電」しているといいます。

しかし、帯電しているだけでは、電気は流れません。何等かの方法で、極端に電荷が不均衡に存在している状態を生み出してやることが必要であり、例えば水が高い点から低い点に流れるという性質を利用して、これによりタービンを回して取り出したエネルギーが電気です。また、化学反応によってこの状態を作るものが「電池」です。

さて、こうして生み出された大量の電荷は、通常は、「伝導体」として電気を通しやすい銅線などを使って流します。ところが、不純物をたくさん含んだ「半導体」の中でこの電荷を通そうとすると、簡単には流れてくれません。このため、この電荷の移動の担い手として、何等かの仲介物が必要になってきます。

この運び屋のことを、「伝導電子」と「正孔」といい、これらは合わせてキャリア(carrier、担体)と呼ばれます。二つあるのは、この2種のキャリアをうまく使い、電圧を加えることでそれぞれ電荷を互いに反対方向に移動させることができるようにするためであり、継続的に流すようにできれば、半導体の中に正反の電流が流せる、という筋書きになります。

この正孔(せいこう)は、ホール(hole)ともいい、半導体において、本来は電子で満たされているべき状態(これを「価電子」といいますが)が不足した状態にあるおとなしいキャリアです。逆に伝導電子は、「伝道」できるほど電子が豊富にあって元気で活発なキャリアといえます。

p型とn型の半導体がある、と上で述べましたが、このいずれの半導体も必ず伝導電子と正孔を持っています。しかし、その数が多いか少ないかでpであるか、nであるかが決まります。つまり、多数派のキャリアが伝道電子か正孔のどちらであるかによって、p型とn型に区別されるというわけです。

n型の半導体は「伝導電子」を多く持ち、p型の方は「正孔」が多いということであり、多少語弊があるかもしれませんが、これは分かりやすく言えば凸と凹の関係と言ってもよいかもしれません。

このn型とp型の別は、半導体として製造するときに、「ドーパント」と呼ばれる微量の添加物を混ぜて不純物半導体とする際のその割合によって決まり、これを加えることを「ドープ」するといいます。

このドープを厳密に調整して行なうことで電子や正孔であるキャリアの密度を上げ、nとpそれぞれの半導体が、電子部品用半導体としての特性を持つように製造されます。そして、このp型とn型の半導体を接合した発光ダイオードに電圧をかけると、その接合部付近では伝導電子と正孔が互いに結びつき、このとき強いエネルギーが放たれます。

凸と凹が合体して電子のエネルギーが放たれるためであり、このエネルギーは直接光エネルギーに変換され、すなわち「光」を放ちます。そして、これが「発光ダイオード」といわれるゆえんです。

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基本的には、この光を放つために熱や運動の介在を必要としません。電気さえあればいいわけです。また、電気を通すのをやめれば、光を放たなくなり、再び通電すればまた光るといったふうに繰り返し使えます。

放出される光の色は、ダイオードに使われる材料の種類によって決まり、これにより赤外線領域から可視光線領域、紫外線領域まで様々な発光を得られます。しかし、基本的には単一色しか作れず、その意味では自由度は低い素材です。

ただ、光の三原色、つまり青色、赤色、緑の発光ダイオードを用いることであらゆる色が作れ、フルカラーでの表現が可能です。また、青色または紫外線を発する発光ダイオードの表面に蛍光塗料を塗布することで、白色や電球色などといった様々な中間色を醸し出すこともできます。

ダイオードの発光時の消費電流は表示灯用途では数mAから50mA程度ですが、照明用途のものでは消費電力が数10Wに及ぶ大電力の発光ダイオードも市販されており、最大駆動電流が10Aに迫る製品も存在します。それでも、60Wや100Wが主流である白熱電球に比べれば消費電力は極めて小さいわけで、白熱電球では、200Wにも及ぶものさえあります。

このように数々の優れた特徴を持つ発光ダイオードですが、これが現在のように普及されるまでにはさまざまな困難がありました。その最大の問題はこれを作る材料です。

発光ダイオードから放出される色は、pn接合を形成する素材の持つ波長の特性に左右されます。このため、色々な色を出すためには、近赤外線や可視光、紫外線に至るまでさまざまな波長に対応した半導体材料が必要になります。

しかし、p型半導体とn型半導体をそのものだけではいろんな色を出させることはできません。このため、pnを合体させるために不純物をドープする際、これに加えてさらに光を発しやすくする材料をも加えることで、発光がしやすくなります。

そして、これまでは、アルミニウムガリウムヒ素や、ガリウムヒ素リン、インジウム窒化ガリウムといった様々な不純物を加えて橙・黄・緑・青・紫・紫外線といったいろんな発光ダイオードが作られてきました。

ところが、この中でも青だけは、発色はできるものの、なかなか強い発光をするものが見つかりませんでした。また、青くて強い光を出す結晶が発見されても、すぐに劣化してしまって使えなかったり、構造や製造過程が複雑すぎて簡単に製造できず、発光ダイオードの特性である小さいがゆえに「安価」という最大のメリットを生かせませんでした。

そこで、青い色を放ちやすくなる半導体材料であり、なおかつ強い光を放つものはないかと、多くの研究者が鵜の目鷹の目でさまざまなものを探すようになりました。なぜなら、それまでに開発されていた赤や緑色に加えて青色の強い光を発するダイオードができれば色の三原色が揃い、上でも述べたとおりほぼすべての色の再現が可能になるからです。

1980年代前半、この青色発光ダイオード探しは研究者の中で加熱しましたが、その結果、ほとんどの研究者は「セレン化亜鉛」と呼ばれる物質が用いて青緑色発光ダイオード作製を目指すようになります。ところが、このセレン化亜鉛ではn型半導体は作りやすいものの、p型を作るのは至難ということがわかりました。

しかも、なんとか精製できても寿命が短く、このため製品化には至らず、多くの研究者がセレン化亜鉛をあきらめ、別の道を探りましたが果たせません。やがてはほとんどの人が青色ダイオードの開発をあきらめ、21世紀中の開発は不可能とまで言われるようになりました。

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ところが、今回ノーベル賞を受賞したうちの、赤崎勇教授は、窒化ガリウムという物質に当初から目をつけていました。赤崎教授は京都大学理学部化学科を卒業し、神戸工業(現富士通テン)に入社後、名古屋大学で助教授をやっていましたが、1964年松下電器産業東京研究所(現パナソニック)の基礎研究室長に就任していました。

なぜ窒化ガリウムだったのか、ですが、これは赤崎教授がそれまで多くの人が研究していたセレン化亜鉛よりも窒化ガリウムのほうが放出エネルギーが高く、何よりも結晶が安定していて固くて丈夫といった、将来製品化する上においての諸条件を備えていると考えたためでした。

このため、同研究所で1973年ごろから、この開発に着手しはじめました。その元となる「ガリウム」は原子番号31の元素で、青みがかった金属光沢がある金属結晶ですが、これを窒素と化合させたものが窒化ガリウムになります。

しかし、文字では簡単に化合させる、と書けますが、実際にはこの化合が一筋縄ではいきません。赤崎教授は、それまでの10種類以上の半導体を結晶化させてきた実績を生かし、高品質の窒化ガリウム結晶を得るためにさまざまな方法を試しました。

が、なかなか安定した結晶ができず、このため、この研究のためだけに10年もの月日が流れていきました。ところが、1970年代の後半ごろから、MOCVDという技術が開発されるようになってきました。

これは、Metal Organic Chemical Vapor Depositionの略ですが、人工結晶物などで作った基板の上に、原料を吹きつけ、そこに目的とする結晶を成長させるという技術です。

結晶成長のために吹き付けるガスの製造においては、個体を熱して「蒸化(Vapor)」させるという物理的なプロセスが重要視されることから、MOVPE (Metal-Organic Vapor Phase Epitaxy)とも呼ばれ、日本語では「有機金属気相成長法」と呼ばれています。

原料として有機金属やガスを用いた結晶精製方法であり、有機金属とは金属と炭素との化学結合を含む化合物のことです。これを高温でガス化し、基板表面での化学反応により「膜を」堆積させる方法であり、こうした方法を「化学蒸着(CVD: chemical vapor deposition)」といいます。

分かりやすい例では、切削工具の表面に錆がこないように黒い膜が吹きつけた処理をしてあるのを見たことがあると思いますが、あれの応用版がMOCVDということになります。

原料ガスの混合により色々なものが含まれた材料を形成する事が容易であり、混合された原料ガスが加熱された基板に達すると分解・化学反応をおこし、結晶を継続して堆積させることができます。また、原料ガスの流量比・温度・圧力などを変えることによって様々な組成・物性・構造を持つ半導体を作ることもできるという優れものです。

このころ、赤崎教授は、松下電器を辞め、1981年名古屋大学教授に戻り、教授に就任していましたが、早速このMOVPEを導入することを決め、研究室にいた学生たちとともにその開発に乗り出しました。

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赤崎教授は、化合物半導体の国際会議が1981年に日本ではじめて開催されたとき、この学生たちを引き連れてこの会議に出席し、このころ開発を始めたばかりの窒化ガリウム製造技術を発表したといいます。

当然、窒化ガリウムの優れた構造は、相当関心を呼ぶだろうと思ったのですが、まるで何の反応もなかったといい、また、このとき、窒化ガリウムに関する発表をしたのは彼等だけだったといいます。そして、このとき赤崎教授とともにこの発表に参加していたのが、誰あろう、今回赤崎さんとともにノーベル賞を受賞した天野浩さんでした。

ちなみに、この天野さんは、静岡県の浜松市出身で、この2年後の1983年、名古屋大学工学部電子工学科を卒業したあと、1989年に名古屋大学から工学博士の学位を取得。名城大学理工学部の講師・助教授・教授を経て、2010年から名古屋大学教授を務めています。

さらにちなみに、ですが、この天野氏というのは、現在我々が住んでいる修善寺からもほど近い伊豆国田方郡天野郷(現・伊豆の国市天野)が発祥とされる一族です。居住した地名を取って天野と称したようです。

その遠祖は、天野遠景といい、伊東祐親の下で幽閉生活を送っていた源頼朝と狩や相撲を通じて交流を持ち、親交を深めました。そのため頼朝の挙兵当初から付き従うこととなり、鎌倉幕府の隆盛のためにも尽力しました。天野氏はその後、遠江天野氏、三河天野氏という二つの系統に別れましたが、この天野浩さんもそのどちらかが先祖でしょう。

天野さんは、名古屋大学を卒業後も大学に残り、赤崎教授の右腕として、引き続きMOVPE法を用いた窒化ガリウム精製との戦いを続けました。

このMOVPEは、円盤状の薄い基板の上にガスを吹き付けて目標とする結晶物を積層させるという技術なわけですが、この窒化ガリウムの精製には窒素やガリウムなどの混合ガスが使われました。また、この基板としては当初からサファイアが用いられていました。

基板の材料としてサファイアがよく使われるのは、機械的、熱的特性、科学的安定性、光透過性に優れているためです。ところが、これに窒素とガリウムの混合ガスを何度吹き付けても目標とするような純度の高い窒化ガリウムができません。

結晶をさせようとすると、基板のサファイアとここ作られる予定の窒化ガリウムとの間に、隙間ができてしまい、うまく結晶化しないのです。その原因としては、サファイアと窒化ガリウムとの間に、結晶軸の長さや角度の相違、熱膨張係数の違いがあり、このため二つの物質が接する面に、「界面エネルギー」が発生するためと考えられました。

これは、液体が気体と接しているときには表面積を最小にしようとする「表面張力」と同じようなものと考えていいでしょう。

これが大きな障壁となり、なかなか、ダイオードに使えるような高品質のものができませんでしたが、試行錯誤のあげく、ようやくその閉塞状況を打破したのが「低温堆積AlNバッファ層技術」でした。

天野さんが卒業してから、既に5年を経た1986年のことであり、この技術の導入により、界面エネルギーを緩和し、ようやく窒化ガリウム単結晶を成長させることができるようになりました。

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具体的には、サファイアと窒化ガリウムの結晶の間に、単結晶ではない薄層を緩衝層(バッファ層)として、サファイア基板(サファイア)の上に低い温度で薄く積んでおく、というもので、このバッファ層は、かなり「低温」で積むことで、「非晶質」を保った薄層になります。

非晶質と言われる物質には、天然に産出する鉱物では、例えばオパールなどがありますが、赤崎教授たちが使ったのは、AINといい、これは「窒化アルミニウム」というものです。

無色透明のセラミックスで、セラミックの中では熱伝導率が高く電気絶縁性が高いため、発熱する機械・電気部品に取り付けて、熱の放散によって温度を下げることを目的にした「ヒートシンク」の部材としてもよく使われます。

こうして、これを緩衝剤として使うことで、ようやくクラックやくぼみの全くない無色透明の窒化ガリウム単結晶を作れるようになりました。そして出来上がったこの結晶は結晶学的にも優れたものでしたが、光学的、電気的特性など全ての重要な特性を兼ねそろえたもので、従来の実験によって造られたものよりも格段に質が向上していました。

実際にLED素材として使うためには、円形のサファイア基板上にできたこの窒化ガリウムの薄い板をモザイク状に切ってチップとして使いますが、表面の凸凹が少ないため、チップの上に素子などの部品を乗せやすく、実装時に欠陥がおきにくいのも特徴です。

このブレークスルーにより、以後、低温バッファ層技術は世界のスタンダードになりました。この技術によって、望み通りのpnそれぞれの半導体が製造できるようになり、そのpn接合による青色発光ダイオードが実現されただけでなく、それまで困難とされていた種類の発光ダイオードのほとんど全てが実現されるようにもなりました。

また、この技術を元に、この当時日亜化学に所属していた中村修二さんが、さらに効率よく結晶を作り出すツーフローMOCVDという装置を完成させました。

このツーフローMOCVDというのは、装置に備え付けた基板の上に、縦方向からと横方向からという2つの流れによって成長基板に原料をあてるというもので、中村さんが日亜化学時代に発明し、より純度の高い窒化ガリウムの成長を成功させたものです。

従来のMOVPE装置では、水平に置かれた基板に上方から材料ガスを供給していたために、1,000度程度の高温に熱せられた基板表面からの熱対流により材料ガスが舞い上がり、基板まで届きにくく、うまく成長を行うことができない、という欠点がありました。

そこで、中村さんが横方向から吹きつける窒素ガスの原料ともなるNH3(アンモニア)を流してみたところ、よりうまく基板に窒化ガリウムが付着させることができるようになり、さらに良質な窒化ガリウム結晶の成長を得ることができるようになりました。

と、これも簡単にさらっと書きましたが、この方法を思いつくまでには相当な試行錯誤があったはずであり、中村さんが開発を思いついた1988年ごろから、日亜化学工業が、高輝度の青色発光LEDを1993年に製品化するまでには5年もの月日が流れています。

こうして世界で初めて窒化物半導体を用いた高輝度青色発光ダイオードの製品化は、彼にもノーベル物理学賞をもたらしました。

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実は、この中村さんという人は、私と同じく愛媛県生まれです。しかも、愛媛県西宇和郡瀬戸町(現在の伊方町)生まれであり、小学校時代に隣町の大洲市に転居しているため、大洲市生まれの私とは同郷ということになります。

だからなんだ、お前もエライのかといわれてしまいそうですが、ちなみに隣町である喜多郡内子町(旧大瀬村)からは、1994年にノーベル文学賞を受賞した大江健三郎が出ています。天才が出やすい地域なのでしょうか(-_-;)。

フロリダ大学に1年間留学していた、という点も私と共通しています。大学院終了後、日亜化学工業に就職し、開発課に配属されますが、現場の職人からガラスの曲げ方などを習い、自らの手で実験装置などの改造を行っており、これらの経験が、MOCVD装置の改良に生かされ、後の発明につながったと述懐されています。

フロリダに留学した経緯は、青色発光ダイオードの開発をこの当時の日亜化学工業社長の小川信雄に直訴し、その結果、アメリカでその基礎研究をすることを許されたためであり、留学費用とその後の開発費用のために、この当時、中小企業としては破格の約3億円ものお金が渡されたといいます。

この日亜化学工業への入社は、当初彼の予定にはなかったようで、徳島大学の大学院修了を控えて某大手企業に面接に行ったところ、「理論家は要らない」と言われ、このため、京セラを受験したそうです。この時の面接官は創業者の稲盛和夫だったそうで、この受験に中村さんは合格しました。

しかし、大学院1年生の時に学生結婚し、修了時には子供もいたため、子供の養育の関係から、地元就職を希望。大学の指導教授の斡旋により日亜化学工業を受けました。採用時期を過ぎていて断られかけたものの、英語の成績が良かったことが幸いして採用されたといいます。

徳島県阿南市に本社を置くこの日亜化学で、中村さんはその後半導体ウェハーなどを開発しました。が、ブランド力や知名度が低く売れなかったそうで、そこで、まだ実用化できていないものに取り組もうということで始めたのが、青色発光ダイオードへの挑戦でした。

フロリダからの留学後、日亜化学工業に戻り、2億円ほどするMOCVD装置の改造に取り掛かりますが、会社命令を無視、会議にも出席しない、電話に出ない、と、通常のサラリーマンとしては失格と言われても仕方のない勤務態度だったそうです。が、度量の広いこの創業者社長のおかけで破格の研究費の元で実験を続けることができました。

先日、中村修二へのノーベル物理賞授与が発表されたときも、中村修二はインタビューに応えて「日亜化学の先代社長の小川信雄氏には感謝している。彼の研究支援がなかったらこのノーベル賞はなかった」と述べています。

その後、青色発光素子である窒化ガリウムの結晶を作製するツーフローMOCVDを発明し、窒化ガリウムによる高輝度青色発光ダイオードを開発に成功するわけですが、しかしこの当時の日亜化学工業での待遇の悪さから、アメリカの研究者仲間からは「スレイヴ(奴隷)中村」とあだ名されたといいます。

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この中村さんが発明した、ツーフローMOCVDという技術のために出された特許は、通称404特許と呼ばれ、日亜化学工業と特許権譲渡および特許の対価の増額を争った、という話はテレビのニュースでも何度も流れ、みなさんもご存知でしょう。

この高裁控訴審においては、結局高裁から示された和解勧告に中村さんは応じ、東京地裁での判決では日亜化学工業に対し、中村さんに200億円を支払うよう命じたのに対し、この裁判では関連特許などの対価などとして、日亜化学工業側が約8億4000万円を中村に支払うだけで和解が成立しています。

これに対し、中村さんは弁護士とは異なる記者会見を設け「日本の司法は腐っている」と述べたそうです。しかし、日亜化学工業はこの訴訟中にツーフローMOCVDは無価値だと述べ、訴訟終了後にも特許権を中村さんに譲渡することなく放棄しています。

その後中村さんは渡米して研究をカリフォルニア州のカリフォルニア大学サンタバーバラ校・材料物性工学部教授に就任されており、最近の研究は窒化物半導体を用いた光触媒デバイスに関するものだそうです。

これは、窒化ガリウムの結晶と導線で結んだ白金を電解質水溶液に浸し、窒化ガリウムに光をあてることで電流を発生させ、水を電気分解することによって水素と酸素に分離するというものです。

この成功により、水素自動車などの開発に拍車がかかることが期待されるとともに、光を使って水から水素を容易に取り出せることから、新たなエネルギー変換技術として期待されているようです。

なお、中村さんは、アメリカで研究を続ける都合により、米市民権を取得し米国籍となっていますが、このため先日のノーベル賞受賞者発表時にもあちらのプレスが、「American Citizn」と発表して議論を巻き起こしました。

ただ、ご本人は日本国籍を捨てた訳ではないと答えているそうです。が、日本の国籍法上では、自ら他国の国籍を保持した際の二重国籍は認めていないため、本人の意思とは関係なく、米国籍の取得により日本国籍を失っている、ということになるようです。

こういう反骨精神に優れた人は早く帰ってきて日本の科学技術の発展につくしてほしいものですが、のびのびとした研究を続けるためには今のままが良いのかもしれません。

が、最近は日本人によるノーベル賞の授賞者がどんどん増えてきているようでもあり、日本の科学技術の土壌もどんどん良くなってきているに違いありません。今日のこのブログを読んでいる方の中にもまだ若い方も多いと思われますが、そうした人達の中から次のノーベル賞受賞者が出ることを願ってやみません。

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