9年前の今日、2006年1月19日に、NASAのニュー・ホライズンズという冥王星探査機が打ち上げられました。
この探査機は長い長い旅を終えつつあり、木星の重力によるスイングバイを行って目的地の冥王星近づいており、今年の7月14日に冥王星に最接近します。しかし、観測は既に先週から始まっており、さらに接近する来月2月には本格的な探査が始まるといいます。
冥王星は質量が小さく地球からの距離が非常に遠いため、これまで探査機を送るのは非常に難しいとされてきました。このため、十分なデータが得られず、冥王星の直径と質量は発見後数十年間にわたって誤って過大評価されており、当初は実際よりもかなり大きく、質量も地球に匹敵すると考えられていました。
しかし、最近ハッブル宇宙望遠鏡のような解像度の高い望遠鏡の観測などにより観測が精密になったため、大きさのほか、とくにその推定質量は急激に下方修正されました。
太陽系全体を通じて見ると、冥王星はどの惑星よりも小さく、圧倒的に質量が少ないことがわかり、それだけではなく、地球の月と比較しても質量は0.2倍以下であり、太陽系には冥王星よりも質量が大きい衛星がほかにも7つもあることなども発見されました。
その7つの衛星とは、ガニメデ(木星の第3衛星)、タイタン(木星の第3衛星)、カリスト(木星の第4衛星)、イオ(木星の第1衛星)、月(地球の衛星)、エウロパ(木星の第2衛星)、トリトン(海王星の第1衛星)です。
かつて1977年に打ち上げられ、土星の観測に使われたたボイジャー1号においても、冥王星の探査を行おうという計画がありました。が、オペレーションチームは冥王星の観測を選択せず、その代わりに土星の衛星タイタンへの接近飛行を選んだため、冥王星への接近は果たせませんでした。
また、同じ年に打ち上げられたボイジャー2号も、土星の観測が主目的であり、そもそも冥王星に接近するような計画ではありませんでした。が、ボイジャー2号は人類史上初めて海王星に近づき、海王星の衛星を新たに6つ発見したほか、また、海王星にも環があること、その表面には大暗斑があることなどの大発見をしました。
ボイジャー2号は海王星以外にも天王星についても観測を行い、数々の成果をあげましたが、しかし結局、冥王星の観測は行われませんでした。
その後NASAはプルート・カイパー・エクスプレス (Pluto Kuiper Express)というミッションを新たに計画したこともありましたが、経費の増大や打ち上げロケットの開発の遅れなどのため、2000年に中止されました。
しかし、その数年後にアメリカ経済も回復基調になってきたことから、ニュー・ホライズンズの打ち上げが計画され、7億ドル(日本円で約800億円)の予算を獲得し、2006年の打ち上げに漕ぎつけることができました。
この打ち上げ費用には、ロケット製造費、施設利用費、装置開発経費及びミッション全体の人件費が含まれており、これから本格化する観測は、ジョンズ・ホプキンス大学応用物理研究所 (APL) のミッションチームが行っていく予定となっています。
このニュー・ホライズンズのミッションとは、冥王星とその衛星カロンの全体的な地質と地形の特徴を明らかにし、表面の組成の地図を作成し、冥王星の薄い大気とそれが流出する割合を明らかにすることです。このためための、画像撮影装置と無線科学調査ツール、さらに分光器とその他の実験装置を搭載しています。
こうした観測を行うにあたっては、当然動力源が必要になります。が、冥王星は太陽から遠く離れており、通常の観測衛星が使うような太陽電池を使えません。このため、原子力電池を搭載しています。
また、冥王星軌道からの地球へ届く電波も微弱となり、通信速度は僅か800bps弱となります。このため、一度に大量のデータを送ることはできず、このため64Gbit(8GB)相当のフラッシュメモリを搭載し、冥王星探査で取得したデータはメモリに蓄積して、数ヶ月かけて少しずつ地球へ送り届ける、という方法がとられます。
こうした観測用の機器の他には、星条旗が搭載されており、ほかにも公募した43万人の名前が記録されたCD-ROM、史上初の民間宇宙船スペースシップワンの機体の一部だったカーボンファイバーの破片が積まれています。また、1930年に冥王星を発見した天文学者、クライド・ウィリアム・トンボーの遺灰が搭載されています。
トンボーは、アメリカ・イリノイ州の生まれで、高校時代にこのころ西カンザスにあった自宅や農場が雹で壊滅し、大学進学を諦めざるを得なりました。彼は独学で学問を続け、20歳のとき、初めて天体望遠鏡を自作して天体観測を続け、観察した火星と木星の記録を、アリゾナ州フラッグスタッフのローウェル天文台に送りました。
そうしたところ、その力量が認められ、天文台に雇われることとなりました。1930年2月18日に冥王星を発見し、一躍時の人となりましたが、ローウェル天文台での観測ではこのほかにも数百の変光星、800近い数の小惑星、2個の彗星の他、29,000にも及ぶ銀河を発見しています。
トンボーはUFOにも関心を持っていたそうで、1950年代には軍の要請でUFOの調査をしていたといわれますが、1997年1月に、91歳の誕生日を迎える直前に、ニューメキシコ州の自宅で亡くなりました。このとき彼の遺灰の一部がニュー・ホライズンズのコンテナに納められ、そのコンテナには以下のような銘文が書かれていました。
「ここに納めるは、冥王星および太陽系 ”第三領域” を発見したアメリカ人、クライド・W・トンボーの遺灰である。 アデルとムーロンの息子、パトリシアの夫、アネットとオールデンの父、天文学者、教師、駄じゃれ好き、そして我らの友、クライド•W•トンボー(1906-1997)」。
このトンボーが冥王星を発見した方法というのは、当時最新の技術であった天体写真を用いたものでした。
空の同じ区域の写真を数週間の間隔を空けて2枚撮影して、その画像の間で動いている天体を探すという方法で捜索を行うというものであり、撮影した膨大な写真を丹念に精査した結果、トンボーは1930年2月18日に、同年1月に撮影された2枚の写真乾板の間で動いていると思われる冥王星を見つけたのでした。
日本語名の「冥王星」は、発見後すぐに日本人の野尻抱影という民族学者が提案した名称です。彼はこの名称を「幽王星」というもう1つの候補とともに雑誌「科学画報」の1930年10月号に紹介し、その後東京天文台でもこの言葉を使うようになりました。
野尻抱影は、英文学者、随筆家でもあり、古今東西の星座・星名を調べ上げたことから「和製アレン」とも呼ばれました。アレンというのは、リチャード・ヒンクリー・アレンのことで、アメリカのアマチュア博物学者であり、膨大な雑学知識を有していたことによって、友人たちからは「歩く百科事典」と呼ばれていました。
ギリシア・ローマ、アラブ、中国および他の多くの地域の星座と恒星に関する天文学の歴史を広範囲にわたって調査し、その結果は以後、星の名称についての重要な文献とされるようになり、現在でもプロ・アマを問わず、多くの天文学者が星名について当たる資料源となりました。
野尻抱影もまた星の和名の収集研究で知られており、日本各地の科学館やプラネタリウムで行われる、星座とその伝説の解説には、野尻の著作が引用されることが多いようです。
この冥王星の発見から85年もの年月を経て、ついにそのベールがニュー・ホライズンズによって剥がれることになるわけですが、その観測ではまた、冥王星本体だけでなく、冥王星の最大の衛星「カロン」の表面の写真撮影も行われます。
カロンは直径が冥王星の半分以上あり、「二重惑星」ともみなされており、この「二重」の意味は、大きさの近いこの2つの惑星が同じ重心の周りを互いに公転している、ということです。
つまり、同じ円の中心をぐるぐると二つの衛星が回っていることになりますが、互いに同じ周期で回転しているため、カロンは常に冥王星に同じ面を向けており、冥王星もまたカロンに対して常に同じ面を向けています。
よって、仮に冥王星の表面からカロンを、あるいは、カロンの表目から冥王星を見たとするとそれぞれの相手は、空の一点から動かないように見えるはずです。
また、カロンにはかつて地下に海が存在した可能性が示唆されています。冥王星とカロンは常にお互いに同じ面を向け、安定した真円の軌道を回っていますが、この状態に至るまでにカロンは細長い楕円軌道を回っていた時期があったと考えられており、このような時期には潮汐変形で熱が発生し、内部に液体の海が存在していたかもしれないのです。
カロンは、現在では冥王星とともに準惑星とされています。これについては、その当時大騒ぎになったので、ご存知の方も多いと思いますが、冥王星は、発見から76年後の2006年8月に開かれた国際天文学連合(IAU)の総会で、惑星から準惑星に格下げになってしまいました。
冥王星は海王星までの8つの惑星と比較すると離心率や軌道傾斜角が大きいことから、発見された当初から「変わった惑星」だと考えられており、発見されてからしばらくの間は地球と同じ程度からその数倍の質量を持つと推定されていました。
ところが、上述のとおり、ハッブル宇宙望遠鏡やほかの近年の精度の高い観測により、実際はそれよりはるかに小さいことが明らかになり、組成や予想される起源から、太陽系外縁天体ではないかという意見が有力になっていきました。
また、冥王星の表面を覆う氷は彗星が持っている氷と同じ成分であることから、冥王星は太陽系を形成したときの微惑星の集合体だと考えられるようになり、このような研究の進展から、冥王星を惑星とみなすことに疑問を抱く声が高まっていきました。
さらには近年の望遠鏡の技術が進歩により、2000年代に入ってからはさらに多くの太陽系外縁天体が発見できるようになりました。その中には冥王星の大きさに匹敵するものも出てくるようになり、2005年7月29日、2003 UB313と呼ばれる天体が、冥王星と同じ太陽系の外縁で発見され、この星は2006年9月に「エリス」と命名されました。
太陽系の天体の明るさは、サイズとアルベド(反射率)から決定されます。エリスの場合も等級とアルベドを考慮に入れた計算が行われましたが、その結果、冥王星よりやや大きいと推測され、これは1846年の海王星の発見以来、太陽系内で最大の天体の発見でした。
ただ、この発見のときはまだこの天体を惑星と呼ぶかどうかという議論は活発ではなく、天文学者の間でもこれを惑星と呼ぶ公式な合意は得られていませんでした。
にもかかわらず、発見者とメディアは当初これを「第10惑星」と呼び、10個目の惑星発見という報道もされたことから、これと同じ冥王星を果たしてそれまで通りに惑星と呼んでいていいのかどうか、という議論が巻き起こりました。
この結果、国際天文学連合((IAU)は世界中の天文学者の意見を募り、2006年8月14日からチェコのプラハで開かれた総会で、惑星の定義を決めるための議論が行われることになりました。
その10日後、8月24日に採択された議決においては、それまで明確でなかった惑星の定義を定めるとともに、「dwarf planet」(準惑星)と「small Solar System bodies(太陽系小天体)」という二つの新しい分類を新設することが採択され、「惑星」、「準惑星」、「太陽系小天体」の3つのカテゴリが定義されることになりました。
そして、惑星の定義としても、はじめて次のように定めれらました。
1.太陽のまわりを公転していること。
2.自己の重力によって球形になるほど十分な質量を持っていること。
3.軌道上に他の天体がないこと(他の天体を排除していること)。
この定義の元では、冥王星は惑星としてのこの3つ目の条件を満たさないことになり、これによってIAUは、惑星の総数をそれまでの9つから8つとするとともに、冥王星を「準惑星」に再分類し、太陽系外縁天体内の新しいサブグループの典型例とみなすと決議をしました。
IAU が決議案採択の時点で dwarf planet の例として示したのは冥王星、エリス、ケレスの3個であり、2008年7月にマケマケ、9月にハウメアが追加されて5個となりました。
このうち、エリスのネーミングはトロイア戦争の遠因となったギリシア神話の不和と争いの女神の名をとったものであり、ケレスもまたローマ神話の女神ケレスから命名されたものです。
しかし、その後はギリシア・ローマ神話の神が残り少ないことを指摘されるようになり、その後発見されたマケマケ、ハウメアの命名では別の伝承の名前が提案されました。マケマケは、イースター島の創造神マケマケに因んで命名されたものであり、ハウメアは、ハワイ諸島の豊穣の女神ハウメアに因んで命名されたものです。
ちなみに、ケレスはイタリア人、ハウメアはスペイン人の天文学者によって発見されました。しかしエリスとマケマケは冥王星と同じくアメリカ人による発見であり、近年ではこうした新しい発見においては、アメリカにおける天体観測の技術が群を抜いているとよく言われます。
いずれにせよ、このIAUの結果から、冥王星は準惑星に分類されることになりました。しかし、この総会においては、1万人以上いるIAU会員のうち総会の出席者は2千人余りに過ぎず、また、最終日の議決に参加したのはわずか424人であり、賛成票が約9割という圧倒的多数ではあったものの、この決議は無効だという抗議の声があがりました。
304人もの天文学者や惑星科学者がIAUに署名した意見書を提出しましたが、その大半は現在世界最先端の天体観測技術を持っているといわれるアメリカ人たちでした。
しかし、この意見書については、冥王星を発見したクライド・トンボーがアメリカ人であったことも関係しており、冥王星は1930年の発見以降長い間、アメリカ人が発見した唯一の惑星とされ、発見当初からアメリカ人の誇りと思われてきたという事情もあったようです。
ディズニーのキャラクターとして親しまれている「プルート」もまた、冥王星が発見された年に誕生しており、冥王星の英名、“Pluto“からきています。このこともあり、多くのアメリカ人は冥王星に特別な愛着を抱いてきており、アメリカ人のこの強い愛着が、冥王星が惑星であるか否かという議論を長らく混乱させる一因にもなりました。
2006年に結局冥王星が準惑星に変更されることが決まると、多くのアメリカ人からは失望や落胆、不満の声があがり、カリフォルニア工科大学やジェット推進研究所などがあるカリフォルニア州のパサデナでは、惑星に扮した8人の科学者が冥王星の入った棺と1,500人以上の会葬者を伴って街を練り歩く、という「珍事」も起きました。
しかし、冥王星を発見したのがアメリカ人なら、惑星でなくなるきっかけを作ったのもまた、アメリカの天文学者たちだったといえます。近年彼等によって格段に精度が高められた観測装置による観測によって、次々と冥王星のような準惑星が発見されたことを考えると、この結果はいかにも皮肉なかんじがします。
冥王星の発見者である、クライド・トンボーが後半生を過ごしたニューメキシコ州ではこのIAUの決議が行われた翌年の2007年に、また彼が生まれたイリノイ州では2009年に、冥王星の発見が報告された3月13日を「冥王星の日」と定めました。
そして、州議会は「州の上空を通っている間は、冥王星は惑星として扱われる」ことを決議したといいます。ただ、冥王星が天の北極に最も近づくのは2193年となりますが、その時点でも、冥王星はニューメキシコ州やイリノイ州の上空を通ることはないそうです。
それにしても冥王星は長きに渡り、惑星として扱われてきた、という事実は消えません。1970年代初頭に打ち上げられた宇宙探査機パイオニア10号とパイオニア11号に搭載されていた金属板には、冥王星が惑星として描かれています。
この金属板は、将来探査機が地球外知的生命体と遭遇した場合に、探査機がどこから来たかという情報を与えることを意図しており、太陽系の図も含まれていて、9つの惑星が描かれていることから、もし宇宙人がこれを見つけたら、あ~地球には惑星が9つあるんだ~と思うことでしょう。
同じように、前述の探査機ボイジャー1号とボイジャー2号にも黄金のレコードなどにもやはり冥王星は9番目の惑星と記録されています。
さらには、原子番号94番の元素はプルトニウム (plutonium)と名付けられており、これは冥王星の(Pluto)から取ったものです。
さらには、我々日本人が、惑星の名前を「水金地火木土天海冥」と覚えていますが、これは今後、「水金地火木土天海」となってしまい、なんだか尻すぼみになったような印象を受けます。
同様に、欧米人もこれを「My Very Educated Mother Just Served Us Nine Pizzas」などのようにして語呂合わせで覚える習慣があります。しかし、IAUの決議によって惑星が8個になってしまっため、このごろ合わせも変える必要があります。
これについてはアメリカでは具体的な動きがあり、逆に、新しく増えたものを加えた新しい語呂合わせを作ろうという運動が巻き起こりました。そして科学雑誌の「ナショナルジオグラフィック」で有名なナショナルジオグラフィック協会がケレスとエリスを含む11個の「惑星」を読み込んだ募集をしました。
その結果、モンタナ州の4年生の少女による「My Very Exciting Magic Carpet Just Sailed Under Nine Palace Elephant」という新しいごろ合わせが優勝したといいます。日本も同様に、新しく増えた準惑星を加えて新しいゴロ合わせをつくるかどうかですが、「水金地火木土天海」に加えてどんな漢字をあてるのがいいのでしょうか。
一方、音楽の世界では、グスターヴ・ホルストによる有名な組曲「惑星」というものがありますが、この曲は冥王星発見以前の1914年から1916年にかけて作曲されており、当時未発見の冥王星は含まれていません。なのでこれはこれで現在の状況に適応しているわけです。
しかし、ホルストは冥王星が発見されて以降、新たに冥王星の曲を作ろうとしたといいます。が、健康上の理由などから挫折したそうで、これを引き継ぎ、その後も他の人による補完の試みがありました。
そして、2000年になってコリン・マシューズという作曲家が作曲した「冥王星、再生する者」が作られたばかりでしたが、こうした努力も今になってみれば、むなしいかんじがします。
さらには、占いが好きな人に気になるのが、西洋占星術では、冥王星が天蝎宮(さそり座)の支配星であることです。白羊宮(おひつじ座)の副支配星でもあり、星占いでは凶星であり、極限、死、再生を示し、原子力、エネルギーをも示唆するとされてきました。
古代の星占いにおいては、この時代には冥王星は発見されておらず、含まれていませんでしたが、発見以後は取り入れられ、重要な天体の1つとして数えられています。このため、ミャンマーのように、占星術がこれで首都移転を決めるほどの社会的影響力のある国においては少なくない影響があり、ミャンマーの占星術師の協会がIAUの決定を非難しました。
ただ、西洋占星術関係者の一部からは冥王星そのものが消えたわけではありませんし、新たに発見された準惑星も含めて支配星を再定義する必要がある、などの前向きな意見も出ています。そもそも占星術における惑星の定義は天文学的な定義とは異なるため、それはそれでいいんじゃない、と至って冷静に受け止めている占い師さんが多いようです。
とはいえ、このIAUの決定は、マスコミによるセンセーショナルな報道の影響もあって、発見から76年間も惑星として親しまれてきたものが「惑星でなくなった」ということに対して、マイナスのイメージを抱いてしまった人が非常に多いのもまた事実です。
この分類変更は、冥王星は惑星だと記載してきた世界の教科書出版業界にも衝撃と混乱をもたらしており、また多くの国の政治家も「この結論は歴史的なものである」といった趣旨の発言をしているようです。
日本においても、日本学術会議が、2007年に前年のIAU総会で決まった新たな分類の日本語名称を提言しようとしました。しかし、「dwarf planet」についてはその定義にあいまいな部分があり、混乱を招く可能性があるとの結論を出し、この結果、日本では学校教育などの分野では当面、冥王星を準惑星とすることは推奨しないとしています。
私としてもアメリカ人ほどこの変更における著しい憤りは感じておらず、これまで通り、「水金地火木土天海冥」でいいじゃん、というかんじです。
惑星が、天文学上は準惑星扱いされるようになっても、別に冥王星の存在価値そのものが否定されたわけでもなく、天文学の進展によって、より詳しいことがわかった結果である、と考えればよいわけです。今後その詳細が明らかになるにつれ、冥王星はさらに新しい科学文明の象徴のような存在になっていくに違いありません。
がしかし、ニュー・ホライズンズがまだ冥王星に接近していない現時点においては、その詳細はまだ不明の点ばかりです。冒頭でも述べたとおり冥王星には未だに探査機などが接近観測を行ったことがないためでもありますが、冥王星が遠すぎるために地球から詳細に観測することも難しいためです。
冥王星の見かけの等級は14等級以下であり、従ってその観測には必要となる望遠鏡の口径は少なくとも約30cm以上が望ましいといいます。
非常に巨大な望遠鏡で観測しても、冥王星の角直径はわずか0.15″しかないため、恒星と同じように点状にしか見えず、また冥王星の色はごくわずかに黄色がかった明るい茶色である、といったことぐらいしかわかりません。
地球から望遠鏡で観測することにも限界があり、現在世界最高の分解能を持っているといわれるハッブル宇宙望遠鏡でも、その宇宙から撮影した画像からは表面の明暗や模様などがわずかに分かる程度だといいます。
今回のニューホライズンの接近により、人類は初めてその素顔を見ることになるわけですが、今後の予定としては、2月14日ごろから本格的な観測を開始し、今年の4月後半には、送られてきた画像の画質が、ハッブル宇宙望遠鏡による最良のものと同等になるといいます。
そして、6月初旬には全ての観測機器が常時観測体制に入り、7月14日の午前11時47分に最接近し、冥王星と衛星カロンを撮影する予定です。最接近時の距離は13,695kmだそうで、このときの通過予定速度は14km/sという比較的ゆっくりとしたものです。が、これは時速に換算すると50,400km毎時というとてつもないスピードです。
そして、8月後半には、接近後の探査終了し、来年からはかつてのボイジャー1・2号と同じように、果てしない永遠の宇宙の旅を続けることになるようです。
今年の7月、これまで人類の見たこともない冥王星の雄姿を垣間見ることができると考えると、楽しみです。
今年はこのことも含めて、楽しいことがたくさんある一年であることを祈りたいところです。